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みんなみすべくきたすべく

ゆくえふめいのミルクやさん

デュボアザン2
 (承前)
 牛の絵本を探していると、牛が自ら動き主人公になっているものと、その時代やその場所で、牛ならではの仕事をこなしているものが見つかります。
後者の牛ならではの仕事・・・といえば、先日のスモールさんがカウボーイとなって、捕まえられる牛➡➡ 、あるいは、コルデコットの描いた「乳しぼりの娘 Milkmaid」のように、乳を搾られる役目の牛➡➡、あるいは闘牛をする(しない)牛➡➡。菅原道真の亡骸を運んで座り込んだ牛車の牛。➡ ➡ 牛方とやまんばに出てきたのも、鯖を運ぶ牛。➡➡ 今昔物語にある源頼光の家来をフェイクで運んだ牛車。➡➡

 今度もまた、ロジャー・デュボアザンの絵です。
 「ゆくえふめいのミルクやさん」(ロジャー・デュボアザン 作・絵 山下明生訳 童話館)に出てくるミルクの源の牛。ただ、写真に写る一回しか、牛の姿は見えません。そして、牛の出すミルクのことは、絵本の隅々まで書かれています。
 毎朝4時に起きて、アメリアという名前のトラックで、各家庭にミルクや乳製品を配って回るミルクやさんの話です。
≪まい朝 まい朝 しんせつミルク、
たまごと クリームと カテージチーズ、
ヨーグルトに バターに オレンジジュース、
バターミルクに チョコレート、
おとどけしますよ、町じゅうのおくさんがたに、アメリアが。≫

・・・・町の右がわ 左がわ、のぼり道 くだり道、まっすぐ道 くねくね道、おもて通り うら通りと、のこらず たずねて まわります。 山の手も 下町も おやしき町も きっちりと。
・・・・まい日 まい日、てる日も ふる日も ゆきの日も。
町の奥さんたちが、ミルク屋さんに話すのは、お天気のことばかり・・・

ミルクやさんが、疲れて帰って夢に見たのがお天気のこと。
それで、次の朝、ミルクやさんが、アメリアに乗って とった行動は?・・・・・

 数々のロジャー・デュボアザンの動物たちが出てくる絵本とは違い、小さな子どもたちに、ミルクやさんのとった行動を楽しめるかな?めでたし、めでたしの終わりは、よしとしても。 

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みんなのベロニカ

デュボアザン1

 (承前)
パンプキン農場の動物たちの絵本は、たくさんあるものの、カバ年という干支もないので、ここで、1冊、牛もでてくるカバの絵本「みんなのベロニカ」(ロジャー・デュボアザン作・絵 神宮輝夫訳 童話館)(*これもカバのベロニカとして、シリーズ化され、「ひとりぼっちのベロニカ」、「かばのベロニカ」、「ベロニカとバースディプレゼント」があり、すべて ロジャー・デュボアザン作・絵 神宮輝夫訳 復刊ドットコム)

 かばのベロニカは、お天気のいい朝、パンプキン農場にやってきます。ベロニカは、一目で気にいりますが、もとから暮らしていた動物たちは、まず、距離を置き、ベロニカの「おはよう」の声にも「う、う、」とのどを鳴らすだけ。泳ぎたくなったベロニカにぴったりの池もなく、動物たちは、いつまでもベロニカをよそ者扱い。すると、ベロニカは食欲もなくなり…家から出てこなくなりました。かくいう動物たちも、気になって、それぞれが、様子をのぞきに行きました。まず、牛のクローバーがのぞいたときの絵が上の写真。・・・・みんなは具合の悪いベロニカに気づき、食べ物を運び、話し相手になり・・・・

 パンプキン農場の仲間たちの反応は、ごく普通に見られるコミュニケーションの初期段階を、表現していると思います。多くは、相手の様子を見ながら、打ち解けていく。もちろん、ベロニカみたいに初めから、声をかけ、仲間入りしようとするものもいるでしょう。したがって、この絵本には、コミュニケーションの流れがきちんと描かれている。なーんてこと、決して言いません。みんなが、最後、跳ねまわっている絵を見たら、ベロニカよかったね、みんなよかったね。の絵本となるのです。(続く)

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めうしのジャスミン

デュボアザン3

 さて、先日の「スイスのむかし話」➡➡の挿絵は、ロジャー・デュボアザンでしたが、この人の絵本は、たくさん翻訳されています。その1冊「めうしのジャスミン」(ロジャー・デュボアザン作・絵 乾侑美子訳 童話館出版)です。

 ある日、めうしのジャスミンは、羽飾りのついた帽子をみつけ、かぶることができました。
 素敵な帽子をかぶり、農場に戻ると、動物たちは大笑い。が、ジャスミンは、気にせず「わたしは、わたしのおもうようにするわ。だれでも、その人らしくすればいいのよ」
 大笑いした動物たちも、帽子をかぶったジャスミンが気になって仕方ありません。
 そんな時、猫のコットンがいいます。「いつもいうように、人それぞれ、さ。そうするには、勇気がいる。ジャスミンには、その勇気があるよ」
 すると、他の動物たちも・・・・が、今度はジャスミンが帽子をやめ・・・が、次には、みんなが帽子をやめ、ジャスミンが、また帽子を・・・

 さてさて、この絵本は、人とは違っていいんだ、楽しく生きるという大事なことを描いている絵本です。なーんて、小難しいこと言いません。この農場には、たくさんの仲間がいて楽しいのです。

 最後には、写真の撮り方、写り方が書いてありますよ。
「・・・そこで、クローバとカナリーがジャスミンの横にならび、ペチューニアとコットンは、前にすわりました。キングは クローバーの頭にとまり、ほかの動物たちも、写真からはみださないように、くっつきあってならびました。「さあ、わらって!」アンが、声をかけました。みんな、にっこりして――カシャ!シャッターがおりました。」(続く)

☆写真は、ジャスミンの肖像(撮影:アン・パンプキン)を、スイスの木彫り牛が見ているところ 

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文庫本

  京都7

 最近の文庫本--新訳であったり、新刊であったり、改版であったり、様々ですが、注釈の場所が、後ろにまとめてではなく、開いたページの左側を利用して書かれているものがあるの、ご存じでしたか?

 何しろ、浅学なものですから、本を読んでいても、その文言の歴史的背景や、擬古文的なものであれば、読み方、意味までも、ようわからん時が、多々あります。そこで、後ろの注釈まで戻って、調べるものの、途中、面倒になって、わかった気になって、読み終えてしまうことも、多々。

 が、2019年末の新刊「サラムボー上下」(フローベル作 中條屋進訳 岩波文庫)を読んだとき、左端に注釈(脚注)が、ありました。
 この古代カルタゴを舞台に書かれた歴史小説を読み進めるにあったって、何度、左端の注釈(脚注)にお世話になったことでしょう。
 個人的には、この話の前半では、引き込まれ一気に読んだものの、後半、ごちゃごちゃしていまい、挫折。古代とはいえ、かなり酷い書き方もあって、サトクリフの歴史小説を楽しんだようにはいきませんでした。

 それで、芥川龍之介の「仏蘭西文学と僕」という一文を読んでいたら、こんなこと書いてあって、ちょっと、嬉しい。
≪フロオベルに『聖アントワンの誘惑』と云う小説がある。あの本が何度とりかかっても、とうとうしまいまで読めなかった。・・・・(中略)・・・近頃ケエベル先生の小品集を読んで見たら、先生もあれと「サラムボオ」とは退屈な本だと云っている。僕は大いにに嬉しかった。しかしあれに比べると、まだ「サラムボオ」なぞの方が、どのくらい僕には面白いかしれない。≫(芥川龍之介全集7 ちくま文庫)

 さて、こんな文を見つけたのも、何十年かぶりの芥川龍之介。
 芥川龍之介を読み直すきっかけになったのは、今昔物話でした。その際、時代や当時の人物等の注釈が必要なカ・リ・リ・ロにとって、左端に注釈は必須でした。それで、文春文庫現代日本文学館「芥川龍之介」の左端に注釈を見つけ、その後、同じく、ページ左端に注釈のあるちくま文庫「芥川龍之介全集 全8巻」にも手を出したというわけです。

 ☆写真は、上下とも京都 知恩院三門。 

京都8

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京都1

 お休みだった古筆のお稽古の再開と、桜の京都。天気も上々。
 平日午前中も早い時間なら、人出も少なく、万事OK。
 円山公園の枝垂れ桜は、もうかれこれ、50年近く見に行っています。が、こんなにゆっくり見られたことはなく、一時期、弱って気の毒に見えた、この枝垂れ桜も、元気な姿。よかった。
京都2
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 円山公園隣の知恩院さんの三門(国宝)も桜。
 境内の奥でも桜。
 春の風にあたりながら、ゆっくり、桜の花の満開の下。
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京都6

そして、紅葉(楓)も「花」盛り。

京都4

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ハンス・クシュバンツ

 2013クライネシャイデック (2)j
(承前)
 スイスの伝説を探していたら、昔、子どもたちがよく楽しんだ「世界むかし話」全17巻(ほるぷ)の「フランス・スイス編」(八木田宣子訳 堀内誠一・ロジャー・デュボアザン絵)に、ちょっと牛に因んだこんなお話がありました。

「ハンスのゆめ」
アルプスの山小屋にハンス・クシュバンツという若い牧夫が住んでいました。クシュバンツKuhschwanzというのは「め牛のしっぽ」という意味です。ハンスは貧しくて、世話をしている牛も自分のではありませんでした。アンナベーバリという女性の心をとらえることができたものの、その父親に「役立たずの牧夫」と反対されます。ハンスは、毎晩、自分が貧しいことを嘆いていると、ある晩夢を見ます。ハンスが橋の上に立っていると、一人の男がそばに来て、これからさき、一生ハンスを助けてくれるようなことを、何か言おうとした時…目が覚めます。この話をアンナベーバリに話すと、彼女も同じ夢を見たというのです。それで、ハンスは橋まで出かけ、見知らぬ人を待つものの、一向に現れません。帰ろうと考えているとき、その日、6度もその橋を行き来した男が、話しかけてきます。そして、ハンスが夢の話をすると、≪ばかじゃないのかね、「め牛のしっぽ」よりばかさ。わたしも、ゆうべゆめを見た。山小屋の床下に金銀のはいったつぼを見つけた、というゆめだ。・・・・≫ということで、ハンスは山小屋に戻り床板をあげてみると、そこには・・・・(後略)・・・・めでたし、めでたし。

 ドイツ語のことは、よりわかりませんが、「め牛のしっぽ」という単語に、「馬鹿じゃないの」と同等の意味があることを知りました。ふーむ。
 さて、この短いお話に目が留まったのは、他でもありません。話の出だしから、行ったことのある地名や山、その近辺の場所などが続いて書いてあったからなのです。

 ≪グリンデルワルトからオーベルハスリ谷へいく登山者たちは、シャイデック山道を越えなければなりません。シャイデックは有名な道です。その斜面から、ローゼンラオイ氷河と、まわりをかこむアルプス連山の美しい光景が見えるからです。≫

グリンデルワルトj

≪ハンスは、ツーンの町におりていきました。ツーンにつくと、ハンスは、橋の上にじんどって・・・・・・・ツーンは小さい町ですから、同じ人間が,橋の上を何度も通ります。≫
***ツーンの町は、トゥーン湖畔にあるThun(トゥーン)➡➡で、湖と町に、何本か橋が架かっています。
ニーゼンからj

橋j

≪足はいたむし、湖や遠くにそびえたっているニーゼン山をじっと見ているのにもあきました。≫
ニーゼンj

***ニーゼン山については、このブログでも書きました。➡➡ ➡➡確かに、トゥーンの町から見えます。

他のお話でも、スイスの地名が出てくる度に、あ~あとため息をつきながら、「スイスの昔話」を読みました。あ~あ

☆写真上から、クライネシャイデックでしっぽを振る牛さん。このシャイデックScheidegg(境)と話に出てくるシャイデックはちがうところのようです。赤い登山電車から写真を撮っている人たちは、真正面に見えるユングフラウなどを撮っています。
写真二番目は、グリンデルワルトの駅舎。
三番目は、ニーゼン山頂上から撮ったトゥーン湖、左端にトゥーンの町。
四番目はトゥーンの町と湖岸にかかる橋。
一番下は、トゥーンの湖から見たニーゼン山。

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スイスの絵本展

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 神戸ファッション美術館の「スイスの絵本展ークライドルフ、フィッシャー、ホフマンの世界」展(~2021年3月28日)に行きました。
 日本でも➡➡、スイスでもクラドルフ展➡➡に行ったことがあります。フィッシャー➡➡もホフマンも。
  あちこちで見ていても、優しい気持ちになれる彼らの絵を、再度見に行きました。
  展覧会のタイトルは「こわくて、たのしい スイスの絵本展」になっていますが、「こわい」というのはどこにあるのかと思いながら見ました。多分、グリムやスイスの伝説などのストーリーからの「怖い」というイメージかもしれませんが、ともかく、「怖い」より、楽しい。
 ただ、その「怖い」絵だと思われるスイスの伝説という本についての説明がなく、ちょっと残念。
 検索もしてみましたが、分からずじまい・・・で、上の写真にうつる「ウーリーの雄牛」がどんな話か、今のところ不明。とはいえ、その探す過程で、読み直したスイスのお話もあって・・・。
 
 それに、ドイツ語圏ではないとはいえ、スイスの画家のカリジェ➡➡が、「スイスの絵本展」に入っていないのも、少々残念ではありました。
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 スイスの自然を絵本に描いたなら、クライドルフかカリジェ。ステンドグラス作家であり、自分の子どものために作った絵本が基本にあるホフマン。明るいタッチで、見ているこちらも楽しくなるフィッシャー。パウル・クレーに師事し、センダックは、フィッシャーのファンで、スイスまで訪れています。・・・そして、フィッシャーは、スイスの教科書の絵を描いています。
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 この展覧会に行って、またスイスが、恋しくなってしまった。(続く)
☆写真は、上から、ホフマン、クライドルフ、フィッシャー

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カウボーイのスモールさん

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 「カウボーイのスモールさん」(ロイス・レンスキー文・絵 わたなべしげお訳 福音館)

 日本の文化とは、ほとんど関係のないカウボーイの生活ですが、スモールさんのシリーズでは、スモールさんのいろんな仕事を楽しめるので、子どもたちは偏見なく、この絵本を楽しみます。
 親しみを増すのは、スモールさんの可愛がっている馬のカクタスですが、いつものスモールさんと同じように、真面目に、きちんと仕事をするのが、スモールさんの魅力です。
 野外やカウボーイの泊り小屋で眠るスモールさん。牛を捕まえて焼き印[S]をつける手伝いをするスモールさん。野生の馬からドスンと落ちるスモールさん。
 スモールさんの動きは、わかりやすいので、子どもたちは、どのスモールさんも楽しめるのだと思います。

 さて、写真に立てられ写るのは、「カウボーイのスモールさん」ですが、下に写っているのは「スモールさんののうじょう」です。こちらにも、「牛」が描かれています。これは、朝早く起きたスモールさんが、牛の乳を搾った後、牛を家畜小屋から牧場に連れていくところのページです。
 そのあと、豚に餌をやり、にわとりにもあひるにも七面鳥にも餌をやり、トラクターで畑を掘り起こし、ならし、麦をかり、わらを運び、リンゴを取り、道で野菜を売り・・・・
 こちらも、わかりやすい絵とわかりやすい仕事の動きで、またもやスモールさんが好きになるのです。

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そらはすみ あおぞら

ピクニックjj

 懲りないで、また歌の絵本 手作りしました。孫たちが、その絵本持って歌ってくれる動画を見るだけで長生きできそうです。

 で、次のは、1~3番まである ちょっと長い歌でした。と、いっても、ほとんどが繰り返しの歌詞で、動物たちは、5種類出てくるだけ。(アヒルさん やぎさん にわとりさん いぬくん 何故かもう一度にわとりさん そして、牛さんも)
 この登場動物たちは、それそれ、ガアガア、メーー、コケッココー、わんわん、何故かもう一度、コケコッコー、モーーと鳴きます。
 はい、何の歌でしょう?
イギリス民謡を萩原栄一という人が訳詩した「ピクニック」という歌。
 ♪おかをこえ いこうよ くちぶえ ふきつつ♪

 前回の「はるがきたんだ」のときは➡➡、春の日差しとスイスの夏の日差しがマッチしなかったと書きましたが、今度は、明るいピクニックの感じがスイスの夏の感じにぴったり(と、勝手に思う)。ただ、丘というより、アルプスですが・・・

 ・・・・と書いてからUPするまで時間があったので、また、もう1冊つくりました。ちょうちょう(歌詞:野村秋足・曲:スペイン民謡)です。今度は、以前住んでいた 庭のある家で撮った蝶や花の写真で埋めました。

ちょうちょj

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踏ん張った牛

アイガーjj

(承前)
 昨日のように、牛が力強い象徴として伝わる話➡➡は多いのですが、単に、体力的な力強さだけでなく、その心も強いと表現しているお話もあります。
 それは、「いまは昔、むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)の第三巻「鳥獣戯語」に載っています。やはり今昔物語です。

  夕暮れに、牛小屋に入れられるのを忘れられた牝牛と子牛が、田んぼで草を食んでいると、狼がやってきます。母牛は、子牛をかばおうと、狼の動きに合わせ、ぐるぐる回り。するうち、片方の崖が土塀のように切り立ったところに狼が背を向けたちょうどそのとき、母牛は真正面から寄って行き 突きました。母牛は、満身の力を込めて、狼を角で突き続け、狼は死んでしまいます。
 が、母牛は、狼がまだ生きていると思ったのか、角を突いたまま、夜通し踏ん張ります。
 夜が明けて、牛小屋に入れ忘れたことに気づいた牛の主が見に行くと、狼を追い詰め、まだ角で突いたままの母牛とそばで鳴きながら座っている子牛を見つけます。
 それで、牛の主は「なんとかしこいやつだ」と言って牛をほめ、うちに連れ帰ったというお話。

 第3巻「鳥獣戯語」というタイトルですから、牛の話だけでなく、たくさんの鳥獣の話が載っています。また、大きな目次だけ記します。
 翼あるもの、地を走るもの
 神か神の使いか妖怪か
 狩人・王・荒えびす
 血と肉の祭り、豊穣の祭り
 ”生”の品位
 人と野生をつなぐもの
 楽土の夢想

☆写真は、スイス 向こうにアイガー

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黄斑の牛

北野jj

(承前)
 今度は、「黄斑」。
 あめまだらの牛の話です。こちらは「いまは昔、むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)第二巻「天の橋 地の橋」にありました。

また、第二巻の大きな目次だけ書きます。
「最初の橋を見つけた!」
「だれが橋を架けたのか?」
「橋の神秘」
「橋は別世界との通い路」
「橋にひそむもの、川にひそむもの」
「川をゆく――淀川水系の場合」
「都の橋 京・大坂・江戸」
・・・中には、「だいくとおにろく」や「さんびきのやぎのがらがらどん」や「一寸法師」などの話も入っています。

 それで、「黄斑の牛」がでてくるのは今昔物語「河内禅師の牛」です。大意が現代語にされて書かれています。
≪・…当時、河内禅師のところに黄斑の牛が飼われていたが、その牛を知人が借りうけたいというので、淀へ牛をひいていかせた。ところが、樋集(ひづめ)の橋にさしかかると、牛飼いの車さばきがへたで、片方の車を橋から落としてしまった。それにひかれて牛車も橋から落ちていく、ああ、落ちる落ちる、と思っていると、牛は足をふんばってぐっとこらえ、じっと動かずに立っていた。とうとう鞅(むながい)が切れ、牛車は落ちてこわれてしまったが、牛は落ちずに橋の上にとどまった。人は乗っていなかったので、けが人はなかった。力の弱い牛だったら、引かれて落ちて、牛も大けがをしたことだろう。なんとすばらしい牛の力だと、そのあたりの人たちもほめちぎった。・・・・・≫

 なるほど、力強い牛の象徴として「黄斑牛」が選ばれたのですね。
 ちなみにこ樋集橋のことを調べてみましたが、この字の橋や地名は見当たりませんでした。ただ、ひづめ(獣の蹄と同じ音)の字が樋爪という地名は、京都南部桂川(やがては淀川になる近く、淀樋爪というところが見つかりました。(続く)


北野

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黄牛を埋める

牛絵巻j

(承前)
 それで、 「黄牛」はどこで目にしたかというと、それは、「いまは昔 むかしは今 全5巻」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)第1巻「瓜と龍蛇」➡➡

 この本の前半は、いわゆる七夕伝説を中心に書かれていて、瓜が天の川の元なったという「天稚彦草紙」の絵巻から始まるのです。大著なので(全体で400ページ以上)、とりあえず、大きな目次だけ。
「瓜から天の川が流れ出す?」
「一夜杓とは何か?」
「西の京の女とは何者か?」
「瓜、瓢箪、夕顔をもう一度よくみてみよう。」
「瓜や瓢箪の中からは、思いがけないものが出てくる」
「水に浮かんで,ふしぎなものが流れ寄る」
「龍か蛇か」

 さて「黄牛(あめうし)」は、各地の『さまざまな天人女房の話』を集めた中、長崎の天人女房のところに出てきます。
≪木挽きの源五郎が、天女の着物を隠して女房にするも、子どももでき安心したので女房に着物を見せると、女房はそれを着て「会いたくなったら、黄牛を千匹埋め、ブナの木の種をまけ」といって天へ帰ってしまいます。源五郎が999匹の黄牛を埋め、ブナの木の種をまくと、ブナの木は天にとどいた。源五郎がのぼっていくと・・・・・≫

 なぜ、赤牛でなく、短角牛でなく、黄牛なのかは、不明で、少々落ち着かないものの、ともかく、役牛としての牛の話は、昔からたくさんあったようです。ただ、大陸から渡来するまでの古墳時代以前は、馬牛は日本に居なかったとありました。また、仏教では動物の殺生が禁じられていたこともあって、さらに、奈良時代には、食するのが禁じられ、牛は、役牛としての位置であったようです。素人としては、牝牛の乳を飲んだりもしなかったのかと、素朴な疑問は残るものの、(貴重な発酵品はあったようですが)、命令を守る素直な国民としては、長きにわたって、牛さんを食べることに利用なんて考えもしなかったのだろうと考えます。(続く)

☆写真は、「瓜と龍蛇」に出ている「天稚彦の草紙」絵巻(室町時代初期)

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黄牛

黄牛14
 「黄牛」の読み方、知りませんでした。
「あめうし」(または「あめうじ」)と読むようです。あめは、飴。つまり、飴色のうし、薄い黄褐色の牛のこと。それにまだらがあれば、黄斑(飴斑)。へぇー。*ただし、黄牛(おうぎゅう)と読んで、中国。東南アジアの首にこぶのある農耕牛をさす場合もあるようです。

 本棚をかき回していたら、一番上の棚のその奥に横たわっていたのが、「いまは昔 むかしは今」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)の全5巻と索引本。

 この本は、初め、出版されたのが1989年です。当時、昔話にはまっていた9歳の長男が、この大きな本をよく読んで(見て)いました。が、次に出版されたは二年後。息子は、次の刊行を心待ちにし、問い合わせたくらい。が、その後、二年おきに刊行されたものの、最後の5巻目と索引は4年のブランク。結局5巻そろったのは、1999年。11年かかってやっと完結。息子はそのとき、19歳の大学生。5巻そろったのも、知らないかもしれません。

 それで、息子が楽しんでいたことだけを覚えていて、この母親は、その本の内容をしっかり読んでいたか?少々の書き込みはあるものの???・・・・で、いま、読んでみると、これは凄い!大変だぁ…ちゃんと、読もう・・・ということで、とりあえず、牛関連だけでもと考え、索引を引いたところで、見つけたのが、先の「黄牛」の項目でした。 (続く)

*すでに、「牛が座り込む」➡➡で、「いまは昔 むかしは今」第一巻「瓜と龍蛇」(網野善彦・大西廣・佐竹昭宏 福音館)のこと少し書いています。

☆写真は、スイス クライネシャイデックの牛なので、日本の黄牛とは違う種類と思います。

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風にのってきたメアリーポピンズ

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 かつて、海ねこさんに書かせていただいたように、【「本の小部屋でティータイム」NO3➡➡】、カ・リ・リ・ロが『メアリー・ポピンズ』シリーズ(P.L.トラヴァース作 林容吉訳 メアリー・シェパード 挿絵 岩波書店・岩波少年文庫)に出会ったのは、第1子がおなかいる時期、それも10月生まれの子どもでしたから、夏休みの頃でした。

 そして、カ・リ・リ・ロが子どもの頃に出会った本は講談社の昔話絵本だとか、小公女だとか、有名なものが多かったものの、エルマーのぼうけんに出会った時の楽しさ、ドリトル先生の可笑しさ、長靴下のピッピの斬新さ、足ながおじさんの面白さ・・・のような翻訳ものに出会った喜びは、この歳になっても、しっかり覚えています。
 結局、教員養成の大学に入ったものの、滑り止めには、当時としては、珍しかったと思われる児童文学コースがあった私立の文学部に受かっていました。 教員だった父親の助言もあって、あるいは、家計の都合もあって、仕方なく・・・教員養成学部に。ま、それが、結果、人に何か教えたい(伝えたい)というおせっかい精神につながり、今も、教壇に立ち、こうやって見ず知らずの人にも発信しているのですから、何があるかわかりません。

 さて、「風にのってきたメアリー・ポピンズ」には、通り名「赤牛」という牝牛の話が入っています。緑の生垣と空に囲まれた野原が、彼女の世界で、朝はいつも娘の赤子牛に勉強をさせ、午後には、しつけのよい子牛が知っておかなければならないことを教え、夕食では、子ども牛によい草と悪い草の見分け方を教え、夜になって子牛が寝てしまうと、野原の隅で食べ物の噛み直しをしながら、やっと自分の静かな、もの思いに耽るのでした。

 ところが、ある晩、赤牛は突然踊りだし、踊り続け、王さまのところへ・・・踊りをやめよと命令されても、踊りをやめられません。
 そこで、書記官が百科辞典で調べると、「月を飛び越えた牝牛の話」➡➡だけが出てきます。
 「ききめがあるかもしれない」と王様に言われ、やってもみる牝牛。・・・・・・で、無事、もとの野原に戻り、草をむしゃむしゃ、規則正しい生活に戻りましたとさ。

   ・・・・・・では、なくて、もう一段落ちがありますけれど。読んでみてください。

☆挿絵のメアリー・シェパードは、先日、ご紹介したプーさんやたのしい川べの挿絵を描いたE.H.シェパードの娘です。➡➡ 画風がそっくり!

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はるのかぜがふいてきたら

春の風
 先日、(といっても、実際には2か月前)作った、「べこのこ うしのこ」の手作り絵本➡➡を、手にして歌う孫の姿を見て、元気をもらったばあばは、また 作りましたよ。(これも、すでに1か月前)

 2月頃から、暖かい晴れた日に歩いていると、ついつい口をついて出てくるのが♪春の風がふいてきたら~♪の唄、この歌については、ここでも書いていますが、➡➡  ➡➡、長男が2歳半の時に保育所で覚えてきて歌ってくれて以来、春の風が吹いたら、口ずさんでおります。

 それで、この歌の絵本を作りました。「春がきたんだ」 ともろぎゆきお作詞 峯陽 作曲

 スイスは、いつも夏に行っていたので、写真に写る 日差しがきつく、春のイメージから少々遠い感じでした。そこで、♪めだかも ちょうちょも ことりたちも♪のところで、蝶の写真しか使いませんでした。しかしながら、春といえば、よくイギリスに行っていたので、その頃の花や庭園の写真などを使いました。

☆写真に使ったのは、英国 クッカム近郊 クリヴデン宮殿の花壇。

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いかなごの季節

かわせみ50
 高級魚になったとしても、神戸生まれ神戸育ちのばあばとしては、いかなごを少しでも、炊かないと春が来ない・・・のではないかと、思ってしまい、明石の魚の棚まで買いに行く始末。報道されていたより、小ぶりで、本当に綺麗。
 
 この冬は、高級魚の氷見のぶりも、島根ののどぐろも食べることができました。東京の料亭などの需要が減ったから、回ってきたと魚屋さんは言っていました。それでも、高かったけど…
イカナゴ

 コロナ禍、自粛生活で、家での行動や、家の中の装飾を見直す時間が増えたと言います。日常を考えるとマイナスは多いけれども、ちょっとした非日常にも楽しみがあるのが、わかる日々でもあります。

 保存食を作ったり、歩く距離を延ばしたり、一人でも、お茶を入れて、ゆっくり飲んだり、今まで手を出さなかったような本の読書をしたり・・・・。

 まだ、まだ続くであろう毎日を、一回きりの今日の日を、楽しく過ごしていきたいものです。

ことり25 (2)

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マルタンとマルチーヌ

カワセミ18
(承前)
 かわせみの出てくる絵本なら、ここでたくさん紹介できそうなくらい、カワセミの写真が撮れています。
 が、カワセミが主人公という絵本は、「かわせみのマルタン」(リファ・フォシェ文 フェードル・ロジャンコフスキー絵 いしいももこ訳 福音館)。とはいえ、ここで、すでに紹介しています。➡➡ その時の写真は、カ・リ・リ・ロが撮ったものですが、今日のは、新人カメラ愛好家の撮ったもの。
 
 さて、まだ冬も寒い時期、近隣に住む、娘の夫が、「近くの川下で、二羽のカワセミを見た」という情報を送信してきました。今まで、一羽見つけるのがやっとのことでしたから、ん? 調べてみると、縄張り争いのしっかりしたカワセミは、群れて住んではいない・・・ということ。
 つまり、この2羽は、番い?
 ところが、娘の夫は、在宅勤務中、運動不足解消の昼休み散歩で、情報をくれたものの、その日以来、二度と二羽では見ないとのこと。

 それで、番いのマルタンとマルチーヌの話「かわせみのマルタン」を引っ張り出してきました。
≪土手のきりたったところに、かわせみのマルタンが、しっかりしがみついて、するどいくちばしで、穴をほろうとしているではありませんか。しかも、―――ああ、これは、わたしの見まちがえでしょうか。いいえ、やっぱりまちがいではありません。―――ふるえるヤナギのカーテンの、むこうにいたのは、一羽ではなく、二羽のかわせみでした。わたしは、思わず「あっ」と、さけびました。とたんに魔法はやぶれ、二羽の青い鳥は、矢のように葉のかげに消えました。≫
 そして、マルタン水辺の土手に穴を掘り、1メートル以上もある深いトンネルの奥に巣作り。マルタンとマルチーヌは、巣に敷く魚の骨を探し回るという話の流れです。≪じき、生まれてくるひなたちにとって、魚の小骨でつくった、ゆりかごほど、気持ちのいいものはないのです。≫
 へぇー!そうなんだ。
 が、≪おや、どうしたのでしょう。きょうは、マルタンが、ひとりで漁に出かけます。そして、マルタンは、とった魚を食べずに、くわえて、巣へととんでいきます。ああ、わかりました!マルチーヌが、たまごをだいているのです。≫
 そして、日が経つと、マルタンは飛び回り、トンボやハエをとりはじめます。≪かわせみのたまごが、かえったのです!かわせみのひなは、魚でそだてることはできません。それに、トンボやハエだって、小さくちぎって。食べさせなくちゃならないのですよ。≫

 ・・・・意外と身近にいた かわせみ。その本を、もっとたくさんの子どもたちも楽しんでほしいと思います。身近な自然に気がつくところから、いろんなことも見えてくるでしょうから。


かわせみ27

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カメラじいじ

めじろj
 カ・リ・リ・ロが写真を撮るのが好きなのは、父親から受け継いだものと考えられます。➡➡しかも、昔と違って、フィルムカメラではないので、いくらでも撮ることができるので、気楽です。
 夫は、2019年夏に行ったスイスで、携帯カメラでもいいのが撮れて以来、カメラに、カメラ自体に興味がわき、今や一眼レフを抱え、休日等、近場をうろうろ。特に、歩いて行ける近場、あるいは、職場近辺に、川や池や木々があって、そこに暮らす鳥たちを撮るのが、面白い。いいカメラとレンズ(まだ、不満があるようですが・・・・)を手にした夫は、シャッター速度、露出などなど、カ・リ・リ・ロは、まったく気にしなかったことに力を注ぐカメラ愛好家となっています。

 以前は、小鳥・・・と、十把一絡げに見ていた夫が、その鳥の名前を調べ、鳴き声の違いに気づき、花の蜜を吸うメジロ、地を這うように虫を探すウグイスの違いを知り、縄張り意識の高いカワセミは、それぞれの川・池で見かけ・・・など、奥が深い世界に片足突っ込んでいます。

 昨今、彼のような、カメラをぶら下げたじいじたちは、近辺、出没しているようで、若い人なら、「いまここに、○○いるよ」とツィートしそうな場面も、カメラをぶら下げたじいじたちは手招きで、声をひそめ「ほら、あそこ。あそこ」と指さし等で、情報交換しているようです。中には、双眼鏡も首からぶら下げ、小鳥たちを探し出し、カメラでパシャリ。というじいじたちも居るらしい。
 実際、知り合いの定年退職したじいじは、撮影した鳥の写真を、今や同僚ではなくなった娘にラインを通して送ってきています。この人も、いわば、近隣にお住まいなので、もしかしたら、夫とどこかですれ違っているということは大いに考えられます。

 さて、最近、ここに掲載した鳥の写真の何枚かは、夫の写真を、勝手にトリミングしたりしながら使っています。(ただ、夫の写真を掲載しても、撮影&CO.のイニシャルを入れる手間を省いていますが・・・)(続く)
☆写真上は、紅梅にメジロ。写真下は、コゲラ。小さなキツツキです。
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おいしい草の生えている草場 

詩4

(承前)次なる訳詩集二冊は、間崎ルリ子訳によるもの。
上の写真に写る青い絵は、「詩集 ある子どもの詩の庭で」(こぐま社)の「め牛」の絵。詩を書いたのは、「宝島」などのロバート・ルイス・スティーブンソン。挿絵のイーヴ・ガーネットは、「ふくろ小路一番地」(石井桃子訳 岩波少年文庫)で、絵も文も書いています。

≪「め牛」
ぼくはだいすき、
茶色と白のやさしいめ牛、
いっしょうけんめい、ミルクを出してくれる。
・・・・・(中略)・・・・
風に吹かれて、雨に降られて
しっとりぬれてもめ牛は歩く、
おいしい草の生えている草場、
そして食べます。野に咲く花を。≫
詩5

一番上の写真で、下に写る絵は、「詩集 ライラックの枝のクロウタドリ 」(瑞雲舎)で「め牛たち」の絵。詩を書いたのは、ジェイムズ・リーブスで、翻訳されていませんが、たくさんの詩集を出しています。また、この挿絵のエドワード・アーディゾーニとは、「月曜日に来たふしぎな子」(神宮輝夫訳 岩波文庫)でも、組んでいます。

≪「め牛たち」
あるねむたい五月の日、
半日は草を食べ、
あとは一日中、水をたたえた草地に横たわり、
         もぐもぐと噛みかえし――
         モーオ、モーオとなきながら――
日がな一日過ごしてる。
・・・・・(後略)・・・・≫
この引用は、最初のフレーズですが、同じものがあと3回続きます。(ただし、最終の最終文言のみ少し違います)

テムズ牛

間崎ルリ子訳による詩集はもう一冊「孔雀のパイ」(ウォルター・デ・ラ・メア  瑞雲舎)もあり、これには、「牛」の詩が入っていませんでしたが、エドワード・アーディゾーニ絵によるものです。

☆写真は、2番目、3番目共に、英国 オックスフォード近郊

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パンにお塗りのバターです

     詩2
(承前)
 子どもの詩集の中に、「牛」の詩は?と思ったときに、一番に浮かんだのは、その詩ではなく、この写真にうつるさし絵でした。
 このイラストは、「A.A..ミルン童謡集」(山田正巳訳 中日文化)ですが、この画家E・H・シェパードで有名なのは、「くまのプーさん」(石井桃子訳 岩波)「たのしい川べ」(ケネス・グレアム 石井桃子訳 岩波)です。また、風刺画誌「パンチ」で、たくさんの仕事をし、メアリー・ポピンズの挿絵を描いたメアリー・シェパードーの父親です。(メアリー・ポピンズの牛のことは、後日掲載予定。)

 閑話休題。
 この絵は「王さまの朝ごはん」につけられたイラストです。
 王様のパンの一切れにつけるバターを求めて、女王様、乳搾り女、そして牝牛が登場。
≪・・・・・(前略)・・・・
「陛下のパンの一切れに つけるバターを忘れちゃだめよ」
牝牛は ねむそに言いました
「陛下に おつたえ下さいな 今じゃあ みんな それよりも マーマーレードがお好きです」
乳搾り女は言いました
「あらまあそう」って言いました
そしてゆきます
女王さまへ
腰をかがめて御挨拶
顔を赤らめ言いました
「まことにぶしつけ すみません 失礼ですが 女王さま
マーマレードは 濃く 塗れば 大へん 美味しゅうございます」
・・・・(後略)・・・≫
と、いう流れですが、このイラストの箇所は
≪「それはそれは」と牝牛さん
「そんなつもりじゃなかったの
はいはいここにございます
オートミールのミルクです
パンにお塗りのバターです」≫
(続く)

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きみも来たまえ

詩1
(承前)
 「べこの うしのこ」(サトウハチロー詩)➡➡のような歌になった詩は、身近に感じますが、「詩」そのものは、日本では、何故か敷居が高く感じる人も多いようです。

 それで、「牛」の絵本やお話と一緒に「牛」の詩も探したら、瀬田貞二編「幼い子の詩集 パタポン1・2」(童話屋)の中にありました。

 まずは、日本の丸山薫「風」の一部、
≪繁みの中で一と声、牛が鳴く。
 枝が一斉に打ち消すようにそよいで、
 まちまちに静かになる。
 繁みの中で一と声、牛が鳴く。
 枝が一斉に打ち消すようにどよめいて、
 まちまちに笑い痴ける。
……(中略)・・・
その笑いに重ねてもう一と声、牛が鳴く。≫

 目に見えるよう、というか、耳に聞こえてくるよう。

阿部知二訳のロバート・フロスト「牧場」も載っています。
≪牧場の泉を掃除しに行ってくるよ。
 ちょっと落葉をかきのけるだけだ。
 (でも水が澄むまで見てるかもしれない)
 すぐ帰ってくるんだから――君も来たまえ。
 小牛をつかまえに行ってくるよ。
 母牛(おや)のそばに立っているんだがまだ赤ん坊で
 母牛(おや)が下でなめるとよろけるんだよ。
 すぐ帰ってくるんだから――君も来たまえ。≫

すぐ帰ってくるというのが、いいですね。ちょっと見てみたい、でも、安全な場所だろうか?好奇心の塊の子どもたちの心をくすぐります。
 別の編詩集にも、「牛」の詩あります。(続く)

☆写真は、阿部知二訳のロバート・フロスト「牧場」の原文 ”The  Pasture" 。
”You Come Too"(Illustrated Cécile Curtis *Bodley Head London) 蛇足ながら、この本の序文は、エリナー・ファージョンです。この関係については、またいつか・・・

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べこのこ うしのこ

べこのこ10
(承前)
 赤ベコのことを話している際、「べこのこ うしのこ」の唄を思い出し、歌いだしたのは、この年寄り夫婦。
 が、30代の娘たちは知らないといいます。え?歌ってない?

 孫たちの歌好きは、その母親譲りで、ともかく、よく歌います。今のところ孫たちは、テレビ(マス・メディア)を見ていません。なので、保育所で習った歌か、歌の絵本を見ながら、母親が歌ってくれる童謡・わらべうた中心です。母親は、歌の絵本を見ながらとはいえ、かつて、その母親が歌った歌ばかり。そのなかに、この「べこのこ うしのこ」は入っていなかったようなのです。複数ある、歌の絵本にも入っていなかったし・・・何故なのか、ちょっと、不思議です。

 ・・・・ともあれ、サトウハチロー作詞の一番の歌詞は、
≪べこのこ うしのこ まだらのこ かあさんうしに よくにたこ おおきくなったら おちちをだして ふもとのまちの あかちゃん そだて もうもう なかずに なかずに おあそびね≫
 二番は、とうさん牛、三番はおばさん牛と続きます。トンボもちょうちょもでてくるし、おっとりしたいい詩です。最後の繰り返しも、楽しい。 (続く)
 
そうか・・・・
 そこで、ばあばは、市販のホワイトブックに、スイスやイギリスで撮ってきた牛の写真を貼り、歌詞をつけて、孫たちのために 小さな歌の本をつくりました。
 自己満足 出来る形になって、気をよくしたばあばは、他の歌も、できるかなと考えています。

☆写真の木彫りの子牛像は、スイス グリンデルヴァルト。アイガービューの広場にありました。

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あかべこのおはなし

赤べこj
 (承前)前回、写真の隅っこにちょこっと写っていた、赤べこの話です。

 「あかべこのおはなし」(わだよしおみ文 わかやまけん絵 こぐま社)
 会津の民芸店の仕事場で、木型に合わせて作られた紙の張り子・・・それが、「赤べこ」です。
 今 出来たばかりの「赤べこ」は棚に並べられ、会津磐梯山が紅葉で赤いのを見ます。買われた家でも、山に行ってみたい「赤べこ」は猫に頼んでみたり、カラスに頼んでみたり、お城から飛び降りてみたり、そこで出会ったカエルに頼んでみたり、次はいたち、次は亀。ついに着いた山の登り口では、のうさぎに「おやまのみちは けわしいよ。」
「でも、ぼくは のぼりたいんだ。」
≪ゆっくり あるけ。 ゆっくり あるけ。 まっすぐ のぼれ。まっすぐ のぼれ。すべって おちて それでも のぼる。あしが おもい。めが まわる。「ちょうじょうだ。」・・・・(中略)・・・・もみじの ばんだいさんに ゆうひがてって まっかです。あかべこは とても しあわせでした。≫

  「あの山に行ってみたい」・・・どこかに行きたい、外に出たい・・・この願いは、子どもたちにわかりやすいものですが、最後は「しあわせでした」という抽象的な表現。これは、なかなか、幼い子どもにはわかりにくい。子どもの話としては、抽象的なものから 幸せというのは、わかりにくい。あたたかいご飯がまってる。おかあさんのハグがまってる。おいしいおやつがある。・・などなど。子どものための≪どこかへ行って戻ってくる、行きて帰し物語≫は、具体的なものが 待っているのが、わかりやすい。

 この絵本が大人向きであるというなら、なんの文句もないのですが、赤い山で佇んで終り・・・というのは、ちょっと残念。せめて、みんなで行ったとか、報告に帰ったら、みんなが待っていたなどなど、子どもたちも、ああ、よかったと思える結末であったら、よかったなぁ・・・

☆写真は、「あかべこのおはなし」の上に、招福舟の紅白張り子の牛。絵本と同じ会津のものです。

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