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みんなみすべくきたすべく

日本史で習ったはず

鍾馗2 1826
(承前)
「病が語る日本史」(酒井シズ著 講談社学術文庫)
この本で、日本史で習ったことを ほんの少しは思い出すとともに、個人的に全然しらなかったこともあって、そうだったのか・・・と思ったのが、シーボルト事件のこと。ただし、江戸時代のことで、しかも国が絡むこと、今でも国が絡むことの真相なんて、明々白々とは言えないことを考えると、一つの考え方として、この本の説は面白い。

 医者で博物学者でもあるシーボルトが、日本の情報を収集、持ち帰ってはいけない、日本の地図や文化、博物学関連を、船に積み運ぼうとしていたら、台風で座礁し、それらのものが、ばれてしまったから、日本政府はシーボルトを留め置いた云々・・・と教科書にあったような・・・

 「病が語る日本史」では、このシーボルト事件のことは、「江戸時代に多い眼病」という章の一部に、書かれています。
ともかく、眼病の多かった当時、シーボルトは1823年に眼科道具や眼科薬を持参で、日本にやってきます。それで、日本の眼科医はシーボルトを訪問、質問、果ては白内障の手術を施術を見学、また投薬についても学びます。そのお礼に、日本の眼科医たちは、禁制のものを手渡したりしたようです。それらの品が、座礁で発覚・・・それだけではないと思いますが、そういう一面もあったのか・・・と、びっくり。が、しかし、シーボルトは、眼病が多いことをツンベリー「日本紀行」を読んで知っていたにちがいないと書いてあるので、お人よしの日本人像も、ちょっと見えます。*ツンベリーは1775年に出島オランダ商館に赴任。この人も植物・博物・医学者のようです。(続く)

☆上の「鍾馗図」。これも北斎1826年の作。昨日の「朱鍾馗図幟」➡➡のように布に書かれたものではないのですが、上方二本の線が、さも、幟のように見える図に仕立てています。野性味あふれる男前ですねぇ。衣類の端のギザギザが、北斎らしくて、個人的には好みです。他の美人画の着物もそうでしたね。➡➡ 鍾馗図は、墨や朱で描かれることが多かったらしく、特に朱書きには、意味が。

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