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共同作業

テンペストj
(承前)
 アリソン・アトリーの「リトル・グレイ・ラビットシリーズ」➡➡は、主に、マーガレット・テンペストが絵をつけています。≪時に動物たちが展示されたぬいぐるみのように見えるものもあった≫挿絵でしたが、人気を博していきます。が、二人の関係は良好ではなく、シリーズの出版が別の出版社に引き継がれた際に1934年、作家と画家は、同等の印税を受け取ることになるのですが、1929年から初め4冊はアトリーの原稿料より、画家のテンペストに多く支払わていました。
 
 また、グレイ・ラビットたちを生み出したのが、アトリー自身なのか、画家なのかに、アトリーは、こだわり続け、競争心を持ち続けます。日記には、テンペストのことを≪ユーモアがなくてつまらない。≫≪私の方が譲歩した≫などと書きます。ただ、時には≪魅力的だ≫≪鮮やかで、すんだ色彩は気に入っている≫とも書き、二人で休暇を過ごすこともあったようです。

  が、後々にも、≪あの人には、もう、私の愛すべき小さなものたちにふれてほしくない。≫≪あの人は、なんだって、そう上手に描けているわけではない≫≪なんてケチな人だろう≫≪あの人から、本についての賞賛や感謝の言葉ひとつ、もらったことはない。いつだってそしらぬ顔。私は、毎回あの人の絵をほめて、励まそうとしているのに、本当に応援しがいのない人だ。≫

 ところが、後に、画家テンペスト自身は、こう言います。(1971年)
≪・・・あれらの登場人物の創造については、自分は視覚によって、そして、アリソンは『言葉によって』彼らを生み出したのだ≫
そして、アリソン・アトリーはこれに、激怒。アリソン・アトリーの主張によれば≪あの登場人物たちを創り出すという最も重要な役割に主として携わったのは、ほかならぬ自分であり、マーガレット・テンペストは、あとから絵をつけたにすぎない。≫

 このように、一つの作品に関わる共同関係において常に生じていた摩擦の発端は、その根底のところにあったことがわかります。そして、これは、その昔、同じイギリスのディケンズの頃でも、駆け出しのディケンズとベテラン画家のジョージ・クルックシャンクともめていたことを思い出すし、ディケンズ亡き後、クルックシャンクが、本当はこうだったなどと言ったとされるような流れと似ています。

 くわえて、テレビシリーズ化によって、アトリーとテンペストの摩擦は決定的になり、二人でコンビを組む最後の一冊「リトル・グレイ・ラビットのパンケーキ・デー」を出し、その後はテンペストの絵に雰囲気の近い、友人の画家キャサリン・ウィグルズワースを使うことに。(続く)
 
☆写真右は、マーガレット・テンペスト文・絵「靴屋のカーリーと大雪の日」(てらおかじゅん訳 ほるぷ出版:靴屋のカーリーのおはなしシリーズ。左は、ビアトリクス・ポター文・絵「のねずみチュウチュウおくさんのおはなし」(石井桃子訳 福音館)➡➡・・・・アトリーなら、こんな比較を好まないでしょうね。

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