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みんなみすべくきたすべく

コクトーが言います。

398薔薇と考える人j
(2012倫敦巴里56)
(承前)
  カミーユ・クローデルの作品―石膏や粘土、あるいは、彫刻、あるいは、生前に鋳造されたもので、残っているものは、多くはないようです。カミーユが、サインを残したものが少なく、ロダンの下働きだった名残りか、ロダンの作品の中に組み入れられたものもあるといいます。また、悲惨なことには、病気の進行につれ、自分自身の作品を壊したという事実もあります。
 
 さて、ここに、フランスの作家で詩人、ジャン・コクトーとルイ・アラゴンが「美をめぐる対話」(辻邦生訳 筑摩書房 表紙は、マネの「オランピア」)と言う対談集に興味深い話があります。自分たち詩人と画家の仕事について比べているところです。ここで、「画家」となっているところを「彫刻家」と置き換えて読んでみました。
 
 コクトーは言います。
「彼(ピカソ)は、画家の幸運がどういうものかを心得ている――作家が作り出すのは実体を欠いた幽霊のようなものだが、画家が産み出す作品はちゃんと血肉をそなえているということをね。画家は一種の直接的な明示性、一種の言葉に魅入られる。そしてそれを世界中のすべての国の人々が読みとれる言葉にしないではいられなくなるんだ。画家の手仕事は、誤解されるようなものではないし、あとで不愉快な気分にさせられることも少ない。・・・・」
 それを受けて、アラゴンは「ええ、絵画は、万国共通の言葉ですからね。この点では詩人は画家に対してだいぶ分が悪い。なにしろ自分の絵に向かい合うときの画家は、そもそもその最初の瞬間からもう一人きりではないんですから。画家の背後には、今ここにはいなくとも、やがて必ずやって来るはずの観衆がいるんですよ。」

 そうそう。カミーユ、今日もまた、世界中の人々が読みとれる作品を、そう、カミーユ、貴女の作品を、見にくる人達がいますよ。(続く)

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