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みんなみすべくきたすべく

レスター先生の生徒たち

       レスター先生

 さて、ガーンジー島の映画➡➡や 本「ガーンジー島の読書会 上下」(メアリー・アン・シェイファー  アニー・バロウズ 木村博江訳 イースト・プレス)➡➡から始まったチャールズ・ラムも、ここらで、一区切りです。

 チャールズ・ラムとメアリー・ラムが共作したのは、子どもに向けた「レスター先生の生徒たち」(牛原眞弓訳 ウィニフレッド・グリーン絵 未知谷)も、あります。
 中には、十の話が入っていますが、3話をチャールズ・ラムが担当し、残りは、メアリー・ラム作です。
 200年ほども昔の英国ビクトリア時代の10人の少女たちの暮らしと想いが、細やかに描かれています。
 どの子も、貧しかったり、生活が激変したり、親が居なかったり・・・ 立場の違う少女たちが、順々に、自分がここに居るに至る話をするのです。そして、どの子も、虚栄心や、嫉妬心、罪悪感などを正直に吐露しています。
 
 わくわくする楽しみというものはありませんが、それぞれの少女たちの気持ちに寄り添いながら読めると思います。
 また、挿絵は、ケート・グリーナウェイかと見まがうばかりです。が、ケート・グリーナウェイより、ほんの少し表情があるような気がします。また、お話一つにつき、一つの挿絵がついているのですが、どれにも、周りに飾り枠があり、どれも、異なる花々で囲まれていて、綺麗です。

☆写真上は、ケート・グリーナウェイ 下は「レスター先生の生徒たち」のウィニフレッド・グリーン  すごく似てます。

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アーサー・ラッカムの真夏の夜の夢

ラッカムj
(承前)
  岩波少年文庫の「シェイクスピア物語」)(矢川澄子訳)にはラッカムの挿絵がついていますが、話一つに一つの挿絵。(1899年のものには11の線画、1909年の改訂版には12のカラー絵がついたようなので、岩波少年文庫は、ラムの文章自体は1807年のものですが、ラッカムの挿絵本は1899年のものだと思われます。)

 ところが、新書館の出版には、シェイクピアの「真夏の夜の夢」(伊東杏里訳)で、ラッカムの挿絵がたっぷり入ったものがあります。 あとがき【『真夏の夜の夢』を描いた絵師】(荒俣宏)によると、ラッカム自身、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の作品をいたく、気に入り、挿絵たっぷりのもの(カラー絵40枚線画34枚)を1908年に出版したようです。(1939年にも限定のものも出したとあります。)

 このラッカム絵を充分楽しめる、「真夏の夜の夢」は、シェイクピピア原作のようにト書きや台詞ではなく、散文ですので、臨場感が違うものの、もしかしたら、台本のような作品が苦手な向きは、この方が読みやすいと思われます。

☆写真右;岩波少年文庫「シェイクスピア物語」(矢川澄子訳)の真夏の夜の夢。写真左;ラッカム挿絵の「真夏の夜の夢」(伊東杏里訳 新書館)

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おかあさんは、なにしてる?

マリノ (1)j
(承前)
 くんちゃんがお気に入りの孫(3歳)が、図書館で借りたのが同じドロシー・マリノの描く「おかあさんは、なにしてる?」(ドロシー・マリノ作・絵 こみやゆう訳 徳間書店)でした。

 なぜ、同じ作者とわかるのか、不思議です。片やクマの子だし、片や幼稚園に行く子どもたちの話です。もちろん、同じ画家ですから、色合い、雰囲気は同じなのですが、数ある図書館の絵本から選びだしたのも興味深いことです。ま、作者別になって、くんちゃんと並んでいた、単なる偶然だと思いますが・・・

 くんちゃんも、ほとんど、暗唱できるくらい、なんども読んでもらっていましたが、ある時、孫の母親が動画を送信してきました。孫が、母親に「絵本読んであげよう」と読んでいるシーンでした。
 お布団に寝そべって、お風呂上がりの吸水タオルを頭にまき、読んでいるのが、「おかあさんは、なにしてる?」でした。(毎晩、寝る前に、母親が3冊読むようですから、動画は、別の絵本2冊のもありました。)

 まだ、「サ行」や「タ行」が、しっかり言えない孫が読むのは、
「・・・ふたごのリンダと ライルが、がっこうで しゃんすう(算数)を ならっているとき、 リンダとライルの おかあしゃん(おかあさん)は、かいしゃで けいしゃん(計算)を ちています(しています)。・・・」「シュージャン(スーザン)が、ビーズのかざりを ちゅくっているとき(作っているとき)、シュージャンのおかあしゃん(おかあさん)は、シュージャン(スーザン)のあたらしい ふくを ちゅくっています(作っています)。」「マイケルが、しゃくぶん(作文)をかいているとき、マイケルのおかあしゃん(おかあさん)は、おばあちゃんに てがみを かいています。・・・・」

 しゃんすう(算数)がなにか、しゃくぶん(作文)が何かも、まったく知らない3歳の孫ですが、おかあしゃんお母さんの読んでくれるお話は、しっかりと耳にとどめ、楽しんでいる様子です。子どもに本を読んでもらえるなんて、なんて幸せなひとときなのでしょう。

☆上記写真は、「おかあさんは、なにしてる?」の表紙ですが、中央、ジェーンと手を繋いでいるのは、ジェーンのおかあしゃん
お母さんではありません。さて、だれでしょう? 

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くま、くるみ、くまんばち

マリノ (2)j
 くんちゃんのシリーズは、秋の今なら、「くんちゃんはおおいそがし」。夏なら「くんちゃんのもりのキャンプ」冬なら「くんちゃんのだいりょこう」クリスマスシーズンは、「くんちゃんのふゆのパーティー」などなど、四季折々の話があります。なので、保育現場で、日々、読んだり、家庭で、四季を感じながら楽しむことのできるシリーズです。

 作者のドロシー・マリノは、「ふわふわくんとアルフレッド」「おかあさん なにしてる?」「スティーヴィーとこいぬ」➡➡「ベンジーのもうふ」など、小さい子どもの生活を、その子の目線で、優しく描くことのできる作家です。(ただし、後ろ二冊の文は、マイラ・ベリー・ブラウン)

 それで、今夏、激しい夕立のあとの大きな虹を見た孫(3歳)に、「くんちゃんとにじ」を貸しました。
 繰り返し読めとせがんでいたようですから、次に、うちにきたとき、くんちゃんのシリーズ全冊、広げたら、「わぁ、くんちゃん、いっぱーい!!!」と、すべて、持って帰りました。
 するうち、保育園でアデノウィルスが流行し、孫もその洗礼を受け、高熱が出ました。
 夜、うなされながら、彼女がつぶやいたのは「くま、くるみ、くまんばち・・・・」という言葉。

 「くま、くるみ、くまんばち」は、「くんちゃんの「はじめてのがっこう」の中で、初め、学校になじめないくんちゃんが、優しい先生の導きで、教室に入るきっかけとなったシーンで、くんちゃんが大声でいう言葉です。

 高熱と戦う孫のつぶやいた一言は、彼女の奥の奥で力となっていた大事なものを見せてくれたような気がします。(続く)

くんちゃんのシリーズ(ドロシー・マリノ作)
「くんちゃんのだりょこう」(石井桃子訳 岩波)「くんちゃんのはじめてのがっこう」「くんちゃんのはたけしごと」「くんちゃんのもりのキャンプ」「くんちゃんとにじ」「くんちゃんはおおいそがし」(まさきるりこ訳 ペンギン社)「くんちゃんとふゆのパーティー」(あらいゆうこ訳 ペンギン社)
「おかあさんは、なにしてる?」(ドロシー・マリノ こみやゆう訳 徳間書店)
「ふわふわくんとアルフレッド」(ドロシー・マリノ 石井桃子訳 岩波)
「スーザンとマイケルはいちねんせい」(ドロシー・マリノ まさきるりこ訳 アリス館)
「スティーヴィーのこいぬ」「ベンジーのもうふ」(マイラ・ベリー・ブラウン文 ドロシー・マリノ まさきるりこ訳 あすなろ書房)

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メインの海

うみべのあさj
(承前)
 本が本を呼ぶ・・・文学の楽しのみ方の一つだと思います。映画を見て原作を読むのも、その一つだし➡➡、面白かった作家のべつの作品を探すのも、その一つ➡➡。もちろん、書店の溢れかえる本棚の前で、ワクワクするのも、その一つ➡➡。などなど。

 それで、「とんがりモミの木の郷ー他五篇」(セアラ・オーン・ジュエット作 河島弘美訳 岩波文庫)➡➡を読んでいて思いだしたのが、「海べのあさ」(マックロスキー作 石井桃子訳 岩波)の最後のシーン。 「ハマグリのスープが できてるのよ!」というサリーの声まで聞こえました。
 
≪ ある朝、歯がぐらぐらしているサリーは、すでに海岸でハマグリを掘っているお父さんのところに行く途中で、魚をつかんで飛んでいるミサゴに「あたしの歯、1ぽん ぬけかかってるの!」というものの、ミサゴは返事もしないで飛んで行ってしまい、次に水際近くのアビにも「あたしの歯、1ぽん ぬけかかってるの!」また、次には、アザラシにも「あたしの歯、1ぽん ぬけかかってるの!」
ついには、浜辺にいたお父さんに「パパ、あたしの歯、1ぽん ぬけかかってるの!」
 それで、お父さんと話しながらハマグリを探しているうちに「あれ?」・・・≫

 歯が抜けるような時期の子どもと一緒に楽しんでほしい1冊です。黒に近いダークブルー一色で描かれた絵本は、海の青さ メインの森の深い緑が、伝わってきます。そして、サリーとジェインの動きの可愛らしいこと、子どもを、よく知る目がこの作品を描いたと言えます。

 加えて、このサリーとジェインが大きくなって、絵本「すばらしいとき」(マックロスキー文・絵 わたなべしげお訳 福音館)➡➡に再登場し、またメインの海辺が見られたとき、そして、その「すばらしいとき」に描かれた大事なことに出会ったとき、ますます、マックロスキーの絵本の虜になるでしょう。
 
 そして、次には、やはりメインの海で書かれたレイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」「沈黙の春」という読書につながっていく。

*「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン 上遠恵子訳 佑学社 新潮社)
*「沈黙の春」(レイチェル・カーソン 青樹 簗一訳 新潮文庫)

       うみべのあさjj
☆写真上は、アメリカ合衆国メイン州(撮影:&CO,T1)
 

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つながっている

すばらしいときj
(承前)
 「とんがりモミの木の郷ー他五篇」(セアラ・オーン・ジュエット作 河島弘美訳 岩波文庫)➡➡を読んで、シェイクスピアを思い出す人も居るでしょう。また、カ・リ・リ・ロのように、マックロスキーの絵本を思い起こす者もいるでしょう。あるいは、遠く、メインの海を思い浮かべたり、故郷の海を浮かべたり、千差万別。
 文学が、文学を呼び、文学が芸術全般につながり、文学が科学につながっていく。・・・・だから、文学は広く深く、続いているのです。
 
 何か、結果が出るから、文学に近づく。という考えが間違っていると思っています。
 絵本を、子どもに読んだからと言って、子どもがその本を好きになると限らないし、ましてや、絵本の読み聞かせが本好き、あるいは、国語力につながるなどと、考えたこともありません。ずっと、楽しみを分かち合うために、絵本を子どもと楽しんできたし、今は、学生たちとも楽しんでいるつもりです。(優れた絵本を、文学の第一歩と捉えない人は、論外です。)

 読書感想文という評価対象の課題をこなそうとするから、夏休みの本読みがしんどいものになるだろうし、いい感想文を書くための読み方になるかもしれない。
  国語の授業で、先生が気にいる答えが出せる人が優等生で、ただ、面白かったと思っている人は、その作品がわかっていないってことに、なるかもしれない。
 入試問題に文学作品を載せても、その作家自身は、その設問に答えられないこともある、などなど・・・

 評価の対象ではなく 国語の教科書にある文学作品は、文学への手引きとなればいい。
 が、しかし、その手引き書が大学入試に関係ないから、採点が難しいから…等と、遠ざけていくのは、まったくもって、違っている。(続く)

☆写真上は「すばらしいとき」(マックロスキー わたなべしげお訳 福音館)
➡➡

写真下は、アメリカ合衆国 メインの海辺近く。10年ほど前に、長男が行ったときの写真です。知らない人が見たら、ただの倒木の根っこの写真ですが、長男には、多分、絵本「すばらしいとき」の絵が重なったに違いありません。
    すばらしいときjj

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Trick or Treat

月
「ヤナギ通りのおばけやしき」(ルイス・スロボドキン作 小宮由訳 瑞雲舎)の原題は”Trick or Treat””です。つまり、ハロウィンのときに、子どもたちが「いたずらか、ごちそうか」という、あの台詞です。この本の訳は、「いたずらか おかしか」。

 で、ハロウィンの夜、10月31日の夜にヤナギ通りの子どもたちが、「いたずらか おかしか」と、言って回ります。いたずらされたくない大人たちは、お菓子をくれるのですが、ヤナギ通りで一軒だけ、子どもたちが近寄らない家がありました。誰も住んでいないその家には、灯りがともっていることがありません。ヤナギ通りのおばけやしきと呼ばれていました。が、その年のハロウィンの日、おねえさんのリリーと弟のビリーは、その家に灯りがともっているのを見つけ、チャイムを鳴らしてしまいます。すると、出てきたのは、小柄なやせたおじいさんーー鼻はとんがって、さかだった白い髪の毛は電気の光ですけて見え、まるでのぼり立つけむりのようーー。
 そこで「いたずらか おかしか!」とビリーがいうと、
 「・・・・・えーと・・・そうだ!いたずらだ!さあ、おいで。おはいり。」と子どもたちを招き入れ・・・・・・

 この本の最後には、ちょっとした付録がついています。といっても、手品「まほうのヤシの木」の図解説明です。
ん?何故に、手品の図解かって?そりゃ、この本を、読んでみなくちゃね。
☆写真は、スイス レマン湖

満月j

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にぐるまひいて

にぐるま1

 シャトーデーの切り絵美術館、民俗博物館を見ていると、かつて、横長絵本で紹介した➡➡「にぐるまひいて」(ドナルド・ホール文 バーバラ・クーニー絵 もきかずこ訳 ほるぷ)を思い出します。
にぐるま3

道具7
  舞台はアメリカ北東海岸(ポーツマス近郊)で、スイスではないものの、雪深い冬の様子は同じ。また、手作りの生活も同じ。生きるという毎日を彩る自然。必要な道具があって、生きるにつながる。現代の 便利で、有害なものを生む生活を、時々、立ち止まって考えるきっかけになる絵本なのですが、そんなこと、子どもは、伺い知りません。

 横長の絵本は、お父さんが出かける距離を表現し、遠くから無事帰ってくる時間を表現し、一年を通じた美しい自然を楽しませてくれる絵本です。そして、お土産には、美味しいものと、娘には、刺繍針、息子にはバーロウナイフという片刃の大型ナイフ。あとのシーンで、子どもたちが、それらを使っている絵が描かれています。その作品も。
 大きくなりたいと切望している子どもたちにとって、この素朴ながらも、充実した一年があって、成長していくことを伝える絵本だと思います。
にぐるま2

シャトー9
 だらだら書いているうちに、夏のスイス話も いつのまにか、秋になりました。もう、あと少しスイス話続きます。

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行動すること

花50

 先日、国連の環境問題のサミットで、16歳の女性が、声を荒げ、大人たち、経済優先にする人たち、環境問題の重要性を知っているのに直視しない人たちに訴えたシーンがありました。カ・リ・リ・ロが定点観察➡➡などと悠長なことで、地球の温暖化を考える場合ではないことを、彼女は訴えていました。感情的なシーンだけが強調されますが、彼女がストックホルムでスピーチしているのを見る限り、その場しのぎの原稿を読む大の大人より、はるかに冷静で、説得力のあるものです。もちろん、彼女は、原稿など見ていません。ジーンズ姿で、大きな舞台に一人立って、演説します。淡々と。・・・・何歳であっても、訴えることの重要性を、教えてくれます。彼女は言います。
≪もちろん、希望は必要です。しかし、希望以上に必要なのは、行動です。行動し始めれば、希望は湧いてくる≫と。

 彼女を見ていると、同じスェーデンのリンドグレーンと重なってきます。いわば、小さな国のスウェーデンから、出てきた女性二人。まだ若くて未知数ではある16歳と、95歳で亡くなるものの、未だにその作品が、子どもたちに読み継がれているリンドグレーンです。時代も、年齢も、違いますが、女性であることスェーデンの自然を愛していること、そして、その信念の強さに共通項を見いだします。

 リンドグレーンは「暴力は絶対だめ!」➡➡ (アストリッド・リンドグレーン 石井登志子訳 岩波)というスピーチを1978年にドイツ書店協会平和賞を受賞した時にしていますが、当初、内容があまりにも挑発的だと見なされたため、内容変更の打診をしたようです。リンドグレーンの返事はNO!このスピーチの内容を変えなくてはならないのなら、授賞式への出席を見合わせるというものでした。
 そして、このスピーチの反響は大きく、その翌年、スウェーデンでは、世界に先駆けて民法の条文に、≪子は日常生活の世話を受け、精神的に安定した生活を享受し、社会生活を維持していくために必要なしつけを受ける権利を有する。子はそれぞれの特性に応じて、一人の人間として尊重され、体罰またはその他精神的虐待を受けない。≫と、盛り込まれました。

 また、1985年には、新聞に≪家畜を織の中に閉こめず、屋外ののびのびとした環境で飼うべきだ≫という趣旨の記事を書き、議論を巻き起こし、その後、動物愛護の活動も評価さていきます。【***参考「「暴力は絶対だめ!」(アストリッド・リンドグレーン 石井登志子訳 岩波)のはじめに ***「ピッピ 船にのる」リンドグレーン文 ニイマン絵菱木晃子訳  岩波書店)の訳者後書き】

 このリンドグレーンの作品を、16歳の彼女が読んでいないとは思えません。8歳の時に環境問題に気付いた彼女が、リンドグレーンの数々の作品にその頃、出会い、気付いたことがあったと想像できるのです。リンドグレーンの多くの作品は、8歳から12歳前後の子どもたちが読むのに、ぴったりのものが多いからです。

 さて、「暴力は絶対だめ!」の終わりに小児科医で作家のラーシュ・H・グスタフソンが、リンドグレーンと話した時のことを、こう書いています。
≪・・・・我々は、かつてピッピが主張した目標の途上にあります。「子どもは、大人が理由を説明もせずに、自分を支配するのを決して認める必要はありません。」国連の「子ども権利条約」で、すでにかなり変わってきました。—--その成果はあがってきています。かつてあなた(*リンドグレーン)と、子どもと人間の権利についてお話しした時に、あなたがおっしゃったことを思い出します。「ええ、ええ、条約は紙に書かれたものでしかありません。大切なのは行動することです!」・・・≫

 ☆写真は、グアルダ村で咲いていたセンペルビウム・アラクノイデウム(ベンケイソウ科 1000~2500m)

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うんとうんと大事に思わせるため

エーデルワイス3
 
「アルプスの花物語」(エルンスト・クライドルフ作 矢川澄子訳 童話屋)の「エーデルワイスとシルバーマンテル」にあります。
≪「エーデルワイスや どうしてそんなあぶない崖っぷちにいるのかね おまえを摘みに来る人を 絶壁からつき落とすためかい?」
 「あたしがね、ここに こんなきわどいところにいるのはね あたしをめっけた腕白坊主に うんとうんと大事に思わせるためよ」≫

    エーデルワイス1
 高山植物の名前を調べるのは楽しいものの、それぞれ、よく似たものが多く、判断するのが難しい中、すぐわかるのが、エーデルワイス。
 キク科ではあるのもの、その姿は、独特です。なじみのある名前、エーデルワイスというのは、ドイツ語で「高貴な白」を表し、花冠がライオンの足に似ているので、属名レオントポディウム(・アルピウム)というのはギリシャ語で「ライオンの足」。
 それにあの歌。映画「サウンドオブミュージック」で歌われた♪エーデルワイス♪。

 ともかく、アルプスの花の象徴のようになっていますが、野生のものは、小さく地味で、日当たりのいい岩場、草原急斜面などに生息し、なかなか見つけにくい。
 とはいえ、結構、強い植物でもあるようで、鉢植えや、手入れされた花壇では、元気よく咲いているのを見かけます。群生しているところもあるらしいので、いつか、見てみたいものだと思います。
 
   エーデルワイス4

☆写真は上から、 ヴェンゲンアルプ シルスマリア サンモリッツ(窓辺の鉢植え) いずれも、野生ではありません。

***アルプスの花の名前調べは、結構、時間がかかり、少々疲れ気味。ここらで、ちょっとスイスを離れてみます。(その後、まだだらだら続きますが)  また、10月からは以前のように土日祝をお休みします。

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