みんなみすべくきたすべく

うぬぼれ

ゴーギャン描く
(承前)
 ゴッホの弟テオに宛てた多数の手紙の中で、ゴッホがゴーギャンに対して、大いになる愛を捧げようとしているのが読み取れます。それは、画家としての尊敬の気持ちであっただろうし、人間の慈愛や誠意といったもの大きな情愛だったかもしれません。また、そこには、思い込みが強いゴッホも読み取れます。
 
 テオへの手紙で、再三再四、ゴーギャンの現況を聞き、アルルで共同生活するのがゴーギャンにとっても最良だと、何度も手紙に書くのです。
 結末を知っている者には、ゴーギャンへの片思いが、その文の中にあふれているのに胸が痛くなります。
 やがて、弟テオの援助もあって、ゴーギャンとの生活が始まります。それがきまったときのゴッホの喜びや今後への思いが、熱く手紙の中で語られます。そして、密かな思いを弟には吐露しています。
≪・・・じつは僕にもゴーガンによってある程度の印象を与えてやろうというぬぼれがあるし、それには彼が来る前に、ひとりでできるだけの仕事をしておきたいということ以外僕には考えられないのだ。彼が来れば、僕の手法にも変化が起きるだろうし、それはそれで成功すると思う。≫
・・・・・と、書いた後、同じ手紙の中で、ゴッホはこうも書いています。
≪もしゴーガンが、グービル商会に対しては公式に、君に対しては友人としてまた債務者として個人的に、その絵を渡してくれるなら、それと引換えにゴーガンはこのアトリエの主宰者となって思う通りにお金を使い、できればベルナールやラヴェルに絵の交換で援助してやることもできるだろう。僕は僕で、百フランと僕の分の画布と絵具代と引換えに習作を渡すことにしよう。とにかく、ゴーガンが僕たちといっしょになってこのアトリエの主宰者だという自覚を持てば持つだけ、それだけ早く彼の健康も回復するだろうし、ますます熱心に仕事をするようにもなるだろう。それに、このアトリエが完成し、整備されてここに立寄る連中に利用できるようになればなるだけ、彼にはいい考えが浮ぶだろうし、それを活々と表現する野心も湧いてくるだろう。≫

 おい、おい、ゴーギャンの方が年長者だとはいえ、どこまでお人好しなんだ?
 牧師の息子で、一時は聖職者を目ざしたような生真面目なゴッホと、船乗りだったこともあり、株式仲買人だったこともあるしたたかさも感じられるゴーギャン。
 さらに、ゴーギャンの南洋での生活や、帰欧してからの妻たちの年齢を知ると、ゴッホとの、人間を見る目の差異を感じます。(続く)

*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)

☆写真は、ゴーギャンがゴッホを描いたものですが、これを見て、ゴッホは「これは確かに私だ。でも気の狂った私だ。」といい、狂人として描かれた1枚の絵によって、ゴーギャンから「レッスンを受けた」という屈辱感は、ゴッホの精神の限界を越えこの絵が完成した晩に、ゴッホはゴーギャンの頭にコップを投げつけ、翌晩、自分の耳を切り落とした。(参照:岩波世界の巨匠・ゴーギャン「ひまわりを描くファン・ゴッホ」)
☆右下絵葉書は、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館の「ひまわり」

PageTop