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まだ終わりではない

マンゾーニjj
(承前)「いいなづけー17世紀ミラーノの物語」(マンゾーニ 平川祐弘訳 河出文庫)
 この本を読み返すきっかけになった「ペスト禍」の箇所ですが、全体の5分の1くらいは、それに充てられています。その前のドイツ兵の侵入と荒廃と飢饉の箇所を含めると、全体の4分の1が、「いいなづけ」というタイトルから、離れたところにあるような気さえします。もちろん、この4分の1がなければ、大団円には行きつきませんが…

 さて、ペスト関連文学のどれをとっても、一体いつの時代?今?と思える表現が多々あります。紹介済みのデフォーもそうでした。➡➡
 例えば、「いいなづけ」にはこんな箇所が・・・ペスト禍、真っただ中に至るまでの、初期の頃のこと。
≪広場や、お店や、家の中で、危険の到来を口にしたり、ペストが流行するのではないか、などと言う者は、世間から冷笑され、白眼視された。しかしそれと同じような態度、いいかえるとペストだと警告する人がたといいてもそれを信ぜぬばかりか、事態を正視できない精神的盲目、あらかじめ出来上がった固定観念で割切るという態度は、元老院でも市参事会でも、ありとあらゆる官庁でも、支配的な傾向であった。≫
 今や、世界中、大変なことになってしまった・・・と、理解できていますが、当初、現代の一部リーダーの姿勢に似てなくもない。

 また、「いいなづけ」では、人々が、ペストの蔓延を「ペスト塗」「塗屋」と称するものたちの仕業とみなし(壁やドアなどにペスト菌を塗ると誤解され、怪しい者をひっ捕まえ、糾弾)、「恐怖」という心理をぶつけるはけ口を作り出します。そして、大きな行列のあと、
≪人々は、あれだけ多数の人間が集り、長時間まじわれば接触感染の機会が限りなく増大したということを知っていながら、そのせいには帰せず、死亡の急増を塗屋のせいにした。行列は塗屋がその邪悪な企みをやすやすと大掛りに実行する機会を与えた、というのである。・・・・≫
 そのあと行列当日裸足で行列に参加したから、人々の引き裾や足に毒がついたなどの「有毒説」を持ち出し、当時の人間が「・・・その行列の当日は、信心と不信心とが、誠実と不実とが、功徳と破滅とが互いにこづき合った日であった。」と書くも、著者自身は、
≪だが実際は人間の愚かしい思慮分別が、自分が生み出した妄想を相手に、こづきあったまでなのである。≫とし、その日から伝染病の猛威は、ますますつのるばかりだった。としています。

そして、ペストから立ち直り、村に戻ってきたレンツォに、シェイクスピアのフォルスタッフのような役回りのアッポンディオ司祭に、こう言わせます。
≪これでまだ終わりではないぞ。生き残った連中が今度こそ分別をわきまえて、頭から気まぐれをすっかり追い払わぬ限り、もうこの世には破滅以外はないんだぞ。≫(続く)

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