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みんなみすべくきたすべく

料理は味気なくなってしまったのかもしれない

        朝市j
 「暮らしのイギリス史 王侯から庶民まで」 (ルーシ・ワースリー著 中島俊郎・玉井史絵訳 NTT出版)は、いわば、歴史書に出て来ない、イギリスの生活の細々とした歴史を現代に至るまで、研究、そして、紹介した本です。現役の学芸員の女性の視点は、ときに鋭く、ときに深く、ときにユーモアたっぷりに、そして、ときにゴシップ的に切り込んでいます。「寝室の歴史」「浴室の歴史」「居間の歴史」「台所の歴史」の4部構成で、「第4部台所の歴史」の「嗜好品」という章で、ちょっと、思い当たることがありました。
 まず、塩や香辛料、デザート、砂糖、煙草、トマト、ジャガイモ、お茶、ホットチョコレート、ジン、異国のフルーツ、海亀・・・と、そのエピソードを添えながら、列挙されていきます。

 ≪・・だが、ジン、バナナ、フォアグラ、アボガドといった新食品が移入されようとも、イギリス人の嗜好は依然として時代と逆行していた。その一因として、信仰上の理由をあげることができよう。宗教改革以来、プロテストタントの聖職者たちは、贅沢な衣服、家、食物を何であれ等しく非難した。「料理の技は贅沢からではなく、必要性から生まれる。」と英国国教会の牧師リチャード・ワーナー(1763-1853)は1791年に説いている。ワーナーは、料理人たるもの「食品は自然で手を加え過ぎない状態で供し、消化を助けること」のみに専心すべきと考えていたし、食物に関する書物を著わした著述家たちも同じ考えであった。このようにイギリス人は素朴な食の伝統を固守したのである。・・・・≫

ひゃぁ~、それでかぁ。
だめ押しのように、このあと、

≪・・・1800年頃に、規格化されたレシピという近代的概念が生まれた。従来のレシピは、分量、調理時間、温度などはあいまいで、たいていは「四羽のおとなしい鳩を用意せよ」とか、「白鳥をみつくろえ」などという大雑把な指示で始まっていた。材料は店まかせではなく自然が供給してくれていたのである。量についても、多くの場合「釣り合う分量」「適量」などと指示され、調理時間についても「よく茹で上がるまで」という表現にとどまっていた。エリザ・アクトン(1799‐1859)は、近代レシピ本の創始者として広く知られている。アクトンの発案は、各レシピの冒頭、つまり料理の指示説明に先立ち、計量した材料リストを挙げておくということであった。このようにして、生活は秩序立ち、時間も計測し認識できる単位へと分割されていった。直感よりは経験が重視され、安定した味が生まれてきたが、結局のところ、料理は味気なくなってしまったのかもしれない。≫

それでですか。
現在、英国で暮らす娘の至言。
「こっちの料理は、まずくはないねん。おいしくないだけや。」(「はだかの王さま」に続く)

☆写真は、ロンドン サウスケンジントン 朝市

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