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みんなみすべくきたすべく

ザンクトモリッツの建物

サンモリッツ湖
エンガディン地方でもあるので、家々は、かのグアルダ村でみたような建物➡➡も多いのです。坂は多いのですが、小さなサンモリッツ湖を見下ろす高台が、その街の中心です。洒落たブティックの建物は、エンガディン風であったり、木を多用したりするのが面白い。以下3枚の写真は、最新ファッションの高級ブティックの入る建物、あるいは、有名菓子店。 
サンモリッツ2
サンモリッツ4
サンモリッツ7
新築のおうちもエンガディン風。
サンモリッツ5

窓枠はもちろん、ガレージや倉庫のシャッターも木製。
サンモリッツ6

サンモリッツ35

サンモリッツ35

サンモリッツ16

 環境のことを考えたらしい来夏の東京オリンピック会場の木を使った造りは、ここでは当たり前のことでした。雨戸もシャッターも木でできているのを見ると、乾燥した土地だからできることとはいえ、アルミサッシ慣れしている者には、新鮮でした。

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ザンクトモリッツ

ザンクト1
冬季オリンピックも二度開催されている土地柄、冬のホテル代の方が、夏場より高いというスイス東部のサンモリッツに行きました。
 日本の案内の多くでは、サンモリッツとされていますが、地元などでは、ザンクトモリッツと言われていました。そりゃ、そうです。
サンモリッツ3

サンモリッツエレベーター

 なぜなら、ここの公用語は、ドイツ語とロマンシュ語ですから。サンモリッツという響きから、ちょっとフランス風かなと勝手に解釈していたなと、思うものの、高台の小さな街を歩くと、お洒落なパリのブティックなどが勢ぞろい。どこの国で作られたか不明のチープな観光土産店を、ほとんど見かけません。外れたところに、やっと、登山やスキーグッズ屋さん。テラスでカフェ、湖を見ながらティー・・・明らかに、リゾート感覚。近くのピッツネイル登山や4000メートル以上のベルニナ山に登ろうかという重装備の人をあまり見かけません。多分、そんな真面目な登山家たちは、リゾートホテルじゃなく、山荘に泊っているんだろうけど…(続く)
サンモリッツ1

☆写真一番上、一番下は、どちらも、ザンクトモリッツ駅前。 二番目と三番目の写真は、駅から高台の街までのショートカット。凄ーく深いエスカレーターでした。すぐ横には斜向エレベーターもありました。四番目の写真は、サンモリッツ湖から見たサンモリッツの街。
サンモリッツ駅前

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ティラーノ駅

ティラーノ駅
 昨年も、乗り換えで、イタリアの北西の隅っこのドモドッソラ駅で、少々嘆いたのですが➡➡、今度は、ベルニナ特急終点の駅、ティラーノ駅で、よーくわかりました。
  昨年の草の生えたままのドモドッソラ駅は、イタリアの駅であって、そばにスイスの駅がなかった。今度のティラーノ駅は、フェンス越しに、スイス鉄道とイタリア鉄道が並んでいます。つまり、ここで、乗り換えれば、スイスからイタリアに行くことができるのです。(この土地自体は、すでにイタリア)
ティラーノ2
 うーん、こんなにちがうんだ。雑草が生え放題のイタリア鉄道と隣り合わせのスイス鉄道は、種も飛んでこなかった(まさか!)のか、すっきり。つい、トイレもスイス側に行ってしまいました。
ティラーノ5

ティラーノ駅j
       
       ティラーノ駅jjj
 
    ティラーノj

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分水嶺

べるにな3
(承前)
Ospizio Bernina駅 標高、2256m
モルテラッチ氷河
べるにな6

べるにな2黒

べるにな2白
上の写真二枚は、上が、水が少し黒ずんで見えるレイ・ネイルLej Nair(黒い湖)、下が白い湖Lago Bianco(ラゴ・ビアンコ)です。二つはすぐ近くにあります。
べるにな11
 先日のヒンターライン➡➡のときも、ラインは北海、イン川(ドナウ川)は黒海と思いを馳せながら、水の流れを見ていましたが、ベルニナ特急に乗ると、こっちに流れると黒海、つまりイン川(ドナウ川)、こっちに流れるとコモ湖へ、すなわちポー川からアドリア海の、分水嶺。
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べるになポー
 必死で見ていたのですけれど、いつの間にか、こっちからあっち、あっちからこっちに流れていたというのが、本当のところ。これも、電車を降りて、実際に見てみないと・・・・。

  ま、いいです。ともかく、ヨーロッパの水の流れを楽しめたのは事実でしたから。
 ん?ラインとローヌの分水嶺(フルカ峠)もあるって?ローヌは、レマン湖を抜け、フランスを通り、地中海へ。うーん、課題(?)が増えた・・・・
べるにな4

べるにな5
☆写真下から二番目はラグダパル湖、遠いところに見えているのに、向こうの滝の勢いは凄かった。一番下は、はポスキアヴォ湖。この静かで明るい湖の横を走り抜け、線路のすぐ横に家が並び始めると、イタリア ティラーノです。

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ベルニナ特急

ベルニナ1

ベルニナ2
   さてさて、昨年の勘違い➡➡のもとにもなった、ベルニナ特急に乗りました。一等車ではだめですよ。窓が開きませんからね。それも、出来るだけ後ろの車両がお薦めです。それに、イタリア方向に行くときは、右側座席、スイス方向に行くときは、左側座席が、概ね良好。

 ここまで、児童文学探訪につき合わせていた夫も、これで納得。サンモリッツから晴れた日に折り返し往復乗ったし、チューリッヒに戻るときに、残っていた路線も乗ったので、さぞや、満足だと思います。
 とはいえ、雑誌やメディアで見る写真のような車両と風景は、電車を降りて撮らないとね・・・

☆写真は、高低差1800メートルを2時間で抜けるベルニナ区間。(サンモリッツ~ティラーノ)アルブラ区間(ツージス~サンモリッツ)の両方が写っています。(最高地点:2253m(オスピツィオ・ベルニナ) 辺りの写真は、明日に続く)

ベルニナ5

ベルニナ9

ベルニナ8

ベルニナ4

ベルニナ6

ベルニナ3

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栗のパスタ

ウルスリ21
「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)
(承前)
 絵本「ウルスリとすず」で、ウルスリが大きな鈴をっ持ち帰り、鈴の行列の先頭に立ちます。そのあと、お父さんお母さんと食べたのが、蒸した栗でした。上には、生クリームがたっぷり、かかっていました。
 最後の絵は、件の大きな鈴を椅子に置いて家族でウルスリの話を聞いています。テーブルの上には、山もりの蒸した栗、それぞれのお皿に取り分けた蒸した栗、あとは、パンとオレンジ(?)が置かれています。つまり、栗は、ごちそうだとも言えましょう。

栗のパスタj

 さて、「黒い兄弟」の舞台、ソノーニョ村➡➡は、冬場は厳しい自然と岩場の狭い土地でしたが、そんな場所で見つけたのが栗のパスタ類でした。小麦がたくさん育つような場所ではありませんから、当然、たくさん収穫できる栗は、主食となっていたのでしょう。日本でも、縄文時代は、どんぐりを食べていたようですから。

 それで、日本に持ち帰り、食べてみましたよ。ほんのり甘い栗の味。ソースの味付けを気にすることなく、簡単にオリーブオイルやチーズをかけただけでも、美味しいです。また、小麦粉のパスタなどのような こしのあるものではないものの、最近、パスタが胸につかえるような感じのするカ・リ・リ・ロには、ぴったり。日本でも、売ってないか、探してみようっと。

 ちなみに写真上 右後ろに写るのは、ウルスリのエンガディン地方でもなく、黒い兄弟のティチーノ州でもなく、レマン湖畔ヴォー州で取れた黒いキノコをハーブの酢漬けにしたもの。手前の栗のパスタに混ぜて食べました。美味しいに決まってる!

 写真下は、同じくヴォー州シャトー・デーのお店に売っていた乾燥キノコですが、上記、壜詰めのキノコは、お店のおじさんの家族で森に取りに行ったものだと、胸を張って教えてくれました。だから、手書きのラベルにリサイクルの瓶。

 蛇足ながら、これで、思い出したのが絵本「うたこさんのおかいもの」(ディック・ブルーナ―文絵 松岡享子訳 福音館)。この中で、市場のきのこうりのおじさんが、≪この きのこは おれが じぶんで みつけて とってきたんだぞ」と たいそう ごじまん≫の箇所。

きのこj

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山に響いたのは・・・

ウルスリ12
「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)
(承前)
 ウルスリ詣での山には、ウルスリが渡った釣り橋を模したものも途中にありました。先の5歳くらいの男の子が渡っていきました。
 落ちても平気なところにかかっているので、揺れるのを楽しむのです。次は我々夫婦。(そこを通らずとも行けますけど)
 ♪ ビョンビョンビョン♪

 さて、次は、小学生低学年くらいの女の子二人。♪ ビョンビョンビョン♪
 あれ、行きつ戻りつしています。♪ ビョンビョンビョン♪
ウルスリ19

すると、聞こえてきました。彼女たちの歌声♪♪♪
モーツアルトの「魔笛」夜の女王のアリア!の有名な、コロラトゥーラの部分!!
繰り返し、繰り返し・・・
楽しくて♪ ビョンビョンビョン♪が、モーツアルトの「夜の女王のアリア」だなんて!
ウルスリ30

そして、蛇足です。孫たちが9月に入って、10日余り、うちから保育所に通うことがありました。そのときに、この「夜の女王のアリア」を何度か聴きました。あの山で出会った小学生の女の子のようなしっかりしたメロディではありませんが、3歳の孫は、タタタタタタタタターン♪などと歌いながら、ソファの上を ピョンピョンピョン♪・・・・ん?このアリアって、子どもたちを飛び跳ねたくさせる魔力を持っているんだ!!!

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ウルスリ詣で

ウルスリ山1
(承前)
「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波) 
 ウルスリが、大きな鈴を取りに行った山は、村から一気に登っていきます。が、今は、おおよその順路がつけられ、子どもも登れる工夫がされています。ウルスリが行った山小屋や吊り橋は、もっと奥にあったと思われますが、ともかく、ウルスリ気分で、山を一周できるよう、木製の遊具が、随所にありました。次の遊具を目ざして、急な山道を登っていくという形です。 
 実際、我々の前を歩いていたのは、ジイジとバアバに連れられた5歳くらいの男の子。どんどん、先に歩いていきますが、遊具のところで、少し遊んでいるうちに、大人が追い付いてくるという形です。スイスでの山には(いわゆる名峰登山は知りませんが)、必ず、標識あるいは、石に赤ペンキで、印が入れられ、天候に問題がなければ、初心者でも、子どもでも迷うことはありません。
ウルスリ11

ウルスリ122
男の子が絵合わせの裏見てます。

ウルスリ12
鈴の一番大きいものはどーれ?

ウルスリ14
男の子のジイジが、こうやって、歩くんだよと、教えてるところ。
ウルスリ15

ウルスリ16
模造の山小屋ですが、ドアの上の部分が開き、裏手に回れば屋根裏まで登れます。男の子は、今からドアの上部を開けて、ジイジ!バアバ!と言ってました。
 さて、ここから下りになり、以下のような大きな立体絵合わせが、随所に置かれています。
ウルスリ17
      ウルスリ16
 で、最後は、「ただいまぁ!」のウルスリの家のドア。もちろん、開けて下りていきました。
ウルスリ18

 一周およそ、1時間半でしたが、最後、雨が降ってきて、かの男の子とジイジ・バアバより早く村に戻ったものの、彼等は、まだ、山で雨に会って、大変だなぁと心配していたら、雨具、完全防備で、元気よく下りてきて、一緒のバスに乗りました。
 うーん、小さい時からの山や自然に親しむ・あるいは向き合う生き方、教育。黒い兄弟のジョルジョ➡➡が、自然の中で学び、それが人に対する思いやりとなり、やがては、故郷に戻って、次の世代のために生きる・・・ということを、思い出します。
 
 そんな山の中で、聞こえてきたのは…(続く)
ウルスリ山2

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ウルスリのすず

ウルスリ1
 2005年、初めてスイスに行ったとき、カリジェ詣でに、生家や墓のあるトゥルン村に行ったことがあります。 そのことは、古本「海ねこ」さん掲載のブログ(2007年3月8日)などにも書きましたが、➡➡ フルリーナの絵のある建物他、カリジェの描いた絵のある建物➡➡が、その村に多くあって、ハイテンションな時間を過ごしたのを思い出します。もちろん、ゆかりの博物館も教会も楽しみました。
 ハイテンションすぎて、その村には、ウルスリが居ない・・・などと、考えもしませんでした。

ウルスリ4

ウルスリ4

 その後、15年近く経って、やっと、今回、ウルスリには、別の舞台があるんだ・・・と、わかった次第。
それは、スイス東部のエンディガン地方。グアルダという村。

「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)
以前、「ウルスリとすず」のことを書きましたが➡➡実際に、その舞台になった場所に立って見ると、小さな村の後ろにそびえる山は、急な山。(素人には・・・)そして、ウルスリがすずを見つけに行った山の小屋は、ずいぶんと遠そう。(続く)
ウルスリ3

ウルスリ2

☆写真は、すべて、スイス グアルダ村 二番目と三番目は、小さな小さなウルスリ博物館。四番目は、文を書いたゼリーナ・ヘンツの住んでいた家(カリジェは、ここに逗留し、ウルスリとすずの絵を描いたようです。)。五番目は、ウルスリの家のモデルになった家。一番下は、見晴らしのいい場所にあったベンチ


ウルスリ8

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グアルダ村

グアルダ1
 さて、小さな村探訪の三つ目は、グアルダ村です。先に書いたイン川沿い➡➡の鉄道で行き、そこからバス。谷あいの村ではなく、山の中腹にある村です。

 ここは、エンガディン地方の独特の建築様式の建物が、今も住居として使われている小さな集落です。
グアルダ2
グアルダ3

 ソノーニョ村の、昔ながらの家は➡➡は、、石を積み上げただけでセメントを使っていなかったのですが、グアルダの家は石を積んでモルタルで固めたものが土台となった,木を組んで作った木造住宅。だからか、グアルダの家々は、ちょっと離れて見ると日本家屋風に見えます。
 石造り風ではありますが、外はモルタルで固めているので、自在に壁に装飾をしているのです。同じモルタルでも、日本は装飾してませんが・・・
グアルダ4
グアルダ5
 が、日本より寒い冬を越す工夫は、厚い壁、すなわち、壁の奥深くに窓、窓の周りの壁は角度がついて光を取り入れる工夫。日本は、軒の深さに工夫がありますね。

グアルダ6
グアルダ7
 また、壁の装飾は、壁の表面をひっかいて作るようです。つまり、最表面の下には、違う色が塗ってある。かつてルネッサンス期のイタリアで流行ったものが、この地方で定着したらしいのですが、この辺りの人の話すロマンシュ語会話は、ちーっとも聞いたことのない言葉ながら、どうも、イタリア語の明るい乗りに近いような気がしたのは、気のせいでしょうか?

 この小さな村で、装飾したおうちを見るのは楽しいものでしたが、一番の目的は違いました。(続く)
グアルダ8

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天井画

天井画5
      
(承前)
 さて、このツィリス、セントマーティン教会の天井画は、知る人ぞ知る歴史的遺産らしく、世界にこの時代の木製天井画の残っているのは、スウェーデンとここらしい。(教会の案内書より)
 が、しかし、この教会自体の歴史は8世紀にまでさかのぼるようですから、この教会からしたら、新しい12世紀の作。ローマ軍が云々と書いてあったので、この山奥の小さな村にできた教会の歴史も興味深い。
天井画1

天井画2
 で、周りをぐるりと囲む周り絵は、海を表現し、いろんな怪獣魚などがいます。下方一列には、この教会のセントマーティンに捧げられた絵があり、他は、すべてキリストの一生とされています。
天井画3
    天井画4

 また、一枚一枚を支えている木枠や絵の周りの装飾が、それぞれ、違うのも面白い。これらの絵も1938年までは、梁から長い釘で支えられていて、今と少し様子が違ったようですが、この絵が、今も体験できるのが素晴らしい。
ツィリス4
 
 蛇足ながら、個人的には、最後の晩餐の構図として知っていたのは、・レオナルド・ダ・ビンチのもので、居眠りしている使徒なんかいません。ところが、上のツィリスの天井画の晩餐シーンも、下のロカルノ マリア・デル・サッソ教会➡➡にあった晩餐シーンも、どちらもヨハネがはっきり居眠りしています。レオナルド・ダ・ヴィンチのものが1498年完成、それより、ずっと以前の12世紀に描かれたツィリスのセント・マーティン教会の天井画の解釈が、どういうふうに変遷していったのか、興味深いもののの、深入りしません。
天井画プラス25
☆写真上から4番目と5番目は、隣にあり、三賢人とそれを待つ三頭の馬。

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ツィリス

ツィリスj
 先日のスイスの小さな村➡➡で紹介したシリスマリア以外の4つの村では、日本人だけでなく、東洋人を一人も見かけませんでした。(ソノーニョ村で、現地の人と結婚したらしい日本人女性をお見掛けしましたが・・・)
 ましてや、このグラウビュンデン州ツィリスは、その日だけでなく、長い事、日本人は来てないのではないかと思える、小さな小さな村でした。(調べると、ツアーに含まれているものもあるようです。)

 ところが、ここの小さな小さな教会、聖マルティン教会の天井画は、見るものを圧倒します。12世紀制作の153枚の天井画。12世紀と言えば、平安時代末期。奥まった小さな村だからこそ、残ってきたのか・・・近年、冬場の寒い時期は、火を使うというので、クリスマス以外,開いていないようです。

 ずっと見ていたら、首が痛くなるので、手鏡が用意されていますが、やっぱり、逆になるのは、落ち着かないので、首が痛くなっても見ていました。(続く)
ツィリス2

     ツィリス

ツィリス3

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ヒンターラインとオーバーエンガディン

バスから1
 さて、ティチーノ州からバスに乗って移動です。くねくねと山道を上っていくかと思いきや、主に高速道路のように完備された道。もちろん、空調付きの綺麗なバス。

 ティチーノ州から、東部スイスに行くには、ぐるっと回って鉄道を使うか、少々時間のかかり過ぎるコモ湖の北を通るか、山の中のいくつかの道を通るかです。今回、選んだのは、ツゥリスというところにも寄る 山の中を行くコースでした。
バスから2

 ここは、ヒンターラインを右に左に見ながら進むと案内されていたので、楽しみでした。
 ヒンターライン・・・すなわち、後方ライン。ライン川の源の一つが近く、いわば、ラインの最上流の一つ。
 先のアイガー・メンヒ・ユングフラウからの水も、ベルンを経由して、ライン川となります。

 2年前に行ったスイスのライン下り➡➡だけでなく、何日もかかって、スイス。ドイツ、オランダ、そして北海まで行くライン川下りには、憧れます。が、そのラインの水の源の一つが、スイスアルプスであること、また、ライン川だけでなく、黒海にそそぐドナウ川、アドリア海にそそぐイタリアのポー川(ソノーニョ村の渓谷➡➡ はマッジョーレ湖に流れ、それがポー川に)、地中海にそそぐフランスのローヌ川など、ヨーロッパ各国を流れる川の源の一つがスイスアルプス辺りであることは、ヨーロッパで一番高いところにあるのがスイスなのですから、当たり前のこととはいえ、ヨーロッパが、およそ、スイスから流れ出る水を飲む集団でもあるのだと改めてわかるのです。

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 さて、ヒンターラインの近くには、黒海まで続くドナウ川の源の一つイン川が、スイスのオーバーエンガディン地方を流れています。この川沿いの山の中腹にあるグアルダ村に向かうことは、また後日書きますが、ただの水の流れにしか見えない今日の写真も、その流れの方向を実際に見ていると、この水たちは遠く 北海までいくんだ!黒海まで行くんだ!と、単純に嬉しいものでした。
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☆写真は、どれも、バスや列車の窓ごしに撮っています。二番目、三番目は、ヒンターライン。四番目は、イン川→ドナウ川。一番下は、サンモリッツ近郊のイン川につながる湿地。

べるにな7

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風が通る

ベリンツォーナ1
(承前)
「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店) 
 ジョルジョとアルフレドが友達になる場面で、ジョルジュはマスを捕まえ、提供。アルフレドはパンを差し出します。
≪「ベリンツォナの町でもらったんだ」
「物乞いをしたんじゃないだろうな?」
「まさか。途中で会ったおばあさんのかごをベリンツォナまではこんであげたんだ。そうしたら、そのおばあさんがくれたのさ。リンゴもあるよ。これもはんぶんこしよう」≫

 ベリンツォーナは、先日来書いてきたロカルノ➡➡やアスコナ➡➡、ルガーノ➡➡を含むティチーノ州の州都です。が、大都市のイメージからほど遠い、かえって他の町より静かな 世界遺産に登録されてる古都です。
 2018年➡➡ ➡➡
ベリンツォーナ2

 さて、昨年、ここの葡萄棚の下のカフェがとても気に入ったものですから、また、行って見たのです。谷あいですから、風が通り抜けます。向こうには、遺跡。

 日本からスイスまで、やっぱり遠く、老体には、少々堪えます。が、しかし、荷物を置いて、夜9時まで明るいスイスで、いの一番に行ったのは、この葡萄棚の下。心地よい風、明るい光。
ベリンツォーナ

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マッジョーレ湖とルガーノ湖

マッジョーレj
(承前)
「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)
 さて、「黒い兄弟」では、ロカルノからマッジョーレ湖を渡り(遭難するものの)、ミラノに行きつくジョルジョたちでしたが、ミラノから逃げ帰ったのはルガーノ湖➡➡からでした。そして、命からがら、行きついたところ、それは、ルガーノ湖のモルコーテでした。
≪「ここは、どこですか?」ジョルジョは、できるだけおちついた声でたずねました。「モルコーテだ!」税関吏は言いました。「モルコーテですって?」ジョルジョははねおきました。アントニオとアウグストの顔が、ぱっと笑顔に変わりました。「じゃ、スイスだ!」税関吏は、大きな顔をゆがめてほほえみました。「もちろん、スイスさ」「ああ、マリアさま」・・・≫
モルコーテ j

ルガーノ湖1jjj

ルガーノ湖2jjjj
そして、ルガーノの町の丘の上、カセラ先生の家にたどり着くのです。
≪街道はのぼり坂になりました。あたりの景観も、しだいにごつごつした岩肌がめだつようになり、やがて巨大なピラミッドのようなサン・サルバトーレ山が、目の前にあらわれました。街道はふたたびくだりになり、たくさんの家が見えてきました。「あれがルガーノかい?」と、ジョルジョがたずねました。「あれは、まだパラディーソさ」そのあたりにくわしいアウグストが、首をふっていいました。でもそこからはもう、ルガーノをのぞむことができました。大きくなだらかな丘陵に、たくさんの屋敷が豆粒のように小さくならんでいました。≫

 話の構成として、ミラノまでの遠さを表現するには、南北に長いマッジョーレ湖は、ソノーニョ村からの距離を十分すぎるほど表現します。反対に、ルガーノ湖は、複雑な形でできているため、対岸が近い。つまり、早くミラノからスイスという地に行きつくことが出来る…実際、ロカルノよりルガーノ自体も、ミラノ寄りです。

 なかなか、宗教心のない者にはわかりにくい事でしたが、ソノーニョ村の聖マリア・ロレト教会➡➡から始まり、ロカルノのマドンナ・デル・サッソ教会➡➡が、その後のマイルストーンとなり、最後の希望の光にルガーノ湖の大きな教会のあるモルコーテ➡➡・・・と、この「黒い兄弟」では、教会つまり、信仰も、大きな役割を担っていたことがわかります。

☆写真は、上から、マッジョーレ湖 北端スイス部分。
二番目はルガーノ湖のモルコーテ。
三番目は,ルガーノ ブレ山からルガーノ湖を望む。向こうはイタリア。モルコーテは橋の右向こう。ちなみに、ジョルジョたちが2・3時間歩いて着いたメリーデは、写真に写る橋の右たもと。
四番目は、サン・サルバトーレ山を左に、そのふもとがパラディーソで、建物の多いところがルガーノ市内。
五番目は、アスコナから見たマッジョーレ湖、湖のイタリア地域をのどかに周遊する船がとまっています。マッジョーレ湖の写真は2019年。ルガーノ湖の写真は2018年。
アスコナ6

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アスコナ

アスコナ13
 
 「黒い兄弟」の村ソノーニョ村の絵葉書をもらった事は、書きましたが➡➡、そのときに、別の町もいいところだと、別の町の絵葉書をいただいていたのが、アスコナという町。
アスコナ2
 ロカルノ➡➡からバスで30分ほど。
小さいながらも、リゾート地の一つ。明るい光と、優雅なお屋敷がつらなり、(多分、湖水沿いに建つ邸宅の庭の先は、マッジョーレ湖)、優雅なひと時をお過ごしの方が多いところでした。ロカルノより、のんびり、ゆったりという感じです。
アスコナ4
  とはいえ、我々は、バスを降りて、反対側に行ってしまったので、お屋敷街をふらふら・・・すると、ビーチの案内。
アスコナ2

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ロカルノ

ロカルノ4
 昨年行ったルガーノ➡➡ ➡➡ も今年のロカルノも、スイスの中では少数派の、イタリア語圏でした。スイスの他の地域では、ドイツ語、フランス語に加えて英語が使える人たちが多そうでしたが、(特に、電車やサービス業の人たち)このイタリア語圏では、英語を使える人は少ないような気がします。ただ、何故か、我々の英語の発音でも、通じやすいのが、この地域。カタカナ読みの英語で、単語の連なりでしか、話せていないのに、何故か、一番、通じやすい。・・・・とはいえ、まったく、読めない。
ロカルノ2
かろうじて読めるパスタやピザ(ピッツァ)、マルガリータ、ペンネ、リゾットなど、注文でき、しかも、味に、余りはずれないのが、イタリア料理のいいところ。
ロカルノ5

ロカルノ6
 そして、ルガーノは、複雑な形のルガーノ湖に面していましたが、ロカルノは、イタリア部分が大きいマッジョーレ湖に面しています。イタリアには行った事ないものの、イタリアのような南国気分と歴史的建造物、それに、ルガーノ映画祭など開催されるせいか、現代的な建物も混在する街でした。
ロカルノ3

ロカルノ

ロカルノ7

ロカルノ8

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市場

朝市1

「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)
(承前)
 ロカルノの町に着いたジョルジョたちは、骨折したお母さんのためにお医者さんのところに、まず行きますが、次に向かったのが、広場の市場です。
朝市2

≪市場はどこをむいても、めずらしいものばかりでした。広場の真ん中では農夫が一列にならんで品物を広げています、黄金色のやわらかいバター、ウィキョウの種のはいった白いチーズ。牛肉、豚肉や野生動物の肉を売っている人もいます。そこには、ウサギ、シカ、ウズラ、キジ、カモシカなどがつるしてあります。コテージチーズや卵を売っている人もいました。ほかにも、野菜がかごにいれて売られていました。サラダ菜やシッコリー、ネギ、真っ赤に熟したトマト、つやつやしたザクロ、ぱっくり口をあけた大きなイチジク、粒がクルミほどもあるぶどう、熟しておいしそうなナシやリンゴ、細長いツケッティ、ウィキョウ、セロリ、そして大きなキュウリ。みんな、いかにもおいしそうで、つい手がでそうになりました。・・・(中略)・・・・屋台の一つには猟銃とピストルがありました。そのとなりには畑仕事の道具、そのまたとなりには服や色とりどりの布、そのまた先の屋台には帽子がおいてありました。・・・・(中略)・・・・別のところでは横一列に砂糖やレモネードを売る屋台がならんでいました。聖画や十字架やなべかまを売る店もたくさんありました。・・・(中略)・・・・広場の空き地には旅芸人の一座がいました。…(中略)・・・・クマも小さなサルも二匹つれていました。・・・・(中略)・・・・少し行くと、女い占い師の小屋がありました。そのとなりにはのぞきめがねの小屋がたっていました。・・・・(中略)・・・・その先には歯医者の小屋がありました外科医も何人かいて、腫ようにも、目の病にも、ウオノメに効くという万能薬の宣伝をしていました。そのむこうでは、若い娘をつれた男が大きな絵を描いた看板のそばに立っていました。男は手風琴をまわし、そのわきで娘が風琴の調べに合わせて歌をうたいながら、杖で看板をさしていました。・・・・≫
 ・・・・と、ジョルジョたちが日が暮れていたにも気づかず楽しんでいると、そこに、「ほお傷の男」すなわち、ジョルジョたちを煙突掃除夫として、買った男が現れます。
ルチェルン2

 さて、 スイスに行く楽しみの一つに、朝市に出かけることがありますが、ここには、市場とありますから、我々が朝市にいくより、はるかに雑然と生き生きとしたものだったと想像できます。当然、スーパーもない時代ですから。(続く)
ルチェルンj

ロカルノ

 ☆写真は、スイス モルジュの朝市。➡➡ ➡➡  ➡➡   ルチェルンの朝市 ➡➡  ➡➡
実は、一番下の写真のように、ロカルノは、我々が行った少し後で、ロカルノ映画祭という世界的規模の映画祭が催されるので、ジョルジョたちの行った広場では、野外映画祭の準備がなされていました。 

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