FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

恐竜の時代

    恐竜2
(承前)
「とりになったきょうりゅうのはなし  改訂版」(大島英太郎さく 福音館)➡➡を描いた大島英太郎の紹介文には、≪1961年生まれ、子どもの頃から自宅に近い渡良瀬遊園池に通って、野鳥の観察を続けてきた。また、恐竜に関する質問状を、国立科学博物館の研究者に送ったのがきっかけで、恐竜にも関心を持つようになる。・・・・・≫と、ありました。

 他、同じく かがくのとも出身の「きょうりゅうの おおきさって どれくらい?」の(福音館)や、真鍋真監修の「羽毛恐竜 恐竜から鳥への進化」(福音館)にも、大島英太郎のおなじ紹介文。

 大島英太郎は、自然科学の絵本以外にも、動物の出てくるお話の絵本も描いているようです。寅年のときに紹介するのを忘れないようにしたい「むかし むかし とらとねこは・・・」(中国のむかし話より 福音館)や、ネズミ年の今年は、福音館こどものともの「まほうねずみのシュッポ」(おのりえん作),申年には「うみやまがっせん」(上沢譲二原案 長谷川摂子文 福音館)また、アリソン・アトリー「ラベンダーのくつ」(松野正子訳 福音館)の挿絵も手掛けています。(これについては、後日)

 さて、これらの大島英太郎絵の恐竜絵本のなかでも「羽毛恐竜」は、「とりになったきょうりゅう」のお兄さん版とも言える内容です。タイトルが、他は「きょうりゅう」とあって、この絵本のみ「恐竜」とするところからも、これが大きい子ども向けだということがわかります。そして、やはり、監修は真鍋真です。➡➡ ⇒⇒

また、「羽毛恐竜 恐竜から鳥への進化」(福音館)は、「とりになったきょうりゅうのおはなし」「きょうりゅうのおおきさってどれくらい?」より、恐竜たちの図も多く、化石の話にも踏み込んでいます。

なにより、ばあばになった今でも、新たに、科学の絵本を楽しめるのは、うれしいことです。
未来のある子どもの多くに出会ってほしい科学の絵本たちでした。

その最後のページにあります。
≪カラス、スズメ、ツバメ・・・、今も、わたしたちの身近で、多くの鳥がくらしています。それは6600万年前の大量絶滅をまぬがれて、今もなお、繁栄している恐竜なのです。恐竜の時代は、おわっていないのです。・・・・・≫(続く)

☆写真上「羽毛恐竜 恐竜から鳥への進化」(大島英太郎作 真鍋真監修 福音館)シノルニトサウルスのページ
写真中「きょうりゅうのおおきさってどれくらい?」(大島英太郎作 福音館) 動物園の象と比べたセイスモサウルスのページ
写真下「とりになったきょうりゅうのはなし  改訂版」(大島英太郎さく 福音館) メジロ、ベニヒワ オシドリ、ステゴサウルスのページ

PageTop

とりになったきょうりゅうのはなし

とりになったj

(承前) 
 東京上野の国立科学博物館の「絵本でめぐる生命の旅」という企画展(~2020年3月1日)➡➡で使われている絵本で、一番、幼い子ども向き、だと思える1冊「とりになったきょうりゅうのはなし 改訂版」(大島英太郎さく 福音館)

 これは、福音館、かがくのとも出身です。その解説は、「せいめいのれきし 改訂版」➡➡「わたしはみんなのおばあちゃん」➡➡の監修者・訳者でもある真鍋真です。(国立科学博物館のコレクションデレクターで、国立科学博物館の「絵本でめぐる生命の旅」の企画者)

 ずっとむかし、恐竜が住んでいて、その中には、身体の小さいものも居て、身体に羽毛が生えているものも居て、木の上でくらすようになったものも居て、手足をバタバタと動かして木の登ることができるものも居て、そのうち木から木へと飛び移るものが居て、そのあと、何百万年も経つと、手足の羽毛が長く伸びて翼になったものが居て、空を飛べるようになって・・・今から6600万年ほど前に、地球の様子が大きく変わり、大きな恐竜の仲間はほとんど死に絶えたものの、翼をもち跳ぶことのできる 小さな恐竜の子孫だけは生き残り、それが鳥・・・・

 ふーむ、よくわかる!
 真鍋真は、この絵本の最後、大人向けの解説で、約6600万年約、地球に隕石が衝突したことなども紹介しながら、まだまだ、未解決の進化について、説明します。そして、
≪・・・・近い将来私たちは、現代の動物と同じように、時空を超えて恐竜を語れるようになるかもしれない。この本の読者の中から、そのような研究者が生まれることを楽しみにしている。≫

 ほんと、そうです。小さな絵本の種が、こんな科学者たちを生んでいく、かもしれない・・・・(続く)

PageTop

13800000000年のきみのたび

恐竜1
(承前)
「13800000000年のきみのたび」(坂井治作絵・倉持利明:国立科学博物館 監修 光文社)そもそも、この13800000000が、一度に読めないなと思っていたら、(大きなタイトルの下に138おくねんとは、書いてあるものの)数字に、めっぽう強い旦那は、138億年とすぐよみ、さすが!と思っていたら、宇宙のことに関心があったときから、知ってたんだって・・・・

この絵本は、東京上野の国立科学博物館で「絵本でめぐる生命の旅」(~2020年3月1日)という企画展➡➡の中心になった7冊のうちの一冊。

「わたしはみんなのおばあちゃんーはじめての進化のはなし」(ジョナサン・トゥイート文 カレン・ルイス絵 真鍋真訳 岩波)➡➡でもそうでしたが、この絵本もいわゆるお話の本ではないので、幼い読者を引き込む手立てとして、読者に語りかけ、参加させるという方法を採っています。

≪きみが「うちゅうりょこうにいってみたい」って、おもうのは、むかし、きみが うちゅうを とんでいたからかもしれない。≫
≪きみが「ほしってきれいだな」って、おもうのは、むかし、きみが ほしだったからかもしれない。≫
≪きみが「うちゅうじんて いるのかな?」っておもうのは、むかし、きみが うちゅうから やってきたからかもしれない。≫
≪きみが うみを みると うきうきするのは、むかし、きみが うみのなかで いきものになったからかもしれない。≫
≪きみが いつも じっとしていられないのは、むかし、きみが うみのそこに くっついていたからかもしれない。≫
≪きみが へんしんロボットを すきなのは、むかし、きみが さかなに へんしんしたからかもしれない。≫
≪きみが そとへ でると かけだしたくなるのは、むかし、きみが みずのそとで くらせるように いっしょうけんめい れんしゅうしたからかもしれない。≫
≪きみが きょうりゅうを すきなのは、むかし、きみが きょうりゅうに なりたかったからかもしれない。≫
・・・・・
で、最後のページは、≪ひとつぶの げんしだった きみは、138おくねんを かけて、パパと ママの あかちゃんになった。≫(続く)

☆写真上は、「13800000000年のきみのたび」の恐竜のページ。写真下は、「きょうりゅうのおおきさってどれくらい?」(大島英太郎さく 福音館)のいろんな大きさの恐竜とぼくの背を比べているページ。

PageTop

絵本でめぐる生命の旅

企画展j
 (承前)
 『ダーウィンの「種の起源」--はじめての進化論』(サビーナ・ラディヴァ作・絵 福岡伸一訳 岩波)や「わたしはみんなのおばあちゃんーはじめての進化のはなし」(ジョナサン・トゥイート文 カレン・ルイス絵 真鍋真訳 岩波)のことを書いていたら、こんな情報が。

 ~2020年3月1日まで東京上野の国立科学博物館で「絵本でめぐる生命の旅」という企画展。
 監修者は、真鍋真氏となっています。もちろん、「せいめいのれきし」(岩波)➡➡も「ダーウィンの『種の起源』はじめての進化論」(岩波)➡➡ も、「わたしはみんなのおばあちゃん」(岩波)➡➡も展示されてるようです。福音館たくさんのふしぎ出身の「いのちのひろがり」(中村桂子文 松岡達英絵 福音館)、福音館かがくのとも出身の「とりになったきょうりゅうのはなし」、講談社「ながいながい骨の旅」(松田素子文 川上和生絵、桜木晃彦、群馬県立自然史博物館監修)光文社「13800000000年のきみのたび」(坂井治作絵・倉持利明:国立科学博物館 監修)、これら7冊が中心となった企画のようで、100冊のかがく絵本を読めるコーナーがあるとあります。 

 うーん、面白そう。
 科学博物館近くにある国際オ子ども図書館での企画ではなく、国立科学博物館という、絵本と距離のある、科学者たちの殿堂のような場所での、企画ですから、新鮮なものを感じます。女こどもという一括りの中に絵本という分野が、より軽く見られてきた時代が、前進したような気持ちになります。
 
 そして、その中心になった人物が。「せいめいのれきし」を楽しんだ子ども時代を過ごした真鍋真氏だということが、大事です。
 学者にもノーベル賞にも縁遠い我が家の子どもたちも、ぼろぼろになった「せいめいのれきし」を楽しんだし、他、友人たちに聞いてみても、「せいめいのれきし」は、ぼろぼろなので、孫には、あたらしいのを買わなくては・・・という人が多い。
 
 一冊の絵本だけが築き上げるということではありません。一冊の絵本が広げる世界があるいうことを、認識すれば、この地球の日々、悲観的な状況も、何か、いい方向を見いだせる人間が育つかもしれないと、思うのです。

絵本から、博物館に足を運ぶ子ども。
博物館で絵本に出会う子ども。
もちろん、図書館で絵本に出会う子ども。
たかが、1冊の絵本、されど、1冊の絵本だと考えます。そして、それを手渡す大人の役割。(続く)

*カ・リ・リ・ロは、この企画展に行けそうもありませんが、もし、行った人が居たら、教えてくださいね。

PageTop

わたしはみんなのおばあちゃん

おばあちゃんj
(承前)
「わたしはみんなのおばあちゃんーはじめての進化のはなし」(ジョナサン・トゥイート文 カレン・ルイス絵 真鍋真訳 岩波)
 この絵本も「ダーウィンの『種の起源』はじめての進化論」(サビーナ・ラディヴァ作・絵 福岡伸一訳 岩波)➡➡の後書きに紹介されていた一冊です。*ただし、二刷以降の後書きです。

 が、お薦めの一冊と紹介される前に、この絵本は手元にありました。
 題名が気に入ったからです。おばあちゃんが市民権を得ている!内容より、絵よりなにより、おばあちゃんの市民権に惹かれた絵本でした。
 訳者は、なんと、真鍋真。そうです。「改訂版せいめいのれきし」に関わり➡➡、「ダーウィンの『種の起源』はじめての進化論」の訳者福岡伸一と、つながっている真鍋真訳➡➡なのです。
 うーん、この二人の学者が、科学の絵本に携わってくれる・・・ちょっと、嬉しいではありませんか。➡➡

 しかも、リズミカルに訳されていて、幼い子どもも親しみやすい。

≪わたしは さかなたち みんなの おばあちゃん。 ずっと ずっと ずっと ずっと ずーっと おおむかしに すんでいました。わたしは からだを くねくね させて、みずのなかを すいすい およぐことが できました。きみも くねくね できるかな? それから くちを ぱくぱく うごかして たべることが できました。 きみも くちを ぱくぱく できるかな?わたしには たくさんの しゅるいの まごたちが いました。まごたちは みんな からだを くねくね、くちを ぱくぱく うごかすことが できました。……≫

後書きにあたる進化系統樹(上記写真)も、面白いし、他、大人のための解説などもわかりやすく楽しいものになっています。(続く)

PageTop

はじめての進化論

     進化論j
(承前)
『ダーウィンの「種の起源」--はじめての進化論』(サビーナ・ラディヴァ作・絵 福岡伸一訳 岩波)
 きれいな絵本です。上の写真の上の蝶々たちは、裏の見返し部分の一覧ですが、表の見返し部分には、同じように別の蝶の一覧が描かれています。

 中も、わかりやすい表現で、種の起源に近づいています。
 ウサギがたくさん描かれているページには、
≪ダーウィンは、生きものの種について説明しました。種とは、見かけが似ていて、自分たちの子どもをつくれる生きもののなかまのことをさします。しかし、おなじ種の生きものであっても、なにもかもまったくおなじというわけではありません。   よく注意してみれば、ちがいに気づくでしょう。≫とあって、それぞれのウサギの絵に「背が高いもの」「背が低いもの」「足のおそいもの」「足のはやいもの」「色のちがうものもいます!」とキャプションがつき、≪こういったちがいは、個体差とよばれます。≫
 そして、ダーウィンの言葉を紹介しています。
≪「わたしは種というものを、おたがいによく似た個体の集団をまとめて呼ぶために、かってにつけられた名前とみなしている。」≫

 確かに、書いてある内容すべてが、幼い子どもたちに理解可能なものではないかもしれません。が、各ページに、楽し気に描かれている動物たちを見るだけでも、何か、得るものがあるに違いないと思います。

 ふーん、へぇーと、ダーウィンさんの見識に、近づいた気分になる絵本です。(続く)

PageTop

読者は続くよ どこまでも

恐竜13
 あとさきになりましたが、昨日の若い読者のための『種の起源』 「入門 生物学」≫(チャールズ・ダーウィン レベッカ・ステフォフ編著 鳥見真生訳 あすなろ書房)➡➡より先に手にしていたのは、絵本『ダーウィンの「種の起源」--はじめての進化論』(サビーナ・ラディヴァ作・絵 福岡伸一訳 岩波)でした。

 というのは、この絵本の装丁の美しさもさることながら、内容の興味深さもさることながら、一番の興味は福岡伸一訳だったからです。かつて、この学者は、フェルメールの研究者だと思ていたくらい、フェルメールの著作などもある生物学者です。

というのも、「せいめいのれきし」(バージニア・リー・バートン作 いしいももこ訳 まなべまこと監修 岩波)が改訂版で出たとき➡➡、その改訂監修者の真鍋真が書いた「深読み!絵本『せいめいのれきし』」(岩波科学ライブラリー)➡➡のあとがきの中で、こんなことが書いていました。

≪・・・どこまでが恐竜かどこからが鳥類か境界線が引けないくらい連続的な進化があったことがわかってきたことを、福岡伸一さんとお話したことがありました。恐竜から鳥類への進化は「世界は分けてもわからない」という福岡さんのメインメッセージにぴったり当てはまる事例です。先日、福岡さんもこの本(「せいめいのれきし」)が大好きな少年だったことがわかりました。福岡さんのお気に入りのページは大きな竜脚類が闊歩していたジュラ紀だったそうです。福岡さんに「バージニア・リー・バートンさん、石井桃子さんと一緒に名前が並んでいる真鍋さんがうらやましい」と言われて、とんでもないことをしてしまったと気がつきました(気がつくのが遅い!)・・・≫

 ということは、この『ダーウィンの「種の起源」--はじめての進化論』の表紙、ダーウィンという名前のタイトルの下、福岡伸一訳とあるのは、きっと、ご自分にとっても、誇らしい気持ちだったでしょうし、真鍋真氏からみたら、羨ましい・・・だったかもしれません。(続く)

☆写真は、英国 自然史博物館

PageTop

ねずみのおよめさん

ねずみのよめいりj
 今度は瀬田貞二再話ではなく、小野かおる再話・画のものです。「ねずみのおよめさん」(小野かおる再話・画  福音館)
 
 子どものいない鼠夫婦の家に生まれた、大事な娘鼠。嫁にやるには、ネズミの嫁さんじゃもったいない。せかいいち偉い人に婿さんになってもらおう・・・ということで、おひさんに白羽の矢が。ところが、おひさんは、雲さんが一番偉いというので、雲さんの元に。すると、今度は風さんが偉い。次は、壁さん、その次は、壁をかじることのできるネズミさん。

 ということで、
≪ほう、せかいで いちばん えらいのは ねずみだったのか。まあ、せかいで いちばん つよいのは ねずみだったのね と おおよろこび≫
≪そこで ねずみのむすめは、となりまちの わかものねずみのところに およめいり≫

めでたいお話です。写真のページは、めでたいと口に出さずとも、鯛が描かれるだけで伝わります。
ただ、この絵を、違う文化の人が見ても、お祝いに鯛、めでたいから鯛などと分からないんだろうと思います。ということは、もしかして、ひょっとして、いずれ、日本の子どもたちも、この絵のめでたさが伝わらない日が来るとしたら、どうしましょ?
将来、こんな文化、こんな洒落や粋なこと、その他、色々、伝わっていきますように。

PageTop

おんちょろちょろ

おんちょろちょj
「おんちょろちょろ」(瀬田貞二再話 梶山俊夫画 福音館)
「さてさて、きょうのおはなしは・・・・」( 瀬田貞二再話・訳 野見山響子画 福音館)


「ねずみじょうど」➡➡は、瀬田貞二再話で、絵本にも、「さて さて、きょうの おはなしは・・・」にも入っていましたが、「おんちょろ おんちょろ」も、同様。

 道に迷った男の子が、山のふもとの一軒家で世話になる事になるものの、お寺の小僧さんと勘違いされ、お経を唱えることに。
 そこに現れたのが、ネズミ。そこで、「おんちょろちょろ 出てこられそろ」「おんちょろちょろ のぞきもうされそうろ」などと、唱えたものですから、小僧さんが出て行った後も、その家のおじいさんおばあさんは、その言葉を唱えます。そんなおり、3人の泥棒が、やってきます。
 3人の泥棒たちは、そのお経を聞き、自分たちが入りこもうとしているのが見破られたと震えあがり、逃げていったというお話。こればっかり。

 この最後の件のところで、ちょっと、思い出すのは、ブレーメンの音楽隊➡➡じゃないですか?ブレーメンの方は、ニワトリ、猫、犬、ロバが、力を合わせて泥棒を追い払うのでしたが・・・

☆写真の絵は、ネズミがちょろりと走り出て、かねたたきのバチをたおしたところ。その時、男の子が唱えたのが、「おんちょろちょろ、ばちあたりそろ」
追記:瀬田貞二再話で梶山俊夫画という本は、まだありました。瀬川康男と二人で画を描いています。「日本のむかしばなし」(瀬田貞二文 瀬川康男、梶山俊夫画 のら社)の「ねずみのすもう」です。

≪びんぼうな家のやせネズミと長者どんのところのこえネズミが相撲をとるのですが、貧乏な家のやせネズミは、負けてばかり。そこで、じいさんとばあさんが、餅を作り用意してやると、ついに長者のところのこえネズミに勝つのです。こえネズミは、その秘訣を聞き、自分にもお餅を作ってもらい、二匹は互角に戦えるようになる。そして、そのお礼に長者の家のぜに金を毎日もってくるようになって、じいさんもばあさんも、ずいぶん金持ちに。≫

・・・うーん、わかりやすい話とはいえ、個人的には、いくら長者どんのところのお金でも、ずっと持ってくるのは、泥棒じゃないの・・・・と、思ってしまいます。・・・悪徳長者なんだろうか?

PageTop

まご ひこ やさご すえの すえまで

 ねずみじょうどjj
 次は、草子ほど長くない昔話「ねずみじょうど」。
 貧乏なお爺さんが、ころがったそばもちを追いかけて行ったら、ねずみの住む穴に。目をつぶってねずみのしっぽを握って、着いた先では、ねずみたちが大歓迎。ねずみの黄金をどっさりお土産に持って帰ると、となりの目腐れ爺さんも、真似して、ネズミ穴に。ところが、ねずみたちの歌の最中にねこの鳴きまねをしたものですから・・・・もぐらになっちゃった。

 瀬田貞二再話の「ねずみじょうど」では、ねずみが言います。
≪じいさん じいさん ただいまは、けっこうなごちそうをありがとさん。なんにもないけど、ちょっくらうちへよってくだされや。それ まなこをつむって、このしっぽにしっかりつかまって、な。」と、ねずみごえでいいました。

 ねずみごえって!! 「ねずみは いいました。」ではなく、「ねずみごえで いいました。」 聞いているそれぞれの頭で、いろんな声が聞こえてくるじゃありませんか。

 それに、ねずみたちが歓迎に歌う歌、ちょっとめでたく、お正月にぴったり。
♪ねずみのじょうど ねこさえ いなけりゃ このよは ごくらく とんとんとん 
まご ひこ やさご すえの すえまで ねこのこえ きくめぇ とんとん ♪

 それにしても、もぐらになった めくされ爺さんも、よりによって、にゃーおなんて言わなければ、よかったのに・・・
 とっぴんはらいのぴい・・・ですね。

「ねずみじょうど」(瀬田貞二再話 丸木位里絵 福音館)
(「さてさて、きょうのおはなしは・・・・」 瀬田貞二再話・訳 野見山響子画 福音館)

PageTop