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マルテの手記

          カルチェラタン写真j
(「わがいとしき一人のひとに」から続き)
(承前) 
 大昔、リルケの「マルテの手記」を手にしたことがあります。が、暗さの付きまとう内容に退屈して、というか、あちこちに話が飛んで行く内容についていけなくて、途中で、投げ出していました。ましてや、「貴婦人と一角獣」のことなんて、興味がなかった・・・
 で、今回、読み直したら、物語として進行しない内容は、やっぱり、しんどいものの、ちょっと読み方を変えてみたら、心に残る箇所がいくつか見つかりました。芸術論や回想の詩的要素の強いエッセイと思って、読んでみたのです。どの道、多くの小説とは違って、起承転結のストーリーというものがないのですから、好みの場所を嗅ぎわけながら読みました。リルケ信奉者には、怒られそうな適当な読み方です。

 一番、心に残ったのが、詩について書いている、本当に詩のような表現でした。たぶん、若い時には、気がつかなかったところです。
 まず、≪年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならないのだ。人は一生かかって、しかも七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうやってやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。・・・・≫と、切り込み、そのあと、美しい言葉が続きます。
 そして、≪・・・・思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生まれてくるのだ。≫

・・・と、こんな言葉に出会うのも、古典と言われるような作品に、歳経て出会うおかげかと思います。若くて、次々、盛りだくさんに楽しんでいたのも、それはそれでよかったけれど、今の、少しを噛みしめる喜びもいいもんだと思っています。

*「マルテの手記」 (リルケ 大山定一訳 新潮文庫 他)
☆写真は、パリ カルチェ・ラタンのホテルに飾ってあった、昔のカルチェ・ラタンの写真。

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