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みんなみすべくきたすべく

マドンナ・デル・サッソ教会

デルサッソ1
(承前)
「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)
 ジョルジョは、村を出てロカルノという街に向かいます。途中で、マスを分け合った➡➡アルフレドと行動を共にします。

≪しばらくすると、山なみからすこしはずれたところに、乳房のような小高い丘とその上の大きな教会が見えてきました。ジョルジョとアルフレッドはそこで足をとめて、その堂々とした教会にみとれました。「あれはマドンナ・デル・サッソの教会だ」と、アルフレドがいいました。「知ってるの?」「ううん。話に聞いてるだけだけど、教会の絵を見たことがあるんだ。ここまでくればロカルノはもうすぐだよ。あの教会は、町のすぐ上にたっているんだ。」≫
デルサッソ5

デルサッソ4

デルサッソ3

デルサッソ6

デルサッソ2

デルサッソ7

☆写真は、スイス ロカルノ マドンナ・デル・サッソ教会 眼下は、マッジョーレ湖 今は、ケーブルカーで簡単に上がれますが、一番下の写真に写るように、教会までは巡礼のための祠(中には、聖画)が立って案内しています。

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ジョルジョのふるさと その5

 ソノーニョ村教会
(承前)
「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)
の第1章「ジョルジョのふるさと」に、その小さな村の教会のことを書いているところがあります。

ソノーニョ マリア

≪ソノーニョ村の教会はこの小さな村でいちばん美しい建物で、そのとがった塔には、リンゴのような鐘がつるしてありました。≫と、このあと、教会の中の様子にも触れているのですが、この村に行ったその日は、黒聖母子像を、教会の外で祭り、周回していたので、ヨーロッパにいつくかある黒聖母子像は、遠くから眺めることができました。そんな行事の日だったので、教会入り口では、周回していない人たちが、何か準備であわただしそうだったので、教会の中に入りませんでした。(帰国して、調べたら、中は、すっきりときれいな教会でした)
 教会は聖マリア・ロレト教会(黒いマドンナに捧げられた教会)といい、もとは1400年頃のもので、再建されたのは150年以上前のようです。イタリアにも同じ名の教会があって、そこの黒聖母子像と同じのようですから、この点だけでも、このソノーニョ村が、イタリア語圏の秘境(隠れ里)にあることが推測できます。(続く)
ソノーニョ村巡礼
ソノーニョ村教会3

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ジョルジョのふるさと その4

ソノーニョ村12
「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)
(承前)
 この夏、ソノーニョ村を訪れた日は、原作をアレンジして、アニメになったらしい(見ていません)「ロミオの青い空」というタイトル通りの底ぬけに青い空。
 が、この青い空が続き、雨の降らなかった春、「黒い兄弟」の中では、災難が続き、その結果、ジョルジョはミラノに連れていかれることになります。
 
 大地が凍り付き、雪は根雪になり、葡萄は腐り、ぶどう酒は酸っぱくて、酢にするしかなく、冬の間の家畜のエサにする草も刈ることが出来ず、ひどい秋になり、冬は輪をかけてひどくなり、気温は下がり、渓谷の岩にはつららが下がり、激流も凍結、水面には厚い氷、雪に埋もれた草木は凍り付き獣たちの食べ物までなくなり・・・・誰もが、ひもじい思いをした冬がすぎ、寒さがやわらぎ、雪がとけ、川の流れが、氷を押し流し、緑がちらほらと見られるようになったものの、雨が降りませんでした。

≪異常な寒さにつづいて,こんどは異常な日照りになったのです。どこを見あげても、雲はひとつもありませんでした。たなびく霧もなければ、うろこ雲もなく、雷をつれてくる風すら吹きませんでした。空は澄みわたり、大海原のようにどこまでも紺碧で、青空をにごらせるちりのような雲さえひとつも見あたりませんでした。村人は、種まきが出来ませんでした。・・・・・・・≫

     ソノーニョ村11

そこで、雨の聖人に神頼み。
雨の聖人というのは、≪大昔、ソノーニョ村で市債をしていた修道士のことです。その修道士は、だれにでもすくいの手をさしのべた心のやさしい人で、その名はミラノにまで知れわたっていました。…(中略)・・・そして村人たちは日照りがつづくと、みんなでっ修道士の棺をかつぎだし、村中を行列して歩くのです。≫

さて、実際に、我々がソノーニョ村に行った日、聖人の棺ではありませんが、黒聖母子像の行列が行われていました。(続く)
☆写真は、すべてスイス ソノーニョ村。
     ソノーニョ村14

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ジョルジョのふるさと その3

蝶々12

「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)
(承前)
 ジョルジョは、川でマスを捕まえる技を身につけただけでなく、山でたくさんの生物たちと出会っています。たとえ、山奥の限られた人たちの中で育とうとも、生命あるものとの多くの交わりは、ジョルジョの生命あるものへの思いやり、友人への思いやり、人への思いやり、やがては、村の未来への思いにつながっていきます。

≪のぼり道は、はじめの百メートルほどがいちばんけわしく、トチの木や岩につかまりながらよじのぼります。しかしそこをすぎると、山道はなだらかになり、野原もみられるようになります。けれども、山の野原といっても、見えるのは灰色や黄色の山肌ばかりで、やぶの木々は枯れはて、木の葉一枚ありませんでした。それでも、ジョルジョとアニタは嬉々として、とびはねながら山をのぼりました。そして途中でトカゲやヘビを追いかけたたり、大きなチョウのあとを追ったり、森の中からでてきたカササギやキジの帰り道をふさいだり、コオロギをつかまえたり、アリの行列についていったりしました。
 二、三百メートルほどのぼったところには、すばしっこいマーモットの巣がありました。マーモットはいつも、穴の中から棒立ちになってあたりをうかがっています。そっと近づけば、マーモットが穴に逃げこむときに、頭やもこもこした小さな尻尾をなんとか見ることができました。
 それから、カモシカが遠くに姿を見せることもありました。それはカモシカの親子で、子どもたちは子ヤギのようにたがいに角をぶつけあってけんかをしていました。≫

マーモット
 ☆写真上は、クライネシャイデック エリンギウム・アルピウムにとまるチョウチョ(クライドルフの絵本➡➡
  写真下のマーモットは、アルプスの山で時々見かけることのある動物ですが(リス科)、上記、引用したように、動きが早く、遠くに居るので、なかなか写真に残せません。今回、写真に使ったのは、モントルーからケーブルで登って行ったロシュドネーで飼育されていたマーモット。

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ジョルジョのふるさと その2

ソノーニョ村9
 (承前)
「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)
の第1章に、何度か、ベガサスカ川のことが出てきます。
≪村はすでに二百メートルほど下になり、見えるのは教会の塔のてっぺんだけになりました。さらにその下の方では、ベルザスカ川がもうもううと水煙をあげて、怒とうのようにさかまいていました。≫
≪谷には大小の岩や枯れ木が散乱し、ベガサスカ川が水しぶきを上げて流れていました。≫
他にもベルザスカ川を表現する際には、水しぶきをあげて・・・ということばを使っています。つまり、かなりの急流。つまり、水は綺麗。

ジョルジョは、この川のマスが釣れる穴場にも詳しい。そして、そのマスを捕まえる知恵が、ソノーニョ村を出、ロカルノに着く途中で出会う、のちの仲間の一人アルフレドと仲良くなれるきっかけとなります。(続く)
ソノーニョ村3

☆写真二番目三番目は、バスから撮ったので、なかなかうまく写っていませんが、水の透明感がわかりますか?それにしても、カンカン照りのなか、みんな肌を焼いてますねぇ・・・ここら辺りも、今や、家族で楽しめる辺りスポットとなっています。
ジョルジョは、この渓谷沿いを、一路ロカルノという街を目指して進むのです。ソノーニョ村は、写真右手奥。
ソノーニョ村4

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ジョルジョのふるさと その1

ソノーニョ13
(➡➡承前)
 「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)の前書きに、あります。「小さなスイスの奴隷たち」という古い記録をきっかけに、作者リザ・テツナーは、この本を書いたということ。
≪昔、ティチーノ地方の山奥に住む貧しい農夫たちは、8歳から15歳になる自分の子どもたちをミラノの煙突掃除夫に売っていたことがあるというのです。≫
ソノーニョ家

 このジョルジョの故郷、ティチーノ地方の山奥の村ソノーニョに行ってきました。イタリア ミラノの北にあるマッジョーレ湖の北側部分が、スイスの国土となっていますが、そこにあるロカルノという街からバスで1時間半。谷あいの突き当りにそのソノーニョ村があります。
 確かに、岩場に囲まれた決して肥沃とは言えない土地で、冬のアルプスの厳しい寒さでは、暮らしていくのも大変だろうと思われる場所でした。

≪ジョルジョの家はソノーニョ村のはずれにありました。ベルザスカ渓谷にはよくある石造りの家で、かたい平らな石をセメントを使わずにそのまま積み上げて作ったものです。≫(続く)
   ソノーニョ村

ソノーニョ村13
 
ソノーニョ村7

ソノーニョ村8

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民度

りす12
 スイスの小さな村々に行って気付くことは、否、スイスに何度か行って気付くことは、ごみが落ちていないこと。それは、山の上も、人里離れたところでも、同じ。トイレも、綺麗で、使いやすい。しかも、不要な紙ごみが出ないよう、手洗いは、電気ヒーターで、紙タオルではないこと。(有料のものもあります)山の上は、水が出しっぱなしにならないような自動の仕組み。
 街なら、早朝から、掃除している人たちがいて、朝起きたら、どこも綺麗になっています。

 ごみの問題は、今や地球の問題でもありますが、生鮮野菜や果物は、自分で計って紙に包んでレジに持っていくもののも多く、日本のように全部、綺麗にプラスティック容器に分けられているというわけではありません。

 と、思っていたら、ロカルノの町からバスで一時間半余の山の奥、ソノーニョ村という小さな村で、栗のパスタと栗のマカロニを買って、カードで支払いしたら、ペーパーのレシートはない。と言われました。レシートが欲しければ、アドレスを、というので、結局、その支払いの証明は、携帯の中に。もちろん、パスタもマカロニも、包装なしです。

 確かに、スイスの物価は高いものの、無駄に紙を使わず、早朝から、道沿いを綺麗にし、山の上、人の集まるところのゴミ箱は溢れず、山の上、利用客の少なそうな小さな駅、電車のトイレまで、気持ちよく使えることを考えると、少々のコストは、仕方ないかなと思っています。何に税金を使っているのかわからない国より、観光で生きていこうとする小さな国、スイスならではの民度なのだと思います。

 それと、そこにつながっていると思えること。

 電車で、4人席同士 隣り合わせになった若者のグループ、我々の隣だった女性、バッグを持たないで、それも開けたまま、どこかに移動。すぐに帰ってきたものの、仲間がいるとはいえ、不用心だなぁと、国際的親心を持ちました。
 次に行った、山の上のグアルダ村、村の後ろの小高い山に上り、下りてくると、あいにくの雨で、人出もまばら。バスまで、時間があるので、村の小さなホテルで、お茶でも飲もうと入るものの、どこにも誰もません。「ハロー!」の声もむなしい。で、道を挟んである、ホテル関与のミュゼの(と、いっても、1フロアーのとても小さいもの)ティールームに入ると、ここも無人。ネスレのコーヒーが1杯いくら、ジュースは一本いくらと書いてあるのですが、そこには、コーヒーメーカーと冷蔵庫、湯沸かし器、そして、けっこう小銭で膨らんだで長財布!我々は、代金を納め、一息つきましたが、お客は我々だけ・・・妙な下心のある輩は居ないのか?こちらの方が、どきどき。
冷蔵庫j

 そして、それらとつながっているかもしれないと思えること、もう一つ。

 我々はいつも、スイスパスという全線有効鉄道バス船などのチケットを、日本で購入して行きます。以前は、それとパスポートを車内検札に見せていたのですが、最近は、夏場で客も多いのか、余り、見に来なくなっていました。ただ、改札口がないので、車内の検札だけが、切符の有無を知ってもらう手立てです。・・・とうことは、無賃乗車も可能な状態がある?等下世話なことを考えていたら、バスなども1時間も2時間も乗っても誰も見せません。ただ、バスの運転手さんに、お金を払っている人も、たまにいましたが・・・また、検札があった時は、電車のチケットも老若男女ほとんどが、スマホをかざし、ここでもペーパーレス。
 もちろん、無賃乗車は厳しく取り締まられているはずですから、結局は、信頼関係の問題でしょう。
レマン湖j

☆写真は、一番上 スイス シャトーデー村 二番目はグアルダ村のミュゼカフェの冷蔵庫 三番目はレマン湖に降りていく車内 

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スイスの村

ソノーニョ村5

 今回は、いつもより日数がほんの少し長く滞在できたこともあって、小さな村もいくつか行くことが出来ました。
どこもここも、花が多かったのは、嬉しいことでした。
村シルス

村ツリス

村シャトー

☆写真は、上からソノーニョ村 シルス・マリア村、ツィリス村、シャトーデー村、グアルダ村
うーん、写真じゃ伝わらないけど、どこも とてもいいところ。一番上、山の奥の谷あいにあるソノーニョ村は「黒い兄弟」➡➡の舞台です。一番下の山の上にあるグアルダ村は、カリジェ「ウルスリのすず」➡➡の舞台です。

村山の上

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水の勢い

ピーク
 スイスから帰ってきてすぐに、大雨や土砂崩れは丈夫だった?と、心配してくれた人がいました。ん?知らなかった。初めてスイスに行った時(2005年)も、線路が冠水し、バスで移動。あるいは、観光の目玉のパノラマ特急が運行できない・・・などの状況だったことを思い出しました。その時、スーツケースをヘリコプターで移動させている映像も流れていました。

 今回は、雨の日もありましたが、概ね快晴。しかも痛いくらいの直射日光。と、思ったら、天気が急変して、雷と雹・・・という日もありました。日除けのため持参した手袋が、肌寒い日の防寒に・・・といった具合に、スイスの天候は、移ろいやすいものの、やはり、雨が降った次の日の、氷河から流れ出す滝の音や、水量、これらを目の当たりにすると、山と湖の国、言い換えれば、岩場と水場の国、スイスも、温暖化の影響を大きく受ける地域の一つだと思います。
氷河とける
上記、二番目の写真(メンヒとユングフラウの下)は、一番上の写真と同じような場所から同日、望遠で撮ったものですが、遠くからでも白く勢いよく流れる水が見えます。この地域では、前日、結構な雨が降りました。
 また、同日、違う場所ですが、少し近づくと、こんな感じです。水の音まで聞こえます。
アルメント12
もっと、近づくと・・・(同日、違う場所)この小さくても勢いのある水の流れが、他の流れと共に、下流に。ブリエンツ湖トゥーン湖➡➡、そして、いろんな川と合流しながら やがて、ライン川・・・・そして、北海。
水流

☆一番上の写真は、今回、初めて持参した夫のお楽しみのピークファインダーとうアプリで撮ったアイガ―、メンヒ、ユングフラウ。GPS機能がついていて、その場所から見た(あるいは、見えるはずの)山頂の高さが、表示されています。

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熱波とか 猛暑とか

  アイスj 
今夏、スイスに行くまでは、ヨーロッパは、記録的な熱波が6月から続き、フランスでは40度を越え・・・などと言うニュースや、スイスアルプスの雪の少ない写真などを見ていました。
 
 実際、今年のスイスも暑い日があり、直射日光は、痛い・・・NEWSでは、やはり、ヨーロッパ全体が暑いようなことを言ってました。ただ、スイスも、多くの電車には、クーラーがつけられ、電車での移動は、かつてのイギリスを思い出す➡➡ものではありませんでした。ただ、いつも正確に、時間通りだったスイスの鉄道も、少々、遅れることがあったのは、暑いからか、もっと暑いところから来た多くの観光客の流れからか・・・

 日本に比べ、湿度が少ない分、ムシムシという感じではないものの、これからもヨーロッパの快適な明るい夏というイメージから、ほど遠い、地球環境になって行くのでしょうか。それとも、地球の歴史からしたら、ほんの100年単位ほどの変化の一部なのでしょうか。
  2019ミューレンj

 さて、今年の定点観察。やっぱり、どんどん 溶けています。こちらも合わせてご覧ください。
2018年➡➡        2017年➡➡
    2016ミューレンj
☆写真は、いずれもスイス ミューレンからみたアイガー メンヒ ユングフラウ(上二枚が2019年 一番下が2016年)
一番上のアイスクリームは、余りの暑さに、山の途中のチーズ小屋で売っていたアイスクリーム。下りて来たときには、同じ小屋で、冷えたヨーグルトを食べました。

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黒い兄弟

黒い兄弟
 「黒い兄弟ージョルジョの長い旅」(リザ・テツナー作 酒寄進一訳 福武書店)
 ある晩、娘と父親が、中世の話をしていたとき、「ハーメルンの笛吹き」の話になりました。娘は、ケート・グリーナウェイの絵本
「ハメルンの笛吹き」*の話をし、父親は阿部謹也の「ハーメルンの笛吹男」*の話をしていました。そんなとき、それって、中世の人身売買につながっている話だとしたら、時代はちがうものの、「黒い兄弟」もそうやった・・・と、かつて、娘が何度も何度もくり返し読んでいた本の話題になりました。そうそう、あれって、つらい話やけど、なんか、明るい話やった。希望のある話やった。舞台は、スイスからイタリアに行く話やったよね?

 ん?スイスから、イタリア?
 かつて、カ・リ・リ・ロ自身も、「黒い兄弟」も読んでいたのに…しかも、イタリア・スイスの逃避行の話だと覚えていたものの、ん?イタリア・スイス?昨年のスイス旅行もその辺りだった?

 と、いうことで、娘とその父親とカ・リ・リ・ロの3人で、「黒い兄弟」を引っ張り出し、そこに出ている絵地図を参照しながら、グーグルマップ航空写真で検証しました。
 おお、それは、まさしく、昨年行ったところと今年行こうとしているところ。

 そこで、読み返しました。そして、今度は、その舞台の一部に行ってきます。

 ・・・ということで、拙ブログしばらく、休みます。

*「ハメルンの笛ふき」(ロバート・ブラウニング詩 ケート・グリーナウェイ絵 矢川澄子訳 文化出版局)
***「対訳 ブラウニング詩集」(富士川義之編 岩波文庫)➡➡にも、「ハーメルンの笛吹き男」の詩が掲載されています。
*「ハーメルンの笛ふき」(サラ&ステファン・コリン文 エロール・ル・カイン 金関寿夫訳 ほるぷ)
*「ハーメルンの笛ふき男」(ロバート・ブラウニング作 ロジャー・デユボアザン絵 長田弘訳 童話館出版)
*「ハーメルンの笛吹き男 - 伝説とその世界」(阿部謹也 平凡社 ちくま文庫)

☆ 写真は、「黒い兄弟」の上に、その舞台Sonogno(Ticino地方) の絵葉書を置いています。この絵葉書は、十数年前に、この辺りに行かれた方から、いただきました。実は、同じ方から、「のんびりしたいいところよ」という、近辺の絵葉書をもう一枚いただいているので、今回、そちらにも、行ってこようと思っています。

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ゴッホの糸杉

     糸杉3
(承前)
 「王書—-古代ペルシャの神話・伝説」(フェルドウスィ―作 岡田恵美子訳 岩波文庫)➡➡からゴッホの糸杉につながったのですが、となると、やっぱり、「ゴッホの手紙」➡➡でしょうか。
*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)

以下、弟テオに宛てた(第596信 1889年6月25日)です。 参考: *1888年12月23日 耳を切り落とす *1890年7月29日没

≪いつも糸杉に心をひかれる。ひまわりを扱ったように描いてみたいのだ。まだ僕が感じているように描いたものを見たことがないのだ。線が見事で、ちょうどエジプトのオベリスクのような均衡を備えている。それにその緑の質が非常に上品なのだ。陽の照った景色のなかでは、黒い斑点になるが、その黒い調子は最も興味のあるもので、正確に捕えるのがとてもむつかしいと思う。しかし、ここでは「青に対して」、もっと具体的に言えば「青の中」において見なければならない。当地の自然をつかむには、どこでも同じだが長く滞在することが条件だ。・・・・・・≫

 と、ゴッホは糸杉の緑の質の上品さを捉えています。ところが、「僕が感じたように描いているのを見たことがない」と言い切るゴッホの感じた深いものは、何だっだのでしょう?この手紙が書かれた時期が、耳切り落とし事件の後で、結局、亡くなるまでの間だったことを考えると、ペルシャでは、「陽」の象徴としてある糸杉、英文学では、「死」のイメージに近い糸杉、そして、明るい日射しの中のプロヴァンスの糸杉。そして、ゴッホの晩年の目。・・・・・なかなか興味深いことです。

 さて、もう一つ、個人的「糸杉」考のおしまいに、英国詩人ブラウニングの詩「好みについて」の糸杉・・・・この詩の糸杉が、英国とペルシャの糸杉の中間地点にあるような気がするのですが、どうでしょう。ちなみに、ブラウニングはイタリアに移住したり、晩年ヨーロッパを渡り歩いたり、最後は、イタリアで客死。

≪そこでは焼けつく陽光に蝉は干上がって死んでしまうし、
一本の木ーー糸杉ーーが、
数百年の年月に赤錆色となり、
ざらざらした鉄釘のような葉を繁らせ、
熟れた実をいっぱいつけて、
すっくと立っている。≫
「対訳 ブラウニング詩集」(富士川義之編 岩波文庫)

☆写真は、ゴッホ「糸杉」(岩波美術館 テーマ館第9室「木と草花」)と右下は「ゴッホの手紙 下」(岩波文庫)

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