FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

ポターの周りの人(3)ノーマン・ウォーン

見返しj
(承前)
 ピーター・ラビットたちの絵本を出版するにあたっては、フレデリック・ウォーン社のノーマン・ウォーンと厳しいやり取りを経たのち、出版されていきます。
≪ビアトリクスは今度も、二冊の本の制作に細心の注意をはらいました。紙の種類や印刷方法ばかりでなく、見返しや装丁についても、かなり細部にわたってノーマンと議論しました。「本の見返しは、表紙と本文のあいだで読書が目に休めるべきものだと、私はつねづね思っている。それはちょうど、額におさめた絵の台紙に相当するものである。・・・≫

そうなのです。絵本を楽しむ人(子どもも大人も)は皆、見返しや装丁から、楽しみが始まっていることを知っているのです。つまり、ポター自身が、絵本を楽しむ人だったのです。しかも、絵も文も創作できるのですから、最強です。(全作品のうち一部、別画家による作品もありますが、翻訳されていません。)

そして、その評判に伴い、様々な要請も増えていきます。
 ビアトリクス・ポターは、小学校用の読本の執筆を依頼されたとき、こんなことを言っています。
≪私は、本業以外の仕事は本業の完成の妨げになる、という考えを強くもっています。私は物語を創るのが大好きなのです――物語はいくらでも出てきます――物語はいくらでも出てきます――けれども、絵を描くのがとても遅く、ひじょうに苦労します。したがって、私の創作人生が長かろうが短かろうが、その終わりを告げるとき、私が書きたいと思っている作品がいくつも未完で終わることは、まちがいないのです。≫

 ビアトリクス・ポターは、画家だと思いがちですが、この件を読むと、ちょっと違うかもしれません。もちろん、ピーターたちや、彼女が残したフィールドスケッチの数々を見ると、画家としての実力が大きいものだと思います。が、時を越え、国を越えて、人々を魅了する作品の数々を見ていると、彼女のいう、物語る力も大きかったのだとわかります。

 が、しかし、ピーターたちの出版の議論、やりとりを続け、信頼関係を築いたノーマン・ウォーンと、家族の反対を受け、極秘婚約するも、婚約後1か月後に、ノーマンが亡くなりました。1905年のことでした。その後、湖水地方、ヒルトップを購入、住居を移すのです。(続く)

PageTop