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ポターの周りの人(4-1)アン・キャロル・ムーア

ヒルトップjj
(承前)
 「ビアトリクス・ポター ―――描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)には、1921年にアン・キャロル・ムーアが、ビアトリクスを訪問した、とあります。
 え?あの石井桃子(1907~2008)と交流のあったアン・キャロル・ムーア?
なんだか、時代がつながりにくいものの、アン・キャロル・ムーア(1871~1961)がビアトリクス・ポター(1866~1943)を英国に訪問したのは、彼女が50歳の頃。石井桃子が「児童文学の旅」(岩波)で紹介する1954年に47歳で渡米した際のアン・キャロル・ムーアは、82歳。
・・・そして、石井桃子はビアトリクス・ポターのピーターラビットシリーズを日本語に翻訳。日本と英国と米国が、本物の糸でつながっている。よかった・・・

 ビアトリクスを訪問したアン・カロル・ムーアとの会話は、≪本のこと、子どものこと、絵のこと、田園生活のことなど≫におよび、何時間も続いたようです。それから、農場を案内してもらい、スケッチをみせてもらい、予定していた二冊の「わらべ歌の本」➡➡についての意見交換もしたとあります。
 その意見交換、この訪問こそは、ビアトリクスの創作意欲を刺激し、奮い立たせるものとなりました。
 というのも、アン・キャロル・ムーアは、アメリカの図書館界で、すでに権威があり(その頃、イギリスではそれに相当する社会的地位のなかった)、その彼女が、ビアトリクスが十数年来の苦心の成果に、多大なる称賛と愛情あふれる理解を示したからでした。
 ビアトリクス自身は、すでに高い人気を誇っていたピーターラビットのシリーズの存在価値が公に認められているという感じをつかむに至っていず、当時、子どものための本は、文学への真摯な寄与と見るよりは、おもちゃに等しいものとしか見られていなかったからだとあります。
 
 この二人が出会って、100年経った今、子どもたちの絵本が、文学への真摯な寄与、おもちゃに等しくないもの・・・・と、考える大人は、果たして、増えたのだろうか。(続く)

☆写真は、英国 湖水地方 ニアソーリ村ヒルトップ(撮影:&Co.I) 

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