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みんなみすべくきたすべく

改めて益なきことは改めぬをよきとする

     アメリカフウj
(承前)
 高校国語の再編について書いた記事➡➡の中に、文芸誌の文學界9月号≪「文学なき国語教育」が危うい!≫という特集のことも書かれていたので、普段は、読んだことのない文學界9月号を図書館で借りて読みました。
 大学の先生、作家、元文科省次官、文芸評論家、歌人、現役高校教師(座談会)などが、この危機に、文章を寄せています。

 特集のそれぞれのタイトルを記します。
「教科書が読めない学者たち」「教育とは『文化遺産』の継承」「文科省元次官の個人的見解」「文学が契約書になり、契約書が文学になる」「理科系にも文学は必要だ――物理学者と数学者に聞く」「教科書が言葉を支える」「言葉の豊かさに触れること」「『文学』で『論理』は十分学べる」「保田與重郎の国語教科書」

 さて、この中で齋藤孝と北村薫の文から抜いてみます。
≪現状の国語教育に著しい欠陥がある、というわけではないのに、なぜ教科書や大学入試を大幅に替えようとするのでしょうか。「改めて益なきことは改めぬをよきとする」という『徒然草』の言葉がありますが、性急な改革の方向性は、国語だけはなく、英語などすべての科目の大学入試に言えます。  国語力を高めるためには、何よりもテキストが大切です。漱石や鴎外のような文豪の作品、あるいは『源氏物語』や『枕草子』のような古典的な作品は、作者の人格の大きさや、文学世界の広さから来る「凄み」があります。現代的な話しことばに近づいた文章ばかりが教科書に載るようになると、離乳食のようになってしまいます。ましてや、契約書のような、誰が書いたかもわからないような文章ばかりを読まされるようになると、国語が担ってきた文化遺産の継承という役割がきわめて疎かになる。そこを、私はいちばん危惧しています。≫(齋藤孝「教育とは『文化遺産』の継承」)

≪言葉の問題に関しては、今すぐ役立つことだけが大切ではない。国語が大きな流れの中にあることを忘れ、実用性、即効性をもとめれば、失うものもまた大きいでしょう。≫(北村薫「教科書が言葉を支える」)
(続く)

☆写真上は、公園のアメリカフウ 下は、黄金柏(西宮市大谷美術館)
      黄金柏j
 

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