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みんなみすべくきたすべく

布引ハーブ園

ハーブ園3
 孫たちと、ロープウェイに乗って、神戸布引ハーブ園に行きました。
 神戸出身のカ・リ・リ・ロなので、この辺り(布引の滝辺り)は遠足でよく来たところでしたが、子どもの頃は、まだロープウェイもハーブ園もできていなかったので、初めてでした。
ハーブ園2

 神戸港に面する急斜面にできたハーブ園は、四季折々楽しめる造園となっていました。今は、コスモスなどが満開。
 また、ハーブ園というからには、随所にハーブも植えられ、そのハーブを楽しみながらの、美味しいランチでした。
ハーブ園4
 
 ただ、小さなロープウェイに乗って、山の上に上がるのですが、ついつい、スイスの大きなロープウェイ(ゴンドラ)を思い出し、歩いて、野イチゴの葉が広がっているのを見ると、また、ついついスイスの山道を思い出すという始末。ああ、スイスにまた行ける日は来るんだろうか・・・などと考えながらも、近場で、行ったことのないところにも目を向けた今年の秋でした。

ハーブ園1

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今秋の大山崎山荘

大山崎3
 コロナ禍は、日本でも留まることなく、欧米も、途上国でも同じく、日常的な渦をまく禍となっています。せっかく復活した古筆のお稽古も、12月からは 再度 お休みになりました。

 ということで、またしばらく京都に行けなくなりましたが、2週間前に、醍醐寺で紅葉を見て➡➡、2週間後には、大山崎山荘美術館の庭の紅葉も、きっと、綺麗だろうと計画していました。2014年の紅葉はこれ➡➡

 で、行ったのですが、下の写真のように、まだ???
 しかも、いつかの秋にがっかりしたように、猛暑の影響と思われる、紅葉の葉が、ちりちりに傷んでいました。だから、まだ真っ赤になっていないとはいえ、しばらく待っても、見事な紅葉になるとは思えませんでした。何故、醍醐の紅葉は綺麗で(ちりちりに傷んでいませんでした)、大山崎の紅葉は?同じ猛暑を経験したというのに・・・
  素人考えながら、もしかしたら、西に開ける醍醐寺。東に開ける大山崎。朝から、ガンガンに暑かった今夏。今後、猛暑の夏の年の紅葉は、東に開けていない場所の方がいいのかも・・・と考えたりしました。はてさて?

 さて、ここの庭は、一年中楽しめ、写真上のように万両の赤い実も、下の写真のように満開のつわぶきも、綺麗でした。

 蛇足のようですが、美術館鑑賞は、「生誕130年 河井寬次郎展 ―山本爲三郎コレクションより」展で(2020年3月20日~2021年3月7日の1年間)で、京都五条坂の河井寬次郎記念館➡➡で見たものより、もう少し、生活感のあるものも並んでいました。セットのコーヒーカップやお湯のみ、おちょこ、そしてテーブルと椅子などなど。
 作風は、時代によって少し変化していきますが、どれにも温かみがあるのを感じます。

 もちろん、モネの水連やアイリス、ピカソもありました。西洋絵画は、いつも、ほんの数点出ているだけですが、庭が1年中楽しめることと合わせて、いつ訪れても、静かに楽しめるので、充実の時間を過ごせます。

大山崎2

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狭い世界

大山崎1
(承前)
 かつて、おばさんになってから大学院に籍を置いたのは、教育系博士前期課程です。(博士後期課程は中退しました。)
 教育学部出身のカ・リ・リ・ロの指導教授は、女性の小児科医でした。当初、彼女の指導と、カ・リ・リ・ロ自身のそれまでの知識・経験は、なかなか、近づくことができませんでした。とはいえ、違う畑の人の考えを受け入れていく(偉そうに、失礼!)過程を経ると、違った視点が見えてきました。

 学問は、専門を究めることも確かに大切ながら、ちょっと離れて、違う角度から見、広い視野で、考えることは必要かと思います。しかも、人間の土台である、子どもの教育を考える重要性は、誰にでもわかることだと考えます。
 が、いまでも、なかなか、専門領域の敷居は高いものがあるのではないかと思います。
 
・・・等と考えてきたのですが、先の「古代の朱」➡➡ ➡➡ の著者は、文中、何度か、頭の固い学者を非難している(と思われる)箇所があり、著者自身は、文学という畑から、地質学という畑との共同研究という形になっていくのです。そこで、見えてきたものも多い古代の研究だったと思います。論文ではなく、一般に読みやすく書かれた単行本(文庫本)という形ではありましたが、垣根を越えて見えてくるものへの熱意を感じました。

 それは、最近読んだ文庫本「自閉症は津軽弁を話さない」(松本敏治著 角川ソフィア文庫)でも、感じることでした。
 これは、夫婦ともに、臨床発達心理士でありながら、夫(著者)は学究、妻が現場というそれぞれの立場でした。

 子どものこと、人間のことを考える研究は、机上の論理だけでは成り立つはずもなく、現場という時空が、必須だと思います。現場のデータ集めという意味でなく、その場の空気で読みとり、受け取るもの、それが、重要だということです。それは、今でいうオンライン授業と対面授業という関係に、少し似ている側面があるような気がします。

 ともかくも、著者のこの研究の発端は、現場をよく知る奥さんとの意見の相違から始まり、探求する流れ、そして、奥さんに完敗という結末です。
 津軽弁が相当、共通語と異なるようですが(聞いたことがありません)、共通語を話す社会であれば、気づかなかったかもしれない大事な視点が、この本には書かれています。 この本も、学術的な論文とは違い、広く一般向けに書かれていて、子どものコミュニケーションで悩む人のみならず、コミュニケーションとはどういうことなのか?を考える一つのきっかけともなります。
 現場をないがしろにし、本だけの学問を推進する学者には、知ってほしい現場の声でした。
 

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青丹吉


いかるが8
(承前)
 「古代の朱」(松田壽男 ちくま学芸文庫)➡➡は目から鱗の情報を与えてくれました。
 その一つ、「あをによし」という奈良にかかる枕詞。

「あをによし ならのみやこは さくはなの におふがごとく いまさかりなり」(巻3-328)などで習った枕詞。
あをによしは、奈良にかかる枕詞だから・・・としか、考えもしなかった・・・。
が、青丹吉(あおによし)と書くとなると、当たり前ながら、意味がある。
「青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有」
「青」や「丹」の良きところ奈良なんだから。
 この漢字と平仮名の関係を万葉仮名というんでしたね。が、漢字で書かれた万葉集を、しっかり習ったかなぁ。あのとき、もっと、勉強しておけば、今頃、驚かなかったはず。あーあ。
 が、今また、万葉集を手にとるきっかけになり、先日、奈良に足を運んだ➡➡ ➡➡のも、実は、この本の影響。ま、単純なものです。

 ともあれ、調べると、「青」は、緑で(岩緑青)。奈良は、その岩緑青の産地で、「丹」は土の意という説。が、しかし、「丹」の意味には、赤土しかでてこない。
  はて?が、しかし、この著者の解釈によると、「丹」は華々しい(黄色を伴う)赤・・・つまり朱色。そして、奈良の都の青(緑)や赤に塗られた建物が点在していた、という解釈。
  ***「丹」・・・・硫黄と水銀の化合した赤土。辰砂(しんしゃ)。赤色の顔料。不老長寿の薬(と思われていた水銀の一種)。

 また「よし」の解釈も青丹を強調するもので、意味を持たないとまでいう国文学の解釈もあるものの、じゃあ、「吉」という漢字を見れば、それには、いい意味があるじゃありませんか。
 ということは、「青丹吉」(あをによし)は、この著者のいう解釈が大きな意味を持つのではないかと思うのです。

 先日来、考えてきたように、魔除けとしての赤➡➡を考えると、都の建物が朱色に塗られたのが理解できます。また、そのあと、「丹」のつく地名や川から考察していく著者の論考から、奈良の近くの「丹」の産地を考えると、青だけを考えているだけでは足りないのがよくわかります。

 と、ちょっと考えるようになれたのも、この著者が、地質学者と手を携えて、研究を進めていったことに影響されたかもしれません。正解はない文学の世界で、硬い頭だけで論述していくよりも、分野の違う学問とのコラボは必要かと思います。
 これは、身近な例からも考えていたことです。(続く)

☆写真は、奈良斑鳩 中宮寺

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古代の朱

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➡➡承前)
 もの知らずだと自覚していましたが、「丹」という字が、硫黄と水銀の化合した赤土(辰砂・しんしゃ)のことを表し、黄味を帯びた赤色のことだと知って、世を見る目も少し変わってきました。それは、赤色(朱色)の鍾馗さんや、赤い玩具の持つ魔除けの意味をもっと知りたいと読んだ「古代の朱」(松田壽男 ちくま学芸文庫)の影響です。
 また、この本では、今まで水銀=危険と考えてきたことと少し違う水銀の見方ができました。丹、その歴史、そして、その産地、加えて、その丹のつく地名などなどおどろきの連続でした。新しい視点で日本史を見る大きな指標となりました。

 読後、鳥居や神社の軒下などの朱色の見方も変わりました。
 そして、腐敗防止の観点から日本のミイラの話に流れていくのも面白かった。
 ただ、文庫本で手書きの地図やその書き込みが細かすぎて、老眼にはつらいものがあるのは、難点ではありました。(図書館から借りた、もとの単行本の地図ですら読みにくかったので、文庫本なら、単独で地図など拡大しているかと思ったのですが、より小さかった。)

 そして、いつか、本文で紹介されている場所に、いつかは足を運んでみたい・・・という思いにつながり、ポジティブな気持ちが生まれたのは、コロナ禍の状況では大切なことでした。(続く)

☆写真は、京都 平安神宮

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ねずみにぴったりののりもの

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 (承前)「ねずみのウーくん」➡➡に続けて、エッツの描くネズミの出てくる絵本の三冊目。1冊目は2月に書いた「いどにおちたぞうさん」➡➡でした。
 この「ねずみにぴったりののりもの」(エッツ作 こみやゆう訳 好学社)が一番ネズミが登場するものの、どうも後味がよくない・・・・

 ねずみのグレイさん一家とティリーさん一家がジョニーの玩具の乗り物で遊ぶのですが、はしゃぎすぎたのか、自動車と汽車がぶつかって、グレイさんだけが汽車の下敷きに・・・
 何も知らないジョニーが起きてきて散らかっている玩具を拾い上げようとすると、やっとグレイさんは汽車から逃げ出すことができました・・・そして、先に逃げ帰っていたみんなも頭にたんこぶができ、鼻先は切れ、しっぽはよじれていました。が、一番大きな声で泣いたのがグレイさんその人(鼠)です。というのも、誰よりも大きなたんこぶができ、鼻先は誰よりも大きく切れ、しかも、しっぽはよじれるどころか、先っぽがきれてなくなっていたのです! 
 「ああ、ああ、のりものなんて こりごりだ!」

 たしかに、玩具で勝手に遊んだから、そんな仕打ちがあっても仕方ないとはいえ、そんなに悪気なく遊んだのですから、こんなひどい目に合わなくてもいいんじゃないかと思ってしまいます。

 そして、ネズミの描き方は、生き生きとしているのですが、登場する唯一の子どもジョニーの描き方が、それまでの「もりのなか」「またもりへ」「ジルベルトとかぜ」「わたしとあそんで」「セシのポサダの日」「ペニーさん(三冊)」「あかちゃんのはなし」「ロベルトのてがみ」「きこえる きこえる」「おやすみかけす」などに登場する子どもたちと、ちょっと距離のある描き方です。  

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ねずみのウーくん

エッツ2
「ねずみのウーくん―――いぬとねことねずみと くつやさんのおはなし」 マリ・ホール・エッツ たなべいすず訳 冨山房)

くつやのおじさんの家には、犬のロディゴとねこのミーオラが住んでいます。が、仲が悪い。そして、ねずみのウーくんも住んでいて、くつやのおじさんに可愛がってもらっていました。
 そんなある日、くつやおじさんのお姉さんのドーラおばさんがオウムのポリーアンドリューを連れてきて、一緒に住むことに。ドーラおばさんは、ネズミが大嫌い。そこで、仲の悪かった犬のロディゴと猫のミーオラが歩み寄り、話し合い、ウーくん参加の作戦で、おばさんを退散させる計画を立てます。それは・・・

 くつやのおじさんがねずみのウーくんを可愛がる気持ちはわかります。このネズミ、人一倍(鼠一倍)気が弱くて、気が優しい。
 ウーくんが、寝ているおばさんの首の後ろに降りる作戦、その計画を聴くと、
   「だめだ、だめだ!そんなことできないよ。ぼくはあのひとにころされちゃう」
≪・・・・「わかっているんだ。やってみるよ。でも、こわいなあ」そして、ぶるぶるがたがたふるえながら、ドーラおばさんの頭のそばのカーテンを、するするとよじのぼり、ベッドのさくをつたっていきました。まんなかまでくると、立ちどまって見おろしました。
「もしも、あのひとのせなかの近くにおりて、あのひとがねがえりをうったら、ぼくはつぶされてしまう。口の中におちれば、ぼくはのみこまれるか、さもなきゃ、かまれてしまう」と、ねずみはいいました。「とびおりる前に、ねらいをつけろよ。首のうしろにおりるんだ。」と、ロディゴがいいました。そこで、アンソニー・ウーさんは、ねらいをつけました。でも、まだとびおりません。「いいかい、ぼくたちはここにいて、いつでもたすけにいくからね」と、ロディゴはいいました。「三つかぞえるんだ。それから、ゆうきを出してとぶんだよ」   「ぼく、かぞえられないんだ」アンソニー・ウーさんはいいました。「それじゃ、ぼくがかぞえよう」ロディゴがいいました。   「いーちっ―――にーいっ―――さーん、それっ!」  アンソニー・ウーさんが思いきってとぶと・・・・・≫

というわけで、作戦成功。
そして、冬になって夜が長くなると、くつやのおじさんは、戸棚にしまっておいた本
『みんないっしょに平和にくらした 一ぴきのねこと一ぴきの犬と一ぴのねずみのお話』を動物たちに読んでやるのでした。

 では、エッツの描くネズミの絵本をもう一冊。(続く)

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醍醐の紅葉狩り

醍醐寺2
醍醐の桜は有名ですが、混雑することでも有名です。なので、豊臣秀吉の醍醐の花見ではなく、醍醐の紅葉狩りなら、どうでしょう?
 これはこれは、紅葉もなかなか多いじゃありませんか。
 京都の世界文化遺産17あるうちの一つが、醍醐寺。
 上の写真も下の写真も三宝院という素晴らしくきれいなお庭から撮りました。カメラでは写しきれない素晴らしさです。京都のお寺のお庭の拝観は数々してきましたが、その中でも、心に残る一庭。
醍醐寺4
 三宝院の池には、カワセミも居ました。係りの方いわく、山水が流れ込んでいるので、水がきれいで、よくカワセミが来るとか・・・
醍醐寺6


 下の写真(総門)左側、葉の落ちた枝は、枝垂桜のそれ。つまり、桜の頃に撮ったら・・・・
醍醐寺1
 次の五重塔(国宝)の周りは、寂しく写っていますが、みんな枝垂桜の木・・・・
醍醐寺3
 これは、仁王門。ここにも桜の枝が入りこんでいます。
   醍醐寺5
 と、まあ、桜の時期はさぞや、さぞや、美しいでしょうね。
 ともあれ、この醍醐寺、上醍醐と下醍醐から成り立っていて、上醍醐に行くには、さらに1時間山道を上らなければなりません。「徒然草」の仁和寺にある法師のように、下醍醐寺だけ楽しんで、さも、醍醐寺全体を見てきたような、今日の拙文でした。

醍醐寺7

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黄葉 しましくは なちりまがひそ

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例年より、紅葉・黄葉が、長く楽しめていると思います。
家の周りをちょっと歩くだけでこんなに綺麗。
秋の早朝、光は、柔らかく優しい。

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今日のタイトルの元は、
「あきやまに おつるもみじば しましくは なちりまがひそ いもがあたりみむ  秋山余 落黄葉 須臾者 勿散乱曽 妹之當将見」(柿本人麻呂 巻2-137)
*しましく・・・しばらく  **須臾(しゅゆ)ほんの少しの間

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令和二年の七五三

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 2018年の七五三➡➡で、頑なに泣いてばかりだった孫も4歳半。その次の孫も2歳半。ということで、かぞえで5歳と3歳の女の子の七五三となりました。
 5歳は、男の子お祝い中心のようですが、かつて我が三人の子どもたちもちょうど7歳5歳3歳のころがあったので、女の子男の子関係なくお祝いしたのです。だから、当時の着物もそのまま使えました。
 4歳半の方は、写真館でも笑顔を見せ、神社でもうろうろ探検する余裕でした。
 そして、いつもは、泣くと大泣き(大騒ぎ)になる2歳半の方は、今回は、泣くことはしないものの、にらみつけるか、顔をそむけるかしかできませんでした。

 そして、本殿のお祓いの後、余裕を見せていた4歳半も、急に不機嫌になり、抱っこで帰宅・・・・
 緊張の糸が切れるというのを、はっきり見せてくれた瞬間でした。

☆写真下: 顔の部分をカットしていますが、実は、いい写真なのです。右の4歳半が、大丈夫よと言いたげに2歳半をのぞき込み、2歳半は、お姉ちゃんの着物のたもとを握って、不安げにこちらを見ているのです。
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さとうねずみのケーキ

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(承前)
「さとうねずみのケーキ」(ジーン・ジオン文 マーガレット・ブロイ・グレアム絵 わたなべしげお訳 アリス館)

≪ まずしいケーキ職人のトムが、本当は上手にケーキが焼けるのを知っているのは、小さな白いネズミのティナだけでした。
お城では、新しい料理人を募るケーキコンテストを催すことに。トムが作ったのは、上から下まで白砂糖でできたたくさんのネズミで飾られたケーキでした。で、会場に運び込む途中、よろけてしまうと、一番上の女王ネズミの飾りが、倒れ、ばらばらに・・・≫

 ケーキの好きな(食べ過ぎる)女王様も出てきます。それに、ネズミと言えば、ネコも。

≪ コンテストで一番おいしいのは、チーズケーキだと主張する女王。ネズミの飾りのケーキは見事な出来栄えだという王様。結果、二つのケーキが王様と女王の部屋に運ばれ、女王は、チーズケーキを平らげ、銀のクッキー箱に入っていたクッキーまで食べてしまいます。そこへ、ネコがやってきて・・・・≫

 確かに、トムの作ったネズミの飾りのついたケーキは、精巧で素晴らしい。が、女王の食べ過ぎたチーズケーキも周りを綺麗に飾り、その断面を見る限り、何か、ドライフルーツ(多分、干しブドウ?)が入って美味しそう。
 ケーキコンテストは、味を見るのか、外見を見るのかで評価が分かれるところではありますが、このとき結局、トムのケーキが優勝したものの、味で吟味したら、どうだった?などと大人は不要な考えを持つのが、いかん、いかん。

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ほら なにもかも おちてくる

おちてくるj (2)
「ほら なにもかも おちてくる」(ジーン・ジオン文 マーガレット・ブロイ・グレアム絵 まさきるりこ訳 瑞雲舎)
さりげなく、季節の移ろいを表現した絵本です。
 
花びらが落ち、噴水の水が落ち、リンゴが木から落ち、砂のお城がくずれて水のなかに落ち、木の葉がはらはらと落ちてきて、雪が降り、雪が帽子の上に落ち、雨が降り、雨が傘の上に落ち、影が降りてきて、夜のとばりがおり、星が降ってきて、こっくり こっくりし始めたお父さんの手から本が落ち、ジミーの積み木が崩れ床に落ち・・・・そして、朝、お父さんがのジミーを抱き上げ、空中にほうりあげます。が、ジミーは落ちません。お父さんが、ジミーをしっかり 受け止めました。

そういえば、こんな風に、何でも、いろんなものが落ちることに気づきます。
多色刷りでなく、多弁でないこの絵本には、静かに淡々と、生きる喜びが描かれていると思います。
優しい絵を子どもたちと、隅々まで楽しみたいものです。

 この絵本の文と絵は、ご夫婦の作で、コンビによるデビュー作だとあります。
 夫婦は、子どもたちの大好きな「どろんこハリー」(ジーン・ジオン文 マーガレット・ブロイ・グレアム絵 わたなべしげお訳 福音館) ➡➡  ➡➡のシリーズなども手掛けています。では、この二人の絵本をもう1冊、ネズミ年なので…(続く)

☆下の写真は、奈良 新薬師寺近く高畑➡➡  ➡➡の街路樹ナンキンハゼの根元。
新薬師寺7

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月立ちて ただ三日月の 眉根掻き

新薬師寺4
(承前)
 奈良の高畑にある「入江泰吉記念 奈良市写真美術館」≪入江泰𠮷 万葉大和路」展➡➡では、来年のカレンダーをお土産に買いました。それが写真、下に写る先日の法起寺➡➡が表紙のものです。そして、その上に、感動的に美しい三日月の写真のクリアファイル。

この三日月の写真に添えられた歌は、二つでした。
≪月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く 恋ひし 君に逢へるかも≫大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ):巻6-993
≪振り放けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも≫大伴家持(おおとものやかもち) 巻6-994

展示の他の写真には、一つの歌なのに、この写真には、何ゆえ、二つの歌かというと、この歌が歌われたのは、坂上郎女が親族と宴をした場で作られたもので、初めのが郎女本人で、家持は、その甥で当時16歳。大伴家持は万葉集編纂に携わった一人で、36歌仙の一人。

そして、その宴で郎女が詠んだもう一つ。
≪かくしつつ 遊び飲みこそ 草木すら 春はもえつつ 秋は散りゆく≫巻6-995

この郎女という女性、若き日に穂積皇子の寵愛を受け、藤原麻呂の求愛を受け、後におびただしい恋歌、戯歌や相聞、長歌、儀礼歌、晩歌、行旅歌などをつくり後期万葉集に活躍した歌人だったようです。そして、上記の親族との宴では、自然の情緒も詠み≪要するに和歌の伝統をすべて継承して十二分にその機能の中に遊び、和歌を誇らかに保持したのが郎女であった。≫とありました。*「古代史で楽しむ万葉集」(中西進著 角川ソフィア文庫)

 郎女だけでなく、少ないと言え、他にも女性歌人の歌は残り、同等に扱われているのが、万葉集の魅力の一つ。
 平安以降、「男もすなる」と男性に言われながら書いたのではない時代が見えてくるのです。何人かの女性天皇が居たことも関係していた?
*「万葉集 全訳注 原文付」(中西進 講談社文庫)

☆写真下は、高畑の街路樹 ナンキンハゼ

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入江泰𠮷記念 奈良市写真美術館

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 (承前)
 上の写真の中央奥の屋根は昨日の新薬師寺➡➡です。
 手前、水を配した敷地は入江泰𠮷記念 奈良市写真美術館です。

 実は、コロナ禍、ヨーロッパが凄ーく遠い国になったせいか、それは全く関係ないか・・・・ともかく、個人的に日本の古典に近づく時間が増えました。古事記や日本書紀にも近づいてみましたが、いかんせん、漢字の名前が長すぎて、ロシア文学を読んでいるのと変わりなく、なさけないことに、現在のところ挫折。

 ところが、万葉集。これは、完全に(やっと)はまってしまいました。これには、特に一冊の本からつながっていく個人的な流れがあるのですが、この件は後日、書くとして、まずは、「入江泰𠮷 万葉花さんぽ」(中西進 文 小学館文庫)。この本に使われている写真の美しさ。
 それにまた、先日行った中宮寺➡➡の木造菩薩半跏像の写真は『岩波日本の美術の流れ 7-9世紀の美術 伝来と開花』にも、中宮寺が張り出す写真(絵葉書など)も、入江泰𠮷撮影のものでした。

 ということで、奈良市写真美術館でやっていた「入江泰𠮷 万葉大和路」展(~2020年11月15日)に行ってみたというわけです。
 これには、最近、カメラにはまっている夫も充実の鑑賞をしていました。
 カ・リ・リ・ロは写真の横にある万葉集の歌と写真を楽しみ、夫は、歌はほとんど見ず、レンズの絞り方とかシャッター速度のことばかり考えて鑑賞。

そして、美術作品も、画集で見るより、やっぱり実物・・・というように、写真も、本に印刷されているものより、実際に大きく引き伸ばされ、額に入っているものは、迫りくるものがあり、よかった。今のように簡単に画像処理もできないフイルムカメラの時代に、こんな写真が撮れたのか…すごい。(続く)

☆写真下は、写真美術館近くの民家そばにいた 鹿さん

新薬師寺6

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新薬師寺

新薬師寺
 うちの家からだと、近鉄奈良と阪急四条河原町、あるいはJR京都すべて1時間少々で行くことができます。それで、気候もいいので、また奈良にお散歩です。

 今回は、新薬師寺。
 今や(奈良としては)小さな境内や建造物になってしまっていますが(奈良教育大学の辺りまでがもともとの敷地のようです)、また、「新」とはついていますが、平安や江戸のもののように新しいわけではありません。何しろ奈良時代のもの。
 光明皇后が夫の聖武天皇の病気平癒のため新薬師寺を七仏建て、薬師像を造ったとの記載が平安末期のものにあるようです。

新薬師寺2

本尊の木造薬師如来坐像は、いつのものか不明ながら、平安初期?と見られているようです。
今回も、薬師如来様に手を合わせて、健康を祈願しました。薬師如来巡りと言えるかも?

そして、薬師如来坐像を取り巻く塑造十二神将立像は、奈良時代もので、これらが凄い!こんなに迫力のある神将たちに護衛されていたら、さぞや薬師如来様も、落ち着いて、人々のことを考えられるというものです。これら、本尊も12神将もみな国宝。先の国宝目白押しの法隆寺➡➡とは規模が違うものの、数の問題ではなく、こんな小さな場所にも、重要なものがあります。

新薬師寺3

さらに、驚いたことに、この12の神将たち、木造じゃないのです。素人の目には、年代物で表面の箔や上塗りの経年劣化かな?と見えるのですが、なんと、≪塑像は木の骨組みに縄を巻き付け、そこに藁をまぜた粘土につけて大まかな形を造り、紙の繊維と雲母をまぜた土で上塗りしたもので、眼球は紺、緑、褐色のガラスの吹き玉で表現され、表面は、青、朱、緑、紫に繧繝彩色され、現在でも、部分的に色が残っています。≫

ということで、この12神将は十二支ともなっていましたから、午年の『珊底羅(サンテラ)』の前に、みんなの健康祈願の絵馬を奉納してきました。(続く)
新薬師寺1

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斑鳩の中宮寺

中宮寺2
(承前)
 斑鳩三塔を訪れた最後は、法隆寺に隣接する(夢殿に隣接)中宮寺。もともとは、もう少し東にあったようです。
 ここは、誰もが、美術の教科書あるいは、日本史の教科書でみたことのある、木造菩薩半跏像(伝如意輪観音)を安置しています。
 
 世界三大微笑と言われているらしいけど、(他の2つは、モナリザ、スフィンクス、)断トツで、この菩薩半跏像でしょ。なにしろ、仏様ですからね。黒光りしたこの像は、本当に美しい。

・・・と、拙い言葉で、言うよりも、以下、美術史家 井上正の書いた文。長い引用ながら・・・
≪茫とした伏し眼の思惟の相は若々しさと明るさを湛え、双髻(そうけい)を球状に替えて髪への描写を捨て去り、ウエストをしぼった肉身には単純化の美しさが感じられる。手指のそれぞれの丸味と動きも生々しさがない。人体から生なものを抜き去って、そこに残ったのが本像の肉身だと言いたいほどである。衣は厚手で等間隔に衣文を配する感じがあり、ここにも思惟像の静寂な心境を象徴するような、心の整いを示す衣文がある。榻座にかかる衣の2段にたれるさまは、基本的な整いの形のなかに小さな変化を加え、重畳する衣は互いに離れのよい感じで重なっている。飛鳥時代の衣文の型を言い表わす言葉として「品字形の衣文」という表現がよく用いられるが、要はその型を用いつつ、いかに見事な表現を達成しているかにかかっている。ただ形ばかりにこだわる例が眼につくなかで、中宮寺像の場合はおそらくそのもっとも優れた作例であり、衣の表現は全体の造形のなかでも大きなウエイトを占めている。≫
『岩波日本の美術の流れ 7-9世紀の美術 伝来と開花』(岩波)

中宮寺30

 さて、この尼寺である中宮寺の本堂の周りは、ヤマブキで囲まれていますから、さぞや、春の開花の頃は、明るい庭となっていることでしょう。
 中宮寺1

中宮寺j

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風雨に耐え

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(承前)
 法隆寺の内部のお宝は、撮影禁止ですが、風雨に耐えうる場所の木造彫刻は、撮影可能だし、白日の下にあるので、隅々まで楽しめます。下の写真は、中門(上記写真、中央)にある、日本最古の阿吽の金剛力士像(修復は重ねられているようですが)。個人的には、吽形象の右手が、ちょっと気になります。
法隆寺1
法隆寺2

 金堂(上記写真 左手)にある、最古の木造四天王立像は、飛鳥時代のものです。そして、静かな様子で佇む四天王の様子と比べると、その足下で、苦しむ様子の邪鬼は、可笑しい。これらは撮影禁止なのですが、五重塔(上記写真 右手)の屋根の裳階(もこし:軒下壁面に付いた庇状構造物)で頑張っている邪鬼は、見ていて楽しい。がんばれ!
餓鬼1

餓鬼2

 また、金堂を支えている獅子や象、またかっこよく柱を飾る龍も、おりますよ。(続く)
餓鬼14

餓鬼13

法隆寺3

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斑鳩三塔 法隆寺

いかるが14
(承前)
 斑鳩三塔2つの三重塔の後、人出も、そこそこ多い法隆寺五重塔。
確か、小学校5年生の頃、遠足で来たことがあるはずの法隆寺でした。(大学の時にも来たかなぁ・・・)

 今回、秋季秘宝展もやっていたので(~11月30日)、より見どころ満載。特に国宝が多く、時代も飛鳥、白鳳、奈良、平安と続き、充分すぎるくらい、仏像は鑑賞できます。
 あまりにも多くのものがあり、興味も尽きなかったので法隆寺が発行した「法隆寺」という本を購入してしまいましたが、一つ一つの寺宝について熱く調べだすと、きりがなさそうです。

 先の法起寺➡➡には、木造十一面観音菩薩立像の一体だけだし、次の法輪寺➡➡は、静かに十一体でしたので、その差の大きいこと。桁違いです。好みを言うなら、静かな佇まいの法起寺や法輪寺の方が、お心静かになったものの、法隆寺の規模の大きさと深さには圧倒されます。
 
☆写真上は、法隆寺五重塔と中門。
下は、法隆寺夢殿。昔、昭和の頃、千円札の裏に描かれてましたね。表は言わずと知れた聖徳太子。(続く)
法隆寺10

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桂の香り

もみじ6
 おお、いい香り。桂(かつら)の木の匂いって、知ってますか?この時期にしか、匂うことができない、甘醤油のような匂い。香りが出る=香出(かづ)るが名前の由来という説があるようです。

 で、その香りと紅葉シーズンなので、またもや神戸六甲森林植物園に行きました。➡➡**三宮からバスで40分ほど、しかも65歳以上の兵庫県民は無料入場!!
もみじ7

池の周りの紅葉は綺麗でしたが、全体としての紅葉はまだまだでした。が、山茶花は、新鮮な花盛り・・・・というのも、山茶花は、今から春先まで、長いこと咲いていますからね。

もみじ8


         もみじ9

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