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満月をまって

満月j
(承前)
 「どこかで だれかが ねむくなる」(メアリー・リン・レイ詩 クリストファー・サイラス・ニール絵 こうのすゆきこ訳 福音館)➡➡の詩を書いたのは、メアリー・リン・レイですが、この人は、バーバラー・クーニー(1917~2000)の最後の作品「満月をまって」(1999年)の作者でもあります。

「満月をまって」(メアリー・リン・レイ文 バーバラ・クーニー絵 掛川恭子訳 あすなろ)

メアリー・リン・レイは、作家であり環境保護活動家であると、紹介にあります。絵本「どこかで だれかが ねむくなる」も、そんな視点を持っていたのかと、納得がいきます。
 
 そして、この絵本は、環境保護と人権問題についての視点も併せ持ち、絵本の形をとってはいるものの、赤ちゃんや幼児に向けた絵本ではありません。日本では、絵本と言えば、小さい子どものもの、あるいは、一部のお洒落なお姉さんのものと思われがちですが、内容の深い絵本は、小学校中学年以上の子どもたちにも楽しんでもらいたものです。この主人公の年齢は9歳ですから、およそ、それくらいの子どもが、対象の中心なのだと思っても、間違いではないと思います。

 さて、今から100年以上前、アメリカ北東部ニューヨーク州ハドソンからそれほど遠くない山あいの地方で、かごを作って生計をたてる人たちがいました。
 木の声を聴き、風の歌を聴くカゴつくり職人たち、丈夫で美しいかごを作る技術は、父から子へと伝えられていきます。

 バーバラ・クーニーの描く、深く、丁寧な世界とともに、全編、詩的な世界が広がります。自然の中でのシーンだけでなく、かごを編む作業をするシーンでさえも。
≪台所はうすぐらくて、しーんとしている。ときどき、とうさんが、口をひらく。ビッグ・ジョーや、クーンズさんのときもある。山の木がしてくれたはなしを、かわるがわる、くりかえしはなすのだ。   ぼくも、山の木の声をききたいとおもう。でも、よる、耳をすましても、ぼくにはなんにもきこえない。   まきがパチパチはねる。いすがきしむ。木のリボンがゆかをたたく。ビッグ・ジョーがいう。「きく耳があれば、きこえるよ。」・・・≫

9歳になった満月の夜、やっと、お父さんとかごを、ハドソンまで売りに行けた「ぼく」でした。(ここは、同じバーバラ・クーニーの「にぐるまひいて」(ドナルド・ホール文 バーバラ・クーニー絵 もきかずこ訳 ほるぷ)➡➡を思い出します。)

かごを売り、買い物をし、お母さんにハドソンの話をしようと考えている帰り道、ハドソンの人たちから、酷い言葉を浴びせられてしまいます。そして。。。。。

≪・・・夜になって、ストーブがしずかになり、いえもしずかになったとき、「おいで」と、風のよぶ声がきこえた。   ぼくはついていった。くぐって、でて、くぐって、でて、夜につつまれた枝を、くらい枝を、くぐって、でて、くぐって、でて。風がかごをあんでくれるんだ。半月のかすかなあかりのもとで、木の葉の1まい1まいが、ぼくにむかってあいさつをおくってくるようだった。
 あさ、木の枝がいえのかべをやさしくこすって、ぼくをおこしてくれた。「木が大きくなっていく」かあさんがいった「木のリボンがのびていく。いつまでたってもつかえるかごが、たくさんできるね」   ぼくにはもうわかっていた。・・・・・いつまでたってもつかえるかご。ぼくのつくるかごは、そういうかごだ。・・・・・≫

蛇足:::いつまでたってもつかえるかご・・・・使い捨てでなく、最後は、自然に戻ることのできる製品が、現代は、多くない・・・・ということを考えるだけでも、心が痛い。

☆写真下は、スイス シャトーデーの切り絵美術館、民俗博物館➡➡
  かご12

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