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病が語る日本史

鍾馗1 1805
  今度は、日本の病の本を読みました。というのも、ペストの本を何冊か読み、「細菌と人類」➡➡なども読んだものの、こんなに大きな流行だったペストやそのほか感染症など、日本での過去がどうなっているか、ちっとも知らなかったからです。まさか、研究が進んでない?考えようによれば、日本においては医学を学んで医療の歴史の研究に取り組むのは、地味な学問なのかもしれません。案の定、素人が読めるような本は少なかったし、著者は、今日でも女性入試差別のあった(ある?)医学部出身、しかも、1935年生まれの女性。
 
「病が語る日本史」(酒井シズ著 講談社学術文庫)
 細菌や感染症だけではなく、「病」として捉えてます。「細菌と人類」も面白かったけど、こちらもさらに面白い!
 もっと、学校の保健の授業で、取り入れるべきだと思われる分野です。歴史を知って、今、そして、未来を考えることの重要性は、もっと、強調してもいいと思う。この医史学だけでなく、どんな学問もテスト問題を解くのだけが、人智ではないのですから。
 
 「骨や遺物が語る病」の章は、興味深い。先日、大阪の土地開発で出てきた大量の骨も、今後の学問に役に立つのだろうと思うと、ちょっと喜ばしい。その土地が梅田であり…「埋めた」につながる。
 
 「糖尿病と藤原一族」の章は、教科書で習った藤原一族が、今も在り続ける糖尿病だったとは、つゆ知らず、その病からつながる、政治の動きを知るのは、興味深いことでした。
 ≪糖尿病は古くから洋の東西に存在した。古くは王侯貴族や富豪の病気であった。日本でも「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば」と詠んだ従一位前太政大臣藤原道長(996~1027)がそのひとりであった。道長は『源氏物語』の光源氏のモデルといわれる。また、3人の娘を天皇の后にして、天皇に次ぐ地位にあった。この歌を詠んだ寛仁二年(1018)10月16日は、3人目の娘威子が後一条天皇の皇后に立后した日であり、喜びの宴でこの望月の歌を詠んだのである。53歳の冬であった。だが、満月はすでに欠け始めていた。道長のからだを糖尿病がむしばんでいたのである。≫

 その「望月の歌」を歌った7年後に四女で東宮敦良親王の尚侍藤原嬉子を麻疹で失うといった災難。麻疹流行時(1025年)19歳で身重だった娘を失った時の道長の様子は『栄花物語』の「みねのつき」「楚王のゆめ」に詳しいとあります。(お恥ずかしいことに読んでない・・・)そして、道長はこの年から急に気弱になり、出家を決意とありました。

『この世をば我が世とぞ思ふ・・・』とまで言い切った道長も、病や感染症に蝕まれたのでした。(続く)

☆ さて、今日の写真に使ったのは、北斎(1760年~1849年)の描いた「朱鍾馗図幟」(1805 麻地錦絵)。鍾馗は、中国伝来の邪気除けのよう。日本では疱瘡(天然痘)除けでもあります。
 この画集の解説には、≪着物の裾をひるがえし、許す限りの大またで進むこの鍾馗は、とりわけ幟が風の中にはためいた時には、いかにも動き出すかのように見えたであろう。≫(ボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展 江戸の誘惑 図録)
さすが、北斎!(続く)

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