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月立ちて ただ三日月の 眉根掻き

新薬師寺4
(承前)
 奈良の高畑にある「入江泰吉記念 奈良市写真美術館」≪入江泰𠮷 万葉大和路」展➡➡では、来年のカレンダーをお土産に買いました。それが写真、下に写る先日の法起寺➡➡が表紙のものです。そして、その上に、感動的に美しい三日月の写真のクリアファイル。

この三日月の写真に添えられた歌は、二つでした。
≪月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く 恋ひし 君に逢へるかも≫大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ):巻6-993
≪振り放けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも≫大伴家持(おおとものやかもち) 巻6-994

展示の他の写真には、一つの歌なのに、この写真には、何ゆえ、二つの歌かというと、この歌が歌われたのは、坂上郎女が親族と宴をした場で作られたもので、初めのが郎女本人で、家持は、その甥で当時16歳。大伴家持は万葉集編纂に携わった一人で、36歌仙の一人。

そして、その宴で郎女が詠んだもう一つ。
≪かくしつつ 遊び飲みこそ 草木すら 春はもえつつ 秋は散りゆく≫巻6-995

この郎女という女性、若き日に穂積皇子の寵愛を受け、藤原麻呂の求愛を受け、後におびただしい恋歌、戯歌や相聞、長歌、儀礼歌、晩歌、行旅歌などをつくり後期万葉集に活躍した歌人だったようです。そして、上記の親族との宴では、自然の情緒も詠み≪要するに和歌の伝統をすべて継承して十二分にその機能の中に遊び、和歌を誇らかに保持したのが郎女であった。≫とありました。*「古代史で楽しむ万葉集」(中西進著 角川ソフィア文庫)

 郎女だけでなく、少ないと言え、他にも女性歌人の歌は残り、同等に扱われているのが、万葉集の魅力の一つ。
 平安以降、「男もすなる」と男性に言われながら書いたのではない時代が見えてくるのです。何人かの女性天皇が居たことも関係していた?
*「万葉集 全訳注 原文付」(中西進 講談社文庫)

☆写真下は、高畑の街路樹 ナンキンハゼ

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