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みんなみすべくきたすべく

おむつは いや いや おむつは いやよ

        人形j
お口の達者な孫は、歌が好きで、ついに、保育所でも替え歌を先生に聞かせてあげるほど。
♪ぴよぴよしてた~ら~ ばあばに なっちゃった♪などは序の口で、
♪おむつは いーや いや おむつは いやよ♪(「小さい秋見つけた」の後半のメロディ 目かくし鬼さんのところ)
♪あーなたのおなまえは?♪♪ブドウです(自分の名前を言わず、ブドウやイチゴなどと答えます)♪あら、すてきなお名前ね♪
♪グーチョキ バアバ グーチョキ バアバ なに つくろ なに つくろ みぎては じいじ ひだりては ばあば ばあばー ばあばー♪

 末は、替え歌歌手かなぁなどと、話しております。

 また、絵本を読んでもらうのも好きで、絵本の非常に細かい絵にまで気が付くので、ばあばとしては、老眼鏡必須の絵本タイムです。
 読み方の間違いをよく指摘した、長男の年齢にまだ達していないのが、幸いですが、いずれ、そのようなご指摘を受ける日も近いと思います。

 孫と絵本については、書くことが多く、というか、彼女の成長に、カ・リ・リ・ロばあばの筆が追い付かず、連休に突入。そして、孫は、2歳になります。
☆写真は、スイス シュタイン・アム・ラインで

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いわおこし

平安jjjj
 今年は、花が次々早く咲くので、京都平安神宮 神苑には、連休前の今、どんな花が?・・・と、思いきや、つつじは終わり、牡丹や藤も、終わり近し…
 と、少々寂しい思いをしていましたら、目の前をカワセミ!!!(写真には撮れませんでした。)
平安jjj
ご近所の公園の花菖蒲もそうですが、ここ平安神宮の菖蒲の類いも、例年通りに咲くような気配です。➡➡水生植物は、気温に左右されないってことでしょうか?下の黄色い花は、「河骨」の花。
平安jj
 修学旅行生と外国人観光客で賑わう平安神宮ですが、神宮の裏手、人気のない神苑を一周し終わる頃、松ぼっくりの赤ちゃんを見て、大阪名物のお菓子「いわおこし」を思い出したのは、お腹がすいてるせいでした。
平安j

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物語を味わう本とは少し違う

 マミーj
(承前)
 「参加型絵本」という記事がありました。(日経3月13日)
その文の最後が
≪物語を味わう本とは少し違う「参加型絵本」は、親子のコミュニケーションツールとして地位を築きつつある。≫です。

 親子のコミュニケーションツールと捉えると、これまで書いた開く絵本もその一つですし、赤ちゃんの絵本の数々もそうです。
 が、この記事のは、「触る」「手をたたく」「息をふきかける」など、読み手の身体を使う働きかけ、その「行為」の楽しさを売り物にしていて、コミュニケーションツールとはいえ、本というより玩具に近いものです。確かに、書かれてある文面を読み取って、働きかけるのですから、取説の楽しいバージョンとも言えましょう。不思議の国への小さな入り口でもあるでしょう。また、カ・リ・リ・ロは、やったことがありませんが、ゲームの入り口に近いのかもしれません。

 また、親は、子どもが参加しているのを見て、また楽しんでいる様子を見て、喜ばしく思い、うちの子は、読み取れて(あるいは、聞き取れて)次々アクションしていると、満足するのだと思います。そこが、親子のコミュニケーションツールといわれる所以です。
 
 ≪子どもの反応もよく、朗読に自信がない大人でも、子どもの注意を引き付けやすい本でもある≫・・・と、記事には、書かれていました。

 確かに、その場だけの子どもの反応に限るなら、きっと、子どもたちは大興奮の絵本なのでしょう。が、うちの、ボロボロになった絵本を見ていると、大興奮した絵本は「さんびきのやぎのがらがらどん」「かいじゅうたちのいるところ」以外思いだせません。(それらは、興奮して、破いてしまったページがある)淡々と、楽し気に聞いていて、あるいは、見ていて、「も一回、よんで」と言ってきた絵本たちばかりなのです。

 加えて、絵本を朗読しようと思ったことは、今まで1度もないし、自分がうまいか下手かなんか考えたこともないカ・リ・リ・ロは、ただ、ただ、自分が楽しいから、この楽しみを分かち合いたいと、自分の子どもたち、かつて出会った子どもたち、そして、学生やお母さんたちに読んできたのです。

☆写真は、アナログな開く絵本の「MOMMY?」(題名は、マミー?ですが、ミイラという英語、Mummyにかけています。)
 (センダック絵 Yorinks シナリオ Reinhart 紙工作:MDC Scholastic)

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もう1冊の ひらく えほん 

木j
(承前)
「木」(木島始文 佐藤忠良画 福音館)
 写真に写るこの絵本は、この個所だけが、開く絵となっています。
 淡々と、木との交流を描いたこの絵本、この個所で、「うっ ひやあっ」と声を上げるように、見ていた子どもたちも「おお!」と目を見張ります。

≪おおきな木は なにを かんがえているのかな おおきな木を えに かくと おおきな木は いろいろ はなしをしてくれる≫で始まるこの絵本。
淡々と、大きな木の様を絵と言葉にしていきます。

≪さあ こっちに おいで 木のぼりをしにおいで と おおきな木は しずかに 木のぼりを さそって まっている   よし うむっ うむっ だきついて のぼってみよう≫

・・・で、このひらくページです。
うっ ひゃあっ  みどりの はなびの まんなかに おおきな木は うたいながら たっている≫

 自然の声を聞く・・・なかなか、忙しい子どもたち、そして、大人たちも、その忘れがちな声を聞いたような気持ちになる1冊です

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むらさきの花

花jj
もともと、視力がよかったので、老眼になるのも早かったのですが、最近、より加速しながら老眼が進んでいます。
 というのも、かつては、デジカメになって、多くは思い通りに撮れ、家でパソコンの画面で見直しても、概ね、写した状態そのままでした。それが、最近では、ピントが ずれてる、不要な物が写ってる・・・・と、をこれまで、自信をもって写していたカ・リ・リ・ロとしては、落ち込むこともしばしば。
 花j
 で、同じ図柄をたくさん写して帰り、出来がいいと思えるものを、ここにUPしています。
 ともかく、いいお天気と花の取り合わせは、こんな素人でも、何度も綺麗に撮れるので、花盛りの今春は、忙しい。
花jjj

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ひらく えほん

ひらくえほんj
(承前)
 ちいさい絵本➡➡ おおきい絵本➡➡ 横長の絵本➡➡ ⇒⇒、縦長の絵本➡➡などありますが、ひらく絵本というのもあります。
 が、これは、破損しやすいこと極まりない。子どもが扱い、しかも、面白ければ、何度も何度も触るわけですから、破損も仕方ないというのが、ひらく絵本の宿命です。

 ということで、写真に写る おさるのジョージの作者(H.,A,レイによるじぶんでひらく絵本(『おかあさんとこども』、『さあ、たべようね』、『だれのうちかな』、『サーカスをみよう』(H.,A,レイ石竹光江訳、文化出版局)は、二代目。(孫の為ではなく、30年前の我が子のために購入)

 各ページが折返しになっていて、その折返しをひらくと・・・
例えば、「おかあさんとこども」では、ページを開くと、どうぶつのおかあさんのそばにはこどもたちが…。
「さあたべようね」では、動物園のどうぶつたちに餌をもっていくと、どんなどうぶつが食べるのかな?
「だれのうちかな」では、ページをひらくと、その家に住んでいるのが誰かわかるし、「サーカスをみよう」は、サーカスに出てくるのは誰かがわかるようになっています。
 それぞれ1冊1冊は小さくその軽いので、子どもが扱いやすいという面もあって、小さい子どもが自分で開いて、お話の展開を楽しめるようになっているのです。
その分、傷みやすく、我が家の30年以上前のは、ボロボロとなり、あんまり、子どもたちとの思い出も詰まっていたものですから、子どもが少々大きくなったときに、二代目を購入したと思います。
(続く)

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うそつききつつき つつきにつつく

     水飲み場j
昨日のブログ➡➡を書いた後、口ずさんでいたのは、谷川俊太郎詩「ことばあそび」(瀬川康男絵 福音館)のなかの、「うそつききつつき」
≪うそつききつつき きはつつかない うそをつきつき つきつつく
うそつききつつき つつきにつつく みかづきつくろと つきつつく≫

ずいぶん、大ぶろしきのきつつきです。木をつつかないで、月をつついているんですから・・・
まだ、おおぶろしきのきつつきは可愛いですが、人間の嘘つきは、どうなんだ?と思って、
嘘つきの「つき」を、つまり「つく」を調べてみたら、嘘つきの「つき」は、なんと、「吐き」と書くんですね。
「嘘吐き」!

つく・・・・吐く・・・意味は、好ましくないことを口に出して言う。他、「悪態をつく」も、これ、悪態を吐く。
なのですが、「吐き出す」までしないと「嘘」はつけないってこと?
☆写真は、スイス バーゼル

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墓場まで持っていけない

つつじjj 
 今、世の中を賑わしている、1年以上、あるいは、何年もかかって、出てくる事実。
 昨年、事務次官と言われた人が、退任し、本当のことを話すために登場した時、ああ、人間の良心もまんざらでもないと、思ったことがありました。今回も、やっぱり、嘘はつき続けられないと思う人の心が、後押ししているはずです。
 事の真相追求は当然ではありますが、個人的には、嘘をついてはいませんよ、ごまかしてはいませんよ、という側の人の晴れ晴れしい顔を見ると、ほっとします。反対側の厚顔無恥の態度には、もう、うんざりです。

 幼い頃、嘘つきは、地獄で舌を抜かれるんだから、と、教えてもらわなかった可哀そうな人たち。
 舌がないと、話すことができず、嘘もつけなくなる罰なのですから。

 いろんな事情で墓場まで持っていける嘘があるかもしれないとはいえ、この場合は、違います。

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咲いています。

 はなみずき17jjj
やっぱり、花が一度に咲いています。
 近所のハナミズキ通りも、見ごろ。モッコウバラもスズランも。
もっこうばらj
suzurannj.jpg
 クレマチスにライラック。
クレマチスj
ライラックj
 

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松尾大社

松尾大社j
(承前)
 松尾大社の門前に来たのは、地蔵院からの山沿いの道、散歩のとき、2015年の5月青紅葉の頃でした。➡➡ 
 この時は、門前だけでしたが、今回は、山吹の花を楽しむだけでなく、お庭にも入場しました。
 松風苑と名付けられた3つの庭は、上の写真の曲水の庭、上古の庭、蓬莱の庭で出来ています。その3庭には、それぞれ大きな石二百余が芸術作品として置かれています。ちなみに、昭和の庭園学 重森三玲氏の作品です。東福寺方丈庭園も氏の作品。➡➡そして、この曲水の庭は、松尾神社が一番栄えたとされる平安期を表現する、優雅なものです。(御祭神は、古事記にある 比叡山と、この松尾山を支配する神、大山咋神です)
松尾大社jj
 それで、それ神像館に入ってみると、平安期初期の作とされる重要文化財の老年・壮年男女の三体がありました。等身大一本造りの立派な座像で、国神像彫刻中最古最優秀作品として有名だと案内にありました。
松尾大社jjj

 京都最古の神社という松尾神社は、松尾山ぎりぎりのところにあるのですが、大きな岩が、そばまで迫り、そばには,霊亀の滝が枯れることなくあって、近くには、亀の井という霊泉があります。(ありがたく、いただきました・・・)で、そんなパワースポットのこの神社、お酒の祖神となり、縁結びや安産や、治水やなどなど、いろんな悩める人達に手を差し伸べてくれる神社でした。

松尾大社12

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山吹の花

やまぶきj
 山吹が花盛りの京都 西山 松尾大社に行きました。
 今年は、春の花が一度に、色々咲いて、上の写真の山吹の向こう右手奥に、八重桜が写っています。
 下の写真の奥は、山吹の奥に青紅葉。
やまぶきjjjjj
 子どもの頃、「やまぶきいろ」の八重の花が山吹だと、ずっと思っていましたが、一重もあるし、白のやまぶきもあります。(続く)
やまぶきjjjj
やまぶきjjj
加えて、一輪草の可憐な花も、山吹の足元に咲いていました。
一輪草j

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数合わせ

フリージアj
(承前) さてさて、新学期の用意万端整えて、出かけたら、2016年に2版になった教科書がたった二年で2018年第3版になっています!きゃあ・・・
 子ども子育て支援新制度とかいう、ほれ!あれの【おかげ】。
 いえいえ、内閣府の告示は平成29年にやっているのですから、平成30年4月施行に慌てている方が悪いというお叱りもあるでしょう。

 かの政府が「力」をいれているかのように見える新制度。
 実際、雨後の筍のように、小規模保育園が、都市部では、ビルの中にできてるでしょ。あれは、補助金の成果か、はたまた????

 教育も福祉も、数合わせじゃないんだから・・・質なんです。質。
 子育てと言ってしまって、人とは、別ものと思っていないかい???人育てなんですよ。
 追いつかないから・・・などと、・・・迅速かつ慌てて整えているようですが、実際には、このばあばがの学生のときから、幼保一元の問題は出ていたし、1966年の1.57ショック以来、いろんな策をだらだら施してきたかのように見える。

 ・・・というわけで、教科書の数字や、表現少し変わっています。が、前の方がいいような表現もある。この表現の微妙な変化には、何かにつなげる少々匂いがないわけでないような・・・・・・振り回されるのは、いつも現場。
☆写真は、フリージアと白山吹

 白山吹j

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やめる!が言えない

 未使用ハナズオウj
前期の授業が始まる前、昨今のドタバタ生活を思うと、はてさて、務まるんだろうか、と少々不安でした。
が、始まってみると、案ずるより産むがやすし・・・意外と、気分さっぱり(身体はぐったり・・・)。

 日々、孫を預かっているという責任は、少々重い。
 もちろん、学生たちに講義するのも重い責任を感じます。
 が、ばあばとして生きるのは楽しいものの、やっぱり、自分を生きるのは、充実感があります。

仕事は、最終的には、やめる!と言えます。が、子どもを育てることは、やめる!が言えない。・・・・・そこが、世の母親たちが鬱々としてしまうところなのだろうと思います。

 さて、机上の学問というよりも現場での経験の豊富なベテランの教授と話している時、彼女もいうのです。先生というのは、毎年、なかなかよくやる学生に出会うから、また来年もやろうと思うんだよね、と。同感。➡➡
ところが…(続く)
☆写真は、ハナズオウとダッチアイリス

イリスj

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歌のように耳に入る言葉

  やえざくらj
 (承前)
 瀬田貞二訳の 「おやすみなさい おつきさま」➡➡にしても「はねはね はねちゃん」➡➡や「くまくんおでかけ」➡➡などの中川李枝子文にしても、言葉にリズムがあって、歌のように、本文が作られています。

 そして、その「歌」を覚えようとするのか、孫は、何度も何度も読めとせがみます。
 幼い子どもは、歌のような言葉に興味津々。
 
 そういう意味でも、絵も一緒に楽しめる、しかも、「時」の流れをも伝えるマーガレット・ワイズ・ブラウン(瀬田貞二訳)の「おやすみなさい おつきさま」➡➡は、よくできた絵本と言えましょう。

 まだ、お話の世界に入る前の、本当に幼い子ども。その子どもたちに必要なのは、歌のように耳に入る言葉が連なる絵本、そして、それを読んでくれる(歌う)大人の存在。
 今、客観的な視点をもって、孫と絵本に接していると、かつて、書いた修士論文を書き足せるのではないかという気持ちすら湧いてきます。・・・・が、時間がない・・・今も、この先にも。
☆写真は、公園の八重桜
 
やえざくらjj

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おはよう おやすみなさい おつきさま

おやすみなさいj
(承前)
 中川李枝子文の絵本は、言葉がリズミカルで、楽しい空気がにじみ出ます。押しつけがましいところがなく、自然な言葉使いが、子どもたちが受け入れてきた背景だと思います。➡➡

 上の写真の「おやすみなさい おつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウンさく クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)は翻訳絵本ではありますが、瀬田貞二のリズミカルな訳によって、日本の小さな子どもたちも楽しめる1冊です。

 うちの末娘が小さい頃、この絵本をいつも抱えていたことを思い出すと、今、まだ2歳になっていない孫に、早いかなと思いまだつつも、読んでみると、「も、いっかい おんで(読んで)」。
 
 ≪おおきな みどりのおへやのなかに でんわが ひとつ あかい ふうせん ひとつ えの がくが ふたつ――――≫
で、始まるこの絵本。読みながら、「ああ、いったい何度、読んだだろう」と懐かしい気持ちになる ばあば。
 もちろん、末娘であるところの叔母さんも、「この本、大好きやってん」と、愛おしそうな視線。

写真で、開いているページの≪おやすみ おへや≫の次から、続く≪おやすみ  〇〇さん≫の繰り返し。
何度読んでも、心が落ち着いてきます。

いつのまにか、暗くなっていく部屋の様子に眼を凝らしながら、耳では ばあばの声を聞いている孫。

ちょろちょろ動き回っているネズミさん、 暖炉の火・・・・「しずかにおし」というおばあさん。どの画にも興味津々の孫。
最後のページで暗くなった部屋のベッドで寝ているウサギさんを見ると、こうやって、眠りにつく幸せを想います。

とはいえ、先日、朝早く、起きてすぐ、まだ、パジャマも、おむつさえ変えていないのに、「これ、おんで(読んで)」と、孫が差し出したのは、この絵本 「おやすみなさい おつきさま」。

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はねちゃん

はねちゃんj
(承前)
 中川李枝子とご主人の中川宗弥が組んだ絵本より、中川李枝子と妹の山脇百合子(大村百合子)の組んだ絵本が 個人的には、好みです。
 それは、子ども目線の言葉、お話、上手い下手ではなく、子ども目線の絵というコンビが作り上げた世界だからです。

 中川李枝子と、 山脇百合子が組んだ小さい子の絵本は、数多くありますが、「はね はね はねちゃん」(福音館)は、身体を動かしながら、孫と何度も楽しんでいます。
 ≪はねはね はねちゃん たいそうします  きをつけ せなか まっすぐ まえから みても よこから みても いいしせい≫≪てを うえに うーんと せいのび きりんに とどくかな≫≪てを まえに おせ おせ よいしょ くまのせなか おおきい おおきい≫・・・・

 小さい子と絵本の関係に、読める大人が介在してこそ、絵本は、さらに楽しいものとなる。つまり、小さい子の絵本は、声に出して読むもの。
 中川李枝子は、保育士だった経験と、ご自身の読書体験から培われた言葉の力で、日本の子どもたちの絵本の世界を広げた人だと思います。絵本の世界は、楽しい世界なのです。(続く)

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いってまいります

おでかけj
(承前)
 中川宗弥絵の絵本に「くまさん おでかけ」(中川李枝子文 福音館)があります。
 何箇所か、抽象的で、わかりにくい画もありますが、中川李枝子の文が、小さい子に伝わりやすく、全体として、楽しめる1冊になっています。
 「いってきまーす」ではなく、≪いってまいります≫と、丁寧な言葉遣いで、始まり、
≪とこ とこ とこ 「おや みずたまり」 じゃぶ じゃぶ じゃぶ≫
≪はだしになって とこ とこ とこ≫・・・・・と、リズミカルで、わかりやすい展開です。
くまさんが一人ででかけるのですから、しっかりしていなくちゃいけません。だから、「いってまいります」
一人で、たべて、お土産までも持ち帰る。いろいろあっても、≪ただいま≫の最後のページの絵は誇らしげです。
孫を保育所にお迎えにいったとき、「ばあば!!」と、言う顔にそっくりです。

 さて、中川李枝子文の絵本の数々は、「ぐりとぐら」(福音館)を筆頭に、子どもの生活に沿っていて、子どもたちが親しみやすいものです。そして、その言葉の流れは、どれも、軽快で、楽しい。
 そのテーマに、「くまさん おでかけ」のようにどこかに出かけて、何かあって、戻ってくるというものがあります。瀬田貞二のいうところの「行って帰ってくるお話」≪行きて帰りし物語≫です。

 「ぐりとぐら」もそうだし、何より、子どもたちがよく知っている、あの歌。
 2歳になっていない孫すら、たどたどしく歌います。
♪♪あるこう あるこう わたしは げんき あるくの だいすき どんどん いこう 
  さかみち とんねる くさっぱら いっぽんばしに でこぼこ じゃりみち 
  くものす くぐって くだりみち♪♪
 「となりのトトロ」挿入曲≪さんぽ≫作詞:中川李枝子

 

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ぞうさん

 ぞうさん2j
(承前)
「ぞうさん」(まどみちお詩 中川宗弥絵 福音館)
 まどみちお詩が入っているこの絵本(楽譜つき)➡➡の挿絵は中川宗弥です。奥さんの中川李枝子文の「とらた」の絵本や「ももいろのきりん」(福音館)など、ご夫婦が組んだ仕事も多いですが、石井桃子「ありこのおつかい」「ノンちゃん雲にのる」(福音館)、アリソン・アトリー「チム・ラビットのぼうけん」(石井桃子訳 童心社)などの挿絵の仕事もあります。

 子どもの絵本に多い具体的な描き方とは違うこの画風は、読みものの挿絵「ノンちゃん雲にのる」や「チム・ラビットのぼうけん」など、あるいは、「ぞうさん」のような詩の世界を表現するのに適していると思います。特に、まどみちおの詩のような優しい気持ちが伝わるものに、ぴったりです。

 書き込み過ぎで、もとの詩の世界を邪魔する挿絵(カット)の多い詩集、歌の本もあるなか、抽象的な雰囲気すらある挿絵は、その詩のイメージを広げるものが多いと思います。(続く)

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ここにも さくら そこにも さくら

キャナルjjjj
 今年ほど、桜が一斉に咲いた年は、ないような気がするくらい、どの木も一斉に満開でした。
 電車の沿線だけでなく、近くの公園も、近くの山までも。
 ここにも桜、そこにも桜。
キャナルjjj

 途中で、風も雨もなかったので、いつもより長く楽しめました。
キャナルjj

 1月はあんなに長かったのに、2月も3月も、あっという間でした。そして、4月になっていました。娘も、孫も、もうひと踏ん張り。ばあばも、孫育てダイエット(?)進行中。

キャナルj

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桜のトンネル

トンネルjj
 京都嵐電の北野線の桜のトンネル。今まで、何度も通ってきましたが、やっぱり、この日が最高。運転手さんのすぐ後ろで、カメラを構えている人多数。外国人の方々も。
トンネルj
 単線なので、桜と桜が近く、さながらトンネルのようですが、この沿線のいくつかの無人駅も、それぞれ、チューリップなど花壇の花も咲いていて、春ですよ、春ですねと告げています。
 嵐電北野線の各駅名みるだけで、ちょっとした京都寺社案内のような気がしませんか?北野白梅町(北野天満宮と平野神社)、等持院、龍安寺、妙心寺、御室仁和寺・・・・

 そして、嵐電北野線のように単線ではないものの、各京阪神の電車に乗るだけで、沿線に桜の続くところは多々あって、電車からのお花見も、京阪神では、必須です。

嵐電j

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