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みんなみすべくきたすべく

アルルの女

ほんやj
  「アルプスのタルタラン」(ドーデ―作 畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡の後、「アルルの女」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)を読みました。これも、20年近くほおっておいた文庫本。

 ビゼーの「アルルの女」組曲のもとになった戯曲ですが、ドーデ―の書いたものと、ビゼーの曲が、ぴったりという感じでないのは、お話の方は、結局、姿を現さないアルルの女以外の行動や心の動きも読み取るのに比べ、ビゼーの方は、可視化されていない「アルルの女」を表現しているようで興味深い。(といっても、ビゼーの「アルルの女」に詳しいわけではないけれど)

 いずれにしても、「アルルの女」というのは、悪女・・・ということになっています。フランス文学をここ何年か読むようになって気付くことは、多くの場合、どこそこの悪女を設定し、主人公の男性に起こる問題の根本は、悪い女がいたからやん・・・という設定が多いと思われます。この後、読んだ「サフォーパリ風俗」(ドーデ― 朝倉季雄訳 岩波文庫)も、然り。
 引っ掛ける方も悪いけど、引っかかるのも思慮が浅いなぁ・・・などという視点を100年以上も前の男性作家が持っているわけもなく、あるいは、当時の読者の多くも、やっぱり、悪女はあかんなぁ・・・と。
 ジェンダーにうるさいわけではありませんが、やっぱり、こと男女間に関しては、その単位で、平等だと思うし、そうでなければならないはず。

・・・と、ぶつぶつ言うより前に、書いておかなくちゃいけないのが、端役なのに、結構重要な役回りの「ばか」と呼ばれる子どもに、羊飼いのおじいさんが、おはなしをしていた設定なのですが、それが絵本にもなっている「スガンさんのやぎ」(ドーデ―作 岸田衿子訳 中谷千代子絵 偕成社)。
 夜っぴておおかみとたたかったスガンさんのやぎ。夜が明けたら、おおかみに食べられてしまったスガンさんのやぎ。「アルルの女」での挿話として、示唆に富むのか、単に意味深なのか。
 「スガンさんのやぎ」の掲載されている「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)も、久しぶりに読んでみました。(続く)
☆写真は、レマン湖畔ヴェヴェイの本屋さん

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