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みんなみすべくきたすべく

嘘ばっかり

レマン湖12
 軽いものを読みたい・・・・と、よろよろと書店に行ったら、目に入ったのがこれ。「嘘ばっかり」(ジェフリー・アーチャー 戸田裕之訳 新潮文庫)

 最近、「嘘ばっかり!」と吐き捨てることがなくはなく、タイトルに、引かれて購入。
 人気作家(らしい)ジェフリー・アーチャーを他に1冊も読んだことなかったものの、このイギリス人作家の新作を読みました。

 おお、面白いじゃないですか!
 2018年12月頃、続けて読んだスティーブン・キング➡➡より好みかもしれません。ホラー作家であるアメリカ人の中編作品より、もう少し、文化の香りと歴史の面白さを感じ取ることができるこの短篇集は、単に、イギリスびいきなだけかもしれませんが、15分もあれば、一篇読めてしまいそうなものも多く入っています。

 最後の一行まで、侮れません。最期の一行こそが、書きたかったことなのかもと思わせる作品が多いのです。最後の一行で、え?と思う何篇かは、もう一度核心部分だったと思われるところを丁寧に読み返すと、ある、ある、ちゃーんと最後の一行の為の布石が・・・しっかり、読めてないだけやん、最後の一行にえ?と思うのは・・・と、考えるものの、この最後の一行に「おち」を置くということは、カ・リ・リ・ロ以外の読者も、つい、引っかかる人もいるのかもしれない・・・・

この作家ジェフリー・アーチャーの過去を知ると、経験が豊富すぎ。
投獄はされるは、破産はするは・・・オックスフォード出であり、一代貴族の貴族院議員であるは・・・で、多筆。美術への造詣が深く、短篇のみならず、長編も書いている・・・・・・・この本の後、何冊か読みましたが、飽きるくらい、書いています。(続く)

*この後、ジェフリー・アーチャーが続きますが、そこから、読みたくなった本にも飛び、相変わらず、いろんなところへ行ったり来たりすることになります。

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ちっぽけで ちいちゃい

エーデルワイスj
 昨日のRBGは、知恵の塊のちいちゃなおばあちゃんでしたが、お話でも、ちいちゃいおばあちゃんが、なかなか知恵のあるものとして描かれるのは、喜ばしいことです。

 イギリスの昔話に「ちっちゃな ちっちゃな ものがたり」(ジェイコブズのイギリスのむかし話集より 瀬田貞二訳 瀬川康男絵 福音館)というのがあります。
≪むかし ちっちゃな ちっちゃな むらに ちっちゃな ちっちゃな うちが あって ちっちゃな ちっちゃな おばさんが ひとりで すんで おりました≫で始まる話です。このおばさんは、ちっちゃな ちっちゃな ぼうしをかぶり、ちょっぴり ちょっぴり散歩に出かけるのですが、そこで見つけたものは、さてなんでしょう?
ちっちゃな ちっちゃな おばさんは、それを持ち帰り、ちっちゃな ちっちゃな 戸棚にしまうのですが。。。

 この話「ちっちゃな ちっちゃな ものがたり」の原題は、Teeny -Tiny といいます。音が面白いですね。
 また、英語には、他に wee という単語も、ちっぽけなという意味があるので、カ・リ・リ・ロは、これを使い「ちっぽけなカ・リ・リ・ロ」というアドレスにしています。
☆写真は、スイス ロートホルンのエーデルワイス

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RBG

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「RBG 最強の85歳」というドキュメンタリー映画を見ました。
アメリカ初の女性判事で、映画撮影時は85歳。1933年生まれ、現役の連邦最高裁の判事さんの一人。
アメリカの女性差別、否、性差別と戦ってきた女性判事さん。名前はRBG ルース・ベイダー・ギンズバーグ。
映画の構成は、有名な判決、彼女にとっても、アメリカ史上においても、マイルストーンとなる判決の音声が流れます。淡々と、冷静に、弁論する彼女は、信念を突き進める強い人。とはいえ、日頃は、控えめで、押しの強い行動ではないらしい、という周りの表現が、重なります。

 が、映画のタイトルは「最強の」という文言を売りに、彼女が、近寄りがたい強さを持つかのように、していますが、実際には、『最強の~」の映画というよりも、「愛に支えられた小さな女性判事さん」としてもいいくらい。(と、すると、映画の入りが悪くなるでしょうね。)
 というのは、彼女の頑張りも確かにすごいけれど、その才能を若い時から認め、彼女に尽くし、そのユーモアセンスで彼女を和ませ続けた、彼女の夫(この人も弁護士)は、先日見た、「二人女王 メアリーとエリザベス」➡➡に出てきたろくでもない男たちとは、全然違って、素敵な人。

 さて、RBGは、最近では、アメリカ大統領選の前に、候補の一人をなじる言葉を発し、物議を交わした人でもあります。結果、その人が大統領になり、彼女は謝罪。
 が、リベラルな彼女は、今の政権下では、引退できません。リベラル派の数が減ってしまうからですが、がんを患い、骨を折っても、引退せず、トレーナーをつけて、トレーニングに励む日々。ちいちゃなおばあちゃんです。頑張ってください。よろしくお願いします。

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平面と刺繍

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京都 細見美術館の「若冲と祈りの美」展(~2019年6月16日)➡➡の第3展示室は、 若冲ではなく、「祈りの美」が、展示されていました。なかでも、びっくりだったのが、「刺繍大日如来像」。

こぶりの掛け軸です。鎌倉時代のものでも、色も綺麗によく残り、保存状態もが、いいなぁと、タイトルも見ずに、眺めていたら、ん?刺繍?「刺繍大日如来像」? 限りなく平面に近いので、彩色画なのかと、見まがうほど。つまり、糸が細い。大日如来の髪、眉、髯などは、本物の髪の毛を縫い糸とし、供養のために遺髪を、使ったとしています。ヘ~。細い毛の人のご供養だったんですね。

...と、細かい作業に感心しながら、次なる部屋、つまり、お土産をおいているショップにいくと、その最後のところに、立派な本が広げてありました。見ると、若冲の動植綵絵の、どアップ写真の本。ん?黄色いおしべがフレンチノットステッィチ?若冲って、刺繍したっけ?まさかぁ。。。。本気で、刺繍と思うくらいの、梅のおしべの立体感。

先の「刺繍大日如来像」が、刺繍なのに、あまりに、平面的だったのと逆に、若冲の彩色は、細かい細かいところが、立体的だったものですから、目くらましの術にぎゃふん。すごーい。と、その撮影技術にも驚き、手元でじっくり見たい本だと思うものの重たすぎて、持ち帰れないので、泣く泣く購入を諦めました。と、いうのではなく、5万円以上もする本だったというのが、本当の理由ですが。
ともあれ、ここに使うコンパクトデジカメじゃ うまく写るわけもなく、さすが、最新撮影の高価な本でした。

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雄鶏と虫たち

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(承前)京都 細見美術館の「若冲と祈りの美」展(~2019年6月16日)➡➡、第2展示室には、若冲の画が13、加えて、工房や弟子の作品も何点かありました。見たことのあるものが、多かったものの、何度見ても、面白く、新たな発見も楽しい。

上の写真「雪中雄鶏図」は、かつての2000年若冲没後200年「若冲展」(京都国立博物館)の時もでてましたが、何より冬の特別拝観のときに、ひっそり床の間にあった建仁寺両足院 若冲「雪梅雄鶏図」➡➡にも、似ています。二つの作品のキーワードは、雪、枝、ついばむ鶏、アクセントは紅。
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今回の「若冲と祈りの美」展では、着色の動植綵絵は、多くありませんでしたが、ポスターや案内紙に使われている「糸瓜群虫図」も、会場が空いているので、隠れている虫を必死で探すことができました。11匹です。虫たちは、どれも、自由に思い思いのポーズをとっているのが、楽しい。だまし絵のように、洒落てる。若冲の観察眼に、またもや感心。(続く)


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若冲の屏風

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   京都 細見美術館の「若冲と祈りの美」展(~2019年6月16日)に行きました。
 この小さな美術館の所蔵作品は、趣味がよくて、いつも楽しい。それに、若冲というだけで、他では、凄い人出になることも多いのに、すいていますから、ゆっくり鑑賞できました。

 まず、第一展示室、六曲一双の屏風が3組。2000年に若冲没後200年「若冲展」(京都国立博物館)で開催されたときに来ていたものが2組。またあるいは、ほかの展覧会でも見ていたかもしれないものの、やっぱり、「鶏図押絵貼屏風」の躍動感溢れる筆致は素晴しい!京都国立博物館の時も、同じような気持ちになったのですが、今回は、存分に見て、楽しめました。

 日本画、墨絵というジャンルを超えてるように見えます。日本家屋の部屋だけでなく、洋風の広いリビングに置いても、違和感なく存在できるような気がします。生き生きとした迫力は、人が集う場所に合うように思うのです。広々とした場所が、似合う鶏たちです。

こんなこと、思いついたのも、人のほとんど居ない贅沢な空間で鑑賞できたからです。もちろん、第二展示室でも、屏風絵とは、違う若冲を楽しみました。(続く)
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と、いうことで、写真の図録は2000年に若冲没後200年「若冲展」のもの。「鶏図押絵貼屏風」「菊花図押絵貼屏風」
が、しかし、やっぱり、実物の前に立つのと図録じゃあ、全然違う。特に屏風という部屋の設えですからね。

   若冲j

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緑が綺麗

ミヤコメッセj
 お天気のいい五月。京都の街には、初々しい様子の修学旅行の中学生たちが、たくさんいました。
 もちろん、相変わらず、たくさんの外国人の方々も。に

 緑が、綺麗で、まぶしい日射しに、明るい気分になります。

 今回のお稽古前小遠足は、緑を味わいに行ったのではなく、この写真に写る地域には、3つの美術館と、たくさんの美味しいお店があるので、そのうちの一つの美術館と、二つの美味しいお店に行きました。
細見1

…当然のことながら、本来のお稽古の時間は、先生のいいお声のお力もあって、すっかり、お目目が閉じてしまいました。
 下の写真に写る、「トラ」のようなぱっちりしたお目目で、お話を伺えるお稽古の日があるのでしょうか・・・・

☆写真上は、平安神宮前から、将軍塚を見る。中は、細見美術館のレストラン。下は、みやこメッセ前の「トラ ロープ」。黄色と黒のロープで作られた作品。後ろのガラスに映る緑も撮りたかった。

  ミヤコメッセjj

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長い尻尾

オーランド―2
(承前) 
 上の写真は、原書と翻訳のオーランド―です。が、ちょっと変なところが見つかりましたか?そう原書の表紙の、オーランドーには尻尾がない!もちろん裏表紙には、3匹の子猫が、尻尾にじゃれついているのですが・・・
 時々、原書と翻訳のものには、こういった差がありますが、今回は、翻訳されたものが、原書の復刻版より、作者の意図を組んだ表紙絵となっています。

 この「ねこのオーランドー たのしい日々」(キャスリーン・ヘイル作 こみやゆう訳 好学社)では、子ネコたちが、そろそろ学校に行く頃になったので、お金がかかる。だから、稼がなくちゃ。だから、生活に役立つものを発明して、買い取ってもらおう!
 最初は、「どこでも横断歩道」。・・・・車の部品を改造して作った機械。これに乗って、ぴょーんと、飛び上がれば車を気にすることなくいつでも横断歩道を渡ることができるという代物。
奥さんのグレイスは、使わなくなった毛布を爪でとかし、仕立て直して、新品のようなふかふか毛布に。
次は、「雨知らずローション」。・・・・これを身体にぬれば、水をはじいてくれるので、雨に濡れる心配がありません。
奥さんのグレイスはふわふわの手袋とマフラー。

・・・・で、高い値段!!で売れたものの、子ネコたちは、学校へ行こうとしません。
それぞれの さぼり方が、なかなかの知恵。三毛猫のパンジーは顔を半分ずつ出して、追い払われ、白猫のブランシュは気を失ったふり。黒猫のティンクルは、しっぽの先をインクに浸して、教室中にまき散らしたりなどなど・・・で、「お前らは、もう学校にいかんでいい!」
 それで、3匹が習ったのが、ダンス。芝居、芸術!

 てんやわんやになってしまうものの、ここからが、オーランド―一家の結束力。子どもたちは、オーランドーとグレイスに見てもらう発表会を企画し、オーランドーとグレイスも、屋根の上でデュエットを歌い、---お月さまもさえも、その歌を聞きにのぼってきたくらいーーーあついタラいりのミルクをのんで、ぐっすりとねむりました。(このご夫婦、本当に仲が良いのです…最後のページの絡み合った長い尻尾をみて!)

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ねこのオーランド―

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「ねこのオーランド―」(キャサリン・ヘイル作画 脇明子訳 福音館)は、
昨日の「ぼくはなにいろのネコ?」(ロジャー・デュボアザン 山本まつよ訳 子ども文庫の会)➡➡と違って、初めから、色の指定から物語が始まります。

≪オーランド―は、とってもきれいな マーマレード色のねこで、そのしまもようときたら それこそ マーマレードにはいっている オレンジの皮に そっくりでした。目は みどり色で、まるでぐズベリーの実を ふたつならべたみたいです。オーランド―とおくさんのグレイスとのあいだには、ちいさなねこが三びきいました。三毛のこねこが、パンジー、雪のようにまっしろなのが、ブランシュ、石炭みたいに黒いのが、ティンクルという名前です。…≫

 ほら、わかりやすいでしょう?昔、この絵本を初めて、手にしたとき、この一番初めの「とってもきれいなマーマレード色」、そしてマーマレードの皮という表現に、惹きつけられました。物語自体は、オーランド―の家族の日常を描いていて、すっきり整ったものではないものの、ともかく、このマーマレード色をした猫を好きになりました。

 「ねこのオーランド―」は、「おおきいえほん」の項で紹介したように、かなりの大型絵本です。➡➡ したがって、よっこらしょと持たないといけないとても小さい子は苦手な大きさだといえましょう。また、中には、オーランド―たちがテントを張った近辺の地図が描かれていたり、その平面的な地図が、立体的な描かれ方に変わっていたり・・・と、お話をたくさん楽しめるような少し大きくなった幼児なら、この絵本を楽しむことができるでしょう。
 猫なのに、身近な生活のあれこれを見せてくれる、家族仲の良いオーランド―のシリーズは、「ねこのオーランド―」(キャサリン・ヘイル 脇明子訳 福音館)「ねこのオーランド― 農場をかう」(キャサリン・ヘイル 脇明子訳 童話館)「ねこのオーランド― 海へいく」(キャサリン・ヘイル 小沢正訳 童話館)しか、翻訳されていなかったのですが、昨秋、一冊でましたよ。(続く)

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ぼくはなにいろのネコ?

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「ぼくはなにいろのネコ?」(ロジャー・デュボアザン 山本まつよ訳 子ども文庫の会)
デュボアザンの絵本は、たくさん翻訳されています。
「ごきげんならいおん」シリーズ、「ペチューニア」のシリーズ、「かばのベロニカ」のシリーズ、アルビン・トレッセルトと組んだ数々、などなど。ここでも、もっと紹介した絵本があるものの、なかなか全ては紹介しきれていません。

 ということで、猫の絵本。「ぼくはなにいろのネコ?」です。

≪「ぼくを見て」と黄色がいいました。「ぼく、パッとあかるいでしょ。ぼくは、秋のにわを いきいきとさせるキクの花。ぼくは、日なたでねむる黄色いネコ。ぼくは、ジャングルを音もなく とおっていくトラ。ぼくは、空にかがやくお日さま。もちろん、ぼくがいなければ、お日さまもないのさ」≫と、この絵本は、始まります。
≪「黄色いネコだって!」と子ネコのマックスがいいました。「黄色っぽいネコはいるけど、黄色いネコなんかいるもんか、もし、ぼくが黄色だったら、水仙の花たばと まちがえられてしまいそう。」≫と、子ネコのマックスは考えます。

 こんな、詩的な始まりのこの絵本は、次に青、緑、赤、オレンジ、茶色、黒、白…時にお互いが交じり合いながら、色が様々に交じり合っていく世界を 表現しています。絵本でなくては、表現できなかった抽象的な世界です。
 が、お話の本ではないので、少し大きめの子どもたちの方が、楽しめるかもしれません。

 また、最後には、大人にも、伝えたい言葉がありました。
≪「ほんとうに、ぼくら、ほかの色がいなければ、なにもできないね」と、黄色、青、赤、黒、白が、声をそろえていいました。「わたしたちが、なかよくいっしょにいれば、世界は、なんてうつくしく見えるんでしょう」≫

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そして、みんなも ねこである!

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「サイモンは、ねこである」(ガリア・バーンスタイン作 なかがわちひろ訳 あすなろ書房)

 上記、写真の左端に、小さく「そして、みんなも ねこである!」という文字が見えますか?これは、表紙カバーを広げたところで、カバーされた状態では、表から見えず、折り込まれている箇所です。だから、多くは見落とします。
 が、洒落っ気のある作者は、この絵本のテーマであり、みんなも猫ということをどうしても、言いたくて、ここに表記したのだと思います。小さくても、主張するポリシーは、またこれ、この絵本のテーマだと思われます。

 お話は単純、サイモンという小猫がライオンやチーターやピューマやクロヒョウやトラたちに、「ぼくたちのだ にてますね」というところから話は始まります。みんなはそれを一笑に伏すものの、よく考えると、「いい耳を持ってる」「立派なひげと長いしっぽ」「鋭い歯」「とがった爪」「暗闇でも見える目」を、みんな持っていることがわかります。小猫のサイモンも「ちっちゃい」ながらも、持っていたのです。・・・・・ということで、サイモンも、仲間だとわかり、みんなで楽しく過ごす・・・というお話。

 これを読むと、ちょっとした違いにしか過ぎないものにこだわっていると、大きな括りが見えなくなる、ものの本質が見えなくる・・・・なーんてこと、考えて読んだら、面白くないので、このサイモンという猫たちの関わりを楽しむのみ。 

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名画と解剖学

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 「名画と解剖学」(原島広至 CCCメディアハウス)という本を見ました。副題は、ー『マダムX』には なぜ鎖骨がないのか?-ーです。表紙の絵は、ジョン・シンガー・サージェント➡➡の『マダムX  ピエール・ゴートロー夫人』(1883-4)です➡➡。この夫人の名前は、バージニー・アメリ・アヴェーニョ・ゴートロー。

 確かに鎖骨が描かれていない・・・が、アクセントになっているのが、頭を動かす強力な筋である「胸鎖乳突筋」(らしい)。この本によると、≪「胸鎖乳突筋」は、通常、顔を前に向けた状態では、あまり目立たない。しかし、横を向くと「胸鎖乳突筋」が次第にはっきりと見えてきて、特に胸骨に近い腱の部分は明瞭に浮き出る・・・(後略)≫

 へぇー。・・・とまあ、こんな調子で、有名な絵画や彫塑の骨や頭蓋骨や筋や目や歯、ひいては動物の肢や骨・・・などなどの説明が続きます。ふーん・・・とはなりますが、解剖学や病理など、もっと知りたい人は、さらに調べないといけないかもしれません。
 タイトルだけの時は、美術好きの医療関係者の著作だと思っていたのですが、そうではなく、自らが描き、解剖学の知識が豊富な人の著作です。

 それにしても、世に残る絵画や彫塑は、本当に、骨の髄まで よく見て造形したのだとわかります。無意識に描いたことが、遺伝や、病巣まで読みとろうとすればできるようなのです。

 で、何故、マダムXには、何故鎖骨がないのか?
≪・・・肩を下げ、胸を張って背中で肩甲骨同士を近づけると、鎖骨が胸郭を構成する肋骨に近づくために体表ではあまり目立たなくなる。しかし、肩を上げたり前に出すと鎖骨と胸郭を構成する肋骨が離れるために、鎖骨が見えてくる。つまり、鎖骨を描かないことにより、なめらかな肌を強調しているだけでなく、胸を張って堂々とした姿勢を表現していた可能性がある。≫

 ここで、このモデルの背景に戻ります。この ピエール・ゴートロー夫人バージニー・アメリ・アヴェーニョ・ゴートローは、親子ほど年の離れた富裕なフランス人ピエール・ゴートローの妻で23歳のアメリカ女性でした。また、26歳だったこの絵の画家サージェントもアメリカ人でした。≪華やかなパリで、当時は田舎者とみられていたアメリカ人同士は、彼らを軽んじていた人々の鼻をあかそうと意気込んだに違いない。≫と、解説がありました。
 なるほど、そういう見方ができるんですね、という「名画と解剖学」でした。 

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目をこらしたら

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 「不思議の国のアリス展」➡➡の画家の一人、ジョン・ヴァーノン・ロードは、細かい絵を描く人です。その中でも「鏡の国の昆虫たち」という画に、なんで?こんなのが描かれているの?と、教えて下った方が居て、しっかり、眼鏡をかけて目を凝らしたら、やっと、これが見えました。
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 そう、有名な蓄音機の前に座る犬。作品の中では、ちょっとした洒落なのでしょうが、調べてみると、この犬、日本の忠犬ハチ公と同じような位置づけで、イギリスの有名人(犬)のようです。
 商標の犬として知られているこの犬。実在したニッパーという名前の犬らしく、画家が、ちゃんとその肖像画を描き、それが元になっているよう。それは、その画家の兄が亡くなった後、この犬を引きとった画家が、蓄音機で元の飼い主である兄の声を聞かせたら、耳を傾けていた、そのシーンを絵に描いたとか・・・ふーん。知らなかった・・・
☆写真上と中、ジョン・ヴァーノン・ロード「鏡の中の昆虫たち」(2011年)、下も同じくジョン・ヴァーノン・ロード「汽車の客車」(2011年)
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不思議の国のアリス展

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 兵庫県立美術館の「不思議の国のアリス展」(~2019年5月26日)に行きました。

 作者本人(ルイス・キャロル)の挿絵も、味はあるものの画家でないので、やっぱり、ジョン・テニエルの絵が、それ以外考えられないほど、不思議の国のアリスには、ぴったり。また、アーサー・ラッカムの絵は、個人的に好みで、楽しみの一つでしたが、アリスは、テニエルかなぁ・・・
 今回の展示では、ルイス・キャロルやテニエル以外の画家たちによる、本や挿絵も展示されています。それは、現代にいたる およそ、1世紀に及ぶ画家たちの饗宴でもあって、楽しいものでした。ヘレン・オクセンバリーやエリック・カール、ディズニーのアリスもあります。

 ところが、どの画家も、その個性を発揮して、おもしろいものの、画家ごとに展示、この展示方法より、同じ章の挿絵を比べていった方が、もっと、面白さが増したような気がします。それぞれの表現方法は異なっても、元になる話が一緒なのですから、その捉え方を見るのは、きっと、興味深いものになったと思うのです。

 また、係の方が、羽根つきの帽子をかぶり、黒いいでたちで、室内監視をなさっていましたが、アトラクション会場ではないし、もっと、ワンダーランド感を出すなら、違う方法で、アプローチしてほしかった気がします。ティーセットの設えも、中途半端な気がするし、他、色々な飾りも、子どもだましに近いような・・・会場の最後では、さながら、アミューズメントパークのような、アニメーションが並んでいました。手を振ってくださいと言うアナウンスについ つられ、手を振ったら、各画面のアリスワンダーランドのキャラクターたちが、手を振りました。(カ・リ・リ・ロは、若い頃、本場に行ったくらい、ディズニーランドが好きでした。)(続く)

☆写真上は、左から、アーサーラッカム「アリスとメダマカエル召使い」(1907年)。左下、マリ・ローランサン「涙の池」(これは、このページが開かれた展示本で、他のページも見てみたかった・・・)(1930年)。右下、エリック・カールのはらぺこあおむし風の「チェシャネコいもむし」(2018年)。ポストカード3枚の下にあるのは、展覧会の案内パンフレットのジョン・テニエルのアリス(1890年)
☆写真下は、写真撮影可の展示作品、チャールズ・サントーレ「ウサギ穴を落ちていくアリス」(2014-17年)
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エンジョイ、5月!

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若い人に「連休はどうしていたのか?」と聞かれたので、「家でゆっくり、せいぜい夫と散歩」と答えると、「仲がいいんですね」と言われました。
ふーん、夫婦で散歩するって、仲がいいんだ・・・・知らなかった。ま、ともかく、家の周り、ぐるっと回って1時間、どこもかしこも花盛りなので、恒例の(よそのお宅の)花点検をしなければ・・・そう!今は薔薇。
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寒暖差が激しかった4月以来、咳き込むことも多く、声を出して なんぼの仕事をさせていただいているので、(歌手でないものの)、加齢による?回復力の遅さに自信を無くす今日この頃。
ゆっくり花を愛でながら、エンジョイ、5月!です。(とはいえ、外は、暑いなぁ)
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肉筆浮世絵の世界

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 京都 文化博物館の「美を競う 肉筆浮世絵の世界」(~2019年6月9日)に行きました。
 昔、浮世絵と言えば、版画の摺物と思っていたのですが、肉筆画展など増えてきましたから、➡➡  ⇒⇒  ➡➡  ⇒⇒浮世絵といっても、幅が広い事を今や、知っています。摺物だと大量に出回るわけですから、安価で、質もピンからキリまであったと思われますが、肉筆画は、基本一点ものですから、どれも、丁寧で細かい。
 今回の展示は、いわば、どれも似たような作風とはいえ、細かく描かれていることは、これまで見た肉筆画と同様。
北斎や広重など、名の知れた人のものも少しはありましたが、勉強不足のものには、初見のような浮世絵師の描いたものも多い。
 
 この「美を競う」というのは、着物や、その背景の桜や雪を競っているかのように思います。
 特に、彼女らの着る着物の模様、ちらりと見える長襦袢やその袖口。細かい作業も丁寧で美しい。

 とはいえ、この浮世絵という浮世の絵、つまり、俗っぽい特に美人画が、格調高い床の間を飾ったとは思えませんから、画家の費やした時間とその代価は、見合うものだったんだろうか・・・と俗なことを考えながら、会場をあとにしました。

☆写真は、二種類の案内紙とチケット。どれも違う絵師の描いたお姐さんたち。

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あかいえのぐ

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 昨日の「ねこのミランダ」➡➡を本棚から出した時に、隣にあったのが、この「あかいえのぐ」(エドワード・アーディゾーニ作 津森優子訳 瑞雲舎)でした。
 表紙に、黒猫・・・猫絵本の1冊に積み上げました。

 話は、絵描きのお父さんはと子どもたちは、貧しくても仲良く幸せに暮らしておりました。いろんなものを売ってお金にしてきたものの、ついに、、仕上げの赤い絵の具がない・・・そこで、子どもたちが、頑張りますが、八方ふさがり・・・とはいえ、ちょっとクリスマス・キャロルを思い出す、スクルージじいさんんみたいなロバートおじさんが現れて(お話の初めに絵描きのお父さんとけんかしているおじさん)・・・お父さんの絵は完成、お父さんの絵は売れるようになって・・・・めでたしめでたし
 
 で、ちっとも、猫は関係ありません。しかも、その存在を知らしめるのは、写真左に写る絵で「ニャア」と言う箇所だけ。

 とはいえ、家族、仲良く団らんしているページでは、それを見守るかのように満足気(に、みえる背中)な猫。
 男の子のサイモンが何か描こうとしているページでは、興味津々に尻尾をたて、上の写真左のページでは、元気をなくしたお母さんに「大丈夫だよ」というお父さんと声を揃えて「ニャア」。
 赤い絵の具を探しているページでは、心配そうに引き出しの方を見て、売るものもなく、作品もできないと家族が悲観するページでは、猫の耳も垂れ、尻尾も下がっています。
 家族が食べるものも硬くなったパンと古くなったチーズの夕飯のページでは、猫もお皿に、何かほんの少し入れてもらい、お皿をなめています。
 そんなある日、大きなごちそうの入った荷物、赤い絵の具も入っている荷物が届くと猫も一緒になって、箱をのぞき込んでいます。
 そして、完成した絵の前では、尻尾を立て、姿勢を正した(かのように見える)猫が居ます。みんなでごちそうの用意をするページでは、足取りの軽い猫の姿。そして、ついにロバートおじさんが部屋に入ってくるページでは、見知らぬ人には「フゥー」とうなっているかの猫の絵。

 ・・・とまあ、お話の本筋とは関係ないかのように見える猫でしたが、ちゃんと仕事をしていたのがわかります。もちろん写真右の本の表紙(昨日も写っています)では、家族をモデルにして描くお父さんの傍で、じっと見守っている猫です。

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ねこのミランダ

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「ゆうかんな猫のミランダ」(エレナー・エステス作 エドワード・アーディゾーニ絵 津森優子訳 岩波)

 このアーディゾーニの挿絵のついた子どもの本の作者は、「百まいのドレス」「(石井桃子訳 ルイス・スロボドキン絵 岩波)や「モファットきょうだい物語」(全3冊 渡辺茂男訳 松野正子訳 スロボドキン絵 エスティス絵 岩波少年文庫)の作者です。
 
 「ゆうかんな猫のミランダ」は、肝っ玉お母さん猫ミランダの話です。時も場所も、古代ローマ。コロッセウムや広場が舞台です。
 歴史に興味がなくても、この大きくて勇敢で、しかも、妊娠しているお母さん猫の頑張りには目を見張ります。
 最後には、数十匹の猫たちのトップとなり、勇敢なという冠ではなく、猫の女王「コロッセオの女王ミランダ」という位置づけに。
 路頭に迷う子猫を助け、それも、自分の子プンカを含めて34匹(あとから、さらに、自分が産んだ4匹も加わり)、他にも、途中から加わった大人の猫など・・・ともかく、親分肌のミランダに、猫たちが集まった結果です。

 子ネコたちのミルク不足を補うために、コロッセウムの中に閉じ込められたライオン(しかも、乳の出るメスライオン)と、取引するところは、「勇敢すぎる猫ミランダ」に改題してもいいくらい。

 そんな肝の座ったのミランダも、子猫たちに子守唄を歌い、生まれたばかりの子どもたちに寄り添って、のどをならし、子どもたちは、それに、ごろごろと応え、≪まるで、浜辺にうちよせるさざなみのように、子猫たちはのどをならしました。≫
 この優しい空気とローマの混乱と、最後の章でのミランダのソロと、猫たちの合唱、猫たちのオペラ・・・子どものための本ながら、壮大な歴史を伝えようとする作者の意気を感じます。もちろん、そこに生きる小さなものたちの生き方も。

 残念ながら、ローマに行った事はありませんが、今も、猫の多い街(と、言われている)ローマの遺跡トッレ・アルジェンティーナ広場などには、野良猫・捨て猫保護センターというのがあるようです。

エピローグにあります。
≪いつかあなたが、アッピア街道かどこかの道からローマを訪ね、コロッセオをおとずれることがあったらーそれも夜に、できれば馬車で石畳の道をぱっかぱっかと走ってたずねることがあったならーコロッセオから歌がきこえてくるかもしれません。その歌は、そこにいる猫たちの王国のなりたちを伝えるものです。あの壮大なオペラが、夜ごとさまざまにつけたされたり、ねりなおされたりしながら、テーマはそのままに、奇跡のようにすばらしい女王、コロッセオの女王ミランダをたたえているのです。もう何世代にもわたって伝えられてきた歌ですから、あなたもコロッセオで、きっとその歌を耳にすることでしょう。できることなら、ここぞというところで、「イオ、イオ!ブラボー!」といってごらんなさい。≫
 

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孫と薔薇とため息と

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もう65年このかた、連休明けの誕生日は、少々寂しいものです。
 近年では、5月6日が休みになることはあっても、7日は、一斉に、仕事や学校に戻る日、というのは変わらない。
 7日という日に、罪はないのに、その日の朝は、あるいは、前の晩は、みんな「あーあ」と ため息交じり。
 多分、1月4日生まれの人も、同じような気分でしょう。
 
 とはいえ、お天道様は、見放さず、お花もいっぱい、いい季節をありがとう・・・いい香りのバラも、ありがとう。
 それにしても、10日間の休みは長かったですね。
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ハイドパーク気分

 白い花4
長い連休は、どこにも行かず、近場の公園を散歩していました。 この近くの公園、梅も桜もハナミズキも楽しませてくれましたが、今は、木々の緑に誘われて、ちょっとロンドン ハイドパーク気分を味わえるのです。もちろん、日差しのきつくない、朝早くの清々しい時のみ。
 さて、2014年に「白い花」というタイトルで、写真をUPしましたが、➡➡、今年の白い花はどうでしょう。
白い花3

白い花1

白い花2

 赤いスイレンも赤いサクランボも。今日の写真は、すべて5月6日朝7時前後に撮りました。
白い花6

白い花7

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