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みんなみすべくきたすべく

ポターの周りの人(4-1)アン・キャロル・ムーア

ヒルトップjj
(承前)
 「ビアトリクス・ポター ―――描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)には、1921年にアン・キャロル・ムーアが、ビアトリクスを訪問した、とあります。
 え?あの石井桃子(1907~2008)と交流のあったアン・キャロル・ムーア?
なんだか、時代がつながりにくいものの、アン・キャロル・ムーア(1871~1961)がビアトリクス・ポター(1866~1943)を英国に訪問したのは、彼女が50歳の頃。石井桃子が「児童文学の旅」(岩波)で紹介する1954年に47歳で渡米した際のアン・キャロル・ムーアは、82歳。
・・・そして、石井桃子はビアトリクス・ポターのピーターラビットシリーズを日本語に翻訳。日本と英国と米国が、本物の糸でつながっている。よかった・・・

 ビアトリクスを訪問したアン・カロル・ムーアとの会話は、≪本のこと、子どものこと、絵のこと、田園生活のことなど≫におよび、何時間も続いたようです。それから、農場を案内してもらい、スケッチをみせてもらい、予定していた二冊の「わらべ歌の本」➡➡についての意見交換もしたとあります。
 その意見交換、この訪問こそは、ビアトリクスの創作意欲を刺激し、奮い立たせるものとなりました。
 というのも、アン・キャロル・ムーアは、アメリカの図書館界で、すでに権威があり(その頃、イギリスではそれに相当する社会的地位のなかった)、その彼女が、ビアトリクスが十数年来の苦心の成果に、多大なる称賛と愛情あふれる理解を示したからでした。
 ビアトリクス自身は、すでに高い人気を誇っていたピーターラビットのシリーズの存在価値が公に認められているという感じをつかむに至っていず、当時、子どものための本は、文学への真摯な寄与と見るよりは、おもちゃに等しいものとしか見られていなかったからだとあります。
 
 この二人が出会って、100年経った今、子どもたちの絵本が、文学への真摯な寄与、おもちゃに等しくないもの・・・・と、考える大人は、果たして、増えたのだろうか。(続く)

☆写真は、英国 湖水地方 ニアソーリ村ヒルトップ(撮影:&Co.I) 

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ポターの周りの人(3)ノーマン・ウォーン

見返しj
(承前)
 ピーター・ラビットたちの絵本を出版するにあたっては、フレデリック・ウォーン社のノーマン・ウォーンと厳しいやり取りを経たのち、出版されていきます。
≪ビアトリクスは今度も、二冊の本の制作に細心の注意をはらいました。紙の種類や印刷方法ばかりでなく、見返しや装丁についても、かなり細部にわたってノーマンと議論しました。「本の見返しは、表紙と本文のあいだで読書が目に休めるべきものだと、私はつねづね思っている。それはちょうど、額におさめた絵の台紙に相当するものである。・・・≫

そうなのです。絵本を楽しむ人(子どもも大人も)は皆、見返しや装丁から、楽しみが始まっていることを知っているのです。つまり、ポター自身が、絵本を楽しむ人だったのです。しかも、絵も文も創作できるのですから、最強です。(全作品のうち一部、別画家による作品もありますが、翻訳されていません。)

そして、その評判に伴い、様々な要請も増えていきます。
 ビアトリクス・ポターは、小学校用の読本の執筆を依頼されたとき、こんなことを言っています。
≪私は、本業以外の仕事は本業の完成の妨げになる、という考えを強くもっています。私は物語を創るのが大好きなのです――物語はいくらでも出てきます――物語はいくらでも出てきます――けれども、絵を描くのがとても遅く、ひじょうに苦労します。したがって、私の創作人生が長かろうが短かろうが、その終わりを告げるとき、私が書きたいと思っている作品がいくつも未完で終わることは、まちがいないのです。≫

 ビアトリクス・ポターは、画家だと思いがちですが、この件を読むと、ちょっと違うかもしれません。もちろん、ピーターたちや、彼女が残したフィールドスケッチの数々を見ると、画家としての実力が大きいものだと思います。が、時を越え、国を越えて、人々を魅了する作品の数々を見ていると、彼女のいう、物語る力も大きかったのだとわかります。

 が、しかし、ピーターたちの出版の議論、やりとりを続け、信頼関係を築いたノーマン・ウォーンと、家族の反対を受け、極秘婚約するも、婚約後1か月後に、ノーマンが亡くなりました。1905年のことでした。その後、湖水地方、ヒルトップを購入、住居を移すのです。(続く)

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ポターの周りの人 (2)ギャスケル

ギャスケル2
(承前)
 次に、ポターの父親と教会関連の知己が、ウィリアム・ギャスケル。
 この人とも、家族ぐるみの付き合いをしていた一家でしたが、ビアトリクス・ポターは、たくさんの客人の中で一番慕っていたとされています。この人とのエピソードは、ちょっといいものです。

 すでに妻を亡くし70歳を越したギャスケルに、当時8歳のビアトリスは、クリスマスに毛糸のマフラーを編んでプレゼント。
「・・・・・これを首に巻くときは――この天候では毎日だろうけどね――かならずきみのことを思い出すよ」と、ギャスケルを、おおいに喜ばせたのでした。
  ウィリアム・ギャスケルは、子どもたちと遊ぶのが大好きで、また、子どもと一緒に動物を可愛がることも好きでした。スコットランドに行った時も、ビアトリクスにこんな手紙を書いています。
≪ヒースに寝転んでいるウサギを見て、トミーのことを思いだしましたよ。トミーはちゃんとごはんを食べて元気でいるでしょうね。もし私を覚えているようだったら、私からよろしくと伝えてくださいね。≫

また、ビアトリクスの方でも、ギャスケルの死後10年後に、彼と共に過ごしたスコットランドの休暇を、回想しています。
≪ああ、なんとはっきり今も思い出せるのだろう。彼はダイカイズの玄関口の医師団に、あたたかな陽射しをあびて、気持ちよさそうにすわっている。グレーのコートに古いフェルト帽子、膝の上には、新聞がある。と、ふいににっこりやさしい笑顔を上げる。とんとんと足音がきこえてくる。アオバエのぶんぶんいう音が小道に消えていく。プリント地のワンピースに横じまのストッキングをはいた幼い女の子が彼のそばに飛んできて、シモツケソウの花束をさしだす。彼はひとこと『ありがとうね』といって、かたほうの腕を少女にまわす。・・・・≫

さて、ウィリアム・ギャスケルは、作家エリザベス・ギャスケルの夫です。エリザベス・ギャスケルには「女だけの町(クランフォード)」(小池滋訳 岩波文庫)(写真上) 「ギャスケル短編集」(松岡光治編・訳 岩波文庫)などの作品があります。ディケンズが称賛した作家でもあります。当時の女性の地位を物語るかのように、写真上に写る作者の名前は、Mrs.ギャスケル。エリザベスという名前ではなく、ギャスケル夫人となっています。・・・と、話が、また横道にそれ、ポターから離れそうなので、今回は、やめておきます。(続く)

***ちなみに、ウィリアム・ギャスケルの英語版ウィキペディアの写真は、ビアトリクス・ポターの父親が撮ったものだと明記されています。

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ポターの周りの人 (1) ミレー

ミレーj

➡➡ 承前)
「ビアトリクス・ポターの生涯  ピーター・ラビットを生んだ魔法の歳月ー」(マーガレット・レイン著 猪熊葉子訳 福音館)と「ビアトリクス・ポター   描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)には、ポターが交流していたたくさんの人たちが、紹介されています。

 まず、ジョン・エバレット・ミレー。⇒⇒「オフィーリア」(写真右)➡➡でも、お馴染みの画家で、ラファエル前派➡➡ ⇒⇒の創始に関わり、のちにロイヤルアカデミー院長。ミレーとポターの父親は、知己の間柄です。この人から、当時の首相(グラッドストン)などと、交流が広がっています。ポターの父親が、グラッドストンの写真を撮り、その写真を参考にミレーは肖像画を描いたとあります。また、家族ぐるみの付き合いだった写真も掲載され、ミレーは妻子ともども、釣りを楽しんだとされています。また、ポターは父親に付いてミレーのアトリエに行き、絵の具の混ぜ方などを教えてもらったり、「きみは観察力があるね」と言葉をもらったり、その後「絵の方は、どうしているか?」と、尋ねられたりしています。

 また、ミレーの描いた「シャボン玉をふく子」(写真左)という、のちに石鹸会社の広告にも使われた有名な絵の試し描きのスケッチの段階からポターの父親の写真によって助けられる段階を経て完成していく様子も、ポターは知っていたようです。(続く)

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この町の春

ばら 13
 書き貯めている文章をUPするより、この静かな春の美しさを共有したい。
 手入れも悪く、ひょろひょろと伸びたバラの蕾。でも、綺麗な子でしょ。

 気がかりで、すっきりしない気持ちの日々ですが、植物たちは目に喜びを与えてくれます。もう、つつじなんて・・・
ばら1

 それにしても、新緑が美しく、まだ、4月とは思えません。小さな小さな銀杏の葉の若葉・・・可愛い。
はる3
 葉桜になっても、桜のトンネルの朝の散歩は気持ちいい。
はる1

 この町では、在宅勤務の増えた夫のように、カメラ片手に外出しているおじさんをよく見かけるようになりました。今の若いもんのような、メディアリテラシーも足りないので、ついつい、アナログなカメラ散歩になるのかもしれません。三脚立てて、チューリップを接写しているおじさんを、公道でみましたよ。うーん、遠くへ行けない、時間あるのに・・・という感じですね。
ばら13

いつも多くのバラに先駆けて咲くのは、ナニワノイバラ。ごくそばの陰になったところには、スズランも、咲き始めました。
はる5
はる4

白い藤もきれいです。
はる2 

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家に居ると

香椿 (2)j
 
☆写真上は、ピンクの葉が珍しい香椿(チャンチン)の木。ウルシの葉に似てますが、センダンの木の一種のようで、落葉樹。

家に居ると、家事をする時間が増えます。掃除や片付けの時間は、今までと変わりなく滞っていますが、この非常時にという気持ちも働き、保存食や時間のかかる食、といっても、火にかける時間が長いだけーーーを作ることが増えました。

 煮豆も然り。蒸し小豆も然り。
 豆つながりで、豆乳ヨーグルトまで手を出しています。長年、毎朝食べるのは、牛乳とヨーグルト菌で作る、普通のヨーグルトですが、豆乳ヨーグルトは豆乳でつくるので、ちょっと湯葉豆腐みたいな風味もします。
 そして、ヨーグルトには、蒸し小豆をトッピングします。
 最近は、そのとき多く届く無農薬・有機野菜の果物で、ジャムやマーマレードを作り、それを入れることも多々あります。子どもたちが小さかった頃、それこそ、家に居る時間が長かったので、よく作っていたことを思い出します。ただ、友人たちが作ってくれるような苦みのないマーマーレードには、なかなか及びませんが・・・。
 そういえば、ピクルスもよく作っていたのを思い出し、また作っています。すっぱいものは、家族全員が好きなのです。
 
 それに、ベランダ菜園というか、プランターで、パセリやミント、ネギも育てるようになりました。ちょっとだけ必要なときに、便利だとわかっていても、時間の余裕がないと、つい買ったもので済ませていたのを、ミミズこそいませんが、育てています。他も色々、スタンバイ中。収穫できたら、報告します。

☆写真下は、右からセロリ、真ん中日向夏、さて、左の赤紫のピクルスはなんでしょう?

ピクルス

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春の青空

春2
ここ何年かのうちで、一番青空が多い春だと思いませんか。
春霞などという優雅な言葉でなく、黄砂やPM2.5などという文言が連日聞こえていたのに、今年は、聞きませんね。
ハナミズキが、苞を広げて綺麗です。桜ほどではありませんが、この辺りにはハナミズキが多いです。

春3
モッコウバラもたわわに咲き誇り、藤も、連休や5月を待たずに満開です。

春5

春4
・・・・と思ったら、ひんやりした風になびいていたのは、眩しいばかりの青若葉。
この町をぐるぐる回っているうちに、4月も下旬。月日が経つのが早いようで、遅いようで。

春1

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教養がないことは、心の病

ザンクトガレンj
 家に居ると、読書の時間が増えます。幸い、すぐ近くに図書館があるので、WEB予約したら、手に入るのも早い・・・・はずでしたが、完全休館!!!!!今借りているのは、開館まで借りていてもいいものの、予約したいと予定していた本と出合えるのはいつか?
 こんなとき、読書好きの友人たちが、面白い本や、その周りの情報を教えてくれるので、読みたい本は、ますます増えていくのです。読書の連鎖が止まらない・・・あーあ。
 
 そんな中、スイス ザンクトガレン修道院図書館のことで、教えてもらった情報を。
 ザンクトガレン大聖堂➡➡とその隣接地にある修道院図書館には、二度行ったことがあったのに、しらなかったのは、ここの入り口の銘版にはギリシャ語「プシヒス・イアトゥリオン ψΥXHΣ IATPEION」とあり、その意は「魂の病院」というだったということです。WEBで調べると、中世は、教養がないことは心の病と考えられ、図書館はそれを癒す場所だという説明もありました。
 そうか・・・教養がないことは、心の病。そうなんだ・・・
 誰?該当している人は?まさか!

 さてさて、我が家には、読み返したい本や、買ったまま積んでるだけの本も多いのですから、ここは、めげないで、心を癒す場所を、この住まいにいたしましょう。

☆写真上は、以前にもUPした、スイス ザンクトガレン修道院図書館の内部パネル写真。大聖堂内と違って、図書館内部は撮影禁止でした。写真下は、大聖堂のパイプオルガン

ザンクトガレンオルガン (2)17

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今の若いもん

25コンプリートアングラー
 ちょうど、春休み後半に当たる頃、買い物に行く途中に高校のグランドがあって、各運動のクラブ活動をやっていました。登校が許可されたり、禁止されたり・・・で、その時だけ、グランド使用の許可が下りていたのか、多分、ラグビー、野球、サッカー・・・・などが、活動していました。外周りの道は、陸上部が走っていきます。
 それまで、閑散としていた高校回りでしたから、彼らの生き生きとした姿をみて、こちらまで、口元が緩み、本当にうれしかった。

 さて、先日来、ここに書くのも嫌な動画が話題になりました。人気歌手の試みを汚すかのような動画でした。が、しかし、その人や、他便乗しているような人の映像以外、他の若者の画像は、みんな素敵です。学生たちもいます。
 自分の得意分野で参画しています。若い人の多くは、映像処理や、動画作成なども得意なのですね。
 映像に登場する人たちには、いろんな人が居て、素人なのか、玄人なのか、ともかく、上手い。自己表現がうまい。
 巣ごもりであるとか、自粛であるとか、ネガティブを逆手に取る、あるいは、ポジティブに受け止める・・・若い人ならではのエネルギーだと、ほとほと感心させていただきました。
 今の若いもんは・・・と、大昔から言われてきたように、今の若いもんへの想いもありますが、それよりなにより、物おじせず、軽いノリで、前進する若いもんはいいなぁと、心から楽しみました。素直にありがとう。

☆写真上は、英国 マーロー ホテルの庭で結婚披露宴のようです。左端に花嫁。その前に、どうも、冷やかされて男友達に押されている花婿がいるようです。足元には紫色のチューリップ。八重桜もきれいです。写真下は、そのホテルの対岸にある教会。上の写真の八重桜と、下の写真の八重桜は同じ木。・・・ということで、宿泊した部屋はどれかわかるでしょう?もう10年以上も前の写真です。
マーロ25

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不要不急の外出(四月下旬)

八重桜j
 八重桜もついに満開になりました。写真右は、葉桜になったソメイヨシノ。今年は長く咲いていました。

校舎j
 この写真は、休校になったままの小学校の門のところ。そして、校舎へと向かう通路の花々。歓迎の4月を彩る花々。子どもたちの登校はなくても、用務員さんは、水やりと手入れを欠かさず、子どもたちが戻ってくるのを待ってくださっているのが、伝わってきます。
校舎jj
 そして、毎週のように、つぐみを撮っていますが、今回写ったものを見ると、地面には、こんなにドングリが落ちていたことに、気が付きます。日頃、雑に生きているものとしては、ゆっくり、いろんなものを見ることができる時間を有難く思います。

ツグミjj
 
最後は、川べりの イソシギ。
イソシギ12j

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子どもを尊重し自然を愛する人

ポターj
(承前)
 さて、もう一冊のポターの評伝は、2001年に翻訳出版されました。「ビアトリクス・ポター ―――描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)
 この読後は、先の「ビアトリクス・ポターの伝記「ビアトリクス・ポターの生涯」(マーガレット・レイン著 猪熊葉子訳 福音館 1986年)➡➡ ⇒⇒とちがって、スッキリしたものでした。
 著者のジュディ・テイラーとポターは、交流がありました。もちろん、ポターは、著者だけでなく、世界中の人たちと手紙で交流し、晩年、子どもとの接触は、感じられなかったマーガレット・レインの著作とは違って、子どもたちとの写真や文通など、子どもと積極的に交流としていた様子さえうかがえます。

 ジュディ・テイラーも、初めは手紙でした。
 かのマーガレット・レインは、拒絶され、頭にきていました。そして、根に持っていたふしまでうかがえましたから、この差は、なんだろうと考えます。ここで、マーガレット・レインが読者に押し付けたイメージ、ポターは、才能ある女性ではあったけれども、辛辣で無礼な人というイメージは、払拭できました。
 その背景には、後日、書くことになる英国の児童文学作家アリソン・アトリー伝にもあるように、英国でも北生まれの人は頑固だというイメージ、あるいは、英国の階級社会のイメージ、あるいは、女性の社会進出などなど、けっこう、複雑なものもあるような気がします。

 ともあれ、個人的には、子どもを尊重し 自然を愛する人に、悪い人はいないと、思っています。(続く)
 

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癇癪玉の破裂

ネズミj
(承前)
 手紙を引き裂いたほどの著者マーガレット・レインですが、結局、ビアトリクス・ポターの伝記「ビアトリクス・ポターの生涯」(猪熊葉子訳 福音館)を書きました。

 その伝記は、ポターの死後執筆ですから、伝記の許可を得るために、ポターの夫のヒーリスに会うものの、彼が女性の権威に支配された生活を続けてきた人という印象を持ち、伝記を書くのを「妻は望まなかっただろう。許さなかっただろう」というヒーリスを納得させます。
 それで、その話し合いは毎夕続き、最後に
≪・・・一生のうちに、こんなことは二度か三度しか経験したことのないというほどの怒りで体のふるえるのを、突然わたしは感じたのでした。それは俗にいう、かんしゃく玉の破裂でした。気がつくと、わたしは握りこぶしでテーブルをたたき、「ヒーリスさん、こんなふうにわたしの仕事を邪魔にしてはいけませんんわ!」とさけんでいたのです。・・・・≫

えええっ!誰が無礼なんでしょう?
ともあれ、この本が翻訳された当時は、このマーガレット・レインの資質より、ポターの生涯に興味がありましたから、ポターとその周りの頑固さだけが心に残っていったと思います。ただ、作品自体の見方は変わりませんでしたが。

加えて言うなら、
マーガレット・レインは、1907年生まれ1994年亡です。ロンドンとNYで活躍したジャーナリスト出身で、1944年にハンティンドン伯爵夫人に。
 ということは、1866年生まれのポターに面会を申し入れたのは、1939年の32歳。ポターは、73歳。ポターは1943年に亡くなりますから、たとえ、昨日書いたように➡➡ ポターがマーガレット・レインのいうところの辛辣で、頑なな人であったとしても、やはり、相手に敬意を払っていなかったのは、どちらかは、明白です。たとえ、現代と時代や国の社会的背景が違うとはいえ。

 そして、そんなやりとりがあり、手紙を引き裂いたのにも関わらず、評伝の出版は1946年、1978年の2回、ポターの死後です。ちなみに、翻訳されているのは1978年の「ビアトリクス・ポターの生涯--ピーター・ラビットを生んだ魔法の歳月」(猪熊葉子訳 福音館)

 そんな評伝の1冊でしたが、この本の後、2001年に翻訳出版された「ビアトリクス・ポター ―――描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)を読むと、心から、すっきりしました。(続く)

☆写真は、ジュディ・テイラー「ビアトリクス・ポター ―――描き、語り、田園をいつくしんだ人」に掲載されているポターの描いたコウモリの水彩画(1885年)と、クリスマスプレゼントとして友人に贈ったモリネズミの水彩画(1886年)ポターは、1866年生まれです。
 現在、騒ぎになっている件のルーツにあるかもしれない小動物が並んでいます。

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辛辣で無礼

ひつじj
(承前) 「ビアトリクス・ポターの生涯  ピーター・ラビットを生んだ魔法の歳月ー」(マーガレット・レイン著 猪熊葉子訳 福音館)で、心にひっかかっていたのは、「序」と、最後のエピローグにある言葉でした。これは、読んだ当時、ポターの人柄を大枠で決定づけました。

 著者マーガレット・レインは、≪・・・・おずおずと本人に面会を申し入れたのですが、すげなく断られてしまいました。五十歳になって事務弁護士の妻としてか、牧羊業者として、保守的な地主として、新しい人生を踏み出したとき、ポターは北国人の先祖から受け継いだ率直で、つっけんどんで、実際的な性質をむき出しにしたのです。子どものために書いた小さな本は捨てられた過去に属するものでした。好奇心から、また賛美の念からやってくる訪問者たちは手ひどい拒絶にあいました。・・・・≫

 序で、このようにちょっと軽く触れたポターの横顔ですが、最後のエピローグで、言葉を強めるのです。
≪数日後、わたしが生涯のなかで手にした最も無礼な手紙が返ってきました。彼女は、どんなことがあっても、わたしに会うことはしない、といってきたのです。い「わたしの本は、いつも宣伝などしないでも売れました。ですから、今その種のことに首をつっこむことはごめんこうむります。」彼女の返事は、臭気どめの薬のスポンサーになってくれないか、とわたしが頼んだとしても、これほど人を怒らせるような言葉づかいで返答されはしなかっただろうというほどきつい調子のものでした。そんなら仕方がない、とわたしは考えました。このような敵意を前にしては、何も掛けたものではない。まるっきりけたはずれのけんつくをくわされたのです。怒りにまかせ、わたしはその手紙をひきさきました。そのとき、わたしは、自分が、彼女の辛らつさによって息の根を止められた大勢のひとりにすぎなかったことをまだ知らなかったのです。≫

うーん!今、改めて読み返すと、この著者マーガレット・レイン本人が辛辣で無礼なんじゃないの???(続く)
☆写真、英国 湖水地方付近(撮影:&Co.I)

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評伝というもの

ポター1 
➡➡ 承前)ビアトリクス・ポターの評伝で翻訳されている主な二冊は、「ビアトリクス・ポターの生涯  ピーター・ラビットを生んだ魔法の歳月ー」(マーガレット・レイン著 猪熊葉子訳 福音館)「ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)です。

 これらを読むまでもなく、絵本のピーター・ラビットシリーズを手に取れば、彼女がイギリスの自然と、小動物たちを愛してやまなかったことがわかります、
 ピーターラビットシリーズの制作は、彼女の人生の中で、ほんの何年かにすぎなくとも、彼女が晩年に至っても、ひつじの育成に力を入れ、自然環境を守るナショナルトラスト運動の一端を担っていたことを考えると、彼女の生涯は、イギリスの自然と共にあったと思います。彼女の自然を守り、保持していこうとする姿勢は、今、改めて、現代の我々に示唆することも多いと思います。私財を投じて、自然を守る、自然から得た財産を自然に返す・・・彼女の遺骨が、丘のどこに散骨されたのかは、永遠にわからない・・・というトピックにしても、自然の中の住民の一人だった彼女が、愛する場所に戻っただけのこと・・・
 
 ただ、先に出版されていたマーガレット・レインという人の「ビアトリクス・ポターの生涯ーピーター・ラビットを生んだ魔法の歳月ー」だけを読んだなら、ポターという女性が、頑固な女性というイメージが強い。芸術家ですから、ある意味、頑なな信念は必要だと思うので、初めて読んだ1986年ころには、さもありなんと思うばかりでした。
 
 1992年に初めて、このピーター・ラビットの舞台になったー英国湖水地方を訪れた時も、この評伝が支柱の一本となって、出かけていたと思います。お話の舞台になった地域の地図も含め、この本には、たくさんの作品につながる情報もありましたから。

 ただ、今読み返してみると、何冊かのピーターたちの作品解説、レズリー・リンダ―が解読したポターの暗号で書かれた日記によるアプローチ、ポターのスケッチや家族写真なども掲載されていますが、当時の様子を伝えるポターとは無関係の画や情報も多く掲載されています。

 そして、時を経て出版されたもう1冊の「ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)には、本人の写真だけでなく、本人の絵が多く掲載され、また、現代の関係者(多くは子どもたち)の写真も掲載され、手に取った印象が違います。
 2冊の評伝のこの差は、ポターに近づく上で、今更ながら、大きな違いにつながることを、書いてみます。結局、評伝は、著者の主観で書かれたものであるということに気づく機会でもありました。(続く)
 
☆ピータ・ラビット100周年の記念に作られたもの(非売品)で、その年に、ちょっとした作文を書いた記念にもらいました。近日中にも、中に入っていた当時の絵手紙の複製など、登場します。 

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森林管理官が聴いた野生の声

鶴j
「動物たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた野生の声」(ペーター・ヴォールレーベン 本田雅也訳 早川書房)
(承前)
「樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声」(ペーター・ヴォールレーベン 長谷川圭訳 早川書房 ノンフィクション文庫)の著者は、「動物たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた野生の声」(ペーター・ヴォールレーベン 本田雅也訳 早川書房)も書いています。

「樹木たちの知らざる生活」の方は、えっー!知らなかった・・・という科学的知見が多い本でしたが、「動物たちの内なる生活」の方は、へぇー!そうなんだ・・・と動物のフィクションを読んでいるような感じがします。「内なる生活」と題されているように、動物の心に近づこうとしているからです。
 章題にしても、「倒れるほどの母の愛」「感謝」「嘘いつわり」「勇気を出して!」「下心」「死がふたりを分かつまで」「命名」「悲しみ」「恥じらいと後悔」「共感」「痛み」「恐れ」「コミュニケーション」・・・・・なんか、人生の方向を助言してくれるエッセイ集のように思えませんか?
 
そして、本来動物たちのことを書いているこの本の中に、著者自身も、少々遠慮がちに、キノコ、菌類の一種のことを書いている部分があります。
≪一般の菌類であっても…動物にも植物にも分類できないため、その二つと並ぶ第三の界を形成している。菌類は動物と同じく、他の生物の有機物から栄養を摂取している。くわえてその細胞壁は、昆虫の外皮と同じキチン質からできている。
枯れた木の上で黄色いじゅうたんを形成している菌類、すなわち粘菌は、動くことだってできるのだ!・・・≫
・・・と、粘菌の一種を紹介し、その行動研究のことも記述しています。それは、日本人の研究者による実験だとも。そして、著者自身は「この粘菌の例がとても気に入っている」とも。

そして、著者はあとがき「一歩戻って」で、こう言います。
≪むしろ私が望むのは、今の世界を共に生きるものたちと付き合うなかで、それが動物であろうと植物であろうと、彼らへの敬意が少しでも戻ってくればいいな、ということである。≫

☆写真は、スイス ルガーノの湖水近く。

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木の言葉

   木j
「樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声」(ペーター・ヴォールレーベン 長谷川圭訳 早川書房 ノンフィクション文庫)
(承前)
 興味深い章の初めの言葉の中でも、この「木の言葉」の初めには、一気に引き込まれ、かつ、内容は浅学のものには、衝撃的なものでした。
 まず、こう始まります。
≪辞書によると、言葉を使ってコミュニケーションできるのは人間だけだそうだ。話ができるのは人間だけということになる。では、樹木は会話をしないのだろうか?もし、できるとしたら、どうやって?いずれにせよ、私たちは彼らの声を聞いたことがない。木は無口な存在だ。風に揺れる枝のきしみや葉のこすれる音は外からの影響で聞こえるにすぎず、木が自発的に起こすものではない。しかし、じつは木も自分を表現する手段を持っている。それが・・・≫

そして、具体的な植物例を挙げていくのです。
≪・・・キリンは、サバンナアカシアの葉を食べるが、アカシアにとってはもちろん迷惑な話だ。この大きな草食動物を追い払うためにキリンがやってくると、数分以内に葉の中に有毒物質を集める。毒に気づいたキリンは別の木に移動する。しかし、隣の木に向かうのではなく、少なくとも数本とばして100メートルぐらい離れたところで食事を再開・・・どうして、それほど遠くに移動するのか。・・・≫
≪最初に葉を食べられたアカシアは、災害が近づいていることをまわりの仲間に知らせるために警報ガス(エチレン)を発散する。警告された木は、いざというときのために有毒物質を準備しはじめる。それを知っているキリンは、警告の届かない場所に立っている木のところまで歩く。あるいは、風に逆らって移動する。香りのメッセージは空気に運ばれて隣の木に伝わるので、風上に向かえば、それほど歩かなくても警報に気づかなかった木が見つかるからだ。同じようなことが…≫

そうなんだ。
言葉を持たずとも動物たちのコミュニケーションの形が各々あるのは知っていましたが、植物もコミュニケートしていたのかと知ると、同じ地球の上に生を受けたものたち同士、仲良くしなくちゃ・・・と単純に思ってしまいます。(続く)
☆写真上、英国 アランデル(撮影:&Co.I)写真下、スイス ギースバッハ

きのこ2 20

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森林管理官が聴いた森の声

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「樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声」(ペーター・ヴォールレーベン 長谷川圭訳 早川書房 ノンフィクション文庫)
(承前)
この本の「二酸化炭素の掃除機」という章の初めに、こうあります。
≪私たちが一般に考える単純な自然循環の仕組みでは、自然にバランスをもたらす中心的な役割を樹木が担っている。光合成をして炭化水素化合物をつくり、それを使って生長して、生涯で最大20トンの二酸化炭素を幹と根に蓄える。その木が死ぬと、菌類やバクテリアが木質を消化して同じ量の温室効果ガスを排出する。このことから、木材を燃やすことは環境に悪くない。と、主張する人もいる。微生物に分解されても窯で焼いても、結局は同じようにガスが出るのだから、どちらも同じだ。というのがその理屈だ。しかし、実際にはそれほど単純な話ではない。本物の森は巨大な掃除機のようなもので、二酸化炭素を吸い込み、内部にため込む。死んだ木が放った二酸化炭素の一部こそ大気に戻るが、大部分は森林の生態系のなかにとどまるのだ。・・・・≫

本物の森は巨大な掃除機のようなもの・・・わかりやすい言葉です。

他にも、各章初めの言葉は、それぞれ、読者を引き込む文言が並びます。樹木を擬人化し、というより、人と同等に扱う言葉です。
「木はとても思慮深い存在だ。」
「森の樹木には守るべきマナーがある。」
「樹木は助け合いが大好きで、社会をとても大切にする。」
「自分の森を歩いているとつらそうにしているナラに出会うことが多い。」
「樹木はどうして長生きなのか?」
「樹木が移動するので、森はつねに変化する。」
などなど・・・・・

そんな中、「木の言葉」という章も、初めの文言から興味深いことが書かれています。(続く)
☆写真は、英国 クリブデンハウスのブルーベル

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植物界、動物界、そして菌界

地衣類3
➡➡承前)
 「英国貴族、領地を野生に戻す」(イザベラ・トゥリー著 三木直子訳 築地書館)➡➡ と、「ピーター・ラビットの野帳  フィールドノート」(ビアトリクス・ポター絵 アイリーン・ジェイ  メアリー・ノーブル  アン・スチーブンソン・ホッブス 文  塩野米松訳  福音館)➡➡を読んでいると、今まで興味のなかったキノコや菌類のことに興味がわいてきました。今までは、桜の花を愛でていただけだったのに、つい、その幹にも目が行くようになりました。木にへばりつくように在る菌類、地衣類、キノコの存在です。写真上二枚に写るのは、「鬱金(うこん)」と名札のついていた桜ですが、芽生えもなく、立ち枯れています。根元が、すでにグラグラしています。このキノコの名前は特定できませんが、ポターが「妖精のキャラバン」(ビアトリクス・ポター文・絵 久野暁子訳 福音館)で描いていたサルノコシカケ➡➡の一種かもしれません。最後の写真は、桜の木に生えていた地衣類で、キウメノキゴケかもしれません。
地衣類2
 
 恥ずかしながら、生物界は、植物界、動物界、そして菌界という分類があることをよく知りませんでした。生産者、消費者、そして還元者という視点のようです。菌類は、広義には細菌類、卵菌類、変形菌類及び真菌類をまとめて指す用語のようで、個人的には、これも、よく理解できているということではありません。が、大きく言うと、今地球上の大きな問題である二酸化炭素の問題と切り離せない重要な三者であることはわかります。

 ビアトリクス・ポターを夢中にした菌類そして、キノコ。
 「英国貴族、領地を野生に戻す」の中で≪地球上の生命にとってなくてはならないものの一つである菌根・・・・、その植物との共生関係、そして早期警戒システムとしての役割・・・≫とある菌根。
 そして、この菌類のみならず、オークや他の樹木、植物との関係など、「英国貴族、領地を野生に戻す」の中でも紹介されている「樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声」(ペーター・ヴォールレーベン 長谷川圭訳 早川書房 ノンフィクション文庫)に、さらに興味深いことが書いてあります。(続く)
地衣類j

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疫病流行の翌年

つぐみj
「ペスト A Journal of the Plague Year」(1722年作)(デフォー作 平井正穂訳 中公文庫)➡➡
 (承前)
 さて、このデフォーのペストには、今現代のことかと思わせる記述があります。
例えば、
≪その病人が病気と自覚した以前までさかのぼって、かつて往来したすべての人をしらみつぶしに調べて全部閉鎖できれば、話は別だ。だが、どこまでさかのぼるか、どこで線を引くか、これは厄介な問題であろう。≫
これって、何か月前まではまったく知らなかった言葉、クラスター探しのことですよね?

あるいは、近い将来、現代でもありそうなこと、
≪それにしてもわがロンドン市民の性格はすこぶるせっかちだったと思う。…流行が始まるとともに驚愕のあまり、彼らは互いに見向きもしなくなり、互いにその家を敬遠してしまった。のみならず、まだその必要もないのに(と当時私は考えたのだが)あわてふためいてロンドンから逃げ出していった。…今度は、もう今の疫病は当初に比べてずっと感染しにくくなった、たとえかかっても死ぬ率は少なくなった。現にはっきり病気にかかっていた人で日に日に回復している人はじつに多い。云々というのであった。市民はさっそく妙なふうに勇気を発揮して、自分の身の安全のことも、病毒そのものも、もはや眼中になくなってしまった。そうなると恐ろしい疫病も普通の熱病も大した違いはないというわけだった。そこで大胆不敵にもどんなところへも顔を出し・・・・≫

が、しかし、300年前のロンドンと現代と比べてみると、
≪医者たちはもちろん、こういうあさはかな考え方に対して全力をあげて警告した。そして心得書を印刷して、市民はもちろん、郊外にいたるまでくまなく配布し、死亡者は減りつつあるが、まだなお自粛生活を続けてもらいたい。平生の日常生活においても極力用心をつづけてもらいたいと勧告した。もしものことがあれば、全市にわたって疫病の再燃の恐れがあり、再燃したあかつきには、今まで蔓延してきた流行とは比較にならぬほどの惨禍と危険を及ぼすことになる、と警告も発した。≫
・・・・今は医者たちの印刷した警告ではなく、WEBも、テレビや新聞もあります。また、現代も、医者や科学者たちは、必死で警鐘を鳴らしています。そして、志高く、頑張ってくれている医師をはじめとする医療関係者の皆さんが居ます。
 が、しかし、現代は、ほんの一部だとはいえ、偏差値が高いだけで医者になったような一部の若者(馬鹿者)の自覚のなさを知ることもあります。

 さて、この本で、もっとも衝撃的で、いつものように個人的な無知の露呈が、このロンドンペストの大流行1665年の次の年に何が起こったのか・・・でした。
 ≪ロンドンにふりかかったもう一つの恐るべき災厄…疫病流行の翌年、ロンドン大火災によって、ほとんど無限といってもよいほどの家財、衣類その他が焼失するとともに、全国から集まっていた商品や製造品の充満していた倉庫もすべて灰燼に帰してしまったのである。そのため欠乏品を補い損失を元通りにするために、わがイギリス王国全土にわたり、いかに取引きが活発になったか、けだし想像以上のものがあった。・…疫病流行以後につづく、そしてまたロンドン大火災に続く、七年間ほど、全国にわたって活発な取引の動きをみたことはいまだかつてなかった。≫

 今、このときが、終息に向かったとしても、あるいは、ロンドンを焼けつくすような大火事なんか、今や起こるべくもないにしても、地震や、地球を怒らせている以上起こると思われる自然大災害が起こらないことを、ただ、祈るだけです。

☆写真は、冬は口をつぐんでいるというツグミ。

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一大失策

デフォーj
(承前)
 「ペスト A Journal of the Plague Year」(ダニエル・デフォー 平井正穂訳 中公文庫)(1722年作)➡➡
 今回、マンゾーニの「いいなづけ」やカミュの「ペスト」が話題になり、そのおかげで、このデフォーのペストも読みました。
 他の2冊と「デカメロン」のことは、いずれ書くとして、この「ペスト」の本が、一番、ドキュメンタリーに近い。フィクションの形をとり、私見も多く入っていますが、実際に起こった事件や記録にも力点があるように思います。1665年から1666年のロンドンのペスト蔓延時に、後にジャーナリストとなるデフォーはまだ5歳でしたから、当時の記録や見聞をもとに書かれたと言われています。また、デフォーは、初め、ロンドン市民の馬具商H.F.という匿名で、この本を出版していましたが、そのイニシャルは、当時の話を聞いた叔父のヘンリー・フォーから来ているのではないかとされています。 

 読んでいると、確かに17世紀のロンドンではあるし、一軒ずつの隔離封鎖など、時代を感じる記載は多いのですが、人の心、人の動きは、今と一緒。いつの文を読んでいるんだろうと思うほど。(これは、他のペスト関連文芸も同じ)
 
 そして、一番初めに、おお!と思ったのが、当初、ロンドンの週報に記載されていく死亡者数やその増加数のことです。この記載は、本文P445のまだP14 !
≪…死亡率が減ってくると・・・われわれは数日間、かような希望をいだいて暮らした。だが、それは文字どおり、はかない数日間にすぎなかった。市民たちはもはやこんなことでごまかされなくなった。・・・・・悪疫がもはや手のつけられないくらい蔓延していて、日夜、おびただしい人々が死んでいることを発見した。こうなると、われわれのはかない望みは暗澹たるものになった。もうこの疫病は相当に広がっていて、今さら 衰えるなどとは絶対に考えられないところまできている。ということは、もはやおおうべくもなかった。いや、一目瞭然たるものがあった。・・・・どうやら事態はそろそろ全貌を示しはじめたようであった。週報にはロンドン全体における、疫病による死亡者としてわずか14名をあげているにすぎなかったが、それはまったくのいんちきであり、ごまかしであった。たとえば、・・・・・≫

その後、著者は、こう言います。≪こんどのような危機に再び会うこともあるいはあるかもしれない人々の参考として、これからの話をしたいと思うのだが、・・・・≫
また、≪私はこの時分のありさまをそっくりそのまま、これを目撃しなかった人々に伝え、いたるところに現出した地獄絵巻を読者諸君に伝えることができたらと思う。≫
 として、数々のエピソード、そして、ロンドンの町の様子を披露していくのです。
 悲惨な状況は、詐欺師や「疫病予防丸薬、効能確実」などという胡散臭い薬剤のことにも言及。
 感染者が逃げ出さないよう、家屋閉鎖という強硬手段。・・・が、その膨大な家の前にはそれぞれ、監視人。(☆ 写真に写る挿絵は、そのあたりが書かれています。レズリー・アトキンソン画)

そしてまた、≪もし将来かかる災厄に会うような場合に、たまたま本書を繙いたことのある人々に役に立つかもしれない。≫と、こんなことを記します。
≪①この伝染病は、生活必需品の食料や薬品を買うために往来を駆け回った奉公人が、市中で感染し、家庭に持ち帰る。②ロンドンのような大都市でも一つしか避難所(ペストハウス)を持っていなかったということは、何としても一大失策 ≫そしてまた、≪ここで一言したいのは、市民全体のあのだらしない怠慢ぶりである。疫病流行の注意なり警告なりがずいぶん前から発せられていたにもかかわらず、食料その他の生活必需品を貯えこもうともせず・・・・≫などなど、今の世の中も傾聴せねばならない文言が続きます。特に、一大失策とまで言い切っている公的不備は、せっかく、300年も前にデフォーが警鐘を鳴らしているのに、学習しない後世の者が悪い。
 ましてや、今現代の政治に関わる人、国家や地方自治に関わる人間は、やっぱり、この本を必読にした方がいいんじゃないか。(続く) 

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シェイクスピアもブレイクも

 ブレイクj
先日、書いたように➡➡、図書館で借りたデフォーの「ペスト A Journal of the Plague Year」(1722年作)(平井正穂訳 中公文庫)から読みました。が、まずは訳者の周りから。

 訳者は、同じデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(岩波文庫)も訳しています。他、スウィフトの「ガリバー旅行記」、トーマス・モアの「ユートピア」、ミルトンの「失楽園」、シェイクスピア「ロミオとジュリエット」を訳しているけど、この人の訳で読んでないな・・・と思っていたら、「イギリス名詩選」やギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」は、読んでた。(いずれも、岩波文庫)それから、かつて新潮文庫から出ていたゴールディングの「蠅の王」➡➡の訳も。訳者の全貌を知ったわけではなく、素人判断ながら、ちょっと翻訳作品の傾向が見えるような気が・・・。

 平井正穂訳の「イギリス名詩選」の中のウィリアム・ブレイクの詩「ロンドン」の最後にも、blights with plagues(*blights は荒廃、混乱の意***plagueは、大疫病の意)とあります。
≪・・・・だが、とりわけ、私の耳をうつのは、真夜中の街々に溢れる若い娼婦の詛いの声だ。なんと、彼女らのその声に、生まれたばかりの嬰児の涙が涸れ、夫婦生活が悪疫に見舞われ、墓場と化してゆくことか!≫

ついでながら、寿岳文章訳では、(ブレイク詩集 岩波文庫:☆☆☆上記写真は、角川文庫「無心の歌、有心の歌」ウィリアム・ブレイク 寿岳文章訳 ブレイク絵)
≪・・・だが 最もしばしば 深夜の町にわたしが聞くのは 生まれたばかりの乳のみ児の涙をからし 結婚の柩車を疫病で台無しにする  年若い娼婦の呪い声≫

 そして、シェイクスピア「ロミオとジュリエット」(1597年作)
 ジュリエットの手紙がロミオに届かなかったのは、手紙を託された修道士ロレンスが途中立ち寄った病人宅がペストであったため、隔離された故でした。原文には、infectious pestilence 感染性の疫病(ペスト)とあります。(但し、以下、小田島雄志訳 白水Uブックス)
≪・・・この町の病人を見舞いに来ていたところを探しあてたそのとき、町の検察官に、われわれ両人が伝染病におかされた患者の家にいあわせたと疑いをかけられ、戸には封印、すっかり足どめをくわされ、マンチュアへのいそぎの使いをはたせませんでした・・・・≫
 このシェイクスピアの時代の隔離方法は、デフォーの「ペスト」に描かれている時代1665年~1666年のロンドンも、なんら変わりなく、一軒ごとに封鎖してしまうやり方だったのです。(続く) 

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不要不急の外出(四月半ば)

さくらj
 オリンピックという背景も都知事選という背景も、他、細々と大人の都合が片付いたら、やっぱり大変なことになっている今日この頃。 が、今年の桜は、見頃の時期が長い。(と、思いませんか?)

 不要不急ではない、毎日の遠回り食材買い物では、桜のトンネルを通り、今や、少々、風に吹かれる花びらを目の前にしながら、世の無常を思い、素人の一句を考えながら歩いています。幸い、この町には、桜の並木道が多いのです。 

  そして、たまに、歩ける距離に住んでいる友人と、マスクして、社会的距離(?)を保ち、遠回り食材購入のウォーキングをするのは、大きな楽しみ。 また、たまに、届くお手紙やメールで、会わずとも、つながっているのを実感できるのも大きな喜び。
 ただ、拙ブログは、元来、カウント数もなく、いったい、何人の人が見てくれているのか、さっぱりわからず、書きためてはいても、こんな時期には、もう不要かもと、思ったり、自分自身の備忘録なんだからと、思ったり・・・

 楽しみにしていた、孫の4月の誕生会も、5人以上集まるから、延期にしようということになったものの、さて、いつになったら、落ち着くんだろう。
さくら2

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オークの木の妖精

オークj
(承前)
「オークの木の自然誌」(リチャード・レウィントン絵 デイヴィッド・ストリーター文 池田清彦訳 ナショナル・トラスト協賛 メディア・ファクトリー)は、たった一本のオークに、集まる数々の動植物、昆虫も菌類も 描かれている図鑑です。季節によっても描き分けられていて、この木、オークが、いろんなものが集まってくる「木」なのだとわかります。
 
それで、「ケルトの木の知恵――神秘、魔法、癒し」(ジェーン・ギルフォード文・写真 井村君江監訳 倉嶋雅人訳 東京書籍)には、こんなことが書かれていました。
≪オークは勇気と、忍耐と,信念の力を表しています。高貴な姿の、この周りのものを養い育てる木は、善き神々やリーダーや戦士に恵まれるなら、いかなる苦難も克服できると、古代の人々に教えていました。≫

おお、善きリーダーに恵まれるなら、いかなる困難も克服できる!って?古代の話に終わらせないで!!!今こそ!

 そして、いろんなものが集まってくるオークのことを、こう言います。
≪私たちも、オークのように、かつては救いを求める人を偏見を持たずに受け入れ、ためらうことなく進んで自分のものを差し出したものでした。力とは、いつどんなときも、とらわれることのない寛容な態度の中にあるということを、オークは思い出させてくれるのです。しかし、強さは裏を返せば弱点でもあり、嵐に見舞われるとオークは枝が折れてしまいます。・・・・≫

ああ、このオークを守るのは、共生関係にあった菌根であり、キノコでしたね。➡➡

そうなのです。「妖精のキャラバン」(ビアトリクス・ポター作 久野暁子訳 福音館)の最後のお話「オークの木の妖精」➡➡で、ポターが妖精としたのは、キノコ――ビアトリクス・ポターが、愛し研究したキノコが姿を変えたものだったのだと思うのです。

やまねのシャリファは、「オークの木の妖精」の話を、こう閉じます。
≪・・・一つ付け加えるとね、妖精はまた幸せになったの。(オークの)橋に住むことにしたのよ。今でもそこに住んでいるわ。満足して、みんなの役に立って、何百年だってそこに住みつづけると思うわ。何年もかけてしっかり育ったオークは、いつまでもだめにならないのよ。つらいことや悲しいことをのりこえてきた木ですもの。・・・・・・・・≫(続く)

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OAK

湖水地方12
「英国貴族、領地を野生に戻す」(イザベラ・トゥリー著 三木直子訳 築地書館)
(承前)
 「英国貴族、領地を野生に戻す」➡➡ の第1章の初めに引用されている言葉が印象的です。
≪樹齢四百年の一本のオークは、生き物たちの生態系そのものだ。樹齢二百年の木が一万本あってもなんの役にも立たない。≫

 先日の「妖精のキャラバン」(ビアトリクス・ポター作 久野暁子訳 福音館)の最後のお話「オークの木の妖精」➡➡は、子どもに向けたフィクションです。一方、「英国貴族、領地を野生に戻す」は、自然,、そして地球環境を考えるノンフィクションですが、「オークの木の妖精」と、似ている箇所があります。

≪…大昔にイギリスに住んでいたドルイド教徒たちはオークの木立の中で礼拝を行ったし、王国初期の王たちはオークの葉で作った冠で身を飾った。…強さと生き残りの象徴であるその枝の下で恋人たちは結婚の儀式を行い、幸運のまじないとしてドングリをポケットに忍ばせ、クリスマスにはオークのユールログ(クリスマス前日に燃やす大きな薪)をヤドリギとヒイラギとともに飾った。・・・・・庶民にとっては、オークは生計の手段であり暮らしを支えるものだった。ドングリはブタの餌になり、パンを作るのにも使われた。樹皮は皮をなめすのに使えたし、刈った枝は、冬は家畜の飼料になり、薪にもなった。おが屑は肉や魚を燻製するのに使い、没食子からはインキを作った。そして木材で炭を作り、それを使って鉄を製錬した。・・・・・何より木材として珍重された。床材、家や納屋の支持梁、そして島国であるイギリスにとって一番重要だったのが、造船だった。・・・≫

 そしてまた、こんなことも書かれています。
 「おしゃべりなドングリ集め」という学名(!)通り、カケスは発芽する可能性の高いドングリだけを選ぶといい、「イバラの茂みはオークの母」という古い森の格言から、イバラの茂みがなければ共有地には樹木が存在しないだろうと、あります。つまり、カケスにしても、イバラにしても、オークにとっては、どちらか、一つでは成り立たない、「共生関係」。
 このイバラの茂みは、17世紀の森林官が「ドングリとアッシュの翼果をばらばらに散らばった茂みに投げ入れるように指示され、≪それらは茂みに守られて成長し、いかにも完璧な木となって、将来、材木がたっぷり採れるだろう≫とあります。そして、その頃の法律には、それらを傷つけた者に3か月の強制労働や鞭打ちが行われたそうな。

・・・・と、英国民にとって、遠い昔から共にあったオークのことを知ったうえで、ビアトリクス・ポターの「オークの木の妖精」➡➡の話を読んでみると、一つわかったことが・・・(続く)

☆写真は、英国湖水地方 ニアソーリー。中央の一本の木がオークと思われます。(撮影:&Co.I)

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農薬に非常に弱い

ギースバッハきのこ14
(承前)
「英国貴族、領地を野生に戻す」(イザベラ・トゥリー著 三木直子訳 築地書館)➡➡ には、数々の動植物が出てきます。もちろん、ミミズも。
 ダーウィンの国ですから、当然といえば当然ですが、ダーウィンのミミズの研究も➡➡、自分の大きな土地で研究を進めていったのが、「英国貴族、領地を野生に戻す」と共通しています。また、裕福な人たちが、時間と資産を提供するのは、かの国に流れるスピリットなのかもしれません。研究には、予算と時間が必要です。

 また、菌(菌根)・キノコのことも書かれています。これは、ビアトリクス・ポターが熱心に研究していたことでもありました。➡➡
 ≪木の根にくっついて、深くて込み入った巨大な地下網を形成する、細い、毛髪のような菌根≫が、生まれたのは今から5億年前らしく、すべての大陸の生態系において、90~95パーセントの植物が菌根と共生関係にあるとされています。また、≪繊細な菌根は、化学肥料や殺虫類などの農薬に非常に弱い≫

それで、キノコです。
≪キノコはよく、木が枯れる前兆だと悪く言われるが、木に寄生するというよりも枯れた木を分解する働きをすることがほとんどだ。・・木が枯れる原因になるのではなく、死んだ組織を分解することで木への無益な負担を取り除き、根がアクセスできる植物栄養素の貯蔵庫を別に作るのである。それによって木は、中が空の円筒状になり、ハリケーン並みの風にも耐えられる。より強靭で軽い構造に変化する。・・・・≫

 この「英国貴族、領地を野生に戻す」は、数字や科学から縁遠いカ・リ・リ・ロでも、楽しめるポイントがありました。次々登場する、ウエストサセックスの地名、アランデル、ブランバー、ルイス・・・(イーストサセックスのライも!)。それは、かつて、友人と出かけた場所で、どこも お話とつながっています。まず、石井桃子の「児童文学の旅」が中心にあって、サトクリフ、ファージョン・・・ 運命の騎士、リンゴ畑のマーティン・ピピン・・・ああ、読みたい!!!(続く)

*「児童文学の旅」(石井桃子著 岩波)
*「運命の騎士」(ローズマリ・サトクリフ 猪熊葉子訳 チャールズ・キーピング絵 岩波)
*「リンゴ畑のマーティン・ピピン」(E.ファージョン 石井桃子訳 リチャード・ケネディ絵 岩波)

☆写真上は、スイス ギースバッハの裏山 向こうはブリエンツ湖
写真下は、スイス ミューレン 誰が食べた?
キノコj
 

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Two turtledoves

こきじばとj
「英国貴族、領地を野生に戻す」(イザベラ・トゥリー著 三木直子訳 築地書館)
 (承前)
 昔から伝わるクリスマスの歌に出てくるコキジバトが激減し(1981年イギリスで保護鳥指定)、一歩間違えば、イギリスからいなくなる・・・人懐っこく クークーと鳴く声は、イギリスの夏の象徴なのに・・・という著者の思いも一因となって、英国貴族夫妻は、自らの領土を野生化していきます。➡➡

 さて、この「クリスマスの12日」の二番の歌詞にコキジバトが出てきます。
 *この歌は記憶ゲームの一つとして伝えられてきたようです。
 
♪On the first day of Christmas, My true love sent to me  A partridge in a tree.
♪On the second day of Christmas, My true love sent to me, Two turtledoves ,and A partridge in a tree.
・・・・・・・・♪
≪♪さあ クリスマス はじめのひの おくりものは ほら 1わの ヤマウズラ
 ♪さあ クリスマス ふつかめの おくりものは 2わの キジバト それに 1わの ヤマウズラ
……♪≫(「クリスマスの12にち」エミリー・ボーラム絵 わしづ なつえ訳 福音館)

「英国貴族、領地を野生に戻す」によると、コキジバト=turtledoveの≪turtle は、亀とは関係なく、魅惑的なその鳴き声から来ている≫とあります。また、それは≪夫婦間の愛情や献身を表すかのようなコキジバトのつがいの絆――チョーサーやシェイクスピアやスペンサーが描いた失われた愛を歌うかのような、もの悲しげなクークーという声≫とあって、「クリスマスの12にち」の歌の二番に二羽のキジバトと、出てくるのも意味ある事なのだと分かります。一日目なら一羽のヤマウズラだし、三日目なら三羽のメンドリ、四日目なら四羽のクジャク・・・・(続く)

 蛇足です。
 「クリスマスの12にち」エミリー・ボーラム絵 わしづ なつえ訳 福音館)には、楽譜もCDもついていて、子どもたちが小さい頃、よく一緒に歌ったものです。中でも、一番楽しんで歌ったのは、子どもたちよりお父さんだったかもしれません。このキジバトの話をすると、すぐに歌いだしましたから。
 そして、娘は、お父さんがいつも楽しそうに歌っていたのは。五番の♪Five Golden Rings~♪のところだったね、と歌い方まで、よく覚えていました。カ・リ・リ・ロにしても、「クリスマスの12にち」の鼻歌を歌いながら、これ、書いています。

☆写真は、ポップアップブック「The 12 Days of Christmas by Robert SABUDA」の2日目。こちらの原文はMy true love sent to meではなく、My true love gave to meとなっています。

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英国貴族、領地を野生に戻す

けんじんとんG12
 ポターのことを書き続けているとき、新聞の書評にでたのが、「英国貴族、領地を野生に戻す」(イザベラ・トゥリー著 三木直子訳 築地書館)でした。

 ポターは裕福な生まれでしたが、貴族ではありませんでした。が、印税で、湖水地方の土地を買い、その自然を守ろうとした姿勢は、現代の「英国貴族、領地を野生に戻す」に共通するものがあると思いました。

 素人から見たら、湖水地方のゆったり広々とした自然だけなく、ロンドンすら緑が多いと思うのですが、「英国貴族、領地を野生に戻す」では、現代は、人間が手を加えてきた結果の自然だ言います。そういえば、緑多き公園もそう、牧草地もそう、ましてや、農耕地は、人の都合で成り立っています。人はつい、自分も自然の一部だということを忘れ、収益率の高い畜産や農業を目指してきたのでしたね。

 そこを一歩すすめ、著者とその夫は、彼らの土地の自然を、人の手が加わらない形、野生に戻すという形で取り組みました。その貴族の領土、土壌を野生化する記録が、この本です。貴族で大きな土地を持っていたからこそできたことではありますが、ともかくも、勇気と決断を必要とした活動は、今このとき環境問題を考える上で、大きな一石となっています。

 彼らの領土はクネップ Kneppといい、住まいはクネップキャッスル。イギリスの南部、ロンドンの南 ウエストサセックスにあります。代々、農業に使っていた土地を2003年から、まずは休耕させ、野生化計画を進めていくというものでした。つまり、この本は、2018年に本国で出版、2020年1月に日本で翻訳出版という、まだまだ進行形のドキュメンタリーでもあります。
 本の巻頭には、数々の動植物の写真があって、野生化された牛や馬の写真は、英国の現代なのかと目を疑うほど。ましてや、彼らのHPを見ると、ほんとに英国?と思うような、元気いっぱいの鹿をはじめとする動物たちの動く姿を見ることができます。

 本には、その太っ腹な計画が進められていく過程が書かれていてるのですが、きっかけは、イギリス文化の奥深さでした。とっても、単純なことでもあります。(続く)

☆写真は、ロンドン ケンジントンガーデン

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花盛り

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こんなときでも花盛り。川沿いも、運河沿いも、公園も・・・

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不要不急の外出(四月初め)

2020さくら
いくら洗濯できても、1住所あたりマスク2つじゃ家族で使いまわすのも難しい・・・それに、布製の(大の大人の男性がつけたら、小顔用のように見える)マスクでは、小顔じゃない大人が、くしゃみしたら、有効じゃない・・・

こんな事態でも、桜は綺麗に咲いています。
今や、歩いて遠回りの買い物だけが日ごろの運動ですが、いつも通る桜並木は、ほぼ満開です。さぞや、京都や他、名所の桜も、見事だろうと思います。

それで、「英国貴族、領地を野生に戻す」(イザベラ・トゥリー著 三木直子訳 築地書館)のことを少し書く前に、順番がおかしいとはいえ、その訳者後書きにあった英米共同制作の人気ドラマ「ダウントン・アビー」のこと。
≪本書の舞台となるバレル家のクネップ・キャッスルはまさに、1910年~1920年代の「ダウントン・アビー」の80年後を彷彿とさせる。…ドラマには、所有する領地で農業や畜産業を営む小作人たちが登場し、地主であるクローリー家の人々が、時代の変化に合わせて経営を合理化し、多角化を図ろうと腐心するシーンがあった。そして、(現代の)バレル家の人々もまた、「土地を売るという発想がない家風」を引き継ぐ由緒正しき家系ではあるが・・・・≫

 というのも、先日来、映画の趣味のまったく合わなかった夫と、WEB配信される「ダウントン・アビー」を見ているのです。やたら、早く帰ってくるし、休日はゴルフもジムもないし・・・・
 娘は、英国に暮らしていた頃に、リアルタイムに 周りが騒いでいた人気ドラマだと知っていましたし、カ・リ・リ・ロ自身も日本で放映されていたのは知っていたものの、いかんせん、夜遅い放映で、うちにはビデオ録画設備もないということで、あきらめていました。また、ごく最近、ドラマ後みたいな、劇場映画があったのですが、それも、この度の騒ぎで映画館に行く気がせず・・・
 ということで、WEBで、やっと見られたのです。イギリスのお屋敷の設えと、その周りの風景、そしてファッションなど、楽しみは多いのですが、夫の反応や如何に?・・・・それが、はまってしまった。人間ドラマが入り組んでいて、おもしろいからででしょう。
 全巻見終える頃には、新型コロナウィルスも終息していますように。

以下、夙川の桜と芦屋川の桜。すべて、スマホカメラ。
夙川43 
2020asiyagawaj.jpg

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妖精のキャラバン

キャラバン2
(承前)
「妖精のキャラバン」(ビアトリクス・ポター作 久野暁子訳 福音館)
写真左に写る挿絵は、毛が長くなりすぎたてんじくねずみのタッペニーの前で、やまねのシャリファが、オークの木の妖精の話をするところです。
≪・・・妖精っていうのは怒りっぽいものでね。オークの木の妖精は怒って悪さをした時もあったわ。この苔の上にお座りなさいよ、タッペニー。ベリンダもお客さまも。すてきなお話だから、できるだけすてきに話してみるわ。・・・≫

そこで、「妖精のキャラバン」の最終章は、やまねのシャリファが話す「オークの木の妖精」です。
≪英国のオークには、どことなくいかめしい、堂々とした気品があります。古代のブリトン人はオークを神様の木だと考えていました。それより後の時代のサクソン人は、オークを聖職者ドルイドの木として尊敬していました。ウィリアム征服王は国全体を調べて、『土地台帳』を作らせたことがあります。まだ地図がなかった時代でしたので、目印になるものをたくさん書き込みました。ハートフォードシャーのオークの木も、目印として『土地台帳』に書き込まれていました。これからお話するオークの木は・・・・≫

≪・・・とても大きな木を切り倒す作業は、本当に残酷です。斧が鈍い音をたてて振りおろされるたびに、木の奥深くに住んでいる緑色の妖精も痛がって苦しむのです。・・・・≫

 「オークの木の妖精」の話は、ポターが、伝えたかったと思われる大事なことの詰まった話です。この話から、「英国貴族、領地を野生に戻す」(イザベラ・トゥリー著 三木直子訳 築地書館)に、ちょっと寄り道してみます。(続く)

 加えて、蛇足ながら、この「妖精のキャラバン」で難点なのは、本当にたくさん登場する小動物たちに、みんな、しっかりとした名前が付けられていて、カタカナの名前が、なかなか覚えられない。途中から、ノートに控えていきましたが、この本が翻訳出版された2000年から20年経っている今となっては詮無いこと。あーあ・・・

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