FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

ジングルベル

ツリーjj
 忙しいは、「心を亡くす」と書くのはわかっていたものの、もはや、2017年も終わりが近い。ともかく、今日は戌の日。やっと、娘と孫は、父親との三人の生活に。ばあばは、とても大変でしたが、静かな日常も、ちょっと寂しい。
 
今年の12月は、何十年ぶりかに、たくさん歌い、たくさん絵本を読み、クリスマスを迎えました。
 回らぬ口で、いろいろ歌ってくれ、よたよたしながら、踊ってくれ(?)た孫の成長が、サンタのくれた今年の贈り物。

 30代の3人の子どもとは楽しまなかった今年の新刊「ジングルベル」(キャサリン・N・デイリー作 J・P・ミラー絵 こみやゆう訳 PHP)という絵本は、孫と何度も楽しみました。少々、文章もながいので、全文読むわけではありません。
 赤字で「ジングルベル」の歌詞が書かれているので、そこを歌いながら、ページを繰っていったのです。動物たちが大好きな孫ですから、「うまさん」も「くまさん」も「うさぎさん」も「わんわん」も「にゃあにゃあ」も「ブーブー」も大好きです。もちろん、赤い洋服、しろいひげのサンタクロース。
 それで、孫が、教えてくれたこと。
 この絵本のサンタクロースは、家では眼鏡をかけているということ。
それからというもの、眼鏡をしていない他のサンタクロースの絵や飾りを見ると、「(目を押さえながら=眼鏡のつもり)ないねぇ・・・」というようになりました。ほんと、細かいところもよく見てる。

≪♪~ゆきを けり のやま こえて すべりゆく かるい そり!
うたごえも たからかに こころも いさむよ そりの あそび!
ジングルベル ジングルベル すずが なる! 
きょうも たのしい そりの あそび オー!
ジングルベル ジングルベル すずが なる! 
さあさ いこうよ そりの あそび!~♪≫

年末年始、お休みします。それでは、みなさん、よいお年を。
☆先日、届いたモミの木の飾り➡➡は、お土産やいただいた手作りの物。今年の新人もいれば、30年以上のベテランも。

PageTop

ギャロービー・ヒル

ホックニーj
(承前)
 「ボストン美術館の至宝展ー東西の名品、珠玉のコレクション」(~2018年2月4日 神戸市立博物館)➡➡では、ゴッホもよかったし、ジョン・シンガー・サージェントもよかったし、歌麿も、陳容もよかったけれど、もしかしたら、一番、心躍った作品は、そして、行きつ戻りつ、何度も眺めたのは、ディヴィッド・ホックニーの「ギャロービー・ヒル」のような気がします。

 なんと、伸びやかで美しいイギリスの田園風景。ああ、遠くに見えるパッチワークのような畑。遠くの空の霞んだ様子。
 イギリスの絵画と言えば、ラファエル前派のダークな色合いを思い浮かべがちですが、ホックニーの描くのは、あの明るい田園。
 イギリスと言えば、曇りがちの風景を思い浮かべがちですが、ホックニーの描くのは、夏のあの明るい空。

 イギリス生まれのホックニーは、アメリカ西海岸を拠点に活動したようですから、この明るさは、その光なのかもしれません。
 けれど、そんな先入観なしに、この絵を見たとき、あのイギリスの田園以外浮かびませんでしたから、ホックニーもきっと、時折見ることのできる夏の日射しのイギリスの田園を描いたものだと、勝手に解釈いたします。
 その後、調べたら、ここは北イングランド ヨークシャー州のギャロービー・ヒルでした。

 この絵は、大きな油絵なので、離れて見ると一層、わくわく。

PageTop

九龍図巻

ゴッホ14j
(承前)
  「ボストン ボストン美術館の至宝展—東西の名品 珠玉のコレクション」(~2018年2月4日 神戸市立博物館)➡➡は、古代エジプト美術から中国、日本、フランス、アメリカ、版画・写真.、現代美術まで幅広く展示されています。東京上野で見てきたテーマを浮世絵とフランス近代絵画に絞った二つの美術展とは、ずいぶん違います。➡➡  ➡➡ アメリカの複数のコレクターからの寄贈の展示でもあるので、まあ、多種多様な展示とも言えます。写真画面上は、以前の「ボストン美術館展 日本の至宝」➡➡の図録表紙ですが、日本のものに特化し、曽我蕭白の「雲龍図」を展示の目玉にしていました。そのときに来ていた墨画の曽我蕭白「風仙図屏風」(1770年頃)も、今回、神戸の「ボストン美術館展」にも来ていました。

 「ボストン美術館展」は、テーマこそ違え、毎年のように、開催されているせいか、混雑していず、珍しく、ゆっくり見ることが出来ました。
 中でも、陳容という中国の人の描いた絵巻、「九龍図巻」(1244年)紙本墨画淡彩は、10メートルに及ぶ画面に9匹の龍が自由にのびのび、生き生きと描かれていて、楽しいものでした。今まで、このように龍の生活(?)が描かれたものを見たことがなかったので、十分に鑑賞しました。

 この絵巻「九龍図巻」は、小さいながらも、その迫力に圧倒されてしまいます。この作品が13世紀にすでに描かれていたというのですから、日本の画家も、龍の絵は、素晴らしい手本があったことよ、と思いました。
 「九龍図巻」に描かれている龍のおおらかさも、かの大きな国、かの歴史ある国だからこそ生まれたのだろうと思うと、きっと、もっとたくさん存在するであろう古い中国の龍の絵を見たいものだと思いました。(続く)

☆写真下は、「九龍図巻」の”黒雲のなか老年の龍(左の白髪頭)が若い龍(右上方)に教えを授けているシーン”…龍も年を取ったら白髪になるんだ!

PageTop

ローベル・ド・セヴリュー

ゴッホ13j
(承前)
 「ボストン ボストン美術館の至宝展—東西の名品 珠玉のコレクション」(~2018年2月4日 神戸市立博物館)➡➡に、ジョン・シンガー・サージェントの作品も2点来ていました。サージェントの作品は、カ・リ・リ・ロの名前のもとになった絵➡➡だけでなく、肖像画の素描➡➡も好きですが、今回の展示の絵は、初見でした。

  いかにも、裕福な女性の肖像画「フィスク・ウォレン夫人と娘レイチェル」(写真左)より、緊張した姿勢で立っている男の子の肖像画「ローベル・ド・セヴリュー」(写真右)が印象的でした。
  この男の子は、手から逃げ出してしまいそうな子犬を抱いているので、緊張している様子が伝わってきます。顔は正面を向いていますが、いつのまにか、揃えていただろう足は、離れ、力が入っています。
 
 先日来、見てきたゴッホの肖像画とまったく違う描き方だし、それぞれのモデルの生活もずいぶん違ったものだったでしょう。シンガーのものは依頼による高価な仕事に対し、ゴッホは描きたい人を描き、当時はお金に縁遠かった。この二人の画家には、まったく共通点はありません。
 しかしながら、二人の画家が、その人物の本質を見ようと描いた肖像画には、時を超え、その人が、そこで息をしているかのように我々に語ってきます。

 若い時に比べ、肖像画も楽しめるようになったのは、現実でも、いろんな人生を見る経験が増えたせいかもしれないと思います。(続く)

PageTop

ボストン美術館展

    ゴッホ5j
(承前)
 先に絵ありき、ではなく、先に映画を観て、美術鑑賞というのも、面白いです。
 
映画「ゴッホ最期の手紙」➡➡の影の主人公ともいえる郵便配達人ジョゼフ・ルーランとその妻の肖像画が展示されている 「ボストン ーーボストン美術館の至宝展—東西の名品 珠玉のコレクション」(~2018年2月4日 神戸市立博物館)に行きました。

  郵便配達人ジョゼフ・ルーランの絵を描くにあたって、ゴッホは、弟テオに、こんなふうに紹介しています。
≪青い制服に金モールの飾りをつけ、髭を生やした大きな顔の、ソクラテスによく似た「郵便配達夫」だ。タンギー爺さん➡➡みたいな熱狂的な共和主義者で、ほかの多くの人たちよりもずっと面白い人物だ。≫≪「郵便配達夫」を自分が感じたように描くことができるかどうか、僕にはわからない。・・・・・(中略)・・・・残念なことになかなかこのモデルは座ってくれないが、どうしてもやっぱり仕上げてみたい、知的モデルの絵を。≫*「ゴッホの手紙 中」(J,v.ゴッホ―ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
 ゴッホは、郵便配達人ジョゼフ・ルーランが制服を着た絵を、この全身像と胸像の何枚か描いています。

 ルーランと、その家族が、アルルで友人のほとんどいなかったゴッホにとって、大事な存在だったのは、このジョセフの絵だけでなく、息子のカミーユ(映画「ゴッホ最期の手紙では重要な役回りでした)、それに妻のオーギュスティーヌ・ルーランも描いているところからも、よくわかります。この一家でのひと時は、癒される時間だったのかもしれません。

 実際、かの耳切事件の直後、親身になって世話をしてくれたのがルーランだったことからも、ルーランの存在は大きいものでした。
 事件後すぐの弟テオへの手紙1月1日付に、こうあります。(事件は12月23日夜)
≪ゴーガンが君をすっかり安心させてくれると思う。多少絵の商売の件でもね。近いうちにまた制作を始めたい。家政婦と友人のルーランが家の中を片付けてくれたので、すっかり整頓した。・・・・・(中略)・・・・・ルーランは本当に親切にしてくれた。他の人たちが承知する前に、退院できるように機転を利かせてくれた。≫*「ゴッホの手紙 下」(J,v.ゴッホ―ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)
 その後、ルーランは、転勤になってしまい、ゴッホの周りから、また一人居なくなり、その後、ゴッホは、精神病院へ・・・

 実は、郵便配達人ジョセフ・ルーランと息子のカミーユ・ルーランの絵は、2016年秋の東京都美術館「ゴッホとゴーギャン展」➡➡に来ていました。
 この時は、「ゴッホの手紙」もまだ読んでいなかったせいもあって、郵便配達人ジョゼフ・ルーランの絵をしっかり見てきたわけではなかったと、今更ながら思います。
 
くわえて、スイスのオスカー・ラインハルト美術館アム・レマーホルツ➡➡に、ゴッホが描いた、アルルの病院の絵が2枚ありましたが、年が明けたら「ゴッホの手紙」(岩波文庫)のことを書くつもりなので、そのときに。(続く)

☆写真下は、一枚の絵ハガキ。二人の肖像画がそろって日本にくるのは初めてだとか。左:郵便配達人ジョゼフ・ルーラン、右:子守唄 ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人

ゴッホ12j

PageTop

シラカバの木の、ずーっと上

ゴッホ15j
(承前) 
 ゴッホつながりで書くはずでしたが、朝、使うフェイスタオルを見て、書きたくなったのは、カリジェの描く「フルリーナと山の鳥」(ゼリーナ・ヘンツ文 アロワ・カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)のこと。
 写真に写る、タオルはもう何年も前の「カリジェ展」のときに買ったまま、お蔵入りしていました。
 年内は、孫が来ているので、洗面所が孫も楽しめる雰囲気にしたくて、フェイスタオルはカリジェ、バスタオルはぞうのババール(これも、何年も前の絵本展で買ったもの)、ハンドタオルは「うさこちゃん」(これは新しく買いました)。

 それで、フルリーナがシラカバの木のずーっと上の枝で寝ていた山の鳥を、枝から降ろすシーンのこのタオルは、原画より空を大きく、星をちりばめているせいか、原画から起こしたデザインとはいえ、原画より、満天の星が感じられるタオルとなっています。
 ただ、元の話は、星空は舞台設定の背景であり、主人公はフルリーナと山の鳥ですから、このタオルのように星空を強調しなくてもいいのです。

 いつか、孫がフルリーナの優しさに触れ、スイスの美しい景色が描かれたこの「フルリーナと山の鳥」を楽しむ日がくることを願います。

 さて、さて、単純なばあばは、歯を磨きながら、横目でこのタオルを見、つい、「Starry Starry Night ♪~」➡➡と口ずさんでおります。(続く)

PageTop

Starry, Starry Night

ゴッホ9j
(承前)
 映画「ゴッホ最期の手紙」➡➡の最後では、「Starry Night Over the Rhône」(ローヌ川の星月夜:パリ オルセー美術館所蔵)の絵が登場。リアン・ラ・ハヴァスの歌う「Starry, Starry Night」が流れます。そして、ナレーションと字幕。
 ここで、うるっと来ない人なんているんだろうか・・・

 有名な激しいタッチの「星月夜(糸杉と村)」(ニューヨーク近代美術館所蔵)より、この「ローヌ川の星月夜」➡➡の方が、好みです。優しい星の光、川面に写る光・・・。映画のエンディングでこれを使う監督も同じ気持ちなのかと、またうるうる。映画を観てつくづく感じたことは、映画製作者たちのゴッホへの愛でした。

 今まで、偏った見方で見ていたと思えるゴッホの作品の中に流れる大きな愛や、南仏で得た明るい光や、ドーデ―が描いたような、南仏の人情。
 心を病む孤独な人、ゴッホなどと捉えるのは、やめることにしました。
 
「ゴッホの絵は、生前一枚しか売れなかった」という言葉で映画は終わります。
ああ、ゴッホは居ない・・・無性に哀しかった。
歌は流れます。「Now I understand what you tried to say to me,」(今なら わかる あなたが 言おうとしたこと」(続く)

***リアン・ラ・ハヴァスの歌う「Vincent (Starry, Starry Night)」にも愛が溢れ、少々センチメンタルではありますが、いい歌です。詩がとてもいい。Don McLeanの1971年作とか***

PageTop

映画「ゴッホ最期の手紙」

ゴッホ8j
(承前)
 東京都美術館の「ゴッホ --巡りゆく日本の夢」(~2018年1月8日)を見る前に、この映画「ゴッホ 最期の手紙」を観ていたら、絵画鑑賞する目も違っていたことだろうと思います。

 油絵風のアニメーションでできた映画でした。実写の部分もあったような気がするのは錯覚らしく、全編アニメーションといい、その出来栄えは見事。アニメーションにありがちな、薄っぺらな感じでなかったのは、油絵風だったからでしょうか。それとも、実写を油絵風にするという、しんどい作業から生まれたからでしょうか。
 一つの例をあげるなら、写真右のゴッホの肖像画に、うねうねと描かれた背景がありますね。そのうねうねが動き出すとともに、ゴッホも動き出すという仕掛け。

 話は、郵便配達人ジョゼフ・ルーランの息子が、父の友人で自殺したゴッホが弟テオに宛てた最後の手紙を託され、パリへと向かうものの、テオはすでに亡く・・・・・・それで、ゴッホの最期をたどるうちに、その死因が、本当に自殺だったのかと疑問が湧いていき、ゴッホの生前の人となりを追うとともに、その謎に迫ろうとするミステリータッチ。
 久々に面白い映画でした。

 見たことのある絵が次々と動き出し、自然な形で、風景となり、肖像画として見たことのある人物が、次々と、話し始め、動き始める。ずっと昔に見たひまわりが一面に咲いていたゴッホとゴーギャンの実写の映画より、ずっとリアリティがあって、画家の本質に迫るものがあると思いました。(続く)

 ☆写真右は、ゴッホ自画像(1889年)「世界の巨匠 ゴッホ」(ウィリアム・フィーヴァー 水沢勉訳 岩波)、左は、麦わら帽子をかぶった自画像「ゴッホの手紙」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)

PageTop

日本の娘

ゴッホ11j
(承前)
 ゴッホのアルル時代には、夾竹桃を持った少女の絵を描いています(写真、中央)。今回の「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(東京都美術館~2018年1月8日)➡➡に来ていたのは、その「ムスメの肖像」(ラ・ムスメ)の素描でした。(写真、右)

 ゴッホはベルナールに宛てて、この絵のことをこんな風に書いています。
≪十二歳の少女の肖像を描き上げたばかりだ。目が褐色で、髪と眉毛が黒く肌が灰黄で、白い背景はヴェロネーズ緑が利いている。血のように鮮やかな赤のジャケツには紫の縞があって青いスカートには橙色の大きな点がある。可愛らしい小さな手で夾竹桃の花をもっている。≫

 で、この絵のタイトルは「ムスメ」(ラ・ムスメ)といい、ロティの「お菊さん」に出てくるムスメからきているようで、娘の翻訳ではありません。弟テオには、この絵のことをこう書き送っています。
≪・・・僕の「ムスメ」をうまく書き進めるためには頭脳の力をそれだけに集中しなければならなかったのだ。「ムスメ」とは、十三四歳の日本の娘ーーこの場合は実はプロヴァンス娘なのだがーーのことをいうのさ。・・・・・(中略)・・・少女の像は、背景に強く緑をかけた白、胴着は血紅色と紫の縞。スカートは青地にオレンジがかった黄色の大きな斑点がある。艶のない肌は灰黄色。髪は紫がかって、眉と睫(まつげ)は黒で、眼はオレンジ色と群青。指の間に夾竹桃の枝が一本で、両の掌は内側に向けている。≫

 ゴッホと言えば、「ひまわり」➡➡というくらい、ゴッホとひまわりは印象深いものの、意外と、夾竹桃も、ゴッホの作品の中では、ゴッホとつながっていました。
 
 そして、いずれ、「ゴッホの手紙 上中下」のことは書いておこうと思います。(続く)

*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)
*「ゴッホの手紙 中 テオドル宛」(J.v.ゴッホ・ボンゲル編 硲伊之助訳 岩波文庫)

PageTop

不滅の名誉の分けまえに与かりたい

ゴッホ10j
(承前)
 個人的なゴッホに対する偏った見方を変えていくきっかけになったのが、まだ読んでいなかった「ゴッホの手紙」(上・中・下 エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)と、「ゴッホ 最期の手紙」という映画でした。

 「ゴッホの手紙」については、いずれ、ゆっくり書くつもりですが、ここでは、ゴッホがもしかしたら、「陽気なタルタラン」(ドーデ― 小川泰一訳 岩波文庫」のタルタランのように、(ほら吹きではあるが)陽気な人物に、惹かれていたのでは?と思わせる箇所が、手紙の中にありました。
 本人が、生真面目であれば、あるほど、ほらなどふいて、テキトーに世を渡っていく人に惹かれるということは考えらえます。

 ベルナール宛 第四信
≪憂鬱はこの土地の雰囲気ではなさそうだ。今はまだじっと静かに暮らしている。先ず、その所有主であることを感謝している胃の調子を癒す必要があるからだ。しかしそのあとで、大活躍をしなければならない。というのは、タラスコンのタルタランの不滅の名誉の分けまえに与かりたいのだ。君が兵役をアルジェリアで過ごそうとするのは大変面白い。それはすてきでちっとも不幸ではないよ。ほんとうにお祝いをおくる。どっちみちマルセイユで会おう。ここの青空をみたり太陽を識ったら、君もきっとそれが気に入るだろう。・・・・≫

 ほら!タラスコン タルタラン アルジェリア マルセイユ・・・「陽気なタルタラン」そのままの言葉が出てきます。 

☆写真は、「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(東京都美術館~2018年1月8日)➡➡本邦初公開のゴッホ「夾竹桃と本のある静物」***実は、夾竹桃も「陽気なタルタラン」の中で、ちょっとした役回りをしています。(続く)

PageTop

タラスコンの乗合馬車

上野2j
(承前)
 「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(東京都美術館~2018年1月8日)➡➡に来ていた本邦初公開の「タラスコンの乗合馬車」は 「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫)に出てきます。 

 ほら吹きタルタランも、ついに地元を出てアルジェリアで獅子狩りに出発、マルセイユ経由で、アルジェリアに。ところが獅子は居ず・・・
 ある日、古ぼけた大昔の乘合馬車に乗って、うとうと・・・・
 すると、
≪「タルタランさん!タルタランさん!」「俺を呼ぶなあ誰だ?」「私(わっし)わですよ、タルタランさん。お分かりになりませんかい?私(わっし)はーーー二十年昔の話ですがね!---タラスコンからニームまでの往復をやってゐた乘合馬車の慣れの果です。・・・・あんた方が、あんただのあんたのお友達ですな、ジョンキエールやベルガルド方面へ帽子狩りに御出馬って時にや、何度お伴をしたか知れませんや!・・・・」(中略)・・・・・「だが、ね君、君あ一體こんな處へ何しにきたんだい?」「へえ、お訊ねではございますがタルタランさん、誰がこんな處へ好きこのんで來るものぢやありません。・・・ボーケール鐡道が敷けた、貴様なんざ何の役にも立たねえ、亜弗利加へやつちまへつてつ次第なんでして。・・・もっとも私(わっし)一人ぢやありませんや!ふらんすの中の乘合は、どいつもこいつも私(わっし)同様島流し。こんなもなあ飛んでもねえ時代遅れだとか何とか云はれて、みんな此處へ追つ拂はれ、獄舎の苦しみを嘗めさせられてるんでさ。・・・・・ふらんすでもってあんた方がアルジェリア鐡道つて名でよんでいるのが、かく申す我々なんですよ。・・・ねえ!タルタランさん、私(わっし)あ、あの立派なタラスコンが懐かしくってならねえ!…(後略)・・・・≫

・・・・と、乗合馬車の愚痴は延々続きます。
話を読んでからこの絵を見ると、ふーん、この馬車もその運命の日が近いの?などと、感情移入して見てしまいます。絵だけ見ると、明るい日射しのタラスコンの町で、停車しているだけの馬車なのですが。

 どうも、ゴッホと言えば、耳を切った人、精神を病んだ人というイメージで捉えがちですが、もっと、いろんな作品を見ていけば、穏やかで明るい面を知ることができるかもと、思いを新たにしています。(続く)

*「アルプスのタルタラン」(畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡

PageTop

綺麗な星

ふたご座流星群がピークに見える夜だとニュースで言っていました。

10時も過ぎて、おしめを干していたら、オリオン座がくっきり、はっきり見えました。
並んだ三つの星は、特別 きれい。
近隣住宅の明かりがあるので、流れ星までは見えないだろうと思っていました。
それでも、あんまり、綺麗ので、娘に声を掛けました。
「一緒にオリオン座を見よう」

すると、ものの5分もしないうちに
「あ!」
「ほら!」
「わ!」
・・・・・・それぞれ、二つずつ、流れ星を見ました。

 あんまり早くて、願い事を考える暇もありませんでした。
 孫と、その母親は、ぐっすり寝ていました。
 明日もいい日になりますように。
☆写真は、注文したモミの木が届きました。濃い緑、いい匂い。てっぺんに綺麗な星をつけましょう。
ツリーj

PageTop

縮緬紙の版画で見るような豊かな青

ゴッホ7j
(承前)
  「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(東京都美術館~2018年1月8日)見聞報告はまだ続けるつもりですが、ここでは、関連して、夏ころから読み続けているドーデ―のこと。
 今まで書いたように、ドーデ―の文庫本は、大抵が、今まで本棚の隅で眠っていました。
 それを、スイスに行くので、まず「アルプスのタルタラン」(畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡を読み、「アルルの女」(桜田佐訳 岩波文庫)➡➡「風車小屋だより」(桜田佐訳 岩波文庫)➡➡「月曜物語」(桜田佐訳 岩波文庫)➡➡ ➡➡、まだここに書けていない「サフォ パリ風俗」(朝倉季雄 岩波文庫)、「プチ・ショーズ ある少年の物語」(原千代海訳 岩波文庫)、それともう一冊のタルタランもの「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫)を読みました。そういえば、ドーデ―も、シーボルトを通して、日本と近づいていたのでした。➡➡
 
 そして、日本に憧れるゴッホは、友人のベルナールにアルルから送った手紙に
≪約束通り筆を執ってみたが、まずこの土地の空気は澄んでいて、明快な色の印象は日本を想わせるものがある。水は綺麗なエメラルド色の斑紋を描き、われわれが縮緬(ちりめん)紙の版画で見るような豊かな青を風景に添える。・・・≫と書いています。*「ゴッホの手紙 上 ベルナール宛 」(エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫)

 そんなゴッホの本邦初公開「タラスコンの乗合馬車」という絵は、「陽気なタルタラン」(小川泰一訳 岩波文庫」に出てくる乗合馬車から描かれたようです。解説には、【この乗合馬車は、ドーデ―の作品の中で「アルジェリア送りにされた古い乗り合い馬車が昔を懐かしんで愚痴をこぼす話」】とありました。(続く)

☆写真右は「アルルの跳ね橋」(「世界の巨匠 ゴッホ」(ウィリアム・フィーヴァー 水沢勉訳 岩波 の表紙。)左はゴッホ展案内紙「画家としての自画像」

PageTop

アルルのアイリス

ゴッホ6j
(承前)
 東京都美術館「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(~2018年1月8日)は、日本に憧れるゴッホがアルルへ移住したときの作品も並んでいました。
 アルルのことをよく知らないので、アルルと日本が似ていると言われても、よくわからないものの、ゴッホは、澄んだ空気、明るい色合いなどを求めた移住だったと思います。
 解説によると、≪「ここではもう僕に浮世絵は必要ない。なぜなら、僕はずっとここ日本にいると思っているのだから。したがって、目を開けて目の前にあるものを描きさえすればそれでいい」、「画家たちの天国以上、まさに日本そのものだ」とまで言います。≫
 すごーい。日本礼賛ですね。
 ただ、1888年2月にアルルに到着した日は、大雪で「本当に日本の冬景色のようです」と書き送っていますから、色彩の豊かさを求めて移住したゴッホには、前途多難の幕開けだったもかもしれません。

 とはいえ、「アイリスの咲くアルル風景」(1888年)は、今回の「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展では【第二会場 アルル 日本の夢】というところに展示され、日本の風景との関連を示唆していましたが、写真に使った画集「世界の巨匠 ゴッホ」(ウィリアム・フィーヴァー 水沢勉訳 岩波 1993)の同じ絵の解説は、ちょっと違っていました。(同じ絵ですが、タイトルは「花咲く草原」 )
≪ゴッホのジョンン・コンスタブルへの賛嘆、あるいは水路と眺望に同じ重要さを認めた、オランダが育んだ風景画への賛嘆が、この絵には暗示されている。≫
ふむふむ、見方を変えると、アイリスまでが違って見えます。燕子花風に見えたり、ジャーマンアイリスに見えたり・・・
 
 さて、読書家のゴッホ(1853~90)は、ドーデ―(1840~97)も好んでいたようですから、ゴッホの絵に「アルルの女」(1890年)というのがあり、ドーデ―の戯曲に「アルルの女」(1872年)があり、話と絵は、まったく関係ないものの、興味深いことです。

 その「アルルの女」の絵は【第三会場 深まるジャポニズム】というところに展示されていましたが、ジャポニズムの空気?どこ?・・・などと思っていたら、同じ会場にあった、「タラスコンの乗合馬車」も、うーん、どこが深まるジャポニズム?と考えたものの、こちらもドーデ―つながりで、興味深いものでした。(続く)

PageTop

ゴッホ展

ゴッホ2j
(承前)
 国立西洋美術館の隣の東京都美術館「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(~2018年1月8日 京都近代美術館2018年1月18日~3月4日)にも行きました。
 ファン・ゴッホ美術館所蔵の油彩画など、影響を受けた浮世絵なども展示されていました。

 うーん、国立西洋美術館の「北斎とジャポニズム」展➡➡より、こっちの方が、断然楽しい。
 なるほどね、ゴッホの日本は、そう来るか?という絵が並んでいます。
 
 第一会場で、インパクトのある渓斎 英泉の花魁の絵の模写から始まり、広重などが並びます。多分、国立西洋美術館の「北斎とジャポニズム」では、似てる、あるいは、イメージの源泉といった控えめな作品比較だったのが、こちらでは、ゴッホ自身の模写という形で、素人目に、判りやすいというのが一つあるかもしれません。

 次の会場は、「アルル 日本の夢」、さらに「深まるジャポニズム」「自然の中へ 遠ざかる日本の夢」と続きます。
 ということで、ゴッホにとって日本の占める位置が、よくわかります。結局は、遠ざかり、そのオリジナリティを我々は楽しんでいるということに納得がいきます。
 特に、「自然の中へ 遠ざかる日本の夢」にあった、日本初公開という「ポプラ林の二人」という静かな空気の漂う作品は、穏やかなゴッホがそこに居るような気がして、ちょっと、ほっとしました。

 と、今回は、東京都美術館の方がいいな などと思っていたら、違う階では、「日本人のファン・ゴッホ巡礼」という会場になってしまいました。巡礼した斎藤茂吉夫妻の記帳や佐伯祐三の描いた「オーヴェール教会」などが並んでいました。ゴッホの伺い知らぬ観点の展示だったので、ちょっと 蛇足のような気がしました。(続く)

上野3j

PageTop

摺物

北斎美術館2j
(承前)
 すみだ北斎美術館は、こじんまりとはしていますが、北斎とその一門で年間展示ができるところが、北斎の作品の多く、深いことを物語っています。実際、国立西洋美術館➡➡も、あべのハルカス美術館➡➡も北斎の名前を冠した美術展でしたしね。
 北斎は、版画の絵師ということで、残る作品が多いという点もあるかもしれませんが、肉筆画も結構な量があり、その娘やその一門を加えるなら、本当にすごい量。
 今まで、お江戸に北斎の美術館がなかったのが不思議なくらいです。

 今回、日曜でもさほど混雑しておらず、ゆったり鑑賞できました。よく見ると、版画の横の説明には、「大判錦絵」「小判錦絵」「摺物」などとあります。 「摺物」・・・このことは、今まで知らなかったも同然ですが、美術館発行の図録に説明があったので、よくわかりました。

 ≪摺物とは、プライベートに配るために制作された非売品の一枚摺を言い、多くは絵入りのものです。種類としては俳諧摺物、狂歌摺物、大小絵暦などがあります。大小絵暦は、その年の大の月と小の月を文字や絵などで表現した、正月に配られるものです。……北斎は宗理を襲名して以降、販売用の錦絵を描かずに摺物をたくさん描ています。・・・・・≫

 ふーん、そうなんだ。今回の「めでたい北斎」展(~2018年1月21日)➡➡にぴったりの展示だったのですね。そういえば、いわゆる浮世絵と称されるものに比べて、地味ながらも、ちょっとセンスのいいお名刺代わりというものがたくさんありました。

 特に北斎の「目黒不動尊詣」という摺物(下の写真の下)なんか、他の摺物よりの少し色も多いせいか、錦絵にも近く、あるいは、図柄も、綺麗なお姉さんが描かれていたりするので、これがプライベートの一枚摺りだったというなら、もらった人も喜んだに違いありません。
☆写真下、中央上は、魚屋北渓「兎の鹿島おどり」(摺物)左横は北斎「布袋図」(絹本)
 
   北斎3j

PageTop

すみだ北斎美術館

 北斎美術館j
 東京 上野の国立西洋美術館の次は、同じ上野の東京都美術館「ゴッホ展ーー巡りゆく日本の夢」展(~2018年1月8日)に行ったのですが、先にここでは、「北斎とジャポニズムーーHOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展➡➡の続きのような気持ちで、すみだ北斎美術館に行った事。
開館一周年記念の「めでたい北斎ーーまるっとまるごと福づくし」展をしてました。
 
 北斎を中心に北斎一門の作品も加えて、「めでたづくしの展示」(~2018年1月21日)でした。
 
 第1章「めでたい神様」七福神オールスターズ・神様オンパレードの 「大黒酒宴図」から始まって、第2章「めでたいシンボル」めでたき生き物・めでたい草木・めでたいお話・めでたいバラエティー  第3章「めでたい新年」新年のならわし・新年の芸能 第4章「めでたい場所」の「目黒不動詣」まで、見ている方も、めでたいご利益をもらったような気になって、楽しい鑑賞でした。

 出口には、おみくじもあって、ひいてみると、「中吉」。≪人を敬い慈しめば諸事順調に進展し、願い叶うべし。北斎漫画 初編より≫と書いていました。そして、その絵は中の絵は、国立西洋美術館でカサットと比べられていた布袋さんの絵。(12月6日の写真の右上に写っています➡➡)。(続く)
☆写真上は、すみだ北斎美術館、妹島和世設計の斬新な建物。

PageTop

ル・コルビュジエが設計した美術館

西洋美術館28
(承前)
 上野の国立西洋美術館の常設展は、空いているし、充実しているので、いつも、特別展とともに入ります。
 今回は、たくさんの絵画もさることながら、その建物も眺めてきました。
 この美術館は、ル・コルビュジエが設計した国内唯一の建造物として、世界文化遺産に登録されています。
 甥が建築を勉強しているおかげで、少しは、伯母も伯父も建築に興味がわき、その結果、スイス レマン湖のル・コルビジェの「小さな家」に行ったのは、拙欄にも書きました。➡➡ 
 
 素人目にも、ル・コルビジェの建築 ⇒⇒ という雰囲気はわかるものです。
 スイスの「小さな家」の外観が美術館の内部で見られたような気がしたし、美術館の中庭の紅葉した欅の向こうには、レマン湖岸の「小さな家」のような外観があるのも、興味深いものでした。

西洋美術館13

PageTop

カミーユの波

波11j
(承前)
 「北斎とジャポニズムーーHOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展(~2017年1月28日)に 展示されていた 工芸品、ガラス製品や陶器製品においては、今だったら、著作権侵害で、大問題になると思われる、丸まま図案のパクリ。北斎の図帳があるから仕方がないですが、まったくおんなじやん!
 当時の日本の画が、師匠の絵を真似て書くところから始まり、それを踏襲、伝承していく文化でしたから、著作権云々なんて言わない、日本の大きな懐だったと言えます。
 北斎の絵のように生き生きとしてないものの、上手に真似ています。
 中には、「ぐりとぐら」によく似たお皿があって、うーん、ここにもジャポニズム・・・ちがうちがう、これは1870年頃のジュール・ヴェエイヤール工房のもの、と一人で笑うことも。(「漁をする鼠」「書物を読む鼠」「音楽を楽しむ鼠」の三枚のお皿)

 そんな中、ドビッシー「波」の楽譜も来ていましたし、カミーユ・クローデルの「波」も来ていました。これこそ、北斎の「神奈川沖浪裏」の影響が大きい作品だと言えます。

 個人的には、カミーユ・クローデルのブロンズ・オニキス像「波」をゆっくり鑑賞できただけで、この展覧会に行った甲斐があったと、思いました。
 壁に展示された他の作品より、人も居ず、ずっと見やすかったということもありますが、この作品はパリのロダン美術館から、よくいらっしゃいました・・・と撫でたかったくらいです。(してません)

 以前、パリのロダン美術館訪問 ➡➡ 以降、カミーユとロダンのことを知ってから➡➡は、ロダンの作品より、カミーユの作品に肩入れしてしまいます。一度見て、ジッと見て、ぐるっと見て、横から見て、ああ、離れられない・・・と、カミーユの「分別盛り」を見たときと同じです。
 カミーユの作品にある情念というのは、もしかしたら、背景を知っているから、そう思うのかもしれません。
 が、しかし、彼女の作品にある、自由さ、伸びやかさは、見るものを魅了すると思うのです。
 やっぱり、カミーユの作品が好みです。

 カミーユの天才。女性であったこと。それゆえの、哀しい結末。
 「ロダンーーカミーユと永遠のアトリエ」という映画が上映されていますが、ロダン都合の視点だろうなと今のところ見ていません。(続く)
☆写真下は、東京国立西洋美術館 ロダン 地獄の門

上野6j

PageTop

北斎とジャポニズム

上野1j

 今年初めに、「北斎とジャポニズム」展が、東京 上野の国立西洋美術館で開催されることを知ってから、機会があれば、行ってみたいものだと思っていました。に

 大阪あべのハルカス美術館の「北斎展」➡➡の充実ぶりを見ると、ますます「北斎とジャポニズムーーHOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展(~2017年1月28日)を見てみたい気持ちになり、コンビニでチケットを先に調達していきました。すると、日曜午前にも関わらず、入場は、待たされることがありませんでした。そして、どの美術展でもそうですが、入り口すぐの解説文と、最初の展示品には、人が群がっていたものの、他は、後半に近づくにつれ、見やすい状況。

 確かに、展覧会に副題である「HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」というのはわかりました。模写のような画もありましたから。、
 北斎の横には、ドガ、セザンヌ、モネ、ピサロ、カサット、ロートレック、ヴァロットン、ゴーガン(ここではこう表記されていました)、・・・など、有名どころがふんだんに揃えられ、北斎のシーンに似た画を展示していました。が、これって、北斎の影響なの?無理やり、持ってきてない?と思えるものが何点もありました。
 北斎が画家たちに大きな影響を与えたのはわかるのですが、西洋の画家は画家自身のセンスと描き方で、これを描いたのじゃないの?と展示の絵に、つっこみたくなることしばしば。
 鋭い眼力の持ち主が画家であるならば、そんな人たちが、人物をよーく観察したら、北斎が描いたような格好って、オリジナルでも描けるよね、山の位置も、木の並びも、北斎に気付かされたとしても、そのあと画家のオリジナリティが発揮されたはず。

 どこが似ているかを、素人にもわかるように展示してくれたのはよかったものの、かえって、それが、西洋の画家たちよりずっと北斎の方がよかったなどと、思わせる結果につながりました。多分、一枚のセザンヌ、一枚のドガだけを見たら、そんなこと感じなかったはずなのに。(続く)

上野5j

PageTop

使命感

落ち葉15j
(承前)
 ・・・超多忙な秋に、重大な出来事。そんななか、来年の仕事の依頼が・・・
 あと2コマ増やしてほしい。
 うーん、新規に働くには、けっこうなお年ですけど・・・・
 家族は、もういいやん、もうやめとき と、口を揃えました。
 
 3年ほど前に断った話は、常勤の話。もう10歳若かったら受けていたものの、絵本以外のことも担当し、夏休みも少なそうだったから断りました。
 今度の話は、非常勤で、絵本中心の授業。現場で必要な絵本なのに、専門の先生がいない。現場出身の先生は、論文を書いていない。現場をしらない学者先生は、頭で絵本を講義する。

 現実を見ればよくわかります。
 例えば、「ぐりとぐら」(中川李枝子文 大村百合子絵 福音館)すら知らない学生が、保育の教室にいる。つまり、幼い時に、「ぐりとぐら」--誕生して50年以上ーーを、読んでもらう環境になかった。当時の彼らの先生が「ぐりとぐら」を知らなかったのです。
  42年前のカ・リ・リ・ロの卒論は、「ぐりとぐら」を含んでいたし、教育実習でお世話になった幼稚園で、我々、実習生がお礼にしたのが、「ぐりとぐら」の人形劇だったのですが。➡➡
 
 ・・・・こんなことを目の当たりのすると、年甲斐もなく、ついつい、使命感にかられてしまいます。こんなに楽しい絵本たちを、子どもに関わろうとする学生たちに紹介する人が居ないなんて・・・・
 今まで、子育てするお母さんに絵本を紹介してきたのも、今や、赤ちゃんを育てる若いお母さんに絵本を紹介するのも、絵本はこんなに楽しいよと言いたい おせっかい 使命感から。
 
 というわけで、この歳になって、お声をかけてくだるのも有り難いことと、来期、授業コマ数を増やします。
 体力続きますように。

 もしかしたら、42年間お世話になった児童図書専門店の種まきを、もう少し続けるお手伝いができるかも・・・と思うのです。
☆写真は、来年の秋は、コマ数が増えて、こんなに明るい時間に通れなくなる道。

PageTop

小春日和

上の4j
(承前)
 義父の90歳のお祝いに明石に向かう電車から、その日、閉店する児童図書専門店が見えました。
 午前の明るい日射しの中、おばさんが、店の前の花のお世話をしてました。
 
 今度は午後、帰りの電車から、児童図書専門店の外まで並ぶ、お客さんが見えました。
 新聞やネットや口伝てで、知った人たちでしょうか。
 カ・リ・リ・ロに見えた一番後ろには、長男と同じくらいの年齢の男性が並んでいました。
 同乗していた娘に見えたのは、店内に並ぶおばさんたち。
 児童図書専門店との別れを惜しむ人たち。
 
 本当に いいお天気の日でした。
☆写真は、東京 上野
 

PageTop

42年の歳月は・・・

紅葉1
 (承前)
 紅葉より団子➡➡、といいつつも、今年の紅葉・黄葉は、ことさら 綺麗。
 上の写真は、ベランダから見える六甲山系ですが、この季節、神戸生まれでよかったなと思うのは、秋は近くの山が錦に染まるから。春には、近くの海がひねもすのたりのたり・・・・およそ、東西に細長い神戸は(旧市内)、海が近く、山が近い。
 
 カ・リ・リ・ロの生まれは神戸の西の方。特に海が近いところ(須磨)。それで、西の方の高校を卒業し、遠くの大学に通い、東の方、山に近いところ(六甲山系)で、家庭を持ちました。
 
 さて、ここからが本題です。
 その高校の、すぐ近くに公立図書館がありました。
 時々通う、その図書館、明るい部屋は児童図書のコーナー。すました女子高校生は、ときどきその部屋に入るものの、いつも厳しい視線を感じました。司書さんが、目で言っています。ここは、大きい人の部屋じゃないのよ、わかってますね。
 
 そして、大学の頃、たくさん家庭教師のバイトをしていました。神戸の東の方にも行っていました。バイトの行きかえり、ふと見ると、開店早々、ピカピカの児童図書専門店。
 のぞくと、わあ!絵本がいっぱい。
 卒論は絵本。入ってみよう。
 ・・・・・・・およそ、家庭教師の回数だけ、寄り道していました。

 大学を卒業し、小学校の教員になりました。新卒教員は、仕事のこと、生徒の事、色々悩みがありました。
 閉店間際のその店に立ち寄って、店主のおじさんに、よくコーヒーを飲ませてもらい、話を聞いてもらうようになりました。(隣が美味しいコーヒー店) 今は、飲まないコーヒーですが、当時は、まだ飲めていましたしね。
 そんなとき、仕事を終えた店主の奥さんも加わって、3人で、話したこともありました。
 なんと、その奥さんは、高校の横の公立図書館の児童書コーナーの司書だったあの人。

  その後、23歳で結婚し、住んだのは、神戸の東。たまたま、その児童図書専門店まで歩いて5分のところ。
  子どもが出来て、手狭になった家を転居したものの、やっぱり住んだのは、神戸の東、六甲山系が迫っているところ。児童図書専門店から15分のところ。そのあと、20年足らず、六甲山系の東端に転居するものの、児童図書専門店に車で30分。

   いつの頃からか、店主のおじさんより、司書をやめたおばさんが、ほとんどお店に立っておられました。もちろん、お二人でお店にいらっしゃることも。

  ・・・・・・・・・・・・・・・きりなく、その児童図書専門店との関わりがあります。
 おばさんには、うちに来ていただいたこともありました。伺ったことも、一緒に出掛けたこともありました。
 お祝いをいただいたり、お悔やみをいただいたり、お見舞いをしたり。
 店と客の域を超えていたようなときもありました。
 交わした言葉も、指導の言葉も、たくさん覚えています。
 そして、あの阪神淡路の震災。
 ここで出会ったたくさんの人たち、離れていった人たち。
 ここで繋がった、そして、今も繋がっていると思うたくさんの人たち。
 今のカ・リ・リ・ロの血肉となった42年の歳月。

 この度、その児童図書専門店は、閉店に。
 おじさん亡き後、おばさんおひとりで頑張ってこられたものの、今や86歳。
 どうぞ、ゆっくりなさってください。(続く)
       _20171109_113818 (003)
蛇足ながら、ネット情報をラインで共有した、うちの子ども3人(全員、三十代)のコメントです。
 長男:ありゃ。寂しくなるなぁ。お疲れ様やな~
 次女:ここで買ってもらった本で育ったね
 長女:今は うちの子が読んでもらってる    

PageTop

落ち着かなかった秋でした

ロダンj
 たとえ、誰も読んでいないとしても、いくら書くのが好きだと言っても、書きためた文章が底をつき、現在、ブログ更新は綱渡り状態。
  ・・・というのも、娘のつわりが酷く、我が家から出社、孫も、我が家から登園という日が続いて1か月半。
  中でも一番しんどいのは、娘は時短勤務で帰宅が早く夕方5時過ぎには食べる孫のために、さっさと食事の準備をしなければならないこと。しかも、味は濃くなく、柔らかく、小さく刻んだ安全な食べ物。
 
 加えて保育所から持ち帰った布おしめの洗濯。
 娘の容態が特に悪い時には、なんとバアバが孫とお風呂に入る・・・
 1歳半の孫は、どんどん成長し、言葉も一気に増え、「いやだ!」もはっきり言うものの、やっぱり かわいい盛り。
 自分のときは、3人の子育てを どうやってこなしていたかなど思い起こす暇もありません。

 そんな超多忙な日々とはいえ、秋の楽しみがなければ、師走も来ない・・・

 というわけで、東京に行きました。 過日のあべのハルカス美術館での北斎➡➡を見たからには、やっぱりお江戸の北斎展も見ておかなくては・・・
 一泊後の帰りは、夕飯の為に4時に帰宅という早業でした。ふぅ

・・・・とはいえ、その前に、書いておかなければならないことがあります。(続く)

☆写真は、東京国立西洋美術館 ロダン カレーの市民

PageTop

ドーデ―とジャポニズム

じゃぱんj
(承前)
 偶然でしたが、かの「北斎」展➡➡を 大阪あべのアルカス美術館に見に行く少し前に、「月曜物語」(ドーデ― 桜田佐訳 岩波文庫)に入っている「盲目の皇帝」という短編を読んでいました。

 「盲目の皇帝」は、ドーデ―がまだ見ぬ日本への憧れとともに、ドイツとフランスとの関係を描いた一篇です。
 ここには、ドーデーと≪1866年の春、日本の植物に関する数々の名世によって学界にその名を知られている、オランダ国勤務のバヴァリアの大佐ジーボルト氏≫との交流とが書かれています。1866年の春という意味は、我々にはピンときませんが、プロシア対南独諸国の戦争があり、ミュンヘンの議会で、シーボルトのの大量の収集品を買い上げる予算を可決しようとしていたその頃の話なのです。

 で、どこが北斎展とつながるかというと、かの北斎展には、「ヨーロッパ風の様式で描かれた風俗画」というコーナーがありました。
 オランダ東インド会社が北斎に当時の日本の民俗画を発注し、シーボルトなどが引きとったとされています。そして、あべのハルカス美術館で見たのは、確かにオランダ製紙に描かれた当時の風俗画でした。紙が違うので、発色もまったく異なって見えました。今や、これらは、ライデン国立民族学博物館の所蔵となっているのです。

 つまり、ドーデ―がシーボルトに直接見せてもらった収集品の中に、北斎があったかもしれないということなのです。
≪・・・・札を付けて陳列された珍奇な品々は、はるばる故国(くに)を離れて渡ってきた物品のあの哀愁を帯びた集まりとして、立派に一つの博物館を造りあげていた。ジーボルト老自身までその一部となっているような感じがした。私は、毎日彼に会いに行った。そして私たちは一しょに版画で飾られた日本の写本などをめくっては長い時間を過ごした。科学の本、歴史の書と様々ある中には、床の上に広げなくてはならないような大きなものもあれば、指のつめぐらいの大きさで、虫めがねを使ってようやく読めるような、金粉を塗った繊細な貴重なものもあった。ジーボルト氏は八十二巻から成る日本の百科辞典を見せて私を感心させたり、あるいはまた日本の最も有名な詩人百人の伝記と絵姿と叙情の断片とを収めている、日本の諸天子の勅選によって公にされた「百人一首」というすばらしい詩集の中の一首を私に訳してくれたりした。次ぎに私たちは彼の集めたいろいろの武器を並べてみた。幅の広いあごひもの付いた金のかぶと、よろい、くさりかたびら、テンプルの騎士を思わせる、それで日本人がみごとに腹を切ると
両手で抱えるような大きな刀。・・・・(後略)・・・・≫

 ね!ここを読むだけで、ドーデーとシーボルトがわくわくしながら、遠く日本を楽しんでいる様子が伝わります。が、ここに出てくるものが、日本人であっても、よくわからないものもあって、ジャポニズムとヨーロッパを語るには、まだまだ研究が進んでいないのではないかと、思います。・・・それに、最近、東京国立西洋美術館の「北斎とジャポニズム」を鑑賞してきた身としても、そう思います。
☆写真は、スイス ザンクトガレン テキスタイルミュージアム➡➡ 絵巻のように長く、布の取引の様子を描いた絵の一部。髷を結った日本人商人が布を見ています。

PageTop