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みんなみすべくきたすべく

すっかり、わからなくなった。

糸杉jjj
(承前)
「いいなづけー17世紀ミラーノの物語」(マンゾーニ 平川祐弘訳 河出文庫)の付録にある一文「マンゾーニの『いいなづけ』」は、マンゾーニより100年ほど後のオーストリアの詩人、作家、劇作家フーゴ・フォン・ホーフマンスタールのものですが、この人の「チャンドス卿の手紙  他十編」(桧山 哲彦訳 岩波文庫)の表題にある「チャンドス卿の手紙」は、新しい文学を求めて苦悩する20世紀文学の原点である。とされています。

 本人の文学表現の行き詰りを手紙の形にしたフィクションなのですが、このチャンドス卿以外、収録されているものには、手紙の形や対話などの形式もあります。そして、どれも、ドラマとしての物語の展開があるわけではありません。哲学書のようです。だから、カ・リ・リ・ロのような単純な人には読みこなせず、積んだままの1冊でした。

 確かに、描写の細かさはあります。マンゾーニを絶賛したように、心理的な動きの細かさも、読み取れる人には、たまらなく面白いものになると思います。また、他の訳分も出ているので、他の訳だと印象も違うのかもしれません。
 
 全体に抽象的な表現が多いのが特徴だと考えられます。
 例えば、「死についての対話」に
≪…自然というのは、ぼくらを屈服させからめとる象徴の総体だ。自然はぼくらの肉体であり、ぼくらの肉体は自然なのだ。それゆえ象徴は詩を成り立たせるエレメントなのであり、それゆえ詩はひとつのものと置き換えたりはしないのだ。詩は言葉のために言葉を語る。これが詩の魔術だ。ぼくらの肉体を揺り動かし、ぼくらをたえまなく変身させつづける言葉の魔力のためにこそ、詩は言葉を語るのだ。≫と、一人が言うと、対話しているもう一人が、言います。≪すっかり、わからなくなった。・・・・≫ MeToo

が、しかし風景描写は細かくわかりやすいものです。
例えば、「ギリシャの瞬間」に,山道を行く描写が続きます。
≪…夕暮れ近く、はるかにひとつの村が姿をあらわしたが、それはわきに見て過ぎた。道のかたわらに天水溜めの井戸があり、底深くに水がたまっていた。そばには糸杉が二本。女たちが澄んだ水を汲みあげ、騾馬に飲ませてくれた。夕空を小さな雲が二つ三つつらなって滑っていった。家畜の鈴の音が近くから遠くから響いてくる。騾馬はいきおいづいて歩を進め、谷から吹き寄せる大気を吸い込んだ。アカシア、苺、テュミアンの香りが道にただよってくる。青みを帯びた山が両脇から閉じあわさるように感じられ、この谷が全行程の終点であると思われた。野薔薇の生籬(いけがき)にはさまれた道が長くつづいた。眼前を小鳥が一羽飛び去った。薔薇の花のひとつが落とす影よりも小さかった。谷にむいた左手の生籬(いけがき)がとぎれ、ちょうどバルコニーから見下し、見渡す感じになった。弓なりに彎曲する小さな谷まで、そしてむかいの山々はその中腹にいたるまで、果樹があちこちにかたまって立ち並び、そこここに暗色の糸杉がまじっている。木々のあいだには花をつけた生籬。生籬のあいだを家畜が動き、木立では鳥がないた。・・・・≫

とはいえ、個人的には、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの一文で、紹介されていた、シュティフターの自然・風景描写が、やっぱり、好みです。(続く)
☆写真は、スイス インターラーケンオスト

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