上記一部だけ満開の桜の写真を、神奈川に住む妹に送信したら、屋根に雪が積もってるよ・・・との返信。
この町から出ない生活も、およそ1か月。外出自粛(要請)でなく、外出禁止(要請)ということになったら、他国のように、罰金やむち打ちなどの罰則になるんだろうか。
街の本屋さんで、カミュの「ペスト」(宮崎嶺雄訳 新潮社)は、一人一冊までと書かれていたと、大阪に通勤している娘が言ってました。 マスクじゃあるまいし、そんなにカミュを読む人が居る?・・・と、思いながらも、自分は図書館で、予約待ちしていると、今年の結婚記念日に 夫がプレゼントしてくれたのが、会社近くの書店にあったカミュの「ペスト」。ま、なんと、印象に残る結婚記念日の贈り物だこと。
とりあえず、予約待ちのなかったデフォーの「ペスト」(平井正穂訳 中公文庫)から読んでみます。
読書と、散歩を兼ねた食材や甘いものの買い物、それに、ブログの作文を書きためる日々。ジムの再開、お習字の再開は、いつとも知れず、大学の授業開始も4月下旬まで伸び、毎日が休日のようになってきたので、今しばらく、土日祝も含め、毎日、ブログUPしていきます。
(承前)
この際、ビアトリクス・ポターのネズミの絵本だけでなく、もっと、角度を変えても、ポターを見てみたいと思います。
ピーター・ラビットシリーズとは、趣を異にする「ピーター・ラビットの野帳 フィールドノート」(ビアトリクス・ポター絵 アイリーン・ジェイ メアリー・ノーブル アン・スチーブンソン・ホッブス 文 塩野米松訳 福音館)は、ポターの自然環境保護のルーツや、彼女が描いた菌類の絵と共に、絵本から見たポターと、一味違う彼女の才能に、驚かされます。
芸術に秀でる人は、優れた五感を持っていると思いますが、彼女は、人並外れた観察眼も持っていたと思われます。しかも、ただ、描いただけでなく、その菌類(主に、きのこ)について、論考し、絵を残しています。
が、しかし彼女の論文のその後の詳しいことはわかっていず、ロンドンリンネ協会の議事録によれば
≪「ハラタケ属の胞子発生について」と題された、ミス・ヘレン・B・ポターの論文は1897年4月1日読み上げらています。女性だったので、ビアトリクスは自分で発表することもできませんでしたし、会合に出席することもできなかったのです。代わりにジョージ・マッシー氏が読むことを引き受けてくれましたが、当日の発表の中心はシスルトン・ダイヤ―氏でした。ビアトリクスのスケッチが会員の前で紹介されたかは不明で、リンネ協会にも、論文に関する資料は何も残っていません。≫
はあ?ひどい扱いです。
今、この現代の日本でもいまだ、医学部入試差別が厳然と残っていた(いる)ように、女性と学問は、さらに距離があった時代、しかも当時30歳前後の女性の研究でした。当時の学者たちと議論したいものの、相手にされず、のちになってやっと、彼女の論考の正当性が認められていくのです。
それで、当時のキノコの専門家たちの多くを、リスペクトできなかったポターでしたが、唯一、まともな議論、あるいは、キノコなどの提供のやり取りしていたのが、郵便配達夫のチャーリー(チャールズ・マッキントッシュ)でした。(続く)
☆写真は、「ピーター・ラビットの野帳」の上に、我が家で収穫した「しいたけ」置いています。しいたけの菌床(冬場限定)を買って、暗いところに置いていたら、何回か収穫できるので、冬のお鍋に重宝しました!
(承前)
ビアトリクス・ポターのわらべ歌の絵本は二冊あるのですが、日本では、馴染みのない英国のわらべ歌中心なので、どうしても、「ピーター・ラビット」などのおはなしの絵本の陰に隠れてしまいがちです。が、ここにも、ネズミさんたちは描かれています。
写真左に写る二枚のネズミさんが、アプリイ・ダプリイです。「アプリイ・ダプリイのわらべうた」(中川李枝子訳 福音館)
≪アプリイ・ダプリイ、ちっぽけな ちゃいろの ねずみ、だれかさんの おうちの とだなへ おでかけ。
だれかさんの とだなは なにもかも すてき、ケーキに チーズ ジャムに ビスケット ―――ねずみのすきな ものばかり!≫
写真右上に写るのも「アプリイ・ダプリイのわらべうた」にある、
≪くつのなかに すんでいた おばあさんを しってるでしょう? ほら こどもが おおぜいで どうしていいやら わからなかった。≫のページです。
そして、写真下は、「セシリ・パセリのわらべうた」(中川李枝子訳 福音館)の最後のページの伝承の歌にちなむ なぞなぞ。
≪ニニイ、ナニイ、ネティコート、はいてる しろい ペティコート、おはなは あかい―――ながく たっているほど せが ひくくなるもの なあに?≫
今回、ネズミ年にちなんで、ポターの作品から、ネズミを探していったわけですが、探すと、本当にたくさんのネズミさん。
そして、50年近く前に初めて目にしたこのシリーズは、相変らず、可愛く、楽しい。
加えて、丁寧に見れば見るほど、ポターの絵の奥深さ。単なる挿絵ではなく、もちろん、ちゃんとそこには、自然を愛するスピリットがありました。若い時には、気づかなかった彼女の視点が、やっとこの年になってしっかり味わえます。
ポターは、「まちねずみジョニーのおはなし」➡➡ のときも「セシリ・パセリのわらべうた」のときも、視力の衰えを気にしていたようです。が、今、同じように視力の衰えたカ・リ・リ・ロにとって、ピーターラビットのシリーズは、今までより、さらに大切な絵本となりました。(続く)
(承前)
≪ねずみが 3びき すぅわって、糸をつむいでおりました。
ねこが とおって、のぞきこむ。 おまえさんたち、なにしてござる?
ぬっております、紳士のふくを。
わたしもはいり 糸をきるのを 手つだおか?
いえいえ けっこう、おねこさん、あなたのくいきるのは わたしたちのあたま≫
「グロースターの仕立て屋」(石井桃子訳 福音館)➡➡には、いつくかのわらべ歌がはいっていますが、当初の手書き本では、さらにたくさんのわらべ歌が入っていたようです。ポターはビクトリア朝のわらべ歌が好きだったのです。
そして、少し、絵を書き直し、私家本で出版をします。これは、大方の予想に反して、よく売れ、ポターを勇気づけます。それで、出版社により、さらに、わらべ歌の部分は削られ、絵も一部削除されたものの、今に至るまで、楽しめる「グロースターの仕立て屋」ができました。1903年のことです。「ピーター・ラビットのおはなし」が1902年、「リスのナトキン」が1903年
それで、ポターを喜ばせたのが「仕立てと裁断」という業界雑誌に、長くて好意的な書評がでたことでした。
≪仕立てに関して書かれたこれまでになく美しい物語と考えられる。」「この本はわれわれの顔にほほえみを浮かべさせると同時に、目に涙をもたらしたことをうちあけたとしても恥じることはない。」(続く)
*参考:「ビアトリクス・ポターの生涯 ピーター・ラビットを生んだ魔法の歳月ー」(マーガレット・レイン著 猪熊葉子訳 福音館)
☆写真は、英国 グロースター 「グロースターの仕立て屋」のようなお店の二階の展示➡➡
(承前)「グロースターの仕たて屋」(ベアトリクス・ポター作 石井桃子訳 福音館)
多分、ポターの描くネズミの本の絵の筆頭が、この「グロースターの仕たて屋」だと思っています。ネズミの本以外だとしても、ピーターラビットシリーズの中でも、一番好きな作品かも、と考えていたら、ポター自身も一番気に入っていた作品だとあって、嬉しくなりました。昨日、シリーズ後半の「まちねずみ ジョニーのおはなし」の中での気に入った2枚の絵のことを書きましたが、➡➡、この「グロースターの仕たて屋」の中には、ポターの持てる力を最大限に生かしたと思われる絵が、何枚も入っています。その芸術性の高さは、ここでいうまでもありません。
この絵本のことは、以前、グロースターに行った時に書いています。➡➡ ⇒⇒ ➡➡
30年近く前、英国湖水地方に行って、ピーター・ラビット他、ベアトリクス・ポターの描く世界を楽しんできたことがありました。が、この「グロースターの仕立て屋」に限っては、舞台が湖水地方じゃないのです。イングランド西部のグロースターという歴史ある町。➡➡、➡➡
仕立て屋さんのお仕事を手伝うのが、ネズミの小さな手という発想が、楽しい。確かに、刺しゅうや他、細かい伝統工芸などの手仕事を見ると、本当にこれって人の手でされたもの?と思うことが多々ありますから。
それに、もう一つこの本で楽しいのは、いつもは偉そうな猫が、悔い改めているところ。先日のネコ巻ダンゴ➡➡にしても、どうも、ポターは、ネズミを贔屓気味のような気がします。(続く)
☆写真の「グロースターの仕立て屋」の絵本には、ネズミたちが ポターのヒルトップの屋敷に実際にあったカップなどを背景に描かれています。特に、写真下右に描かれた、青いシノワズリーのシュガーポットは、イギリスではよく見かける陶器です。カ・リ・リ・ロも一時期、この青い食器を好んで集めていた時期がありました。アンティークというほどのものではなく、プリントされたものですが・・・
(承前)
「2ひきのわるいねずみのおはなし」(ビアトリクス・ポター作 石井桃子訳 福音館)
ポターの描く小動物たちは、それぞれの生態に沿って動いていて、人間にとって都合の悪いことも、彼らには。自然な動きであることがわかります。
2ひきの「わるい」ねずみが、散らかしてしまったのも、話を読むと納得するし、人形たちは、なすすべもないのも自明のこと。
警備に警察官のお人形を置いても、それは、単にお飾りにすぎないのは、ネズミの奥さん(ハンカ・マンカ)が、ネズミの赤ちゃんを抱いて、「ほれ!見てご覧。あれが、警察官のお人形だよ」と、見物に行っている絵で、その皮肉とユーモアに気づきます。
が、彼等は、底意地の悪い悪者でないことを示すのが、ハンカ・マンカは、掃除に行く・・・などの、行動から、読み取れます。
ここが、擬人化をしていても、人間の性質そのものを真似ているわけでないところだと思います。
だから、ポターの作品を読んだ後は、結局、そんな悪い人(動物)いなかったやん。という気持ちになるのではないかと思います。何故なら、彼等は、動物の生態に沿って、動いていたから、当然よね…と、読み手を納得させるのだと思います.。当然ながら生きるか死ぬかという場面も、多いのですから。
同じように、ポターより少し後にアリソン・アトリーという作家が居て、この人はポターのように絵も文もというわけではありませんが、イギリスの自然を細かく描き、小動物を扱ったお話を、ポターより、はるかに多くを残しました。
実は、このアリソン・アトリーの作品で、ネズミを扱ったものから、作文していたのですが、ポターを読み返すと、ポターの作品の力を感じ、自然環境問題が身近に迫っている昨今、ポターの描く、真の自然・その生態に、改めて恐れ入ったという敬意をこめて、ポター作品とその周りから先に紹介している次第。(続く)
(承前)
ところが、ポターのピーター・ラビットシリーズにたまに出てくる人間の名前は、ちょっと苦労もあったようです。
ポター自身が、ピーターが生まれてから、その人気に至るまでのことを思いかえす手紙の中にあります。
≪・・・・とりわけ名前なんかは、もうあたりまえのように決まったんです!〈マグレガー〉という名のお百姓の知り合いは、私には一人もいませんでした。髭をはやした園芸家のなかには、この愛称に憤慨した人もあったようですが、どこからそんな愛称が生まれたのか、自分でもわかりません。……(中略)・・・・どこにもさしさわりのない名前を見つけたり、考えだしたりするのは、とても大変です。作中人物のなかには、現実を軽く風刺したり戯画化したものが多少ありますが、〈マグレガーさん〉はちがいます。…≫「ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人」(ジュディ・テイラー著 吉田新一訳 福音館)
ポターにとって、あたりまえのように決まる名前も、人間だと、その後がなかなか大変だったようですね。だからなのか、シリーズに人物登場は、ほとんどない。
人間で、名前のついているのは、先のマグレガーさんと、「ティギーおばさんのおはなし」(石井桃子訳 福音館)に出てくる、お人形みたいな女の子ルーシーと、「2ひきのわるいねずみのおはなし」(石井桃子訳 福音館)の最後に出てくる農家のバレイショさん。
が、しかし、最後の出版になった長編「こぶたのロビンソンのおはなし」(まさきるりこ訳 福音館)に、今までに比べたくさん出てくる人たちには、名前があります。
年取った漁師のサムと奥さんのベッツィおかみさん、家政婦さんのミス・ローズ、お年寄りのパぺリルさん、パーキンズ奥さんと女の子のサラ・ポリー、バルナバス・ニクヤ船長などなど。
うーん、結構、お年寄りが多く名付けられているところを見ると、ポター自身(1866~1943)も、1930年版の「こぶたのロビンソンのおはなし」においては、吹っ切れてきたのかな…(続く)
凝りもせず、高級魚というより、チョー高級魚の列に並んでしまい、買ってしまい、作ってしまいましたら、大阪湾での漁は、過去最短で打ち切られ、今回、手に入れたこのイカナゴの播磨灘漁も、近日中に打ち切られるNEWS。
年々、獲れなくなって、すでに高値だったものの、➡➡、今年は、半端な値段ではありませんでしたし、別の店では、入荷もしていませんでした。
以前は、6キロ以上作ったこともあったし、英国に行っていた娘に送ったこともあったし、日持ちするので、各自、大きめの容器に入れ、配ったことも・・・・
瀬戸内海の海水がきれいになって、餌のプランクトンが少なくなったのが漁獲減の原因らしく、来年のために、今年は、すぐに打ち切ったらしいものの、瀬戸内のイカナゴのくぎ煮を作る最後の世代のような気がします。
☆、写真は、漁解禁早々でも、すでに、いつもより大きくなっていたイカナゴ。もっと、小さい方がよかったなぁと、ぜいたくなことを思いつつ、食べてみたら、やっぱり、美味しい。
小中高校が休校、イベントが中止なども含め、不要不急の外出を控える事態。小中高校生のいるご家庭は、急なことで、大変だと思うし、教育現場の混乱は想像に難くない。免疫力UPにつながる数々の楽しみにも制限。夫の海外出張も中止になり、ジムも休みになり、小さな勉強会さえ、次はいつのことやら・・・
とはいえ、たまには家を片付けよう、本をもっと読もうなど、プラスにも考えよう。
もともと、毎日、買い物だけに出かける習慣がないけど、花を愛でながら、遠回りして出掛けよう。花より団子なら、美味しいものを手に入れ、家で、マスクをとって食べよう。
というわけで、カ・リ・リ・ロの住む小さな町と、それに隣接する市には、ケーキ屋さんとパン屋さんが多いのは、ラッキー!
ブリオッシュならこの店、フランスパンならこの店、ドイツパンならこの店、おかずの入ったパンならこの店、無添加パンならこの店などと、ぜいたくなこと。
・・・で、いつもは、10時開店前に人が並び、お昼までに、ケーキが売り切れている小さなケーキ屋さんも、こんな時期なら、電車に乗ってまでこないだろうなどと、偏った考えで、ケーキを買いに行き、11時過ぎに、のぞいて見ると、もうほとんどないやん!そうか…車で買いに来るという方法があったか・・・最近、車に乗っていないので、ぴんと来なかった あさはかさ。
とはいうものの、やっぱ、ケーキでしょ、と、有名ケーキ店の隣というなかなかの立地の小さなケーキ屋さんで、ストロベリーショートケーキを買って、帰りました。
いわゆる不要不急のことこそが、免疫力の源?
果たして収束する日が来るんだろうか?
☆写真下は、アップルパイを母親と作ることに凝っていた孫のアップルパイ。紅玉リンゴが手に入りにくくなった今は、「ぼくのぱん わたしのぱん」(神沢利子文 林明子絵 福音館)に影響を受けて、パンを作っているようです。

この辺りの春の訪れの一つは、イカナゴのくぎ煮。
2020年のイカナゴ領解禁は、2月29日でした。毎年、稚魚の成長を見て、いつ、漁解禁にするか決めているようです。予想では、初めから、漁獲量は少なく、とても、高値になった昨年並みでした。
が、実際には、新聞によると、29日、明石の漁港では、夜明け前に出漁したものの、漁獲ゼロ!少ないではなく、まったくとれない。
また、ネット情報なら、微量ながら、取れた漁港もあるようで、長蛇の列のお客さんが押し寄せている画像。うーん、今週、手に入れることができたにしても、高値だろうねぇ。
海水温の上昇や、水質がきれいになりすぎたことによるイカナゴへの影響など、いろいろ言われていますが、ともかくも、ご近所の家々から、イカナゴを作るときのお醤油とお砂糖の匂いが漂うことも減っていきます。
雪も降らなかった、水も凍らなかった、梅も早かった、イカナゴも・・・そして、桜も・・・
☆写真上は、雨上がりの公園のユキヤナギ。写真下は、ご近所のおうちの桃(?)にメジロ。どこにいるか見えますか?メジロはちょこちょこ動くし、こちらは、目が悪くなって、しかも、動作も鈍いので、鳥のいい写真は撮れません。鶯なんて、もっと保護色だし、たいてい一羽で来ているし、梅に鶯なんて、難しい。が、さっき、まだ下手な鳴き方の鶯の声、今年初めて、聞きました。
