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みんなみすべくきたすべく

むべなるかな

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京都青紅葉に囲まれた瑠璃光院➡➡の近くには、同じ系列?のギャラリーがあります。ルイ・イカール(1888~1950)というアール・デコの時代にパリで活躍した画家で、このギャラリーには、この画家の銅版画(手彩色)が展示されています。 瑠璃光院の青紅葉の頃と、秋の紅葉の頃だけ開館されるようです。
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もちろん、その画家の描くパリジェンヌたちを見る楽しみもありますが、この会場自体のお洒落なこと。廊下や室内、いろんな箇所に生け花があって、お洒落なこと。特に、棚の生け花のお洒落なこと。粋なこと。
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青竹の延びる、坪庭風空間のお洒落なこと。写真、右後方に 万両の赤い実が見えますが、前方左には、時差で千両が綺麗だったと思われます。
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そのあと行った市街地のティールーム。町屋を改造して坪庭を残しています。ここで、珈琲や紅茶を注文すると、クッキーではなく、有名な「そばぼおる」が添えられてきます。
たわらやj
御菓子屋さんのウィンドーには、桜のお菓子じゃなく、かきつばや藤をイメージしたお菓子が並んでいます。
おかし18

・・・・・と、お洒落や美味しいものでは、筋金入りの京都で、ゆっくりするのは、「むべなるかな」➡➡
むべj

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連休前の京都の花

 ウワミズザクラj
 10日に渡る連休が始まる前に、京都八瀬と、河原町付近をうろうろしたら、たくさんの花に出会いました。

 まず、八瀬比叡口から歩いて瑠璃光院まで、山沿いに咲いていたのが、ウワミズザクラ。遠くに咲いていて、風も吹いていたので、少々ぶれていますが、小さな花一つ一つは、やっぱり桜の花。
ウワミズザクラjj
次は、シャガ。アヤメ科で、今から始まるハナショウブやカキツバタなど、アヤメたちの先駆けですね。
比叡2
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そのあと、三条・四条辺りを歩いたら、こんなにきれいな青紅葉とハナミズキ。この木々の下には、小粋なお店が並んでいます。
京都j
鴨川沿いには、まだ咲いていた枝垂桜とベニバナトキワマンサクのコラボレーション。
ベニバナトキワマンサク
 御池通りを少し下る、有名な宿の塀の上に「むべなるかな」のムベの花。アケビ科で、香りもあるようなのですが、残念ながら、高い位置と車の通行が多くて、嗅ぐことはできませんでした。
 この花の由来は、ずいぶん昔にさかのぼって、天智天皇が、長寿の老夫婦に会い、その秘訣を聞くと、この実を食しているからだというので、食し、「いかにももっともなことだ(むべなるかな)」と言ったという伝説から、「ムベ(郁子)」。
ムベ1
 ツルになって塀の上を延々と伸びているこのムベの花。こんなにたくさん咲いていたら、秋に、アケビより、小さい実がたくさんなるなぁ・・・
ムベ2

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八瀬の青紅葉

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電車j

京都 瑠璃光院に青紅葉を見に行きました。叡山電鉄の新型一両電車「ひえい」に乗っていきました。後ろに写るは比叡山。

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 秋の紅葉で有名なこの場所は、もちろん、青紅葉も綺麗です。
るり2
 八瀬の青紅葉の広告ポスターには、以下の写真の、もっといいのが使われていますが、なにしろ、ピカピカの大き目の座卓とピカピカの廊下に写る青紅葉は、さながら、水辺にさかさに写る風景。
るり1

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極楽にいった猫

   涅槃猫j
「極楽にいった猫」(エリザベス・コーツワース 古屋美登里訳 清流出版)
 冬の京都の特別公開で「涅槃図」 を何点か見てから➡➡  ⇒⇒  ➡➡  ⇒⇒、この本のことを教えてくださった方いて、図書館リニューアル後やっと、借りることが出来ました。

 「極楽にいった猫」は1931年にニューベリー賞を受賞し、たくさんの作品を残したコッツワースという作家の作品です。*ニューベリー賞は、アメリカでその年、最も優れた児童文学に与えられる賞で1922年から*

 長いお話ではありません。
 貧しい絵師が、涅槃図を描く仕事をするのですが、釈迦の人生をたどりながら、それぞれの動物の動きにも心を寄せて描いていきます。
 その絵師の傍には、猫がいました。が、猫は、死者を踊らせたり奪ったりするために臨終の場にはタブーであったらしく、また、摩耶夫人が投じた薬袋を取りに行ったネズミを猫が食べてしまうといわれていた➡➡ので、涅槃図には描かれませんでした。が、絵師は、「福」と名付けられた猫を描かずにはいられません。
≪「他の動物は釈迦に受け入れられ、慈悲を受け、極楽へいくことができたのに、猫のまえで極楽へと通じる扉は閉まってしまったのです。絵師の目に涙が溢れてきました。「そんな無慈悲なことはできない」≫と、一番いい絵筆で、最後に猫を描きいれたのです。≫

 こんなお話を1931年にアメリカの女性が書いたことにびっくりです。この人は20代の頃に一人で日本に来たようで(日本の大正時代)、東洋の国々も旅したようです。幼い頃から両親と世界中旅していたとありました。

で、この猫、「福」という猫、昨日の Delilah➡➡と同じ三毛猫!なのですよ。
この話では、三毛猫の美しさを、こう表現しています。
≪白い雪に金箔と漆をおとしたような体をしているな。白い花に二羽の蝶が舞い降りたようにも見える・・・・≫
三毛猫を愛したフレディ・マーキュリーは、この話を読んでいただろうか?

参考:「涅槃図物語」(竹林史博 大法輪閣)
☆写真は、再登場、京都 轉法輪寺 涅槃図に描かれた猫➡➡

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Delilah

パオラねこ2
(承前:その2)
 昨日のブログからも続き➡➡、先日の「Innuendo」➡➡からも続きです。(ということは、やっぱり、クィーンのカテゴリーいるなぁ)

生前のフレディ・マーキューリーが参加した最後のアルバムは、「Innuendo」ですが、この中に、愛猫家だったフレディの猫の歌が入っています。「Delilah」(デライラ)

 三毛猫のデライラが好きで好きでたまらないという歌詞で、比喩でも隠喩でもなく、恋を知った青年(少年)がダイレクトに、デレデレと 愛を語っています。そして、歌の中では、彼自身が、meeow meeow――ミャオ ミャオ――と歌う(鳴く)部分すらあります。軽いノリのこの歌、猫を愛する人ならではの歌でしょう。

 デライラという名前が、サムソンとデリラ(Delilah)と同じスペルであるものの,サムソンを裏切った女性というより、妖艶な魅力を持つ気まぐれネコちゃんには、ぴったりの名前かもしれません。
 また、昨日の「きみとぼくのネコのほん」(トミー・デ・パオラ もりしたみねこ訳 ほるぷ)の≪ネコのおもしろじょうほう≫には、こんなことも書かれていました。
≪三毛ネコは、白、黒、オレンジ色の、まだらです。ほとんど、メスだけです。≫・・・・・つまり、三毛猫デライラは、フレディをメロメロにしたメス猫だったのですね。
  
 さて、最後のプロモ―ションビデオThese Are The Days Of Our Livesのとき、痩せてしまい、やつれて顔つきまでが変わったフレディが着ていたシャツには、愛する猫たちが描かれています。

 ☆写真右上に、この絵本の作家、トミー・デ・パオラが、当時、二匹のアビシニアンの猫を飼っていた絵。そして、左下の並んだ猫の中に三毛猫居ますねぇ。

 と、いうことで、猫を愛する人は世界中に多く、今年は、イノシシの絵本の代わりに、猫の絵本の紹介をしているものの、まだまだ紹介しきれていません。

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きみとぼくのネコのほん

 パオラねこj
「きみとぼくのネコのほん」(トミー・デ・パオラ作 もりしたみねこ訳 ほるぷ出版)

 この絵本は、お話のある図鑑のような一冊です。いろんな猫の説明が続きます。
まずは、シャムネコ、マンクス、ペルシャネコ、レックス、アメリカン・ショートヘアー。他にも絵だけで登場するのは、バーミーズ、ジャパニーズ・ボブテイル、ヒマラヤン、メイン・クーン、ロシアン・ブルー、のらネコ、でぶネコ、農場のネコ。

 それで、アビシニアンのページには、古代エジプトの猫と呼ばれる由来が、書かれています。また、ローマ人がエジプトの猫を連れ帰ると重宝されたものの、中世になると、悪い魔女の手先と思われ、ハローウィーンの魔女の箒に乗る猫の絵が…それから、ヴィクトリア女王の時代には、猫の居る家庭が幸せの象徴とされ、たくさんの画に。そして、お話にも登場するチェシャーネコ フクロウと子ネコ 長ぐつをはいたネコ・・・・

 それから、猫の食事やトイレ、寝る場所・・・と、簡単に書かれています。そして、主人公のパトリックは、猫をもらって帰ったものの、一匹だけでいいと家族に言われ、上の写真下部に写る絵となるのです。
 
 ネコ好きの人には、たまらない絵本です。
 その後書きの部分に「ネコのおもしろじょうほう」もあって、その中に、「英語でおすネコはトム、めすネコはクィーンとよばれます。」とありました。ん?ん? ああ、また続くぞ!(続く:その2へ)

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今は 八重桜

関山j
 今春、関西の桜は、早咲きの枝垂れ、多数派のソメイヨシノ、遅咲きの八重桜・・・と、およそ、1か月、楽しめました。それに、仁和寺や平野神社に行かなくても、大阪桜の宮の造幣局の通り抜けで、「太白桜」➡➡も、確認することができたので、個人的な桜月間としては、充実していました。(上の写真の八重桜は近くの公園の「関山桜」)
関山5
 が、ここにきて、一気に暖かく(日中は暑いくらい)なってきました。となると、ハナミズキの出番ですね。これも派手に、明るい空気を振りまきます。
関山2
 近くのリンゴの木も可憐な花をつけました。
関山4
名前は不明ながら、この上の写真の花の色からは、春から、夏への移り変わりを、目から感じます。
関山3
そして、いよいよ、つつじの季節になってきて、上を見上げていた桜目線から、目線を下げたところの明るさに目を向けることになりますね。
紅豊
さて、もう一つ、桜とつなげて書きたかったこと。八重桜とつなげて書きたかったこと。(上写真の八重桜は、「紅豊桜」、大阪桜の宮 造幣局)
先日のパリ、ノートルダム大聖堂の火災は、残念な出来事でした。が、再生という言葉も合わせて、我々が様々なことを考える機会となりました。そんなとき、NEWSなどに写る、火災後の映像、セーヌ河岸から写した映像を見ると、その右に映る、多分 八重桜と思われる桃色の花の群。明るいその色の花は、石造りの聖堂のこちら側で、元気に咲いておりました。(下の写真は、2012年9月撮影)
  ノートルダムj

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これが おばあちゃんの おうちかな?

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(承前)
「ウィリーのぼうけん」(マーガレット・ワイズ・ブラウン 作 上條由美子訳 広野多珂子絵 福音館)の、三つ目のおはなしは、「ウィリーのおでかけ」です。

始まりはこうです。
≪ウィリーは、小さなまちにすんでいました。ウィリーのおばあちゃんは、いなかにすんでいました。ある日、おばあちゃんから、ウィリーにでんわがかかってきました。「おばあちゃんのところに、あそびにおいで」「いつ?}と、ウィリーはききました。「いまから、すぐに」と、おばあちゃんはいいました。「ぼく、どうやっていったらいいの?」と、ウィリーはききました。「あるいておいで」とおばあちゃんはいいました。「のはらをとおって?」「そう、のはらをとおって」「ぼく、ひとりで?」とウィリーはききました。「そう、おまえひとりで」・・・・・≫

あれあれ?これって、「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン坪井郁美文 林明子絵 ペンギン社) じゃないの?昔、うちの本棚にも並んでいた絵本の一冊。林明子の描く絵が可愛く、魅力的で、今も書店に並んでいる絵本。当時は、絵の魅力に抗しきれず、少々、お話が唐突でも、いい絵本だなと思っていたのです。
こちらの始まりはこうです。
≪はい もしもし あ、おばあちゃん うん ぼくだよ いまから? ぼく ひとりで いくの? どうやって いけばいいの?おうちのまえのみちを まっすぐ いって いなかみちを まっすぐ まっすぐ いなかみちってこわくない?どのいえが おばあちゃんの おうちか わからないよ うん、わかった のぞいてみるね・・・・・≫

較べてみると、一目瞭然、
「ウィリーのおでかけ」では、おばあちゃんの声も文になっているため、具体的な電話の用件が伝わってきます。そして、ひとりで行くという流れも。ところが、「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」では。絵を見れば、僕がおばあちゃんと話しているのはわかりますが、何を指示されているか、具体的にわかりません。大人は、文を読めば、指示された内容についてわかるでしょう。が、しかし、お話を読んでもらっている幼い子どもたちには、「うん」「わかった」といっても、その具体的な流れはわからないのです。

かつて、「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」で、納得できなかったことが、こうやって比べるとすっきりしました。「ウィリーのおでかけ」は、マーガレット・ワイズ・ブラウン文ですが、「ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ」は【”Willie's Walk"をもとに創られた】とありますから。

三つのおはなしの入った「ウィリーのぼうけん」(Willie's Adventures)は、2019年1月に翻訳出版されました。

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ウィリーのこねこ ミューミュー

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「ウィリーのぼうけん」(マーガレット・ワイズ・ブラウン 作 上條由美子訳 広野多珂子絵 福音館)には、三つのおはなしが入っています。「ウィリーのどうぶつ」「ウィリーのポケット」「ウィリーのおでかけ」です。挿絵のたくさん入った幼年童話です。

一番初めのおはなし「ウィリーのどうぶつ」は、≪ウィリーは、どうぶつを、1ぴきもかっていませんでした。ウィリーは、いっしょにあそべる、どうぶつがほしとおもいました。じぶんだけの、いきている、ほんとうのどうぶつです。≫で、始まります。それで、田舎に住んでいるおばあちゃんに電話し、おばあちゃんが捕まえられる動物は?と相談。すると、おばあちゃんは、次の日、小さな箱をウィリーに届けてくれます。お母さんがお昼に帰ってくるのを待って開けてみると…
 そこから飛び出した小さいふわふわのもの。長い髭とキラキラしたみどりの目と、白い、とがった歯と、ふさふさしたしっぽがついています。
・・・で、ウィリーは、その子猫の世話をし、一緒に遊び、名前を「ミューミュー」とつけました。

 さて、小さな子どものおはなしは、子どもたちの身近なもの、身近な出来事、あるいは、子どもたちの気持ちに沿ったお話というものが大切です。作者のマーガレット・ワイズ・ブラウンは、「おやすみなさいおつきさま*」や「クリスマス・イブ*」をはじめとして、子どもたちによくわかるお話を書き続けた人でした。(続く)

*「おやすみなさいおつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)
*「クリスマスイブ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 ベニ・モントレソール絵 矢川澄子訳 ほるぷ)

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明恵展

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 大阪 中之島「明恵の夢と高山寺展」(~2019年5月6日)に行きました。ここは、神戸御影にある香雪美術館の別館で、2018年3月にオープンしました。
 大阪の真ん中のビルの中にあるので、こじんまりとした美術館です。朝日新聞社の創業者・村山龍平が蒐集した日本、東洋の古美術コレクションなどを収藏する美術館で、美術館の一部は、村山龍平記念室が常設され、その茶室や洋館の一部を見ることができます。

 それで、今回、見に行ったのは「明恵展」なのですが、高山寺といえば、国宝「鳥獣戯画」。
 これは、2014年に京都国立博物館で開催されていた「国宝 鳥獣戯画と高山寺展」➡➡と、 重なるものの、あの時は、凄い混雑。今度は違う!ゆっくり見られました!前期後期入れ替えがあるものの、今回見られたのは、全4巻のうちの甲乙巻。あの兎や猿や蛙の巻。やったぁ!!
 丁寧に見られたので、それぞれの動物たちの表情も楽しめたし、動きも、さすがと感心したり・・・

 また、二巻目に描かれている架空の動物や、見たことはないものの見聞きして描いた動物も、ゆっくり見るのは楽しいもの。平安末期から鎌倉初期のものと言われていますが、おお、ここにも犀と思われるものが描かれているじゃありませんか。それが、わかったのは、なにあろう。轉法輪寺の涅槃図➡➡に描かれている犀の絵の説明を聞いていたからなのです。あのときの説明「犀をみたこともなかったものの、角があり、身体が甲羅のように固いという話から、想像して描かれたものの」通りの犀さんがいましたよ。
 もちろん、龍や麒麟や象や獅子・・・

 確かに、空いていて満足いく国宝鑑賞でしたが・・・・もっと、アナウンスしてもいいんじゃないかなぁ・・・大阪って、文化を発信するのが下手なところあるんですよね・・・・あんなに間近で鳥獣戯画見られるなんて、そうそう、あることじゃないと思うけどなぁ。ただ、後期開催は、4巻のうちの後半の絵巻で、動物たちとは違う人物の戯画絵巻です。

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古典の中の猫

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猫の絵本 関連ではなく、最近、気になっている涅槃図の猫 関連で見つけたのが、「猫の古典文学誌ー鈴の音が聞こえる」(田中貴子著 講談社文芸文庫)でした。

 読んでみると、涅槃図の猫について書かれているのは、ごく一部で、しかも、著者は、涅槃図の多くの実物をご覧になっていないこともあって、深く掘り下げたものではありませんでした。

 ともあれ、専門である中世国文学の猫を中心に、日本古来から、いろんな形で、猫が表現されてきたことは、よくわかりました。愛猫家と自称されているので、その辺の掘り下げは愛のこもった深いもののように思います。

 そして、ここにも源氏物語。これは、あの猫。あの御簾を引っ掛けたあの猫。柏木と女三宮出逢いのあの子猫の登場。

 先日書いた、夕霧が藤袴を差し入れるのも御簾ごし➡➡で≪御簾のつまよりさし入れて≫という「藤袴」の話より、この「若菜」の方が、御簾の役目が ずっと印象的。子猫という小道具がアクティブだから、映像としてイメージしやすい。

 御簾ごしに蹴鞠を見ている女たち、そんなとき、子猫が少し大きな猫に追いかけられて、御簾の下から潜り抜け走り出るも、つけられていた長い綱が、ひっかかって、逃げようと引きずる間に、御簾の端が、めくれ上がり、室内の女三宮たちは、外に居た柏木達の目に触れることに…で、この一瞬で、柏木はフォーリンラブ・・・そのあと、柏木は、女三宮の猫を手に入れ・・・「ねうねう」と鳴く (この鳴き声が意味深長) 猫を可愛がり・・・そして・・・・
 
☆写真上左側に、白黒の猫が写っているの見えますか?近くの公園の八重で紅い花桃の木。
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さくら

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「チェリー・イングラムーー日本の桜を救ったイギリス人」(阿部菜穂子 岩波)には、太白桜の他、数々の桜が出てきます。
この本の中では、評価の低い位置づけのソメイヨシノも、個人的には好きです。辺り一帯が、明るく輝いているように見えるからです。また、満開のそれを見上げている人々の表情にも、春が来た喜びが表れているからです。もちろん、一本だけ咲き誇るような山桜でも、喜びの表情で見上げているのは、同じだと思いますが、今や、絶対数の多いソメイヨシノの満開は、春が来たことと、強く結びついています。

 ただ、この絶対数が多い・・・というところに、この筆者は着目し、かつての戦争で「桜イデオロギー」としての象徴ともつなげています。初めは、吉野の桜が江戸でも見ることができる、という発想でしたが、育成しやすいソメイヨシノは、どんどん増えていった経緯、そして、戦争。

 イングラム氏の親族の看護婦だった女性は、日本軍の捕虜だった・・・という過去があります。その過去は、多くを語られなかったものの、のちに取材を受け、その全容がわかります。そして、最後まで。彼女の庭に「桜」が植えられることはなかった・・・
 ・・・これを読んで、情けなかったのは、もちろん日本軍が犯した、愚かな行動のことですが、それよりもっと、残念だったのは、そういう史実や裁判結果など、知らなかったし、学んだ経験もなかったことです。

 が、しかし、その捕虜問題に深い関心を持ち、しかも桜の研究と開発に力を入れた現代の日本人が、「償いの桜」という思いで、計五八種類の松前桜の穂木を贈った話で、この本は終わります。その人物がいいます。
「うわべの親善ではなく、日本人の行った過去の歴史をしっかり踏まえて新しい関係を築かなければ、真の友好は生まれない。」

 戦時下では、日本だけでなく、各地で、蛮行が行われていたという大きなくくりで、知っていたとはいえ、一体、我々は、過去の歴史をしっかり学ぶ姿勢をもっているだろうか。いろんな史実をなかったことと,言っていないだろうか。しかも、声高に。
 桜を見ながら、また一つ、考えなければならないことが増えました。

 それにしても、寒い日の続いた関西のソメイヨシノは、長く我々を楽しませてくれました。また、遅く咲く八重桜と重なって、今年の関西の桜の季節は長い・・・
☆写真上は、神戸 向こうに望むは、大阪湾。
  八重桜

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太白桜

太白2
 先日「春爛漫の候」➡➡に書いたように、「チェリー・イングラムーーー日本の桜を救ったイギリス人」(阿部菜穂子 岩波)には、たくさんの桜が出てきます。
 日本の桜に魅せられたイギリス人、コリングウッド・イングラムが、イギリスに苗を持ち帰り、接穂しながら、増やし、あるいは、日本から送ってもらいしながら、イギリスの地で、桜を増やします。そして、日本ではなくなってしまったと当時は思われていた桜の品種を里帰りさせたという事実、その後の桜と日本、そしてまた、その後のイングラム氏を追跡したルポタージュが、この本です。

 が、なにしろ、このイングラム氏は1880年生まれ、明治政府発足が1868年ですから、ずいぶん、昔の話です。初来日が1902年、そのあと、何回か訪日しますが、100歳を越えて没するまでに、第一次世界大戦、第二次世界大戦をはさみます。そんな激動の時代に、愛する桜たちに捧げた情熱、熱意の大きさに驚かされます。

 さて、話の中核になる桜ーーーそれは、太白という名の桜です。
       太白1

 この太白桜、里帰り物語のきっかけは、イングラムが京都で見た掛け軸に描かれた白い桜の絵。その頃、どこを探しても見つからなかった桜の絵。イングラムは、自分の庭に咲いている「太白」を思い出し、日本に里帰りさせることに。
 1928年にまずイギリスから船便で送られた太白の穂木…枯れてしまっていました。翌年も同様。その翌年も。するうち、水分不足に気付き、大根に刺して送ってもらう4年目だったものの、水分が多く、腐ってしまいます。
 船便が暑い赤道を通るのが、いけないのではないか、
 今度は、ジャガイモに刺した穂木は、シベリア鉄道経由、ウラジオストクからナホトカ、舞鶴、そして、京都へ。そして、オオシマザクラに接ぐとイギリスから着いた太白の穂木は、うまく、台木につながって成長(1932年)し、若木からまた穂木をとって接木。そして、仁和寺や平野神社などに植樹され、イギリスから里帰りした桜であることを解説する立札が添えられたというわけです。
 1931年には満州事変が起り、太平洋戦争の道を歩んでいた日本と、日英同盟を解消されていた敵国となりつつあったイギリスとの交流ですから、それに関わった人たちの大きな熱意がなければ、太白桜は、どうなっていたでしょう。
太白3

 その里帰りを受けた京都の造園業者の孫、第16代目がいうのです。
「太白は白の大輪やからね。真っ白でもただ白いのとちごうて、どうゆうたらええかな。気品があるていうのんか、風格がありますわな。もともと日本からイギリスに渡った桜やのに、あちらで紳士的な雰囲気を身につけて帰ってきたようですわ。」(続く)

☆写真は、大阪 造幣局通り抜けに咲く太白桜(~2019年4月15日)。40年以上行った事がなかったものの、大阪の風物詩です。小雨降る日だったので、空いているかと思いきや、外国人観光客の皆さんの多い事。今年は、造幣局の遅咲きの桜たちはまだ満開とはいきませんでしたが、横を流れる大川沿いのソメイヨシノは、満開。三番目の写真の背景は、造幣局博物館。
・・・で、家に帰り、2017年に仁和寺➡➡で撮った写真を見直すと、多分、これが、御室仁和寺の太白桜と思われるもの。仁和寺の御室桜は、みんな背が低い。

        太白5

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マイブックショップ

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 映画「マイ・ブックショップ」を見ました。
「本と過ごす時間、そしてちょっとの勇気があれば人生は豊かになる」という映画の宣伝文句にひかれ、また、イギリスの風景が映る映画ということで行きました。
が、英国映画でなく、スペイン制作映画というのが、気になっていました。

 戦争未亡人が、本屋のない海辺の田舎町に書店を開く話です。時は、1959年。読書の楽しみを広げたい彼女の行動。背表紙が並ぶ書棚。古びた建物。お茶の時間。ウィリアム・モリスと思われる壁紙の部屋。その部屋のベッドの上で、髪をくしけずる主人公は、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの描く女性に似て・・・・・・・が、そこに、嫌がらせ。そして、嫌がらせ。大きな力も加わっていき、彼女の勇気は、頓挫。

 ・・・・というのが、ストーリーです。が、終わりが、どうもすっきりしません。
 本が、人生を豊かにするというメッセージが、半減するような主人公の末路です。確かに最後は、次の世代の書店につなげたものの、イギリス映画の生活映画部門(そんな部門はありませんが・・・)の終わりは、ちょっとした幸せを描いているものが多いので、カ・リ・リ・ロ自身、イギリス映画好みでもあるのです。が、やっぱり、これは、ちょっと違いました。

 重要な役回りの嫌がらせの張本人は、年配の女性でしたが(綺麗な女優さん!)、その周りの 何人かの ろくでもない男性の描き方は、この監督、きっと女性だ、と思わせるものがありました。はい、先の「二人の女王」➡➡ともども、女性監督でしたよ。 
☆写真は、英国 ルイス The Fifteenth Century Bookshop (撮影:&Co.Ak.)

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ふたりの女王 メアリー

スコットランドj
(承前)
 映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」の主人公は、スコットランドの女王メアリーです。初め、ん?どのメアリー?と思ったものの、エリザベス1世の異母姉のメアリー1世はBloody Mary(血まみれメアリー:プロテスタントへの迫害)で、残ってる肖像画も、決して美人とは言い難い。映画のメアリーは、聡明そうな美人・・・そうか!メアリー・ステュアート、スコットランドの女王ね。こちらは、肖像画も、楚々とした美人。

 じゃあ、エリザベス1世の肖像画はというと・・・白塗りのお顔に、ハイカラ―の首回り、髪型もごてごてと、居丈高なご様子のものばかり。(このイメージで、昨日書いたような、強い女性のイメージがあった・・・➡➡。です。)それで、ここでも、浅学が露呈しますが、エリザベス1世は、天然痘にかかり、皮膚が傷み、髪の毛が抜けていたと、映画で知りました。女王になる前の彼女の肖像画は、このイメージとは遠く、胸元のあいたドレスを着た女性です。

 さて、映画では、リュートが出てきて、先日、コンサートに行って聞いたばかり➡➡  ⇒⇒だったので、親近感が増しました。リュート弾きの役回りは、ちょっと重要だったしね。

 そして、何より、英国王室映画に行く楽しみは、英国の風景や古いお城が映ることです。映画では、スコットランド女王メアリーが、スコットランドを愛しているのを表現する一つに、その風景を多く写し、イギリス女王のエリザベス1世は、お城や建物を中心に映していたと思います。実際には、エリザベス1世は、外国との戦いを制していくのですが・・・内面の孤独を表現したかったのかもしれません。

 この映画には、娘と行きましたが、かつて、英国に刺繍を学びに留学していた彼女は、カ・リ・リ・ロが、どのメアリー?などと言う前に、刺繍のメアリー・ステュアートと、言っておりました。というのも、メアリー・ステュアートの残した、端正な刺繍作品を見ていたからです。
 そして、エリザベス1世がメアリー・ステュアートを、19年に渡り幽閉した時間に、それらの刺繍作品は、創られたものだったんだろうと、勝手に納得しておりました。また、エリザベス1世も手芸をたしなむ様子は映画でも見られましたが、これは、 「エリザベス女王のお針子―裏切りの麗しきマント」(ケイト・ペニントン 柳井薫訳 徳間書店)にも、書かれていましたね。➡➡

 ともかくも、まだまだ歴史の勉強が必要だとわかった映画でした。

☆写真は、昔、家族で行ったスコットランド。雲に覆われた日が多く、フォース湾もエジンバラ城も廃墟のタンタロン城も、遠い昔のフィルム写真です。また、行ってみたいところの一つです。

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ふたりの女王 エリザベス1世

     グロースター12
 映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」(Mary Queen of Scots)を見ました。勉強になりました。

 今年に入って、映画「女王陛下のお気に入り」➡➡「ヴィクトリア女王 最期の秘密」➡➡と英国の女王物が続きました。
 歴史的背景は、この映画のエリザベス1世の時代が一番古いものです。この映画を観るまで、他にもエリザベス1世が主人公、あるいは登場する映画を、いくつか見てきたものの、エリザベス1世が、ちょっといい女性に思えたのは、初めて・・・

 あの時代に45年間も女王の座にいたわけですから、強い人。ヘンリー8世の娘なんだから、凄腕の人と思っていたのです。実際、暗殺や断頭、陰謀渦巻く時代に君臨し続けた強者。賢く、強いハートの持ち主だったと思いますが、目を転じると、強すぎる人には、反対派も生まれ、やっかみから謀略につながることが多々ある中、長い在位だったのは、もしかしたら、彼女は、意外と、柔軟に対応し、強硬な中にも温かい部分があったのかもと思ったりするのです。(歴史を不勉強な者が、映画を観て、ちょっと思いついたに過ぎません。)

 こんなことを思わせたのも、この映画が、女性としての女王の立場を表現していたからです。女王であっても、結局は、取り巻いているのは、権力を握りたい男たち。愚かな男たち。恋人であっても、夫であっても、兄であっても、女の王より強い、その上にある権力。

 が、女性のただの弱い立場を強調しているわけではありません。聡明な二人の女王が、男性を利用しているシーンは、ちょっと小気味よい。きっと、監督は女性だろうと思っていたら、やっぱり女性で、演劇界の演出家とありました。
 つまり、この歴史ものの映画、有名人の中の有名人エリザベス1世を使った映画は、実は、男女差別について、静かなメッセージがこめられているのだと思います。
 今までの歴史学者や時代考証をしてきた人たちのほとんどが、男性だったという事実から考えても、今後、もしかしたら、ちょっと違う世界観が見える兆しの一つであればいいなぁ。(続く)

☆写真は、英国グロースター大聖堂:映画の中で、エリザベス1世が、ここ(に似た場所?)を歩いていました。

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春爛漫の候、いかがお過ごしですか?

 桜5
ここ何年か、小学校入学式の頃に桜が咲いていませんでした。カ・リ・ロ・ロ自身の小学校入学式にも、3人の子どもの小学校の入学式にも桜の写る記念写真がありました。が、近年は、3月末に満開ということも増えていたと思います。
 が、今年は、まさに、この時期。いろんな行事に合わせるかのように、咲いています。
 昨年の台風などの影響か、風当たりの強かった木の上方の生育が悪いようながするのは、気のせいでしょうか。
 
 とはいえ、今や、満開のソメイヨシノたちも、今からの咲く桜たちも居て、春爛漫の候、いかがお過ごしですか?
桜6

☆今日の写真だけでも、複数の桜が写っています。桜は、種類が多いのは、知っていましたが、最近読んだ「チェリー・イングラムーー日本の桜を救ったイギリス人」(阿部菜穂子 岩波)には、本当にたくさんの桜が紹介されていました。・・・・で、この本のことについて書きたいものの、この本の中核になる桜の花の写真が見当たらず(撮っているはずなのですが、名札ごと撮ってないせいもあって、確実なものが見つからない。)、近い時期に、その花の写真を撮りなおせたら、それと一緒に紹介します。
桜4

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花冷えでしたね。

いちご
 花冷えという言葉通りの、ここ何日間でしたから、桜もこれからが本番。いつものような春なら、ぱっと咲いて、ぱっと散っちゃうのでしょうが、ワシントンや、ヨーロッパで咲く桜のように、今年の桜は、長持です。

 「花冷え」の「花」は、桜で、もっと寒い時期に咲く「梅」でないのはわかります。
 梅は、意外と花期が長く、冬が去り、春に向かおうとする時期の花だとわかります。
 だから、新しい元号に梅の宴が関連するのは、前向きな気持ちの表れで、グッドアイデァと思います。が、中心となる文言の後半、『蘭薫珮後之香』の『蘭』に、あれ?と思いました。蘭って、薫る?

 ここでいう、蘭は、キク科の藤袴(フジバカマ)。
 藤袴は、和名で、漢名は、蘭、蘭草、香草、香水蘭。
 初春に芽を出す、秋の七草。
 『蘭薫珮後之香』の『珮』は、帯玉という訓読みで、帯につける玉ーー匂い玉、つまり、匂い袋みたいなもの。藤袴の乾燥させた茎や葉には、香りがあるらしく、藤袴の香りのするものを身につけているってことですね。だから、香りと薫るが重なっている。そのとき、風が和いでますから。

 と、調べていたら、古筆のお稽古で(眠りの時間でもある)、何度も何度も拝聴している源氏物語に、ちゃーんと出ています!第三十帖「藤袴」
≪ かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、「 これも御覧ずべきゆゑはありけり」とて、とみにも許さで持たまへれば、うつたへに思ひ寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。
「 おなじ野のつゆにやつるる藤袴 あはれはかけよかごとばかりも」 ≫

うーん。藤袴の花の薄紫色、源氏物語における紫の位置、エトセトラエトセトラ。うーん、うーん、深いなぁ。この歌は、源氏の長子の夕霧のもの。

 とはいえ、「源氏物語の庭ー草木の栞」(廣江美之助著 城南宮)には、≪古今要覧稿(江戸後期)に【ふぢばかま。(中略)これを歌によみて秋の七種に入れしは、山上憶良を始めとし、それを字音にて 「らに(蘭)」と憶へしは紫式部を始めとす、云云】とある。≫と書かれていました。となると、紫式部より早かった万葉集の「蘭」や、いかに?と、浅学甚だしいカ・リ・リ・ロが言っても詮無いこと。

 ともかくも、和名、漢名を使い、あるいは、もっと古い中国の文選を参考にしたらしいその結晶が、日本の古典である万葉集である・・・ということを、説明すべき立場の人こそ、しっかり学ぶべきだと思う。

☆写真上下とも、美味しそうでしょ?どっちも美味しい。

       お菓子j

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ヴィークランドの絵

ロッタちゃん新
(承前)
 「長くつ下のピッピの世界展」➡➡で、ニイマンの絵➡➡を たくさん見ることが出来ましたが、リンドグレーンと言えば、ヴィークランドの絵と思っているようなカ・リ・リ・ロにとっては、ここで、初めて目にした「ちいさいロッタちゃん」表紙原画を見ることができただけでも、大きな喜びでした。この絵は、翻訳されているロッタちゃんシリーズ(山室静訳 偕成社)では、見ることができないからです。

 「ちいさいロッタちゃん」「ロッタちゃんのひっこし」は挿絵の本で、絵は白黒ですし、カラーで大型絵本の「ロッタちゃんとじてんしゃ」「ロッタちゃんとクリスマスツリー」にも、この表紙原画を見ることはできません。

 上のような図録を写した写真では、その素晴らしさが伝わらないのが残念ですが、ヴィークランドの描く、数々の花吹雪や、降りしきる雪の絵は、この画家ならではの美しさを伴って、リンドグレーンの作品に、深みを持たせていると思います。

 と、いうことで、ヴィークランドとリンドグレーンについても、ぼちぼち 書いていきたいと思います。
 そして、こんな時代だからこそ、リンドグレーンを読むことにも、意味があると思っています。➡➡

☆写真上は、「長くつ下のピッピの世界展」図録の「ちいさいロッタちゃん」
写真下、右は、「ロッタちゃんとじてんしゃ」(山室静訳 偕成社)、左は「ちいさいきょうだい」(大塚勇三訳 岩波)
ロッタちゃん2

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ニイマンの絵

ピッピ3
(承前)
 イングリッド・ヴァン・ニイマンの描いた絵本は、「ピーレットのやさいづくりーちいさな こどものための やさいばたけのおはなし」(ウルリカ・ヴィドマーク文 イングリッド・ニイマン絵 高橋麻里子訳 岩波)➡➡がありますが、43歳で早世した(自死)、ニイマン(1916~1959)は、リンドグレーン(1907~2002)と組んだ仕事を残しています。「長くつ下のピッピ」➡➡を中心に、短篇集「カイサとおばあちゃん」(リンドグレーン作 ニイマン絵 石井登志子訳 岩波)の挿絵もあります。

 この短篇集のタイトルになっている「カイサとおばあちゃん」は、「ぴちぴちカイサとクリスマスのひみつ」(リンドグレーン作 ヴィークランド絵 山内清子・訳 偕成社)➡➡という絵本にもなっています。
  ヴィークランドとニイマンが、同じ作品に絵をつけることは少ないので、一度、両方、見比べてみました。
カイサj
 また、「やかまし村」のシリーズ(リンドグレーン作 ヴィークランド絵 大塚勇三訳 岩波)は、ヴィークランドの挿絵で印象深いものの、ニイマンの「やかまし村」のシリーズもあったようです。(「長くつ下のピッピの世界展」には、展示されていましたが、今のところは未邦訳。)  (続く)
やかまし村j

☆写真上右、「長くつ下のピッピ」挿絵の原画(「長くつ下のピッピの世界展」図録)。左は岩波リンドグレーンシリーズ第23巻「カイサとおばあちゃん」の表紙。
☆ 写真下右、ニイマンの描く「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春夏秋冬」(「長くつ下のピッピの世界展」図録)、中央上「やかまし村のクリスマス」(おざきよし訳 ポプラ社)、左「やかまし村の子どもたち」大塚勇三訳 岩波)

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長くつ下のピッピの世界展

ピッピjjj
 関西ではとっくに終わってしまい、今頃?なのですが、京都えきミュージアムで「長くつ下のピッピ」の挿絵原画展に行きました。(~2019年3月4日:ほかに、名古屋、福岡、愛媛など巡回するようです。)この原画展は、ピッピの原画だけでなく、他のリンドグレーンの作品の絵、例えば、イロン・ヴィークランドのものもありました。

 ここでは、カ・リ・リ・ロの好きな、きりなく多いイロン・ヴィークランド➡➡  ⇒⇒の作品ではなく、近年、日本でも出版されたイングリッド・ヴァン・ニイマンによる「長くつ下のピッピ」の挿絵のこと。
イングリッド・ヴァン・ニイマンの絵本は、徳間書房から「こんにちは、長くつ下のピッピ」「ピッピ 南の島で 大かつやく」「ピッピ、お買い物にいく」、「ピッピ、公園でわるものたいじ」(石井登志子訳)が出ていますが、決定版として、「長くつ下のピッピ」も出ました。(全訳ではありません。)(写真右)
 また、岩波からは、ニイマンの白黒挿絵のついた菱木晃子訳のものが三巻出ています。(写真下)

 カ・リ・リ・ロ自身が子ども時代楽しんだ「長くつ下のピッピ」は、桜井誠絵、大塚勇三訳の、岩波愛蔵版でした。(写真左)➡➡ニイマンの絵より、年齢の大きく見えるお姉さんのピッピが描かれています。が、翻訳初版年を見ると、このお姉さんくらいの歳になっていたカ・リ・リ・ロとしては、馴染みやすかったとも思います。

  ニイマンは、直接、リンドグレーンと打ち合わせながら、≪ピッピは、9歳の女の子≫として、挿絵を描いたようです。
 初めは白黒の画で、挿絵本として、1945年に出版。その後、一部のおはなしが、絵本となりカラーの画がついて、1947年に出版。
 これらを比べてみると、挿絵のピッピと、絵本のピッピ、また、本のポスターとして描かれた写真中央の「ピッピの世界展」の案内紙も、少しづつ年齢差があるように見えます。(続く)
        ピッピj

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イニシャル

桜1
 この辺りも、桜の季節に、なりました。が、まだ、満開とはいきません。少々肌寒いからでしょう。

桜2

 今日のブログをUPする時刻には、5月から施行されるという新元号がまだ、発表されていません。
 お正月に、家族で、新元号のイニシャルは何か、予想しました。Hでなく、Sでなく、Tでなく、Mでなく、K(慶応)はいいか?OやIは紛らわしく、XやLはなく、QやVはないだろう・・・カ・リ・リ・ロの思いついたのは、イニシャルA。安という漢字なんかどうかな?
桜3

 ところで、先日(3月29日)の小さな記事に、カザフスタンの首都の名前が、60年ほどで4度の改名があって、先ごろ、1991年の独立以来就任して、突如辞任した前大統領の名前ヌルスタン・ナザルバエフ前大統領から名付けた首都ヌルスタンとなったとありました。その記事には、米国のワシントン、ベトナムのホーチミン、レニングラードやスターリングラードなども列挙されていました。

 これを読むと、カ・リ・リ・ロの思いついた漢字の「安」が嫌になってきた・・・・さて?

追記:
発表されました。Rと予想したのは、夫でした。

☆写真一番下は、満開のミツマタ。

ミツマタ

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