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みんなみすべくきたすべく

共同作業

テンペストj
(承前)
 アリソン・アトリーの「リトル・グレイ・ラビットシリーズ」➡➡は、主に、マーガレット・テンペストが絵をつけています。≪時に動物たちが展示されたぬいぐるみのように見えるものもあった≫挿絵でしたが、人気を博していきます。が、二人の関係は良好ではなく、シリーズの出版が別の出版社に引き継がれた際に1934年、作家と画家は、同等の印税を受け取ることになるのですが、1929年から初め4冊はアトリーの原稿料より、画家のテンペストに多く支払わていました。
 
 また、グレイ・ラビットたちを生み出したのが、アトリー自身なのか、画家なのかに、アトリーは、こだわり続け、競争心を持ち続けます。日記には、テンペストのことを≪ユーモアがなくてつまらない。≫≪私の方が譲歩した≫などと書きます。ただ、時には≪魅力的だ≫≪鮮やかで、すんだ色彩は気に入っている≫とも書き、二人で休暇を過ごすこともあったようです。

  が、後々にも、≪あの人には、もう、私の愛すべき小さなものたちにふれてほしくない。≫≪あの人は、なんだって、そう上手に描けているわけではない≫≪なんてケチな人だろう≫≪あの人から、本についての賞賛や感謝の言葉ひとつ、もらったことはない。いつだってそしらぬ顔。私は、毎回あの人の絵をほめて、励まそうとしているのに、本当に応援しがいのない人だ。≫

 ところが、後に、画家テンペスト自身は、こう言います。(1971年)
≪・・・あれらの登場人物の創造については、自分は視覚によって、そして、アリソンは『言葉によって』彼らを生み出したのだ≫
そして、アリソン・アトリーはこれに、激怒。アリソン・アトリーの主張によれば≪あの登場人物たちを創り出すという最も重要な役割に主として携わったのは、ほかならぬ自分であり、マーガレット・テンペストは、あとから絵をつけたにすぎない。≫

 このように、一つの作品に関わる共同関係において常に生じていた摩擦の発端は、その根底のところにあったことがわかります。そして、これは、その昔、同じイギリスのディケンズの頃でも、駆け出しのディケンズとベテラン画家のジョージ・クルックシャンクともめていたことを思い出すし、ディケンズ亡き後、クルックシャンクが、本当はこうだったなどと言ったとされるような流れと似ています。

 くわえて、テレビシリーズ化によって、アトリーとテンペストの摩擦は決定的になり、二人でコンビを組む最後の一冊「リトル・グレイ・ラビットのパンケーキ・デー」を出し、その後はテンペストの絵に雰囲気の近い、友人の画家キャサリン・ウィグルズワースを使うことに。(続く)
 
☆写真右は、マーガレット・テンペスト文・絵「靴屋のカーリーと大雪の日」(てらおかじゅん訳 ほるぷ出版:靴屋のカーリーのおはなしシリーズ。左は、ビアトリクス・ポター文・絵「のねずみチュウチュウおくさんのおはなし」(石井桃子訳 福音館)➡➡・・・・アトリーなら、こんな比較を好まないでしょうね。

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対抗意識

農場にくらしてj
(承前)
「アリソン・アトリーの生涯」(デニス・ジャッド著 中野節子訳 JULA出版局)の序を読むと、あれ?この著者デニス・ジャッドも、「ビアトリクス・ポターの生涯」(猪熊葉子訳 福音館)で、ポターを辛辣で無礼➡➡と書いた、マーガレット・レインのような人かなと、思いました。
≪彼女は(アトリー)は、ときには親切で思慮深い愛すべき人物であり、楽しい仲間と刺激になるような友人が常にまわりを囲んでいた。しかし、同時に、支配的で皮肉に満ちた人物でもあり、ひどく厳しく計算高かった。彼女の課す要求に完全に応じられる人など、ほんのひとにぎりだったのである。・・・・≫

【** ただ、この評伝は、主に、アトリーの日記を資料にし、ポターより時代が進んだゆえに(1986年)、新聞などの書評からも、考察されているので、マーガレット・レインのものよりは、客観的なものかと思います。】

 さて、出版の仕事においても、アトリーは、ハードルの高い人であったとあります。これは、ポターが、ピーターラビットシリーズを出版する上でも、同じように、編集者と厳しくやりとりをしていたので、➡➡ ので自分の作品に誇りと自信をもって臨む姿勢は、芸術家・作家に共通していると理解できます。
 が、しかし、アトリーは、≪少なからぬ影響で受けたであろう他の作家に対しては、猛烈な対抗意識をもっており、自分が創り出した動物の主人公たちが、かのビアトリクス・ポターのそれに似ているという指摘には我慢ならなかった。≫とあります。
  
 当時の新聞の書評に≪ビアトリクス・ポターの模倣品≫とされたとき、怒りのあまり、アトリーは新聞を切り裂いてしまったり、そのあとも、何度かポターと比較され≪アリソン・アトリーの描く小動物は、ビアトリクス・ポターの作品から、直接的に派生してきたものだ≫という言葉に憤慨しているとあります。

 そして、ポターに対する対抗意識だけでなく、出世作となった「リトル・グレイ・ラビットシリーズ」➡➡の画家マーガレット・テンペストとも、摩擦が多かったようです。(続く)

☆写真は、アリソン・アトリー「農場にくらして」(上條由美子・松野正子訳 岩波少年文庫)画は、チャールズ・タニクリフ。
アリソン・アトリーは、マンチェスターで開かれた展覧会で、この画家の作品を初めて目にし、この画家は、後に彼女の多くのエッセイ本に挿絵を描くようになりました。
 

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二人の作家

アトリーj
上の写真右は、ビアトリクス・ポター最晩年の1枚で、穏やかな笑みを浮かべています。
 写真左、椅子に座っている女性は、アリソン・アトリー。膝の上にある本は、自伝的作品The Country Child【「農場にくらして」(上條由美子・松野正子訳 岩波少年文庫)】で、キャプションには≪成功した文学界の大物女流作家として、落ち着いたポーズで座っている。≫とあります。
 この二枚を並べたのは、差が大きく、わかりやすいからなのですが、アリソン・アトリーは、作家の風格を漂わせ、近寄りがたい尊大な雰囲気があります。ところが、ポターの晩年の写真は、どうでしょう。なんでも受け入れますよ。はい、はい、どうぞ、どうぞ、という空気を感じませんか?

 「アリソン・アトリーの生涯」(デニス・ジャッド著 中野節子訳 JULA出版局)を読むと(写真左は、この本の表紙です)、彼女が、貧しい中、苦労して学問(主に、科学)の研鑽を積み、また、夫の自死や息子との関係、身近な人との摩擦などなど、様々な経験を積み、少々、屈折の末、上記写真の地位にたどり着いたことがわかります。

 反対に、ビアトリクス・ポターの幼い時の写真こそ、硬い表情のものが多いものの、晩年に近づくにつれ、柔和な様子がうかがえます。裕福な生まれだったポターは、当時の女性として学歴こそありませんが、自然の中で充分に学び、論文も書き➡➡、ピータラビットたちを残し、それで得た資産を、自分一人のものにはせず、自然に戻すといった生涯でした。だから、個人的には、上記右のポターの写真は、「あーあ、やれやれ、よかった、よかった」という声も聞こえてきそうな気がするのです。

 アリソン・アトリーもビアトリクス・ポターも、どちらもイングランドの田舎の自然を友とし育ったことには違いがありません。それは、彼女たちの作品を読めば、よくわかることです。(アリソン・アトリーの作品は多いので、小動物ものだけではありませんが・・・)
 ただ、片や、田舎暮らしを素地にしたのにも関わらず、ロンドンに出、ロンドン近郊に居を移し、名画や骨董等などの購入する地位と貯蓄のある女性となり、墓碑には、「物語の紡ぎ手」と銘打たれた女性。
 片や、晩年は、田舎での暮らしのため、服装も気にせず、資産は、自然環境を守ることに費やし、自分の骨は、丘のどこに散骨されたかわからないようにした女性。

 今回、ネズミ年にちなんで、二人のネズミの作品を見、しかも、同じイングランドのネズミたちを見てきましたが、二人の作家の生涯には、大きな違いがありました。(続く)

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だれにも とんと見えやせぬ

子ネズミj
「兄さんネズミがさらわれた!」「子ネズミきょうだい町へいく」(アリソン・アトリー作 フェイス・ジェイクス絵 まがたようこ訳 偕成社)
(承前)
 このフェイス・ジェイクス絵になる二冊は、Little Brown Mouse シリーズの、7つのお話を選んで作られた本です。もともとのシリーズは、アリソン・アトリーの友人であったキャサリン・ウィグルズワースの絵で人気を博していたもののようです。(***キャサリン・ウィグルズワースは「こぎつねルーファスのぼうけん」「こぎつねルーファスとシンデレラ」(アリソン・アトリー 石井桃子訳 岩波)の挿絵を描いています。)

『バラとカンムリ亭』と呼ばれる宿屋で居酒屋の子どもたち、時には危ない目にも合う元気いっぱいの子ネズミたちの話です。子ネズミたちなら、こんな生活しているだろうなと思う描写は、楽しいものです。
≪お客の小さなハタネズミたちはドングリのジョッキでお酒を飲み、タイムでつくるネズミタバコをねん土のパイプでくゆらせました。≫
≪子ネズミのスナッグとセレーナは、背の高い草の中でかくれんぼうをしたり、スミレやサクラソウのあいだの木かげの道で走りまわったり、サクラソウのみつをすったりします。雨ふりの日には、スミレの葉をかさにして、とびちる雨だれをながめてはしゃぎました。≫
≪父さんネズミは、ヒルガオをたばねた さおの先に、イグサの糸をむすび、糸の先には、えさにする野イチゴをゆわえつけました。「さあ、これでおまえもつりができるよ。・・・・≫
≪町ネズミのだんなさまは、子ネズミたちに歌をうたったり、麦わらの笛をふいたりしてくれました。糸まきのたいこの上で足をトントンうって、タップダンスもおどってくれました。≫

そして、子ネズミたちが(人間の)フラワーショーに行ったとき、そこの手芸品を見て
≪「人間の ぬいめって、あらいわねぇ。布きれの白い糸のぬいめを見ていたセレーナがいいました。「お母さんのおさいほうを、みならったらいいのに。」そしてセレーナは、うたいだしました。
♬ねずみが ぬいものするときは 小さな小さな 針の目で だれにも とんと見えやせぬ。ネズミが つくろいするときは だれにも とんと見えやせぬ。つぎはぎしても かがっても とっても小さく 可愛いよ。♬≫

  ビアトリクス・ポターの「グロースターの仕立て屋「」(石井桃子訳 福音館)➡➡ ⇒⇒ ➡➡ を思い出しますねぇ。ネズミが、人々の身近すぎる場所に暮らしていたからこそ、できた歌なのでしょうね。(続く)

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ラベンダーのくつ

     ラベンダー
(承前) 「ラベンダーのくつ -アリスン・アトリーおはなし集ー」(アリスン・アトリー作 松野正子訳 大島英太郎絵 福音館)
 アリソン・アトリーのおはなしには、イギリスの自然、小動物や植物がたくさん描かれています。
 昨日の「小さな白いメンドリと三びきの子ギツネのおはなし」➡➡にも、いろんな植物が登場します。

≪いいにおいがしてました。 ほし草のにおい、いけがきの下のみぞにさいているクリームいろのセイヨウナツユキソウの花や、やぶの上にあたまをのぞかせてゆれているスイカズラの花のかおりもしてました。≫

≪スイカズラの小枝は、メンドリがとびあがってとりました。クローバーの花もつみました。お日さまであつくなった土手でむらさき色のタチジャコウソウをつみ、それから、じめんすれすれまでたれさがったノバラの花もとりました。≫

≪メンドリは、むらさき色の花をたくさんつみました。子イヌもてつだってくれました。すぐに、ラベンダーの花たばができました。≫

≪メンドリは、いつか村のひろばでひろってきた、じょうとうのハンカチでふくろをつくり、ラベンダーの花をいっぱいいれて、ふくろの口をとじました。イバラのとげをはりにして、ハコベのほそいくきを糸にして、こまかいぬいめで、ぬいました。それから、メンドリとノネズミとウサギは、ほかの花をほしました。スイカズラと、タチジャコウと、ヤエムグラとクローバーと、ハッカを、ひなたのたいらな石の上にひろげました。夜になると、メンドリが花の上にほし草をかぶせてよつゆが、あたらないようにしました。≫

で、このラベンダーが子ギツネたちのお気に入りの靴になったのでしたが、子ギツネたちが、ラベンダーの靴を履くと、誰も子ギツネたちをつかまえることができません。犬も追い駆けてきません。子ギツネたちが、犬の知っているキツネの匂いでなく、ラベンダーの花の香りだったからです。
多分、猫も寄ってこないと思います。というのも、以前住んでいた家の庭によく、猫が入ってきて困っていたのですが、庭の戸口の辺りに、ラベンダーを植えたら、猫が入ってこなくなったからです。猫には、嫌な匂いだったのかもしれません。

 それで、追加です。この春の我が家のベランダ菜園、バラの咲き方がいつもより多く、今もたくさんの蕾で、喜んでいるのですが、なぜ?一つ考えられることは、いつも見かける、柔らかい茎の先(蕾の根元)を喰う にっくきバラゾウムシが、見当たらないのです。毎年いるのですよ。今年は天敵がやってきた???
 で、これまでとの違い・・・・先日来、育てている、匂いのきついハーブ系、薬味系も、そばですくすく。(続く)

☆写真は、英国 ファリンドン。よく見かけるラベンダーより少々、ラベンダー色が薄いラベンダー

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小さな白いメンドリと三びきの子ギツネのおはなし

ラベンダー2
アリソン・アトリーの「ラベンダーのくつ」(松野正子訳 福音館)という短篇集。この挿絵は、恐竜のところなどで、何度か紹介した大島英太郎挿絵➡➡ ➡➡ ➡➡によるもの。恐竜などの科学の絵本に見る、写実的な絵ではないものの、描かれた動物の絵は、お話の邪魔にならない楽しいものになっています。動物好きの眼が、反映されているのでしょう。

 さて、「ラベンダーのくつ」には4つのお話が入っていて、兎年に、紹介したい「チム・ラビット」の話2つ。酉年に紹介したい「小さな白いメンドリ」の話2つです。そういえば、寅年に忘れないようにしたい、大島英太郎絵「むかし むかし とらとねこは・・・」(中国のむかし話より 福音館)もありました。うーん、その頃まで、このブログやっているでしょうか・・・

酉年ではないものの、「小さな白いメンドリと三びきの子ギツネのおはなし」です。
小さな白いメンドリとグレイ・ラビット➡➡は、ちょっと似ています。
≪白いメンドリは、はたらきもので、てきぱきと、うちのしごとをかたづけました。ゆかをはいたり・・・・≫

ただ、グレイ・ラビットは、若い女の子でしたが、小さな白いメンドリは、なかなか厳しく、勇敢な、太っ腹おばあちゃんという感じです。
こんな小さな白いメンドリと同居するのが、ノーテンキな茶色のウサギと、お手伝いはできるものの、小さすぎてなかなか大したことができないノネズミ。
写真のイラストは、ノネズミが「・・・まあ、どうして、こんなにたくさんお花をつんできたの?これ、こんやのおかずにするの?」と、きいているところです。メンドリは答えます。「いいにおいをとっておくためなの。うちじゅう、いいにおいがするの。」
そこで、ミツバチとチョウチョウに一番いい匂いのする花を教えてもらいます。「ラベンダーだ」

 さて、「小さな白いメンドリと三びきの子ギツネのおはなし」の後半では、父さんギツネが、昔、小さな白いメンドリに聞かせてもらった話「小さいキツネのシンデレラの話」を3匹の子ぎつねたちにするのですが、話の途中でおなかがへって、小さな白いメンドリをとってこいと言います。子ぎつねたちは小さな白いメンドリをのところへ行くものの、小さいキツネのシンデレラの話をしてほしいと言います。そのとき、小さな白いメンドリは、ラベンダーを入れる袋を作っていました。
 それで、小さな白いメンドリは、シンデレラのガラスの靴の部分をラベンダーの靴にアレンジします。すると、子ぎつねたちは、自分たちにもラベンダーで靴を作ってほしいと、ねだります。子ぎつねたちは、手早く作ってもらったラベンダーの靴を履き、お気に入りに。
 そのあとも、子ぎつねたちが来ると、小さな白いメンドリは「ねむりひめ」「ながぐつをはいたネコ」「あかずきん」のおはなしをしたということです。とっぴんぱらりのぷぅ。(続く)

☆写真は、大島英太郎の描くノネズミと、ラベンダーを編んだスティック(いただきものですが、クンクン・・・2年経ってもいい香りがします。)

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グレイ・ラビットのおはなし

グレイ・ラビット3
(承前)
 ねずみのラットの 結び目のついた尻尾の話の発端から、ぐるっと回って、時系列では、一番初めの「グレイ・ラビットのおはなし」➡➡に戻ってきました。
 「グレイ・ラビットのおはなし」は4つのお話が入っていて、石井桃子・中川李枝子訳です。
 福音館の方は絵本となっていて、石井桃子・中川李枝子訳(写真左)、岩波少年文庫の方はフェイス・ジェイクス絵(写真右)となっています。
 また、それぞれの名前の訳し方が、神宮輝夫訳の童話館のものと、石井桃子・中川李枝子訳のものでは少し異なっています。例えば神宮輝夫訳では、ふくろう博士とするのが、石井桃子・中川李枝子訳では、カシコイ・フクロウ、等。

 さて、ふくろう博士の家のドアについている銀の鐘の呼び鈴は、グレイ・ラビットが、自分の尻尾と交換したものですが、グレイ・ラビットは、何故、しっぽをふくろう博士に差し出したのか?
 それは、グレイ・ラビットは、自分のしっぽと引き換えに、人参の作り方を、ふくろう博士に教えてもらったからです。
 しっぽを提供してまで、一緒に住む者たちのことを思うグレイ・ラビットの健気さに引き換え、野ウサギのヘアやリスのスキレルのわがままで横柄な姿勢が、どうもやっぱり気にかかります。

 ・・・・ヘアもスキレルも、しっぽをなくしてきたグレイ・ラビットに容赦ありません。
≪「いったい、きみ、しっぽをどうしたんだね?」ヘアが、朝ごはんのしたくに、いそがしく動きまわっているラビットを、じろじろ見ながらいいました。「あなた、しっぽをどこにおいてきたの?」とスキレルも顔をしかめました。「カシコイ・フクロウにあげたの。」というと、ラビットはうつむきました。「はずかしいことだ。」と、ヘアがいいました。「はずかしぃぃぃ。」まけまいとスキレルもいいました。大つぶのなみだが、グレイ・ラビットのお茶の中に落ちて、カフスに、はねかえりました。・・・・≫

 ヘアやスキレルは、上記のような性格ですが、他の登場人物たちには、もっと近寄りたい気持ちです。改心したネズミのラット➡➡にも、厳しいふくろう博士⇒⇒にも、そして、グレイ・ラビットの尻尾をとり返すために、銀のコインを細工し、銀のベルをつくってくれたモグラにも。

≪モグラは銀のベルをもってきたのでした。そのベルは、ツリガネ草の花よりは、ちょっと大きくて、ジギタリスの花よりは、ちょっと小さくて、内側には、白い雌ウマのしっぽの毛につるした、サンザシの実がぶらさがっていました。モグラがふると、そのベルは「リン、リン」という、うつくしい、すずしい音をたてました。それは、とてもやさしく、とてもかすかな、うたうようないい音でしたので、スキレルとヘアは部屋のなかに、ミソサザイがはいってきたのかと、あたりを見まわし、ラビットは、星がうたっているのかと思って、窓の外を除いたほどでした。≫

≪このベルを、ふくろうに差し出すと、ラビットの柔らかい白いしっぽを、もとあったところにあて、ハコベの糸でぬいつけ、オトギリ草のしるをぬりつけましたので、グレイ・ラビットが家にかえりついたころには、しっぽは、またもとどおり、ちゃんとくっついたのです。≫

アリソン・アトリーの描写は細かく、豊かな自然を丁寧に描いているのは、このシリーズの魅力でもあります。
*絵本「グレイ・ラビットのおはなし」(石井桃子・中川李枝子訳 マーガレット・テンペスト絵 福音館)
*「グレイ・ラビットのおはなし」(石井桃子・中川李枝子訳 フェイス・ジェイクス絵 岩波少年文庫)

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ふくろう博士

梟j
(承前)
 ねずみのラットに知恵を授けたふくろう博士でしたが、フクロウは、昔から知恵と隣り合わせにいる役回りです。ネズミ年にネズミの本を探して書いていますが、梟年というのがあれば、脇役も含めると、けっこう、あるかもしれないなと、思います。ポターの「りすのナトキンのおはなし」(石井桃子訳 福音館)も!

 ただ、賢く、冷静で、厳しいという役回りでもあります。が、厳しいだけでなく、本当は優しいのは、上の写真下のフクロウが書斎に積み上げている本の上に、ちゃーんとネズミのラットが作った白い帆船を置いていることでもわかるし、実際、挿絵には、帆で走る船の本をとりだして、綱のはり具合を調べ、ひとりごと「どんなこまかいところも、正確につくってある。」。
***「ねずみのラットの やっかいなしっぽ」(アリスン・アトリー作 マーガレット・テンペスト絵 じんぐうてるお訳 童話館)

 そして、シリーズには、ふくろう博士が主役の話もあります。「ふくろう博士の あたらしい家」 (アリスン・アトリー作 マーガレット・テンペスト絵 じんぐうてるお訳 童話館)

 強い風の吹く夜、ふくろう博士は夜の狩りをおえて、我が家へ帰ったものの、
≪わが家がなくなっていました!博士は息がとまるほどおどろいて、あたりをさがしてまわりました。けれども、銀の鐘のよびりんも、小さな茶色のドアもありません。それどころか、オークの大木まで消えていました。・・・・(中略)・・・地面を見おろすと、オークの大木が、地面にながながとのびていました。まるで、大男がたおれているようでした。玄関のドアははずれています。本は草地に散らばっています。水たまりには、辞書が、白いユリのように浮かんでいます。銀の鐘はどこにもありません。≫

ということで、ふくろう博士は家を無くしてしまうのですが、グレー・ラビットたちが力を合わせ、違う木を見つけ出し、ふくろう博士のために新しい家を準備・提供するのです。。

それで、上記、引用文の中に、二度も出てくる「銀の鐘」。ずいぶん大切なもののよう。それも、そのはず、この銀の鐘は、写真上(「どのようにして、グレイ・ラビットは、しっぽをとりもどしたか」)で、モグラのモールディが手にしているものです。グレイ・ラビットは、この銀の鐘で、ふくろう博士に取り上げられていた、自分のしっぽを取り戻したのです。

 ねずみのラットにしても、グレイラビットにしても、リスのナトキンにしても、尻尾というのは、なかなかやっかいなものです。では、しっぽをなくした人間は、やっかいなものがない???(続く)
 

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ねずみのラットの やっかいなしっぽ

アトリーjj
(承前)
 さて、グレー・ラビットの家での懲らしめにあったねずみのラットは、逃げ帰る途中で、自分の尻尾の結び目に気づき、ほどこうとするものの(写真:右)できません。
 それで、とぼとぼと帰ったあとのお話が「ねずみのラットの やっかいなしっぽ」(アリスン・アトリー作 マーガレット・テンペスト絵 じんぐうてるお訳 童話館)

 リスのスキレルに器用に結ばれた尻尾の結び目は、ちっともほどけず、時には、より硬い結び目になっていきます。そんな、鬱々としたある日、もぐらのモールディに相談すると、ふくろう博士にプレゼントを持って、知恵を授けてもらいに行けばいいということに。
 ラットは、そのとき、ポケットに入っていた骨を,歯でかじりはじめ、磨いて、こすり、仕上げると、出来たのは、小さな白い帆船でした。昔、帆船に乗っていたことを思い出し、その作品に「希望号」と名付けます。

 で、それをもってふくろう博士のところに。
 ラットが恐る恐る帆船を差し出すと
≪「見事な彫刻だ、ラットよ、おまえ、こういう仕事をもっとしたらいいのに。盗むより、働くほうがよかろうが?」「おねがいです。ふくろ博士。このしっぽのむすび目を、ほどいてくれませんか?」ラットは、おがむように両手をあわせて、たのみました。「おれは、葉っぱみたいにやせちまいました。でも、だれも、これがほどけないんです。」ふくろう博士は、なにやらぶつぶついいながら、骨でつくった小さな船を、ひねくりまわしていました。「ラットよ、おまえは、まだ、ぬすみをはたらいておるようだな。めんどりのスペックルのたまご。農家の納屋の小麦の袋。その鼻さきについたジャムは、どこでつけた?しっぽのさきの糖蜜あめは、どうした?」    ラットは、そわそわと落ちつかなくなりました。ふくろう博士は、どんなことも見のがしません。「おまえが新しい心をもつまで、むすび目はとけない。だれもほどけない。葉っぱのようにやせたのなら、新しい葉っぱにまなんで、新しい心をもて」≫

さて、ラットのしっぽの結び目はほどけたでしょうか?(続く)
 
☆写真右:「グレー・ラビットとヘアとスキレル スケートにいく」(アリスン・アトリー作 マーガレット・テンペスト絵 じんぐうてるお訳 童話館)写真左「ねずみのラットの やっかいなしっぽ」((アリスン・アトリー作 マーガレット・テンペスト絵 じんぐうてるお訳 童話館)

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ごちそうの会

アトリーjj
 以下、複数回の文章を1月から2月に書いていたのですが、ポターを先に掲載しているうちに、コロナ禍になり・・・して、今頃やっと、UPです。というわけで、写真には、今となっては、暑苦しい綿の花が写ったり、以後季節外れの花が添えてあったりします。

 さて、
アリスン・アトリーのグレイ・ラビットのシリーズは、甲斐甲斐しく働くしっかりものの灰色ウサギのグレー・ラビットと、文句屋の大ウサギのヘアとリスのスキレルの3人が、森の奥で暮らす話です。フクロウや、ハリネズミなど、森の動物たちもたくさんでてきます。
 横柄な態度のヘアとスキレルが、好みではないものの、このシリーズには、美味しいものや、森の豊かな自然が細かく描かれていて、今回、うさぎ年ではなく、ネズミ年の本で思い出したのが、このシリーズの1冊。
 で、その前に、1冊。(これを紹介しなければ、その1冊にたどり着かない。)

「グレー・ラビットとヘアとスキレル スケートにいく」(アリスン・アトリー作 マーガレット・テンペスト絵 じんぐうてるお訳 童話館)旧版「グレー・ラビット スケートにゆく」(神宮輝夫・河野純三訳 評論社)

なにもかも凍ってしまったある日、グレー・ラビットたちは、スケートに出かけます。
朝の食事は、あついお茶と、パンをあつくきったバタートーストと、ニンジンのソーセージ。
心優しいグレー・ラビットは、おなかをすかせているであろうカラスたちのためにも、サンドウィッチを多めに作り、おなかをすかせて帰ってきたときのためには、ハーブパイ、アップルタルト、ジャムパイ、ヘーゼルナッツのコロッケ。それに、サクラソウのワイン。

うーん、おいしそう!よく気がつくこと。

それで、楽しい時間を過ごした3人が帰ってみると、庭には見慣れない足跡、用意してあったごちそうは、パンの皮が残っているだけ、サクラソウのワインの瓶は空っぽ。食べ物置き場の、たまごもナッツも玉ねぎも、お茶の葉、小麦粉までも、きれいになくなっている!

さあ、大変!すると、スキレルのベッドで寝ていたのが、尻尾をたらして、ぐっすり寝ている・・・・大ねずみのラット。

ラットを懲らしめるために、考え出したのが、結び目を作るのが得意なスキレルが、ラットの長い尻尾に結び目を作ること。
≪スキレルは、ながいしっぽを もちあげると、ひとつ、むすび目をつくり、それから、ひねっておりまげて、輪をつくり、しっぽの先をその輪にとおして、ぜったいにほどけないかたい、大きなむすび目をつくりました。≫*写真右の挿絵

それから、寝室のドアをドンドン、バンバンたたいたり、ふたをガンガン、ガシャガシャうちならしたり、スケートぐつの束を、ジャンジャン、ガチャガチャふって、ものすごい音をたてると、慌てて ラットは退散。

そこへ、もぐらとかわねずみが、「ごちそうの会」にしようと持ってきたのが、
たまご12個、バターケーキ、スポンジケーキいりパイ、ツルコケモモのゼリー、ラズベリージャムとたんぽぽのサンドウィッチ、それから砂糖ころものついた大きなプラムケーキ。
うーん、おいしそう!(続く)

☆写真左は、旧版の「グレー・ラビット スケートにゆく」(アリスン・アトリー作 マーガレット・テンペスト絵 神宮輝夫・河野純三訳 評論社)表紙
写真右は「グレー・ラビットとヘアとスキレル スケートにいく」(アリスン・アトリー作 マーガレット・テンペスト絵 じんぐうてるお訳 童話館)

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不要不急の外出(5月中旬)

薔薇10

 この写真は、ベランダご自慢の薔薇たちなのですが、これを、今現在も、パソコンのすぐそばに置いていると・・・・
 うーん、ほのかに香る、いい香り。香りを意識するたび、いちいち「いい香り」と思う瞬間があって、気持ちが落ち着きます。
 時間に追われている生活だと、こんな瞬間も少ない。

トベラ10

 上の写真「扉(トベラ)」の花も、ほんの短い期間、いい香り。この町では、グリーンゾーンのようなところに植えられています。調べてみると、2月の節分時に扉に枝を挟んで邪気を払う風習があって、「とびらの木」と言われていて、そこから「トベラ」とか。

つつじ10
 いつも歩くところでも、意外なところに目は行きます。
 上の写真は、松の根元につつじの花・・・写真ではわからないかもしれませんが、このつつじ、松をぐるっと取り囲んでいます。まるで、松の根元の花壇のようです。根元は一つなので、公園管理の職人さんたちが,毎年、手入れ、剪定、育んだ結果だとしたら、丁寧な仕事です。

 と、思ったら、棕櫚の根元に薔薇の花。こちらは、市民の栽培園スポットみたいなところですから、ボランティアのご近所さんが、意図して巻いていったのでしょう。

棕櫚j

 さて、最後の写真は、我がベランダ菜園の途中報告。ちょっと匂いのある薬味のようなものは、当分自給自足できるぞ!写真には、5種類写っています。これ以外は、まだ未熟なので、お披露目はまた今度。
ベランダj

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ある春のことだった

さくらんぼ10
 「水晶 他三篇 石さまざま」(シュティフター作 手塚富雄・藤村宏訳 岩波文庫)
(承前)
 つい、シュティフターの風景描写に惹かれて、「みかげ石」に書かれたペスト禍のことを書くのが後回しになりました。

 おじいさんが少年と歩きながら、周りの山々、森を指し示し、話します。

「あの森や村ではな、むかし不思議な出来事がおこって、たいへんなわざわいがふりかかったことがあったのじゃ。」と始めます。
おじいさんのおじいさんが話してくれたこととして、
≪ある春のことだった。木々がやっと芽を吹き出して花が散るか散らないうちに、ひどい病気がこのあたり一帯を襲った。お前がいま見た村々や、山のかげになって見えなかった村々や、お前が名前をあげたあの森の中でさえも、その病気が出た。ずっと前から遠方で、はやっていて、人の命を信じられないほどたくさん奪ったのだが、突然、わしらのところにもやって来たのだ。どうして来たのかわからない。人間がもって来たのか、おだやかな春風にのって来たのか、それとも風や雨雲に運ばれて来たのか、ともかくやって来た。そしてこのあたり一帯にすっかり広がった。道の上にまだ残っている散った白い花の上を、死人が運ばれていった。窓の外に若葉の見える小部屋の中には、病人がねていて、誰かが看護していたが、その看護している人ももう病気にかかっているのだった。この疫病はペストという名前だった。丈夫な人が5,6時間もするとコロリと死んでしまう。病気が治っても、すっかり丈夫というわけにはいかず、ぶらぶらして、仕事をすることができなかった。・・・・≫

≪・・・・間もなく、お墓に埋めることができなくなって、野原に大きな穴を掘り、死人をその中にいれて土をかけた。煙のあがらなくなった家や、餌をやるのを忘れたために家畜が唸っている家が方々にあった。牛なども牧場から小舎にいれてやる人がないので、野生にかえって方々うろつき廻っているのがいた。子どもたちはもう親を愛さなくなり、親も子どもを愛さなくなった。人々は、ただ死人を穴の中に投げ込んで立ち去るのだった。赤い桜んぼの実が熟しても、誰一人として桜んぼのことなどを考えるものはなく、木からとろうとするもののなかった。・・・・・・・≫

 この「みかげ石」だけでなく、他のペスト禍を扱った作品➡➡  ➡➡に共通しているのは、読んでいると、一体いつの時代のこと?現代のこと?と、重なるシーンの多いこと。
 疫病は、侮ってはいけないと、どれも伝えてくれています。

☆写真は、4月下旬のご近所桜んぼ、次の週には、収穫され、もうなかった(涙)

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みかげ石

谷あい12
(承前)
シュティフター「水晶 他三篇 石さまざま」(シュティフター作 手塚富雄・藤村宏訳 岩波文庫)の中の一篇「みかげ石」は、少年と祖父が森に出かけ、過去のペスト禍にまつわる話を祖父が少年に聞かせる話です。

ペスト禍で孤児になった男の子と森で瀕死の状態だった女の子の話は、小さい話の中のさらに小さいエピソードとして忘れられないものです。

≪「・・・ちょうど、この真正面、おてんと様の沈むところあたりなんだか、その辺までいくと、はじめて森らしい森になるんだよ。そこには、もみやとうひがはえている。はんのきや、かえでや、ぶなやその他の木がはえている。まるで王様みたいにな。その間には家来みたいに、灌木や、さまざまな草や花やいちごやこけなどが、おしあいへしあいしている。四方の山々からは、泉が流れ落ち、さらさらとささやきながら、昔ながらの話を物語っている。軽いガラスのようなさざれ石の上をこえて、いくつかの小川となり、広い平野へと流れていく。空では鳥がなき、白い雲が輝き、雨が降りそそぐ。夜になるとお月さんがすべてのものを照らすので、まるで銀の糸で織った網目模様の布みたいになる。この森の中には、黒い湖が一つある。その後には、灰色の岸壁があって、影を水に映している。その側には黒い木々がはえていて水を見おろしている。前の方は、えぞいちごやきいちごが一面に繁っているので、そこはとても通り抜けることができない。岸壁のそばには、倒れた木々が白い肌を見せながらごちゃごちゃにいり乱れている。きいちごの繁みの中から、雷にうたれた木の白い幹がそそり立って湖を見おろしている。大きな灰色の石が何百年もの昔からあたりにころがっている。鳥やけだものたちが、水をのむために、この湖にやってくるんだよ。」≫

情景が目に浮かびます。昨日のフーゴ・フォン・ホーフマンスター➡➡の描写したところと似た風景ではありますが、シュティフターのこの箇所には、視覚、嗅覚、聴覚、味覚(いちごの味)、触覚(繁みを通り抜けることができない)の表現が、そろっています。また、「おしあいへしあい」「さらさらとささやきながら」などという擬人化、あるいは「何百年も昔から」と、時空を超えた想像力も刺激しています。

・・・・・と、シュティフターの自然描写に触れていると、他のシュティフターの作品を読みたい気持ちが溢れます。特に、今年に入って、樹木の本やポターにまつわる自然の話に触れていたので、かつて、シュティフターを夢中になって読んでいた頃より、さらに楽しめる気がしてなりません。(続く)
☆写真は、スイス ロシュ・ド・ネー

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すっかり、わからなくなった。

糸杉jjj
(承前)
「いいなづけー17世紀ミラーノの物語」(マンゾーニ 平川祐弘訳 河出文庫)の付録にある一文「マンゾーニの『いいなづけ』」は、マンゾーニより100年ほど後のオーストリアの詩人、作家、劇作家フーゴ・フォン・ホーフマンスタールのものですが、この人の「チャンドス卿の手紙  他十編」(桧山 哲彦訳 岩波文庫)の表題にある「チャンドス卿の手紙」は、新しい文学を求めて苦悩する20世紀文学の原点である。とされています。

 本人の文学表現の行き詰りを手紙の形にしたフィクションなのですが、このチャンドス卿以外、収録されているものには、手紙の形や対話などの形式もあります。そして、どれも、ドラマとしての物語の展開があるわけではありません。哲学書のようです。だから、カ・リ・リ・ロのような単純な人には読みこなせず、積んだままの1冊でした。

 確かに、描写の細かさはあります。マンゾーニを絶賛したように、心理的な動きの細かさも、読み取れる人には、たまらなく面白いものになると思います。また、他の訳分も出ているので、他の訳だと印象も違うのかもしれません。
 
 全体に抽象的な表現が多いのが特徴だと考えられます。
 例えば、「死についての対話」に
≪…自然というのは、ぼくらを屈服させからめとる象徴の総体だ。自然はぼくらの肉体であり、ぼくらの肉体は自然なのだ。それゆえ象徴は詩を成り立たせるエレメントなのであり、それゆえ詩はひとつのものと置き換えたりはしないのだ。詩は言葉のために言葉を語る。これが詩の魔術だ。ぼくらの肉体を揺り動かし、ぼくらをたえまなく変身させつづける言葉の魔力のためにこそ、詩は言葉を語るのだ。≫と、一人が言うと、対話しているもう一人が、言います。≪すっかり、わからなくなった。・・・・≫ MeToo

が、しかし風景描写は細かくわかりやすいものです。
例えば、「ギリシャの瞬間」に,山道を行く描写が続きます。
≪…夕暮れ近く、はるかにひとつの村が姿をあらわしたが、それはわきに見て過ぎた。道のかたわらに天水溜めの井戸があり、底深くに水がたまっていた。そばには糸杉が二本。女たちが澄んだ水を汲みあげ、騾馬に飲ませてくれた。夕空を小さな雲が二つ三つつらなって滑っていった。家畜の鈴の音が近くから遠くから響いてくる。騾馬はいきおいづいて歩を進め、谷から吹き寄せる大気を吸い込んだ。アカシア、苺、テュミアンの香りが道にただよってくる。青みを帯びた山が両脇から閉じあわさるように感じられ、この谷が全行程の終点であると思われた。野薔薇の生籬(いけがき)にはさまれた道が長くつづいた。眼前を小鳥が一羽飛び去った。薔薇の花のひとつが落とす影よりも小さかった。谷にむいた左手の生籬(いけがき)がとぎれ、ちょうどバルコニーから見下し、見渡す感じになった。弓なりに彎曲する小さな谷まで、そしてむかいの山々はその中腹にいたるまで、果樹があちこちにかたまって立ち並び、そこここに暗色の糸杉がまじっている。木々のあいだには花をつけた生籬。生籬のあいだを家畜が動き、木立では鳥がないた。・・・・≫

とはいえ、個人的には、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの一文で、紹介されていた、シュティフターの自然・風景描写が、やっぱり、好みです。(続く)
☆写真は、スイス インターラーケンオスト

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いわば誠実に素直に進行する。

シュタインj
「いいなづけ」( マンゾーニ 平川祐弘訳 河出書房新社)
 (承前) 「いいなづけ」の訳者解説より後にある付録のフーゴ・フォン・ホーフマンスタール【マンゾーニの『いいなづけ』】という一文は、1825年から27年にかけて発表された「いいなづけ」の百年後に書かれているようです。
≪彼の(マンゾーニの)世界的名声は前の一詩と後の一小説にもとづいているのだが、その名声は1世紀たった今日では揺らぐどころかむしろいちだんと確実に安定した感がある。・・・・(中略)・・・・小説の方は何千もの人々が読み、つねに新たな読者を獲得してゆく。それだから『いいなづけ』という小説は、それが刊行された年に世界を征服したように、百年後の今日もなお当時と同じく、全世界に向けてイタリアを代表する文学作品となっている。・・・・≫

≪この小説の中では、思想も性格も、それだけがひとりだけ目立って読者の興味を惹くというようなことは許されていない。この小説は、ひたすら冷静で、いわば誠実に素直に進行する。…≫

 そして、ダンテ「神曲」フィールディング「トム・ジョーンズ」ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスター」とともに、ウォルター・スコットと比較し、加えて、フーゴ・フォン・ホーフマンスタール自身と同国人であるシュティフターを出し、マンゾーニ『いいなづけ』とシュティフター『晩夏』➡➡は、郷土愛から生まれた芸術作品とはなにかという観念のようなものを引き出すことができるとしています。
≪シュティフターの場合がオーストリア的特性の一秘密であるように、このマンゾーニの場合もイタリア的一秘密なのである。≫

うーん、そうかぁ・・・シュティフターの「みかげ石」にペスト禍のことが書いてあるので、次は、それのつもりだったカ・リ・リ・ロとしても、シュティフターファンの一人としても➡➡⇒⇒この読書の連鎖は嬉しい。が、その前に、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの書いた「チャンドス卿の手紙  他十篇」(檜山哲彦訳 岩波文庫)も 読んでみました。(続く)

☆写真は、スイス ドイツ語圏 シュタイン・アム・ラインのおうち

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本文 解説 付録

ベリンツォーナj
 (承前)
 マンゾーニ「いいなづけ」(河出書房新社)の訳者平川祐弘は、解説【『いいなづけ』の魅力】で、「いいなづけ」は、日本文学で夏目漱石の「坊ちゃん」が誰しもが読むものという共通の認識が成り立っているのと同様の位置づけがイタリアであるにもかかわらず、日本での評価が低いと嘆いています。

 ヴェルディの「レクリエイム」という曲は、マンゾーニへの鎮魂歌らしいし、日本での知名度の低さより、マンゾーニは、はるかに大きな人物だったようです。実際、彼が過ごした、スイス ルガーノの教会➡➡ (学校?)や、マンゾーニ広場と名付けらえた広場が、あったように、イタリアでなくともスイスでさえ、見つけることができた彼の足跡ですから、さぞやイタリア・ミラノでは、たくさんの遺物が見られることと思います。だから、ミラノの校長先生も、この機に読みなさい。と・・・が、もしかしたら、日本で夏目漱石を読んでいない人が増えている(多分)ように、イタリアでも、マンゾーニを読んでいない人が増えているのかも????

 訳者は、マンゾーニの語りは講談のように話がはずんで面白いと言います。確かに細かい人物描写は、それぞれの動きから、その人の性格や深い心情までも読み取ることができます。もちろん、先に挙げた風景描写や、衣服なども描写も然りです。

 また、訳者は、マンゾーニだけでなく、ボッカチオ「デカメロン」(河出文庫)、ダンテ「神曲」(河出文庫)の訳にも携わっていますから、ダンテと比べている箇所も、興味深いものでした。
≪マンゾーニは散文で、ダンテは詩文で書いているが、眼の付けどころは同じという感じがする。それだけではない、マンゾーニはダンテという偉大なる先人を自覚して、その詩句を頭の片隅で思い出しながら書いていたのだろうと思われる。≫
・・・・うーん。さらに読書の連鎖は続く・・・・とはいえ、その前に、もう一つ片づけておかないといけないことが・・・

 訳者解説のさらに後ろに付録として、フーゴ・フォン・ホーフマンスターの一文が掲載されています。このフーゴ・フォン・ホーフマンスタールは、オーストリアの詩人・劇作家で、「チャンドス卿の手紙  他十編」(桧山 哲彦訳 岩波文庫)のほか、かつて、森鴎外などが訳しているものもあるようです。そして、この一文は、「いいなづけ」の鋭い分析とともに、イギリスのウォルター・スコットの名前が出てきたり、ペスト禍の比較では、シュティフターが出てきたりして、読書の連鎖がまた続く。 (続く)

☆写真は、スイス イタリア語圏 ベリンツォーナ
 

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まだ終わりではない

マンゾーニjj
(承前)「いいなづけー17世紀ミラーノの物語」(マンゾーニ 平川祐弘訳 河出文庫)
 この本を読み返すきっかけになった「ペスト禍」の箇所ですが、全体の5分の1くらいは、それに充てられています。その前のドイツ兵の侵入と荒廃と飢饉の箇所を含めると、全体の4分の1が、「いいなづけ」というタイトルから、離れたところにあるような気さえします。もちろん、この4分の1がなければ、大団円には行きつきませんが…

 さて、ペスト関連文学のどれをとっても、一体いつの時代?今?と思える表現が多々あります。紹介済みのデフォーもそうでした。➡➡
 例えば、「いいなづけ」にはこんな箇所が・・・ペスト禍、真っただ中に至るまでの、初期の頃のこと。
≪広場や、お店や、家の中で、危険の到来を口にしたり、ペストが流行するのではないか、などと言う者は、世間から冷笑され、白眼視された。しかしそれと同じような態度、いいかえるとペストだと警告する人がたといいてもそれを信ぜぬばかりか、事態を正視できない精神的盲目、あらかじめ出来上がった固定観念で割切るという態度は、元老院でも市参事会でも、ありとあらゆる官庁でも、支配的な傾向であった。≫
 今や、世界中、大変なことになってしまった・・・と、理解できていますが、当初、現代の一部リーダーの姿勢に似てなくもない。

 また、「いいなづけ」では、人々が、ペストの蔓延を「ペスト塗」「塗屋」と称するものたちの仕業とみなし(壁やドアなどにペスト菌を塗ると誤解され、怪しい者をひっ捕まえ、糾弾)、「恐怖」という心理をぶつけるはけ口を作り出します。そして、大きな行列のあと、
≪人々は、あれだけ多数の人間が集り、長時間まじわれば接触感染の機会が限りなく増大したということを知っていながら、そのせいには帰せず、死亡の急増を塗屋のせいにした。行列は塗屋がその邪悪な企みをやすやすと大掛りに実行する機会を与えた、というのである。・・・・≫
 そのあと行列当日裸足で行列に参加したから、人々の引き裾や足に毒がついたなどの「有毒説」を持ち出し、当時の人間が「・・・その行列の当日は、信心と不信心とが、誠実と不実とが、功徳と破滅とが互いにこづき合った日であった。」と書くも、著者自身は、
≪だが実際は人間の愚かしい思慮分別が、自分が生み出した妄想を相手に、こづきあったまでなのである。≫とし、その日から伝染病の猛威は、ますますつのるばかりだった。としています。

そして、ペストから立ち直り、村に戻ってきたレンツォに、シェイクスピアのフォルスタッフのような役回りのアッポンディオ司祭に、こう言わせます。
≪これでまだ終わりではないぞ。生き残った連中が今度こそ分別をわきまえて、頭から気まぐれをすっかり追い払わぬ限り、もうこの世には破滅以外はないんだぞ。≫(続く)

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連綿と続く

ルガーノj
(承前)
 「いいなづけ」(マンゾーニ 平川祐弘訳 河出書房新社)の冒頭、コモ湖の風景描写は、行ったことのないものにも、その楽しみをわけてくれます。

 ≪連綿と続く二つの山脈と山脈にはさまれて南へのびるコーモ湖の峡谷の一つは、その山脈が突き出したり、退いたりするにしたがって、あるいは岬や鼻となり、あるいは入江や湾となっているが、右手から山の一角が張り出して、その向いからもなだらかな斜面が迫ってくると、湖面はにわかにせばまって、湖はまるで川の流れのような姿をとる。そしてそこに橋があって、両岸を結びつけていることが、湖が川に変わったという印象を見る人の目にいっそう強く刻みつける。橋はコーモ湖が終り、アッダ川がふたたびはじまる徴なのである。三つの大きな渓流の沖積土でできた斜面は、相接した二つの山――サン・マルティーノ山と、ロンバルディーア方言でレーゼゴーネと呼ばれるいま一つの山――にもたれたような恰好で、一連の尾根からなだらかに下へのびているが、その尾根のぎざぎざした形はいかにも鋸に似ていた。それだから正面から見るかぎり、たとえばミラーノ市の城壁にのぼって北方を見わたすと、はじめて見た人でもその鋸状の尾根はすぐさまそれと見当がつくのである。連綿と続く……≫
 と、長い描写なので、ほんの冒頭 はじめの部分ですが、この風景は、物語りの一つの舞台であるレッコという町につながっていきます。

 今回、写真に使ったのは、コーモ湖ではなく、ルガーノ湖の風景➡➡ ⇒⇒ですが、ルガーノ湖は、マンゾーニの風景に登場するコーモ湖のすぐ西隣にあります。このスイスとイタリアの国境にある湖は、さらに西に位置するもう一つのマッジョーレ湖と並んでいます。➡➡  地図で見ると、この3つの湖は、大昔の地球変動でできた三つの窪みのように見えます。それぞれの湖の水は、スイス アルプスから流れ着き、それぞれがアッダ川やティチーノ川から ポー川に、そしてアドリア海にそそぎます。

 このような写真では、湖と山々の一部しか見ることができませんが、マンゾーニのような筆力のある風景描写は、そこに行かずともその空気が伝わります。

☆写真上、ルガーノ湖からミラノ方向を見る。写真下、ルガーノ湖畔、イタリア側にあった教会。

ルガーノjj

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金色の飾り玉には線条細工

細工j

(承前)
「いいなづけー17世紀ミラーノの物語」(マンゾーニ 平川祐弘訳 河出文庫)

 「いいなづけ」800ページ余を読んだとはいえ、信仰について描かれている箇所、イタリア文学ですから、その人間の行動の中心になる部分で、重要な部分だとは理解できるのですが、どうも、個人的にしんどい場面が多かったのは事実です。
 ただ、訳者の平川祐弘があとがきでいうように、「もし、部分しか時間がないなら、第1章から第8章までを一まとまりとして読むのも次善の策かと思われる。(なお第1章は歴史的考証の部分は飛ばして読んでも構わないように思われる。)」と、優しいお言葉。この解釈を知らずに、読んでいったのですが、確かに、第8章までは、一気に楽しめるのです。ですから、この大著を今から読もうという方は、訳者の言葉にしたがって、第8章まで読み、あと、ミラノの校長先生の薦めた第31章から後を読んでも、ずいぶんの読書になること、間違いありません。

 世に自然描写・風景描写の優れた作品は、数多くありますが、写真の挿絵ルチーアの衣装について、こんなに細々と描かれているのも、お洒落なイタリア人、今や、ファッションの中心地のミラノが関係しているかも?と思ったりします。

≪その風俗はいまなおミラーノ領内の農民の女たちの間に残っているが、銀の留めピンはルチーアの頭のまわりに光背というか後光のようにひろがっている。首のまわりには柘榴石と金色の飾り玉が交互に連ねてある首飾りをかけていた。その金色の飾り玉には線条細工がほどこされている。身には花模様のついた金襴の美しい胴着をつけ、その胴着と分れている両の袖に左右の手を通していた。その袖は色美しいリボンでもって胴着で結んであった。釜糸の絹を使った短いスカートは、襞が細かくつまっている。朱色の靴下、これもやはり絹製で刺繍のほどこしてある上履。・・・これらはお式当日の特別な飾りだったが・・・≫

 ま、信仰の場面がしんどくて、お洒落な部分に興味がわくというのも、カ・リ・リ・ロの読書力が露呈しています・・・が、しかし、ルチーアの身に着けるものの多くが「絹」とされ、村の晴れの日の装いに「絹」。現代でも高価でお洒落な素材の代名詞ともいうべき「絹」。これは、ルチーアの「いいなづけ」の≪レンツォは絹の製糸を生業としていた。≫という物語の伏線に関係するからだと、思います。(続く)

☆写真は、ルチーアの挿絵近くに線条細工のイヤリング

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いいなづけ

アスコナj
 2020年2月25日、ミラノの高校の校長先生は、休校になった生徒たちに、「せっかくの休みだから、散歩したり、良質な本を読んでください。」と、高校のHPからメッセージを発信しました。➡➡
 その中で、名前がでてくるのが、ボッカチオ(デカメロンの作者)と、マンゾーニ、その書では、この危機に打ち勝つための最大のリスクについて教えてくれているとします。
 マンゾーニ➡➡にいたっては、その「「いいなづけ」(平川祐弘訳 河出書房新社)という本の第31章冒頭を紹介しています。そして、それは、この大著全般を読まずとも、ペストの苦しみが伝わってくる文です。ちなみに、以降、第36章の再会まで、ペスト禍の流れは続き、第38章で大団円。

 さて、今回は、図書館で予約してやっと読みました。するうち、完全閉館になったおかげで、延長して読むことができました。
 日頃は書庫で眠っていたようです。かつて読んだときは(1989年版)、全巻1冊の大きな重い本で、余りに高価だったので借りて読んだ覚えがあります。今回、図書館で借りたものは全二巻。あわせて800ページ以上、しかも、上下二段組。挿絵はフランチェスコ・ゴニーンで、1840年刊のトスカーナ語版の版画。そして、最近の文庫版は、全3巻。ともかく、大著です。

 で、今回は、以前よりずっと楽しめました。というのも、ここ何年か続けていったスイスのイタリア語圏に近い場所で、少しは、雰囲気が理解できたからかもしれません。あるいは、当時は、集まりの課題として読まねばという気持ちが大きくて、楽しむというところから、距離があったのかもしれません。あるいは、年を取ってやっと読む力につながってきたのかもしれません。
 ま、いずれにしても、美しい風景描写と、レンツィオとルチーアという村の若者の婚姻に始まる騒動の一部始終、そして、容赦ないペスト騒動の描写など、読みました。(続く)

☆写真は、スイスのイタリア語圏ロカルノ近くの マッジョーレ湖畔アスコナ。

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薔薇は綺麗に咲いている。

薔薇5
毎年、道行く人を楽しませてくれる、よそのお宅の薔薇たち。フェンス越しに眼に美しく、芳しく・・・
と、気分良く5月を堪能しようとしていたら・・・
薔薇3

 大学などの授業方式が、対面ではない方向性。
 そのシステムを理解するのに四苦八苦。
 メールで送られてきた60ページもある利用ガイド読んで「やれ!」と言われてもねぇ。
 しかも、各大学で、それぞれメディア環境が違うので、カ・リ・リ・ロのような、非常勤で各校に勤める者には、もう大変。メディア教育や、研修を受けていないこのばあさんには酷な話。
 教育は、単なる数合わせではないはず・・・

薔薇は綺麗に咲いていますがね。
薔薇4

薔薇6
 
薔薇2

薔薇7

薔薇57

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不要不急の外出(5月連休終り)

薔薇1
  この季節、我が家の鉢植えの薔薇ですら、新入りのハーブたちに負けないよう、咲いてくれています。

 不要不急ではない生活用品の買い物は、マスクから始まり、トイレットペーパーやウェットティッシュ・・・など次々と品不足になっていったのは、スーパーの棚で、一目瞭然のマーケティング。
 が、しかし、あのマスクの話って、本当はエイプリルフールだったの?今や、マスクありますという表示を、時折、見かけるようになったし、手作りなのか、お洒落なマスクで歩いている人も見かけるようになったし、実際、テレワークや家庭内自粛なら、マスク余ってくると試算できなかった???

丸葉シャリンバイj

 閑話休題。
 昼間から、日本のスーパーの棚が、ガラガラになることは、今まで経験したことのないことです。店員さんが、いつもきちんと管理し、整然と並んでいたからです。
 が、昨今は、パスタ類の棚もスカスカ、インスタントラーメン類も足りないように見えます。(インスタントラーメンを、ここ40年以上食べたことがありませんから、日頃の状態がわからない)これらは、お昼も在宅する子どもたちや在宅勤務の大人たちのランチになるのでしょう。
 大袋のお菓子やポテトチップス・・・これも、買い物かごに、たくさん入っているのを見かけます。在宅する食べ盛りの若者のためでしょうか。
 そして、小麦粉類の棚、ホットケーキ用の粉等も含め、ないですねぇ。
 我が家ですら、在宅の増えた娘が作るパンのドライイーストを探すのに、何軒か周りましたが、そのうち何軒かでは、お店の人に「イーストはありますか?」と同じように聞いてる人に遭遇。
 他にも、手芸材料店が休業しているので、繕うための白糸と黒糸も見つけにくく、通販の化粧品も品薄。通常、週に一度宅配してくれるスーパーの通販も物不足や物流の遅延で、いつも通りでなく・・・
 ま、何かと不便ではありますが、読書もあるし、カメラ撮影もあるし、WEBで見れる映画もあるし、園芸やってる人もいるだろうし、手芸の人もいるだろうし・・・・・もちろん、煮豆やジャムやピクルスや佃煮・・・まだまだ色々チャレンジしたい。
 
 それにまた、品不足を裏返すと、 みんな、それぞれ、在宅でできること、在宅で楽しめることをやっているのがわかり、ちょっと気持ちが明るくなります。
紅花栃木jj

☆写真は、一番上が、うちのベランダの娘たち、中:丸葉車輪梅 中;紅花栃の木(マロニエに近い) 下:りんごの花と満開のスズラン 一番下は、やっと撮れたムクドリ(いつも、番いで居ます。)
 
リンゴの花

スズランj

ムクドリj

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AHOY!

ランサムjj

「ピーター・ラビットの野帳  フィールドノート」(ビアトリクス・ポター絵 アイリーン・ジェイ  メアリー・ノーブル  アン・スチーブンソン・ホッブス 文  塩野米松訳  福音館)➡➡
(承前) この本には、ポターの自然保護活動や慈善事業の素地になった、湖水地方のこと、ポターがキノコの研究に力を入れていたことなどが書かれていましたが、もう一つ、彼女がこの湖水地方を保護する大事なポイントがありました。

 それは、この辺りは、人の住んだ歴史も古く、先史時代だけでなく、ローマ時代のものもたくさん出土していた場所でもあったのです。(ああ、ローマンブリテン!!!ここで、ローマンブリテンのサトクリフの作品に触れだすと、きりがない。)
 ともかくも、ここから出土したものをポターの才能を生かして、写真のようにも見える画に残しています。

 さて、ここでまた出てくるのが、アーミットコレクション➡➡で、ここには、その出土品も集められていました。そのアーミットトラストの初期の会長や会員らが、近郊のローマ軍砦の開発を止めるべく、寄付を募り、その土地を保護しようという動きにつながります。
 後に、アーミットライブラリーに展示された発掘品を、ポターは、水彩画にして寄贈します。それらは、≪専門家並みの正確さとビアトリクスの絵画特有の美しさが備わっており、たぐいまれな作品に仕上がっています。≫

 それで、今回書きたかった、たった一行のこと。
 アーミットトラストに無償で協力したのが、国際的に評価されていたコリングウッドで、その父親はラスキンの友人で秘書で、アーミットの論文を校閲した人でした。そして、≪その父子の弟分アーサー・ランサムも、同様に(アーミットトラストの)会員でした。≫

 AHOY!!!、アーサー・ランサム!!!
 カ・リ・リ・ロが、初めて、友人たちと英国湖水地方に行ったとき、ポター詣でとランサム詣での旅でした。その時は、まだつながっていなかったことが、今やっとつながった。なんと、うれしいことでしょう。
 ただ、ここで、ランサムに深入りするのは、やめます。
 湖水の地 今や遠くに なりにけり。

☆写真は、右 「ピーター・ラビットの野帳  フィールドノート」(ビアトリクス・ポター絵 アイリーン・ジェイ  メアリー・ノーブル  アン・スチーブンソン・ホッブス 文  塩野米松訳  福音館)ビアトリクスのスケッチ:」ローマ人の革製のサンダルの一部。
写真左 The Story of The Discovery of Intal as told by Roger Altounyan to the Society for Drug Reseach in York 1977にある、ロジャのモデルとなったアルトニアン博士が湖水地方コニストン湖で茶色い帆のヨットに乗る写真と
”Swallows and Amazons”「ツバメ号とアマゾン号」(アーサー・ランサム岩田 欣三・神宮輝夫訳 岩波) 

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自然教育

ヒルトップ12
(承前)
 長々と「ビアトリクス・ポターの生涯  ピーター・ラビットを生んだ魔法の歳月ー」(マーガレット・レイン著 猪熊葉子訳 福音館)、と、「ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)を紹介してきましたが、この2冊に、書かれていなかった大きな視点があります。
  それは「ピーター・ラビットの野帳  フィールドノート」(ビアトリクス・ポター絵 アイリーン・ジェイ  メアリー・ノーブル  アン・スチーブンソン・ホッブス 文  塩野米松訳  福音館)➡➡に書かれています。

 ポターが、ナショナル・トラスト自然保護運動や、慈善事業に尽力した素地のことです。
 我々は、彼女が親しくしていたローンズリー牧師の影響と、作家としての印税を湖水地方の土地を購入し続け、その自然を守ったことが、今のナショナルトラスト運動だと知っていますが、その湖水地方には、もともと、文化的先人がたくさんいたことも忘れてはいけないことだと思います。

 詩人のワーズワースや思想家のラスキンなどなど(他、個人的に知らない人多数)が居たのですが、その人たちの原稿や稀覯本、絵画等など、保存する教育分野の慈善団体アーミットライブラリーなるものが存在しました。(今も、ポターの寄贈作品などが展示される博物館としてあります。)
 そのアーミットライブラリーは、メアリー・ルイ―ザ・アーミットという女性の遺志を継いで、彼女の二人の姉の希望に基づき会員制貸し出し図書館として創立され、後に、近郊にあったアンブルサイド・ラスキン図書館を吸収しています。

 このアーミット三姉妹ソフィア、アニー・マリア、メアリー・ルイーザは、当時、すべてアマチュアでしたが、植物画家であり、論文を書く研究者であり、鳥類研究家でもありました。「ピーター・ラビットの野帳」には、ソフィア・アーミットの描いた絵が何枚か掲載されていて、彼女の才能を見ることができます。また、ポターと同じく「きのこ」の絵も描いていて、これも掲載されています。
 
 このアーミット・コレクションは贈与と寄贈で成長していき、会員も広がっていきました。ポターが会員になったのは、ずっと後の、すでに会員だった夫ヒーリスと結婚してからでしたが、その時には、湖水地方の鉄道敷設に反対しアーミットライブラリ―の教育委員だったローンズリー師が居たのです。(もともと、ポター一家とローンズリー師は親交がありました。)

 そのローンズリー師が崇拝していたシャーロット・メイソンという女性(モンテッソーリ教育につながっています)の信念は、
≪教育の中でもとりわけ自然教育は重要な位置を占めている≫でした。(続く)
☆写真は、英国 湖水地方 ニアソーリ―村(撮影:&Co.I)
 

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ポターの周りの人たち

ヒルトップ12
(承前)
「ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)
ポターが生涯、出会い、繋がる人々は、子ども時代、作家になる前の時代、作家時代、そして、農場経営時代・・・と年月こそ流れていきますが、階級、国を越えています。
 農場経営時代というのは、彼女の作家としての成功後の、晩年に近い時期からのことですが、ここに長々と書くきっかけとなった、マーガレットレインが「ビアトリクス・ポターの生涯  ピーター・ラビットを生んだ魔法の歳月ー」(猪熊葉子訳 福音館)で書いた、ポターが「辛辣で無礼」という言葉とは、裏腹のポターが見えます。

 例えば、当時は、ポターの住処としてあるいは、作品の舞台となった場所で、空襲を避け、原画をすべて疎開させていた湖水地方ソーリー村ヒルトップの家を、戦争で屋敷を没収された小さな子どものいる親族のために、鍵を渡し明け渡しました。小さな子どもと暮らしたことがある人には、おわかりでしょうが、子どもが家にいることは、家の中がどんなになってしまうか・・・・たとえ、その家族に乳母がついていたとしても。
 ポターは言います。
≪パーカー一家は今、こねこのトムの家にいるのですよ。・・・・子どもたちはとてもかわいらしく・・・・三歳のリチャードは、なかなかのきかん坊です。≫と、彼らのソーリー村滞在を歓迎しています。
 マーガレット・レインのいう「辛辣で無礼」➡➡というのは、どういうことだったんだろう?

 また、第二次世界大戦の戦場とならなかったアメリカのファンや友人からは、食料をつめた小包が届き、ポターも英国の様子を書いて送ったりしています。(ポターは、ヒットラーに憤慨し、当初、ナチスドイツに宥和政策をとったチェンバレンを批判する文を書いています。)
 そして、戦時下にもかかわらず、ポターに何度か会いにきた建設省の建築技師の訪問を歓迎し、その子どもの本にすべてサインするのです。
≪彼は手足の長い、すらりとした、とても背の高い・・・テナガザルみたいな人です。・・・・(中略)・・・・奥さんのミセス・ハートは小柄ではにかみやで、アリソンはかわいいおちびさんです。≫
 と、書かれた おちびさんのアリソンは、サインをしてくれたポターよりもポターの飼っていた犬たちに興味があり(5歳ですからね)、その時の心温まる写真が掲載されています。

 他にも、この「ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)には、庭師や親族の子どもたちの写真、 ヒルトップに案内したガールガイズ(Girl Guides)と一緒の写真、そして、ポターの遺骨を秘密裡に散骨した農夫のトムが小さく写るヒルトップ前の写真・・・などなど、明るく笑う人たちの写真の数々は、心温まるもので、ポターの人柄さえも伝わってくるものです。

 ポターは、絵本の印税によって湖水地方の土地や農場を手に入れ、保護に努め。死後は、遺言により、それらの土地はナショナル・トラストに寄付されました。他にも慈善事業に関わり―疾病児童援助協会のピーターラビット基金なるものを作っていたようです。(続く)
☆写真は、英国湖水地方 ニアソーリ村(撮影:&Co.I)

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ポターの周りの人 (5)ノエル

ポター10
(承前)
 「ピーター・ラビットのおはなし」(ビアトリクス・ポター作 石井桃子訳 福音館)ができた経緯は、ノエルという子に書いた絵手紙から始まります。ノエルは、ビアトリクス・ポターの家庭教師だったアニーの子どもです。アニーとビアトリクスは3歳しか歳が違わなかったこともあって、師弟関係というより、友人関係に近かったと考えられ、アニーが結婚してロンドンと離れても、文通などを通して交流していたようです。
 それで、アニーの子どものノエルという(クリスマスに生まれたからノエル)当時4歳だった男の子に送った絵手紙が、「ピーター・ラビットのおはなし」の元になったものです。
 ≪ノエル君、あなたになにを書いたらいいのかわからないので、四匹の小さいウサギの話をしましょう。四匹の名前はフロプシーに、モプシーに、カトンテールに、ピーターでした・・・・≫

 ノエルは、8人きょうだいの長男で、9歳の頃ポリオに罹り片足が不自由となりました。大人になってからは牧師となり、貧しい家庭の婦女子のために奉仕活動に従事したとあります。

 さて、1936年、「ケント州の牧師だという、元気溌溂とした中年男性」がスコットランドへの自転車旅行の途中、湖水地方に立ち寄り、ポターを訪問します。そして、そのときのことをポターは、こう綴ります。
≪彼はここへ訪ねてきて、「ぼくを覚えていないんですか?」というので、私は「顔には見覚えがあるようなのですが」といいました。なんとそれが、ピーターの絵と物語を最初に絵手紙に書いてあげた、昔のノエル少年だったのです!≫

*「ビアトリクス・ポター  描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館) 

☆写真右上がノエル少年。手紙や封筒のコピーはピータ・ラビット100周年の記念に作られたもの(非売品)➡➡ 

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ポターの周りの人(4-2)アン・キャロル・ムーア

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「ビアトリクス・ポター   描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)
(承前) ビアトリクス・ポターと会ったとき、アン・キャロル・ムーアは、アメリカの図書館界で、すでに権威がありましたが、それは、彼女がなしえた一つの仕事、図書館に子どもだけの「児童室」の創設に尽力したからでした。

 それまでは、子どもが本に触ってはいけなかったり、子どもの本棚にカギをかけていたり、子どもの本は少ししかないという実態があったようですが、彼女は、ニューヨーク図書館に作った児童室に、たくさんの子どもの本を用意し、読書会やコンサートやおはなし会などをの催しを企画し、有名な子どもの本の作家を呼んだり、また、英語がまだ苦手な子どもには、人形を用意し、和ませるなどしたようです。
 その人形、ニコラス・ニッカボッカは、ビアトリクス・ポターを訪問した時のお土産に持参したものでもありました。そして、その木の人形を、ポターは生涯、可愛がったということです。
 
 そして、このアン・キャロル・ムーアの働きは全米に広がり、ほかの国、日本にも、同じような児童室ができていったのです。

 アン・キャロル・ムーアが児童室を作った経緯については、絵本『図書館に児童室ができた日 ――アン・キャロル・ムーアのものがたり』にも書かれています。(*絵はグランマ・モーゼスに似ていて、温かみがあるものの、絵本に遊び心を求めている個人的には、ポターとは、距離があると感じました。)

 そして、また、The Art of Beatrix Potterの序文をムーアは書いています。(未邦訳)(続く)
☆写真は、前にも掲載したニューヨーク図書館➡➡

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