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みんなみすべくきたすべく

タルタランの小説を読み通したことがあるのかい?

サンレミ18
「ゴッホの手紙 上中下」(硲伊之助訳 岩波文庫)
(承前)
 ゴッホの耳を切る事件があったのは、1888年12月23日の夜です。そのあと、1月1日2日と短い手紙を書き、17日になって、長い手紙を弟テオに書いています。
 その中で、アルルを後にしたゴーギャンに何度も触れています。
≪ところでゴーガンは・・・・なんでも自分のしたい事をすればいいし、独立独歩でやればいい?(独立の言葉の性格をいったいどんな風に彼は考えているんだろう)自分の考えが、われわれよりも経験を積んでいるものと思い込んでいるなら、勝手に行動したらいいさ。ここへ残して行った習作と引きかえに、僕の「ひまわり」を要求したのにはあきれた。彼の習作は贈物としてここへ置いて行ったのではないか、その習作を送り返してやろう。僕がもらっても何の役にもたたないが、きっと彼にはまだ必要なのだろう・。・・・・・(中略)・・・・いったい、僕のそばにいると邪魔だろうとゴーガンが気兼ねしたのだろうか、ほんのちょっとでもどんなに会いたがっているか、繰り返して行ったのを承知の上でそう言った事も、もちろん否定できないはずだ。・・・・・≫

と、書き続け、ここでも、タルタランです。
≪僕には彼の行為を、これ以上追求する気はない。でも或る一点に疑問を残しながら静かに引き下がろう。お互いに、彼と僕と、時にはフランス芸術や印象派について意見を交わしたこともあったが・・・・印象派が創設されて落ちつくかどうか、とてもむずかしいようで、不可能に近い気がする。英国でラファエル前派が成功しなかったときと同じではないか。団体が解散してしまったのさ。あるいは僕がこうした事件にあまりに心を痛め、悲観し過ぎるのかもしれない。ゴーガンは「アルプスの山上のタルタラン」**を読んだことがあろうか、そしてこのタラスコンの有名な友であるタルタランを思い出せるかしら、それはすばらしいは想像力の持主だったのので、彼は立ちどころに架空のスイスを想像で描いたではないか?崖から墜落してから、アルプス山上で発見した綱の結び目を彼はおぼえているだろうか?君はそれがどんな風なものか知りたいだろうが、いったい君はタルタランの小説を読み通したことがあるのかい?これでゴーガンがどんな人物かちょっと分かるだろう。これはまじめな話だが、ドオデの本からこの抜粋をもう一度読んでもらいたい。君が当地に来たとき「獅子狩りのタルタラン」***にあるタラスコンの乗合馬車の習作があったのに気がついたか。≫)(続く)

***「陽気なタルタラン」(ドーデ―作 小川泰一訳 岩波文庫) 
**「アルプスのタルタラン」(ドーデ―作 畠中敏郎訳 岩波文庫)
*「タラスコンみなと」(ドーデ―作 畠中敏郎訳 岩波文庫)

☆写真は、ゴッホの入院にした病院の中庭。スイス オスカーラインハルト美術館
下の写真は、約15年ほど前の 上記病院中庭 (撮影&T1:ただしデータの写真ではなく現像した写真)

ゴッホ病院30

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傑作の持つ偉大さ

カフェj
「ゴッホの手紙 上中下」 (硲伊之助訳 岩波文庫)
 (承前)
ゴッホは、ドーデ―の「タルタランシリーズ」だけでなく、ドーデ―の「アカデミー会員」という作品も読んでいて、気に入った言葉を見つけてはいますが、やっぱり「タルタラン」の方がずっと好きだと言い切ります。
≪「アカデミー会員」は「タルタラン」ほど色彩的ではないような気がする。そこにはこまかい正確な観察があんまり多いので、無味乾燥で冷たいジャン・ベランのいやな絵を連想させるのだ。そこへいくと「タルタラン」には「カンディード」とおなじように傑作の持つ偉大さがあり、真に偉大なのだ。≫

 と、タルタランを絶賛しているのは理解できるものの、上記の手紙内容で、個人的に、「アカデミー会員」は読んだことがなく、(もしかしたら、未邦訳?)、ジャン・ベランという画家は、よく判らず、「カンディード」(ヴォルテール 植田祐次訳 岩波文庫)は、未読。うーん、わかっているのは「タルタラン」だけじゃないか・・・・

 で、「夜のカフェ」(上記写真)を弟に、手紙で紹介するときにも、「タルタラン」なのです。
≪僕は「夜のカフェ」の絵で、カフェと人が身を滅ぼし、狂人になり、罪悪を犯すような場所だということを表現しようとした。要するに僕は、やわらかいバラ色に鮮血のような赤と酒糟色や、ルイ15世時代のやわらかい緑やヴェロネーズ緑などに、黄緑とかたい青緑とを対照させて、地獄の坩堝と青白い燐光の雰囲気の中に、居酒屋の暗い機能を表現しようとしてみたのだ。しかもこれを 日本的な陽気さとタルタランのばか正直さという形に包んでね。≫(続く)

*「陽気なタルタラン」(ドーデ―作 小川泰一訳 岩波文庫) 
*「アルプスのタルタラン」(ドーデ―作 畠中敏郎訳 岩波文庫)
*「タラスコンみなと」(ドーデ―作 畠中敏郎訳 岩波文庫)

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赤と緑のあの馬車を書いたところだ。

乗合馬車jj
(承前)東京でゴッホ展に行き➡➡ゴッホの手紙を読むことになって、また、もう一度、見に京都国立近代美術館に行って➡➡対面したゴッホ「タラスコンの乗合馬車」の絵でしたが、これを描いた時の様子を、ゴッホは弟テオに手紙で報告しています。*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)

 まず、「タラタラン 三部作」の「アルプスのタルタラン」について、書いています。
 ≪「アルプスのタルタラン」を読んだら、とても面白かった。(第467信)≫
 その後、何度かタルタラン物語について触れ、かの乗合馬車の作品については、
≪「タルタラン物語」を君は読んだかい。そうさ、それを思い出してくれたまえ。「タルタラン」の中で、タラスコンの古い乗合馬車についての愚痴が書いてある。あのすばらしい一節を憶えているかね。そうだ、僕は宿屋の中庭にある赤と緑のあの馬車を書いたところだ。今に君に見せるよ。急いで描いたこの見取図でも構図はわかるだろう。前景は単純で灰色の砂地、背景も非常に単純で、緑色の鎧戸のついた窓のあるばら色と黄色の壁と、青空の一角がある。二台の馬車はモンチセリ風の厚塗りだ。君は以前、海岸にペンキ塗りのボートが四隻あるクロード・モネの美しい絵を持っていたね。ここではそのボートが馬車になっているわけだが、構図は同じようなものだ。(第552信)≫(続く) 

*「アルプスのタルタラン」(畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡
*「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫)➡➡
*「タラスコンみなと」(畠中敏郎訳 岩波文庫)

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乗合馬車の愚痴が聞こえる

平安j
 日本列島が凍りつく今日この頃。
 久しぶりの京都にお稽古の日。お稽古前の遠足は、お寺の拝観は寒いし、お庭は今は寂しいということで、京都国立近代美術館の「ゴッホ展ー巡りゆく日本の夢」(~2018年3月4日)に行ってきました。
 東京で見たものの➡➡、その後、「ゴッホの手紙 上・中・下」(硲伊之助訳 岩波文庫)を読んだり、3冊のドーデ―「タルタランシリーズ」(岩波文庫)を読んだりしたので、もう一度、見たいと出かけました。
 すでに、ここで紹介した絵をもう一度丁寧に見る楽しみもさることながら、やっぱり、かの「タラスコンの乗合馬車」では、乗合馬車の愚痴が聞こえてきそうで、思わずにんまり。しばらく、見入って耳をすませておりました。あまり人が群がっていないのが幸い。

  もし、今から「タラスコンの乗合馬車」を見に行く予定のある方は、ぜひ、「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫)だけでも、いえ、せめてこのブログに引用した部分だけでも➡➡知ってると、ちょっと楽しいかもです。(続く)

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精神の糧にしてもらいたかった

ゴッホ手紙1
*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
(承前)
 「ゴッホの手紙:」「(岩波文庫)は、手紙の全訳ではないようですが、読みやすく、わかりやすい訳なので、一気に読めます。
 とくに、芸術論を展開している内容を、素人にも伝わるように訳してくれているのは、助かりました。

 一体、誰が、訳したのか。硲伊之助という画家、のちに陶芸家でした。(浅学のカ・リ・リ・ロは、この人のことも知らなかった)
 それにしても、翻訳家のように訳がこなれていると思ったら、硲伊之助は、フランスに9年滞在し、マチスに師事した人のようです。その後、日本とフランス絵画、そして、ゴッホのオランダと日本をつないだ人でもあったようで、なるほど。と納得。
 そのあと、九谷焼陶芸に身を投じるのですが、この辺りは、いつか、北陸 加賀にある、この人の美術館に行ってみたいというに思いが生まれました。

 それで、硲伊之助のあとがきの最後の最後の文です。
≪ヴィンセントの絵画に対する情熱と人類愛的な心を知る上に、これらの手紙より適切なものはないと信じ、若い人達にこの本を読んで、精神の糧にしてもらいたかった。それが私の願いである。≫とありました。
 訳者の芸術家としての思い、若い人達を想う大人の思い、この人が訳して、よかったなと思いました。(続く)

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ゴッホの手紙

ゴッホ手紙2j
 昨秋からゴッホの美術展➡➡、  ➡➡ゴッホの映画➡➡、そして、ゴッホの手紙➡➡と、ゴッホに傾斜していましたが、特に「ゴッホの手紙」は、今まで読んでこなかったことを悔やまれる本でした。

 今まで、いくつかの作家たちの書簡集や手紙を読んだことがあります。が、しかし、このゴッホからの一方通行の、しかも膨大な量の、しかも、さほど長い期間ではない手紙は、今まで読んだものとは違っていました。(ただし、上巻の前半は、ベルナールが本にするときの前書きなどです。)

 これは、読みやすい芸術論ではありませんか。
 もちろん、情にあふれた手紙ととることもできるでしょう。
 窮状を訴える手紙ともいえるでしょう。
 身内だから、いえることも書いてあるでしょう。
 全編に流れるのは、ゴッホの絵画論、色彩論の展開。
 絵を描くことに命を懸けたゴッホの生きざまが書かれています。(続く)
*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中・下 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)

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サーカスの女の子

     サーカス
(承前)
 「とても とても サーカスなフロラ」(ジャック・センダック文 モーリス・センダック絵 江國香織訳 集英社)

 モーリス・センダック最後の作品「わたしの兄の本」と同時期に未邦訳だった「Circus Girl」もでました。

 サーカス生まれサーカス育ちのとてもとてもサーカスな女の子フロラが、ある日「外の人たちってどういうふうなの?」と不安な気持ちを抱きます。そこで、フロラは、サーカスの外に出ていき、見たもの、感じたものは・・・というお話です。
 お話は、画家のモーリス・センダックのお兄さんのジャックが書いたもので、絵はモーリス・センダックで1957年共作。

 たくさんの挿絵はついているものの絵本ではなく、お話が楽しめるのは、小学校以上の子どもたちかと思います。

  センダックの描く絵で、特に好きなのは、夜や薄暗がりのシーンです。そこに居る人物(動物のこともあるけれど)の背中が物語っているように見え、夜のしんとした音が聞こえそうだからです。
 この「とてもとてもサーカスなフロラ」も(上の写真の下半分)も、「うさぎさんてつだってほしいの」(シャーロット・ゾロトウ文 こだまともこ訳 冨山房)(上の写真の上半分)も、「ケニーのまど」(じんぐうてるお訳 冨山房)「つきよのこどもたち」(ジャニス・メイ・アドレー 岸田衿子訳 講談社){ムーン・ジャンパー」(谷川俊太郎訳 偕成社)「シャーロットの白い馬」(こだまともこ訳 冨山房)「ふふふん へへへん ぽん!-きっといいこと きっとあるー」(モーリス・センダック作 じんぐうてるお訳 冨山房)➡➡などなども。

 そして、背中を向けたシーンではありませんが、、明るい調子の「かいじゅうたちのいるところ」(神宮輝夫訳 冨山房)。あの深い夜の色合いは、他の絵本には見られないもので、やっぱり、センダックの描く「夜」は、いいですね。

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センダック最後の本

センダックj
「わたしの兄の本」(モーリス・センダック 柴田元幸訳 集英社)
 
 2012年に亡くなったセンダックの最後の作品と言われるこの「わたしの兄の本」が昨秋、邦訳出版されました。
 ウィリアム・ブレイクとイメージが似ています。
 シャガールの影響も見えます。
 この話は、シェイクスピア「冬物語」を下敷きにしています。
 子どもの絵本ではありません。 

 二人の青年、ガイとジャックの物語です。
 が、しかし、兄のジャックは1995年に亡くなっていますから、この本が、仲の良かった兄ジャックへの直接的なオマージュというものではないかもしれません。もしかしたら、50年パートナーであったEugene Glynnが2007年に亡くなっていますから、その彼へのオマージュと考える方が近いのだと思います。
 そして、「わたしの兄の本」について生前センダックは、ニューヨークタイムスのインタビューに答えて「哀しい謎解きは、自分にとって最善のものだ」という言葉を発しています。つまり、二人の絆を深く考えることが、敬意を示すことにつながる・・・・(続く)

☆写真左は、「わたしの兄の本」最初のところ
≪荒涼たる真冬の夜に
新星ひとつ!ーー燃え立つ光!
水晶のまばゆさ!ーー月を隠し、
空を焦がし、
ガツン!ーー鉄の大地をまっぷたつに裂き、≫の挿絵

☆写真右はモーリスが描いた兄ジャックの絵(「センダックの世界」(岩波)掲載)

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もくもくと もぐもぐ

ままと
「ちゃーちゃん(が)いい!」と泣く孫は、叔母に抱かれ指を吸いながら、眠ります。
絵本に、人のお母さんが描かれていたら(似てなくても)、「ちゃーちゃん」と指さします。
日に日に、大泣きの時間が減るものの、会話の途中で、「ちゃーちゃん イタイイタイ」と、左手の甲を指さし、母親の点滴の様子を示します。

平日の昼間は保育所に。夕方、ばあばが迎えに行き、我が家に帰ってきます。
朝は、パパの車で保育所に。週末はパパと一緒に過ごし、ママのお見舞いに。

食べるのが好きで、もくもくと もぐもぐ食べるのをみているとたくましさを感じます。
好きなのは、人参、かぼちゃ、安納芋に、苺。それにバナナにみかん。どちらも、自分でむけますよ。
ことばも日に日に増え、ずいぶんと楽しませてもらっています。
歌も上手なんです。いろんな歌を歌えます。(メロディとリズムは、大体あってます)
ママがいつも歌ってやってましたからね。
ハッピバースデーツユーの歌も歌えます。しかも英語で!!?

しばらく、こんな生活が続くと予想され、とりあえず、土日祝日は、ブログをお休みします。

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犬のスヴィップ

やかましjj
(承前)
「やかまし村」シリーズ(リンドグレーン文 ヴィークランド絵 大塚勇三訳 岩波)の「やかましむらの子どもたち」の中に「オッレが犬を手にいれた話」があります。
 
 親切とは縁遠い靴屋のスネルの番犬はスヴィップといい、辺り一帯でいちばんたちの悪い犬でした。いつも、犬小屋につながれ、誰かが靴屋に来ると、小屋から飛び出して、吠え付くので、子どもたちは、怖くてそばに寄ろうとしませんでした。
 スヴィップは、靴屋にしょうちゅう殴られ、食べ物をもらえないこともありました。どろだらけで荒ぽく、うなったり吠えたりいていたのです。
 が、親切なオッレが、遠くから「おまえはいい犬だね。そんなにやたらとほえちゃだめだよ。」と、話しかけ続け、おいしいものを持っていくと、吠えなくなってきました。そして、靴屋がけがをすると、オッレは「あなたの足がわるいあいだ、ぼくにスヴィップのせわをさせてくれませんか?」と申し出ます。で、散歩に連れ出し、犬小屋をきれいにし、食べ物をたっぷりやって世話をしますが、靴屋のスネルのけがが治ると、スヴィップは、元通りの生活に…オッレは何日も何日も悲しみます。そして、そんな息子を見ていられなくなったオッレのお父さんが・・・・

 「やかまし村」のシリーズは、ドラマチックな展開の話ではありません。子どもたちの日常が、淡々と、描かれていて、大騒ぎのお話や、ヒーローの活躍ものを期待すると、つまらない地味なお話集だと思う人もいるかもしれません。
 が、しかし、子どもの頃なら、きっと、こう思っただろう。きっと、こうしただろう。ということが、次々描かれ、なんだか心が落ち着いてくるのです。
 もちろん、子どもが子どもの時期に読んでもらったなら、共感しながら楽しむことができるでしょう。

  実は、この本は、年始早々、戌の日を待たずして、入院した娘が、読みたいから持ってきてと言った本でした。

 中学生になる頃まで、毎日親子で本を楽しみました。3人の子どもの内、2人は、活字中毒気味の読書好き、この娘は、読書をしない、活字から縁遠い大人になりました。
 お腹の子は、元気なのですが、本人は当分,寝たきりで、何もできない生活に「やかまし村」を所望。
  
 さて、今日は、戌年二回目の戌の日です。犬の絵本は、他にも、犬のダッチェス、犬のくんくん、犬のショーティ、犬のバディ・・・などなど、ありますが、またの機会に。

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犬のブッペ

ブッペj
  戌年には関係なく、1歳8か月の孫は、「ぼくのブッペはどこ?」(イロン・ヴィークランド作 藤田千枝訳 福音館)が好きです。
 隠れている犬のブッペを探すのですが、それは、世によくある「〇〇をさがせ」と違って、絵に物語があって、主人公のぼくとブッペが心通う間柄であるのがわかる楽しい絵本です。
 孫は、この絵本を読んでもらうとき、得意げに、(ブッペは)ここ!と指さします。すると、大人は、「凄いねぇ。よくわかったねぇ。」と、彼女を褒めます。そして、また、読んでもらう。特に、初見の大人が、読むと、ブッペが本当にどこなのか、よく判らない。そんなとき、彼女は、得意満面「ここ!」

 この絵本は、リンドグレーンとよく組んでいるヴィークランド作です。いつも、生き生きとした子どもが描かれているので、好きな挿絵画家の一人です。
 思えば、孫の母親もこの画家が挿絵を描いた「やかまし村」シリーズ(リンドグレーン文 ヴィークランド絵 大塚勇三訳 岩波)が好きだったのを思い出します。(続く)
 

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犬のジェニー

ジェニーjj
「ふふふん へへへん ぽん!-きっといいこと きっとあるー」(モーリス・センダック作 じんぐうてるお訳 冨山房)です。

「はじめ、ジェニーには なにもかも そろっていました。2かいには まるい まくらが、1かいには しかくい まくらが ありました。くしが ひとつと ブラシが ひとつ、のみぐすりが ふたつ、めぐすりが ひとつ、みみの くすりが ひとつ、たいおんけい 1ぽん、それから さむいときに きる あかい けいとの セーターが 1まい。そとを ながめる まどが ふたつ。しょくじの おわんが ふたつ。かわいがってくれる ごしゅじんも いました」で始まるこの本。

 何でもそろっているということは、こんなに質素で有難いことなのか・・・と、小さい子どもなら思いませんが、大人の読者なら、感じるところがあるかもしれません。
 そして、ジェニーは「なにもかも そろっているよりも もっと いいこと きっと ある!」と、家を出ていきます。
 ここからは、波乱の人生(?)とはいえ、さいごは、舞台女優(?)になるジェニーの物語。

 センダックが彼の愛犬シーリハムテリアのジェニーを主人公をに描いただけあって、ジェニーの風情は魅力的なものです。それに、その不安だとか悲しみだとかを、センダックは、夜の風景や、陰の様子で表現し、実は、深い1冊になっているものの、最後は、コミカルな描き方で、肩の力を抜きます。

 初めは、わけがわからない長いお話だと思っていた子どもたちも、その何が起るかわからない人生に引き込まれていき、マザーグースの言葉を使って生まれたこの本、神宮輝夫のリズミカルな訳で楽しめます。

 が、しかし、もしかして、なんだか楽しめないなと思う人ならば、ぱらぱらとこの本を繰っていけば、丁寧に描かれたジェニーの画集を楽しむことになると思います。
 上の写真は、ブックカーバーを取った中にしかない、ジェニーの肖像。実は、この絵本、布張りで、丁寧な造り。センダックのジェニーへの思いを感じます。

 センダック」の犬の絵本には、漫画のコマ割りのような「子いぬのかいかたしってるかい?」 (マシュー・マーゴリス&モーリスセンダック作& モーリス・センダック絵 山下明夫訳 偕成社)もあります。

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犬のウィリー

ウィリーj
「のら犬ウィリー」(マーク・シーモントさく みはらいずみ訳 あすなろ書房)
 
 昨日の犬のジェヌビエーブ➡➡は、パリののら犬でしたが、こちらはアメリカ、多分ニューヨークののら犬のお話。
≪家族でピクニックに行くと、犬がいました。ウィーリーと名付けて、一緒に遊んでいると、あっという間に時間が経ち、家に帰る時間になりました。ウィリーは、誰かの犬かもしれず、連れて帰るわけにはいきません。でも、みんな、ずっとウィリーのことが気になって・・・
 次の土曜日も同じ場所にピクニックに行くと…そこに居たのは、網をもっているおじさんに追いかけられているウィリーでした。
首輪もひももない犬は捕まえなくてはならいというおじさんに、 こどもたちは、ベルトをはずし、髪のリボンをはずし、「ウィーリーは、うちのこなの!」≫
 
 実話をもとにできた絵本だと紹介されています。マーク・シーモントは、
「木はいいなぁ」(ジャニス・メイ・ユードリー文マーク・シーモント絵 西園寺祥子訳  偕成社)
「はなをくんくん」(ルース・クラウス文 マーク・シーモント絵 木島始訳 福音館)
「オーケストラの105人・105人のすてきなしごと」(カーラ・カスキン文 マーク・シーモント絵 岩谷時子訳 中川千尋訳 すえもりブックス・あすなろ書房)
などなどの画家でもあり、自然と人の動きをなど丁寧に、しかも、親しみゃすい描き方で表現できる画家だと思います。
 それは一時期ルームメイトだった「かもさんおとおり」などの作者、ロバート・マックロスキーも、画風こそ違え、共通するものがあります。
 そして、二人ともコルデコット賞を受賞しています。マーク・シーモントは「木はいいなぁ」で、ロバート・マックロスキーは「かもさんおとおり」「すばらしいとき」での2冊です。

上の写真の両ページには、犬がたくさん描かれていますが、「ウォーリーウィリーをさがせ」式で探してみると、こどもは、すぐに見つけます。

「かもさんおとおり」(ロバート・マックロスキー作 わたなべしげお訳 福音館)
「すばらしいとき」(ロバート・マックロスキー作 わたなべしげお訳 福音館)

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犬のジェヌビエーブ

マドレーヌ
(げんきなマドレーヌ」と「マドレーヌといぬ」(ルドウィッヒ・ベーメルマンス 瀬田貞二訳 福音館)の始まりは、
≪パリのつたのからんだ ある ふるいおやしきに、12にんの おんなのこが、くらしていました。2れつになって、9じはんに、ふっても てっても さんぽに でました。いちばん おちびさんが、マドレーヌで、ねずみなんか こわくないし、ふゆが すきで、スキーも スケートも とくい、どうぶつえんの とらにも へいっちゃら。≫です。

 そんなマドレーヌが、散歩の途中でセーヌ河に、落ちてしまいます。溺れる寸前を、一匹の戌が飛び込んで助けます。みんなは、その犬を、おやしきに連れ帰り、名前もジェヌビエーブとつけますが、学校検査の日に、追い出されてしまい、憤ったマドレーヌが叫ぶシーンが、上の写真のマドレーヌ人形と犬が見ているページ。

≪マドレーヌが いすに とびのって、「いいんちょうどの! おぼえていなさい!」と、さけびました。「ジェヌビエーブほど、えらい いぬは ないわ。あなたには、てんばつが くだりますから!』≫

 マドレーヌが勇敢でお茶目なところも可愛いのですが、こどもたちの世話をする、ミス・クラベルも素敵な人。
 子どもたちが騒ぎ出すと、すわいちだいじと はしりに はしってかけつけるのがミス・クラベル。

 それに、覚えにくい名前なのに、一旦覚えてしまうと、魅力的な名前のジェヌビエーブ。

 さて、この「マドレーヌのシリーズ」には、パリの風景も描かれていて、それを眺めるのも一興。
「マドレーヌといぬ」には、表紙のフランス学士会館だけでなく、モンマルトルやポン・ヌフ橋なども描かれています。

*「げんきなマドレーヌ」「マドレーヌといぬ」「マドレーヌといたずらっこ」「マドレーヌとジプシー」(瀬田貞二訳 福音館)
*「クリスマスのマドレーヌ」「ロンドンのマドレーヌ」(江國香織訳 BL出版)

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犬のキューちゃん

キューちゃん
 次は「スティーヴィーのこいぬ」(マイラ・ベリー・ブラウン文 ドロシー・マリノ絵 まさきるりこ訳 あすなろ書房)です。
昨日の「トプシーとアンガス」(マージョリー・フラック 作・絵 まさきるりこ訳 アリス館)➡➡のトプシーは、ご婦人の手からジュディの手に渡った犬の話でしたが、この「スティーヴィーのこいぬ」は、スティーヴィーが庭の木の下で見つけた子犬の話です。

 ドロシー・マリノの描く世界は、「くんちゃん」も、「ふわふわくんとアルフレッド」」も、「おかあさんはなにしてる?」も「スーザンとマイケルは一年生」も「ベンジーのもうふ」(子猫のお話です)も、どれも、みな優しく、穏やかな空気が流れています。
 
子犬の飼い主が見つかっても、スティーヴィーがその子犬をもらうことになるのですが、友達が口々に子犬の名前を提案するも、
≪スティーヴィーは、こいぬを じっと みつめました。「なんて なまえにしてほしい?」 スティーヴィーは、こいぬをのぞきこんで ききました。「キュウ キュウ!」と、こいぬはなきました。「キューちゃんだ! ぼく、このこいぬ、キューちゃんって よぶ!」とスティーヴィーはいいました。「キュウ キュウ!」と キューちゃんは いいました。みんな わらいました。「ほらね!このこ、もう げいとうを ひとつ おぼえたよ。じぶんの なまえが いえるんだ。かしこいなぁ!」と、スティーヴィーは いいました。≫

「くんちゃんのシリーズ」(ドロシーマリノ 石井桃子訳 岩波 まさきるりこ訳 あらいゆうこ訳 ペンギン社)
「ふわふわくんとアルフレッド」(ドロシー・マリノ 石井桃子訳 岩波)
「おかあさんはなにしてる?」(ドロシー・マリノ こみやゆう訳 徳間書店)
「スーザンとマイケルは一年生」(ドロシー・マリノ まさきるりこ訳 アリス館)
「ベンジーのもうふ」(マイラ・ベリー・ブラウン文 ドロシー・マリノ まさきるりこ訳 あすなろ書房)

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犬のトプシー

   アンガス3
(承前)
 さて、アンガスのシリーズ➡➡のもう1冊。
「トプシーとアンガス」(マージョリー・フラック 作・絵 まさきるりこ訳 アリス館)です。

 昨日、絵本の順番のことに触れましたが、この絵本が、シリーズの最後なのは、最初にアンガスとアヒル、アンガスと猫、アンガスとベスが一緒に遊んでから、そののち、トプシーが登場するからです。

 ≪むかし、あるところに、コッカー・スパニエルの こいぬが いました。なまえは、トプシーと いいました。トプシーの いえは、ペット・ショップの ショー・ウィンドーでした。あかんぼうのいぬのころは、トプシーにも おかあさんが いました。でも いまは、 トプシーには かぞくが いません。トプシーは さびしくて たまりませんでした。≫
 で、始まる「トプシーとアンガス」なのですが、このシリーズを通して、わかることは、どれも、最初のところで、簡単に、犬の特徴を紹介し、そのあと、始まるお話の展開を、期待させるものとなっていることです。

 トプシーは、ジュディという女の子とウィーンドーごしに対面するものの、実際にトプシーを家に連れ帰ってくれたのは、サマンサ・リトルフィールドという名前の お年寄のご婦人でした。この人は、大きな庭の立派な家に住み、庭も家もきちんとしていて、塵一つおちていない一人暮らしのご婦人でした。トプシーには、ひもをつけセーターを着せるのですが、トプシーは、噛みちぎります。エサを食い散らし・・・・・他に、いろんないたずらを繰り返します。「そんな悪い子は、地下室に入っていなさい」ということで、地下室に入れられるものの、そこの石炭置き場の投入口から外に出られることが分かり、庭に飛び出すと、裏木戸を抜けると、そこには、誰あろう?アンガスが、ブルン ブルン ベスが!・・・・そして、ジュディが!

 トプシーが庭に一目散に出ていく絵には、これらの家の位置関係の一部がわかります。アンガスの家の裏手に、ご婦人の家があり、その家は大きいものですから、ベスの家の裏手でもあったのです。(ちゃーんと、裏木戸を抜けると、とありました)
 そうか!じゃあ、最後に塀をのぞいて、ボールを取りに入ってくるジュディって、どこに住んでるの?
 それで、もう一度、昨日の「ベスとアンガス」を開いてみると、ベスとアンガスが、道でアヒルを追い駆け、猫が門柱の上で見ている絵の通りの向こう、小さく小さく子どもが描かれています。小さすぎて、ジュディと見るには、無理があるかもしれませんが、ジュディです。
 それに、その絵には、「まいごのアンガス」で登場したヤギまで小さく描かれていましたよ。

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犬のベス

アンガス2
(承前)
 アンガスのシリーズ➡➡は、まだ他にも二冊出ています。二冊には順番があり、まずは、
「ベスとアンガス」(マージョリー・フラック 作・絵 まさきるりこ訳 アリス館)

 素人目には、スコッチテリアのアンガスを大きく、スマートにした感じに見えるエアデール・テリアの本名ブルンブルン ベスが、今回の主役です。ちゃんとしたエアデール犬は、耳を立て、嬉しそうな顔をして、しっぽをブルンブルンふるのですが、この犬は、とても恥ずかしがり屋で、なんでも怖くて、いつもびくびくしながら大きくなりました。
 散歩も怖くて後ずさりしたり、餌を食べるのさえ怖くて、ついには丸のみしてお腹が痛くなったり、また、夜には壁に写る自分の真っ黒な影も怖い。
 ところが、ある日のこと、庭の向こうの垣根から、現れたのが、アヒル二匹と猫とアンガス・・・
 
 そうなんだ!
 アンガスの読者ならお分かりのように、アンガスと一緒に住んでいるのが猫。アンガスのお隣に住んでいるのが二羽のアヒル。ということで、アンガスのお家のもう一つのお隣に住んでいたのが、ベスだったのです。つまり、アンガスの家の両隣りには、アヒルとベスが住んでいるということです。
 アメリカの裕福な地域のおうちが舞台になっていますから、お庭も広く、お隣との距離もずいぶんあって、動物たちのご近所づきあいも、簡単にいかないものの、一旦仲良しになると、みんなで走り回っています。
 さて、さて、もう一匹の犬も参加しますよ。どこに住んでいるんでしょうね。(続く)

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犬のアンガス

アンガスjj
≪アンガスは、スコッチ・テリアで、からだはとてもちいさいのに、あたまとあしはおおきないぬでした。
アンガスは、みるもの かぐもの なんでも しりたがりました。——
ソファのしたには、なにがいるんだろう とか、かがみのこいぬは だれだろう とか。
もってこられるものと、もってこられないものがあることも、気になりました。——
くつは、もってこられるのに、ズボンつりは、だめでした。・・・・・・・・≫

 犬のアンガスの目線やその動きは、乳幼児そのものです。好奇心いっぱい。
 アヒルに、逆襲されるは・・・・「アンガスとあひる」(マージョリー・フラック 瀬田貞二訳 福音館)
 猫に翻弄されるは・・・・「アンガスとねこ」(マージョリー・フラック 瀬田貞二訳 福音館)
 ついには、迷子になるは・・・「まいごのアンガス」(マージョリー・フラック 瀬田貞二訳 福音館)

 上の写真に使ったアンガスの表情を、子どもが小さい頃、よく見ました。特に覚えているのは、まだ一人で歩けなかった頃の末っ子のこの顔です。
 興味津々で、窺っています。
 ・・・・で、気が付いたら、彼女は、開いた門扉のところで、右のような表情、姿勢で、道を見ておりました。きゃあ~
 車の通りがほとんどないとはいえ、ともかく車道でしたから、無事でよかった。ひとえに、母親の管理不行き届き。(続く)

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犬のタウザー

  タウザーj
次は、「チムの犬タウザー」(エドワード・アーディゾーニ文・絵 神宮輝夫訳 偕成社)です。昨日までのハリーや、ベンジーとは違い、話の主役ではありませんが、船のボーイのチムが可愛がる犬です。

 船の中で見つけられた子犬の名前を付ける時、もう一人の船のボーイ、ジンジャーが「バギンズってなまえにしようじゃないか」というと、チムが言います。「だめ!そんなつまらないのじゃなくて、タウザーにしよう。」
≪ そこで、ふたりは、この犬にタウザーというなまえをつけました。大きないぬといういみです。≫
 
 そうなんだ!Towserは、大きな犬!(そのとき、絵本では、まだほんのちいちゃい子犬です)
 で、港々で、飼い主を探すものの、誰も飼ってくれません。 
 パイパー船長は、犬が嫌いなのです。
 そして、タウザーは本当に大きな犬になり、タウザーを隠して育てているチムとジンジャーはやせ細っていきます。(二人の食事をタウザーに回しているからです)
 ・・・・二人が、まだまだタウザーを隠している時、船長には犬が見えるのですが、二人が口裏を合わせ、犬なんか見えませんというものですから、船長には、誰にも見えない犬が見えるのだと思い込み、病気になってしまいます。そこへ、嵐が・・・そこへ、船長のねこのタイガーとタウザーが・・・

 結末まで読むと、この絵本の主人公は、チムでもジンジャーでもなく,もしかしたら、タウザー?

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犬のベンジー

ベンジーj
(承前)
  「どろんこハリー」シリーズ➡➡は、ジーン・ジオン文、 マーガレット・ブロイ・グレアム絵のコンビでしたが、この「ベンジー」シリーズは、奥さんのマーガレット・ブロイ・グレアムが文も絵も担当しています。

 黒いぶちのある白い犬のハリーとは違って、ベンジーは、耳が長くてしっぽの短い茶色の犬です。
ハリーより、いたずらが過ぎず、家族の一員としての意識の高い(?)犬です。それに、ちょっと機転の利く賢い犬としても描かれています。(実際に、モデルとなった犬は、作者マーガレット・ブロイ・グレアムの子どもの頃、飼っていた犬ブラウニーで、たいへんかしこい犬だったと紹介文にあります。)

 「ベンジーのふねのたび」(わたなべしげお訳 福音館)では、いつもは、うちの人達と一緒に旅行に出かけるベンジーでしが、船の旅にはついて行けず、お留守番。
 そんなとき、うちの人達が乗っていった船そっくりの船を見つけ、ベンジーはタラップをかけあがりますが、そこには、船の猫のジンジャーが居て、追い駆けられ・・・・船は出港。
 コックさんには優しくされ・・・
 猫のジンジャーの危機を助けると、仲良くなり・・・
 するうち、船が帰港すると、家に一目散。

 ・・・という話なのですが、思い出すのは、「チムとゆうかんなせんちょうさん」(エドワード・アーディゾーニ文・絵 瀬田貞二訳 福音館)や「チムの犬タウザー」(エドワード・アーディゾーニ作・絵 神宮輝夫訳)です。
 コックさんに優しくされるところなんか、絵まで似ているように見えてきます。ただ、チムは、その後、船酔いになり、ベンジーは元気いっぱいという違いはありますが・・・
 それにすまた、船の猫と犬が仲良しになるところも「チムの犬タウザー」に似ています。ただ、タウザーは、そのまま船の犬になり、ジンジャーは家族のもとに戻ります。

 このベンジーのシリーズも「ベンジーのふねのたび」(わたなべしげお訳 福音館) 「ベンジーとおうむのティリー」 「ベンジーのいぬごや」 「ベンジーとはずかしがりやのフィフィ」(わたなべてつた訳 アリス館)が出ています。(続く)

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犬のハリー

 どろんこハリーj
 戌年なので、今日も犬の絵本。
 くろいぶちのある白い犬の絵本といえば、「どろんこハリー」「うみべのハリー」(ジーン・ジオン文 マーガレット・ブロイ・グレアム絵 わたなべしげお訳 福音館)です。
 なんでもすきだけど、おふろにはいることだけは、だいきらいなハリーです。
 うみべのことなら なんでも すきだけど、かんかんでりのおひさまだけは いやなハリーです。

 「どろんこハリー」「うみべのハリー」だけ読んでいると、ハリーは、いたずら子犬のような気がしますが、実は、けっこうなこだわりやさんだとわかります。
 「ハリーのセーター」(わたなべしげお訳 福音館)では、おばあちゃんからのプレゼントがバラの模様のセーターだったものの、ハリーはそのバラ模様が気に入りません。ところが、バラ模様のセーターの毛糸が鳥の巣に有効活用されたあと、新しいプレゼントのくろいぶちのある白いセーターは、得意満面で着るという具合。(写真、左上)

 「ハリーのだいかつやく/ハリーのうたうおとなりさん」(もりひさし訳 ペンギン社/こみやゆう訳 大日本図書)では、お隣さんの甲高い声を嫌い、牛のなき声を「なんて やさしいこえだろう こんなに ひくくて こえやわらかいこえは きいたことがない」と思い、消防音楽隊のチューバの音には「牛のなきごえよりも ひくくて やわらか」だと思い、蛙の鳴き声すら「牛よりチューバの音より、ひくくて やわらか」だと考えるハリー。そこで、ハリーのお気に召す音で、おとなりさんの声をかき消そうとするのですが・・・・

 さて、ハリーのシリーズは、ご夫婦コンビによるものですが、犬のベンジーのシリーズは、奥さんのマーガレット・ブロイ・グレアム作(文・絵)によるものです。(続く)

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戌年の戌の日

 いぬがいっぱいj
  今日は、戌年最初の戌の日。
 妊娠五か月になったら、安産の犬にあやかって、戌の日に腹帯をまく風習は、冷えないように、外から守るなどの意味があるのでしょうが、ともかく、出産に向かう中間地点で、妊婦を激励するという意味なのでしょう。

 さて、小さい子向きの犬の絵本には、こんな絵本もありますよ。
「いぬがいっぱい」(グレース・スカール作 やぶきみちこ訳 福音館)。どのページにも犬が描かれ、おりこうな犬、いたずら犬、しょんぼり犬、げんきな犬・・・最後に、みんないっしょに「わんわん」
 *ねこもあります。「ねこがいっぱい」(グレース・スカール作 やぶきみちこ訳 福音館)

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あけましておめでとうございます

カレンダーj
今年もよろしくお願いします。
☆スイス ブリエンツ湖の写真➡➡を貼った2018年のカレンダーを作ってみました。
☆写真下は、2018年芦屋浜の初日の出。いい一年でありますように。

初日の出

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