FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

真如堂

涅槃3
(承前)
 秋の紅葉で有名な 京都 真如堂ですが、今は人も少なく、涅槃図の特別公開(~2019年3月31日)も、ゆっくり鑑賞できました。。 今まで見た涅槃図は、それぞれに大きいもので、新館に飾られていた本法寺➡➡、上部や下部を曲げて公開されていた、泉涌寺➡➡轉法輪寺➡➡でしたが、真如堂は、本堂に合わせて作られたというぴったりサイズの涅槃図でした。この涅槃図は、三井家の女性の依頼で、贅沢に、金やラピスラズリー、瑪瑙などを使ったらしく(1706年)、今までに見た涅槃図の中で、一番きれいな状態でした。

 この涅槃図は、動物、鳥、昆虫などが多く描かれている(127種類)ことも、特徴で、見ているのが楽しい涅槃図でした。近年、動物たちの名前も、調査できたようです。
 それにまた、動物たちは、口に花をくわえ、捧げようとしているものもいます。百合や、梅や、いろいろな花ですが、こちらは、まだ花の名が解明されていないようです。が、鯨がくわえているのは、真っ赤な珊瑚でした。
 そこから由来するのかどうか、花をお供えする「花供御(はなくご)」は、少々名前を変え、「花供曽」という名称で、この特別拝観記念として配布していました。お正月、ご本尊に備えた鏡餅のお下がりを細かく刻んで軽く焼いて、黒砂糖をからめたお菓子で、これを食すと、無病息災で過ごせるといわれ、昔から真如堂の涅槃会で授与されてきたようです。

 それから、この前から気にしていた男前の「韋駄天」さん➡➡は、この涅槃図では、さほど目立った男前ではなかったのですが、例の「猫」は、たくさんの動物に囲まれ、身を隠すかのように描かれていました。

 本堂は、室内写真撮影が禁止で、しかも、案内紙にも、この涅槃図の写真がないのですが、 涅槃の庭は、縁側のガラス戸を開けると、借景に大文字(写真左手)、真ん中に石で表現したお釈迦さまが、弟子に囲まれ、横になっている様子が表現されていました。
涅槃庭1

 真如堂は、女人の深い帰依を受けてきた歴史を持つお寺のようで、襖絵も、明治や昭和のものですが、優しい図絵でした。また、本堂裏には、釈迦三尊像がひっそりと描かれていました。他にも公開されていない絵や本尊阿弥陀如来もあって、また、行かねばならないお寺が増えてしまいました。

 さて、秋の紅葉だけでなく、今この時期のもみじの新芽も可愛いものでした。さくら6 

PageTop

京都の枝垂桜

    さくら2
 咲いてましたよ!京都の枝垂桜。
 京都御苑の枝垂桜は、NEWSになっていたけど、同じ日(27日)、聖護院の枝垂桜も満開!
 桜に期待しないで行った京都ですから、嬉しい!きっと、御苑の枝垂桜を見た人たちも同じ気持ちのはず。
さくら3
ソメイヨシノなど、他の桜は、もう一息。
さくら4

さくら5
真如堂では、山茱萸も綺麗だったし、馬酔木も綺麗。
さくら10
地蔵院(椿寺)➡➡  ⇒⇒と同じ五色八重散椿も咲いています。    
       さくら8
       さくら9

さくら7
なにより、初めて見た「花の木:ハナノキ」も満開。首が痛くなるほど、高いところに咲くこの花。しかも、小さな赤い花なので、今まで、気付いていませんでしたが、真如堂には、何本かの大木がありました。(続く)
さくら11

PageTop

自然美と其驚異

満月j
(承前:その1) 
 さて、「自然美と其驚異」(ジョン・ラバック著 板倉勝忠訳)後半のことについて書くのですが、この文は、先日の岩波文庫春の復刊➡➡から続くのか、しつこく、クィーン➡➡から続くのか・・・?

 先般書いた➡➡第一章序論は、自然美と幸福、自然への思慕、風景の翫味、イングランドの風景、極光、四季と続きます。
そして、第二章は動物の生活、第三章も動物の生活(つづき)、第四章は植物の生活、第五章森林と原野、第六章山岳、第七章水、第八章河と湖沼、第九章海、そして第十章天という構成です。

カ・リ・リ・ロとしては、第六章以降アルプスやスイスの川、湖など出てくるので、行った事のある地域は想像もでき(この箇所については、いずれまた書くつもりです。)、自然科学ものである「自然美と其驚異」も、意外と読める・・などと、思っていたら、最後の第十章「天」の箇所で、頓挫してしまいました。

 例えば、小惑星の節では、
≪各惑星と太陽との距離の相互関係は一定の法則に準ずる。今試みに0、3、6、12、24、48、96といふ3以下二乘で進む級數を取って、更らに其の各々に4を加へると、4、7、10、16、28、52、100というふ數字が出る。然るに各惑星と太陽との距離を見ると3.9(水星)、7.2(金星)、10(地球)、15.2(火星)――52.9(木星)、95.4(土星)といふ風になっている。…≫

うーん・・・・数字が続くと、冷静になれない頭には、ちっとも楽しくない・・・(旦那に、この個所、読んで聞かせたら、興味深そうでした)

 が、しかし、この「自然美と其驚異」の最後に、「天」を持ってきたことを考えるのは、ちょっと楽しい事でもありました。もちろん、小さなもの、身近なものから、壮大なものへという、構成の妙もありましょう。
 が、この時代(1892)に天を論じるのは、いかに天文学が大事な位置にあったかを物語っているようです。
 アメリカのライト兄弟が初の有人飛行(1903)するまで、航海というものの重要さ、すなわち、航海術、しいては、星の位置、天候を考えることは、最重要課題だったと言えるのでしょう。
 とはいえ、今もその課題がすたれたわけでなく、先日の「はやぶさ2」(小惑星探査機)のニュース【2019・2・22「りゅうぐう」に着陸】は、数字に頭を悩ませることなく、興味深いものでした。そのあとのニュース【2019・3・20 りゅうぐうに水分がふくまれている物質 】も、ちょっと、わくわくするものでした。

・・・・・で、クィーンのブライアン・メイです。この人は天文学の学位を持っているのですが➡➡、その彼が「はやぶさ2」を応援するツィートをしたとか、JAXAにビデオメッセージを寄せたとか・・・世界的有名人が発信すれば、大きな力になる昨今、天文学という学問のすそ野を広げる一助になったと思います。
 そして、難しい漢字だらけの「自然美と其驚異」(1892)も、WEBでのスピード感ある発信も、同じことを、我々に伝えているのだと、わかります。
 時には、謙虚な気持ちで、天を仰ぐ・・・自然の一員としての人の務めかと思います。

PageTop

Innuendo

グランヴィル1j
(承前)
 このブログのカテゴリーにクィーンというのを増やさないといけないかもしれませんが、ともかく、またクィーンにつながってしまいました。
 生前のフレディ・マーキューリーが参加した最後のアルバムは、「Innuendo」(イニュエンドウ)といい、「皮肉」「当てこすり」という意味のタイトル。

 その表紙には、グランヴィルの絵が使われています。一部、描き替え、彩色されていますが、グランヴィルが描いた「Jaggler of Universes」。
 また、アルバムと同じタイトルの「Innuendo」という曲やその他のいくつかの曲のプロモーションビデオ(ユーチューブのオフィシャルサイトで見ました)にも、何点かのグランヴィルの絵が、動画となって使われています。それらは、兵庫県立美術館でM氏のコレクション➡➡として、展示されていたものと多くは同じもの。

 また、特に、病状の進むフレディをかばうかのように、「Innuendo」という曲のプロモーション・ビデオでは、実物の彼らは写らず、イラストでの出演となり、おびただしい人形や仮面、そして、グランヴィルの画などで、構成されています。また、フラメンコ風の盛り上がりの箇所では、民衆や行進の白黒映像。・・・それにしても、いろんなタイプの曲を残しましたねぇ。
 
  彼らの国、イギリスにも、パンチという風刺画の流れがあるのに、フランスの風刺画を使うのは、興味深いことだ思っていたら、
この画「Jaggler of Universes」が入っている「もうひとつの世界」という一冊の本の副題は、
≪変容、幻想、化身、上昇、移動、探検、遍歴、周遊、滞在、宇宙発生論、幻影、夢想、浮かれ騒ぎ、冗談、気まぐれ、変身、動物変身、鉱物変身、輪廻転生,死後神格化、その他***≫とあります。

 うーん、フレディ・マーキュリーの人生と重なる部分が多いではありませんか・・・(続く:その1) (続く:その2)
***「M氏コレクションによるJ.J.グランヴィル展」解説より

PageTop

M氏コレクション

     グランヴィル15j 
 2018年11月17日~2019年3月3日まで兵庫県立美術館でやっていたのが、「M氏コレクションによる J.J.グランヴィル」展でした。
粗忽者のカ・リ・リ・ロは、M氏とあるのを、勝手にK氏と勘違い、つまり鹿島茂氏コレクションと思いこんでいました。それなら、一時期、鹿島茂コレクション「グランヴィルー19世紀フランス幻想版画ー」(求龍社)で見た気になっていましたから。

 ところが、会期も終わりに近い頃、メールをくださった方が居て、「『M氏コレクションによる J.J.グランヴィル』展で、無料で配布している図録がいいものなので、一部進呈する」とのこと。え?K氏じゃない、M氏?

 で、ギリギリで 行ってきました。小さな展示でしたが、面白いものでした。ほとんどの風刺画もさることながら、擬人化された花の絵も綺麗なものでした。

 この花の絵を見て思い出すのは、エルンスト・クライドルフ➡➡。スイスのクライドルフとフランスのグランヴィアでは、素朴な擬人化とおすましの擬人化の違いがあります。それに、アルプスの自然を愛し描いたクライドルフと、風刺精神をもって描いた花たちとの違いもあります。
 ただ、グランヴィルの風刺画は、昆虫や動物の姿を借りた風刺画でしたから、特に、クライドルフの花と昆虫たちにも通じるものがあります。

 また、イギリスのウォルター・クレインの描いた「シェイクスピアの花園」(マール社)➡➡も、美しい花の擬人化でした。美しく描くことに力を注いでいるクレインの花たちには、風刺的精神は少ないように思います。それに、こちらは、シェイクスピアの話からイメージを膨らませた画ですから、グランヴィルの花の画の成り立ちと違うのです。グランヴィルの花の絵は、のちに絵からイメージを膨らませた文章となり、「花の幻想」という本になりました。

 もちろん、グランヴィアが クライドルフやクレインの先達ですから、同じヨーロッパに生きた二人は、その影響を受けたに違いありません。(続く)
 
*J.J.グランヴィル(1803~1847)  「花の幻想」(J.J.グランヴィル画 タクシル・ドロール著 谷川かおる訳 八坂書房)
*ウォルター・クレイン(1845~1915)  「シェイクスピアの花園」((ウォルター・クレイン画 マール社)『Flowers from Shakespeare's Garden』(1906)
*エルンスト・クライドルフ(1863~1956)
「花のメルヘン」(エルンスト・クライドルフ作 佐々木田鶴子訳 ほるぷ)
「アルプスの花物語」「花を棲みかに」(エルンスト・クライドルフ作 矢川澄子訳 童話屋)

     グランヴィル2j

PageTop

つきねこ

つきねこ11
フランスのペール・カストールシリーズ➡➡は、日本でも何冊か翻訳されています。フョードル・ロジャンコフスキー『のうさぎのフルー』『りすのパナシ』『くまのブウル』『かものプルッフ』➡➡『かわせみのマルタン』他(福音館)➡➡や、ゲルダ・ミュラーの➡➡  ⇒⇒『ゆきのひのおくりもの』『さるとつばめのやおやさん』『マルラゲットとオオカミ』(パロル舎)なども、そうです。

 動物たちが活躍するこのシリーズで、猫の絵本は、パロル舎から出ていた「つきねこ」(アルベルティ―ヌ・ドゥルタイユ作・絵)です。今は、徳間書房から「こねことおつきさま」というタイトルで、出版され、訳は、同じ訳者(ふしみみさを)ながら、改訂されています。

 月と戯れる、子ネコが、生き生きと描かれています。どっしり構えているポーズの猫の絵が多い中、この子ネコは、自由自在に跳ね回っています。写真上左、≪あたまをしたにして、かべをおりるんだ。ツタをつたってね。せかいが さかさまに みえるよ。≫右≪さあ、芽キャベツばたけを つっきるよ!≫写真下左≪こんどは、やねに ジャンプ!≫右≪なんでも ぼくの まねを するんだね。まねっこあそびを しているの?≫(徳間書房「こねことおつきさま」)

 家も友達もいなかったこの自由な のらねこは、ミルクを見つけて、ぺろぺろ・・・ミルク壺をガッチャーン!・・・子どもたちに見つかって・・・

PageTop

泉涌寺

      泉涌寺1
 東福寺の冬の特別公開見学➡➡は、さほど時間もかからなかったので、もう一箇所見に行こうと、行ったのが、東福寺の近くの泉涌寺。(と、いっても結構な距離でした。)
 泉涌寺は「御寺」とされる皇室の菩提寺。初めて行ったのですが、全体は大きな敷地面積。多分、秋は綺麗だろうと思われる場所でした。
 テレビで「いだてん」という番組をやっているのを知りませんでしたが、その関連ではなく、在位記念ということで、非公開の舎利殿および韋駄天立像の特別公開(~2019年3月17日)でした。
韋駄天3j
 仏舎利を守る「韋駄天」は、正面でなく、脇を警護していました。この御寺では「韋駄天」と言わず、「韋駄尊天(いどそんてん)」というらしく、国家鎮護の守護神です。ここでのお姿は、小さいものでしたが、男前で、少し、衣装の彩色も残る、凛々しいお姿でした。走るのが早く、頼れる存在というイメージが、精悍なイケメンに結びつくのは、今も昔も変わりないのでしょう。それが証拠に、このお寺の記念品としてもらった紙の散華(仏を供養するために散らす花)に描かれた韋駄天と(上の写真)、先日の轉法輪寺の涅槃図絵➡➡も(下の写真)、やっぱり、男前ですね。
*散華の図柄は、舎利殿裏堂の韋駄天図から作られています。
韋駄天1j
 さて、泉涌寺本殿でも、涅槃図の一部を見ることができました。日本一大きいと言われる大涅槃図でした。大きすぎて、天井に折り返し、下の動物のところは、仏具の向こうに敷かれていて、全然見えないのが残念。ただ、特別の日は、全貌を見ることができるそうです。

 今回、冬の特別公開で、涅槃図を二枚見ましたが、これは2月15日が涅槃会(ねはんえ*釈迦入滅の日)といって仏教行事の一つで、それに合わせてみることができたともいえます。以前見た本法寺の涅槃図➡➡も、興味深かったし、今回も楽しめたので、これからも、他の涅槃図も見てみたいものだと思っています。ナラティブピクチャーには、洋の東西を問わず興味があります。
泉涌寺2

PageTop

東福寺 光明宝殿

東福寺2
 京都 冬の特別公開(~2019年3月18日)の最後に行ったのは、3月しか公開していなかった東福寺 光明宝殿でした。
 鎌倉前期に創建された東福寺は、奈良の東大寺と興福寺を合わせたような大寺にしたいとの願いから名付けられた京都随一の禅宗の巨刹で、禅寺と密教と兼ねたような歴史を持つので、他の禅宗寺院より多くの仏像があるとされています。(*参考:「東福寺のみほとけ」という案内紙)

 ということで、いつもは、お庭や紅葉や他の塔頭の花を見に行く東福寺の大きな阿弥陀如来坐像や金剛力士立像を見てきました。
 仏像たちは、明るい天井の高い一室に集められているので、真近で見る(拝む)ことができました。遠くだと、しっかり見えていない二天王立像(室町時代)の足の下の邪鬼。足の指が3本で、手の指は4本なの、知ってた?

 寺伝で運慶作と言われる金剛力士立像(鎌倉時代)も鎌倉時代らしく、伝運慶らしく、力強いもの。筋骨隆々、写実的で生き生きとしていました。
 そして、何より平安時代の大きな阿弥陀如来坐像の美しい事、有難い事。

 また、別室には、応挙の傘にお馴染みの子犬の掛け軸、四季を描いた金箔障壁画など、少々傷みは来ていますが、とにかく、まじかで見ることができるのは、嬉しいものでした。(続く)

☆写真下、東福寺塔頭に咲いていた八重の椿。薔薇じゃない!東福寺

PageTop

花が咲いたよ!といいたい

 花7
このブログも、早、8年目。毎年、この時期は、花だよりをしなければ、落ち着かない。
 すでに書いている他の情報が後回しになったとしても、やっぱり、花が咲いたよ!といいたい・・・
 上の写真のサクラソウは、可愛くて、クリスマスじゃないけど、クリスマスローズも元気。
花6
楽しみの多いサクランボの花。この花の次は、アーモンド、その次は、いよいよソメイヨシノが咲く(はず)。
花1
ビタミンカラーの黄梅と菜の花。
      花3
花8
ユキヤナギは、白もピンクも可愛い。
花4
花5
馬酔木の花は可憐でしょ。
花2
ハクモクレンは、何故か、落ち着いています。
花9
ほんの一時間足らず、ぐるっと回るだけで、こんなにたくさんの、いえ、もっとたくさんの花が咲いていましたよ! 

PageTop

マンフレッド 

アルプス13j
(承前)
岩波文庫 春の復刊(2019年2月)は、まだ他に、戯曲だけでも4冊購入。

バイロン「マンフレッド」(小川和夫訳)も、電車用の薄い戯曲の文庫本です。(Manfed 1817)
シューマンやチャイコフスキー他が、劇のための楽曲にしたり、交響曲などにしています。
恥ずかしながら、クラシック音楽側からのアプローチではなく、この話の舞台が、スイス アルプス だったから手に取ったとも言えます。

マンフレッドは人間でありながら、万能の力を持つ持つものの、忘れたい過去があり、その忘却を可能にしたいがために精霊たちを呼びます。が、手に入れること(獲得)は可能なのに、自己忘却は出来ず、死という喪失に向かっていくという大筋です。

バイロンが、スイス・アルプスを舞台に設定し具体的な地名も書かれています。解説によると、スイスのジュネヴァ湖(レマン湖)に数か月滞在、その後、アルプスを越えイタリアに。「マンフレッド」の最初2幕は、このスイス時代に書かれたとされています。

モンブランj
≪第二の精霊の声:モン・ブランは山の王様。はるか昔に岩の玉座で、雲の衣装を身にまとって、雪の冠をいただいた。腰のめぐりに森の帯しめ、手には雪崩を抱いている。あたりどよめくその雪球もおいらの指図がなければおちない。氷河の冷たい塊は、休まず日毎に前へと進むが、立ち往生するのも、おいら次第だ。それがしこそはこの地の精、山にお辞儀をさせるのも、洞ある山麓(もと)まで揺ってやるのも、朝飯前だが―――そのおいらに何の用かね?≫
滝j

第二幕第一場では、「ベルン・アルプス山中の小屋」とあり、第二場では「アルプス山中の低い谷間――飛瀑かかる。」とあり、第三場では「ユングフラウの山の頂上。」とあり、この辺りの伝説の人であるウィリアム・テル➡➡の名前も出てきます。
ユングフラウ12j
テル12j

また、第三幕第三場は「山々のそびえ立つところ―――少し距ったところにマンフレッドの居城がある。」としていて、家来のマニュエルが「城内で不思議なものを見た」とし、話し出します。
≪そうそう、あれは夜のことでね。忘れもしない、ちょうど今時分と同じ、黄昏どき、今日そっくりの夕暮れで、―――いまアイガーの山頂にかかっているあの赤い雲が、ちょうどそのときもかかっていて、瓜二つ、あの雲かと思われるくらいだ。重苦しい突風が吹いていて、月がのぼるにつれ山の雪はきらきらと輝きだした。・・・・≫
アイガー95j

と、まあ、スイス観光の一助になりましたか?(続く)

☆写真は、上から、スイス ルチェルン ピラトゥスクルムから、アルプスを望む。下に写る湖はルンゲラー湖 右端には、右からユングフラウ、アイガー、メンヒが写っています。このズームの写真は2016年9月10日の一番下写真➡➡ 
二番目は、レマン湖から見たモンブラン、三番目は、ユングフラウなどのふもとの谷間、ラウターブルンネン、四番目は、ユングフラウ頂上に月、五番目は、ルチェルン湖のウィリアム・テル礼拝堂、六番目はクライネシャイデックから見た霧に煙るアイガー

PageTop

嘘から出た誠

マナーハウスj
 (承前)
 岩波文庫 春の復刊(2019年2月)、次は、ワイルドの「嘘から出た誠」(岸本一郎訳 岩波文庫)です。(The Importance of Being Earnest 1895)
 薄っぺらい文庫本で、戯曲です。シェイクスピアの「間違いの喜劇」に、様子が似ているドタバタ劇です。(実際には、ドタバタして埃っぽいというわけではありません。)

 ま、イギリス世紀末の時代設定とはいえ、そんな「末」という空気は微塵もなく、「嘘」の付き合いが話の骨でもあるので、全体に「明るく」あっけらかんとしています。

 訳者が昭和廿七年に、この「はしがき」として残した文章から、内容を推測できるでしょうか?
≪この西洋仁和賀(ファース*)は、アーネスト(Ernest-人名)とアーネスト(earnestー眞誠な:まじめな)の同音異語の地口を趣向として仕組んだ、江戸小噺・落語もどきの狂言ゆえ、この洒落の可笑味が狙い所・藝題も頗る穿ったものにて、これを邦譯することは、難中の難。飜案なれば主人公の名を「誠」とか「正直(まさなお)」とかに變え、狂言名題も「盟傎誠大切(かみかけてまことたいせつ)」とすえ、原意を生かす手もあるものの、何分に飜譯の筆のまわりかねたる不手際は、右の地口に御留意の上判讀されんことを請う。≫*ファース:farce:笑劇*

・・・・というか、復刊してもらうのはいいけど、読めない字が多すぎるのは、ちと情けない。眼もしょぼついていて、難しい旧漢字が、よく見えないし・・・ああ、これぞ、まさしく現代仁和賀。嘘ではない誠。(続く)
☆写真は、英国 バスコットパーク➡➡

PageTop

もろもろの花は地にあらはれ 

  クロッカス11j

岩波文庫 春の復刊(2019年2月)には、面白いものが多くて、たくさん購入しました。電車用の薄いものから、上下巻のもの、ノンフィクション・・・

さて、その中に「自然美と其驚異」(ジョン・ラバック著 板倉勝忠訳)(The Beauties of Nature and the Wonders of the World We Live in 1892)という1冊がありました。
カ・リ・リ・ロにしたら、珍しく手にした、ノンフィクションの文庫ですが、タイトルに惹かれ、読みだすと、これが、結構、読み進める。

というのも、自然科学書とも言えるのですが、詩の引用もしながら、庭の良さを提唱し、花に詳しく、虫や動物に話を進めていきます。

まず、第一章序論のその最初から惹き込まれました。
≪吾等の棲息する世界は燦爛たる神仙境(フェアリーランド)であり、吾等の「存在」はそれ自身一の奇蹟であるにも拘はらず、身邊を繞る幾多の美しい乃至不可思議な現象を能く樂しむ人は稀である。況して、充分にそれを味はひつくすものは絶えてない。偉大な旅行家に長壽をかして見ても足跡の及ぶところは地上の眇乎たる一小部分に過ぎない。それも僅か眼前の一小部分に止まる。人間の眼に入るところも何と貧しいものではないか。由來眼の向くところは多くは心の欲するところで、天(そら)を仰ぐのは、先づ雨を氣にするやうな時だけだ。同じ田野でも、農夫なら収穫、地質學者なら化石、植物學者なら花卉、畫家なら色彩、遊獵家なら鳥獣の隱れがといふ風に、各々着眼點を異にする。胴一物を眺めたとて、必ず誰の眼にもそれが同じに見えるとは限らない。
シャトーブリアンも「自然の美しさは見る人の心境にある」と言つた。≫

とまあ、読めない漢字も多い中、ワーズワス、シェリー、ラスキン、などなどの詩が引用されていきます。

そして、春は普く人の心を浮き立たせる。とし、ソロモンの雅歌
≪視よ。冬すでに過ぎ雨もやみて はやさりぬ。もろもろの花は地にあらはれ 鳥のさへづる時すでに至り ・・・・・≫
(後半部続く。のですが、ちょっと寄り道して続けます。)
☆写真は、英国 ハンプトンコート

PageTop

ねこのラルフ

ラルフj
 「あくたれラルフ」(ジャック・ガントス 二コール・ルーベル 石井桃子訳 福音館 童話館)のラルフが、猫だということを忘れそうです。
 ま、猫じゃなく,きかん坊過ぎる、小さな子どもとも言えます。
この絵本が福音館から翻訳出版されたとき(1982年)、訳者石井桃子となっていて、ちょっと驚いたものです。
 石井桃子が、それまで訳してきたものと、絵やお話の雰囲気が、ずいぶんと違ったからでした。実際「あくたれラルフ」という、過激なタイトル。
 が、中を読んでみると、いたずらすぎる猫のラルフも、愛おしい存在です。

 この「あくたれラルフ」の後、ずいぶん、時を経て、訳者は、いしいももこからこみやゆうに変わり、出版社もPHPに変わってはいますが、、お馴染みのあくたれラルフと あくたれでもラルフを好きなセイラの登場する絵本は「あくたれラルフのたんじょうび」「あくたれラルフのクリスマス」「あくたれラルフのハロウィン」と続きます。

 どの絵本でも、生き生きとした動きを通り越した、ラルフの悪たれぶり。最後ではセイラに甘えたり、納得の表情だったり。
 子どもはこんなもんでしょ。という向きもあるかもしれませんが、ちょっとやりすぎというのもあるなぁ・・・・

「あくたれラルフのたんじょうび」「あくたれラルフのクリスマス」「あくたれラルフのハロウィン」(ジャック・ガントス 二コール・ルーベル こみやゆう訳 PHP研究所)

PageTop

高級魚

イカナゴ1j
 年々、不漁が伝えられ、イカナゴ漁の解禁日も遅れ、1キロ当たりの価格も、ウッソー!という価格。
 日曜は漁がなく、雨の日も入荷せず、しかも、新鮮なうちに炊かなければならないので、時間も確保して・・・・

 で、結局、明石の魚の棚に行ってきました。すでに並んでいて、届くかどうかわからないとお店の話があるものの、待つこと30分。
朝二番目の軽トラックに積まれて、きました、きました。
 で、大枚を支払い購入したものの、すでに、さほど、残っていませんでした。

 さあ、今後いつまで、イカナゴのくぎ煮を作ることができるんだろう。
(これを書いているとき、大阪湾の漁は3日で打ち切られたというNEWS)

☆写真上は、さすが、取れたて、透明感があるでしょう。

     イカナゴ2j

PageTop

グリーンブック

シャフハウゼンj
 夫は、まだ働きに出ているものの、かつてと、比べられないほど、早く帰って来ます。宴会やゴルフも減り、夫婦で過ごす時間が、増えました。ただ、年経て趣味趣向の違う二人が、共通で楽しめるのは、そう多くありません。

 ここ何年か続けて行っているスイスの話は、まだしも。せいぜい、近所にある音響のいいカフェで時々、片や、オーディオ自体に耳を澄まし、片や、好みの楽曲を聴きながら本を読む・・・本の興味も全く違う…
あるいは、60歳以上は一人1100円、つまり映画に出かける。一人は、話題作や、笑い飛ばす映画、一人は、単館上映のような地味で、すぐ終わってしまうような ちょっといい映画(後味の悪くないもの希望)・・・とこれまた、大きく好みは異なるものの、ま、そこは、歩み寄って一緒に行きましょう。

 というわけで、アカデミー賞作品賞の「グリーンブック」を見に行きました。
 女王やお城の裏で起こっている話ならイギリス映画、人種差別問題を含む人情ものならアメリカ映画、といったステレオタイプの作品だとしても、天才ピアニストのインテリ黒人役も、軽率だけど大事なものは見失わないイタリア系アメリカ人役の白人も、それぞれ熱演でした。
 ピアノ演奏シーンも楽しく、ドライブシーンも楽しく、二人のやり取りも滑稽・・・が、黒人専用の「グリーンブック」という旅行案内があったこと自体、知らなかったし、当時の酷い差別待遇も、目に見える形で示されると、改めて、アメリカの抱える大きくて、深い問題を考えることにもなります。
 確か、昔見た「ドライビング Miss デイジー」と同じような流れです。黒人と白人の友情物語。とはいえ、白人と言っても、デイジーはユダヤ系だし、「グリーンブック」の運転手トニーは、イタリア系。

 さて、この「グリーンブック」は、人種というもののアイデンティーを含んだ 白人目線の友情物語とはいえ、家族というもの、人の支えになる人の心ということも、示していました。
 だから、家族に囲まれたクリスマスパーティのシーン、そこに、現れた人物。笑みをたたえた人物。抱擁を交わす人物。いい感じで終わる映画でした。 
☆写真は、スイス シャフハウゼン 三賢人の一人の黒人青年? が、盾持ってるし、中世風だし、この地方にまつわる人?

PageTop

裸形阿弥陀如来立像

   阿弥陀j
(承前)
 京都 轉法輪寺には、もう一体、興味深い阿弥陀様。子どもの姿で天智天皇出生にまつわるエピソード(説話)のある仏様です。
 裸形阿弥陀如来立像で、裸のお姿、今は現代の布を腰に巻いています。
 
 安産や子どもの健康安全を願ってお参りするすれば、力を与えてくださるとのことで、結局、いくつになっても我が子の健康を祈って、手を合わせたのでした。

 ここの境内には、歳経て、苔むした梅が今を盛りと咲いていました。我が家の近くの公園の梅と、全然違う。
 ともかくも、京都には、まだまだ拝観させてもらいたい寺社仏閣があり、美味しいものがあり、花が咲き、葉が色づき、きりがない・・・

阿弥陀2j

PageTop

涅槃図絵

涅槃図jj
(承前)
轉法輪寺の特別公開は、写真撮影がOKという、珍しいものでした。
涅槃図は、7メートル以上もある大きなもので、観覧者も居る中、上から下まで写すことは少々難しいものの、近くで細かいところまで鑑賞・撮影できました。

 以前、本法寺の特別公開の時に見た大涅槃図➡➡よりは、小さいのですが(縦5メートル30センチ 横4メートル90センチ)、それでも、本堂の天井近くから床まででは足りず、最下部は、床に載せられたような状態。また、修復されたようで、状態もよく、金色に輝いていました。

 ここの涅槃図は、描かれている人の名前がわかるようになっているのが、より、涅槃図の物語をリアリティのあるものにしています。

 例えば、上記写真は、その涅槃図の上半分ですが、下の方は、動物や鳥など、いろんなものや人が描かれています。そこに描かれた、怖い顔をした猫。みんなのようにお釈迦様を見ていないのが、わかりますか?
涅槃図2j
これは、涅槃図右上方の雲に乗ってきた、お釈迦さまのお母さんの摩耶夫人が(釈迦を生んで7日目にこの世を去った)、釈迦の死が近いことを知り、薬を持ってきたものの、急いで、釈迦のもとに投げたら、薬は沙羅の木の上にひっかかってしまいます。(右から7本目の木:沙羅の木は全部で8本。釈迦が死ぬと4本は枯れます。四枯四栄)そこで、木登りを許されていたのが、唯一ネズミだったものの、そうはさせじと、睨んでいるのが猫。ちなみに猫の前に描かれ、鹿の前 牛の後ろに居る 甲羅のついている奇妙な動物は、犀(さい)なのだそうです。犀をみたこともなかったものの、角があり、身体が甲羅のように固いという話から、想像して描かれたもののようです。(続く)


涅槃猫j

PageTop

大仏さん

 大仏さん3j
「京の冬の旅」特別公開は、まだやってます。(~2019年3月18日)
仁和寺 近くの轉法輪寺に行きました。
京都では、あまり見ない鐘楼門をくぐります。4トンという大きな梵鐘がつられていて、真下から見ると、なかなかの迫力。
    大仏1j
 さて、京都に大仏さんがあるの、知ってた?奈良の大仏さんには遠く及ばないけれど、7.5メートルもある座像の大仏さんです。(大佛本尊阿弥陀如来)

 案内には、「本尊様の前でゆっくりとお参りいただき、様々な思いを伝えてください。大きな仏様ですので必ずその思いを聞いてくださるでしょう。」とありました。(続く)

大仏2j

PageTop

節句人形

ひな人形3 (2)j
阪神間には、たくさんの酒蔵があって、いくつかは、小さな博物館や美術館を併設しています。
その一つ、西宮の白鹿記念酒造博物館の企画展「節句の人形」(~2019年3月10日)に行きました。展示品は、ほとんどが明治以降のもので、谷崎潤一郎の「細雪」「蓼喰う虫」に名前が登場するらしい人形司の所蔵のものでした。
 いわゆるお雛人形ではありますが、今年は、御大礼をテーマにした人形たちやその設え、五節舞(ごせちのまい)など、宮中の式楽に基づいた展示となっていました。

 上の写真には、五人囃子も右大臣左大臣も、3人の仕丁(しちょう)の泣き上戸、怒り上戸、笑い上戸もいません。男性と思しき人は、お内裏様の男雛だけ。
 しかも、一番下段は、4人の女胡蝶舞。その着物の後には、蝶の羽がつけられています。
ひな人形2 (2)j

PageTop

湖水地方のネコたち(補)

グロースター12
(承前)
 英国 湖水地方から遠く離れたグロースターにも、忘れられない猫がいます。他のネコのように主役級ではありませんが、このネコの登場が、話に膨らみを持たせています。➡➡
『グロースターの仕たて屋』(ビアトリクス・ポター作絵・石井桃子訳 福音館)

昔、グロースターの町に貧しい仕たて屋が住んでいました。もうすぐクリスマスという日、市長さんから上着とチョッキの注文がはいります。➡➡

仕事に疲れ切った仕立て屋は、家の切り盛りをする飼い猫のシンプキンに、買い物を頼みます。
≪シンプシキン、わしらにも 金がはいるかもしれん。だが、わしは もうくたくただ。この4ペンス銀貨を もっていけ。(わしらのさいごの4ペンスだ)それから、ミルクいれも もっていけ。そして、パンを1ペンスに、ミルクを1ペンス、ソーセージを1ペンス、かうのだぞ。そうだ、それから シンプキンよ、さいごの1ペンスで べにいろのあな糸をかってこい。その1ペンスをなくすなよ。さもないと わしはおしまいだ。くたくたにつかれて、あな糸をかう金は、もうないのだから。≫
ボタン穴をかがる、あな糸が少し足りなかったのです。

 ところが、雪の中、買い物から帰ってきたシンプキンは、ネズミを食べられなかった腹いせに あな糸を仕立て屋に渡しませんでした。そして、そのあと、3日のあいだ、仕立て屋は熱を出し病気になり、眠ってしまいます。
 さて、仕立て屋の代わりに、市長の服を仕上げたのは?
 出来上がった服のボタン・ホールのかがり目は、細かくてーまるで、小さなねずみが刺したように見えたようです。

グロースター2j

 この結末には、悔い改めた猫のシンプキンの存在があります。この悔い改めたシンプキンは、ポターの絵にも描かれていますし、文章にも。
≪仕立て屋が ベッドから出て、ふくをきた。外には、日がかがやいていた。仕立て屋が、おもてに出ると、シンプキンは 先にたって、はしっていった。≫
☆写真は、英国 グロースター。 グロースターの仕立て屋の舞台になったお店の2階に展示してあるグロースターの仕立て屋とネズミが仕上げたチョッキ(の、レプリカ)。

PageTop