みんなみすべくきたすべく

おはながわらった

梅j
 関西は、一気に暖かくなり、近くの公園の梅も早咲きも遅咲きも一度に咲いて、桃の花も咲いていました。

~♪春の風がふいてきたら めだかもちょうちょも小鳥たちも
うれしそうに 歌うだろう 春だよ ぼくらの春がきたよ~~♪
 と、かつて、長男が歌って教えてくれた「春がきたんだ」 (ともろぎゆきお作詞 峯陽 作曲)を、ついつい口ずさんでしまいます。➡➡

 ・・・と、我が家で定番になった歌ですが、今は、~♪おはながわらった~♪
を孫と楽しんでいます。
 孫が、今、入院している母親に、この歌をよく歌ってもらっていた時は、最後の~♪一度にわらった~♪のあと、「あはははっは!」とオリジナルに付け加え、孫も一緒に楽しんでいました。が、今や、歌詞が身内にはわかるくらいには歌え、最後の「あはははっは!」も歌います。つまり、保育所で習ったのでもなく、ばあばが教えたのでもなく、会うこともままならない母親が歌ったのを覚えているのです。

 さて、孫は、いただきものの、タッチすれば、歌が流れる玩具を自宅にもっています。それを孫が触って歌うとき、機械から流れる歌のあまりの速さ、というか、孫の歌うスピードとの差に、孫はついていけず、自分が歌うことではなく、ボタンを触って、次々流れることで、遊んでいるのを見ました。
 もともと、機械から流れる音楽や映像と小さい子の関係を考えてきたつもりでしたが、この風景を見て、冷たいものを感じたのです。それは、適当に、ボタンを押しているその姿だったのかもしれません。

 母親の声で、孫の回らぬ舌で、一緒に歌う暖かさ。
 なんの道具がなくても、ましてや、巧妙なテクニックがなくても、そこには、大事なものが流れ、孫の支えになっているのだと思うのです。

        桃j

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