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二楽荘史談

       ケーブル13j
(承前)
 「二楽荘史談」(和田 秀寿  国書刊行会)
 不審火によって焼失し、その後管理者も変わっていく二楽荘⇒⇒ですが、個人的には、興味のあることばかり。

 二楽荘は、明治42年(1909)西本願寺第22世宗主大谷光端が神戸・六甲山の山麓に建設した別邸。
 建設に際して助言者となったのが建築家伊東忠太。「本邦無二の珍建築」と評され、一般にも公開され、大いに賑わった。
 荘内では、教育、園芸、気象観測、出版・印刷が行われ、大谷探検隊という大谷光端が中央アジアに派遣したシルクロードの学術探検隊が持ち帰ったものの整理・展示、および研究が行われた。

 ふーん、ただの奇をてらっただけの遺物ではなかったのだ・・・

 で、さらに個人的な興味を引いたのが、この別邸 二楽荘 建設以前には、須磨 月見山に別邸があったということ。え!これは、カ・リ・リ・ロの出身地 須磨じゃありませんか。掲載されている古い地図を見ると、詳しい須磨の地図もあり、懐かしい地名の数々。と、同時に、一人の知り合いもいませんでしたが、お金持ちたちの大きな家の個人名が列挙。(今の町内地図の広域版)
 で、その須磨の別邸は、宮内省が買収し、今の須磨離宮公園に。・・・・そうか、二楽荘の庭内園芸、離宮公園の大きな庭園。
 また、阪神間から須磨にかけての一帯は、園芸を行うのに最適な自然環境で、公私設の果樹園芸場が多かったとあり、須磨寺周辺に観光客を誘致し、須磨浦公園という遊園地に・・・
 
 さらに、うちの親もお世話になったことのある、須磨浦公園内にある病院も、関係していました。
 ここには、大谷光端の父親の大谷光尊も入院し、見舞いに来た光端は、須磨の地が気に入ったようで、海を見下ろす月見山の地に別荘を。
 本文にあるように、≪山を負い海に臨む須磨は、冬は紀淡海峡から来る海風で暖かく、夏は南北から吹く風で涼しく、空気が清らかで風光明媚な地域≫なので、日本最初の結核療養所が開院されたとか・・・

 なんだか、子どもの頃、慣れ親しんできた場所のことが、この歳になって、近づいてきてくれたようで、嬉しい。
  
 そして、阪神間が≪夏は涼しく、冬は暖かい≫という自然環境を強みとして保養地として開発が進められたというのを読むと、鼻高々・・・としたいところですが、月見山も二楽荘も海を見下ろす、風通しのいい高台にあって、我が生地や以前の住居や現在の住まいは、彼等が見おろした先(下)にあるわけで、今や大きなくくりだけが同じ。

☆写真上は、スイス ブリエンツ湖ギースバッハのケーブル。
下の写真の真ん中辺りに、二楽荘のあった丘が写っています。後ろ、うっすらと雪をかぶっているのが、六甲山。(2012年お正月の写真)

二楽荘12j

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