FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

     白馬j
(承前)
 「丘」(ジャン・ジオノ 山本省訳 岩波文庫)
 昨日の「木を植えた人」(ジャン・ジオノ 原みちこ訳 こぐま社)➡➡で書いたように、この人の自然への敬意は、文の随所に見られます。もちろん、その敬意は、畏敬の念であり、愛でもあります。

 冒頭から、ぐいぐい引き込まれていきます。
≪屋根瓦のすぐ下まで、ハクサンチドリの紅紫色の花が咲いているように見える4軒の家が、密生した丈の高い小麦畑の向こうに姿を消す。そこは丘と丘のあいだの窪地である。その窪地は大地の肉体が彎曲して豊かに盛り上がっているいくつかの丘に囲まれている。レンゲの花がオリーヴの木々の下で血のように咲いている。幹から甘い樹液をにじませている白樺のまわりで、小さな蜂たちが踊る。泉からふんだんに湧き出てくる水が、ふたつの水源となって歌う。岩から落ちてくる水源の水を風が撒き散らす。二本の水の流れは草の下であえいでから、合流し、イグサが繁っている沢を流れていく。風がプラタナスをざわめかす。それは、レ・バスチッド・ブランシュ(白い農家)という集落である。脱穀機が唸りをあげて立ち働いている平原と、野生のラヴェンダーが生い茂る広大な砂漠のあいだにある廃墟のような集落。風に支配されているその一帯は、リュールの山々の麓に位置するので、冷たい陰になっている。風の大地である。・・・・・(後略)≫

・・・と、もう少し、詩的な情景描写は続きますが、人が出てくる、あるいは、その関係性を述べだすと、一気に、鈍い頭はこんがらかってきて、一気に読み進むのがしんどくなってきました。

 そして、抽象的な表現、比喩的な表現、あるいは、妄想、幻視・・・など、自然描写の時ほど、素直な気持ちになれない読者になってしまいます。一時は、もう読みやめよう。シュティフターの「晩夏」➡➡を読みなおした方が、気分いいかも?などと考えたりしました。(続く)

☆写真は、残念ながら、フランス プロヴァンスの丘ではなく、英国のホワイトホースの描かれた丘➡➡  土壌が石灰質なので森にはなりません。

PageTop