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みんなみすべくきたすべく

Silent Nights & Days

くるみわり2
 新聞に「物語の中のクリスマス」という連載がありました。ドイツ文学者の松永美穂氏による4回のものでした。(最終回は「くるみわり人形」➡➡。)

 その中に、アンデルセンの「モミの木」について書かれた文があって、その最後に、こんなことが・・・
 ≪昨年の12月、ドイツのメディアには「クリスマスツリーがいかに環境に悪いか」との記事が相次いで出た。ドイツで買われるクリスマスツリーは年間3000万本。植林、運搬、焼却の過程で、多くのCO2が排出される。じゃあ、長持ちするプラスチックのツリーならいいのかというと、ポリ塩化ビニルでツリーを作ることでやはり多くのCO2が排出され、しかもプラスティックは自然に分解しないからさらに問題なのだそうだ。「クリスマスツリー恥ずかしくないの?」という見出しを読み、近い将来、各家庭でツリーを飾る習慣は廃れていくかもしれない、という予感が頭をよぎった。≫

 あーあ。この箇所はショックでした。
 冷静に考えると確かにそうです。
 
 数々の「クリスマスツリー」の絵本が思い浮かびます。何冊かは、クリスマスの後、切った木を森に戻したり➡➡   ➡➡、切らないでそのまま森で祝ったり➡➡、何冊かは、森で切ってきて飾ったり➡➡  ➡➡・・・うーん、どうなっていくんだろう。

 この年末は、粛々と暮らしなさいとのこと。いわれなくても、精一杯、努力しているつもりです。
 さらなる Silent Nights&Days。
 次なる年は、いい年になりますように。

 年末・年始 しばらく、拙文休みます。

☆写真は、「くるみわり人形」(E.T.A.ホフマン ラルフ・マンハイム英語訳 渡辺茂男日本語訳 イラストレーション モーリス・センダック ほるぷ出版)

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くるみわり人形とねずみの王様

くるみわりj
 
 このブログでも「くるみわり人形」のことは以前に書きましたし  ➡➡  ➡➡海ねこさんのページでも書かせていただいたことがありました。「クリスマス絵本で世界めぐり」12月25日分➡➡ またデュマのくるみわり人形のことも書いたことがあります。➡➡

 こうやって何度か「くるみわり人形」とその周り➡➡のことを書いていますが、原題は「くりみわり人形とねずみの王様」というくらいですから、お菓子のことばかり考えてないで、ネズミのこと、その登場の仕方の臨場感も書いておかなくては。
 
 クリスマスイブ、マリーが、おもちゃの棚を閉め、自分の部屋に行こうとした、その時、
≪みなさん、耳をすませてごらんなさい!そこらじゅうで、ひそひそ声が聞こえ、かさこそ、あたりをはばかる物音がしはじめたのです。暖炉の後ろからも、いすの後ろからも、戸棚の後ろからも聞こえてきたのです。背の高い置き時計は、ぐるるる、ぐるるると、うなりはじめましたが、鐘をうつ気配はありませんでした。マリーが見あげると、時計の上にとまっていた大きな金色のふくろうが、時計をおおいかくすような恰好でつばさをひろげ、まがったくちばしのついた、みにくいねこのようなくびを、前につきだしてきました。時計のうなりが、ますます大きくなり、こんどは、ことばが聞こえはじめました。
「時計よ、時計。静かにうなれ、鐘なぞ、うつな。
ねずみの王さま 音がおきらい。ぐるるる ぐるるる・・・
歌っておやり 昔の歌を。ぐるるる ぐるるる・・・・
鐘をうつなら ボーン ボーン
そこで王さま ご臨終」
歌のようなことばが終わると、時計は、十二回うなりました。ぐるるる、ぐるるる・・・・と、くぐもった音で十二回うなったのです。・・・・(中略)・・・・ところがこんどは、そこらじゅうで、くすくすわらいや、キーキー声がしはじめました。つづいて、かべのむこうから、何千という、小さな足で走りまわる音が聞こえ、かべ板のすきまから、かべのむこうから、何千という、小さな足で走りまわる音が聞こえ、かべ板のすきまから、これも何千という小さな光がさしました。ところが、光と見えたのは、とんもない!ギラギラひかる小さな目玉の列だったのです。四方八方、すきまというすきまから、ねずみの群れが、のぞきこんでいたのです。あっというまに、ねずみの群れは部屋じゅうをはしりまわり、その数が、みるみるふえ、しまいには・・・・・・≫

・・・と長い引用になりましたが、引いているうちに、最後の辺り、ねずみをウィルスに置き換えそうになるのは、2020年のクリスマスイブの悲しい性(さが)。

とはいえ、この長いお話を、3人の子どもたちに毎夜、続けて読んでやっていた時期があったのが、懐かしい。
読ませてもらう母親自身も、毎夜わくわくしながら読んでいたことを思いだしました。

*「くるみわり人形」(E.T.A.ホフマン ラルフ・マンハイム英語訳 渡辺茂男日本語訳 イラストレーション モーリス・センダック ほるぷ出版)
*「クルミわりとネズミの王さま」(ホフマン作 上田真而子訳 岩波少年文庫)

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大きいツリー 小さいツリー

大きいツリーj

「大きいツリー 小さいツリー(おおきいツリー ちいさいツリー)」(ロバート・バリー作・絵 光吉夏弥訳 大日本図書)は、ネズミが主人公というわけではないものの、干支にちなんで紹介するとしたら、最後に登場のネズミで納得、よかったね・・・の結末から、影の主人公がネズミと言ってもいいかもと思います。うさぎ年も 犬年も、キツネ年も、くま年も、紹介できると言えば紹介できますが。

 お屋敷でツリーを飾ると、高い天井でも、ツリーの先がまがってしまう。そこで、執事が切り取り、その処分したツリーの先をそれぞれ、次の人たち、動物たちが、その家に合わせて、ツリーの先を処分。そして、最後に、そのツリーの先がぴったり合ったのが、ネズミのミスルトーの一家だったというわけ・・・
 というわかりやすいお話で、かつては、読みもの仕上げのハードブックでしたが、今は、絵本の装丁にしたカラーのものになっています。お話と絵が合っているのは、ハードブックの方かもしれません。絵本の方は、絵を小さくすることによって、1ページ辺りの文字と絵が増えています。

 とはいえ、単純なお話の流れは、読んでもらう小さな子どもたちはもちろん、自分で読めるようになった子どもたちも楽しめる本となっていると思います。
個人的には、この話の最後のページ(写真右)が好みです。小さく描かれて踊っているネズミ一家も、最後の言葉も。
≪ツリーって、ほんとうに いいものですね。ウィロビーさんの おおひろまの おおきい ツリーも――  ねずみたちの ちいさな へやの ちいさい ツリーも――≫

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ねずみさんちの はじめてのクリスマス

ねずみさんちj
 「ねずみさんちの はじめてのクリスマス」(キャラリン・ビーナー文 マーク・ビーナー絵 まえざわあきえ訳 徳間書店)
 昨日の「ネズミはひとり森のなか」➡➡と、うって変わって、こちらのネズミはやっぱり大家族。とうさんねずみとかあさんねずみと17匹の子ネズミ(おしめをしている赤ちゃんネズミもいます。)

 ゆかした24番地に引っ越してきたねずみたちですが、ゆかうえに見たことがないものが・・・それは、ぴかぴか光る飾りのついている緑の木。家中に漂う、甘い香り。その晩は、たくさんの人が集まってパーティが開かれ、歌ったり、踊ったり、ゲームをしたり、プレゼントを渡したり、それはそれは楽しそう。
 その晩が、どうしてそんなにたのしそうなのか・・・とうさんねずみは、ゆかうえの声に耳を澄ますと、≪クリスマスの前の夜には、きれいなあかりや、うたや、プレゼントで、お祝いする≫≪サンタさんもやってきて、よいこにプレゼントを配る≫という話。
 そして、ゆかしたのかあさんに報告
こんやが いつもと ちがうのは、クリスマスだからだよ。クリスマスには、みんなを おもいやって たのしく すごすんだって

 ・・・というわけで、とうさんねずみは 飾りつけ、かあさんねずみは、こねずみたちのパジャマ作り、集めてきたクッキーやアメのかけらのごちそう、見つけてきたきれいな紙でプレゼントのパジャマを包み、「みんな、おいで!パーティをはじめるよ!」

 先日、我が家でも一足早いクリスマスパーティをしました。飾りつけをし、ごちそうをつくり、各自プレゼントを用意し、遊び、歌い、「ねずみさんちの はじめてのクリスマス」とほとんど同じだったなぁ・・・と思います。先の見えない日々、幼い子どもの喜ぶ姿を見ることができるだけで、今までの大変だったことも忘れます。

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ネズミはひとり森のなか

       ネズミは一人j
 今度のネズミの出てくるクリスマス絵本「ネズミはひとり森のなか」(トニー・ジョンストン文 ダイアン・スタンレー絵 小川仁央訳  評論社)は、先の「ぼくたちのプレゼントはどこ?」(リチャード・スキャリー作 木坂涼訳  好学社)➡➡より、大きい子向きの絵本です。

 身近なものでわかりやすい展開で、ああよかったを描くと、幼い子どもにもわかりやすい絵本となりますが、詩的な表現で、ああ、そうなんだ、よかったと思うことができるのは、少し大きめの子どもに該当するのだと思います。
 が、いかんせん、そういう就学年齢になってくると、文の短い小さな絵本を、大人が読んでやらない(ことが多い)し、紹介すらしないかもしれません。

  さて、「ネズミはひとり森のなか」ですが、個人的には、ちょっと気になるところもあります。ファンタジックで詩的な世界を表現してはいるのですが、≪ネズミはいつも、ひとりぼっち。≫だとか、≪(まどから外を見て)森ってなんだろう――木だわ。森には、だれがいるんだろう。ほかのネズミで、いっぱいかしら。・・・でもネズミは小さくてはずかしがりやだったぼで出かけていきません。≫
 うーん。たくさんの家族がネズミの特性だし、冬以外のときも、ずーっと家にいた???
 確かに、最後は、いろんな小さな生き物が来て、よかったね・・・なのですが。

 ネズミの特性から、ずいぶん離れています。ファンタジーの世界であり、いわゆる擬人化の世界なのですから、そういう位置づけなのだと、考えることもできます。しかしながら、ファンタジーの世界をファンタジーと思えるのは、本当らしさがきちんと書かれていることだと思います。エッツの「もりのなか」(まさきるりこ訳 福音館)で、ライオンが髪をとかし、象が水浴びをしてからぼくの散歩についてくるのは納得し、本当にありえるかもしれないと思える。もし反対に、象が髪をとかし、ライオンが水浴びをしてからぼくの散歩についてくるのはナンセンス・・・となって、ファンタジーの世界に入ること自体、難しいかもしれません。
 確かに、いろんな動物たちが、肉食も草食も仲良くしているお話も多々あります。それには、今日は特別の日だったり、ファンタジーの世界に入る「鍵」も持っていたりするのです。
 例えば、「クリスマスのうさぎさん」(ウィルとニコラス作・絵わたなべしげお訳 福音館)➡➡で、キツネがしゃべるのきいて、驚くと、「今日はクリスマスイブじゃないか」と動物が人としゃべることができる特別キーを差し出すのです。「グロースターの仕たて屋」(ベアトリクス・ポター作 石井桃子訳 福音館)➡➡も、然り。
 
 話はちがって、今年のクリスマス絵本を探しているとき、新刊で、ネズミが主人公だったので、気になってみてみましたら、友達のいなかったネズミへのクリスマスプレゼントは、小鳥だった・・・という絵本がありましたが、購入に至りませんでした。
 確かに、この「ネズミはひとり森の中」でも小さなウサギやリス、小鳥、そしてコオロギもやってきて、ネズミはひとりぼっちでなくなるのですが、「ちいさなろば」(ルース・エインズワース文 石井桃子訳 酒井信義絵 福音館)という話のように、サンタクロースの手伝いをして、朝起きたら、プレゼントは同じロバだったという方が、自然じゃありませんか。
≪「イーヨウ! クリスマス おめでとう!」としろいろばは いいました。「クリスマス おめでとう! あなたは だれです?」と、ちいさいろばは ききました。「わたしのなまえは 『ゆきのじょおう』よ」と しろろばは いいました。「わたし、これから、あなたの ともだちになって、いっしょに あそんだり、いっしょに やすんだりするんですよ。」  2ひきは、はなをすりあわせました。・・・≫
 
***ただし、「ネズミはひとり森のなか」の訳文には、具体的にどんな生き物がやってきたか書かれていませんが、絵には(上記写真)、ウサギなどが描かれています。

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ネズミはどこ?

クリスマス1
 ねずみの絵本でクリスマスのもので、小さい子どもも楽しめるのは?
クリスマスの絵本は、大事なことを伝えたいという意図もあり、お話の長いものが多いのです。だから、無理に、小さい子にクリスマス絵本を探さなくても、次の年には、きっとクリスマスやサンタクロースのことに興味を示すので、とても小さい子には、あえて探さなくてもいいのではないかと、思っています。

 とはいえ、イラストタッチのこの絵本は、小さい子どもにもわかりやすい絵となっています。
 「ぼくたちのプレゼントはどこ?」(リチャード・スキャリー作 木坂涼訳  好学社)
  小さいねずみならではの視点で、あちこちプレゼント探し。
 靴下の中、お菓子、絵本、おもちゃ、ジンジャークッキーお人形やぬいぐるみ・・・そして、最後に見つけたのが、大きなチーズ。
 
 もう1冊は、ネコのクリスマスの絵本をたくさん出しているアン・モーティマーが、ネズミの絵本も描いています。猫の絵を入れることも忘れていませんけれど。「ちいさなねずみのクリスマス」(アン・モーティーマー作絵 木坂涼訳 徳間書店)
ネズミj

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みんながなかよくする夜

アトリーj
 (承前)
 クリスマスイブが特別だというのは、春頃書いた「グロースターの仕たて屋」(ベアトリクス・ポター作 石井桃子訳 福音館)➡➡に、書かれています。
≪クリスマス・イブと クリスマスの朝までのあいだに、すべてのどうぶつは 口をきくことができるのだと、 ふるいおはなしはつたえている。(ただ それをきくことができ、そのわけが わかるのは、ほんのすこしの ひとたちだけなのだが)≫

 それにまた「クリスマスのうさぎさん」(ウィルとニコラス作・絵わたなべしげお訳 福音館)➡➡でも、デービーが足跡をたどって行くと、キツネがわなにかかっていて、はずしてくれと言います。≪「きつねさん、はなしができるの?デービーは、くちを もっと あんぐり。「できるとも。こんやは、クリスマス・イブじゃないか」と、きつねが いいました。≫

そして、今年の春にアリソン・アトリーのことを、少し書き続けましたが➡➡、そのアトリーの小さなお話に山内ふじ江が絵をつけて、当初、月刊こどものともとして出版されていたのが、「クリスマスのちいさなおくりもの」(アリソン・アトリー作 上條由美子訳 山内ふじ江絵 福音館)です。これもネズミが出てきて、クリスマス・イブの特別が発端となったお話になっています。

 こちらのクリスマス・イブは「みんながなかよくする夜」という伝えを使った猫とネズミの共同作業のお話です。
 おかみさんは病気で入院、だんなさんはふさぎ込んでいるというクリスマスの飾りつけのできていない、お祝いの支度のできていない家に住むネズミたちは、ネコになんとかしてください。とお願い。ネズミと猫の助け合いで飾り付けができサンタクロースも無事迎えることができましたというお話。
 お話自体は分かりやすいのですが、「おかみさん だんなさん」と訳されているものの、最後の文字のないページで、登場する子どもたちやお父さんが、ちょっと おかみさん だんなさん と呼ばれる家族のイメージと違う・・・また、子どもたちが驚き大喜びしている様子が、描かれてなくてちょっと残念。

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砂糖ネズミときょうだいネズミ

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「クリスマスのりんご―クリスマスをめぐる9つのお話」(上條由美子編・訳 福音館)➡➡ ➡➡
の中にも、ネズミのクリスマスのお話がありました。

 ルーシーという女の子の家に住む、兄と妹のネズミが住んでいました。クリスマスイブの真夜中、おなかがすいた二匹は、ルーシーの靴下に穴をあけ、中から 転がり出たリンゴを食べてしまいます。すると、靴下の中から声がします。「あたしをだしてちょうだい!」それはサンタクロースがリンゴやオレンジやナッツやおもちゃと一緒にそりで運んできた砂糖でできたピンクのネズミでした。ルーシーへのプレゼントを食べてしまったと気づいたきょうだいネズミたちは、後悔。が、砂糖ネズミは機転を利かせ、プレゼントの中にあったソーイングキットを使って、穴をかがり、なんとか、次の朝、ルーシーには、リンゴのことさえ気づかれずに済むという「砂糖ネズミときょうだいネズミ」(ルース・エインズワース)のお話。

 そして、もう一つ、「あるクリスマスのお話」(ヘレン・クレア)でも、動物園に住むネズミ(どぶネズミ)が活躍します。
 クリスマスイブにネズミが思いついたのは、クリスマスパーティのこと。動物たちを誘うのですが、みな檻に入っているので集まることができません。が、≪象がまず鼻でドアを開け、ライオンもかけ金にむかって強い足をふりあげました。すると、ドアはみんなひらきました。そこで、牡ライオンも牝ライオンも、虎もヒョウも、ピューマもパンダも出てきました。どの動物もまるでヒツジのようにやさしく、おとなしくなっていましたが、それはクリスマスイブだからでした。・・・・≫

 ここでも、クリスマスイブが特別だと言っていますね。(続く)

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ちょちょぎれ耳のねずみ

      シモンj
「シモンとクリスマスねこ―――クリスマスまでの24のおはなし」(レギーネ・シントラー文 ジータ・ユッカー絵 下田尾治郎訳 福音館)には、24の小さなお話や詩が入っています。
 12月に入って、クリスマスまでの24日間が待ち遠しくてたまらないシモンが一日一つ楽しむお話の15日目の話が「ちょちょぎれ耳のねずみ」の話です。

 冬の寒い茂みで暮らすネズミたちの一匹に、片方の耳がギザギザにさけてしまっているネズミが居て、その子は「ぼくは今から家ねずみになるんだ。だって、家のなかはあったかで、いごこちがよさそうだし、きっと食べものだってどっさりあるもの」と引っ越していきました。
 引っ越した家の地下室には、いろんな種類のケーキやクッキーがたくさんしまってあり、
≪…最初に、小さなもみの木の形をした、はちみつケーキをちょっぴりかじってみました。そのケーキのなんとおいしかったこと。つぎにかじってみたのは、星の形をしたケーキでした。つぎからつぎに、ねずみは角のところを少しずつ、かじっていきました。・・・・(中略)・・・つぎの日、ちょちょぎれ耳のねずみは、お菓子をもう少しずつかじってみました。・・・ただ、シナモンクッキーだけは、あまりおいしくなかったので、そのままにしておきました。・・・・≫

 そうなのです。スリランカのシナモンクッキー。すごーく辛いのを食べたことがあります。家人は美味しくいただいたものの、カ・リ・リ・ロは辛くて一つを食べきれませんでした。香りづけに含まれているシナモンは嫌いじゃないし、アレルギーもありませんが、あのシナモンクッキーは、忘れられない辛さでしたね。

 閑話休題。
・・・こんなクッキーばかりかじっていたちょちょぎれ耳のねずみは、その家の家族に見つかってしまうものの、ご主人の恩情で、逃がしてもらいます。元の住処にもどり、ぐっすり眠りましたとさ。

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Night Tree

モミの手紙3
(承前)
 「モミの手紙」(ロバート・フロスト作 テッド・ランド絵 みらいなな訳 童話屋)の画家はテッド・ランドというアメリカのイラストレーターで、多作でしたが、日本語に翻訳された絵本は、知る限りでは、「モミの手紙」「青い馬の少年」(アスラン書房)「バディ―ぼくのパートナードッグ」(燦葉出版社)です。

 写真左は、「モミの手紙」の舞台となったフロストの山の風景で、右は”Night Tree"というクリスマスツリーの絵本。文はイブ・バティング。
≪クリスマスの前の夜,ぼくたちはいつもクリスマスツリーを見に行きました。・・・・
 ・・・・僕と妹のニーナ、そしてお父さんとお母さんは、ポップコーンやリンゴやオレンジ、ひまわりの種やつぶしたキビを蜂蜜で練ったボール玉を、モミの木につるしていきます。木に、うまく上がれない小さな動物のためにも,木の実の皮やパン屑やリンゴのかけらを,ツリーの下に散らしておきました。もって来たホットチョコレートを飲み歌って、帰ります。・・・・
 そして、思います。クリスマスのごちそうを食べにやって来る鳥やリスやオッポサムやアライグマやスカンクのことを。
 お父さんが,クマはひと冬中眠っているわけではないんだと言っていたので,熊さえもツリーのところに来ているかもしれないのです。もし,クマの目がさめるとしたら,それはきっと,クリスマスなのでしょう。
 たぶん,キツネも細くて鋭い前足を,高いところに伸ばしにやってくるでしょう。
 それに,クリスマスの日には,みんなツリーの回りに集まって,動物たちのクリスマスの歌を歌うのかもしれません。≫(概訳)

 ブログの写真ではわかりにくいかと思いますが、左「モミの手紙」の秋の風景の中に、クリスマスツリーを見にやってくる男の車が小さく描かれていたり、右「Night Tree」では、くまがすでにリンゴをくわえ、キツネが急いでやってきて、小鳥やリスは、はちみつで練りあげられたボール玉を食べています。・・・というような、絵を隅々見る楽しみがあるのがテッド・ランドの絵です。(続く)

 さて、テッド・ランドの絵本について続けようと思っていましたが、気が付いたら、もはや12月も半ば、クリスマスまでは、ネズミとクリスマスの本を書くつもりだったので、テッド・ランドは来年まわしにして、明日は、「クリスマスまでの24のおはなし シモンとクリスマスねこ」(福音館)で15日目に話される話にします。

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モミの手紙

モミのてがみj
「モミの手紙」(ロバート・フロスト 作 テッド・ランド絵 みらいなな訳 童話屋)
(承前)
実は、「カバの木」の詩➡➡と、絵本になった「モミの手紙」の詩が、続いて掲載されている英語の本を持っています。
"You Come TooーーA collection of his own poems for young readers"(Robert Frost :illustrated Cécil Curtis :The Bodley head London )
 その前書き(1964年版)には、ロバート・フロストが英国に住んでいた時、詩人のエドワード・トマスと出会い、アメリカ人で農村生活を描いたフロストと、オックスフォード大学出身であり初めは書評家であったトマスは、血のつながった兄弟のように交流し、トマスは、フロストの才能を理解していたとあります。
 その前書きを書いたのは、エリナー・ファージョン。
 ファージョンは、「想い出のエドワード・トマスーー最後の4年間」(エリナー・ファージョン 早川敦子訳 白水社)を書いたように、既婚者のエドワード・トマスを密かに慕い、尊敬していましたから、その後、フロストの子ども向けアンソロジーに前書きを書いたのも自然な流れかと思います。
 がしかし、ここでは、ファージョンとエドワード・トマスに深入りせず、フロストの「モミの手紙」原題はChristmas Tree--A Christmas Circular Letter。

 山を持つフロストのところに、クリスマスツリーを探す男がやってきます。
≪欲しいのはクリスマスツリー、と男は言った。たまげたことに、わたしの山のモミの木は、商人の目にはクリスマスツリーと映るらしい。実は、わたしは、香りのよいバルサムモミの山をを所有している。一本一本はそれは美しく、神々しい。梢は尖塔のようにとがり、まるで、幾百の教会が集まっているようだ。彼らは、モミの木。断じてクリスマスツリーではない。切り倒して金に替えようなんて金輪際考えたこともない。そんなことをしたら、生きものたちが山に住めなくなる。切り株だらけの、月面のような寒々しい世界になってしまう。クリスマスツリーになって、いくばくかの金に交換されることをバルサムモミの木が知ったら、どんなに嘆くだろう。おまえたちは、ここにいることで、大事な、たくさんの仕事をしている。生きているからこそ美しく、立派なのだよ。≫

 この絵本の絵を描いた テッド・ランドの美しい絵は、フロストの詩の世界をより深めていると思います。(続く)
☆写真上は、スイス グアルダ。
 写真下、奥が「モミの手紙」(テッド・ランド絵 童話屋)手前が"You Come TooーーA collection of his own poems for young readers"(illustrated Cécil Curtis :The Bodley head London )

      モミの手紙2

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カバの木

かばのきj
(承前)
「木の葉のホームワーク」(ケイト・メスナー文 中井はるの訳 講談社)は、自然は素晴らしい教師だというメッセージを持っているのですが、この話に生きて登場せずとも、大きな役割を果たす人物がいます。
アメリカの詩人、ロバート・フロストです。その中でも「樺の木」という詩が、大きな位置をしめています。このことは、2月のブログでフロストを引用した時に書きました。➡➡
 
 ≪(宿題の葉っぱを取るためにジーナは)・・・だらりとたれて、地面に届きそうな枝があったから…(中略)・・・バックパックを放って、まるであたしにぶらさがってくれとたのんでいるような枝に飛びつく。 
と、ジグが言います。「カバの木をゆらす人、ジーナよ!」
あたしは、わけのわからない目つきでジグを見つめ、ゆらゆらしながら、枝にすわろうと足をかける。枝はぐっと下がったけれど、折れなかった。
「『カバの木』。国語の教科書にあるロバート・フロストの詩だよ。」≫

 ジーナには、葉っぱを集める宿題だけでなく、国語の課題に「ロバート・フロストは、この文で何を意味しているのでしょうか。『人は、カバの木をゆらすよりも悪いことをするものだ。』あなたの考えを、一段落にまとめなさい。」というのがあります。
 なかなか難解な課題です。
 ジーナの街から10キロほど離れたところには、フロスト・トレイル(かつてフロストが所有していた森などを整備した道)がありますから、地域の学習の要としても、重要だったと考えられます。
 実際、フロスト・トレイルには、詩が書いてあり、木々には名札がつけられているようです。

 それで、その「樺の木」ですが、「対訳フロスト詩集 川本皓嗣編 岩波文庫」と、今回「木の葉のホームワーク」で一部とはいえ、引用されているのを比べると、カ・リ・リ・ロや子どもたちになじみやすい訳は、「木の葉のホームワーク」の引用の方ではないかと思いました。

≪樺の木が左に右にねじ曲がって、よりまっすぐな 黒っぽい木々の縦線を横切っているのを見ると、誰か子供が木々を揺さぶっていたのだと想像したくなる。≫(川本皓嗣編) 
≪カバの木がゆらゆらとゆらぐ。まっすぐな木々のあいだをぬけていくかのようだ。どこかの少年がゆらゆらしているのだろうか。思いをはせて、ほほえむ。≫(中井はるの訳)
(続く)
☆写真は、「対訳フロスト詩集 川本皓嗣編 岩波文庫」のJohn O'Hara Cosgrave Ⅱの「樺の木」画

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自然はすばらしい教師だよ

はっぱj
「木の葉のホームワーク」(ケイト・メスナー 中井はるの訳 講談社)
(承前)
 木の葉を集める宿題・・・カ・リ・リ・ロなら、さっさと仕上げてしまうけどなぁ・・・・などと考えながら読みました。
 というのも、大学の時、一番印象に残り、今も知恵となり身に付いたと思えるのが、生物学の授業でした。それが、教員免許に必要だった科目なのか、一般教養だったのか、先生の名前すら覚えていません。が、あのときのフィールドワークで覚えた植物の名前、樹木の名前は、今も、覚えているものが多く、「雑草なんてないんだ。」と教えていただいたことは、強く心に残ったのです。そして、集め持ち帰った草花、葉っぱ・・・それぞれの名前を調べ上げていった作業は、楽しいものでした。
 もし、この授業が、リモートで説明を聞くだけのものであったら・・・と考えると、まったく違ったものになったと思います。
 少し、話はそれるのですが、先日書いた、続けてきた絵本の会➡➡にしても、単に、こんな絵本ある、と紹介するだけであったら、35年も続かなかったと考えています。拙い読み方でも、絵本の楽しさが伝わればいいなと大人の皆さんに声を出して読んできたのです。多分、これもリモートでは成しえなかったことだと思っています。

 閑話休題。
 木の葉を集める宿題に行き詰っていたジーナに、アルツハイマーと診断されたおばあちゃんが言います。
≪・・・とうとう、おばあちゃんが深呼吸をして、あたしの手をはなした。そして、木の葉のバインダーのシダレヤナギのページを開き、ひらひら舞いそうな葉をビニールの上から指でなぞった。おばあちゃんがページをめくると、みごとに美しいサトウカエデの葉が目に飛びこんできた。輝くような赤。あたしが絵を描こうとした葉で、かなり近い色を出せた。次のページ。トウヒの葉が、ビニールのへりからつきでている。
「気をつけて。とんがっているから。それ好きじゃないな」あたしはクッキーをひとつつまみながら、おばあちゃんに言った。
「ときには、トゲがあることで、うまくやっていけることもあるんだよ。」おばあちゃんが言う。アメリカシラカバやカエデのページをめくる。
「ときには飛びこまなきゃならないし、ときには羽ばたかなきゃならない。そしてときには・・・」トウヒの葉にもどりながら、おばあちゃんが言う。「ただ辛抱強く、がんばらなきゃならないんだ。」
「あのね」あたしは、バインダーを抱え、、フォルダーをめくりながら言った。「本当は、この宿題、嫌いじゃないよ。木の葉のそれぞれちがう様子がすごく好きだもの。ただちがって見えるだけじゃなくて、ちがう役割をしているんだ。」あたしが最後のクッキーをかじると、くずがバインダーの上にこぼれた。
「自然はすばらしい教師だよ」おばあちゃんは、眉をあげて感心したような表情で、お皿を持ってドアのほうへ向かう。…≫(続く)

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木の葉のホームワーク

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 ➡➡(承前)
 過日といっても、もはや半年以上1年近く、あれは2月の頃。続けて紹介した「ゆきのうえ ゆきのした」➡➡「つちづくり にわづくり」➡➡(ケイト・メスナー文 クリストファー・サイラス・ニール絵 小梨直訳 福音館)の文を書いたケイト・メスナーは「木の葉のホームワーク」(中井はるの訳 講談社)を書きました。これは絵本ではなく、大きい子向けに書かれた本で、アメリカではE.B.ホワイト推薦図書賞をもらっている本です。
 あの頃、春が近かったので、「木の葉のホームワーク」は、季節外れ感があって、ここまで取りおいていたものの、もはや冬になってしまった。話は、アメリカ、東北部バーモント州の10月です。

 話の中心は、思春期入り口に立つジーナに出された木の葉を25枚集め、調べてくる宿題です。
 ジーナは、なかなかその宿題に取り組めません。いろんなことが起こるものの、第一に本人がその気にならないので、宿題は進みません。周りの援助があるのに、本人のやる気の問題なのです。宿題・課題というものは…

 ジーナの周りには、意地悪なチームメイトが居たり(陸上クラブ)、物忘れが多くなってきたおばあちゃんが居たり、他、個性豊かな家族、誠実なボーイフレンド(?)のようなジグ・・・

 この話は、成長物語です。最後には、ジーナは、ジーナのやり方で宿題をやり遂げるのです。(続く)

☆写真上は、近くの公園に集まったカルガモさん。写真下、目の前のキャナルには、渡り鳥(ヒドリガモ)と思われる集団がいるので、彼らは、地面で話し合っているのかもしれません。

ヒドリカモj

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クリスマスの絵本

クリスマスイブj
 ほとんど毎年、35年近く、クリスマス絵本の会をやってきました。
 昔、どこかに書きましたが、小学校1年生を担当していた頃、12月には、毎日クリスマスの絵本を読み聞かせようと思っていたものの、図書室に所蔵が少なく、自腹で用意したのが、クリスマス絵本を買い集めるきっかけでした。それが今や、クリスマスの読み物やクリスマスのノンフィクション、外国の絵本も合わせて、350冊ほど・・・つまり毎年、10冊の割合で増やしていったことになります。ちなみに今年増えたのは4冊。
 それらを、毎年のクリスマス絵本の会で、お母さんたちに紹介していきました。それは、新刊や復刊、あるいはテーマに沿って・・・という紹介形式でした、

 が、2012年に書いたように➡➡≪毎年、たくさんのクリスマス絵本が翻訳出版されますが、私の中で、何年も不動の3冊(子どもと楽しむ編)が、「あすはたのしいクリスマス」「クリスマス・イブ」「クリスマスのうさぎさん」です。≫と、2012年以降のクリスマス絵本の会でも、同じように不動の三冊を読んできました。

 ところが、今年は、こんな状況の中、集まりが持てません。
 そこで、連絡をくださった方には、今年の資料を用意し、添付や郵送で送りました。
 すると、そのお返事に、毎年の『クリスマス・イブ』➡➡を楽しみにしていたと書いてくださった方が複数。(***古本海ねこさんのHP12月24日の項➡➡

 そうなのです。お会いできず、読むこともできない「あすはたのしいクリスマス」「クリスマス・イブ」「クリスマスのうさぎさん」は、他の絵本とは、今年も別のところに置いていたのです。

 来年は、みんなと楽しめることを信じましょう。

*「あすはたのしいクリスマス」(クレメント・ムーア詩 トミー・デ・パオラ絵 金関寿夫訳 ほるぷ出版)➡➡
*「クリスマス・イブ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 ベニ・モントレソール絵 矢川澄子訳 ほるぷ出版)
*「クリスマスのうさぎさん」(ウィルとニコラス作・絵わたなべしげお訳 福音館)➡➡

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ドングリさがして

門番3
「ドングリ さがして」(ドン・フリーマン&ロイ・フリーマン作 やましたはるお訳 BL出版)
(承前)
 今度はネズミ年のネズミの絵本じゃないものの、くまのコールテンくんをはじめとして、たくさんの小動物を描いてきたドン・フリーマンの死後出版された絵本です。
 ドン・フリーマンは、アメリカにスケッチ旅行に行き、この「ドングリさがして」の元になったスケッチ画を残します。それが出版されることなく、遺族のもとで眠っていたようですが、息子のロイ・フリーマンが、文を補い、別の画家(ジョディ・ウィラーがドン・フリーマンのスタイルで絵を補完し、出版されたのがこの「ドングリさがして」のようです。

 生前、ドン・フリーマンは、このスケッチ画について手紙を書いていました。
≪驚いちゃいけないよ。ぼくはワシントンD.Cのお話を(絵もいっしょに)をかいています。ぼくがホワイトハウスから公園への道を歩いていると、木の上にリスのいえがあり、リスたちが色づいた落ち葉におおわれた芝生を駆け回って、ドングリをさがしているのを見たのです。≫
 数日後の手紙には、≪ワシントンD.Cのお話をかきつづけています。今まででいちばん美しい本になるような気がします。≫
 
 確かに、他のドン・フリーマンの作品と少々様子が違いますが、それは、スケッチ風に表現したものに見えます。(実際、スケッチをもとにした加筆画です。)したがって、ワシントンD.Cの秋の美しい風景を楽しめる絵本となっています。

 個人的な蛇足:絵本の最後に、この絵本の誕生までのいきさつが息子のロイ・フリーマンによって書かれています。その最後の署名、≪2010年スイス ルツェルンにて  ロイ・フリーマン≫とあることに、ああ~と、思ってしまうのです。ああ、ルツェルン!!!➡➡遠くなったなぁ・・・・

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オペラハウスのなかまたち

門番2j
(承前)
 さて、今度のネズミは、ニューヨーク メトロポリタン・オペラハウスに住むネズミです。マエストロ・ペトリ―ニという白いネズミです。要らなくなったハープのケースを家にしています。
 ≪家族をべつにすれば、マエストロ・ペトリーニがこの世でいちばん愛しているものは、オペラでした。どんなオペラでも物語をそらでおぼえ、その曲をハミングすることができました。≫
 彼は、歌い手に合図を送るプロンプター氏のかわりに、楽譜めくりの手伝いをして、チーズを稼いでいるのです。奥さんの名前は、マダム・ペトリーニ、3匹の子どもの名前はド、レ、ミ。
 そして、もう一匹登場するのが音楽の嫌いなバイオリン・ケースに住む猫のメフィスト。

 ある日、子どものためのオペラとして「魔笛」を上演する舞台上の人たち。ついつい、興に乗って、舞台にとび出すネズミのマエストロ・ペトリ―ニ。
 それを捕まえようと、舞台にとび出す猫のメフィスト。
 舞台じゅうをメフィストが追いかけまわしているとき、
 魔法の笛の音が、しだいに大きくうつくしくうっとりとなりひびき・・・・

 この可笑しい絵本ですが、一つ難点が。カ・リ・リ・ロの持っている版では、漢字にフリガナがうってないのです。「魔笛」「鳥刺し」「衣装」「演出」などなどは、ふりがなつきですが、「音楽」「歌声」「家族」「屋根うら」などなど・・・確かに、モーツアルトの「魔笛」は、日本の小学低学年になじみがないかもしれません。つまり、フリガナなしで読めるような子どもだけが、この絵本を楽しめると考えての編集でしょうか。
 「魔笛」は子どもも楽しめるオペラです。
 昨年、スイスのウルスリの村グアルダで、女の子たちがピョンピョンしながら歌っていたのは、モーツアルトの「魔笛」夜の女王のアリアの部分だったということを思い出します。➡➡

 さて、ドン・フリーマンのネズミの絵本が2冊続きましたが➡➡、もう1冊。今度はねずみの絵本じゃないものの、ドン・フリーマンの未完だった1冊です。(続く)

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門ばんネズミのノーマン

門番1
「門ばんネズミんのノーマン」(ドン・フリーマン作 やましたはるお訳 BL出版)
 ネズミのノーマンは、マジェスティック美術館の、秘密の抜け穴の門番です。美術館に設置されている昔の騎士の兜に住んでいます。美術品の解説もやってのけます。そして、ノーマン自身がアーティスト。
 ≪ほとんどの人とおなじように、ノーマンにも趣味がありました。まいばん、門ばんの仕事がおわったあとで、ノーマンは、なにか楽しいものや 美しいものをつくろうとしていました。―――たとえば、スイスチーズとクラッカーの絵とか、チーズの彫刻とかです。≫
 そして、ネズミとりの針金と、額縁に使う針金の切れ端を集め、生み出した作品が「空中ブランコをするネズミ」。
 その作品が、コンテストに出品され・・・・

 芸術をそばで見てきたノーマンだからこそ、成しえた結果が待っています。
 ノーマンのようにたくさん見て、たくさん解説(理解)できるようになったならば、きっと自ら、あふれ出すもののもあるのだと思います。
ドン・フリーマンの描く芸術家のネズミは、もう一匹いますよ。(続く)

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流行感冒

志賀直哉j
友人から、新聞に日本の疫病の話が紹介されていたよと、メールが来る前に、何かで知っていた(と思う)志賀直哉の「流行感冒」という短編を読みました。

 タイトルも、時代も、スペイン風邪が流行ったその時期ですが、これまで読んだペストなどのヨーロッパのフィクションとは、少々疫病の位置が違っていました。確かに、流行性の病気が流行り、それに注意しながら、生活しないといけない状況ではありますが、ヨーロッパのそれほど壊滅的な状況ではないように思います。
 タイトルの意味するものが読み取れていないのかもしれませんが、この作品の本質は、主人と、その妻、そして、手伝いの女性たち、あるいは、生活層の違う者たちとの繋がりを描こうとしているところにあると思います。

 志賀直哉の文章は、詩的でよくこなれた日本語だとされています。多くの評価がそうです。が、しかし、当時の日本人男性の女性に対する意識。あるいは、今もまだまだ残る意識の片鱗を見るようで、個人的には、好みの作品ではありませんでした。

☆写真は、奈良 高畑 新薬師寺近く。 高畑には、志賀直哉旧居が保存され公開されています。

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