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みんなみすべくきたすべく

丈高い、『美しい人』

              頂上j

ランボオ「Being Beauteous」
≪雪を前にして、丈高い、『美しい人』。死人の喘ぎと鈍い楽の音の輪につれて、この尊い身体は、魔物のように、拡がり、慄えて、昇って行く。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前) 
 霧模様なので、山岳鉄道に乗って、遠くの景色を眺めることができなかったのは残念でした。
 それでも、時折雲間から、いえ、空の上から、山の頂が見えると、心はざわつきます。
 ともかく窓の上まで山なのですから。
登山列車j
  で、今回も歩いてみましたが、三山ともすっきり拝めるという贅沢はなく、雲の下の岩肌や、途中の氷河を見ながら、奇跡のように楽しんだ、以前の連なりを思い起こしたのでした。その分、木を見て森を見ないというわけで、ここでも、ブルベリーの発見はありましたけれど。
 そんな天気の中でも、自転車の人はいます。若い女性でした。(続く)
自転車j
☆写真上から3枚は2015年。写真一番下は2013年。左からアイガー・メンヒ・ユングフラウ。ユングフラウの前の白く尖ったところだけ、上の写真にも写っています。

三山はれj

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どのみちわしは飲みこむはずだ 木苺さては草苺、

ブルーベリーj
ランボー「何がニナを引止める」
≪どのみちわしは飲みこむはずだ 木苺さては草苺、お前の味を、おお、愛らしい花の肉よ!≫(堀内大學訳 新潮文庫)

(承前)
 霧の中でも、小雨の中でもやっぱり、平坦なトレッキングは、我々のお気に入り。
 ・・・・・・そこには、ブルベリーがあるからです。ラズベリーも。

 ブルーベリー、見つけるのが上手になったので、ずいぶんといただきました。

 雨に濡れて、光っていたこけももの赤い実は、どんな宝石よりも美しい。(続く)

上記、ランボーの詩は、こう続きます。
≪盗人のように、そっと接吻(キス)してゆく風にお前は笑ってじゃれかかる、好意を見せてお前の邪魔する野ばらの枝に、わけてもことに、お前は笑ってじゃれかかる ≫
***2013年9月にもブルーベリーなどの写真と文を紹介しています。この赤い「こけもも」を「つるこけもものクランベリー」としていたのは間違いだったので、写真も文の一部も訂正しています。2013年は少なかったのですが、今年は、たくさんみかけました。

赤い実蜘蛛の糸j

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楡の梢に声もなく、芝草は花もつけず、空は雲に覆われた。

霧のロープウェイj
ランボオ「錯乱Ⅱ:地獄の季節」
≪楡の梢に声もなく、芝草は花もつけず、空は雲に覆われた。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前)
 山登りは、子どもの頃、六甲山がせいぜいで、高校修学旅行の上高地・白馬方面も、確か、ロープウェイ利用だったような。
 そんな山とは縁遠いおばさんが、ぐずついた天候の中、山道を歩いても、無事に帰って来られるのは、一つは、ロープウェイとかケーブルで上がったところに在る平坦な道ばかり選んでいることと、複数回歩いたことのある道だったこと。そして何より、スイスの山道の管理が行き届いていたことだったと思います。 

 以前行ったときは、その前週が、記録的な集中豪雨で、山道があちこち寸断されていたにもかかわらず、我々が歩くときには、すでに、標識を点検し、崩れた道を補修していました。もちろん、ヘリコプターが何機も飛び、補修に全力を挙げているのがわかりました。スイス山岳部は、トラックではなく、ヘリコプターで資材を運んでいるようです。
 今回は、小雨や霧、程度だったものの、日本の山じゃ、坂だし、険しいので決行しないと思われる素人トレッキングも可能でした。

きりのなか5はれた
  が、しかし、霧が、あんなに急に出て、あんなに急に晴れるなんて、いい勉強になりました。(続く)
☆写真は、スイス グリンデルワルト, Pfingstegg 行きのロープウェィ。真中の二枚は、一分後に同じところを撮った写真。写真下は、ミューレンで「おーい、待って!」

霧の中jj

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昔の戸棚、お前こそ、どっさり話を持ってるな!

            国立博物館j
ランボー「戸棚」
≪昔の戸棚、お前こそ、どっさり話を持ってるな!話がしたくてたまるまい、そうらしい、そっと開け閉て(あけたて)するたんび、お前の扉がきしむもの。≫(堀口大學訳 新潮文庫)


(承前)
 スイスパスが外国人には、便利なものであるのは、間違いないのです。日にちを選んだり、区切ったりして日程を選ぶと、スイス鉄道、バス、湖周遊船も、どれでも乗車・乗船できるし、山岳鉄道も割引がききます。*山岳鉄道(ベルナーオーバーラント周辺)のパスは、また別にあって、現地で購入するのですが、これも便利!
 それに、何と言っても、博物館や美術館などの入場が無料!
トゥーン湖のお城も、今回出かけたチューリッヒ国立博物館も入館無料!日本でもJRの周遊券はあるけれど、外国人観光客にお得で便利になっているんだろうか???
 
 雨模様の山岳地方をあきらめて行ったチューリッヒ国立博物館は、チューリッヒ駅のすぐそば。
 太古のスイスから、現代のスイス産業に至るまでの展示が中心です。伝統工芸や精密機器なども展示されていました。
博物館の建物は、古くからのままのものを使い、内装は新しく改装という部分もありましたが、古いままの部屋もあって、建物そのものが、博物館然としていました。(続く)
ステンドグラスj
 ペチカj
外装j

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出発だ、新しい情と響きとへ。

風を受けるヨットj
ランボオ「出発」
≪知り飽きた。差押えをくらった命。―――ああ、『たわ言』と『まぼろし』の群れ。  出発だ、新しい情と響きとへ。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前)
 トゥーン湖畔シュピーツ駅から、長いトンネルを抜け、乗換て、東に行くとイタリアへ。西に行くと、レマン湖(写真)の方に。
 その乗換駅VISP(フィスプ)で、一人の黒人の若者が、鉄道乗換表示をプリントアウトした紙のSIONという文字を指さし「OK?」と夫に聞くから、夫は案内板を見て、確かにその駅は止まるので、「SION、OK!」と答えました。が、怪訝そう。夫は案内板に書かれているSIONの表示を指さし、もう一度「SION,OK!」
 ところが、その若者と一緒だった女性は、別の人に聞きに行っています。
 で、その男女で「行くみたい・・・」のような会話をしたものの、男性は、また戻ってきて、今度は私に聞いてきます。私も案内板を指さし「SION,OK」!と答えました。
 さあ、列車が入ってきました。まだ躊躇している彼らをみて、そばに居た他の客たちも「OK!OK!」と乗るように促しました。
・・・・・さて、SION駅に着いたとき、彼らが降りたのが見えたときは、ほっ。

 レマン湖畔にあるシヨン城 Château de Chillon(写真下右手)ではなく、スイス南東のヴァレー州の州都シオン SION。
 アルファベットになじみがない彼ら、鉄道の案内板のことを知らない彼ら。荷物の多さから、観光客ではなかった彼ら。今頃、葡萄を収穫する季節労働にでも就いているんだろうか。
 そして、今、メディアが伝えるシリア難民の姿を見ると、憂慮すべきこと、難しい問題ではあるけれど、人のたくましさというものも見ることができます。(続く)

               シニョン城j

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インテルラクゲン

インターラーケン船着場j
(承前)
「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)には、こんなことも書いてあります。
≪「インテルラクゲン」村ハ、「チュン」湖首トノ間ヲ隔テタル地峡ニテ、湖水ハ東西ニタゝヘ、山嶺ハ南北ニ聲エ、中ニ平野ノ一面ヲ開ク、村北ニハ「ブリンスェル」湖尾ノ水、大河ヲナシテ「チュン」湖ニ流レ落ツ、村家ハ其河岸ニヨリテ街ヲナス・・・・≫
 トゥーン湖(チュン湖)と川でつながっているのがブリエンツ湖(ブリンスェル湖)なのですが、ここはインターラーケン(インテルラクゲン)オストという山岳鉄道の起点駅であり、船着場(写真上)でもあります。そして、駅前の集落は、開け、今やお洒落な装い。

 インターラーケンオスト駅は、行く度に、どんどん整備されています。
 そして、どんどん、中国の人たちが溢れていました。中国の人たちは、列車や山岳鉄道をリザーブし、大型バスが入れるところまでは大型バスで移動。総人口が多いので、観光客も凄い数。あとは、韓国の若い人たちも多く、それに比べ、日本人、特に若い人たちは影が薄かった。

 我々は、トレッキングやアジアでは有名どころでないところばかり行って居たので、アジアの人たちをあまり見かけなかったものの、大きな駅、飛行場、大きなホテルは、大阪の比じゃなく、溢れていました。
 インターラーケンの新しく設置されたトイレのトイレットペーパーのすぐ上に、中国語とハングルだけの注意書きを見かけたのには、ちょっと、びっくり。日本の海外旅行が盛んになり始めた頃には、日本語で注意書きがあったんだろうか?(続く)

                     オストj

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瑞士蘭山水ノ記

トゥーン湖畔jj
文庫j
(承前)
 「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)の「瑞士蘭山水ノ記」の章には、こんなことが書かれています。
≪車ヲ出テ船ニ移リ、翹首(ぎょうしゅ)スレハ、白峰翠嶺、相環拱シテ、一鏡ノ湖ヲ開、此日朗晴ナレハ、空青倒(さかさま)ニ浸シ、雲日共ニ清ク、皆奇絶ト叫ハサルナシ、湖尾ノ水壮ニシテ、色ハ鴨緑ヲナシ、両崕ヲ拍テ流レ落ツ、船ハ其岸ヨリ軔(とめぎ)ヲ発セリ、瑞士ノ水ハ、雪水ノ融セルモニテ、其色異常ニ緑ナルヲ以テ、水ニ鑑ミル白峰青芩(せいしん)モ、殊ニ晶美ナリ、湖上ノ山ハ、峰頂突兀(とつこつ)トシテ、険奇ヲ争ヒ兀立ス、近キハ峻険、遠キハ嶄巉(ざんざん)タリ、前ニ当ルヲ、 「ネセン」山ト云、高サ七千二百八十尺、特ニ険怪ニテ、湖景ノ眉目タリ ・・・・・・・・≫

うーん、やっと出てきた「ネセン」山=ニーセン山!!!(続く)

☆写真上は、トゥーン城からトゥーン湖を望む。絵は「特命全権大使 米欧回覧実記」の実録絵。キャプションは瑞士ノ「ベロン」郡「チュン」湖ノ津頭(即チ「アゝル」河上流)、写真の教会と共に、左手にはニーセン山が描かれています。
          ニーセン船j

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瑞士国ノ記

スピーツ湖畔j文庫2jj
(承前) 
 実は、「ランボー詩集」に興味を示さなかった夫ながら、彼は、別角度からスイスにアプローチしておりました。
 それは、初夏辺りから読み始めていたらしい 「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)という全5巻の岩波文庫です。(文は、全文カタカナと漢字の日誌です。)

 詩集を楽しめない夫と、ノンフィクション5巻を読めない妻、ということです。が、しかし、帰国して、スイスだけでもと、読んでみました。
  米欧を回覧する目的の使節団(岩倉使節団)一行が米国から始まりヨーロッパ各地を回り、その5巻目で、やっとスイスに入ります。時は、1873年明治6年。

≪自国ノ権利ヲ達シ、他国ノ権利ヲ妨ゲズ、他国ノ妨ケヲ防ク是ナリ、故ニ内ニハ文教ヲ盛ンニシテ、其自主ノ力ヲ調達ス、教育ハ独逸語ノ部分殊ニ盛ンナリ、教育ノ淶(あまね)クシテ、民ニ礼アリ学アリ、生業ニ勉強スルコト、此国ヲ最ト称ス・・・・・・≫
 
 そして、独、仏、以(伊)の三人種でなるこの国は、
≪・・・此国ノ民ハ、ヨク財産ヲ平均シテ、貧疲ノ戸甚タ少シ、国中協和シ、他国ノ人ニ交接スル懇切ナルハ、純粋共和国ノ気質ニ教育セラレタリト謂フヘシ、人ミナ辺幅ヲ修メス、礼儀ヲ簡ニシテ、真率瀟洒ナリ、其学術教育ハ一般ニ行届き、文明国ノ最上等二位ス・・・・≫

・・・と、スイスの教育を絶賛しています。
 三人種でなる、いわば、複雑に入り組んだ国が、今、現在も、三つの言語を公用語としながら、永世中立国で在り続けるのは、教育に力を入れてきた底力だと気付かされます。
 目先の経済や誰かの傘下に入ることに力を注ぐのではなく、教育に力を。それは、すぐには芽を出さず、力を見せずとも、将来、その国の礎になるのですから。
 そしてまた、観光資源で成り立つ国だとはいえ、観光客に懇切に接するのは、100年以上昔からだったのですね。(続く)

☆写真は、シュピーツ駅からシュピーツ城、トゥーン湖を望む。写真下は、「特命全権大使 米欧回覧実記」の中の記録絵。≪瑞士「ベロン」郡「チュン」湖の景≫とキャプションがついています。*ベロン=ベルン チュン湖=トゥーン湖

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季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える

シュピーツ城j
ランボオ「幸福」
≪季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える…≫(中原中也訳 岩波文庫)

(承前)
 トゥーン湖畔、ニーセン山側にあるのが、シュピーツ城。時間がなくて、入場しませんでしたが、ここは、美術館になっているようでした。残念!

 結局、トゥーン湖を横切ったのも入れて二周したことになりました。観光客の目玉は、簡単に行くことができる(登山ではありません)ユングフラウ(ヨッホ)などの高い山ですが、この湖の周りにも、見るものがたくさんあって、ぐずついたお天気のおかげで、思わぬところに行くことができました。路線バスからの景色もよかったし。

  かつて、トゥーン湖を見下ろす(写真)、シュピーツの丘のホテルに泊まった方は、「トゥーン湖の美しい景色を忘れられません。」と、ご連絡くださいました。
トゥーン湖水j
 それにしても、スイスの鉄道も、バスも船も、時間通りの働き者。特にドイツ語圏のスイス鉄道や山岳鉄道の人たち、ドイツ語もフランス語も、多分、公用語のロマンシュ語も、そして、英語も、人に応じて喋り分けていて凄い!

 このことは、すでに1873年、特命大使使節団が「米欧回覧実記」(久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)に書いておりました。明日はランボーを休んで、この本の瑞士(スイス)のこと。(続く)
☆写真上は、シュピーツ駅辺りから写したシュピーツ城。写真中は、シュピーツの向かいニーダーホルンへ上るケーブルから撮ったトゥーン湖。写真下は、ニーセン山を背景に進むトゥーン湖遊覧船。          ニーセン遊覧船j

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積る恐れも苦しみも 空を目指して旅立った。

トゥーン城j
ランボオ「一番高い塔の歌」
≪時よ、来い、ああ 陶酔の時よ、来い。よくも忍んだ、覚えもしない。積る恐れも苦しみも 空を目指して旅立った。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

 (承前)
 トゥーン湖の西端に位置するのは、小さな城下町のトゥーン。12世紀に建てられたそのままの姿のお城は、湖岸になく、湖を見渡す急な坂の上。優雅な佇まいなものの、中は少々無骨。大広間がそのまま博物館仕様に。武器や甲冑だけでなく、トゥーンに縁のあったホドラーやリルケ、クライスラーなどの写真も飾られていました。
トゥーン丘j
 優雅な邸宅仕様の湖岸オーバーホーヘン城に比べ、高みからの見晴らしは最高のトゥーン城は、要塞としての意味合いが濃いのでしょう。
         トゥーン町j
 街は、小さなベルンという感じで、お天気がよければ、もう少し散策したい街でした。(続く)
                   アーレ川j

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