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みんなみすべくきたすべく

言葉というものは、いつも実際の物より詩的なものである

水ぎせるj
(承前)
 「月曜物語」(ドーデ― 桜田佐訳 岩波文庫)は、第一部「幻想と物語」第二部「空想と追憶」で構成されている短篇集です。
 昨日の「最後の授業」➡➡は、第一部に、先日の「クリスマスの物語 -マレー街の降誕祭の祝宴」➡➡は第二部に入っていました。

  訳者解説によると
≪第一部は、舞台を当時のパリとアルザス地方にとり、おだやかな美しい筆で、しかも時にはするどい風刺をもって、こまやかな人情を描いている。また第二部では、詩人である作者が、さらに視野を広めて多くの幻想や追憶を語り、叙情的な筆はしばしばものの哀れを感じさせられる。≫とあります。

 そうなのです。この短篇集、きらきら光る小さな大事なものが詰まっています。どれもとても短い話なので、どこから読んでもいいという気楽さもあって、電車用に持ち続け、読み返すものも多かった一冊でした。

 「対象宿」という話の中に
≪言葉というものは、いつも実際の物より詩的なものである。≫とありました。
 隊商宿という言葉からイメージするもの、実際にそこで滞在した時のことを書いています。
 イメージしたのは、≪隊商宿(カラバンセライ)という美しい言葉、千一夜(アラビイランナイト)に描かれたあの夢幻的な東方諸国が目もくらむばかりに織り混ぜてあるこの言葉は、私の想像の中に、アーチが幾つも横にあけられた長廊下や、つやぐすりをぬった陶器の敷石の上に、涼し気に繊細な噴水が憂うつなしずくをたらしている、しゅろの植わったモールふうの中庭を作り上げた。そのまわりでは、旅行者が上ぐつをはいてむしろの上に横たわり、露台のかげできせるをふかしている。そして、この静けさの中を、隊商の上にそそぐ暑い太陽の中を、じゃこうや、やけた皮や、ばらの香水や、金色のたばこの重苦しい香りが立ちのぼっている……≫

 で、実際には≪代わりに私が見たのは、パリ付近の古い宿屋のように、ひいらぎの枝を看板につけ、玄関のわきには石の腰かけがあり、中庭や、納屋や、穀物小屋や、うまやのたくさんある、荷車引きの立寄所、駅馬車の宿、といった街道筋の宿やだった。アラビアンナイトの夢とはだいぶ隔りがある。≫

 ところが、ドーデ―は、この寂しい宿屋の魅力、絶景を感じたことを書き続けます。華美な言葉の連なりではなく、小さなこと、細かなことを、書き重ねていくことによって、我々、読者を隊商宿へと連れて行ってくれるのです。

 ≪言葉というものは、いつも実際の物より詩的なものである。≫といいながら、実際のものを目に見えるように書くドーデ―の筆力に、惹かれます。(続く)
☆写真は、スイス トゥーンの街の水ギセルのショーウィンドー 
 

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