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みんなみすべくきたすべく

ライのマーメイドイン

ライ
(承前)
 なにゆえ、ライに行ったかは、以前、書き➡➡⇒⇒他でも書いているので、「ライの町の人魚」のお話の出ている「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(ファージョン文 イズベル&ジョン・モートン=セイル挿絵 石井桃子・訳 岩波書店)のこと。
 何しろ、30年近く前、友人とイギリスに行ったのは、ファージョン探訪だったし、湖水地方のポター、ランサム探訪でした。そのあとは、サトクリフ探訪、ディケンズ探訪(少し)も加わって、果たして、何回イギリスに行ったか・・・ただ、子育て真っただ中の頃でしたから、多くは3泊か4泊の旅でした。
 
 さて、あの頃は、「ライの町の人魚」の話が興味深く、しかもその名前を冠したホテルがあるという楽しさに夢中でした、今回「ヒナギク野のマーティン・ピピン」全体を読み返すと、他の話にも、以前とは違った視点も生まれて、新鮮な気分で読み返していました。

 「ライの町の人魚」は、ライという海に面し、しかも海岸は、砂地でなく湿地近くの海で暮らす、人魚がウィンチェル嬢が、人の暮らす丘の上の町ライの生活に入っていくというお話です。アンデルセンの人形姫とちょっと似ています。が、大きく違うのは、ハッピーエンドなのです。
 言葉は、田舎言葉で、世間知らず(人の世界知らず)のウィンチェル嬢が、アンデルセンの人魚姫のように、声(言葉)と足(人魚の身体)を交換して、丘に上がるという結末ではなく、何も失うことなく、ライの「マーメイド旅館」で≪男たちを、老いも若きも、うっとりさせるために出かけ≫≪そのとおりのことをやり、今もやってる。≫のです。そして、≪いままでにこの世に生まれた人魚のなかで、ライの町の人魚ほど、その名を知られている人魚はいない。…ウィンチェル嬢は、まったく「天才」だったのだ。≫で、終わります。

 アンデルセンの人魚姫が、つらい思いをして、丘に上がり、悲恋に終わるのと違い、ウィンチェル嬢は、人魚のままで丘に上がります。
≪「もう出かける時間だ。」とセップがいった。「あたし、だいていっていただかなくちゃならないわ。」と、P・ウィンチェル嬢はいった。「あたし、あるけないんだから。」ウィンチェル嬢は、波うちぎわまで、ぱちゃぱちゃはっていって、それからあとは、セプティシマスが嬢をかかえていった。≫
 
 足があろうがなかろうが、田舎言葉であろうがなかろうが、洗練されていようがそうでなかろうが、向上心があり、コミュニケートすることを大事にする人(人魚)であれば、未来は明るい・・・・・

 昔この話を楽しんだときは、明るい気楽なお話の一つとして読んでいたのですが、軽く、単純なように見せて、実は、人生を励ますお話でもあったのが、やっとわかった次第。(続く)

☆写真は、ライのマーメイドイン(人魚亭)の廊下。(撮影:&CO.Ak)

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