「くまのブルンミ とんとんだあれ?」(マレーク・ベロニカ文絵 風濤社)は、孫お気に入りの一冊です。
「とんとん だあれ?」の繰り返しで、いろんな動物が、戸の陰からヒントの様子を見せながら、ブルンミを訪問してくる絵本です。
次の動物が、だれなのか、孫は、嬉々として、教えてくれます。
「おまねきありがとう」とか「ごきげんいかが」など、丁寧な言葉遣いが、訪問する楽しみに加えて、そのマナーを伝えています。
非日常の会話が、かえって新鮮に響きます。
最後に、アンニパンニという、このシリーズではいつも登場する女の子が、「ただいま!いちごをつんできたわ。」「きょうは いちごパーティーよ みんなで たべると おいしいね」というところは、いちご好きの孫にとっては、一緒に「ぱくっ」「ぱくっ」と食べたふりをする楽しいページです。
このマレーク・ベロニカの絵本は、長い間、「ラチとらいおん」(マレーク・ベロニカ作 とくながやすとも訳 福音館)のみが出版されていました。ハンガリーの絵本だから、翻訳する人が居ないせい?などと思っていましたら、2001年にこのくまのブルンミとアンニパンニのシリーズが、次々、翻訳されると、他の作品も出版され、今や、たくさんのベロニカの作品を手にすることができます。(続く)
今年は、イカナゴなんて、炊く余裕あるんだろうかと、思いながらも、醤油やザラメ砂糖、山椒など、用意していました。
それで、たまたま、今年の解禁の日(2月26日)、けっこうなお値段のイカナゴと遭遇。
明日は、買い物に行けないし、その次は予定があるし、その次、もし雨だったら漁もない・・・ということで、晩御飯の用意と孫のお迎えまでのすき間を縫って、作りましたよ!
ベランダで一気に冷やすには、もってこいのお日和。
関西地方は、こうやって、春に近付いていきます。
慌てて作ったら、ちょっと辛いけど、とにかく初物。
漁解禁の初物を食べて、少しは長生きできるだろうか。
こんな味の濃いもの、孫の口に入るまで、まだしばらくかかるから。
(承前)
そういえば、親指小僧のような小さい人が活躍する話は、日本にも一寸法師があるし、アンデルセンは親指姫を書いていますね。
イギリスの昔話には、「親ゆびトム「」というのがあります。
昨日の親指小僧と違って、アーサー王の御代の 子どもの居ないお百姓夫婦が、魔術師マーリンに訴えて、親指くらいの小さい男の子が授かる話です。
妖精たちがお祝いに来たり、その子の洋服をあつらえたりして、グリムやペローとは、ずいぶん、雰囲気が違います。
が、そのハッピーな親指トムは、他の親指小僧のように賢く人生を切り開くのではなく、いたずらがすぎて、プディングのねり粉にはまって、周りを驚かせたり、牛の口に入ってしまったり、ワシにさらわれて巨人の口に放り込まれたものの、海へ投げ飛ばされ、それを大きな魚に飲み込まれ、その魚はアーサー王の台所に届き、その腹を裂いてみると、出てきて、アーサー王とその妃に気にいられ・・・・(と、まだ、親指トムの冒険は続きます)
子どもが欲しい夫婦、生まれた子供がずいぶん小さい、小さいながらも勇気があったり、行動力があったり・・・
と、よく似たような昔話のルーツではあるものの、ところ変われば、展開も変わっていくのが面白い。
☆写真に使ったのは、「金のがちょうのほんー四つのむかしばなしー」の四つ目の話「親ゆびトム」の挿絵です。(レズリー・ブルック文・画 瀬田貞二・松瀬七織訳 福音館)
王妃と、ピーター・ラビットの・手の上に親ゆびトム。
(承前)
昨夏から、ドーデ―の短編・長編など、続けて読んだ中に「サフォーパリ風俗」(ドーデ 朝倉季雄訳 岩波文庫)もありました。
田舎出身の純朴な美青年と、したたかな娼婦の話。落ちていきます。この青年。
そういえば、この手の話には、「マノン・レスコー」➡➡がありましたね。
面白いと言えば、面白いのですが、どれもいっしょくたになりそうな、パリの情に溺れる近代小説の一つです。
ただ、ドーデ―独自のユーモアを感じるのは、彼は、お伽話を身体の中にたくさん持っているのではないかと思わせる場面が、この「サフォ」にも、他の作品にも散見できます。例えば、かの「プチ・ショーズ」では、田園詩劇の朗読と称して一編の「青い蝶の冒険」という寓話を挿話しています。
そこで、「サフォ」にあったのが、
≪彼女は、クリシー通りで、素晴らしい寝臺の出物を見つけた。それは新しいといってもいいくらいの品で。鬼の七人娘(ペローの童話『拇指小僧』参照)を並んで寝かせることができそうなほど大きかった。≫という表現です。
そうです。なんと、娼婦が選ぶベッドの豪華さと鬼の七人娘のベッドとを繋げてしまうあたり、かなり意味深でもあり、意図的に緩めているとも取れ、面白いと思います。
が、しかし、おやゆび小僧の話に鬼の7人娘なんか出てきたっけ?と思った人は、グリムの親指小僧のお話をよく知っている人。
実は、おやゆび小僧の話が、背丈の小さい男の子が活躍する話だと、わかっていても、フランスのペローのものとドイツのグリムのものでは、ずいぶん違うお話なのです。(続く)
☆写真はパリ、マルモッタン美術館
(承前)
「プチ・ショーズーーある少年の物語」(ドーデ作 原千代海訳 岩波文庫)には、個性的な人たちが登場します。酷い奴らも登場するものの、最終的にはハッピーエンドになるこのお話には、善意の人も多く登場するのです。
誠意溢れる兄のジャック。ジャック母さんとダニエルは呼んでいます。この言い方自体、甘えてる!しかも、最後は、甘えが過ぎて、取り返しがつかないことになるのに・・・・
ダニエルの文学の道を支えてくれた兄のジャック母さんは、こんな人。確かに、お母さんのようです。
≪ジャックが帰ってくると、部屋の様子が一変した。すっかり賑やかに、いきいきとする。僕たちは歌ったり、笑ったり、その日の出来ごとを話し合ったりした。「よく勉強したかい?」と、ジャックが云う。「詩の方ははかどってるかい?」・・(中略)・・・食べずに残してきてくれた、デザートの砂糖菓子をポケットから出す。そして、僕が一生懸命囓じるのを、楽しそうに眺めるのだ。それから、僕は、また仕事机に戻って行って韻をひねった。ジャックは、二・三度部屋の中を歩きまわる。そして、僕がすっかり仕事に没頭しているのを見てとると、こう云って、逃げ出すのだ。「仕事の邪魔をしてはいけないから、ちょっとあそこへ行ってくるよ。」・・・・・≫
それから、ダニエルの人生に大きく関わることになるジェルマーヌ神父。
プチ・ショーズを文学の世界に大きく引き込んだのも、この人。そして、自殺しようとするダニエル助けてくれたのもこの人。そして、うまい具合に終盤にも登場。
ダニエルが思い余って体操場にあった鉄鐶に、ネクタイをかけ首をくくろうとし、世に別れをつげようとする、そのとき、
≪不意に、鉄のような拳骨が彼を見舞う。胴中をつかまれて、腰掛の下に、両足でしゃんと立たされたような気持がする。同時に、聞き覚えのある、ぞんざいで皮肉な声がこう云うのだ。
「ええ考えじゃ、いまじぶん、ぶらんこをやるなんて!」≫
自伝的色合いの濃い、「プチ・ショーズ」は、ドーデ―の処女作の長編だからか、全体に洗練されている感じではありません。が、しかし、登場人物の何気ない仕草や会話の臨場感は、かえって、身近で、わかりやすいものでした。
☆写真は、スイス シュタイン・アム・ラインの看板

「プチ・ショーズ --ある少年の物語」(ドーデ作 原千代海訳 岩波文庫)
昨秋、ドーデーを続けて読んでいた頃、「プチ・ショーズ」も読みました。自伝ともいえる第一部と、脚色された小説の第二部からなっています。
主人公の「チビ公」と呼ばれるダニエルは、背丈だけでなく、心もなかなか大人になれませんが、少年から青年へと成長する話です。
第一部の少年時代は、一家の再興という大きな夢と希望に向かって進む「チビ公」なので、おもわず「がんばれ」と言いたい。また、小学校教員だったカ・リ・リ・ロには、生徒監督となった年端も行かないチビ公が、やんちゃな子どもたちを前に四苦八苦している様子が手に取るようにわかりました。
そして、「チビ公」は、本を読み、詩作をするものの、第二部では、どんどんそこから離れて浮世の波に流されていく姿、くわえて、大人同士でも、陰湿ないじめやからかいがあることを、ドーデ―は克明に描いていきます。ただ、第二部になって、なんだか、だらしない大人に近づいていくところは、第一部で、ドーデーのオリジナリティと熱気が溢れてたものから遠ざかり、当時のパリ文学界の趨勢だった作家たちの作品や風潮を意識したもののようにも思えます。なので、個人的には、ちょっと背伸びした構成の第二部より、第一部の方が楽しめました。
とはいえ、ドーデ―の作品を次々読んでみると、なぜ、ドーデ―が19世紀フランス文学の中で、あまり、重要視されていないのか、よくわからなくなりました。どれも、面白いのに・・・
フランス文学史を学んだわけではありませんが、ドーデ―が、パリで活躍せず、田舎中心の作品だったからなのか?はたまた、パリの文学界とは距離を置いていたのか?パリのどろどろした人間模様と関係ある?などなど、興味のあるところです。(続く)
☆写真は、スイス バーゼル 駅前緑地
冬季オリンピックをゆっくり観戦している時間もなく、とはいえ、やっぱり、気になって、ニュースや新聞をみます。
ケガから復帰し、しかも好成績を収めた二人の選手。前回は力を出し切れなかったものの今回は納得のいく結果を出せた選手。
どの人も、その日まで、真面目に取り組んだ人ばかり。
まだ、後半の競技が残っているものの、どの競技にもドラマがあるし、自分なら、決してできないことを、軽々とやってのける、若い人たちは本当にまぶしい。冬の競技以外でも、あるいは、スポーツ以外の世界でも、若い人たちの頑張りは、見ていて気持ちがいい。
それに、受け答えもきちっとしていて、しっかりしているなぁと、思うことしきり。
日差しも明るく、春めいて、てんてこまいの冬が遠ざかっていくのを感じます。ただ、まだまだ、てんてこまいまいの日は続きます。
例えば、台所仕事をしていても、ゆとりのあるときや、気分のいいときは、なにかしら、鼻歌まじりで作業をしています。その時々で、歌は異なりますが、いろんな曲というよりも、そのときは、同じ歌のリピートだと思います。(・・・というか、厳密に思い起こしたことがない)
一時期、同じ電車に乗っている時、いつも一緒に並ぶ女性が、♪ふふふん♪と鼻歌で、電車を待っているのに気付きました。ご本人は、周りに聞こえていないつもりのようでしたが・・・
先日、夜中に、孫の咳が続くので、悪い風邪にならぬよう、早めにお医者さんに連れて行こうとしたときのこと。
「お医者さんに行こうね。おりこうさん していようね」と、お薬手帳を持たせますと、それをもって、うろうろしながら、「ぴよぴよしてたら 〇×▽□△」と歌いました。まさに、鼻歌まじりという感じです。
そのときは、ぴよぴよしてたら?なんだろう?と思っていましたが、
お医者さんから帰ってきて「お利口さんだったね」と褒めると、「ぴよぴよしてたら △〇□◇▽・・・」と、また、鼻歌。
歌は、母親によく歌ってもらっていたのと、うちにある「わらべうた」等の本などをよく歌ってやるので、本当によく歌う子なのですが、この「ぴよぴよしてたら」の歌は、まったく誰も知りませんでした。
で、今は便利ですねぇ。「ぴよぴよしてたら 歌」で検索してみたら、手遊び付きの「コロコロたまご」という歌がヒットしたのです。まさに、このメロディ・リズム。そして、◇▽△□〇◎のところは「おりこうさん」だったのです。
彼女は、保育所で、しっかり楽しんでいたのですね。
例年なら、「立春」の後は、日差しも徐々に明るくなってきて、二週間あとの「雨水」➡➡まで、希望的観測の日々を過ごすのが、常でしたが、今年は、例年になく「余寒」という言葉も登場して、立春あとの厳しい寒さを、実感します。
が、公園の梅も咲き、日差しも、どんどん春めくのは、嬉しい。
インフルエンザの流行した保育園に通い続ける孫の頑張りも嬉しい。
期末テストの採点も済み、来年度の授業計画の提出も済んだのも、嬉しい。
そして、もう一つ。課題ではなかったのに、自発的に、絵本を作ってきた学生が居て、その完成度を見ていると、ちゃんと、授業で話したことが伝わったのが分かって嬉しい。
無理して、そんな学生を持ち上れる仕事を増やしたのも、悪くなかったかもしれないと思うと嬉しい。
頑張りすぎる人は「いい加減」と何かに書いてあり、「たしかに、そう」と納得するけれど、この年齢でも前に進んでいる実感は嬉しい。
春よ来い。早く来い。
☆写真の、公園の梅は、山茶花とともに、かなりの大木になっています。
(承前)
ベルナールは、印象派について、何度か言及するのですが、ここでは、「芸術は抽象である。線は抽象の最初のもので、自然のなかにはない。」といった後に、興味深いことが書かれてありました。
≪芸術の基礎であるーー建築はーー線によってしか表現されないし、おそらく建築のなかにこそ最大の美が眠るのであろう。≫
このあと、延々と彼の芸術論が続くのですが、画家自身が、「芸術の基礎である建築」と言い切るところが面白いと思ったのです。
そこで、ーー比べるのも おかしいのですがーー
先日、甥が建築の大学院に合格したとき、工学部出身の夫は、
「工学部でも、電気工学はElectrical Engineering 化学工学はChemical Engineering 機械工学はMechanical Engineering 土木工学はCivil Engineering と、どれもエンジニアリングとつくのに、建築だけは、Department of Architecture というんやから、特別やねんで」と、嬉しそうに言っていたのを思い出します。
ま、ベルナールの論とは、なんのつながりもなく、単に、建築をもっとしっかり「みる」と、思ったに過ぎない程度です。
*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
☆写真は、画面大きく自画像を描いたゴーギャン。昨日のベルナール➡➡を右隅っこに肖像画として掲げていますが、すごくテキトーな感じがします。この写真に使った画集(岩波 世界の巨匠)では、この自画像のタイトルを自画像「レ・ミゼラブル」としています。ゴッホ宛てのこれら二枚でへのゴッホの感想は・・・(続く)
(承前)
「ゴッホの手紙」は3冊からなっていて、一巻目(上)はゴッホから、ベルナール宛のものです。ベルナールの作品(「ポンタヴェンの市場」)は、東京都美術館「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(~2018年1月8日 )➡➡、京都国立近代美術館(2018年~3月4日)➡➡ にも、来ていました。
ベルナールは、ゴッホと、同時代の画家仲間の一人で、ゴーギャンとも一時、親しかった人です。
三巻読了すると、このベルナール宛のものが、他の弟テオ宛てのものとちょっと様子が違うのが分かります。
片や身内ということ、片や仲間=ライバルでもあることから、やはり、論じる方に近いものとなっています。もちろん、その分量も違い、ベルナール宛という岩波文庫上巻は、ゴッホからの手紙(22通)より、ベルナールがそれを編集した時の序文などに半分が割かれ、ゴッホの手紙とベルナールの芸術論といった様相です。
ベルナールの書いた言葉には、いつくかの印象に残るものがありました。例えば、
≪学ぶとは、「物をみる」謂であり、「ものを観る」とは、美しいものを毎日解体してゆくことである。というのは、ものをよりよく見つめれば見つめるほど、今まで無邪気に眺めていたものの姿は消え、それは人間の貴い智慧と入れかわるからである。≫
・・・・個人的に、わかったような気がするのは、学ぶとは「物をみる」謂(いい)であるというところだけかもしれませんが、この絶妙な訳➡➡が、そのあと、3巻読み通す原動力になったような気がします。(続く)
*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
☆写真は、ゴッホがベルナールとゴーギャンに、それぞれの肖像画を描くように依頼したものの、できたのは、それぞれの自画像で、壁に相手の肖像画が掛かっています。なので、左がエミール・ベルナールの自画像で、中央の肖像画はゴーギャン。
(承前)
「タラスコンみなと」(ドーデ― 畠中敏郎訳 岩波文庫)の中に、ちょっと面白い表現があったので、書いておきます。
南仏タラスコンから,遠く南の海を越え、新天地タラスコンみなとは、結局はイギリス領だったようで、不法占拠となったタルタランは捕虜となり、強制送還されることに。
とはいえ、そこに悲壮感はなく、イギリス人との交流を楽しむ様子さえ書かれています。
≪イギリス人の中にいると私のさだめはどんなに奇妙なものになることでしょう。あんなに無神経で、お互同士の間ではいつもあんなに冷静なこの人たちですが、私の気安い態度でただちに緊張をゆるめます。彼等は心ならずも、そうして生まれて始めて人なつこくなります。私は二十四時間を一緒にすごすイギリス人を、残らず気のいい人に、フランス人にしてしまいます。≫
ここには、タラスコンびとが、いかにフランスにおいて、地方に位置していても、歴史ある誇り高き人々であるという自負と、強がりと、はったりと・・・が見えます。
現在も、フランスアルル地方に、タラスコンはあり、そのタラスコンという地名の語源になったのは、有翼虎龍(タラスク)という架空の動物。≪そも有翼虎龍といっぱ、むかしむかしその昔、ローヌ河口一帯を荒らしていた恐るべき怪物である。イエスの死後プロヴァンスへやって来た聖マルタは、白の装束で、その動物を沼地の中まで求め行き、ただ青いリボンでしばるだけで、聖女の清浄無垢と信仰都でとりこにし、馴らして、町へつれて来たのである。それからこのかた、タラスコンびとたちは十年目ごとにお祭りをやって、亀とも、蛇とも、鰐ともつかない、木と彩色した厚紙とで出来た怪物を町中に引きまわすのであるが、これはその昔の有翼虎龍のぶこつでおどけた似姿で、今では偶像のように尊敬せられて、国の費用で住まわされ、この土地一帯に「おばばさま」という名で知られているものなのだ。≫
確かに、この地名の語源からして、大ぶろしきっぽい。(続く)
☆写真は、スイス シュタイン・アム・ラインの 昔は、武器庫だった壁のもので、タラスクとは関係ありません。
「ゴッホの手紙 上中下」 (硲伊之助訳 岩波文庫)
(承前)
ゴッホは、手紙の中で、何度もドーデ―の「タルタラン」の話について言及するものの、3部作の最後の「タラスコンみなと」についての言及は、見当たりません。この作品は1890年作で、ゴッホは1890年没ですから、読んでいなかったのかもしれません。
それに、この「タラスコンみなと」は他のタルタランシリーズと違って、結末が、タルタランの死と、タルタランの骨ともいうべきタラスコンの地で、彼が亡くなったわけではないという、人生の悲哀を感じさせる終わり方なので、それまでの荒唐無稽ともいえる、タルタランのお話を期待すると、少々、違ったものになるような気がします。
南仏で機嫌よく暮らしていたタラスコンの人たちが、新天地は、さらに素晴らしいと、大海を移住するという話。ま、それだけでも、そんなうまい話あるもんか・・・と、思いながら読み、ほら、やっぱり、言わんこっちゃない、新天地は楽園じゃなかったやん!
それだけなら、よくありそうな話ですが、それが連れ戻され・・・・結果、タルタランの人生の最後は、ちょっと寂しものに・・・
だから、ゴッホが、生前、この本の出版に間に合わず、読めなかったとしたら、それはそれで、よかったような気がします。
また、もし、生前、読んでいたとしても、芸術家たちの理想の暮らしをアルルに求め、ゴーギャンとの暮らしが、短期間で頓挫したゴッホにとっては、大きな皮肉とも取れ、タルタランの大きな夢に向かっていく様子が好みだったことを考えると、この本を、弟に紹介しなかったようにも取れます。
それに、南洋に新天地を求め頓挫したタルタラン、南洋に新天地を求め成功につなげたゴーギャン。フィクションと事実とはいえ、大きな接点がここにあって、興味深い。(続く)
*「アルプスのタルタラン」(畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡
*「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫)➡➡
*「タラスコンみなと」(畠中敏郎訳 岩波文庫)
☆写真は、インドネシア ロンボク島の夕陽(撮影・&Ak)
孫の好きな絵本に「おおきなかぶ」(ロシア民話 内田莉莎子訳 佐藤忠良絵 福音館)があります。
≪・・・・まごがおばあさんをひっぱって、おばあさんがおじいさんをひっぱって、おじいさんがかぶをひっぱって・・・・≫
明瞭な言葉が続きます。
絵も簡潔で、わかりやすい。おじいさん、おばあさん、まごに犬に猫にねずみ。
もちろん「うんとこしょ、どっこいしょ」の言い回しは、その臨場感を孫も味わえるようで、その場面になると、身体をゆすって、一緒に「・・・しょっ、・・・しょっ」と言って、楽しみます。
あんまり、楽しそうにしているので、届いたばかりの本物の蕪を、見せました。
「とうとう、かぶはぬけました。」の場面と比べるべく、これが蕪だよ。
それで、しばらく、その蕪をボウルに入れたり、出したりながら、遊んでおりました。
・・・が、そのとき、彼女は、蕪にかぶりついたではありませんか。
洗ってあったし、無農薬系有機野菜であったので、ま、いいかと思いつつも、カブにかぶりつくより、リンゴはどう?と、彼女に手渡すと、まあ、おそるべし、やっと生えたような歯で、ガブッ、もう一口、ガブッ、さらにガブッ・・・・というわけで、皮ごと、どんどん食べてしまい、完食。
担当している学生たちに食育のところで、この「おおきなかぶ」の絵本を紹介してきましたが、やっぱり、間違っていなかった。
こんなに長かった1月は初めてです。
いつもは、1月行く、2月逃げる、3月去る・・・・の言葉通り、早く時が過ぎることが多かったものの、今年は格別長い。
スーパームーンの皆既月食だった31日のお月さまのことも、ちょうど、その頃、たまたまNEWSで知った次第。
そういえば、30日の保育所のお迎えの時に見た、お月さまも大きかった・・・
いつも寒い冬であるものの、今年は特に寒い。自分が風邪をひかぬよう、周りも風邪をひかぬよう、この生活に慣れて来たかのように見える孫を第一に考えています。
人の命の重さを、しっかり考えることができる日々です。
信じられないような子どもへの仕打ちをする大人も、初めは、人の子として命をもらったのに・・・と、憤って報道を見る暇もありませんが・・・
そんなとき、読み返したくても読み返す時間が足りない、アーサー・ランサムの「長い冬休み」やローラ・インガルス・ワイルダーの「長い冬」を、思い出して、長い冬の慰めとしています。
*アーサー・ランサム「ツバメ号とアマゾン号」シリーズ(岩田欣三・神宮輝夫訳 岩波)
*ローラ・インガルス・ワイルダー「大草原の小さな家」シリーズ(ガース・ウィリアムズ絵 恩地美保子訳 福音館 谷口由美子訳 岩波少年文庫)
☆写真は、スイス ブリエンツ湖の月。皆既月食とは関係ありません。