FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

ロムニー

アランデルj
(承前)
 サトクリフの多くの作品に共通するのは、主人公の少年・青年の成長ということと、それを支える友情や信頼や尊敬…一人では乗り越えられなかったかもしれないことの後ろ、あるいは横にいる人の存在です。時には、その風景や花、鳥、そして、犬も大きな役割を持って登場しますが、やっぱり、主人公に寄り添う人の魅力が大きいのも、作品の特徴なのだと思います。

 「ケルトとローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)の主人公ベリックが部族から出て、ローマの奴隷になり、そこで出会う人の一人に、ローマの首席百人隊長ユスティニウスが居ます。
 ≪軍団の首席百人隊長であり、ローマ帝国の辺境の地に道路を建設したり、湿原の干拓をしたりした、その功績が有名な男だ。だが壁の前に立っているベリックの注意を引いたのは、その男の名声ではなく、彼の身にそなわっているなにかだった。実際、その男はだれといても目立った。がっしりして胸板が厚く、いかつい肩をしている。立ったところを見ると、奇妙なほど腕が長い。浅黒く引きしまった顔に、大きなワシ鼻。ひたいの中央にミトラの印をつけているが、その下でつながりそうな黒い眉は、砂漠のアラブ人を思わせた。だが手に持った酒杯から目を上げると、その目の色は意外にも、太陽の国の黒ではなく、澄んだ灰色をしていた。冷たい北の海の色だ。ときとして非情になることはあっても、けっして卑劣にはならない男の目だった。ああいう男に仕えることができたらいい。「あの男の奴隷ならよかった!」ベリックは思った。「あの男の奴隷ならよかったのに!」≫

 この首席百人隊長ユスティニウスは、自分を根っからの「土木技師」といい、再度、北へ(ブリテン)湿原の干拓に戻ります。それを最後の仕事として完成させたいという思いをもって、また、そこに蘇りつつある農場での生活のために。

 その干拓した土地というのが、今のロムニーマーシュという土地です。Romny 、つまりローマです。
 そして、ローマが作ったのが「リーの防壁」(Rhee Wall)。ただWallを壁と訳したいところですが、土手とか堤防と訳してみると、現在の水路と土手のような場所のイメージができるかと思います。
≪湿原の南橋にあるマーシュ島は、島といっても土地がまわりより二、三フィート盛り上がっただけの場所にすぎない。ほんの1マイルほどの島だが、「リーの防壁」と呼ばれる大堤防がここを守っている。さらにレマニス港の下手の北の水門から続いている砂利の堤も、この島の海岸線沿いを通っている。…≫

今、この辺りは牧草地になっていて、上質の羊毛でも有名なようです。が、このような土地は、現代の地球温暖化で様々な影響があるのではないかと、危惧します。実際、温暖化とは程遠かったローマンブリテンの時代も、三日三晩続く大嵐と戦うというのが、物語りのクライマックスとなるのです。

そして、この辺りのことを、地図で見、WEBの映像で見ましたら、おお、昔、訪ねたライの隣町ではないかですか?そうそう、あそこも、向こうに海が見えるものの、そこに行きつくまでは、沼のような湿地だった・・・なぜ、ライに行ったか?それは、以前にも書きましたが・・・➡➡(続く)

☆写真は、ロムニーではなく、英国 アランデル城から、イギリス海峡を見る。ロムニーは、この海岸線をずっと東方向、ドーバー海峡に近いところ。(撮影:&Co.I)

PageTop

ケルトとローマの息子

ケルト2
 ペスト禍を扱った作品➡➡  ➡➡  ➡➡ を、次々読んでいったのですが、シュティフター➡➡だけでなく、サトクリフにも疫病が関係する話があります。シュティフターもサトクリフも、大人も若年層も楽しめるという点では共通していると思います。

 「ケルトとローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)
 この本では、他のペスト禍(疫病)とちがって、その話題を大きく取り扱っているわけではありません。ケルトの部族に助けられ育てられたローマの少年が、疫病神扱いされ、部族を出ていき、その後、ローマに奴隷となって、渡り、過酷な日々の後、またブリテンに戻り…という話ですから、疫病が、話のきっかけにはなっていますが、疫病自体を取り扱っているわけではありません。また、疫病と大きなくくりで書かれ、ペストやコレラ、スペイン風邪などと言わないのは、時代がローマンブリテン(西暦紀元頃~5世紀)だからです。

≪・・・作物は枯れ、羊は死んだ。獲物はとれず、そしてこの疫病だ。…一族にさらなる災いが降りかからぬうちに、こいつを追放せねばなるまい。そうでなければ、取り返しがつかぬことが起きるだろう。そう、追放だ。・・・・われらが問題にしているのは、彼がなにをしたかではない。彼がなんであるか、だ。彼に流れている血が、われらの神を怒られせているのだ。・・・≫

この血筋というアイデンティティーの問題は、サトクリフの多くの作品の底に流れるものです。この現代においても、疫病の出自にこだわり、そこを突き詰めたら、この災いが軽減するかのように思い込む輩がいるのですから、ローマンブリテンとしては、よくある話だったと思います。

 サトクリフの他のローマンブリテン4部作(猪熊葉子訳 岩波)に比べると、追放された少年ベリックの過酷すぎる運命や、登場人物が多く、人物構成が複雑だと感じるかもしれないものの、物語りの最後は、サトクリフの多くの作品同様、向こうに光が・・・・という結末が待っています。(続く)

「ケルトとローマの息子」(1955年)
ローマンブリテン4部作:(岩波)
「第九軍団のワシ」(1954年)
「銀の枝」(1957年)
「ともしびをかかげて」(1959年)
「辺境のオオカミ」(1980年)
☆写真は、英国 オックスフォード近郊

PageTop

コケの自然誌

こけ5j
「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 この本には、ネィティブアメリカンの深い考え方だけでなく、ユーモアにあふれる研究生活も描かれていて、コケと我々の間を狭めてくれたような気がします。
 また、かつては、おむつの代わりをしていたとか、生理用品の代わりでもあったという箇所を読むと、この学者の女性としての視点も見え、納得もできました。

 あるいは、「人工のコケ庭園」「コケ泥棒と傍観者」という章では、現代のアメリカ合衆国のコケへの姿勢に疑問を呈し、コケが身近にある日本とは違う価値観を知ることができました。が、これらは、アメリカの農業における遺伝子組み換え問題や農薬などなど、小さなコケが示す大きな問題にもつながるかと思いました。

「人工のコケ庭園」という章の最後で、筆者は、人工のコケ庭園の敷地のはずれに行きます。すると、
≪敷地の境界は、鹿やその他の動物が侵入できないように、外に向かって角度をつけた四本鎖の電気柵で仕切られていた。策の下の地面一帯はすべて除草剤が撒かれ、植物はすべて枯れてしまっていた。シダも、野草も、灌木も、木も、幅3メートルあまりの帯状に排除されていたのだ。何もかも枯れてしまった――コケ以外は。化学薬品の影響を受けないコケがその場所を占領し、コロニーが集まって、無数の緑色から成るものすごいキルトを作っていた。…≫

 「面白いから読んでみて」と教えてもらい読んだ本です。そのバトンを次につなぎます。「面白いから読んでみて」

☆写真上は、スイス ミューレン。 コケを意識して撮った写真ではないのですが、複数のコケが写っていて、ちょっと嬉しくなりました。写真下は、近くの公園。

コケ1j

PageTop

コケの強み

こけ4j
「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 「コケの自然誌」が面白かったのは、何もネィティブアメリカンの考え方に触れたからだけではありません。著者のコケに対する愛情が、苔の素人にも伝わり、興味深かったからでもあります。

≪コケが小さいのは、上に伸びるのを支える器官をもたないからだ。・・・・・木が高くしっかりとそびえるのは、維管束組織があり、木部組織が張り巡らされ、壁の厚い尿細管細胞が木製の配管設備のように木の内部に水を運ぶからだ。コケは最も原始的な植物で、そういう維管束組織を持っていない。その細い茎は、あれ以上伸びれば重さを支えられないのだ。・・・・けれども、小さいからといってそれは失敗したことにはならない。コケは、どんな生物学的尺度で見ても成功している――地球上、ほとんどすべての生態系にコケは存在し、その種類は2万2000にのぼるのだ。・・・・コケは表面に生息する。岩の表面、樹皮、倒木の表面など、地面と空気が最初に出会う小さな空間だ。空気と地面が出会うこの場所のことを、境界層という。コケは岩や倒木と片寄せあって生えており、その形や特性をよく知っている。小さいということが不利であるどころか、コケはそのおかげで、境界層の中に形作られた独特の微環境をうまく利用することができるのだ。≫

 個人的には、小さいものの味方をする考えが好みなものですから、納得しながら読みました。そして、コケの湿った葉が二酸化炭素を容易に吸収できること、コケは、他の植物がその大きさゆえに生息できない空間を自分の場所とするなど、コケの小ささ、その限界こそがコケの強みだというのです。パチパチパチ(拍手)

 そして、≪コケは水分の98パーセントを失っても枯れず、再び水分が補給されれば、元の状態に戻る。≫とし、標本キャビネットで40年脱水状態にあったコケのことを紹介しています。ここを読んで、また納得。我が家のプランターでさえも以前の家から付いてきていましたからね。(続く)
☆写真は、スイス アルメントフーベル。点在する岩の表面やその割れ目にコケが生えているのが見えますか?

PageTop

その名前を知ることが第一歩

こけ3j
「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 この本の底流を流れるネィティブアメリカンの哲学は、現代の人に重く響きます。
≪…(現代の)私たちはもはや植物の名前すら知らない。平均的な人が知っている植物の名前はせいぜい12、3種類で、しかもその中には、「クリスマスツリー」などというものが含まれていたりする。名前を忘れるというのは敬意を失うことに繋がる。植物との繋がりを取り戻すには、その名前を知ることが第一歩だ。≫

 ここで思い出すのが、シオドーラ・クローバー『イシ-北米最後の野生インディアン-』 (行方昭夫訳、岩波)『イシ-二つの世界に生きたインディアンの物語-』(中野好夫・中村妙子訳、岩波)
 ネィティブアメリカンの最後のヤヒ族といわれる「イシ」ですが、自分の名前をみだりに他人に告げることはない種族でした。白人学者に協力し穏やかな半生を過ごすものの、そのあとの解剖だとか博物館との関わりを考えると、上記でいう、名前と敬意という奥の深い問題を、「イシ」は知っていたのだとわかります。・・・・「イシ」も読み返さなくちゃ・・・・あーあ、またつながっていく。

閑話休題。
≪ ネィティブアメリカンの人々は、大きいものも小さいものも含めた植物が、再び人間に恵みを与える責任を果たしてくれたことに感謝をささげるために集う。…・口頭伝承から学べること。書かれたものの中から学べること。植物から学べること。そして、私たち人間もまた、私たち自身が果たすべき役割を意識してもいい頃だ。互恵というクモの巣において、私たちが持つ特別の力、お返しに私たちから植物に差し出せるものとは何なのだろう。
  人間の役割とは、尊敬することと管理すること。生命を寿ぐ形で世話することが私たちの責任であると。植物を利用することは、その性質に敬意を表すことである、と私たちは教わる。・・・・・・・≫

 ああ、この本は、かつて「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン文 上遠恵子訳 新潮社)「沈黙の春」(レイチェル・カーソン 青樹 簗一訳 新潮文庫)➡➡を初めて読んだ時と同じくらいの重さと深さを目の前に差し出してくれました。(続く)
☆写真は、スイス ギースバッハ

PageTop

求めているものが姿を現す

こけ6 (2)j
 「コケの自然誌」(ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳 築地書館)は、科学の本ですが、文芸の本のような匂いもする面白い1冊でした。

 一昔前のカ・リ・リ・ロなら、過日の「英国貴族、領地を野生に戻す」➡➡や、「樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声」(ペーター・ヴォールレーベン 長谷川圭訳 早川書房 ノンフィクション文庫)➡➡ 「動物たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた野生の声」(ペーター・ヴォールレーベン 本田雅也訳 早川書房)➡➡、そして、今回の「コケの自然誌」など、書評に出ていても、友人に勧められても、なかなか手を出さなかったような本です。
 
 ネイティブアメリカン ポタワトミ族出身で、科学者の彼女のコケ愛が詰まった本です。
 知り合いの長老に、何かを見つける最良の方法はそれを探しに行かないことだと、言われます。科学者である彼女にとって、これは難解な概念ながら、さらに目の隅で見ること。可能性に心を開くこと。そうすれば求めているものが姿を現す。と教えられます。

  ネイティブアメリカンのものの考え方では、≪すべての生き物にはそれぞれの役割があり、生き物はそれぞれ、特有の才能と知恵、魂、物語を生まれながらにして持っている。…自分の中にあるそういう賜を発見し、それを上手に使うことを学ぶ、ということが教育の根幹にある。こうした賜にはまた、それを手段として互いのために尽くす責任がともなっている。・・・・≫

 なんて深い考えかたなのでしょう。この根幹のところを押さえている者が、為政者となり、教育を司る者となるならば、地球上に住むあらゆるものは、危機から縁遠いはずなのに・・・(続く)
☆写真は、先日の天神山➡➡のご神木

PageTop

魔法の泉

泉2j
「片手いっぱいの星」(ラフィク・シャミ 若林ひとみ訳 岩波)
(承前)
 サリームじいさんの話を聞いて育つ「ぼく」は17歳の日記にこう書きます。
≪ぼくは17歳だが、ぼくの最高の友サリームじいさんの話を聞くのが十年前と同じくらい大好きだ。ぼくはいま、じいさんが十分考えたうえで、同じ話をある一定の期間のをおいてくり返し話してくれたんだと思う。話は語られるたびに少しずつ変わるものだが、変わるのは話だけではない。聞き手の方も年をとり、その話からまらちがった“魔法の果実”を得る。物語は決して涸れることのない魔法の泉だ。≫
 ここで思い出すのは、『お話を運んだ馬』(シンガー文 工藤幸男訳 マーゴット・ツェマック絵 岩波少年文庫)のお話の名手ナフタリですが、これはユダヤ人の話でしたね。

 ユダヤ、イスラエル、シリア、作者のシャミの生まれたダマスカス・・・混沌とした地域の宗教と歴史。シリア問題(大きく言えば、この辺り一帯の問題)は現代までも、片付いていない大きな問題ですが、「ぼく」が日記に書いたように、物語は魔法の泉です。大人は、それぞれの場所で伝えていかなけばならない。その使命感を忘れないようにしたい。

 最後にサリームじいさんの葬儀の箇所は、感動的です。
≪女は、ふつうは教会までしかいっしょに行かないのだが、全員墓地まで行くことにした。みんな、夫だけを危険な目にあわせたくなかったのだ。この通りから、あんな葬列が出たのははじめてだった。何百という人びとが、六人の男たちのかつぐじいさんの柩に続いた。また、二百人以上もの女たちが、柩の前を歩いていた。・・・・・(中略)・・・・・四人の兵士が機関銃を女たちに向けていた。でも女たちは先に進もうとした。みんな大声で兵士たちをどなりつけていた。サリームじいさんの娘さんが黒いブラウスを破き、叫んだ。「葬列を通しな。撃つんならわたしをやりなよ!」彼女は前にとび出していき、ほかの女たちは道端の石をひろうと、じりじりとあとずさりしている兵士たちの方へ向かっていった、一人の女が、「わたしはあんたたちの姉さんや妹や母親だよ!」と、叫ぶと地面に目を落とした兵士もいた。ジープにいた将校が、兵士にもどるよう命令し、ジープは去っていった。≫

☆写真は、スイス アスコナ

PageTop

片手いっぱいの星

花いっぱいj
「片手いっぱいの星」(ラフィク・シャミ 若林ひとみ訳 岩波)
(承前)
「こわい、こわい、こわい?-しりたがりネズミのおはなし」➡➡の作者ラフィク・シャミは、シリアのダマスカス生まれの作家で、ドイツに亡命後は、ドイツ語で作家活動をしています。シリア=イスラム教と思いがちですが、この人はキリスト教区に生まれ、両親もキリスト教徒でした。
 
少年から青年へ・・・自伝的要素の日記形式の話は、読みやすいものです。もちろん、今の日本の青少年とは、まったく違う毎日を暮らしているのですが、基本は、初恋あり、若者らしい正義感あり、思春期の青少年の心と行動が、共感を呼ぶことだと思います。実際に、その年齢の人が読んでくれれば・・・

というのも、この本を図書館でかりたものの、どうも新しい。1992年(三刷発行)とありましたが、しおりが、新品のように挟まっていました。予約して書庫から出してもらいましたが、30年近く、新品だったの?あーあ。

中には、知恵のある大人たちが出てきます。特に、サリームじいさんという老人は、様々な機知に富む話をします。「ぼく」は、サリームじいさんの話から、新聞記者を目指すようになるのですが、最後には、地下組織の新聞を発行する一人になり、政府批判、体制批判をしていきます。

サリームじいさんは言います。
≪新聞記者というのは、賢くて勇気のある人間だよ。紙とえんぴつだけで、軍隊や警察をもった政府に不安を与えるんだ。・・・・いつも真実を追求して政府をおびやかすんだ。そして、どの政府も、真実をかくそうとする。新聞記者ってのは御者みたいに自由な人間で、御者同様、危険にさらされて生きているんだ。≫

訳者あとがきにありました。
『片手いっぱいの星』というタイトルの意味は、≪アラブでは、星は希望を表すといいます。あたりが暗ければ暗いほど、つまり、状況が過酷であればあるほど、星はますます明るく輝きます。片手いっぱいの星―――それは、サリームじいさんの手の上で輝き、常に”ぼく”に希望と勇気を与えてくれる、じいさんの愛の象徴なのです。≫(続く)

☆写真は、スイス レマン湖畔

PageTop

しりたがりネズミのおはなし

こわいj
「こわい、こわい、こわい?-しりたがりネズミのおはなし」(ラフィク・シャミ文 カトリーン・シェーラー絵 那須田淳訳 西村書店)
「ああ、こわい、こわい、こわい。ネコよ、ネコがおいかけてきたの」とお母さんネズミが、飛んで帰ってきます。子ネズミのミナは、「こわいって、どこにいるの?」と聞くと、お母さんネズミは「こわいというのは気持ちなの。いるとかいないじゃなくて、そんな気持ちを持つとか、持たないっていうことよ」
・・・・・と、抽象的な気持ちの説明から入るこのお話。最初に、子どもの関心を捉えるというところで、少々しんどい。
「コワイ」を見つけるために、子ネズミ ミナは、ライオン、カバ、スカンク、ハリネズミ、象、犬、バッタ、亀、そして、ヘビに会います。そのうち、カバやバッタ、ハリネズミ、亀の登場は、必要なのかとも思います。
「コワイ」を説明せんがために、回り込んだ文章表現になっているのではないかと・・・

ただ、絵は、あっさり、簡潔に物語り、楽しいものになっています。見返しの部分から、話が始まり(呑気に食べながら歩いているネズミを、背後からねらう猫の絵)、タイトルでは、猫に追いかけられているお母さんネズミの絵。本文こそ始まっていませんが、もう、お話は伝わってきます。また、活字の大きさも変え、「コワイ」を視覚化しているところもあります。そして、最後は、お母さんのもと、きょうだいのもとに戻った子ネズミが、身体を寄せ合い、眠りにつくという「コワイ」と、まったく反対にある「安心」というところで終わるのです。そして、最後の見返し(上記写真)で、目覚めたお母さんと子ネズミたちの楽しい明日が描かれています。

 この絵本を読んでみて、「コワイ」という概念を子どもたちに、文章で伝えることの難しさを考えました。作者はラフィク・シャミという、シリア出身のドイツ語の作家で、一筋縄ではいかなかった背景を持つ人ですが、絵本の中でコワイというのを115歳になるお爺さん亀に語らせる部分があって、「わしはな、280種類ものこわいをしっておる。・・・・」と、言わせています。これは、ラフィク・シャミという本人の言葉を代弁させているように思います。

 この作者は、「片手いっぱいの星」(ラフィク・シャミ 若林ひとみ訳 岩波)という、ヤングアダルト向けの作品、大人の作品をたくさん書いています。(続く)

PageTop

鼠どもを呼びさまし・・・

     シヨン城j
(承前)カミュ「ペスト」(宮崎嶺雄訳 新潮文庫)
 ペスト禍や疫病禍は、どの作家を以てしても、不条理な現実だったと言えるでしょう。
 ただ、デフォーがロンドン、マンゾーニがミラノ、シュティフターがオーストリア、カミュがアルジェリアを舞台にした疫病の話で、各国にこうして話が残っているのに、日本では、さほど大きな形で残っていないのは、なぜなんだろう?と考えます。(個人的な勉強不足を棚に上げていますので、現代の文学ではなく、日本でも大きく伝わる文学があるなら知りたいと、思っています。)
 地震や他、天災に苦しめられてきたほど、大きな問題ではない?疫病のことを書き残すなんて、それこそ厄?
 それって、文書記録がない、処分したなどと言う、現代の一部の大人の言い訳の歴史の一端でもある????

  カミュの「ペスト」も最後を迎えます。
それは、鼠がまた、走りまわるのを見たところから始まります。鼠の大量死から始まり、鼠が走りまわっているのを≪それこそ楽しくなるようだ≫と。

 で、病疫は退潮。終息に向かい、町はロックダウンから解放。が、身内や友人の死・・・
≪事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅かされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることしっていたkらである――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。≫

☆写真は、スイス シヨン城 バイロン「シヨンの囚人」にうたわれた宗教改革者が実際に幽閉されていた場所。

PageTop

本質的なものに帰らねばならぬ

ノートルダム十字架j

(承前)カミュ「ペスト」(宮崎嶺雄訳 新潮文庫)

加えて、神父が延々と説教する場面があります。

≪・・・・神父はさらに豊かな潤色をもって、災禍の悲壮なイメージを語り続けた。・・・・・(中略)・・・・・・こういう次第で、あなたがたの来ることに待ち疲れたもうた神は、災禍があなたがたを訪れるに任せ、およそ人類の歴史なるものが生まれて以来、罪ある町のことごとくに訪れたごとく、それが訪れるに任せたもうたのであります。あなた方は今や罪の何ものたるかを知るのであります。--カインとその子らがそれを知ったように、洪水以前の人々が、ソドムとゴモラの人々が、ファラオンとヨブとまたすべてののろわれし者どもがそれを知ったように、知るのであります。そしてこの町があなたがたとこの災禍を閉じこめて囲いを閉ざした日以来、あなたがたはちょうどすべての人々がしたように、一つの新たな眼を生き物や事物の上に向けているのであります。あなたがたは今こそしてついに、本質的なものに帰らねばならぬことを知ったのであります。・・・・≫

 また、後半で、一人の少年が、ペストでもがき苦しみ亡くなります。医者のリウーは、≪まったく、あの子だけは、すくなくとも罪のない者でした。≫と激しく叩きつけるように、神父にいいます。神父は≪それはわかります。まったく憤りたくなるようなことです。しかし、それはわれわれの尺度を越えたことだからです。しかし、おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです。≫すると、医者リウーは、身のうちに感じえたかぎりの力と情熱をこめて、神父の顔を見つめ、頭をふります。
≪そんなことはありません。僕は愛というものをもっと違ったふうに考えています。そうして、子供たちが責めさいなまれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯んじません。≫

 結局、神父自身もペストで亡くなってしまいます。
 不条理を受け入れること・・・これは、大きな課題です。解決しない課題でしょう。(続く)

☆写真は、パリ 火災以前のノートルダム寺院の上にあった十字架。

PageTop

抽象だって相手にしなければならぬ

      ノートルダム2j

 「ペスト」関連で、 デフォー➡➡、マンゾーニ➡➡、シュティフター➡➡の次に読んだのが、このカミュの「ペスト」(宮崎嶺雄訳 新潮文庫)です。
 どの本も、現在のコロナ禍と似通う場面が多々あり、どの本もいつの時代?と思いながら読みました。このカミュは、ノーベル文学賞作家だからか、不条理作品の作家だからか、どの本の中でも、一番現代に近いからか、個人的には、一番読みにくい。

 デフォーは、ジャーナリストでもあったので、事後報告の面があり、マンゾーニは、ペストは、話の一部に過ぎなく、シュティフターのは、子どもに語り聞かせる話だったから、カミュより、読みやすかったのかもしれません。それに、シュティフターは他のも次々読みたくなったのですが、カミュは、これでもういいかもと思いました。読解力がないからだと考えます。

≪・・・・ややあって、医師は頭を振った。あの新聞記者の、幸福へのあせりは無理もないことだろうか?「あなたは抽象の世界で暮らしているんです。」ペストが猛威を倍加して週平均患者数五百に達している病院で過ごされる日々が、果たして抽象であったろうか。なるほど、不幸のなかには抽象と非現実の一面がある。しかし、その抽象がこっちを殺しにかかって来たら、抽象だって相手にしなければならぬのだ。・・・・≫
≪ペストというやつは、抽象と同様、単調であった。≫

『抽象』という言葉が、抽象的なので・・・・手強い。相手にしなければならないけれど。(続く)

☆写真は、パリ 火災より以前のノートルダム寺院が向こうに・・・

PageTop

打ち出の小槌

    打出2
(承前)
 阿保親王古墳➡➡から、南に行ったところには金津山古墳があります。ここの解説には、この辺りの村民を愛した阿保親王は、万一の飢饉に備え、この塚に財宝を埋めたという伝説のことが書かれています。今は、写真のように大きな木が中心に生えている後円部のみが円墳状に残っている古墳です。

 また隣接する地名は打出小槌町と、なんともめでたい地名。伝説によると、
≪むかし、打出村にお金持ちの長者が住んでいた。長者は小さな小槌を持っていて、その小槌を打ち振ると何でも願い事がかなえられるという宝物であった。この小槌は元は打出の沖に住んでいた竜神が持っていたもので、どういう経緯で長者の手に渡ったのか不明ながら、一つ困ったことに鐘の音が聞こえてくると、それまで打ち出した宝物のすべてを失ってしまうそうな…≫

 ・・・とまあ、どちらかというと、豊かな象徴のような伝説が多いその辺り、打出という地名は、西国街道が京の都から南西に下って初めて海岸に打ち出る場所だからと言われているようです、
打出1

 さて、古墳のすぐ近く、打出小槌町にあるのが、市の図書館の分室です。それは、国の登録有形文化財に登録されている旧松山家住宅松濤館です。そこは、小川洋子の『ミーナの行進』に登場する図書館です。この本には、この町の山手側のことや今も続くお店のことなんかも出てきます。

 また図書館に隣接する児童公園には、大きな檻があり、かつては、サルなどを飼っていたようです。そして、そこは、村上春樹の長編第1作目の『風の歌を聴け』に登場します。今は、劣化した檻とサルなどのイラストで解説が残っているのですが、そのイラストの猿が読んでいる本のタイトルは「海辺のカフカ」。

 してみると、この打出の地・・・新しい小槌を振りながら、次の伝説を生んでいこうとしているのかな、と思ったりします。そんな目で一番上の写真を見ると、打出の小槌のような形に見えてきませんか。

 梅雨入り前、古墳から現代小説まで、なかなか楽しい一回りでした。
打出3

PageTop

不要不急の外出(梅雨前)

業平1
 梅雨になる前に、真夏になる前に、もう一回り・・・のきっかけになったのは、この町にある業平橋や業平町、果ては伊勢町、公光町のこと。
 業平は在原業平で「伊勢物語」のモデルとなったと言われる人。この町に歌碑があることは、かつてここの欄でも書きましたが、➡➡実際、この人の別荘は、この近辺にあったとされています。また、公光町の公光は、謡曲《雲林院》の芦屋公光のことで、『伊勢物語』のファンだった公光は、夢で在原業平の霊に出会い・・・。史実と伝説が混在する業平と公光ですが、二人の祠が、とてもとても小さいながらもあって、しっかり、「伊勢物語」を読めていない者としては、またまた、広がる読書の連鎖に圧倒されています。(実は、今コロナ禍のせいで、お休みとなっている古筆のお稽古は「伊勢物語」が題材なのですよねぇ・・・この際、自粛生活の間にちゃんと読んでおきゃよかった・・・・)
阿保2j

 ・・・・と思ったら、浅学極まりないカ・リ・リ・ロに、この町の親王塚町というのもつながっていることを教えてくだった方が・・・そうなのです。親王塚という宮内庁が管理している古墳(現状は直径36m、高さ3mの円墳を方形の集合が囲む)があるのは、知っていました。(ただ、そこは、親王塚町に隣接する翠ヶ丘町にあり、翠ヶ丘は、元々は、こんもりした緑が多い場所で、御陵に翠松があるとされるかららしい。)
 さて、そこは、昨日の天神山ほど高い位置にはありませんが、今は、立派な木に囲まれ、周りとはちょっと違う雰囲気の空間です。浜から見ると、なだらかに海抜があっていて、昔なら、そこから浜が見渡せたでしょうし、夜の漁火や大阪湾の岸も見えたと思われます。
 で、業平と どうつながるか?親王塚に祀られているのは、在原業平の父親の阿保親王(といわれるも、実際は違うようです)。薬子の変(810年)に関わり、大宰府に流されたものの、帰京を許され、いわば、このシーサイドに別邸を構えたのではないかと伝説が・・・京都から淀川などを使って尼崎の海まで来られるようになって、そこで風光明媚なこの浜を見わたせる別邸をというのは、考えられます。(今は浜から遠いです)しかも、この辺りには、この阿保親王にまつわる伝説が他にもあって・・・(続く)

☆写真は上から、業平・公光の祠。阿保親王古墳。最後はその阿保親王廟への道標。歩道に突っ立つそれは、少々、通りを邪魔してました。

          阿保j

PageTop

天神山

芦屋神社1
 この町の小高いところに横穴式石室古墳のある天神さんがあります。平安時代の36歌仙の一人猿丸大夫の墓もあります。神社の解説によると、1400年前には、辺りの山々を聖地とあがめる豪族が居たとされていますから、この神社本体は、明治時代からのもののようでも(また、阪神淡路の震災の被害により、復興されたようです)、この地は、古い土地のようです。今は、瀟洒な家々が、面前に立っていますので、海まで見通せませんが、かつては、間違いなく海まで見え、果ては、大阪湾の向こう側、紀伊半島の一部も見渡せたと思います。さらに、この背景の山の上からは、もしかしたら、須磨・明石(海峡)まで見えたかも?源氏物語のロマンまで広がります。
芦屋神社2

 ・・・ということなんかは、あまり考えずに、ただ不要不急の小遠足に、歩ける距離に住む友人と行きました。坂を上るのがきつくなっている年齢の者にとっては、境内のご神木の下で、ゆっくり座って、おしゃべりするのは、生き返るひと時でした。「気持ちいいねぇ」「風が心地いいねぇ」。
 御神木はオガタマノキらしく、招霊(オキタマ)、これが転じてオガタマノキと名付けられた説がありました。
  帰って調べると、この神社はこの町の総鎮守であり、世にいうパワースポットだとか・・・ ふーん。
      芦屋神社3

 そういえば、平日の午前中でしたが、この小さな神社にしては、次々、お参りしてました。
 パワースポットやご利益のことなど、わかりませんが、今この現代でも、清々しい気持ちになれたこの地、昔は、見晴らしもよかったわけですから、風光明媚な立地であるのは、確かです。多分、モミジの時期も、いいでしょうね。
芦屋神社4

PageTop

恐る恐るの日常生活

     バラj
 この暑いのに、道行く人のほとんどがマスクをし、乗り物や建物に入るときは100%に近くマスクをし、店員さんもマスクやシールドマスク、そして、受付やレジにはシールドシート等など。さらに蒸し暑くなる日々の中、辛抱強い国民だと思います。それにしても、かの小さいと評判のマスクは、うちには、まだ届きません。

 経済のことを考えたら、10万人に何人とかいう目で、判断するのでしょうが、家庭の人は、その家族単位で、あるいは、その周りだけで考えるので、やっぱり、気持ちは緩まず、恐る恐るの日常に戻っています。
 
 自粛生活のいいところもありました。薔薇がたくさん咲いたという、個人的な喜びを筆頭に、毎朝、みんなが起きる前のほんのひととき、庭を眺めてぼーっとしていた以前のような時間が持てました。また、毎朝、ベランダのミックスリーフの小さな葉を摘み採って、市販のレタス類などに混ぜ、ぴりっとした味を楽しんでいます。もうすぐ、ブラックベリーもたくさん採れそうで、わくわく・・・
 こう、考えてみると、小さな命と向き合う(そんな大仰なものではないにしても)ことは、改めて心を支えてくれることだと思いました。ましてや、口に入るものは、自分の命にもつながり、喜びにつながるのですから、有難いことでもありました。

 京都の観光地や大阪の繁華街に出かけられず、町中、うろうろしたのは、いい経験でした。この町には、とんでもない設えの家々があるのは知ってはいましたが、実際歩いてみると、うっそーの声が出そうな、おうちの多いこと。
 また、この町にいろんな歴史的な文化財があることも、知ってはいましたが、実際訪れることは、ほとんどなかったのです。が、実際、歩いてみると、こんなところに!と・・・…まだまだ、知りたいこと多しの毎日です。
     バラjj

PageTop

夏はすぐそこ

6月j
先週のマルベリーだけでなく、ほら、こんなにグミの実も可愛い。

・・・・と思ったら、大きすぎるぅー!!!のタイサンボクの花。いい匂いです。低い場所で咲いていたので、香りも楽しみました。ほんのり優しいこの香り・・・香水にもありますね。泰山木じゃなく、マグノリアといえば、納得?ちなみに、本日6月8日の誕生花がタイサンボクとしているところもありました。(*で、この次の朝、もう一度見てみたら、無残にも、茶色く変色し、香りもなし)
6月2

・・・と思ったら、これでもかと花をつけている白いアジサイ。ハナショウブウブの向こうには白い柏葉アジサイ。
6月4
6月5

・・・・と思ったら、半分化粧の半夏生➡➡もスタンバイ。本当に夏が近いです。
6月3

PageTop

マルベリーどおりのふしぎなできごと

マルベリーj
 (承前)
 孫とのマルベリー摘みで思い出したのは、マザーグースの「桑の木の周りをまわろう」➡➡や「ピュラモスとティスベ」➡➡だけではありませんでした。ドクター・スースの絵本「マルベリーどおりのふしぎなできごと」(渡辺茂男訳 日本パブリッシング)もです。
 といっても、地名がマルベリーというだけで、桑の実や桑の木は、一切登場しません。(ただ、ニューヨーク マンハッタンにMulberry Streetは実在します。)

≪がっこうへいくみち、うちへかえるみち、じろじろ じろじろ、ぼくは ようく みてあるいたんだ。でも、ぼくにみえたものは、ぼくの足と、マルベリーどおりを とおってた うまと にぐるまだけ。こんなの なんでも ないよね。はなしになんか なりっこないさ・・・・・ただのうまが ひいていた おんぼろの にぐるまだけだもの。   これじゃあ、はなしにも なにもなりゃしない。そうだ、しまうまが にぐるまを ひいてたことに すればいい。これなら だれにも まけない おもしろい はなしに なるよ。マルベリーどおりの ふしぎな できごと!≫

・・・というわけで、しまうまに乗るのが、ギリシャの勇士。
しまうまじゃ小さすぎからトナカイ。
トナカイが引くのはそり・・・・と話はどんどん膨らんで・・・

他のドクター・スース作品にも共通する、空想を膨らませ、ナンセンスを楽しむ一冊ですが、写真左下、バラを置いたその下に、少々、引っかかる絵が描かれていました。お椀とお箸をもって、何かを食べながら走る辮髪で釣り目の中国人というステレオタイプの絵です。
 この絵本は、1937年のものですが、調べてみたら、このドクター・スースという作者は、出っ歯で釣り目で眼鏡の日本人をよく新聞の漫画に書き、日系人弾圧に一役買ったとありました。

 作者や画家や訳者、他、芸術家たちとその背景、その時代、その生み出すもの、そして、後から見えるもの・・・・・・とはいえ、作品は一人で歩き・・・・・・・・・まだまだ知らないことの多い一粒のマルベリーでした。

      マルベリー6j
☆写真下は、再度、マルベリーを採ってきて、ジャムを作ったお鍋、しかもスプーンでこそげ取ったお鍋を、まだ名残惜しそうに眺める孫二人。

PageTop

ピュラモスとティスベ

      マルベリー4j
(承前)
 マルベリーを摘むと、手が赤く(赤紫)になってしまうのですが、これは「英米文学植物民俗誌」(加藤憲市著 冨山房)によると、ピュラモスとティスベの悲恋物語につながるようです。
 ≪ピュラモスとティスベ、双方の親は二人の仲を許さなかった。あるとき、ニノス王の墓近くのマルベリーの木陰で会うことを約束。ティスベーが先に来てみると、折しもライオンが殺したオウシを貪り食っていた。驚いたティスベーは、外套を脱ぎ落したまま逃げ去ったが、後から来たピュラモスが、鮮血で染まった外套を見て、てっきり恋人が食い殺されたと思い、絶望のあまり、その木陰で自殺する。ティスベーが戻ってみると、ピュラモスが倒れているので、自分もその後を追って身を果てた。そのマルベリーの木は二人の混じりあった血を吸って、それ以後、その実は真っ赤な色に染まったという。≫

 ふーむ。これは、さながら、シェイクスピア!ロミオとジュリエット➡➡じゃありませんか!

 この話は、オウィディウス「変身物語(上下)」(中村善也訳 岩波文庫)四巻にあります。カ・リ・リ・ロは、この「変身物語」をとても、楽しんでいた時期があって、この話の欄外に「桑の実」や「ロミオとジュリエット」等とメモしてました。忘れてるなぁ・・・・

 「変身物語」にあるのは、無類の美青年ピュラモスと『東方』第一の美女ティスベの話で、バビュロンの都を舞台としています。親たちの反対に合うものの、二人は、両家を隔てる壁の細い裂け目を通して語り合い、恋はつのっていきます。ある日、二人はこんな取り決めを交わします。
≪夜のしじまが訪れたら、見張りの目をかわして、門の外へ抜け出すことにしよう。家を出たら、そのまま町はずれまで行こう。広い野原に出ることになろうが、そこではぐれたりしないように、ニノス王の墓で落ち合い、木の陰に隠れていることにしよう―――そういうことにしたのです。じっさい、そこには、真っ白な実をいっぱい垂らした木が―――高い桑の木だったのです―――冷たい泉のそばに立っているのです。≫

 夜陰に乗じて、ティスベはヴェールで顔を隠し約束の場所に行きます。その時、牛を食い殺したばかりで口を血だらけにした雌獅子が泉の水で渇きをしずめようとやってきます。驚いたティスベはヴェールを落とし、暗い洞穴に逃げ込みます。泉で渇きをいやした雌獅子は、落ちていたヴェールを見つけ、血だらけの口で引き裂きました。それで、遅れて家を出たピュラモスは、その引き裂かれ血に染まったヴェールを見つけ、嘆き、後追い自死。その際、吹き出した血は、桑の実をどす黒く染めます。根も、血を吸って、垂れ下がる実を赤く染めました。恐怖を抱きながらも洞穴から出てきたティスベは、先の桑の木と様子が違うと思いながら近づくと・・・
 それで、ティスベは、最期に願います。
≪・・・・この桑の木にもお願いが…。今は、みじめなひとりのなきがらを、枝の下に隠しているけれど、もうすぐ、ふたりのからだを覆い隠してくれましょうか。これからは、わたしたちの死の形見に、いつも、嘆きにふさわしい黒い実をつけてほしいの。ふたりの血潮の思い出にね。≫

☆写真は、我が町の庭木のマルベリーを発見。 黒くなって食べ頃ですから、鳥が食べに来てました。カ・リ・リ・ロも、一粒持って帰って食べました。    
                マルベリー20

PageTop

桑の木の周りをまわろう

マルベリーjjj

(承前) 
 孫とマルベリー(桑の実)を採りながら、かつて、イギリスに行ったとき、ルイスという町の公園に桑の木があって、実がなっていて、つい食べてしまって、手が汚れ、服にもシミが・・・ということを思い出しました。
 今回、孫と採ったマルベリーは東洋種のようで、生垣タイプでしたが、イギリスで見たのは、樹木でした。このとき、マザーグースの「桑の木の周りをまわろうよ」が頭にあったので、その樹木(低木だった)の周りで食べるのが嬉しかったのを覚えています。

♪桑の木をまわろう、桑の木をまわろう、桑の木をまわろう、寒い朝にね。♪

≪この木は、栽培樹木のうちで発芽が最も遅く、寒さが過ぎるまでは決して発芽しないから樹木のうちでは、最高の賢者と呼ばれている。(英米文学植物民俗誌 加藤憲市著 冨山房)≫とあります。
 一番の歌詞の最後のところは、”All on a frosty morning”というように、霜のおりるような朝には発芽しないものの、みんなで桑の木の周りをまわっているうちに、春も来る・・・という願いがこもっているのではないかと思うのです。
≪イギリス西部では、この木が発芽すればもう遅霜もないという。(英米文学植物民俗誌 加藤憲市著 冨山房)≫

 その次、イギリスでマルベリーの木を見たのは、テムズ上流、ウィリアム・モリス邸のケルムスコットマナーでした。そこでは、モリスの苺泥棒のモデルとなった苺や、有名なデザインの柳(ウィロー)にばかり気をとられていましたから、桑の木の周りで食べたり踊ったりしませんでした。(続く)

☆写真上は、ブラックベリーの花(バラ目バラ科木イチゴ属)。早く、実がならないかなぁ・・・。桑の実(マルベリー)は、バラ目クワ科クワ属。絵本は、ウォルター・クレイン「おさなごのオペラ」の The mulberry bushのページ。
☆写真下は、英国 ケルムスコットマナー(ウィリアム・モリス邸)の桑の木(マルベリー)。写真当時、8月ですが、まだ、赤い。先日、孫と摘んだ日本の桑(マルベリー)➡➡と、枝や実のなり方が、ずいぶん違います。

     マルベリー3

PageTop

マルベリー摘み

マルベリーj
 孫と歩いていると、孫より少し大きな女の子とお母さんが、生垣のところで実を採っていました。そこには、”マルベリーです。熟したものは、ジャムやキュルシュにどうぞ”とありました。
 もちろん、孫も参入。
 昨年いちご狩り➡➡に行った孫は、「いちご摘みみたいやねぇ」と、嬉しそう。
 黒く熟したものを採って、ジャムにしようねというと、「サリーのこけももつみ」(マックロスキー作 石井桃子訳 岩波)みたいだねぇ・・・・手が真っ赤(赤紫)になるのも嬉しくて、この実が最後だよという声も聞こえにくく、夢中になっていました。

 そして、帰って、ほんの少しをジャムにした母親の手間を考えることなく、また、明日も採りに行こうと、張り切っているよう・・・

 昔、子育てが充実しきっている頃、住んでいた山辺の住宅地に、たくさん実のなるグミの木がありました。そのグミの実を子どもたちと摘んで、ジャム(砂糖煮)にしたものの、出来上がったのは、ほんの少しだったことを思い出しました。
 
 そして今、このマルベリー摘みの話を知ったじいじは、孫が大きくなったら、スイスに一緒に行って、ブルーベリー摘み➡➡やりたいな・・・と、言っています。 ん?どこにたくさんあるか知っているのは、ばあばです! 孫が大きくなるまで 元気でいなくちゃあね。
(続く)
マルベリー2j

PageTop

ほん よんで!

バン1 (2)j

 6月1日から、いろんなことが元に戻ろうとしていますが、医療従事者等の子どもたちだけでなく、孫たちのような在宅勤務の親の子どもたちも保育所に戻ります。孫たちは、新学期、少し通っただけで、休みになっていました。
 保育士さんたちは、動画で歌を配信したり、ポストに、塗り絵や紙工作の型紙を投函してくださったり、はたまた、ついには、WEBで子どもたちと一緒に歌ったりという時間もあったようです。
 にしても、不要不急の外出は、近くの公園や川の遊歩道に行くしかない孫たちでした。図書館も休み・・・

 それで、ばあばのしたことは、絵本の貸し出しです。二人の孫に絵本を選び、在宅勤務で時間のあるじいじに、家の前まで配達してもらうのです。これまでは、孫たちが、うちに来た時に、何冊か持ち帰っていたのですが、うちに来ることも自粛していましたので、こういう形に。それで、貸出記録もプリントアウトして用意しましたら、4歳になった孫の喜んだこと。自分の図書カードですからね。

 それにまた、画像電話で、「ばあば 本読んで!」と言ってくることも、今まで以上に多くなっていました。絵本は、見えにくいし、こちらは持ちにくいものの、オンライン育児の一端を担うつもりで、読んでいました。
 多分、保育所生活に戻ると、画像電話で時間を費やすこともなくなってくるでしょうから、ばあばには、有難い自粛生活の一つだったと言えます。

☆写真上は、公園の池のバンの親子。下は、公園のアルスロトメリア。

アルストロメリアj

PageTop