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みんなみすべくきたすべく

じめんのうえと じめんのした

じめんj

(承前)
先日の「つちづくり にわづくり」(ケイト・メスナー文 クリストファー・サイラス・ニール絵 小梨直訳 福音館)➡➡でも、地面の上と地面の下の絵が描かれていましたが、この「じめんのうえと じめんのした」(アーマ・E・ウェーバー文・絵 藤枝澪子訳 岩波子どもの本)は、全編、地面と上と地面の下の科学を、明瞭に無駄なく伝えてくれます。(絵は、画家が描いたものではなく、この植物学博士が自ら描いているので、他の科学の絵本とは、ちょっと差がありますが・・・)

 この絵本は、本当に重要なことーーー生命の繋がりのことを、こんなに簡単な言葉で、表現するのです。
最後にこうあります。
≪にっこうに あたった しょくぶつだけが くうきと つちから えいようぶつを つくります。
たいようが どんなに かんかん てっても、どうぶつは くうきや つちから えいようを とることは できません。
どうぶつは、しょくぶつを たべたり しょくぶつを たべる どうぶつを たべたりして、えいようを とらなければなりません。
だから、じめんの うえに すむ どうぶつも じめんの したに すむ どうぶつも。しょくぶつの おかげで いきているのです。≫

おお、人(動物)が陸の上で食べてきたものは、植物を食べて来たものだった!と、この自明のことに、改めて納得然り。
そういえば、狂牛病というのがありました。家畜の骨や内臓を原料とした飼料を食べさせたのが原因の一つだったのでしたね。
自然界の摂理を、無視したら、あかんのです。

 さて、写真にも写っているかと思いますが、(キリンの足もと、右下)ミミズが、またちゃーんと描かれているのです。とてもとても、小さく・・・
先の「つちづくり にわづくり」➡➡にも、ミミズが描かれていたし、「どこかで だれかが ねむくなる」➡➡でも、大きくミミズが描かれていました。これらから、考えるに、土のことを描くには、やはりダーウィンのミミズの研究➡➡を リスペクトして描いているじゃないかと、推測するのです。

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満月をまって

満月j
(承前)
 「どこかで だれかが ねむくなる」(メアリー・リン・レイ詩 クリストファー・サイラス・ニール絵 こうのすゆきこ訳 福音館)➡➡の詩を書いたのは、メアリー・リン・レイですが、この人は、バーバラー・クーニー(1917~2000)の最後の作品「満月をまって」(1999年)の作者でもあります。

「満月をまって」(メアリー・リン・レイ文 バーバラ・クーニー絵 掛川恭子訳 あすなろ)

メアリー・リン・レイは、作家であり環境保護活動家であると、紹介にあります。絵本「どこかで だれかが ねむくなる」も、そんな視点を持っていたのかと、納得がいきます。
 
 そして、この絵本は、環境保護と人権問題についての視点も併せ持ち、絵本の形をとってはいるものの、赤ちゃんや幼児に向けた絵本ではありません。日本では、絵本と言えば、小さい子どものもの、あるいは、一部のお洒落なお姉さんのものと思われがちですが、内容の深い絵本は、小学校中学年以上の子どもたちにも楽しんでもらいたものです。この主人公の年齢は9歳ですから、およそ、それくらいの子どもが、対象の中心なのだと思っても、間違いではないと思います。

 さて、今から100年以上前、アメリカ北東部ニューヨーク州ハドソンからそれほど遠くない山あいの地方で、かごを作って生計をたてる人たちがいました。
 木の声を聴き、風の歌を聴くカゴつくり職人たち、丈夫で美しいかごを作る技術は、父から子へと伝えられていきます。

 バーバラ・クーニーの描く、深く、丁寧な世界とともに、全編、詩的な世界が広がります。自然の中でのシーンだけでなく、かごを編む作業をするシーンでさえも。
≪台所はうすぐらくて、しーんとしている。ときどき、とうさんが、口をひらく。ビッグ・ジョーや、クーンズさんのときもある。山の木がしてくれたはなしを、かわるがわる、くりかえしはなすのだ。   ぼくも、山の木の声をききたいとおもう。でも、よる、耳をすましても、ぼくにはなんにもきこえない。   まきがパチパチはねる。いすがきしむ。木のリボンがゆかをたたく。ビッグ・ジョーがいう。「きく耳があれば、きこえるよ。」・・・≫

9歳になった満月の夜、やっと、お父さんとかごを、ハドソンまで売りに行けた「ぼく」でした。(ここは、同じバーバラ・クーニーの「にぐるまひいて」(ドナルド・ホール文 バーバラ・クーニー絵 もきかずこ訳 ほるぷ)➡➡を思い出します。)

かごを売り、買い物をし、お母さんにハドソンの話をしようと考えている帰り道、ハドソンの人たちから、酷い言葉を浴びせられてしまいます。そして。。。。。

≪・・・夜になって、ストーブがしずかになり、いえもしずかになったとき、「おいで」と、風のよぶ声がきこえた。   ぼくはついていった。くぐって、でて、くぐって、でて、夜につつまれた枝を、くらい枝を、くぐって、でて、くぐって、でて。風がかごをあんでくれるんだ。半月のかすかなあかりのもとで、木の葉の1まい1まいが、ぼくにむかってあいさつをおくってくるようだった。
 あさ、木の枝がいえのかべをやさしくこすって、ぼくをおこしてくれた。「木が大きくなっていく」かあさんがいった「木のリボンがのびていく。いつまでたってもつかえるかごが、たくさんできるね」   ぼくにはもうわかっていた。・・・・・いつまでたってもつかえるかご。ぼくのつくるかごは、そういうかごだ。・・・・・≫

蛇足:::いつまでたってもつかえるかご・・・・使い捨てでなく、最後は、自然に戻ることのできる製品が、現代は、多くない・・・・ということを考えるだけでも、心が痛い。

☆写真下は、スイス シャトーデーの切り絵美術館、民俗博物館➡➡
  かご12

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どこかで だれかが ねむくなる

おやすみなさいj
(承前)
もう1冊 続けて、クリストファー・サイラス・ニール絵による絵本です。「どこかで だれかが ねむくなる」(メアリー・リン・レイ詩 クリストファー・サイラス・ニール絵 こうのすゆきこ訳 福音館)

 おやすみなさいの絵本で、一番好きなのは、「おやすみなさいおつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)に変わりがありませんし、同じ、マーガレット・ワイズ・ブラウン文 による「おやすみなさいのほん」(ジャン・シャロー絵 石井桃子訳 福音館)も、静かに描かれた世界に引き込まれます。なんといっても、おやすみ おやすみと呪文のように繰り返す、マーガレット・ワイズ・ブラウンの文は、心に安寧を呼びます。また、この2冊が瀬田貞二訳や石井桃子訳ということも、日本の子どもたちにラッキーだったと思うのです。

 さて、「どこかで だれかが ねむくなる」ですが、この絵本自体が、自然の生きものたちにおやすみをいう絵本です。
 他の自然科学絵本の入門絵本ではないにしても、クリストファー・サイラス・ニールの絵は、メアリー・リン・レイ詩にあっているかと思います。また、期せずして、この絵本にも、今年の干支のネズミが描かれていて、楽しい。

≪どこかで はちが おやすみのしたく ばらの ベッドで よるを まつ
どこかで ビーバー こえだの ベッドを つくる
どこかで くまが まるきの べっどに もぐる きっと こんなふうに
どこかで チューチューねずみたち
ちちゅうに ベッドを かくし ホーホーふくろうに めくらまし・・・・≫

 加えて、かのミミズ➡➡も大きく描かれています。
≪・・・みみずも つちに ねむる≫

ちなみに、写真右に写る「おやすみなさいおつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)の、暖炉の右手にもちゃんと、ネズミがおりますよ。≪おやすみ ねずみさん≫
(続く)

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ライフタイム

ライフj
(承前)
 「ライフタイムーーーいきものたちの一生と数字」(ローラ・M・シェーファー文 クリストファー・サイラス・ニール絵 福岡伸一訳 ポプラ社)
「ゆきのうえ ゆきのした」(ケイト・メスナー文, クリストファー・サイラス・ニール絵 小梨直訳 福音館) 「つちづくり にわづくり」(ケイト・メスナー文, クリストファー・サイラス・ニール絵 小梨直訳 福音館)の2冊の絵を描いたクリストファー・サイラス・ニールは、「ライフタイムーーーいきものたちの一生と数字」という絵本も描いています。奥行きのない軽いタッチの絵ですが、自然科学絵本の入り口に立つ子どもたちには、馴染みやすいものかもしれません。

そして、ここで、また、つながったのは、翻訳者が、絵本『ダーウィンの「種の起源」--はじめての進化論』(サビーナ・ラディヴァ作・絵 福岡伸一訳 岩波)の訳者;生物学者の福岡伸一ということです。➡➡ ⇒⇒

ま、数字というだけで、距離を置きたいカ・リ・リ・ロですが、この絵本は、1~1000まで、丁寧に示してくれます。
前書きにあたるページで作者のローラ・M・シェーファーは、言います。
≪この本にでてくるのは、いきものの一生を調べてわかったさまざまな「数字」です。それぞれのいきものの観察記録や平均寿命をもとに考えました。…≫

もちろん、登場するいきものたちの解説や「平均」という言葉の説明も、本の最後についています。

また、訳者あとがきでは、
 いきものの生き方には、大きくわけて二つのタイプがあるとし、上記写真に写るタツノオトシゴのようにたくさん子どもを産むタイプと、少ない数の子どもを作り、一人前になるまで外敵から守り、大切に育てるタイプだあるとしています。人間は、このうち、後者ですが、
≪人間は長生きですし、他のいきものの餌になてしまうこともありません。一見、幸せそうに見えますが、ちょっと増えすぎたせいで、環境問題や食料問題、エネルギーの問題などになやまされています。この本には人間のことはでてきません。でも人間もいきものです。ほかのいきものとつながっています。……≫

 この絵本がアメリカで出版されたのが2013年、翻訳されたのが2015年。今は2020年。(続く)

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つちづくり にわづくり

つちづくり
(承前)
昨日の「ゆきのうえ ゆきのした」(ケイト・メスナー文, クリストファー・サイラス・ニール絵 小梨直訳 福音館)➡➡ の 文ケイト・メスナーと絵のクリストファー・サイラス・ニールは別の絵本も一緒に手掛けています。

「つちづくり にわづくり」(ケイト・メスナー文 クリストファー・サイラス・ニール絵 小梨直訳 福音館)です。

土を作り、作物を育てるという絵本は、
「ソフィーのやさいばたけ」(ゲルダ・ミューラー作 ふしみみさを訳 BL出版)➡➡姉妹編の「ソフィーのくだものばたけ」(ゲルダ・ミュラー作 ふしみみさを訳BL出版)➡➡がありますね。また、もっと幼い子ども向きには「ピーレットのやさいづくりーちいさな こどものための やさいばたけのおはなし」(ウルリカ・ヴィドマーク文 イングリッド・ニイマン絵 高橋麻里子訳 岩波)➡➡ というのも可愛い絵本です。

さて、この「つちづくり にわづくり」のどこが気に入ったかというと、「わたしはみんなのおばあちゃん」(ジョナサン・トゥイート文 カレン・ルイス絵 真鍋真訳 岩波)のように➡➡、またもや「おばあちゃん」が、いい仕事で登場するのです。最後のほうでは、おじいちゃんも登場。ただ、おばあちゃんの絵が、ちょっと若作りなのが気にならないわけではありませんが…

話は、春から、夏、そして、秋、冬の庭での出来事です。おばあちゃんと孫が土づくりをしながら、土のこと、収穫のことを話し合うのです。
春の日差しがきらきら眠たげな雪を解かす頃、
≪「このしたは どうなっているの?」と、わたしはきく。「じめんのしたは おおいそがしよ。ミミズや むしたちが ほったり、かきまぜたりして、つちを ふかふかにしている。もう みんな せっせと はたらいているの」≫

≪「スープができたよ」と、おじいちゃんの こえがするころには、そらに あきの おつきさま。おにわでは、かれた とうもろこしのくきが かさかさとゆれ、かぜも ふゆの においがする。でも、ながかった なつ、おいしかった なつは、まだ あちこちに のこっている。テントウムシや マルハナバチ、ミミズや アリたちが、あなにもぐったり みをひそめたり・・・・じぃっとして・・・≫

ここにも、ミミズが出てきました。他にも、何度かミミズがトンネルをほったり、小さく丸まったりと、表現され、また、文になくても、土の絵の中にミミズが、何度も描かれています。
「ダーウィンとミミズの研究」(新妻昭夫文 杉田比呂美絵  福音館 )とも、つながる1冊です。➡➡

加えて、この作家、ケイト・メスナーと、絵を描いたクリストファー・サイラス・ニールについては、またまた、つながっていきます。まずは、絵を担当したクリストファー・サイラス・ニールから。(続く)

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ゆきのうえ ゆきのした

ゆきのしたj
 今日は、立春。本来なら、関西でも一番寒い季節。もちろん、雪も降らないし、凍りもしません。だんだん、雪を見たことのない、雪がちらつくのさえ知らない日本の子どもも増えていくでしょうね。

 「ゆきのうえ ゆきのした」(ケイト・メスナー文, クリストファー・サイラス・ニール絵 小梨直訳 福音館)は、リズムのあるお話とともに、小さい子どもにもわかりやすい科学的な知識も示してくれます。
 雪が積もるとき、動物たちはどこにいるのか。
 リスに、みみずく、うさぎに、カエル、ビーバー、キツネ、クマに、マルハナバチ・・・彼らとともに、登場しているのが、3種類のネズミ。トガリネズミ、シロアシネズミ、ハタネズミ、それに、名前の付けられていないネズミを合わせると、4回ネズミが登場します。

≪ゆきのしたでは、ちっちゃな トガリネズミが、こおりの はしらの あいだを するり。ひんやりとした コケだらけの トンネルのおくに きえる。≫

≪ゆきのしたでは、シロアシネズミたちが うとうと。とりのはねや どうぶつのけを あつめて つくった すのなかで、からだを まるめ、くっつきあっている。≫

≪ゆきのしたでは、こおった トンネルに かりかり つめを たてて、ハタネズミたちが なつのごちそうの のこりを さがしあるいている。≫

≪しげみから ふさふさしっぽの キツネが いっぴき。じめんに むけた みみを すまして・・・よーく・・・よーく きいてから・・・ぴょーん と ゆきに とびついたけれど、えものは どこだろう。まえあしで ゆきを ひっかくと でてきたのは ネズミ。こりこり かりかりと ゆきのしたから ちいさく きこえていた おとのぬし。≫

それで、科学の絵本の多くには、後書きのところに解説があるのですが、アカギツネの解説には、こうありました。
「アカギツネが好んで食べるのは、ハタネズミ、トガリネズミ、シロアシネズミなどのほんのちいさなほ乳類ですが、冬にこうした生きものたちを見つけるのはかんたんなことではありません。でもキツネはとても耳がいいので、雪のしたにいるネズミなどの音をききのがしません。ネズミのうごく音がすると、キツネは飛びかかります。ときには4本足ぜんぶをつかって、雪といっしょにネズミをおさえこみ、ほりだして食べます。」

科学知識を簡単に伝えるのは難しいのです。(続く) 

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節分に 紅梅 白梅 咲き誇る

梅2
 今日は、節分。
暖かい二月になり、早朝散歩も、少しづつ陽がさしてきて、かろうじて、公園の梅も写るようになりました。

 そこで、何故か、ロバート・フロストの「春のたまり水」
≪木々はその鬱屈した芽の中に、やがては
自然を暗く包んで夏の森となる力を秘めているーーー≫
「対訳 フロスト詩集」 (川本皓嗣編 岩波文庫)

急になぜ、フロストか。
後日UPする、別の本につながっているからです。
ヒントは、最近、続けて書いている、書こうとしている科学の絵本、自然の絵本から、つながっているアメリカの児童文学。
賞ももらっているこの本を当てた人は、凄い。
もう一つのヒントは、「樺の木」。

梅1

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恐竜の時代

    恐竜2
(承前)
「とりになったきょうりゅうのはなし  改訂版」(大島英太郎さく 福音館)➡➡を描いた大島英太郎の紹介文には、≪1961年生まれ、子どもの頃から自宅に近い渡良瀬遊園池に通って、野鳥の観察を続けてきた。また、恐竜に関する質問状を、国立科学博物館の研究者に送ったのがきっかけで、恐竜にも関心を持つようになる。・・・・・≫と、ありました。

 他、同じく かがくのとも出身の「きょうりゅうの おおきさって どれくらい?」の(福音館)や、真鍋真監修の「羽毛恐竜 恐竜から鳥への進化」(福音館)にも、大島英太郎のおなじ紹介文。

 大島英太郎は、自然科学の絵本以外にも、動物の出てくるお話の絵本も描いているようです。寅年のときに紹介するのを忘れないようにしたい「むかし むかし とらとねこは・・・」(中国のむかし話より 福音館)や、ネズミ年の今年は、福音館こどものともの「まほうねずみのシュッポ」(おのりえん作),申年には「うみやまがっせん」(上沢譲二原案 長谷川摂子文 福音館)また、アリソン・アトリー「ラベンダーのくつ」(松野正子訳 福音館)の挿絵も手掛けています。(これについては、後日)

 さて、これらの大島英太郎絵の恐竜絵本のなかでも「羽毛恐竜」は、「とりになったきょうりゅう」のお兄さん版とも言える内容です。タイトルが、他は「きょうりゅう」とあって、この絵本のみ「恐竜」とするところからも、これが大きい子ども向けだということがわかります。そして、やはり、監修は真鍋真です。➡➡ ⇒⇒

また、「羽毛恐竜 恐竜から鳥への進化」(福音館)は、「とりになったきょうりゅうのおはなし」「きょうりゅうのおおきさってどれくらい?」より、恐竜たちの図も多く、化石の話にも踏み込んでいます。

なにより、ばあばになった今でも、新たに、科学の絵本を楽しめるのは、うれしいことです。
未来のある子どもの多くに出会ってほしい科学の絵本たちでした。

その最後のページにあります。
≪カラス、スズメ、ツバメ・・・、今も、わたしたちの身近で、多くの鳥がくらしています。それは6600万年前の大量絶滅をまぬがれて、今もなお、繁栄している恐竜なのです。恐竜の時代は、おわっていないのです。・・・・・≫(続く)

☆写真上「羽毛恐竜 恐竜から鳥への進化」(大島英太郎作 真鍋真監修 福音館)シノルニトサウルスのページ
写真中「きょうりゅうのおおきさってどれくらい?」(大島英太郎作 福音館) 動物園の象と比べたセイスモサウルスのページ
写真下「とりになったきょうりゅうのはなし  改訂版」(大島英太郎さく 福音館) メジロ、ベニヒワ オシドリ、ステゴサウルスのページ

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とりになったきょうりゅうのはなし

とりになったj

(承前) 
 東京上野の国立科学博物館の「絵本でめぐる生命の旅」という企画展(~2020年3月1日)➡➡で使われている絵本で、一番、幼い子ども向き、だと思える1冊「とりになったきょうりゅうのはなし 改訂版」(大島英太郎さく 福音館)

 これは、福音館、かがくのとも出身です。その解説は、「せいめいのれきし 改訂版」➡➡「わたしはみんなのおばあちゃん」➡➡の監修者・訳者でもある真鍋真です。(国立科学博物館のコレクションデレクターで、国立科学博物館の「絵本でめぐる生命の旅」の企画者)

 ずっとむかし、恐竜が住んでいて、その中には、身体の小さいものも居て、身体に羽毛が生えているものも居て、木の上でくらすようになったものも居て、手足をバタバタと動かして木の登ることができるものも居て、そのうち木から木へと飛び移るものが居て、そのあと、何百万年も経つと、手足の羽毛が長く伸びて翼になったものが居て、空を飛べるようになって・・・今から6600万年ほど前に、地球の様子が大きく変わり、大きな恐竜の仲間はほとんど死に絶えたものの、翼をもち跳ぶことのできる 小さな恐竜の子孫だけは生き残り、それが鳥・・・・

 ふーむ、よくわかる!
 真鍋真は、この絵本の最後、大人向けの解説で、約6600万年約、地球に隕石が衝突したことなども紹介しながら、まだまだ、未解決の進化について、説明します。そして、
≪・・・・近い将来私たちは、現代の動物と同じように、時空を超えて恐竜を語れるようになるかもしれない。この本の読者の中から、そのような研究者が生まれることを楽しみにしている。≫

 ほんと、そうです。小さな絵本の種が、こんな科学者たちを生んでいく、かもしれない・・・・(続く)

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13800000000年のきみのたび

恐竜1
(承前)
「13800000000年のきみのたび」(坂井治作絵・倉持利明:国立科学博物館 監修 光文社)そもそも、この13800000000が、一度に読めないなと思っていたら、(大きなタイトルの下に138おくねんとは、書いてあるものの)数字に、めっぽう強い旦那は、138億年とすぐよみ、さすが!と思っていたら、宇宙のことに関心があったときから、知ってたんだって・・・・

この絵本は、東京上野の国立科学博物館で「絵本でめぐる生命の旅」(~2020年3月1日)という企画展➡➡の中心になった7冊のうちの一冊。

「わたしはみんなのおばあちゃんーはじめての進化のはなし」(ジョナサン・トゥイート文 カレン・ルイス絵 真鍋真訳 岩波)➡➡でもそうでしたが、この絵本もいわゆるお話の本ではないので、幼い読者を引き込む手立てとして、読者に語りかけ、参加させるという方法を採っています。

≪きみが「うちゅうりょこうにいってみたい」って、おもうのは、むかし、きみが うちゅうを とんでいたからかもしれない。≫
≪きみが「ほしってきれいだな」って、おもうのは、むかし、きみが ほしだったからかもしれない。≫
≪きみが「うちゅうじんて いるのかな?」っておもうのは、むかし、きみが うちゅうから やってきたからかもしれない。≫
≪きみが うみを みると うきうきするのは、むかし、きみが うみのなかで いきものになったからかもしれない。≫
≪きみが いつも じっとしていられないのは、むかし、きみが うみのそこに くっついていたからかもしれない。≫
≪きみが へんしんロボットを すきなのは、むかし、きみが さかなに へんしんしたからかもしれない。≫
≪きみが そとへ でると かけだしたくなるのは、むかし、きみが みずのそとで くらせるように いっしょうけんめい れんしゅうしたからかもしれない。≫
≪きみが きょうりゅうを すきなのは、むかし、きみが きょうりゅうに なりたかったからかもしれない。≫
・・・・・
で、最後のページは、≪ひとつぶの げんしだった きみは、138おくねんを かけて、パパと ママの あかちゃんになった。≫(続く)

☆写真上は、「13800000000年のきみのたび」の恐竜のページ。写真下は、「きょうりゅうのおおきさってどれくらい?」(大島英太郎さく 福音館)のいろんな大きさの恐竜とぼくの背を比べているページ。

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