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クリスマス・キャロル

  暖炉j
 (承前)
 ディケンズの「クリスマス・キャロル」を読まないと、クリスマスになった気がしない➡➡と言っていた娘も、最近は読みませんが、カ・リ・リ・ロ自身も、「マンハッタンの奇譚クラブ」➡➡を読むまでは、長い間、読んでなかったことを忘れていました。

 また、大きな声では言えないものの、おばさんになって大学院に行っていた頃と、そのあとも少し、ディケンズの「クリスマス・ストーリー」の原書講読に参加させてもらっていたことがあったので、他のクリスマス話を読むことがあっても、スクルージの「クリスマス・キャロル」は、置いたままでした。
 で、今回、読んでみました。「クリスマス・キャロル」(脇明子訳 ジョン・リーチ絵 岩波少年文庫)

 今更ながら、こんなに長い話だったのかと思ったのは、きっと、話の大筋を覚えているからだと思います。
 それで、息長く読み継がれる「クリスマス」の本には、その中に、大事なスピリットが書かれているのですが、「クリスマス・キャロル」にも、もちろん、書いてありました。

 スクルージの甥が言います。
≪ぼくは、クリスマスがめぐってくるたびに、クリスマスってなんてすてきなんだろうと、あらためて思うんですよ。クリスマスという言葉そのものの神聖な意味と、その起源に対する敬意はべつにしてもです。もっとも、クリスマスに関することは、何だってその言葉の意味や起源と切り離すことはできないんですけどね。とにかくクリスマスは、親切と、許しと、恵みと、喜びのときなんです。長い一年のなかでもこのときだけは、男も女もみんないっしょになって、ふだんは閉ざされた心を大きく開き、自分たちより貧しい暮らしをしている人たちも、墓というおなじ目的地にむかって旅をする仲間同士なのであって、どこかべつの場所へむかうべつの生きものじゃないんだってことを思い出すんです。おじさん、たしかにクリスマスは、一度だってぼくのポケットに金や銀のかけらを入れてくれはしませんでしたけど、それでもぼくにとってためになったし、またこれからもなるにちがいないと思います。ですから、ぼくとしては、クリスマスに幸いあれと言いたいですね。≫

 ああ、墓というおなじ目的地にむかって旅する仲間同士かぁ・・・ここで、「旅する仲間」という言葉に反応してしまいますが、長くて当分読めないだろうと、軽く流します。*「旅の仲間」(トールキン 瀬田貞二訳 評論社 「指輪物語」第一部)
☆写真は、英国オックスフォード

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