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みんなみすべくきたすべく

多いこと、多いこと

ろうばいj
 
例年のことながら、秋辺りから、まず、クリスマス絵本を全部出し、次は、クリスマスカードのために(訳出するために)本を探し、次は、干支の本を引っ張り出し、その関連本も次々出し・・・しながら、改めて 気づくのは、読んでない本、読み足りない本、もう一度読みたい本の多いこと、多いこと。
 残された時間の割に、残された本の多いこと、多いこと。
 さらに、新しい興味に伴う読みたい本、知りたいことの 多いこと、多いこと。
 コロナで突然ということも考えられる昨今、もっと本気で、本を読もうと決意した1月が終り、春は近いはず。

☆写真は、雨上がりの蝋梅。

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月を飛び越している牛

     月を飛び越している牛さん1
(承前)
 この際、本棚(本積み場所)から引っ張り出した「ヘイ・ディドル・ディドル」の月を飛び越している牛の他の絵本を、ご紹介。

 この中で、カ・リ・リ・ロの一番好きなのは、
上の写真右、チャールズ・ベネット絵「ばあやが聞かせるわらべうた OLD NURSE'S BOOK」(ほるぷ:復刻 オズボーンコレクション 1858)の お上品に月を飛び越している牝牛さん。思わず、笑ってしまいます。跳び箱上手な牛さんに。

 写真中央、ブライアン・ワイルドスミス絵「MOTHER GOOSE」(Oxford U.K..1964)の月を飛び越している牛さん。
 写真左、「フレーザーのわらべうた Nursery Rhymes」(ほるぷ 復刻マザーグースの世界Ⅱ 1916)の 月を飛び越そうとしている牛さん。

さて、下の写真
月を飛び越している牛さん
右上「NURSERY RHYMES NO3」(アルフレッド・コロウキル画:ほるぷ 復刻マザーグースの世界 1865)の月を飛び越している牛さん。
右下「AUNT MARY'S NURSERY RHYMES.」(ウィリアム・マッコーネル画 HURD & HOUGHTON ほるぷ 復刻マザーグースの世界 1866)の満月を飛び越している牛さん。
左「MOTHERGOOSE」(アーサー・ラッカム画:ほるぷ 復刻マザーグースの世界 1913)の満月を飛び越している牛さん。

 満月飛んでる牛さんも居るし、三日月飛んでるのも居る。でも、やっぱり、一番、おちょくっているのは、チャールズ・ベネットの絵。跳び箱まがいになっているお月さまには、足がついている!

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めうしが おつきさまを とびこす え

つきをとびこしている
➡➡承前)
 マザーグースの中に「Hey,diddle,diddle ヘイ・ディドル・ディドル」があって、月を飛び越している牛が出てきます。
 歌は簡単で、ナンセンス。
 ≪ヘイ・ディドル・ディドル  ネコとヴァイオリン  メウシが月をとびこした  ちいさいイヌがわらったよ そんな冗談を見せられて  そして、お皿とお匙がかけおちだ。≫

 うちでは、マザーグースでアプローチしたのではなく、「おやすみなさい おつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)のなかで部屋に飾られている「めうしが おつきさまを とびこす 絵」(写真上)でなじみ深い。この絵本は、うちでは、ぼろぼろ本の一冊です。何度読んだことでしょう。何度読まされたことでしょう。末っ子が、繰り返し繰り返し読めとせがんだことだけは、未だにはっきり覚えています。 繰り返しのリズム、響きのいい言葉、段々フェイドアウトする部屋、そして静寂。「おやすみなさい」の繰り返しが心地よく、読むほうまでが、安らいだものでした。

 が、マザーグースの元唄は、もっと元気よく、愉快に。という感じでしょうか。
 そして、このマザーグースでも、センダックは、コールデコットをこう言います。
≪音楽が歌詞のあらゆる陰影やニュアンスを高め、より大きな意味を与えるのと同じように、コールデコットは絵によって歌に照明を当てています。これこそほんとのマザーグースです。即興音楽さながらの驚くべき空想が、歌のまわりで愉快にはしゃいでいるかのようにリズミカルに跳ね踊り、しかも決して度がすぎて不調和になったりはしていません。もしもマザー・グースの名と永遠に結びつけられるに値する名前があるとすれば、それはランドルフ・コールデコットの名前です。子どもが最初に出会う何冊かの本の中には、必ず彼の本が含まれているべきです。≫
       「センダックの絵本論」(脇明子・島多代訳 岩波)

☆写真は、右が、ウォルター・クレイン「BABY'S Opera」(ほるぷ:復刻 マザーグースの世界 1877) の表紙(、左が、コールデコット「Hey,diddle,diddle」福音館 (解説書  ブライアン・オルダーソン 吉田新一 辻村益朗、正置友子)、上が「おやすみなさい おつきさま」

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Here Comes The Sun

ノアj
 アメリカの大統領就任式で、レディー・ガガ➡➡が国歌斉唱していましたね。上手いなぁ。胸に着けていた大きな黄金のブローチ、オリーブの枝をくわえた鳩でした。

 同じ式典で、22歳の女性詩人アマンダ・ゴーマンが、詩The Hill We Climbを朗詠。この若さの人を選ぶアメリカに感心。

 あとからみた、トム・ハンクス司会で、リンカーンの座るリンカーン記念堂の前で行われた米大統領就任記念コンサート(イブニングコンサート)にも、魅了されました。ヨーヨー・マも含め、多数の歌手たちが出演するも、カ・リ・リ・ロには、ブルース・スプリングスティーンとジョン・ボン・ジョヴィくらいしかわからない。じいさんになっている二人ともよかったし、特にジョン・ボン・ジョヴィの歌うビートルズのHere Comes The Sun。軽くて明るくて、前向きでよかった。
 歌詞の最後 It's all right.の繰り返し。 心が 落ち着きます。
 ≪Here comes the sun, and I say It's all right ほら、太陽がのぼってきた 大丈夫なんだよ≫

 他国のことながら、今は、地球上に 歌が響くように願います。
 そして、詩人のアマンダ・ゴーマンさんの詩の最後、
≪ there is always light   いつも 光は そこにある
if only we are brave enough to see it 光を見る勇気さえあれば
if only we are brave enough to be it 光になる勇気さえあれば≫
 
☆写真は、ピーター・スピアーの絵本「ノアのはこ舟」(松川真弓訳 評論社)

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睡眠、運動、そして他者との関わり

ツグミ12

 確か、年末のNEWSに、知らない女性を殺した容疑者の、事件前、事件後の行動について書かれていた文がありました。容疑者は、事件前も事件後も、スマホで検索を続けていたという事実でした。殺人を犯してまで、まだ検索を続け、死亡確認や、自分の事件の露呈を検索し続ける尋常ではない心理状態に驚きました。その一文には、この「スマホ脳」(アンデッシュ・ハンセン 久山葉子訳 新潮新書)のことが、ほんの少し触れられていました。
 で、手に入れましたら、この本2020年11月に出版されたばかりの本でした。しかも、「コロナに寄せて」という2020年4月に書かれた新しいまえがきまでついています。著者はスウェーデンの精神科医アンデッシュ・ハンセン、読みやすい訳は、スウェーデン在住の女性。*後日、日経新書ランキング(1月11日~17日)の一位になっていました。

 保育を担当している以上、少しは知っていることも書かれていたのですが、ほとんどは、その臨床経験と大いなる危機感から書かれた1冊でした。
 で、情報として、ここでいい加減なこと書くより、とりあえず目次(章題)のみご紹介します。
第1章 人類はスマホなしで歴史を作ってきた  第2章 ストレス、恐怖、うつには役目がある  第3章 スマホは私たちの最新ドラッグである  第4章 集中力こそ現代社会の貴重品  第5章 スクリーンがメンタルヘルスや睡眠に与える影響  第6章 SNS---現代最強の「インフエルエンサー」  第7章 バカになっていく子供たち  第8章 運動というスマートな対抗策  第9章 脳はスマホに適応するのか?  第10章 おわりに  デジタル時代のアドバイス 

 「コロナに寄せて」という新しいまえがきにあった一文だけ、ここに引きます。
≪睡眠、運動、そして他者との関わりが、精神的な不調から身を守る3つの重要な要素だ。≫ 

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乳しぼりの娘

6ペンス2
 
 コールデコットの「乳しぼりの娘(The Milkmaid)」には、立派な牛が描かれています。それに、ここ何回か書いてきたカケスやカササギ、コマドリやクロウタドリの果たしてきた役割を二匹の犬がやっています。(写真、右隅)

 古謡の「乳しぼりの娘」をコールデコットなりに絵本にしていますが、始まりは、貧乏地主の息子に母親が助言するところ。
――「お嫁さんは持参金付きの人を探さなきゃダメよ」
 それで、息子は、乳しぼりに出かける途中の娘に出会い、「美しい娘さん、どちらに行かれますか?」「ご一緒してもいいですか?」とナンパ。娘の父親が農家のお百姓だと知ると、「美しい娘さん、結婚してください。ところで、持参金は?」と、強引に迫るものの、娘の答えが「持参金は、私の顔よ」と知ると、「じゃあ、結婚できないなぁ」。
 娘は「結婚なんか頼みませんでした!」「頼んじゃいませんよ!」「ぜったいに!」「誰も頼んじゃいませんよ、結婚なんか!」
・・・・というわかりやすいものです。
 最後のところは、その無礼な息子を取っ捕まえ、牛の背中に乗せ、牛は息子を水の中にほおりだし、息子はびしょぬれになってとぼとぼ帰っていくシーン。向こうの牧草地では、娘と他の乳しぼりの女性と牛が一緒になって小躍りしています。

 さて、息子の犬はというと、まずは、お屋敷と思われる部屋の中で主人に甘え→ 馬で出かける横を走り→ 娘に出会ったときには娘の犬と出会い、ちょっかいかけるような風情→主人が娘と並んで馬を進める横で、娘の犬と寄り添い、はしゃぎ、向き合い・・・するも、持参金が顔だと娘が答えた辺りから、二匹の犬にも、ちょっと距離が→ 娘が、犬の主人を追い返すシーンでは、娘の犬は吠え、屋敷の犬は身を小さくし、追いかけられ→そして、最後、娘の犬が吠えるなか、屋敷の犬は、主人と一緒に とぼとぼ。

・・・と、いくら ここで書いても、センダックのいう「コールデコットはイラストレーターであり、作詞家であり、振り付け師であり、舞台監督であり、装飾家であり、演劇人でもあります。とにかく彼はすごいのです。…」が、伝わらないのが残念。(続く)

*「センダックの絵本論」(モーリス・センダック著 脇明子・島多代訳 岩波)

☆写真は、コールデコットの絵本「The Milkmaid」 福音館 (解説書  ブライアン・オルダーソン 吉田新一 辻村益朗、正置友子)

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誰が 殺した コマドリを?

コックロビン 
(承前)
「マザーグース」の唄は、ナンセンスが基本とはいえ、「誰が殺したコマドリを?」の最後に牛が来るのも、ちゃんと韻を踏んでいてのことです。

 ≪誰が弔いの鐘を鳴らすのか?(鐘を引っぱる)→pull 引っ張ることができる雄牛→bull≫ なお、伝わったものの中には、ここのところ、≪誰が弔いの鐘を鳴らすのか?(鐘を引っぱる)→pull  引っ張ることができる赤ウソ→bullfinch(ウソという鳥、コマドリより大きいものの、コマドリと同じく胸が赤い)≫と書かれているものもあります。

 また、途中の≪誰が経帷子を作るのか?小さい針で縫う→with my little needle   縫うのはカブトムシ beetle ≫が、≪誰が経帷子を作るのか?小さい針で縫う→with my little needle   縫うのは教区典礼係→beadle≫と、なっていたり、ともかく古くから伝わり、支持されてきたものは、奥が深く面白い。
*参考「マザーグースと絵本の世界」(夏目康子著 岩崎美術社)

☆写真は、①「マザーグースのうたがきこえる」(ニコラ・ベリー絵 ゆらきみよし訳 ほるぷ)を広げた上に、左 ②「The DEATH and BURIAL of COCK ROBIN 」E.MARSHALL版 1829:ほるぷ・復刻マザーグースの世界) 中 ③「TOMMY'THUMB'S SONG BOOK for All Little MASTERS and MISSES」(Isaiah Thomas版 1794 :ほるぷ・復刻マザーグースの世界) 右 ④「The DEATH and BURIAL of COCK ROBIN 」WILLIAM DARTUN 1806 :ほるぷ・復刻オズボーンコレクション)
 ①では、スズメ、蠅、魚、カブトムシ、フクロウ、カラス、ひばり、ベニスズメ、鳩、とんび、ミソサザイ、ツグミ、ツグミ、あかうそと続き、雄牛は出てきません。
 ②では、カブトムシではなく 教区典礼係が描かれ、雄牛の後、鷹,、コクマルガラス、ウサギと続きます。
 ③では、スズメ、蠅、魚、カブトムシだけで終わります。
 ④では、スズメ、蠅、魚、カブトムシ、フクロウ、カラス、ひばり、とび、ムネアカヒワ、鳩、ミソサザイ、ツグミ、雄牛の順です。

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コマドリから牛へ

オックスフォード
(承前)
 確か、丑年なので牛の絵本を紹介しようとしていたのに、かけす、かささぎ、コマドリ、クロウタドリと、鳥年のようになってしまっていますが、牛と鳥をつなぐ絵本あります。
 これも、マザーグースです。「誰が 殺した コマドリを?」マザーグースの中では、長い歌です。意味深長な解釈も可能のようです。

≪だれが 殺した コマドリを? スズメのわたしが矢を放って殺しました。 だれが見ていた コマドリを。蠅の私が 小さな目で 見ていました。だれが・・・(後略)…≫
 あと、鳥や魚や虫が、コマドリを弔います。それで、牛が、最後に 弔いの鐘を鳴らすのです。

これは古くからある歌なので、登場するほとんどが鳥類であったり、途中、人が出てきたり、最後は牛でなく、モズであったり、さらに、その後、続いたり・・・と、いろんなバージョンがあるものの、どれもコマドリの死で始まり、それを丁寧に弔っていく過程が歌われています。
 英国の子どもたちが楽しんできたマザーグースとはいえ、始まりは少々酷です。また、絵にすると、特にそうなります。が、反対に考えると、英国では、身近で愛される存在のコマドリを大切に弔うという気持ちにもつながっているかもしれない。そして、その弔いの鐘を鳴らすのが、力のある牛というのです。

 加えて、この歌は、我々が考えるより英国では、浸透している言い回しの歌詞のようで、報道で 殺された人のことをロビン、犯人をスズメ、目撃者を蠅という言い回しで表現することもあるらしいし、以前「誰がケインズを殺したか――物語で読む現代経済学」という本を夫が読んでいたことがあって、内容は、まったく知りませんが、そのタイトルから、ははーんと思ったことがありました。他にも、多々あるらしいので、英語圏の彼らには、馴染みのある言葉の流れということでしょう。(続く)

☆写真上は、英国 Oxford オックスフォード(牛津)の Oxen (牛たち)
写真下は、英国のクリスマス切手を見ている スイスの牛
       コマドリ牛

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6ペンスの唄をうたおう

6ペンス

➡➡ (承前)
 マザーグースの唄に「クロウタドリ」が出てくるのは、「6ペンスの唄をうたおう(Sing a Song of Sixpence)」です。

≪6ペンスの唄を うたおう  ポケットいっぱいのライ麦 20と4羽のクロウタドリ 焼いてパイにして  そのパイあけたらば、  鳥たちがうたいはじめた  こんなめずらしいパイ キングに献上しては?・・・・・(後略)≫(***吉田新一訳 「コールデコットの絵本 解説書」福音館) 

これは、マザーグースの唄なのですが、〔イギリス絵本の伝統とコールデコット〕という本のタイトルにも「6ペンスの唄をうたおう」(ブライアン・オルダーソン 吉田新一訳 日本エディタースクール出版部)と使われています。

 そして、その中にセンダックの「ヘクタープロテクターと うみのうえを ふねでいったら」(神宮輝夫訳 冨山房)➡➡も掲載されていて、そのキャプションに、こんなことが書かれていて、また、つながっていく面白さがあります。

≪センダック自身の書いているところによれば、「コールデコットのおかげで、わたしは絵本におけるリズムと構造の微妙な用い方を、初めて具体的に示すことができた」。そして、「ヘクター・プロテクター」は「この愛する師への心をこめた敬意の捧げものであった」。その敬意の念は、いかなる形の模倣的な営みではなく、より入念な絵物語りを促すために、二つのナーサリイ・ライムを使うという着想に、潜んでいる。≫

 センダックがコールデコットを敬愛していることは、「センダックの絵本論」(脇明子・島多代訳 岩波)の中に、繰り返しコールデコットが登場するところからもわかるし、その原題が、Caldecott & Co.というところからもわかります。(続く)

 なお、「クロウタドリ」のことは、以前海ねこさんの「子どもの本でバードウォッチング」第6回のところにも書かせてもらっています。➡➡   (続く)

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Dr. Stone Brainの絵本

安野
 安野光雅氏の訃報を見て、本棚をひっかきまわしました。

 安野光雅氏の絵本とは、まず、福音館の月刊こどものともや  かがくのともで出会っていき、「旅の絵本」では、深みにはまり、絵本の絵を丁寧に楽しむ喜びを知りました。絵の隅々に秘密と楽しみが隠されている安野光雅氏の絵は、日本の絵本では、当時(今も)珍しかった。ユーモア、ウィット、洒落、冗談・・・いろんな言葉が適用されるかもしれませんが、それが、きちんと真面目に正確に描かれているから、より、こちらも向きになって、その秘密を探し出す喜びを持ちました。

 そんなころ、「安野--Annoが、西暦紀元(anno Domini A.D)などの ~年にというラテン語の anno と同じなんですよ。」というのをどこかで安野光雅氏自身が書いているのを読んだような気がしますが、それをよんだとき、この人独特のしゃれっ気を感じました。で、調べていくと、彼は、もとは小学校の先生。ここでまた親近感。で、写真に写る「わが友 石頭計算機」だとか「集合」という本も、購入しましたが、数字というだけで、自然に距離のできるカ・リ・リ・ロとしては、今日、この日まで、本棚の奥で静かに眠らせていたような次第。
 それで、写真に写る、3冊の本の下に敷いた色あせて、朽ちかけている新聞紙を、はさんでいたのも、今回発見。1978年1月1日元旦の朝日新聞第3部です。(おお!結婚した年のお正月ですから、この新聞は実家のもの!)

 この新聞のタイトルは、「ようこそ遊びの国へ」というもので、一面、安野氏の絵(ふしぎな家)です。ちなみに、二面には、初笑いことば遊びと称して、4人衆として、遠藤周作、戸坂康二、黒柳徹子、赤塚不二夫が、対談しています。黒柳徹子さん以外は、鬼籍に入った人たちですね。

 閑話休題。
 安野光雅氏の晩年の絵は、かつての勢いとしゃれっ気が減っていましたが、やっぱり、彼の残した数々の絵本の楽しみは、これからもたくさんの人を魅了し続けることと思います。「旅の絵本」や「あいうえおの本」、他にも、数々・・・の楽しみは、また、いつか書きたいと思います。

*「わが友 石頭計算機」(安野光雅著 犬伏茂之監 ダイヤモンド社)「MY GOOD FRIEND THE STONE BRAIN COMPUTER by Dr. Stone brain ANNO Ⅰ69Ⅰ 」
*「集合」(安野光雅 絵・文 野崎昭弘監修 ダイヤモンド社)「BEAUTIFUL MATHEMATICS THE SET MAPPINGS, INFINTY,BOOLEAN ALGEBRA & GROUPS by Dr. Stone brain ANNO Ⅰ69Ⅰ」
*「安野光雅画集ANNO1968-1977」の裏表紙・・・・キャンバスを裏からみたところが描かれています。(講談社)

****「集合」のDr. Stoneの紹介文には、【生年不詳石頭計算機の設計者として著名。「手品師の帽子」という著書もある。ただし、科学史上にその存在は定かでない。】とあります。が、「わが友 石頭計算機」には、Dr. Stoneの年表があって、1926年ストーン・ブレーン生まれる(安野光雅の生まれた年と同じ)とあって、途中、レンブラントやデカルトや宮本武蔵が登場したりするものの1973年著「石頭計算機」発見さる(ダイヤモンド社から出版年と同じ)1727年ニュートン没の次に、ストーン・ブレーン行方不明となる。と書いています。

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うみのうえをふねでいったら

かけす2
(承前)
 「ヘクター・プロテクターと うみのうえを ふねで いったら――マザーグースのえほん」(モーリス・センダック作 じんぐうてるお訳 冨山房)
 この絵本は、2つのマザーグースの歌から描かれていて、言葉が少なく、絵だけのページもあって、絵がほとんどです。
 「ヘクタープロテクターに登場するのが、一羽の黒い鳥。「ピータ・ラビットのおはなし」のコマドリ➡➡ と違って、「だめ!」「ほれ!」「いいの!」「いこう!」「ふふ!」「ふん!」「ふう!」「ほーい!」という台詞が絵の吹き出しにあります。
 
 前半のヘクター・プロテクターには1羽ですが、後半の「うみのうえを ふねで いったら」には、二羽のクロドリ。今度は、トリックスター的な役回りでなく、実際、歌詞にも登場。
≪うみの うえを ふねで いったら    うみが ぼくの うえにきた   みれば ちいさい くろどりが 2わ、いっぽんの きのうえに いて    1わが ぼくを わるものと よび、   1わは ぼくを どろぼうと いう。   ぼくは ちいさい くろい ぼうを かまえ、    くろどりの はを  ノックアウト!≫

 このクロドリ・・・英国では コマドリと同じような頻度で見かける「クロウタドリ」のことですが、この「ヘクター・プロテクターと うみのうえを ふねで いったら ――マザーグースのえほん」の他にも クロウタドリは出てきます。(続く)

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コマドリさんの役回り

コマドリj
 (承前)
 さて、カササギ先生➡➡ のように騒々しくありませんが、ポターの作品に静かなトリックスターとして、「ピーター・ラビットのおはなし」(石井桃子訳 福音館)➡➡に、登場するのが、コマドリ。こちらは姿も小さく、胸のところが赤く、可愛い。

 ピーターが、レタスを食べ、さやいんげんを食べ、はつかだいこんを何本か食べている、その横にあるスコップの上にコマドリ。(たべすぎて、調子にのったらあかん、あかん。)胸がむかむかしてきたピーターの後ろにコマドリ。(ほらね、やっぱ、食べすぎやん)…ピーターはマグレガーさんに追いかけられ靴を片方落とした、その靴を見ているコマドリ。(おいおい、靴 おとしたやないか)・・・着ぐるみはがれたピーターがびしょぬれでいる後ろにコマドリ。(ほれ、言わんこっちゃない)…ピーターの青い上着を着たマグレガーさんの作った案山子に止まるコマドリ。(あーあ、こんなことになっちゃって、困ったもんや)

 コマドリだけでなく、スズメやクロウタドリや、ネズミ達も、時々は ピーターのそばに居ます。

 さて、「ピーター・ラビットのおはなし」の続編である「ベンジャミン バニーのおはなし」(石井桃子訳 福音館)でも、このコマドリさん、少しながら、登場。ピーターのこと、心配していたんですねぇ。

 野菜の荷物をもってベンジャミンより先を歩くピーター。目を丸くして立ち止まるピーター。その横の樽の上のコマドリ。(おいおい、前をしっかりみてごらん。ほら! ネコ!!)・・・・で、ベンジャミンのお父さんが現れ、ネコを追い払い、ベンジャミンとピーターにお仕置き、泣きながら帰っていく二人が木戸を出ていく、その木戸にコマドリ。(あれ、あれ、大丈夫?大変だったね。)

・・・・と、考えていると、他にも、こんな役割をする小動物や鳥が描かれているのは、あるものです。例えば、「おだんごぱん」(ロシア民話 瀬田貞二訳 わきたかず絵 福音館)にも、おだんごぱんがきつねのところに転がっていく、その木のところに鳥がいる(おい、調子にのって大丈夫か?)、・・・ぱっくと食べられたところにも、同じ鳥(あ~あ)。
 で、もう1冊。(続く)

☆写真は、英国 ハンプトンコートパレスのコマドリ。

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ばきゃたれ うすのろ ははは

カササギ
(承前)
「モーモーまきばのおきゃくさま」(マリー・ホール・エッツ文・絵 やまのうちきよこ訳 偕成社)➡➡のかけすで、思い出したのが、ベアトリクス・ポター「パイがふたつあったおはなし」(石井桃子訳 福音館)のカササギ先生。「モーモーまきばのおきゃくさま」のかけすほどの役回りではありませんが、話の最後を盛り上げ、話全体に落ちをつける役割を担っています。
 
 猫のリビーさんのお呼ばれで、犬のダッチェスさんが、食べてしまったパイに入っていたものがネズミなのか、焼き型なのか?がこのお話の中心ですが、ダッチェスさんが気持ち悪くなったときに、呼んでくるのが、カササギ先生。何故か?それは、食べたものがパイ(Pie)だけに、マグパイ(Magpie)の種類であるカササギ。話自体が、滑稽なので、言葉遊びの域でしょうか。英語圏の子どもなら、この本の他にも、きっとある言葉遊びを楽しむんだろうなと思います。

 とはいえ、以下、以前に書いたことをもう一度。
 ≪「ばきゃたれ、うすのろ!は!は!は!」と繰り返すカササギせんせいの台詞は、時として、今も、警鐘音として我が耳に響きます。この「ばきゃたれ」一つの言葉をとっても、「なに ばきゃ?」「たれ?」から、「ばきゃたれ?」となり、「ばきゃたれ、うすのろ!」、「ばきゃたれ、は!は!」となっていき、微妙に語尾を変化させ、ばきゃ(馬鹿)が確信になっていきます。細かいけど、そこを楽しむのも、ポター作品の楽しみ方の一つであり、石井桃子訳の楽しみ方でもあります。≫➡➡ (続く)

☆写真 ロンドン ケンジントンパークのカササギ。

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おやすみ、かけす

かけす1
(承前)
 「モーモーまきばのおきゃくさま」(マリー・ホール・エッツ文・絵 やまのうちきよこ訳 偕成社)➡➡の主人公は、もちろん、気のいい牛さんでしたが、おせっかいなかけすも トリックスターのような役割で活躍しています。牧場にいろんな動物を誘ったのもかけすだし、そばの木で、成り行きを笑いながら見ているのもかけす。最後は、自分も草なんて要らないというかけす。

 また、エッツは、かけすを、別の一冊でも描きました。
「おやすみ、かけす」(マリー・ホール・エッツ文・絵 まさきるりこ訳 大日本図書)

 おやすみなさいの絵本には、「おやすみなさい おつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)「おやすみなさいのほん」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 ジャン・シャロー絵 石井桃子訳 福音館)など、多々ありますが、この「おやすみ、かけす」は、この二冊のように、全編、「おやすみなさいモード」ではありません。
 
 前半は、かけすが木の枝でジェー、ジェー、ジェー鳴き、カエルがぬまでグワッ、グワッ、グワッ鳴き・・・牛の首の鈴がカラン、コロン、コロン・・・
 前半は音や動きのある世界、後半は静かに閉じていく世界が描かれています。
≪きのえだで ないてる かけすさん、もう、おやすみ。  ぬまで ないてる ぴょんぴょんがえる、おやすみ。  おやすみなさい、おねむになった おとこのこ。  みなさん おやすみ、おやすみなさい。   おやすみ。≫(続く)

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モーモーまきばのおきゃくさま

モーモーj
実は、ネズミ年のネズミの絵本はまだまだあり、一昨年書いた猫年(否、イノシシ年)の絵本も、まだまだ紹介しきれていないものの、丑年の年始でもあるので、やっぱり、牛の絵本を探さなくては…

 で、一番は、エッツです。昨年の「ねずみにぴったりののりもの」(エッツ作 こみやゆう訳 好学社)➡➡は、エッツらしくない1冊でしたが、こちら「モーモーまきばのおきゃくさま」(マリー・ホール・エッツ 文・作 やまのうちきよこ訳 偕成社)は、エッツの暖かさが出ていると思います。
 まず、表紙が、正面を向きこちらを誘う牛さんです。➡➡ これは、同じくエッツの「わたしとあそんで」と同じ表紙のお誘いです。

 おひとよしの牛さんは、美味しい草を誰かにご馳走してあげたいと考えているとき、かけすがやってきて、「じゃ、おきゃくさまをよびなさいよ。ぼくがさそってこよう。」かけすは、ごちそうが草だということを黙って、家畜小屋のみんなに声を掛けます。
「みなさん、うしさんのおまねきですよ。6じころ、モーモーまきばへ きてください。」・・・それで、やってきた猫がチェロをひき、みんなでそれぞれのお誕生日おめでとうの歌を順繰りに歌い、「ひいらいたひいらいた」を輪になって踊り、鬼ごっこをし・・・さて、ごちそうの番になりました。が、草より骨がいい犬、魚がいい猫、残りご飯のいい豚、とうもろこしのいいメンドリ・・・・みんな帰って行ってしまうのです。が、やっぱり、草がいい動物が残って、残った動物たちと毎日毎日仲良く草を食べました。
≪おともだちに ごちそうできて、うしは、とっても しあわせでした。むにょむにょ もごもご かみながら、いつも にこにこ していました。

 この最後のところが、牛の魅力なのでしょう。(都会育ちのカ・リ・リ・ロには、頭の中でしかわかりませんが…)そして、エッツの絵本に何度も牛が登場するのは、きっと、牛のおっとり、穏やかな毎日を エッツ自身も気に入っていたからにちがいありません。

 牛以外の動物も多々登場しますが、「いどにおちたぞうさん」➡➡  「ペニーさん」「ペニーさんさんと動物家族」➡➡  ➡➡ 「ペニーさんのサーカス」(マリー・ホール・エッツ作・絵 松岡享子訳 徳間書店)➡➡ 「ちいさな ふるい じどうしゃ」(マリー・ホール・エッツ作 たなべいすず訳 冨山房) 「おやすみ、かけす」(マリー・ホール・エッツ作・絵 まさきるりこ訳 大日本図書)にも牛さんは登場しています。(続く)

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元気でおろね

モーモーjj

 すっきりしない2020年からまだ先の見えない2021年になりました。
 年明け、先ばかり見ていて、足元を見ていなかったら、つまづいてしまいました。日頃、車に乗らず歩き、プールに通い・・・していても、反射神経の衰え。で、少しの段差で、ずっこけることに。お医者さんの世話になるようなものではなく、孫たちとも楽しいお正月を過ごしましたから、ご心配なく。ただ、ちょっと、なさけない・・・
 ま、新年早々のアクシデントは、このあとの厄難をひっかぶってくれ、今後の注意喚起だと思っています。

 さて、いただいた年賀状には、今年度で賀状をやめるというご報告も複数ありましたが、1月・2月に海外に行ったご報告もありました。バルセロナ、モロッコ・・・すでに、他にお話を伺っていたのが、ニース、シドニー、ハワイ、パリ、そして、イスラエル・・・みなさん、1月・2月だったというのですから、本当に、ぎりぎりセーフ。
 多分、この1年も、下手したら次なる年も、海外は無理。それよりも、渡航解禁になったときに、足元のしっかりした元気な年寄りでいなくては。

  そういえば、ご近所のおばちゃんたちが、路上で新年のあいさつを交わしたあと、別れ際「元気でおろね。(元気でいましょうね。)」と、言い合うのを耳にしましたが、年賀状やクリスマスカードの文言の多くが、例年「今年もよろしく」だったのが「お元気で」「乗り切りましょう」などに代わっていたのが、今この時の、人々の気持ちだと思います。

☆写真は、「モーモーまきばのおきゃくさま」(マリー・ホール・エッツ文・絵 やまのうちきよこ訳 偕成社)の表紙

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新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事

朝焼けカヌーj
新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事

(万葉集 最後の句 第二十巻 4516 大伴家持)
(平仮名)あらたしきとしのはじめのはつはるのきょうふるゆきのいやしけよごと(*あたらしきではない)
(万葉仮名)新  年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
(現代語訳)新しい年のはじめの 新春の今日を降りしきる雪のように、いっそう重なれ吉きことよ
*いや・・・程度がはなはだしいさまを表す副詞「や」に接頭語「い」の付いたもの
*元旦の雪は豊年の瑞祥と考えられていた。
******参考:万葉集(4) 中西進 講談社文庫

☆写真上は、冬の朝、日の出と共に、力強く前に進む若者。写真下は、2021年元旦の初日の出。

日の出

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