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みんなみすべくきたすべく

黄牛を埋める

牛絵巻j

(承前)
 それで、 「黄牛」はどこで目にしたかというと、それは、「いまは昔 むかしは今 全5巻」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)第1巻「瓜と龍蛇」➡➡

 この本の前半は、いわゆる七夕伝説を中心に書かれていて、瓜が天の川の元なったという「天稚彦草紙」の絵巻から始まるのです。大著なので(全体で400ページ以上)、とりあえず、大きな目次だけ。
「瓜から天の川が流れ出す?」
「一夜杓とは何か?」
「西の京の女とは何者か?」
「瓜、瓢箪、夕顔をもう一度よくみてみよう。」
「瓜や瓢箪の中からは、思いがけないものが出てくる」
「水に浮かんで,ふしぎなものが流れ寄る」
「龍か蛇か」

 さて「黄牛(あめうし)」は、各地の『さまざまな天人女房の話』を集めた中、長崎の天人女房のところに出てきます。
≪木挽きの源五郎が、天女の着物を隠して女房にするも、子どももでき安心したので女房に着物を見せると、女房はそれを着て「会いたくなったら、黄牛を千匹埋め、ブナの木の種をまけ」といって天へ帰ってしまいます。源五郎が999匹の黄牛を埋め、ブナの木の種をまくと、ブナの木は天にとどいた。源五郎がのぼっていくと・・・・・≫

 なぜ、赤牛でなく、短角牛でなく、黄牛なのかは、不明で、少々落ち着かないものの、ともかく、役牛としての牛の話は、昔からたくさんあったようです。ただ、大陸から渡来するまでの古墳時代以前は、馬牛は日本に居なかったとありました。また、仏教では動物の殺生が禁じられていたこともあって、さらに、奈良時代には、食するのが禁じられ、牛は、役牛としての位置であったようです。素人としては、牝牛の乳を飲んだりもしなかったのかと、素朴な疑問は残るものの、(貴重な発酵品はあったようですが)、命令を守る素直な国民としては、長きにわたって、牛さんを食べることに利用なんて考えもしなかったのだろうと考えます。(続く)

☆写真は、「瓜と龍蛇」に出ている「天稚彦の草紙」絵巻(室町時代初期)

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