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太白桜

太白2
 先日「春爛漫の候」➡➡に書いたように、「チェリー・イングラムーーー日本の桜を救ったイギリス人」(阿部菜穂子 岩波)には、たくさんの桜が出てきます。
 日本の桜に魅せられたイギリス人、コリングウッド・イングラムが、イギリスに苗を持ち帰り、接穂しながら、増やし、あるいは、日本から送ってもらいしながら、イギリスの地で、桜を増やします。そして、日本ではなくなってしまったと当時は思われていた桜の品種を里帰りさせたという事実、その後の桜と日本、そしてまた、その後のイングラム氏を追跡したルポタージュが、この本です。

 が、なにしろ、このイングラム氏は1880年生まれ、明治政府発足が1868年ですから、ずいぶん、昔の話です。初来日が1902年、そのあと、何回か訪日しますが、100歳を越えて没するまでに、第一次世界大戦、第二次世界大戦をはさみます。そんな激動の時代に、愛する桜たちに捧げた情熱、熱意の大きさに驚かされます。

 さて、話の中核になる桜ーーーそれは、太白という名の桜です。
       太白1

 この太白桜、里帰り物語のきっかけは、イングラムが京都で見た掛け軸に描かれた白い桜の絵。その頃、どこを探しても見つからなかった桜の絵。イングラムは、自分の庭に咲いている「太白」を思い出し、日本に里帰りさせることに。
 1928年にまずイギリスから船便で送られた太白の穂木…枯れてしまっていました。翌年も同様。その翌年も。するうち、水分不足に気付き、大根に刺して送ってもらう4年目だったものの、水分が多く、腐ってしまいます。
 船便が暑い赤道を通るのが、いけないのではないか、
 今度は、ジャガイモに刺した穂木は、シベリア鉄道経由、ウラジオストクからナホトカ、舞鶴、そして、京都へ。そして、オオシマザクラに接ぐとイギリスから着いた太白の穂木は、うまく、台木につながって成長(1932年)し、若木からまた穂木をとって接木。そして、仁和寺や平野神社などに植樹され、イギリスから里帰りした桜であることを解説する立札が添えられたというわけです。
 1931年には満州事変が起り、太平洋戦争の道を歩んでいた日本と、日英同盟を解消されていた敵国となりつつあったイギリスとの交流ですから、それに関わった人たちの大きな熱意がなければ、太白桜は、どうなっていたでしょう。
太白3

 その里帰りを受けた京都の造園業者の孫、第16代目がいうのです。
「太白は白の大輪やからね。真っ白でもただ白いのとちごうて、どうゆうたらええかな。気品があるていうのんか、風格がありますわな。もともと日本からイギリスに渡った桜やのに、あちらで紳士的な雰囲気を身につけて帰ってきたようですわ。」(続く)

☆写真は、大阪 造幣局通り抜けに咲く太白桜(~2019年4月15日)。40年以上行った事がなかったものの、大阪の風物詩です。小雨降る日だったので、空いているかと思いきや、外国人観光客の皆さんの多い事。今年は、造幣局の遅咲きの桜たちはまだ満開とはいきませんでしたが、横を流れる大川沿いのソメイヨシノは、満開。三番目の写真の背景は、造幣局博物館。
・・・で、家に帰り、2017年に仁和寺➡➡で撮った写真を見直すと、多分、これが、御室仁和寺の太白桜と思われるもの。仁和寺の御室桜は、みんな背が低い。

        太白5

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