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みんなみすべくきたすべく

装飾する魂

115バラ一輪j
≪「阿修羅のジュエリー」から続き≫
装飾する魂 ―日本の文様芸術」(鶴岡真弓著 平凡社)

(承前)
「阿修羅のジュエリー」のあと、本棚から引っぱりだして来て、「装飾する魂 ―日本の文様芸術」を読み返しました。1997年の第一刷りでこの本を持っていて、所々、鉛筆で線を引いている箇所がありますが、以前は、今よりさらに訳もわからず目を通していただけです。
本の初めの方に、こんなこと書いてありました。
 ≪日本人の視覚はその白の平面を「模様」として見ていた。無のような白を「模様」として見てしまう視力。これが極東の島国の目の特質の一つだと思える。無。最もないのが、最もある。≫・・・・・・むむむ、禅問答のようです。白の平面?むむむ・・・・この箇所を読んだなら、もうこの「装飾」の本全体を読まなくてもいいのじゃないか、と思ってしまいそうです。

以下は、最近のフラワープレゼントや花束から気づいたことです。
小さな箱にお菓子のように詰め込まれた薔薇の花とか、背丈をそろえ、色合いをそろえ、ぎゅっと縛られたブーケ様の花束とか、いつ見ても、息苦しそうで、花の美しさが半減しているとしか見えません。多分、フランス風であったり、西洋風ブーケといったりするのでしょう。
なんの手習いもなくても、背の高い花、細い枝と葉、伸び伸びとした緑、細かい花、小さい花、大きく開く花、香りのある花・・・それぞれを、花瓶や何か器に挿すだけで、全体も美しく、それぞれも生きます。着るものに、紫と黄色を並べたら、ちょっとびっくりするような、そんな補色関係でも、花だと互いが引き立て合い、自分も美しい。もちろん、同系色の花で揃えても、間に緑の葉や枝が入ることによって、アクセントになり、息苦しさのない美しいものに。そして、たった一輪の薔薇は、いわずもがな、一本のエノコログサを水に差すだけでも、一輪の美しさが。
花は、詰め込まれたり、ぎゅっと縛られたりするのでなく、花と花の隙間、緑と緑の隙間があってこそ、美しいと思うのです。こんな風に、「隙間」も花の一部と見てしまうのは、先の白の平面を「模様」と見てしまう視力と関係があるでしょうか。
すみずみまで油絵の具を塗り重ねる西洋絵画と、潔い線で描き切る余白の多い日本画。こちらは、どちらにも好きな作品があるけれど・・・。

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