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僕の叔父さん 網野善彦

228祇園すだれj
(承前)
 昨日、『僕の叔父さん 網野善彦』(中沢新一 集英社新書)のことを書き、歴史家 網野善彦の名前も書きました。とはいえ、恥ずかしながら、中沢新一の他の著作を読んだわけではありませんし、網野善彦は、昨日の写真に写る福音館の「いまは昔 むかしは今」の編集委員として知っていただけです。うちの本棚には、以前から、両者の本が、何冊か並んでいるにも関わらず・・・です。
 『物語による日本の歴史』(ちくま学芸文庫)から繋がって行ったのが、集英社新書の『僕の叔父さん 網野善彦』だったのです。

 この読解力と興味関心では、お二人の宗教学の著作も歴史学の著作も、読みこなせません。が、『僕の叔父さん 網野善彦』という長い追悼文に流れる「思い」は、感じるとることができました。
 途中、学問的論争を斜めに読んだとしても、お二人が、その長きにわたる知的交流を通して、結びついていたのが、よくわかります。こうやって、学問が深まっていくのだという臨場感が味わえます。また、会話で進める学問の一端は、ほんの一部にすぎなくても、論文で読むより、身近に感じられます。そして、学問の推進力は、想像力なのだと改めて思います。
 
 なにより、少年の日の中沢新一が、絵巻物の虜になり、叔父さんに教えられたとおりに、絵の細部までのぞき込むと・・・
≪特に画面全体の構成にとってはたいして重要でなさそうな、端っこの方に描かれている人物の姿などに目をこらして見る。みすぼらしい恰好をしたその人物の姿を見ているうちに、つぎつぎとお話がわいてくるのだ。『伴大納言絵詞』の一場面は、想像力にふくらんだおびただしい数のとりとめもない物語の群れで、覆い尽くされてしまった・・・・≫

☆写真は、京都祇園の夏の窓べ。風が少し通ります。

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