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みんなみすべくきたすべく

ライラックの枝のクロウタドリ

挿絵j
(承前)
 「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」(阿部公子訳 こぐま社)の1週間後、続けて出版されたのが、 「詩集 ライラックの枝のクロウタドリ」(ジェイムズ・リーヴズ詩 エドワード・アーディゾーニ絵 間崎ルリ子訳 こぐま社)です。

 写真の右に写るのが、それです。
ん?英語のタイトル?いえ、いえ、日本語のタイトルの書かれた表紙を裏返すと、原書の表紙も印刷されているという、買った人にだけあるお楽しみ。(図書館の本じゃ、こういうわけにはいきません)

 先日書いた「ある子どもの詩の庭で」 (スティーヴンソン詩 まさきるりこ訳 イーヴ・ガーネット絵 瑞雲舎)、「孔雀のパイ 」 (ウォルター・デ・ラ・メア詩 エドワード・アーディゾーニ絵 まさきるりこ訳 瑞雲舎)、そして、今回の「ライラックの枝のクロウタドリ」(ジェイムズ・リーヴズ詩 エドワード・アーディゾーニ絵 間崎ルリ子訳 こぐま社)も、訳者は、間崎ルリ子さんです。先日まで文庫活動を長年続けられ、子どもに近いところにいらした訳者だからこそ、どの詩集も、子どもの心に寄り添って訳されたと思います。
 子どもの本の訳だから簡単ではなく、子どもの本だからこそ大変な作業なのだと思います。ましてや、詩!(続く)

☆写真右は、 「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」(阿部公子訳 こぐま社)
 写真中は、“JamesReeves Complete Poems for Children”(Heinemann社)
 写真左は、“The Eleanor Farjeon Book”(Harmish Hamilton 社) 3冊とも、アーディゾーニ絵

***ちなみにクロウタドリの写真は、古本海ねこさんで連載していた「子どもの本でバードウォッチング」に載せてもらっています。
 

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電報局員

電報ですj
(承前)  「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」 (阿部公子訳 こぐま社)を、ワクワクしながら、開くと、まえがきにこんなことが書かれていて、一人にっこり。
≪私は、1900年10月16日、トンキン州ハイフォンで、5人きょうだいの長男として生まれた。父は、フランス国籍ではあったがイタリア人の血筋を引いており、イースタン・エクステンション社という電報会社で働いていた。母は・・・・≫

 上の写真左に写るのは、 こぐま社「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」です。 
 右に写るのは〝Bringers of Good TidingsーーBirthday GreetingsーーGreetings Telegrams 1935-1982” という、お誕生日電報用紙の移り変わりが楽しめる一冊です。その表紙を飾るのがアーディゾーニが描いた電報用紙なのです。この電報用紙は、1967年1月16日から1975年4月28日まで使われたようです。つまり、電報会社に勤務していた父へのオマージュの込められた一枚のイラストだとも思えます。

 遠く離れて暮らすことが多かった父親との思い出は少なめで、父親と母親があまりうまくいってなかったことを感じ取っていたアーディゾーニでしたが、かの絵に描かれた電報配達員は生き生きと仕事をしているし、電報を待ち望んでいた家族の様子も楽しげに描かれています。(左隅に描かれた幼い子どもが万歳!してます。)

 さて、「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」の最大の魅力は、ほとんどのページにある挿絵です。アーディゾーニの絵のついた本なら、どこかしらで見たことがあるような絵も多く(同じではありません)、あの挿絵は、この思い出と共に描かれたのね・・・と、勝手に想像しながら読み進んでいくのも楽しいことでした。
 
 「若き日の自伝」巻末に「日本語版によせて」等、英国人3人が文を寄せています。そのうちの一人、エドワード・アーディゾーニの長女クリスチアナ・クレメンスの文には、こうあります。
≪ここに描かれた時代は、父の記憶の中で、試練がまったくなかったわけではないにしても、総じて見れば、黄金に輝く、幸福な時代でした。・・・(中略)・・・生活を楽しむことのできる能力、小さなことに喜びを見出し、いろいろなことに気づける能力こそが、父の成功の秘訣だったと思います。その能力は伝染性があり、周りの人々をも幸せにしたのです。≫(続く)

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「懐かしさ」の巨匠

ステンドグラスj
 「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」 (阿部公子訳 こぐま社)
 この本の帯に、先日亡くなった長田弘の言葉が・・・
≪人生を織りなすのは「懐かしさ」。
 アーディゾーニこそ「懐かしさ」の巨匠だった。≫

 確かに人生も終盤に入ると、「懐かしい」思いが折に触れ湧いてきます。もしかしたら、長田弘の最晩年の仕事であったであろう、この言葉、重みを感じます。

 「アーディゾーニ 若き日の自伝」はタイトル通り、絵本「チムとゆうかんなせんちょうさん」*や「ムギと王さま」*の挿絵などの画家の自伝です。しかも、嬉しいことに、ほとんどのページに絵が!

 転居を繰り返し、転校をし、戦争が起こり、就職し、美術を学び・・・
・・・・という若き日は、今の日本人の感覚からすると波乱にとんだものといえるかもしれませんが、書かれているのは、少年時代に見たこと感じたことが中心ですから、どこか「懐かしい」思いで読み進んでいきます。
 時代も違うし、国も違うのに懐かしい・・・誰しも子どもの頃があって、今がある。結局、誰しも、あの頃は、楽しいことが多かった。

 石井桃子の言葉も思い出します。 石井桃子のことば (とんぼの本 新潮社)
≪子どもたちよ  子ども時代を しっかりと 楽しんでください。
おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の「あなた」です。≫
(続く)
*「チムとゆうかんなせんちょうさん」(E.アーディゾーニ作 瀬田貞二訳 福音館)
*「ムギと王さま」(ファージョン文 E.アーディゾーニ絵 石井桃子訳 岩波) 
☆写真は、フランス レマン湖 イヴォワールの教会。

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& Co.

タワーバンクアームズj
(承前)  
 瀬田貞二の「絵本論」のアーディゾーニの章でこんな文を見つけてしまいました。
 「・・・・・アーディゾーニの好きなのは、クルークシャンクとコールデコットのほかは、ドーミエとポターとウィリアム・ニコルソンたちなのである。」
おお!おお!おこがましくも同じ!

 クルークシャンク(クルックシャンク)は、ディケンズの挿絵で好きだし、コールデコット(コルデコット)は、もちろん大好きで、センダックにもつながるので、絵本のこと考えるなら、忘れてはいけない人だし・・・ちなみに、拙ブログの写真は、カ・リ・リ・ロだけの撮影ではなく、≪&Co.~≫としてありますが、これは、「センダックの絵本論」(岩波)の原題が、【Caldecott& Co. 】(コルデコットと仲間たち)というのを真似たのです。

閑話休題。
かつて、初めての英国探訪旅行に湖水地方を選んだのは、ポター描く、ピーター・ラビットの世界だし、何度読んだかわからないウィリアム・ニコルソンの「かしこいビル」を忘れるわけにはいかないし・・・もちろん、ドーミエのことは、ここでも何回か書いた画家だし・・・ (続く)

*「絵本論」(瀬田貞二 福音館)
*「センダックの絵本論」(脇明子・島多代訳 岩波)
*「ピーター・ラビットのおはなし」(ベアトリクス・ポター作 石井桃子訳 福音館)
*「かしこいビル」(ウィリアム・ニコルソン松岡享子・吉田新一訳 ペンギン社) 
☆写真は、初めての英国湖水地方巡りで泊まった、タワーバンクアームズ。ポターの「あひるのジマイマのおはなし」(石井桃子訳 福音館)に出てきます。(撮影:&Co.I)

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千篇一律孜々として

ばあやj
 (承前)
  「孔雀のパイ」(瑞雲舎)の挿絵画家、アーディゾーニは、ファージョンの「ムギと王さま」の挿絵でも、絵本「チムとゆうかんなせんちょうさん」シリーズでも、どれも、一貫してアーディゾーニの絵!とわかる描き方で、我々を魅了してきました。
これを瀬田貞二は、≪アーディゾーニは、千篇一律孜々として人生の全体を、全体の人生を紡ぎつづけている。≫と、その「絵本論」の中で表現します。

 アーディゾーニの絵本にも挿絵にも時折でてくるのが、言葉の「吹き出し部分」です。現代では、漫画で使われているあれです。
 これは、≪・・・・登場人物については、物語の中でことばを使って説明するスペースがないので、絵画表現で創造しなければなりません。背景や登場人物を描くだけでなく、そのときどきの微妙な情感や瞬間を表現しなければなりません。そこで、よく使うのが、登場人物の口に「ふきだし」をつけて、その中に文字を入れる方法が、またとなく役に立つのです。≫(オンリーコネクトⅢ「絵本の創造」)というアーディゾーニ自身の考えによるものです。が、イギリスの物語る絵の流れからいうと、ホガースから始まる風刺画の流れの中で、ローランドソンやギルレイを経て、ディケンズの挿絵を描いたクルックシャンクなども、よく用いています。
 アーディゾーニが挿絵を付けたファージョンの「年とったばあやのおはなしかご」で、ばあやのまわりに子どもたちが集まり、お話を聴いているシーンの絵は、クルックシャンクが描いた「親指太郎と七リーグぐつ」 の表紙の絵と、雰囲気が似ている気がします。(続く)

*「孔雀のパイ」(デ・ラ・メア詩 アーディゾーニ絵 まさきるりこ訳 瑞雲舎)
*「ムギと王さま」(エリナー・ファージョン文 アーディゾーニ絵 石井桃子訳 岩波)
*「チムとゆうかんなせんちょうさん」(アーディゾーニ作 瀬田貞二訳 福音館)
*「親指太郎と七リーグぐつ」 復刻世界の絵本館オズボーン・コレクション ほるぷ
*「年とったばあやお話かご」(エリナー・ファージョン アーディゾーニ絵 石井桃子訳 岩波)
*「「オンリーコネクトⅠ~Ⅲ 児童文学評論選」(イーゴフ/スタブス/アシュレイ編 猪熊葉子/清水真砂子/渡辺茂男訳 岩波)
☆写真は、手前に、クルックシャンク絵「親指太郎と七リーグぐつ」 の表紙。うしろにアーディゾーニ絵「年とったばあやのお話かご」の挿絵。

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あかいえのぐ

         銀のスプーンj
 「あかいえのぐ」 (エドワード・アーディゾーニ 津森優子訳 瑞雲舎)
 エドワード・アーディゾ-ニの本邦初訳という「あかいえのぐ」が出ました。2012年ロンドン テート美術館出版により復刊されたもの。(元は1965年版のようです)

 「あるところに ひとりのえかきが いました。うつくしい えをかくのですが、なかなかうれなくて、まずしい くらしをしていました。いまは、けっさくになりそうな おおきなえを かいています」で、この絵本は始まります。
 絵かきさんは奥さんと3人のこどもたち(一人は赤ちゃん)と一部屋だけのアパートに住んでいました。おじさんの会社を継ぐ話を断り、援助を受けず頑張ってきたのですが、暮らし向きはよくならず、銀のスプーンを売ったり、金の煙草入れを売ったりして、乗り切ろうとしますが、とうとう絵を完成させる赤い絵の具さえ買えない日がきてしまいます。
 ところが、誰だかわからない送り主が食べものと一緒に「あかいえのぐ」を届けてくれ・・・という話です。
 さて、誰だかわからない人が誰で、その人は何故そんなことをしたのか、子どもたちは、どうしていたのか?

 家族5人で暮らす一部屋の様子は、うちも5人家族だったので、親近感があります。しかも、個人的には好きなイギリスの設えの部屋です。奥さんの肖像画がかかっているところもいいなぁ。それに、その部屋ともう一つの舞台になるのが、子どもたちに良くしてくれる古本屋さん、というのもいいですねぇ。

☆写真は、ロンドン ポートベローマーケットで買った、いざという時の銀のスプーンと、今年も綺麗に咲いたスパニッシュビューティ。

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孔雀のパイ

くじゃくいますj
 「孔雀のパイ 」 (ウォルター・デ・ラ・メア詩 エドワード・アーディゾーニ絵 まさきるりこ訳 瑞雲舎)
(「Come Hither」から続き)
(承前)
 ウォルター・デ・ラ・メアの邦訳された詩集の中でも、『詩集 孔雀のパイ』は、挿絵が、「オタバリの少年探偵たち」のエドワード・アーディゾーニです。それが、また、ぴったり。

 詩は、何歳向きとか、大人のものとか限定する方がおかしいのですが、この『孔雀のパイ 』は、幅広い人に、支持されると思います。小さい子なら、「戸棚」が好きかもしれません。夢見る乙女なら「古びたちいさなキューピッド」、大人なら「馬でゆく人」かもしれません。もしかしたら、まったく、その逆かもしれません。
 
 詩は、その人の心にぴったり来た時が、その人の大事なものになるのだと思います。
 詩集一冊、まるごと、好きになることもあるでしょう。
 すべて好きにならずとも、一つでも、すっと心に入ってくるということもあるでしょう。(「アーモンドの木」に続く)

☆写真は、英国ヘミングフォード村の大きなお屋敷のお庭で、放し飼いの孔雀のつがい。

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オタバリの少年探偵たち

ハムステッド路地j

  2013年アカデミー男優賞を取ったのは、映画『リンカーン』のダニエル・ディ・ルイス(1957~)ですが、彼の父親はセシル・ディ・ルイス(1904~1972)と言う、英国では有名な詩人です。
 彼は、桂冠詩人に任命され(1967~72)、王家の慶弔の詩をよむ人でした。また、ニコラス・ブレイクと言う名前で推理・探偵小説もたくさん書いています。この人の作品を多く知っているわけではありませんが、「詩を読む若き人々のために」(1944)と「オタバリの少年探偵たち」(1948)は、若い人や子どもたちに向けて書かれた優れた本です。

 「オタバリの少年探偵たち」は、エドワード・アーディゾーニの挿絵、瀬田貞二の訳で、下町の男の子たちの生き生きとした動きが伝わってくる一冊です。(現在は、脇明子訳)
 やんちゃが仕事の男の子たち、どの子もいい子で、ほっとします。そりゃ、事件が起こるのですから、ちょっとした行き違いもありますが、子ども時代を、思う存分楽しむ幸せな子どもたち。ハラハラしながら、一気に読めます。
 奇をてらう展開等なくても、人と人とのつながり、その善意を信じる前向きな力を感じ、読み進むことができる「オタバリの少年探偵たち」です。

 それに、アーディゾーニの挿絵!
 訳者瀬田貞二は「絵本論」(福音館)の中で、テッド少年の退場の場面≪・・・テッドの通る道を、むちの刑を受ける時のように開けたありさまだ。そのむちは、ぬれたタオルやなんかでなく、沈黙とうたぐりの小路だった。テッドはそこを通らねばならなかった。少年たちは身をひいて通したのだ、テッドがよごれきった身であるように。ぼくは決して忘れまい、このおしだまったとがめの砲火をくぐっていくテッドの顔の表情を。詩の一行が頭に浮かんだ。・・・≫の挿絵を、こう評します。
「・・・生存的というか、暗示的というか、とにかく物語の気分を十分にくゆらして事件を解き明かす意味では、これこそ挿絵的というほかはない。」
(「詩を読む若き人々のために」に続く)

*「詩を読む若き人々のために」(セシル・ディ・ルイス 深瀬基寛訳 筑摩叢書)
*「オタバリの少年探偵たち」(C.D.ルイス 瀬田貞二訳 脇明子訳 岩波少年文庫)
*「絵本論」(瀬田貞二 福音館)
☆写真は、ロンドン ハムステッド路地

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イチゴ畑

(承前)迷子になるなら、イチゴ畑がいいかもしれない。それとも、スーパーマーケットの冷凍庫かな?
「まいごになったおにんぎょう」 (A.アーディゾーニ文 石井桃子訳 E.アーディゾーニ絵 岩波書店)
 スーパーの冷凍庫に落ちてしまったお人形は、グリーンピースやミックス・ベジタブルや魚の切り身フライなどの箱の間を歩き続け、冷凍イチゴのあるところに出ます。
「イチゴをみると、おにんぎょうは、ずっとまえに、うちのにわのイチゴばたけで、まいごになったときのことをおもいだしました。あの日、おにんぎょうは、一日 日なたにすわって、イチゴのにおいをかぎ、イチゴをたべてすごしたのでした。」
 
 スーパーの冷凍庫が、お話の舞台なので、現代の生活と重なります。こんなことって、あるかもしれない、と思える、とても身近なファンタジーです。
 お人形を見つけた女の子は、赤いフランネルの小ぎれで作った帽子や、お母さんに裁ってもらって作った青いビロードのオーバーを、お人形にプレゼントします。そのあとのセーターなどのプレゼントもさることながら、かけた鏡を持っていくところは、細やかな心遣いが伝わってきます。そして、お人形が、その鏡の前で、試着するところなど、リアルで、納得できます。そうですよね。いくら素敵なものが手に入ったとしても、それが、本人に似合うかどうかは、大きな問題なのですからね。
 題名の書いてあるページで、女の子が、冷凍庫を覗きこんでいる絵があるのですが、実際、こうやって覗きこんでいる小さい子を、スーパーでよく見かけます。また、最後のページで、お人形が他のお人形たちに「ぼうけんのはなし」をするシーンもいいなぁ。目をまん丸くして、聴いている子がいますよ。
20いちご大福j
☆春にはいちご大福。今こそ食べ頃。いちごが、芯まで真っ赤。写真は、ご近所の和菓子屋さんの、いちご大福(抹茶あん)。

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