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みんなみすべくきたすべく

ちっぽけで ちいちゃい

エーデルワイスj
 昨日のRBGは、知恵の塊のちいちゃなおばあちゃんでしたが、お話でも、ちいちゃいおばあちゃんが、なかなか知恵のあるものとして描かれるのは、喜ばしいことです。

 イギリスの昔話に「ちっちゃな ちっちゃな ものがたり」(ジェイコブズのイギリスのむかし話集より 瀬田貞二訳 瀬川康男絵 福音館)というのがあります。
≪むかし ちっちゃな ちっちゃな むらに ちっちゃな ちっちゃな うちが あって ちっちゃな ちっちゃな おばさんが ひとりで すんで おりました≫で始まる話です。このおばさんは、ちっちゃな ちっちゃな ぼうしをかぶり、ちょっぴり ちょっぴり散歩に出かけるのですが、そこで見つけたものは、さてなんでしょう?
ちっちゃな ちっちゃな おばさんは、それを持ち帰り、ちっちゃな ちっちゃな 戸棚にしまうのですが。。。

 この話「ちっちゃな ちっちゃな ものがたり」の原題は、Teeny -Tiny といいます。音が面白いですね。
 また、英語には、他に wee という単語も、ちっぽけなという意味があるので、カ・リ・リ・ロは、これを使い「ちっぽけなカ・リ・リ・ロ」というアドレスにしています。
☆写真は、スイス ロートホルンのエーデルワイス

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長い尻尾

オーランド―2
(承前) 
 上の写真は、原書と翻訳のオーランド―です。が、ちょっと変なところが見つかりましたか?そう原書の表紙の、オーランドーには尻尾がない!もちろん裏表紙には、3匹の子猫が、尻尾にじゃれついているのですが・・・
 時々、原書と翻訳のものには、こういった差がありますが、今回は、翻訳されたものが、原書の復刻版より、作者の意図を組んだ表紙絵となっています。

 この「ねこのオーランドー たのしい日々」(キャスリーン・ヘイル作 こみやゆう訳 好学社)では、子ネコたちが、そろそろ学校に行く頃になったので、お金がかかる。だから、稼がなくちゃ。だから、生活に役立つものを発明して、買い取ってもらおう!
 最初は、「どこでも横断歩道」。・・・・車の部品を改造して作った機械。これに乗って、ぴょーんと、飛び上がれば車を気にすることなくいつでも横断歩道を渡ることができるという代物。
奥さんのグレイスは、使わなくなった毛布を爪でとかし、仕立て直して、新品のようなふかふか毛布に。
次は、「雨知らずローション」。・・・・これを身体にぬれば、水をはじいてくれるので、雨に濡れる心配がありません。
奥さんのグレイスはふわふわの手袋とマフラー。

・・・・で、高い値段!!で売れたものの、子ネコたちは、学校へ行こうとしません。
それぞれの さぼり方が、なかなかの知恵。三毛猫のパンジーは顔を半分ずつ出して、追い払われ、白猫のブランシュは気を失ったふり。黒猫のティンクルは、しっぽの先をインクに浸して、教室中にまき散らしたりなどなど・・・で、「お前らは、もう学校にいかんでいい!」
 それで、3匹が習ったのが、ダンス。芝居、芸術!

 てんやわんやになってしまうものの、ここからが、オーランド―一家の結束力。子どもたちは、オーランドーとグレイスに見てもらう発表会を企画し、オーランドーとグレイスも、屋根の上でデュエットを歌い、---お月さまもさえも、その歌を聞きにのぼってきたくらいーーーあついタラいりのミルクをのんで、ぐっすりとねむりました。(このご夫婦、本当に仲が良いのです…最後のページの絡み合った長い尻尾をみて!)

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ねこのオーランド―

オーランド―1
「ねこのオーランド―」(キャサリン・ヘイル作画 脇明子訳 福音館)は、
昨日の「ぼくはなにいろのネコ?」(ロジャー・デュボアザン 山本まつよ訳 子ども文庫の会)➡➡と違って、初めから、色の指定から物語が始まります。

≪オーランド―は、とってもきれいな マーマレード色のねこで、そのしまもようときたら それこそ マーマレードにはいっている オレンジの皮に そっくりでした。目は みどり色で、まるでぐズベリーの実を ふたつならべたみたいです。オーランド―とおくさんのグレイスとのあいだには、ちいさなねこが三びきいました。三毛のこねこが、パンジー、雪のようにまっしろなのが、ブランシュ、石炭みたいに黒いのが、ティンクルという名前です。…≫

 ほら、わかりやすいでしょう?昔、この絵本を初めて、手にしたとき、この一番初めの「とってもきれいなマーマレード色」、そしてマーマレードの皮という表現に、惹きつけられました。物語自体は、オーランド―の家族の日常を描いていて、すっきり整ったものではないものの、ともかく、このマーマレード色をした猫を好きになりました。

 「ねこのオーランド―」は、「おおきいえほん」の項で紹介したように、かなりの大型絵本です。➡➡ したがって、よっこらしょと持たないといけないとても小さい子は苦手な大きさだといえましょう。また、中には、オーランド―たちがテントを張った近辺の地図が描かれていたり、その平面的な地図が、立体的な描かれ方に変わっていたり・・・と、お話をたくさん楽しめるような少し大きくなった幼児なら、この絵本を楽しむことができるでしょう。
 猫なのに、身近な生活のあれこれを見せてくれる、家族仲の良いオーランド―のシリーズは、「ねこのオーランド―」(キャサリン・ヘイル 脇明子訳 福音館)「ねこのオーランド― 農場をかう」(キャサリン・ヘイル 脇明子訳 童話館)「ねこのオーランド― 海へいく」(キャサリン・ヘイル 小沢正訳 童話館)しか、翻訳されていなかったのですが、昨秋、一冊でましたよ。(続く)

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ぼくはなにいろのネコ?

ねこ10j
「ぼくはなにいろのネコ?」(ロジャー・デュボアザン 山本まつよ訳 子ども文庫の会)
デュボアザンの絵本は、たくさん翻訳されています。
「ごきげんならいおん」シリーズ、「ペチューニア」のシリーズ、「かばのベロニカ」のシリーズ、アルビン・トレッセルトと組んだ数々、などなど。ここでも、もっと紹介した絵本があるものの、なかなか全ては紹介しきれていません。

 ということで、猫の絵本。「ぼくはなにいろのネコ?」です。

≪「ぼくを見て」と黄色がいいました。「ぼく、パッとあかるいでしょ。ぼくは、秋のにわを いきいきとさせるキクの花。ぼくは、日なたでねむる黄色いネコ。ぼくは、ジャングルを音もなく とおっていくトラ。ぼくは、空にかがやくお日さま。もちろん、ぼくがいなければ、お日さまもないのさ」≫と、この絵本は、始まります。
≪「黄色いネコだって!」と子ネコのマックスがいいました。「黄色っぽいネコはいるけど、黄色いネコなんかいるもんか、もし、ぼくが黄色だったら、水仙の花たばと まちがえられてしまいそう。」≫と、子ネコのマックスは考えます。

 こんな、詩的な始まりのこの絵本は、次に青、緑、赤、オレンジ、茶色、黒、白…時にお互いが交じり合いながら、色が様々に交じり合っていく世界を 表現しています。絵本でなくては、表現できなかった抽象的な世界です。
 が、お話の本ではないので、少し大きめの子どもたちの方が、楽しめるかもしれません。

 また、最後には、大人にも、伝えたい言葉がありました。
≪「ほんとうに、ぼくら、ほかの色がいなければ、なにもできないね」と、黄色、青、赤、黒、白が、声をそろえていいました。「わたしたちが、なかよくいっしょにいれば、世界は、なんてうつくしく見えるんでしょう」≫

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そして、みんなも ねこである!

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「サイモンは、ねこである」(ガリア・バーンスタイン作 なかがわちひろ訳 あすなろ書房)

 上記、写真の左端に、小さく「そして、みんなも ねこである!」という文字が見えますか?これは、表紙カバーを広げたところで、カバーされた状態では、表から見えず、折り込まれている箇所です。だから、多くは見落とします。
 が、洒落っ気のある作者は、この絵本のテーマであり、みんなも猫ということをどうしても、言いたくて、ここに表記したのだと思います。小さくても、主張するポリシーは、またこれ、この絵本のテーマだと思われます。

 お話は単純、サイモンという小猫がライオンやチーターやピューマやクロヒョウやトラたちに、「ぼくたちのだ にてますね」というところから話は始まります。みんなはそれを一笑に伏すものの、よく考えると、「いい耳を持ってる」「立派なひげと長いしっぽ」「鋭い歯」「とがった爪」「暗闇でも見える目」を、みんな持っていることがわかります。小猫のサイモンも「ちっちゃい」ながらも、持っていたのです。・・・・・ということで、サイモンも、仲間だとわかり、みんなで楽しく過ごす・・・というお話。

 これを読むと、ちょっとした違いにしか過ぎないものにこだわっていると、大きな括りが見えなくなる、ものの本質が見えなくる・・・・なーんてこと、考えて読んだら、面白くないので、このサイモンという猫たちの関わりを楽しむのみ。 

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不思議の国のアリス展

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 兵庫県立美術館の「不思議の国のアリス展」(~2019年5月26日)に行きました。

 作者本人(ルイス・キャロル)の挿絵も、味はあるものの画家でないので、やっぱり、ジョン・テニエルの絵が、それ以外考えられないほど、不思議の国のアリスには、ぴったり。また、アーサー・ラッカムの絵は、個人的に好みで、楽しみの一つでしたが、アリスは、テニエルかなぁ・・・
 今回の展示では、ルイス・キャロルやテニエル以外の画家たちによる、本や挿絵も展示されています。それは、現代にいたる およそ、1世紀に及ぶ画家たちの饗宴でもあって、楽しいものでした。ヘレン・オクセンバリーやエリック・カール、ディズニーのアリスもあります。

 ところが、どの画家も、その個性を発揮して、おもしろいものの、画家ごとに展示、この展示方法より、同じ章の挿絵を比べていった方が、もっと、面白さが増したような気がします。それぞれの表現方法は異なっても、元になる話が一緒なのですから、その捉え方を見るのは、きっと、興味深いものになったと思うのです。

 また、係の方が、羽根つきの帽子をかぶり、黒いいでたちで、室内監視をなさっていましたが、アトラクション会場ではないし、もっと、ワンダーランド感を出すなら、違う方法で、アプローチしてほしかった気がします。ティーセットの設えも、中途半端な気がするし、他、色々な飾りも、子どもだましに近いような・・・会場の最後では、さながら、アミューズメントパークのような、アニメーションが並んでいました。手を振ってくださいと言うアナウンスについ つられ、手を振ったら、各画面のアリスワンダーランドのキャラクターたちが、手を振りました。(カ・リ・リ・ロは、若い頃、本場に行ったくらい、ディズニーランドが好きでした。)(続く)

☆写真上は、左から、アーサーラッカム「アリスとメダマカエル召使い」(1907年)。左下、マリ・ローランサン「涙の池」(これは、このページが開かれた展示本で、他のページも見てみたかった・・・)(1930年)。右下、エリック・カールのはらぺこあおむし風の「チェシャネコいもむし」(2018年)。ポストカード3枚の下にあるのは、展覧会の案内パンフレットのジョン・テニエルのアリス(1890年)
☆写真下は、写真撮影可の展示作品、チャールズ・サントーレ「ウサギ穴を落ちていくアリス」(2014-17年)
            アリス20

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あかいえのぐ

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 昨日の「ねこのミランダ」➡➡を本棚から出した時に、隣にあったのが、この「あかいえのぐ」(エドワード・アーディゾーニ作 津森優子訳 瑞雲舎)でした。
 表紙に、黒猫・・・猫絵本の1冊に積み上げました。

 話は、絵描きのお父さんはと子どもたちは、貧しくても仲良く幸せに暮らしておりました。いろんなものを売ってお金にしてきたものの、ついに、、仕上げの赤い絵の具がない・・・そこで、子どもたちが、頑張りますが、八方ふさがり・・・とはいえ、ちょっとクリスマス・キャロルを思い出す、スクルージじいさんんみたいなロバートおじさんが現れて(お話の初めに絵描きのお父さんとけんかしているおじさん)・・・お父さんの絵は完成、お父さんの絵は売れるようになって・・・・めでたしめでたし
 
 で、ちっとも、猫は関係ありません。しかも、その存在を知らしめるのは、写真左に写る絵で「ニャア」と言う箇所だけ。

 とはいえ、家族、仲良く団らんしているページでは、それを見守るかのように満足気(に、みえる背中)な猫。
 男の子のサイモンが何か描こうとしているページでは、興味津々に尻尾をたて、上の写真左のページでは、元気をなくしたお母さんに「大丈夫だよ」というお父さんと声を揃えて「ニャア」。
 赤い絵の具を探しているページでは、心配そうに引き出しの方を見て、売るものもなく、作品もできないと家族が悲観するページでは、猫の耳も垂れ、尻尾も下がっています。
 家族が食べるものも硬くなったパンと古くなったチーズの夕飯のページでは、猫もお皿に、何かほんの少し入れてもらい、お皿をなめています。
 そんなある日、大きなごちそうの入った荷物、赤い絵の具も入っている荷物が届くと猫も一緒になって、箱をのぞき込んでいます。
 そして、完成した絵の前では、尻尾を立て、姿勢を正した(かのように見える)猫が居ます。みんなでごちそうの用意をするページでは、足取りの軽い猫の姿。そして、ついにロバートおじさんが部屋に入ってくるページでは、見知らぬ人には「フゥー」とうなっているかの猫の絵。

 ・・・とまあ、お話の本筋とは関係ないかのように見える猫でしたが、ちゃんと仕事をしていたのがわかります。もちろん写真右の本の表紙(昨日も写っています)では、家族をモデルにして描くお父さんの傍で、じっと見守っている猫です。

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ねこのミランダ

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「ゆうかんな猫のミランダ」(エレナー・エステス作 エドワード・アーディゾーニ絵 津森優子訳 岩波)

 このアーディゾーニの挿絵のついた子どもの本の作者は、「百まいのドレス」「(石井桃子訳 ルイス・スロボドキン絵 岩波)や「モファットきょうだい物語」(全3冊 渡辺茂男訳 松野正子訳 スロボドキン絵 エスティス絵 岩波少年文庫)の作者です。
 
 「ゆうかんな猫のミランダ」は、肝っ玉お母さん猫ミランダの話です。時も場所も、古代ローマ。コロッセウムや広場が舞台です。
 歴史に興味がなくても、この大きくて勇敢で、しかも、妊娠しているお母さん猫の頑張りには目を見張ります。
 最後には、数十匹の猫たちのトップとなり、勇敢なという冠ではなく、猫の女王「コロッセオの女王ミランダ」という位置づけに。
 路頭に迷う子猫を助け、それも、自分の子プンカを含めて34匹(あとから、さらに、自分が産んだ4匹も加わり)、他にも、途中から加わった大人の猫など・・・ともかく、親分肌のミランダに、猫たちが集まった結果です。

 子ネコたちのミルク不足を補うために、コロッセウムの中に閉じ込められたライオン(しかも、乳の出るメスライオン)と、取引するところは、「勇敢すぎる猫ミランダ」に改題してもいいくらい。

 そんな肝の座ったのミランダも、子猫たちに子守唄を歌い、生まれたばかりの子どもたちに寄り添って、のどをならし、子どもたちは、それに、ごろごろと応え、≪まるで、浜辺にうちよせるさざなみのように、子猫たちはのどをならしました。≫
 この優しい空気とローマの混乱と、最後の章でのミランダのソロと、猫たちの合唱、猫たちのオペラ・・・子どものための本ながら、壮大な歴史を伝えようとする作者の意気を感じます。もちろん、そこに生きる小さなものたちの生き方も。

 残念ながら、ローマに行った事はありませんが、今も、猫の多い街(と、言われている)ローマの遺跡トッレ・アルジェンティーナ広場などには、野良猫・捨て猫保護センターというのがあるようです。

エピローグにあります。
≪いつかあなたが、アッピア街道かどこかの道からローマを訪ね、コロッセオをおとずれることがあったらーそれも夜に、できれば馬車で石畳の道をぱっかぱっかと走ってたずねることがあったならーコロッセオから歌がきこえてくるかもしれません。その歌は、そこにいる猫たちの王国のなりたちを伝えるものです。あの壮大なオペラが、夜ごとさまざまにつけたされたり、ねりなおされたりしながら、テーマはそのままに、奇跡のようにすばらしい女王、コロッセオの女王ミランダをたたえているのです。もう何世代にもわたって伝えられてきた歌ですから、あなたもコロッセオで、きっとその歌を耳にすることでしょう。できることなら、ここぞというところで、「イオ、イオ!ブラボー!」といってごらんなさい。≫
 

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極楽にいった猫

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「極楽にいった猫」(エリザベス・コーツワース 古屋美登里訳 清流出版)
 冬の京都の特別公開で「涅槃図」 を何点か見てから➡➡  ⇒⇒  ➡➡  ⇒⇒、この本のことを教えてくださった方いて、図書館リニューアル後やっと、借りることが出来ました。

 「極楽にいった猫」は1931年にニューベリー賞を受賞し、たくさんの作品を残したコッツワースという作家の作品です。*ニューベリー賞は、アメリカでその年、最も優れた児童文学に与えられる賞で1922年から*

 長いお話ではありません。
 貧しい絵師が、涅槃図を描く仕事をするのですが、釈迦の人生をたどりながら、それぞれの動物の動きにも心を寄せて描いていきます。
 その絵師の傍には、猫がいました。が、猫は、死者を踊らせたり奪ったりするために臨終の場にはタブーであったらしく、また、摩耶夫人が投じた薬袋を取りに行ったネズミを猫が食べてしまうといわれていた➡➡ので、涅槃図には描かれませんでした。が、絵師は、「福」と名付けられた猫を描かずにはいられません。
≪「他の動物は釈迦に受け入れられ、慈悲を受け、極楽へいくことができたのに、猫のまえで極楽へと通じる扉は閉まってしまったのです。絵師の目に涙が溢れてきました。「そんな無慈悲なことはできない」≫と、一番いい絵筆で、最後に猫を描きいれたのです。≫

 こんなお話を1931年にアメリカの女性が書いたことにびっくりです。この人は20代の頃に一人で日本に来たようで(日本の大正時代)、東洋の国々も旅したようです。幼い頃から両親と世界中旅していたとありました。

で、この猫、「福」という猫、昨日の Delilah➡➡と同じ三毛猫!なのですよ。
この話では、三毛猫の美しさを、こう表現しています。
≪白い雪に金箔と漆をおとしたような体をしているな。白い花に二羽の蝶が舞い降りたようにも見える・・・・≫
三毛猫を愛したフレディ・マーキュリーは、この話を読んでいただろうか?

参考:「涅槃図物語」(竹林史博 大法輪閣)
☆写真は、再登場、京都 轉法輪寺 涅槃図に描かれた猫➡➡

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きみとぼくのネコのほん

 パオラねこj
「きみとぼくのネコのほん」(トミー・デ・パオラ作 もりしたみねこ訳 ほるぷ出版)

 この絵本は、お話のある図鑑のような一冊です。いろんな猫の説明が続きます。
まずは、シャムネコ、マンクス、ペルシャネコ、レックス、アメリカン・ショートヘアー。他にも絵だけで登場するのは、バーミーズ、ジャパニーズ・ボブテイル、ヒマラヤン、メイン・クーン、ロシアン・ブルー、のらネコ、でぶネコ、農場のネコ。

 それで、アビシニアンのページには、古代エジプトの猫と呼ばれる由来が、書かれています。また、ローマ人がエジプトの猫を連れ帰ると重宝されたものの、中世になると、悪い魔女の手先と思われ、ハローウィーンの魔女の箒に乗る猫の絵が…それから、ヴィクトリア女王の時代には、猫の居る家庭が幸せの象徴とされ、たくさんの画に。そして、お話にも登場するチェシャーネコ フクロウと子ネコ 長ぐつをはいたネコ・・・・

 それから、猫の食事やトイレ、寝る場所・・・と、簡単に書かれています。そして、主人公のパトリックは、猫をもらって帰ったものの、一匹だけでいいと家族に言われ、上の写真下部に写る絵となるのです。
 
 ネコ好きの人には、たまらない絵本です。
 その後書きの部分に「ネコのおもしろじょうほう」もあって、その中に、「英語でおすネコはトム、めすネコはクィーンとよばれます。」とありました。ん?ん? ああ、また続くぞ!(続く:その2へ)

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