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みんなみすべくきたすべく

鼻j
(承前)
 「いまは昔 むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)を読み、芥川龍之介の作品と「今昔物語」などの古典を下敷きにした作品を再読。

 よく知られている「鼻」のはなし。
 教科書で読んだんだろうけれど、この話の肝である鼻の長い和尚の外観にばかり気が行って、この人の内面には気が行っていなかったと思われます。だから、下敷きになった今昔物語宇治拾遺物語に目を通しても、和尚さんの鼻が、吸い物にドボンのところ、その後の小僧とのやりとりのところが、芥川龍之介もほぼ同じなので、文字数の違い(古典の方が、一話分がかなり短い)は、どこから来るのかと考えたのです。*「今昔物語:巻28ー20 池尾の禅珍内供の鼻の物語」「宇治拾遺物語:巻2-7鼻長き僧のこと」

 芥川のは、どうやって、その鼻を短く見せようか工夫するところから始まっているのに対し、古典では、すぐに、鼻を踏んで鼻から不要物を出し、一時的に短くする方法の実施から始まっています。また、中盤以降は、ずいぶん違っています。
 古典の方は、たまたま小僧が鼻を落としてしまい、叱責されたものだから、ぶつぶつ文句を言い、それを他の者も笑った・・・というもの。芥川は、やっと見つけた鼻を短くする方法で、実際短くなって、悦に入っていたら、失笑されている。ん?何故だ?ともあれ、時間が経つと、もとの長い鼻に戻ると、失笑は消え、本人もかえって今まで通りで、すっきりした・・・という結末。

 ここに、芥川の「鼻」の面白さがありました。って、昔からそう考えられてきたとは思いますが、恥ずかしながら、やっと今頃なのです。
 
 話はそれるようですが…知人のお嬢さんは、中学卒業のころ、家族でハワイに行き、みんなで楽しくいっぱい食べて帰国しました。少々、体重が増えつつある時期と重なって、ふっくらしたようです。で、中高一貫クラスの子が、「あれ?ちょっと太ったんちがう?」と言ったらしい。すると、彼女は、一気に食べなくなり、拒食症の診断を受け、婦人科にも相談に行ったとのこと。親子で2年くらい大変でしたが、その後大学受験が忙しくなると、気持ちがそちらに向かったのか、元の健常な身体に。そして、今や、目指す資格にまっしぐらの大学4年生。

 ここで、気が付くのは、彼女に対する心無い言葉も、鼻の長い和尚に対して向けられる視線も、ともかく、本人の気持ち次第で、まったく異なったものになるということ。和尚の鼻は長いままでも、かえってすっきりした気分になったのは、鼻の長いことは本質じゃないと本人が気づいたという点。おそらく、拒食していた彼女も、太るという事が本質じゃないと気づいたから、元通りになったのでしょう。確かに、いろんなコンプレックスは、それぞれにあると思います。が、芥川は、古典で描かれた外見だけの問題から、繊細な個人の問題に踏み込んだ作品に仕上げたのが、さすが。(・・・と、昔から評論されてきたのでしょうね。)

*芥川龍之介全集1(ちくま文庫)
*今昔物語(岩波文庫)(角川ソフィア文庫)
*宇治捨遺物語(角川ソフィア文庫)
*今昔ものがたり(杉浦明平 太田大八絵 岩波少年文庫)
*宇治捨遺ものがたり(川端善明 川端健生絵 岩波少年文庫)

☆写真上に写るのは、「ムネサラーテの墓碑」右の女性がソクラテスの妻または娘のムネサラーテ。左はおそらくムネサラーテの娘(「岩波美術館歴史館第3室エーゲ海とギリシャ・ローマ)。写真下に写るのは、Head of HADRIAN (シカゴ美術館図録)
 古い彫刻の「鼻」だけないのって、結構見ます。鼻の高いヨーロッパの人ゆえに、運搬の際に当たって、破損?日本の仏像でも鼻が欠けているのあった・・・意図があるなら、それはどこ?

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