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作家の批評

          水仙9j
 「丸谷才一全集10巻」を図書館から借りている間に、もう一つ、備忘しておきたい一文がありました。
 最近でこそあまり読んでいませんが、一時期、辻邦生をよく読んでいた時期がありました。朝日新聞を取っていたころ、水村早苗と「手紙、栞を添えて」という往復書簡のような連載があって(今はちくま文庫)、端正なお顔立ちと品のいいお手紙に「辻さま」と、お慕い申しておりました。
 『楽興の時十二章』(音楽友社)や『十二の肖像画による十二の物語』(文藝春秋 文春文庫)、「背徳者ユリアヌス」(中央公論社 中公文庫)などなど・・・音楽と絵画と歴史・・・楽しみに根差した読書をしてきました。

 ところが、丸谷才一は、辻邦生のことを、堀口大學や大江健三郎のように手放しで評価していません。それは、全集に載っている「作家の批評 辻邦夫」という文でわかります。もともと、丸谷才一は辛口で手厳しい評論だと思いますが、同じ年の辻邦生とは、そりが、合わないのか・・・
 また、「堀口大學 詩は一生の長い道」(長谷川郁夫著 河出書房新社)を読んで以来、文学史上には、いろんな事件や確執、力関係があることを、わかってきたつもりでしたが、ここにも、いろいろあるんだろうと思いました。(もう、ここは深入りしません。)

 さて、「作家の批評 辻邦生」の冒頭から、さっそく、ねじれた感じがします。
≪高度な知識人でしかも有能な作家である人が、多年尊敬を献げてきた偉大な作家を論ずるときだけ、かういふ充実した本を書くことができる。辻邦生の「トーマス・マン」はそんな性格の本である。・・・・≫

 昨日の大江健三郎の「慶事を喜ぶ」の文頭と全く違うでしょう?論ずるとき「だけ」なんだって!

 文中、かなり屈折した表現があって、やっぱり辻さまのことがお嫌いのようです。
≪普段、いつも、筋に綾をつけたり、小道具の扱い方を工夫したり、風景描写に苦心したりしている、しかもそのくせ観念的・形而上学的な志向の強い男がゐて≫と表現されていますから。

 そして、文末は、こうです。
≪おそらく辻にとつては、独仏両国の文学の対置と、その果てにある世界文学といふ理想が、運命的な課題なのであろう。さういふ、構へが大きくて威勢のいいマン入門の書として、これはいかにもこの著者にふさはしい本になつてゐる。≫

 ここでは、構えがいいとか威勢がいいは誉め言葉じゃないよね?
 しかも「この著者」だって!微妙な距離感。

 とはいえ、ちゃんとタイトルにあります。この文は辻邦生の書いた「トーマス・マン」という本の批評ではなく「作家の批評 辻邦生」でした。(続く)
 

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