(承前)
さて、子ネコのトムの親族➡➡ではありませんが、ピーターとその仲間のネコには、『ジンジャーとピクルズやのおはなし』(ビアトリクス・ポター作絵・石井桃子訳 福音館)の黄色い雄猫のジンジャーが居ます。
猟犬のピクルズと一緒に、村で雑貨屋をやっています。田舎のこの店は、動物たちに人気があるものの、「掛け売り」なので、ちっとも、儲かりません。ちなみに、トムのお母さんタビタおくさんも村で雑貨屋をやっていて、こちらは掛け売りをしていませんでした。(やっぱり、しっかりしてる!)
お客には、うさぎたちがいますが、猟犬のテリア種のピクルズを、ちょっとばかり怖がっています。また、家ネズミたちもきますが、ネコのジンジャーを怖がっていました。が、丁寧な応対と「掛け売り」に、何度も客は足を運ぶのでした。
ところが、現金箱にはお金がないものですから、ジンジャーもピクルズも、お店にあるものを食べる日々。・・・で、犬の鑑札を受けるお金もなく、呼び出しがかかることを不安に思い、お客たちに請求書を書きますが…
その請求先で、回収が一番困難そうで、怪しい行動をとっていたのが、誰あろう?あの『ひげのサムエルのおはなし』(ビアトリクス・ポター作絵・石井桃子訳 福音館)のネズミのサムエルと奥さんのアナ・マライア。
・・・ということで、ジンジャーとピクルズは店を閉めてしますが、ここでも、しっかり者の、タビタおくさん。したたかな猫のお母さん。
≪ジンジャーとピクルズが みせじまいをしたために、ほかのものたちは たいへん ふべんな おもいを することに なりました。タビタおくさんは すぐ みせにあるしなものを ぜんぶ 10えんずつ ねあげしました。そして、あいかわらず、かけうりは、いっさいおことわりです。≫
☆写真は、英国 湖水地方ではなく、グロースター。 グロースターの仕立て屋の舞台になったお店のウィンドー(続く)
(承前)
トムのおばさんのリビーさんは、『パイがふたつあったおはなし』(ビアトリクス・ポター作絵・石井桃子訳 福音館)で、犬のダッチェスをお茶会にご招待。
リビーはお茶会のためにパイを焼きます。
ネズミとベーコンのパイ、パイの焼き型、そして、カササギせんせい・・・その絡みが可笑しい。大人の儀礼社会への皮肉。
「ばきゃたれ、うすのろ!は!は!は!」と繰り返すカササギせんせいの台詞は、時として、今も、警鐘音として我が耳に響きます。
この「ばきゃたれ」一つの言葉をとっても、「なに ばきゃ?」「たれ?」から、「ばきゃたれ?」となり、「ばきゃたれ、うすのろ!」、「ばきゃたれ、は!は!」となっていき、微妙に語尾を変化させ、ばきゃ(馬鹿)が確信になっていきます。細かいけど、そこを楽しむのも、ポター作品の楽しみ方の一つであり、石井桃子訳の楽しみ方でもあります。
トムの一族ではなさそうですが、ピーターとその仲間には、まだ他のネコたちも出てきます。(続く)
☆写真は、英国 ピーターたちの舞台。湖水地方。『パイがふたつあったおはなし』の犬のダッチェスさんの家のモデルとなったバックル・イースト邸(撮影:&CO.I)

ポターの描くピーターラビットとその仲間にも、ネコさんたちはいます。
まず、こねこのトム。
『こねこのトムのおはなし』(ビアトリクス・ポター作絵・石井桃子訳 福音館)では、お母さんがお友達を招いてお茶会のその日、トムと妹たちはおめかしするのですが・・・子どもたちあるあるのような話。窮屈な服装が、いかに子どもたちにマッチしないかということですね。
また、こねこのトムは『ひげのサムエルのおはなし』(ビアトリクス・ポター作絵・石井桃子訳 福音館)にも登場。
ネズミたちに捕まってしまい、猫巻ダンゴにされ、危機一髪!
ネコなのに、愚かな子ネコゆえに、ネズミに捕まってしまうというアイロニー。
このねこまきだんごという驚きの発想。・・・・可笑しい、こわーい。
さて、ねこまきだんご状態のトムが助かった後の、トムのお母さん、タビタ奥さんのしたたかさ。
≪タビタおくさんは、ねり粉を トムのからだからはがして、すすが目立たないように、ほしぶどうを入れて、ゆでだんごにし・・・・≫
それから、トムには、ミトンとモペットという妹がいます。
そのモペットちゃんは『モペットちゃんのおはなし』(ビアトリクス・ポター作絵・石井桃子訳 福音館)に登場し、ネズミに翻弄される、ちょっと情けない子猫のお話ですが、いつまでたっても、ネズミを怖がったトムに比べ、モペットちゃんとミトンは、≪大きくなると、たいへん ねずみとりが じょうずになりました。ふたりは 村へ ねずみとりに出かけて、ほうぼうから ちゅうもんをうけました。とったねずみは、1ダースいくらで、おかねをはらってもらいましたから、あんらくにくらすことができました。≫
そして、トムたちのお母さんタビタおくさんの、いとこはリビーおばさん。
『ひげのサムエルのおはなし』では、タビタおくさんと一緒に、いなくなったこねこのトムを探していました。(続く)
☆写真は、英国 湖水地方(撮影:&Co..I)
(承前)
映画「女王陛下のお気に入り」を観ようか、「ヴィクトリア女王 最期の秘密」(原題:Victoria & Abdul)を観ようか、迷ったのですが、アカデミー賞の後なら、「女王陛下のお気に入り」の入場者が増えるかもと思ったので、「ヴィクトリア女王 最期の秘密」を後回しにしました。が、昨日、書いたように「女王陛下のお気に入り」は、➡➡、後味の悪さが残ったので、「ヴィクトリア女王 最期の秘密」に、さっさと行きたくなりました。
カ・リ・リ・ロにとって、映画は、楽しみとしての映画・・・・それは、内容だけでなく、映し出される風景であり、バックに流れる音楽であり・・・と、書いていたら、思い出したのが、「ヴィクトリア女王 最期の秘密」主演女優ジュディ・デンチが出ていた「ラヴェンダーの咲く庭で」(Ladies in Lavender)。➡➡風景も、音楽も、心情も、女優さんたちも、いい映画だったなぁ・・・
それから、ずいぶん前に見た、壮年のジュディ・デンチ⇒⇒が同じくヴィクトリア女王を演じた「クイーン・ヴィクトリア 至上の恋」。
これは、アルバート公を失って、孤独だったヴィクトリア女王とスコットランド人の使用人ジョン・ブラウンとの話で、原題は、「Mrs. Brown」という愛の物語でした。およそ実話に基づいた映画だったようです。
映画で、この男性は素敵でしたが、実物のジョン・ブラウンの肖像画を見ると、これまた、渋くて、なかなか素敵。この肖像画は、ヴィクトリア女王が描かせたとか・・・
さて、今上映されているのは、老境のヴィクトリア女王の映画、主演のジュディ・デンチも相応のお歳。「最期の秘密」というタイトルは、「最後の」ではなく、本当に最期。
さてさて、今度は、若くてハンサムなインドの男性との交流。うーん、さすが、大英帝国のヴィクトリア女王。
と、いうことで、やっぱり、「ヴィクトリア女王 最期の秘密」に、行きました。(続く)
☆写真は、英国 オックスフォード イフリーロック
話題の映画「女王陛下のお気に入り」(The Favourite )を見に行きました。
イギリスの風景、イギリスのお城やお庭(実際は、ハットフィールドハウスというマナーハウス)が映るとあっては、見なくちゃね・・・
カメラの使い方が斬新で、広角であったり、魚眼であったり、観客の目を引き付けます。と、同時に、音楽や効果音。目と耳でその臨場感を味わうようになっていました。また、部屋の設えも、造りも、豪華な衣装も、見るも楽しい。
話は、アン女王と王室の動き、そして、女の闘い。実在の人物に基づき、実際の歴史の流れに基づくものの、皮肉なフィクション仕立て。妙に可笑しい場面あり、シリアスすぎる場面ありで、脚本は、シェイクスピアにも通じる人間悲喜劇といったところでしょうか。
また、3人の女優さんたちは、迫真の演技で競い合っています。映画としての評価が高いのもうなずけます。
が、しかし、イギリスというキーワードに引かれて見に行ったものの、今後、もし、テレビで放映されても、もう、見ないかなぁ。 この年寄りは、前向きで明るい結末、あるいは、何か「力」がわいてくるような映画だけに行こうと思います。後味の悪いのは、見ないようにします。
が、イギリス、女王・・・というキーワードの映画が、偶然にも、他にも上映されている・・・(続く)
☆写真は、英国 ハンプトンコート
もう1冊バーナディン・クックのねこ(と、犬)の絵本。
「ショーティーとねこ」(小笠原まき絵 小風さち訳 福音館)は、ショーティーという茶色い足の短い犬と仲良しの緑の大きな目の真っ白い髭と長いしっぽを持つ猫の話です。…猫の名前は書いていません。原題もShorty and That Cat です。
ショーティーと猫の二匹は、いつもは仲良く遊ぶのに、ある日、箱の中に猫が、入ったきり。
ショーティーが箱をのぞこうとすると、猫はうなって追い返す始末。
あるとき、猫の居ない隙を見て、ショーティ―が箱の中をのぞくと・・・7匹の真っ黒い子猫!!
この絵本は、絵の端々に、日本の匂いがします。というのも、墨絵のようなタッチで、表現しているからでしょうか。特に、上記写真の真っ黒な子猫たちの様子は、他のどのシーンよりも この表現の方法がぴったりだと思います。
油絵の黒を使っていたら、もっと「黒」が強調されていたかもしれません。
が、このページには、真っ黒な子猫のふわふわした毛の様子。身体を寄せ合っている様子が、優しく描かれています。細かい線を生かす墨絵ならではの技法だと思います。
寝息まで聞こえてきそうです。

「スージーをさがして」(バーナディン・クック文 まさきるりこ訳 降矢なな絵 福音館)
の作者は「いたずらこねこ」(バーナディン・クック文 レミイ・シャーリップ絵 まさきるりこ訳 福音館)➡➡の作者でもあって、きっと、クック自身が猫好きなのだろうと思います。
スージーというのは、ボビーやアニーの妹です。
ある夕飯どき、この小さな妹のスージーの姿が見えません。ボビーが探しに行き、次はアニーが探しに行きますが、みんな戻ってきません。ついには、おかあさんも探しに出かけます。
鳥小屋にもいない、リンゴ畑にもいない、牛小屋・・・牛小屋には牛が居て、やっぱりみんなの姿は見えませんが、牛小屋の上にのぼるはしごを上っていくと・・・・(上記の絵でスージーが手を振っている先には、お母さんが顔を出している絵が描かれています。)
そして、そこには、ちいちゃいネコの赤ちゃんが5匹もいたんですよ。
そういえば、(「たんじょうび」(ハンス・フィッシャー おおつかゆうぞう訳 福音館)で生まれた子猫たちも五匹でしたね。➡➡ 名前は、ぐりぐりとぐろっき、それにぱっちにみっちにぴっちでした。「こねこのぴっち」➡➡)
(承前)
ソプラノとリュートの小さなコンサートでは、演者が、簡単に楽器や、歌詞の説明をしてくれる場面もあり、興味が増しました。
リュートは、ペルシャ時代からその原型があり、石造りの建物で弾くヨーロッパでは、優しい音色(はかない、か弱い感じ)で、受け入れられ、東に伝わったら、「琵琶」となり、畳、障子の音の吸収しやすい日本では、結構大きな音の弦楽器となっていったようです。
するうち、リュートは、音域を増やすために弦が増え、上の写真にうつる、直角に曲がる部位も、今見る弦楽器のように、まっすぐになっていったようです。また、上記写真右のフェルメールの絵の女性が調弦しているように、ガットの調弦は、なかなか大変だったようで、弦が増え、今のようなナイロン製のガットでないなら、ますます大変だったとのこと。で、「リュート奏者が60年演じるなら、その40年は調弦している」というジョークまで、披露してくださいました。
そんな苦労の多い楽器も、優しい音がゆえに、大きな音の出る楽器や、たくさんの楽器の中では、存在感が薄れ、衰退していったようです。ですので、今回、音響のいい、小さなコンサートで、楽しめたのは、よかった。
☆写真上は、「フェルメールと音楽展」「(2013年:ロンドン・ナショナルギャラリー)➡➡のときの図録の上に、「リュートを調弦する女」(フェルメール)の絵葉書
☆写真下は、同じく「フェルメールと音楽展」図録”Two Men and a Young Woman Making Music on a Terace,about 1670-5"(Jan Steen画1626-1679)の一部


ソプラノとリュートの 小さなコンサートに行きました。生リュートの演奏は聞いたことがありませんでした。
バレンタインデーが近いということで、フランス、イギリス、イタリアの愛の歌を集めたものでした。
お昼を済ませたばかりのその時間、少々眠気を誘われるのは、ソプラノの優しい歌声と、その伴奏となる、優しいリュートの音色ならばこそ。
讃美歌や古謡、マザーグースなどは、どこかで聞いたことがある、親しみのあるメロディ。中でも、LochLomond(ローモンド湖)などは、「五番街のマリー」かと、思うくらい似たところがあることにびっくりしたものの、とってもいい歌。スコットランド地方の古謡は、どこか、懐かしい。
・・・と、英語の歌もさることながら、イタリア、フランスの歌も、素敵でした。
「恋人よバラを見に行こう」は、ロンサールの詩を歌ったもの。
改めて、ロンサールが古い時代の詩人だとわかります(1524~85)。というのも、リュートがルネサンス期からバロック期に活躍していた楽器だったからです。
ロマンチックな歌に、優しい音色のリュートの伴奏。
≪恋びとよ、見にゆかん、
花薔薇(はなそうび)、けさ紅(あけ)に、
陽に解きし その衣、
くれないの 重なりも、
きみに似し頬のいろも、
失せたりな、今宵いま。
・・・・・(後略)・・・・・≫「カッサンドルへのオード」(「ロンサール詩集」井上究一郎訳 岩波文庫)(続く)
「ねこどけい」(きしだえりこ作 やまわきゆりこ絵 福音館)と「せっけんつけてぶくぶくぷわー」(岸田衿子文 山脇百合子絵 福音館)のことちゃんは、同じ女の子。
けれども、出てくる猫は違うねこ。
「ねこどけい」のねこは、ねねこ。
「せっけんつけてぶくぶくぷわー」の二匹は、ねえこと にいこ。
ねねこは、鳩時計のハトが気になってしようがありません。鳩時計の屋根に飛び乗り、まどに入ろうとします。すると、鳩が出てこなくなって…というお話。
ねえことにいこは、ことちゃんと一緒に洗濯をします。
≪せっけんつけて もく もく もく ぷく ぷくぷわー よーく あらって ごしょ ごしょ ごしょ≫
すると、うさぎさんと りすくんと くまさんも、やってきて一緒にお洗濯。せっけんつけて、もくもくもく、よーくあらって ごしょごしょごしょ。せっけんつけて、きれいなみずでゆすいで、しぼって、のばして、干して・・・・・飛んで行って・・・・と、いうお話。
(承前)
続いて、恐怖の春夏篇「ゴールデン ボーイ」(スティーヴン・キング 浅倉久志訳 新潮文庫)➡➡の夏篇は「ゴールデンボーイ」。副題は「転落の夏」
これは、中編というより、長編です。
多分、二度とスティーヴン・キングの作品、特にホラーものは読むつもりはありませんが、この4つの作品(恐怖の春夏秋冬)の読ませる力には、納得。
スティーヴン・キングの作品の多くが映画化されたということから考えると、センセーショナルな内容というだけではなく、万人に絵がイメージしやすい作品であるのだと思います。少なくとも、恐怖の春夏秋冬のうち3つは、映画化されています。
この「ゴールデンボーイ」にしても、「オエッ!」となる場面が少なからずあるものの、人間の深いところを読み取っていくには、この手法もあるのだと思います。あくまでも、この手法は、好みじゃないとはいえ、核心に迫っていくスリルは、読む者をぐいぐい引っ張っていきます。久しぶりに、結末を先に読んでしまったのも、「これって、どうなるん?」と、落ち着かなかったからです。そして、その終わり方は、単純なようで、なかなかに複雑で、やっぱり、中盤からしっかり読んでいきました。
話は、少年、ナチスにつながる老人、何人かの大人たち・・・が、出てくるアメリカの話です。キーワードは、学業成績、銃、地下室…。
で、この後、スティーヴン・キングが影響を受け大ファンだという「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング 黒原敏行訳 ハヤカワepi文庫)を読みました。この本に至るには、別の角度からの、偶然のつながりもありました。(続く)
☆写真は スイス レマン湖の朝焼け
(承前)
2018年12月に書いて以来の続きです。「夏の庭」(湯本香樹実 新潮文庫)⇒⇒のあと、「スタンド・バイ・ミー」(スティーヴン・キング 山田順子訳 新潮文庫)⇒⇒ ➡➡を読み、その中の「マンハッタンの奇譚クラブ」➡➡から、ディケンズの「クリスマスキャロル」(脇明子訳 ジョン・リーチ絵 岩波少年文庫)➡➡につながっていったのですが、実は、恐怖の秋冬篇だった「スタンド・バイミー」の後、恐怖の春夏篇「ゴールデン ボーイ」(スティーヴン・キング 浅倉久志訳 新潮文庫)も読んでいました。さらに「蠅の王」にもつながり、さらに、「夏の庭」後、同じ作者の春夏秋冬のテーマの作品も読みました。
まず、「ゴールデンボーイ」の中に入っている春篇「刑務所のリタ・ヘイワース」。
これは、かつて見た映画「ショーシャンクの空に」の原作です。この映画は、よかった・・・読んでみて、原作がいいからだとわかったのですが、原作も映画化されたものも、それぞれに、面白い。
原題の「刑務所のリタ・ヘイワース」じゃ、映画のタイトルとして、ちょっと難しいだろうし、原作のままの助演者だと、ちょっと深みがたりないだろうと思うのです。原作は、ナレーター的役割なので、人種は、さほど問題がないものの、映画では、モーガン・フリーマンという黒人。渋い・・・
原作では主役が、小柄な堅物ー堅い業務に就く、クレバーで真面目臭いイメージ。それなのに何故 投獄?と読者に訴えているのですが、映画では、長身(195センチ!)のティム・ロビンス。
塀の外の 空の下、自由を満喫する姿は、長身の俳優がぴったり!
それで、「刑務所のリタ・ヘイワース」は、どんな話か?というと、刑務所の話で、リタ・ヘイワースという女優のポスターが出てきて、この原作の副題が「春は希望の泉」というものです。(続く)
☆写真は、上下とも、スイス レマン湖 シヨン城⇒⇒ ここに幽閉された宗教改革者のことを謳ったのが、バイロンの詩「シヨンの囚人」 
「アンガスとねこ」(マージョリー・フラック 瀬田貞二訳 福音館)
昨年の犬の絵本の時に、アンガスのシリーズを紹介しました。➡➡ ⇒⇒ ➡➡
今回は、猫が中心的役割の「アンガスとねこ」です。シリーズの中でも、この絵本に描かれているユーモアは秀逸で、絵本と言うものの「めくる」という機能を活用し、話に「落ち」をつけるかのように、話の次が知りたくなります。
≪・・・ひごとに、おとなになるにつれて、アンガスは いろんなことを おぼえました。 かえるが とべることや、≫・・・で、ページをめくると≪じぶんが とべないことも、≫と、池にはまって、ずぶ濡れのアンガス自身の絵。
≪ふうせんが≫と、風船をおいかける絵をめくると、≪われることも!≫と、割れてしまった風船に茫然自失のアンガスの絵。
それで、ねこに出会い、好奇心いっぱいで近づくものの、猫は冷たく、気をもませるだけ・・・で、猫を見失ったアンガスは、二階の窓からのぞいてみます。
≪・・・まどのそとをのぞいても、・・・≫と窓をのぞくアンガスの絵をめくると、≪うちのにわにも、となりのにわにもとーーーどこにも ねこのすがたはありませんでした。≫と、窓から見える周囲の風景。(その窓のすぐ横に、猫は居ます)
絵本は、アニメーションのように動きません。子どもたちは読んでもらい、「めくる」という動作で、頭の中で、お話が動き出すのです。